2015/06/11 - 2015/06/11
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captainfutureさん
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2015年6月11日(木)
昨日のメラ村から3村先の同じハンガリー人村マカウ村へ。 伝統衣装での日曜礼拝を見たかったが、日程が合わず。
1992年と93年にお世話になった一家に再会、娘さんが山奥の牧羊場へ案内してくれた。 1L ≒ \30
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 100万円以上
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- カタール航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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今回の宿泊ルート:
2015年 5/20 成田、カタール、ブカレスト → /22 シク村 → /27 シゲット・マルマツィエイ → /29 ポイエニレ・イゼイ村 → 6/4 オクナ・シュガタク→ /8 クルージュ・ナポカ → /14 ブカレスト、カタール → /15 成田
上記を拠点に、周辺の村を訪問。 ピンク色がマラムレシュ地方。 -
(下)クルージ・ナポカ駅で昨日と同じ07:45発に。 これを逃したら次は7時間後。
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ハンガリー国境近くの町行き4両編成。 (下)発車後5分でこういう光景に。
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(上)08:05、ハンガリー人村メラ村駅。 車窓から手を振ろうと昨日のフローリン駅長を探すも、今日は別の人が旗振り。
(下)08:15、ルーマニア人村グルバウ村駅。 明日訪れる。 -
08:20、今日の目的地ハンガリー人村マカウ村駅着。 ポツンとある無人駅で、乗り降りは私だけ。 (下)静かに去って行った。
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(上)まだ前回と同じ駅舎が使われていて感激。 (下)列車で偶然向かいに座った白髪のお婆さんがこの村で降りるとの事で、私もここで降りてみる事に。 後ろからガタガタと音を立てながらやって来た馬車に皆で乗せてもらい、砂利道で舌を噛んでしまうほど激しく揺れ、時折振り落とされそうになりながらマカウ村へ。
幸運にもその日は村祭りの前夜祭だった。 -
(上)向こうから男性が一人。 前回世話になった一家の写真(上の写真ではない)を見せると、一人除いて健在との事。 家の場所も持参地図に印を付けてくれた。 こちらの人は「この人は亡くなったよ」と言う時、両脇を締め、両手を胸で交差し、首を傾け目をつぶる。
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360度、駅以外に人家は見当たらず。
(上)幹線道路を渡り、(下)マカウ村への一本道。 実際は村まで3キロ。 -
前回はヒマワリ畑・トウモロコシ畑だったのに、今はどこも牧草に。
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09:00、マカウ村入口(上)
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09:20、ようやく家が並び始めた。
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駅からの一本道、ずっと脇を流れていた小川。 (上)左の家には「1920年」の文字。
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心地よいせせらぎが聞こえてくる。
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遠くに教会が見えてきた。 日差しが強烈、人影もほとんど無し。 今日も30度越え。 また熱中症にならない様、折り畳傘を日傘に。
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丘の谷間にある村。 どの庭にも山と積まれた薪。
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ひときわ古そうな伝統家屋がこの先に。
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通り掛かりのおじさんと。 トタン屋根になったものの、木造部分は彫り物がびっしり。 金属門も昔は上まで届く透かし彫り門だったのだろう。
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(上)人名と1910年の文字、(下)頭に後光が差した聖人と、刀を磨いている軍人。
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この家の出身者だろうか、サーベルを持った古風な軍人。
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(下)天使の透かし彫りとクジャクか。 胴体には羊のらせん状の角。
昨日のメラ村同様、段々と取り壊される中、ハンガリー人村独特の木彫り門や伝統家屋を発見するのは宝探しの気分。 -
(上)熱心に撮っていると通りがかりの男性が、この先にもこんな家があるよと教えてくれた。 (下)三叉路の標識。
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ここでボトルに湧き水を補充。
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あちこちで鶏の叫び声。
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ここだっかな・・・。 お店の雰囲気も随分変わってしまった。
(下)青シャツのおじさんに写真を見せると、それを手に小走りで中に入って行った。 -
その1993年当時の写真。 後列右からエリザベータさんと母、夫の母。 前列は親戚の人。 改装したが上の写真と同じ入口とのこと。 手には持参した前年に撮った写真のアルバム。
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中からウワーという大声。 私も店内へ入ってみると、レジ打ち中のエリザベータさん。
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突然来たにもかかわらず、良く来てくれたわね〜という感じで笑顔でハグ。 店の商品をいっぱいテーブルに並べて、あれも食べろ、これも食べろと。 また店内に案内してくれて、どれでも欲しい物があればと、ジュースは、肉は、アイスはと言ってくれる。 すっかり恐縮してしまった。
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左から夫のヤノシュさん(初対面)、エリザベータさん、親戚のおじさん。 二人ともほとんど変わらない。 たまたま居たお客に、突然来た事の詫びなど通訳してもらった。
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荷物を置かせてもらい、当時村祭りでお世話になった教会へ。 夫の母エカテリーナさんが、写真の神父を撫でながら、神父は2002年に亡くなったと涙声で手振りで教えてくれた。
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村の集会所。
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1992年に訪れた際、村ではちょうど祭りの前夜祭。 この集会所では村の青年や娘、子供達による演劇や民族舞踊などが。 子供がセリフを間違えるとどっと笑いが起こったりと、まさに雰囲気は学芸会風でとても楽しかった。
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教会への途中。
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小高い丘の上にある村の教会に到着。 ちっとも変っていない。
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鍵が閉まって敷地へ入れず。
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呪文のような長文が彫り込まれた門のある隣の神父宅へ。
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ここからも綺麗に見えた。
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ちょうど娘婿さんが庭に。 ここでも互いに言葉が分からず、携帯で英語の出来る人を探してくれて会話。
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やはり神父(トース・ヤノシュ・ラキパストゥル氏)は亡くなったとの事。 この娘婿さんでは無く、長男が継いでいるらしい。 写真は当時はカメラを持っている人がほとんどおらず、この村の歴史が写っていると喜んでもらえた。
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教会内を案内してもらえる事に。
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入口へ。
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入口の天井も、この地方独特の花模様。
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前回と違って、この日はとても広く感じた。
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あちこち改装されるも1866年築。
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額縁や募金箱まで同じ花模様
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女の子があちこち走り回って大変。 最後は神父宅をバックに。
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13:30、お礼を言って、丘を下りエリザベータさん宅へ。 戻ると、お母さんが手作りのビーズ刺繍を持って待ってくれていた。
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一つ選ばせてもらう。 伝統衣装にも使われたビーズ刺繍。
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エリザベータさんが昼食まで用意してくれていた。 さっと引き上げるつもりだったので、チョコ一袋(左上)しか土産に持って来ておらず大変恐縮(村唯一の店がここなので、ここで買い足しする訳にもいかなかった・・・)。
この後、娘のエメシュさんが、早朝の乳搾りを終え、今は昼寝中、夕方16:00にまた始めるので、羊牧場に連れて行ってくれるという。 -
その時間まで村散策する事に。 午前中に村人が教えてくれた、もう一軒の1918年とある透かし彫り宅発見。 何かの物語だろうか、人魚の鱗やクジャクの胴体まで繊細。
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目の前をガチョウの子供の群れがヨチヨチ。 興奮して撮っていると、そんなに珍しいかい?と、おばさん(下)。
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ウチに来たらもっと見られるよと。 車を出そうにも、群れがウロウロ、出られず、おばさんが追い払おうと追いかけっこ。 息子さんも笑っている。
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離れの台所には箱に入った沢山のヒヨコ。 裏の畑で採ったというイチゴをご馳走に。
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覗きに来た子猫
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ゆで卵を砕いて、ピッピリータ、ピッピリータと言いながら餌やり。
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家畜小屋へ。 (上)右が先程の台所。 (下)この春に産まれた子豚だそう。https://youtu.be/UuaSeq8_EyA
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ピヨピヨ
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お礼を言って、通りへ(上)、 愛犬と外出中(下)
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(上)村の小川にあちこち掛かる小さな橋
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ビーズを手にどこかに向かっていたおばさん。 エリザベータのお母さんが手首に巻いてくれた輪と同じ色。
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すれ違いざま、「コンピュータ!、コンピュータ!」と声を掛けてくれたコティシュおばさん。 事前にこの村の事を調べていて、SNSで知り合った方。 今年の村祭りの日時はまだ分からないが、この村に泊まりたいならウチに来ていいよとまで言ってくれた。 偶然、こうやってお会いでき感激。
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16::00、再びエリザベータさん宅。 娘のエメシュさんがちょうど空の乳缶を積み込んでいた。 挨拶後、彼女の運転で、どんどん山奥へ。
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羊に阻まれ、小休止。 だいぶ来たので、ここかなと思ったが 「まだウチの羊ではないわよ」。
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アップダウンの激しい道を更に山奥へ。 どこまで行くんだろうと思っていると、ようやく坂下に牧柵が見えて来た(下)。
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出発して15分後の16:20、「着きましたよ」とエメシュさん。 他の柵も合わせて360頭と。 ここだけちょっと盆地の様。
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「ただし牧羊犬があなたに噛みつくかもしれないので、まだ車内に居て」と一人残される。 確かに迫力ある大型犬が何匹か車の回りをグルグル。
車窓からはトレーラーハウス一家の姿。 エメシュさんが食料品や水、雑貨の入った籠を渡している。 -
春夏の放牧シーズンは一家でここで寝泊まり、搾乳を請け負っているらしい。 牧羊犬とどう話を付けてくれたのか?、「もう降りていいわよ」と。 幼稚園くらいの姉弟が近寄って来てくれた。
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(上)搾乳小屋を真ん中に二つに分けた牧柵。 右柵の羊が小屋で搾乳され、左柵へ。 (下)エメシュさんが車から降ろした乳缶。
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請負夫婦との三人体制、一日朝夕の2回、一回3人で230頭行うとの事。 実はエメシュさん、まだ2週間目だそう。 見事な手さばきに驚いていると、「これでもまだまだと言われるのよ」。 https://youtu.be/oOyICaKZ2sY
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(上)「おーい、羊が入ってこないぞ〜」と中から言われ、(下)姉弟が棒切れで羊を追い込みに。
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(上)懸命に棒切れで尻を叩いて小屋へ追い込む。 とにかく子供達が元気。
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バケツ一杯になり布でこしながら乳缶へ。 この後、急に雷雨、私は車に避難させてもらった。
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17:30、10分で止む。 今度は急に晴れ渡り、緑が一段と鮮やかに。
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いつまにか牧童のお兄さん。 搾乳がそろそろ終わる頃を見計い、別の群れを近くに連れて来た。 この後、空になった右柵に移し、翌早朝、左柵の搾乳済の群れを放牧に出発。
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18:30、最後の一頭が終了。 彼だけはルーマニア系。 羊を追い立てながらルーマニア語で延々と話しかけてくれるので、私も分からずもニコニコ、時折「フルモース、フルモース(素晴らしい)」と相槌。 乳搾りしながらエメシュさんが時々通訳、「東京はすごく人口が多いのだろう?」等と話しかけてくれているらしい。
https://youtu.be/g5wg18PR4Ko -
最後の一杯を乳缶に移し、車へ積み込む。
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これだけの頭数を2時間で終了、後片付けへ。 (下)奥の赤い盥で皆で石鹸で手洗い。
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さっき連れて来た別の群れ。 サービス精神旺盛で、あれこれポーズを取ってくれる。 牧羊犬に芸を仕込ませているようだが、今日はなぜか何度やっても不発。 最後は彼の携帯で一緒に記念撮影。
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エメシュさんも今日のお勤めを終え、寛いでいる。
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18:50、皆さんに別れをし出発。 (下)坂道を登ったところで、眼下に小さくさっきの牧童さんが。 車窓から乗り出して手を振る。
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雨後で、往時に比べてずっと緑鮮やか。
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途中で左に教会が見え、マカウ村が一望(上)。 19:10、エリザベータさん宅着。 (下)家前には杖を持った赤シャツの牧童と牛の群れ。 預かった牛が各戸に帰るところ。
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14時の列車で帰るつもりが、丸一日お世話になってしまい、夕食まで準備してくれていた。
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22年前に持参したアルバムをまだ保管しておいてくれていた。 夫のヤノシュさんが次の21:30の列車に間に合う様、車で送ってくれる事に。 それまでまた村散策へ。
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(上)お宅前の坂上で、男の子がアンズを差し出してくれた。 皮ごとかじってみると、すごく甘い。
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隣に座れと、ポンポンと席を叩いてくれるので、乗せてもらうことに。
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20:30、日没は21時頃なので、まだ明るい。 暑さもだいぶ和らぎ、あちこちの家のベンチでは夕涼み。 https://youtu.be/d7adr974biM
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おじさん宅へ。
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250キロあるという豚。
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(上)通りに面した自宅ベンチで、おばさんと一休み。 ちょうどいいサイズ。
(下)20:45、この時間は農作業を終えた帰宅途中の馬車のラッシュ。 -
21:00、ヤノシュさんの運転で駅へ。次は村祭りの日においでと言ってくれる。
ここまで来たのに、前回見せてもらった花模様でびっしりの、頭がクラクラしてきそうなハンガリー装飾の家具で埋まった部屋を見せてもらうのを忘れてしまった。 -
ルノーグループのルーマニアの自動車メーカー、ダチア車。
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もうマカウ駅の列車は終わったので、急行が停まる7キロ先のアギレシュ駅まで送ってくれて21:20着。 本当に感謝、握手してお別れ。
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アギレシュ駅。 28キロ先のクルージ・ナポカ駅まで13.5レイ(\405)。
今日もとても暑かった。 日傘を差し、努めて水分を摂ったが、まだ完全復帰で無く軽く頭痛。 また軽い熱中症の様だった。 -
21:31到着、クルージ・ナポカ駅21:59着。 向かいにはハンガリー系の高校生(下)。 ベルギーでの国際学生会議への出席で、首都ブカレスト行きのこの夜行列車に乗っているという。 私も明後日に行くので聞いてみると、クルージ・ナポカ22:15発ブカレスト翌08:14着、二等寝台125レイ(\3,750)。 30回以上乗ったがノートラブル、いつもガラガラで快適と。
流石に22時は外も真っ暗、 無事に駅とホテルに到着。 -
以下は1992年のここの村祭りの様子。 前夜祭が終わった翌朝11時、教会へ続く道の脇に伝統衣装の人々が並び、神父一行をお出迎え。
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既に人々の熱気で一杯。
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二階のオルガン奏者の隣へ。 ミサが進むにつれ神父は感極まった様子で熱心に説教、オルガン奏者が引きながら大声で歌い始めた。 村一番の使い手なのであろう十代半ばの少年が少し息継ぎが上手くいかなかったがフルートを演奏。
1989年以前の旧体制下では当局の目を気にして目立たぬよう、もっとささやかに行われていたという。 -
ミサは放し飼いのヤギの鈴の音がのどかに聞こえてくる中、13時に終了。 否が応でも目立つ私は神父(上の写真中央)に声を掛けられ、神父宅へ。 ミサ終了後も村人が次々と神父宅に挨拶へ。
1960年からこの村で神父をしており、旧体制下では別の仕事を持ちながら兼ねていたそう。 ルーマニア同化政策下の少数民族として、また宗教が認められない体制下での神父として、二重の苦しみがあったそうだ。 そういった体制下でもそれに屈せずこの教会が営まれていた証として、沢山の過去のミサの写真が壁一面に張ってあった。 -
ミサ終了後も去りがたく教会にいる人々。 男の子は模造真珠で飾られた緑色の帽子。
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豪華絢爛な伝統衣装の娘さん達
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模造の真珠で出来た髪飾り、頭から地に着く程の長い幅広リボン、びっしりとビーズの刺繍がなされた前掛け。 色鮮やかでそれはそれは美しく、みやこうせい著『ルーマニアの赤い薔薇』そのままの世界だった。
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村人は誰彼となく私に手を差し出してきたり、ポンと肩を叩いていく。 わざわざ追いかけて来て、ビールや焼き肉を差し出してくれた。 お金は決して受け取ろうとしない。 よほど東洋人が珍しかったのだろう、好奇心丸出しの子供達が集まって来て、まじまじと私の顔を覗き込む。
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ハンガリー人村はルーマニアのただ中にある正に異国の中の異国であると感じながら、この村を後に。
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一日3本の最終列車に間に合うよう、駅まで送ってくれた。
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エリザベータさんのお母さんが持たせてくれた自家製ハンガリー装飾の木箱と、後日、郵送費もばかにならないだろうに、送ってくれた伝統衣装の人形。
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この旅行記へのコメント (5)
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- のまどさん 2016/05/21 22:19:50
- 感慨深かったです
- captainfutureさん、こんにちは。
ご無沙汰しております。やっとまとまった時間ができたので、じっくり読ませていただきました。
22年前との写真の比較。変わってしまった風景と変わらない風景、亡くなった方と新たに生まれた子供たち。とても感慨深かったです。最後のルーマニア像が壊れるのを恐れて22年間訪問しなかったという気持ちは大変分かります。でも、昔も今も素敵ですよね。
ルーマニアの建物は木材が使われているのが特徴的ですね。ヨーロッパの他の国では大方レンガや石なので私はルーマニアで郷愁を覚えました。
ロマという民族についてはとても興味深いです。インド辺りから移動してきたようなのですが、謎が多いようです。その一方で、captainfutureさんが書かれていた通り、一般社会に適応するのが難しいのは考えられます。
熱中症で倒れられたんですか。大変でしたね。でも、無事に帰国できて何よりです。ルーマニアの病院は無料なんですね。
私もこれからポーランドに出発します。東欧の暑さには気を付けるようにします。今年のベルギーの冬は長かったので、体が適応できればいいのですが。
では、またの投稿を心待ちにしています。今年はどちらに行くのでしょうか・・・楽しみです。
- のまどさん からの返信 2016/05/21 22:27:51
- RE: 感慨深かったです
- 追伸:あら、5月17日からワルシャワ。街中でばったり会うかもしれませんね。
- captainfutureさん からの返信 2016/06/13 12:25:47
- RE: RE: 感慨深かったです
- のまどさん、ご無沙汰しております♪
せっかくコメントを頂いていたのに、遅くなって済みません。
今回も同じような写真が並ぶ旅行記をご覧頂いて、ありがとうございます。
22年も経ってしまったのですが、昔ながらの良さが残っているところも多く、ホッとしました。
あの地域は、温かみがある木材の家が多くて、これまたホッとできる場所でした。
>一般社会に適応するのが難しいのは考えられます。
本当ですね。
ルーアニアの病院、アメリカの民間団体から支援がある病院だったようで、特別に無料だったようです。
ちなみに今回もウクライナで病院にかかってしまったのですが(軽い風邪)、公営とのことで診察料は無料でした。
また行ったのか、という声はナシです(笑)
おおお、のまどさんもちょうど同じ時期にワルシャワ!!
今旅はウクライナがメインで、ワルシャワは行きに一泊、帰りに2泊だけでしたが、親切な人が多くていい街でしたよね。
毎日決まって午後になると雨、この時期はきっとこんななんですね。
ウロウロふらふらしていた挙動不審者(僕です)、見かけませんでした?(^^)
ベルギー、今年に入ってあんな大きな事件があってしまい、のまどさんもきっと現地で気が気でないだろうなあと思っておりました。
早く平常に戻るといいですね。
のまどさんの年末の日本旅行記、拝見しました。のまどさんの目線が完全に外国人目線になっていて、楽しく拝見しました。
>あらゆるものがシュールに見えてきます
わかります(笑)時間の感覚が無くなってしまうんですよね。まだこんな時間なのか、という感じに。
久々に日本でのお店で食事されて、ほっとされているご様子が伺ました。
今回は仙台に行かれるんですね。旦那様との続編、楽しみにしております♪
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- 川岸 町子さん 2016/02/28 20:55:05
- 言葉がわからなくても
- captainfutureさん、続けて拝見しました。
最後まで感動的な旅ですね。
出会いから始まり、長い年月が流れ、再会。
どれほどうれしかったか、どれほど驚かれたか!
おもてなしのお気持ちが伝わります。
でも、captainfutureさんだからこその旅です(@^▽^@)
日本に帰られてから、撮った写真をきちんと送る、これさえもなかなかできる事じゃないです。
それを大切に保存して下さったことも、うれしいですね。
最後の一枚、素晴らしい宝物ですね。
持たせて下さった伝統柄の箱。
送って下さった民族衣装の人形。
差し上げるにふさわしいcaptainfutureさんだからこそだと、心より思います(@⌒ー⌒@)
すごい事です、ここまで言葉が通じない状況で、気持ちを通わせるなんて(^^♪
またお祭りの時に、絶対行きたいですよね。
私でさえも、行きたいですもの〜(笑)
町子
- captainfutureさん からの返信 2016/03/01 12:14:00
- RE: 言葉がわからなくても
- 町子さん、
そんなふうに仰って頂き、ありがとうございます。
今から思うと、言葉が通じないのに良く行って来たなあと自分でも思ってしまいます。(^^;
意思疎通が手振りだけなので、ここまでになると全て相手の皆さんの善意にすがる状態なので、ホントにあの方々には感謝感謝です。
突然訪問したのに、受け入れてくれて申し訳ないやら嬉しいやらで一杯でした。
小さな村のお祭りは日にちの情報収集が難しいので、宗教上の大きな行事(イースターなど)に行くと確実みたいですよ。
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