2016/05/21 - 2016/05/21
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bakanekoさん
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無知とは恐ろしいものである。能役者が退出したので終わったと思い撮影をやめ帰った。まだあったのである。最終、藤戸である。痩せ男という幽霊が出てくるのである。夜にはさぞかし映えたであろう撮影対象を逃してしまった。無知な男は、撮影ができたと満足し近鉄で寝て帰ったのである。無念。
薪御能
薪御能は、全国あちこちで行われている、屋外で演じる「薪能」のもとになった行事。長い歴史を感じさせる儀式があったりして興味深いですし、火に浮かびあがる能の世界は幻想的。
2日間とも、昼前に春日大社、夕方から興福寺で演じられます。春日大社での「昼の部」は、1日目は舞殿で「咒師(しゅし)走りの儀」、2日目は春日若宮神社で「御社上り(ごしゃのぼり)の儀」が行われ、興福寺での「夜の部」は、どちらの日も「南大門の儀」が行われます。「儀」という言い方が、宗教儀式がもとになっていることを表しているようで、興味深いです。
「興福寺・春日大社それぞれ、有料の「協賛席」が設けられますが、興福寺での「夜の部」だけは、無料で見られるスペースがあります。「能に興味はあるけど、有料だとちょっと・・・・・・」という人にはありがたいですね。ただ、無料席は立見なので、シートなどの用意を。
薪御能は、もともと「春日大社うしろの山で採った、興福寺で使う薪を迎えるときに演じた能」という意味。「薪を燃やして行う能」という意味ではありません。全国に広がった薪能の元祖は、この興福寺の薪御能です。能自体は、知っていないと楽しみにくいですが、薪の炎に浮かびあがる神秘的な雰囲気を味わって、いろいろなものの発祥地「はじまりの奈良」を実感できる行事です。
南大門の儀 興福寺 南大門跡・般若之芝(午後5時30分〜)
金春流能 「杜 若(かきつばた)」 金春安明 ほか
大藏流狂言 「蝸 牛(かぎゅう)」 茂山良暢 ほか
金剛流能 「藤 戸(ふじと)」 金剛永謹 ほか
さて妄想へ 著者注)
本紀行は、写真撮影記に私の妄想が入り、過去の人物などが出る事があります。入江:入江泰吉 土門:土門拳 佐藤:佐藤義清 楠木:楠木正成
和歌山の自衛隊に行く金もなし・・・・そうだ!!懸案の興福寺 薪御能 南大門の儀に行こうじゃないか。ということで近鉄あみま倶楽部が今月切れるので最終の運賃2割引券を使って奈良まで行く。
目の前で快速急行が出てゆく。幸先が良い・・・・・・・
急行で何とか奈良に着く。エレベーターを上がるとそこに痩身の男が仁王立ちになっている。
入江先生だ。
入江「bakaneko君。薪御能の幕の中は写真撮影は禁止だよ。幕に触れてもいけないし。敷地内では撮影禁止だ!!どうする!!私の時代では撮れたが、この時代は撮れぬ・・・・奈良の主は私だ!!」
- 旅行の満足度
- 4.0
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入江先生の話を聞いてあきらめようかととぼとぼ歩いてゆく。
坂の上にモンスターが立っていた。
土門「よう!!へたくそ」
私「中国人の観光客のふりして撮りましょうか?」
土門「そりゃ卑怯だ!!」 -
私「とりあえずフルサイズのカメラと、F6.3と暗いですが500mmレンズは用意しています」
土門「まあ。状況掌握だな。どこから撮れるかロケハンだ」 -
土門「石碑が松とかぶっとる。下手としか言いようがない」
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土門「このくぎはいいなあ」
私「わかりますか。鍛冶屋の釘ですよ。頭がいびつです。先生みたいな」
土門「しばくぞ」 -
CPLを使って
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この影がいい
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会場の係員に聞き、僧兵の入場方向を聞く。
待つことしばし。
土門「リアリズムだ」
私「せやけど先生、外人さんでっせ」
土門「伊勢志摩サミットも近い。これもリアリズムだ」 -
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人工物を排しても・・・・なんかもうひとつパッとせん。
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まあこんなところか
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僧兵のほら貝は、あまりうまくなかった。
土門「わしのほうがうまい」
私「そら、ホラでしょう」 -
なにやら足元がおぼつかない。
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夕日が、赤さを増す。
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さあ作戦会議です。
土門「現地調査ではわしはあそこだと思う」
私「私もです。500mmいっぱい使います。」 -
ええ感じなのですがうまく撮れません
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土門「陣地につけ。戦闘開始だ」
私「先生、いや軍曹殿。こちらを向きませんよ」
土門「耐えよ!!」
金春流能 「杜 若(かきつばた)」
旅僧が都から東国へと赴き、三河国(愛知県)にやって来ます。そこは杜若の花が今を盛りと咲き誇っているので、僧が花に見とれていると、一人の里の女がやって来ます。そして、ここは八橋という古歌にも詠まれた杜若の名所だと教え、在原業平が「かきつばた」の五文字を各句の頭において、「唐衣 着つつ馴れにし 妻しあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ」と詠んだ事を語り、杜若は業平の形見の花だと偲びます。その上、僧を自分の庵に案内します。やがて、初冠と唐衣を着て現れるので、僧が驚いて尋ねると自分は杜若の精であると明かします。そして、伊勢物語に描かれた業平の数々の物語や、業平が歌舞菩薩の生まれ変わりである事などを語り、舞をまい、草木も成仏できることを喜びつつ消えて行きます。 -
警備員のおっさんがあほな私を見ています。
土門「いまだ!!うてうて」 -
土門「上下の白い影は、何だ!!」
私「このアングルでは、これが限界です」 -
陽が落ちてきます
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杜 若(かきつばた)
土門「敵だ。撃て」
私「先生。戦争やないんやから」
土門「戦争だ!!入江さんが笑うぞ」 -
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まさに地べたに張り付く機関銃手のようです。
下の緑は、芝生です。 -
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土門「撃て。入江さんに負けるんじゃない」
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まさに逢魔が時。
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ようやく舞が終わる。レンズの重みで腕も痛いし、もうくたくたです。
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どうやら今日は十五夜。
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かがり火が入りますが。撮影地点からはこのようにしか写せません。
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狂言が始まります。
大藏流狂言 「蝸 牛(かぎゅう)」
長寿の祖父にますます長生きをしてもらおうと思った主人は、長寿の薬にもなるという蝸牛(かたつむり)を召使い(太郎冠者)にとってくるよう命じます。蝸牛がどのようなものか知らない太郎冠者は、竹やぶに行けば必ずいるものだと教えられ、言われたとおりに竹やぶに着くと、そこに何者か寝ています。もしや蝸牛ではないかと思った太郎冠者は・・・。
山伏を蝸牛と取り違えるという突飛な演出に思える本作品ですが、そこは狂言のこと、そんな事を感じさせる余地のない可笑しみを誘います。
流派によっては登場人物を親子とし、子が蝸牛探しに出かける演出もあります。 -
土門「夜戦に入る。500mm F6.3 ISO 2000 SS 1/60 連射用意 風が強い時を狙え!! テェ!!!」
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狂言は、少し中休み。500のレンズは重たくフラフラです。
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いい感じです。
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金剛流能 「藤 戸(ふじと)」
源平合戦の時、備前国(岡山県)藤戸の合戦で、先陣の功のあった佐々木盛綱は、恩賞によりその辺りの土地を賜わり、新領主としてお国入りします。そして、まず領民の声を聞くべく、訴えのある者は申し出るように、従者に触れさせます。すると、一人の老婆がやって来て、罪もない我が子が、盛綱に殺された恨みを述べます。盛綱は一度は否定しますが、老婆の激しい追及と嘆きに、隠し切れず、去年3月の藤戸の合戦の折、手柄を立てようと、土地の漁師に浅瀬を聞き出しますが、他の者にも同じように教えられることを恐れて、その男を殺したことを告白します。そして、その時の様子を語り、その男を沈めた場所を話します。老婆は悲しみを新たにし、親子の情を述べ、自分も殺してほしいと詰め寄ります。盛綱は前非を悔いて、老婆を慰め、下人に命じて自宅まで送らせます。
<中入>
盛綱は早速に漁師を弔うべく、法要を行うことや一七日の間殺生禁断の由を指示し、自らも読経します。すると漁師の亡霊が現れ、盛綱は恩賞を賜わり、そのもととなった自分は殺された理不尽を責め、身の不運を嘆きます。そして、殺された時の有様を再現して見せ、悪龍となって恨みを晴らそうと思ったが、意外にも回向を受けたので成仏の身になったと告げ、消え去ります。 -
なかなかこちらを向きません。
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土門「よしいまだ。どんどん行け」
私「動きそうですね」 -
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私「軍曹殿。幽玄ですね」
土門「日本の文化は幽玄だよ」 -
母親が泣きながら・・・・退出です。
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しかし悲しいことにあほな私は、このときストーリーを知らずこれで終了と思い、くたくたなので撤退しました。
私「軍曹殿。もうふらふらで足が痛いです撤退します。」
土門「根性のない奴だ。当初目的の能を少しでも撮れてよかった。以上 部隊は解散する。」 -
家に帰ると電話が
入江「よく撮った。だがあの後、もう一人痩せ男がでてなかなか面白かったのに、なぜ帰ったのだね。はっはっはっ・・・・・撮影の前には、よく予習をしておきなさい。はっはっはっ・・・・・」
私「ただただ無念です」
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