2015/09/26 - 2015/09/27
360位(同エリア890件中)
倫清堂さん
東京で泊りがけの日程で行われた会合に出席し、2日目の昼に解散となりました。
せっかく天気にも恵まれたことだし、新幹線を利用する時はいつも素通りしている大宮を散策することにしました。
最大の目的地は武蔵国一之宮の氷川神社。
記憶では以前に1度だけ参拝したことがありますが、その頃は全国すべての一之宮を参拝することなど思ってもみませんでした。
すべての一之宮を参拝すると決めた以上、改めて参拝することに意義があると考えたのでした。
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まずは、氷川神社とともに武蔵国一之宮を名乗る氷川女体神社を目指すことにします。
JR武蔵野線を東浦和駅で降り、駅前でタクシーを拾って神社へと向かいました。
現在、氷川神社には須佐之男命・稲田姫命・大己貴命の3神が祀られておりますが、かつては氷川神社を男体社とし、奇稲田姫尊を主祭神とするこちらの神社を女体社、御子神である大己貴命(オオクニヌシ)を祀る氷王子社の中山神社を、見沼という大きい沼の周囲に配置して信仰してきたのでした。
しかし見沼は、徳川吉宗公が進めた干拓によってほぼその姿が失われてしまい、現在は祭祀遺跡や龍神伝承などから当時の様子がしのばれるだけとなっています。
かつて見沼が広がっていた地域を今の地図に重ね合わせると、東浦和駅から大宮駅にかけての非常に広い範囲に当たります。氷川女體神社 寺・神社・教会
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氷川女体神社の御本殿は寛文7年の造営。
傷みが激しいため修復事業が進められています。
吉田孖則氏は宮司を務めていた時、数々の文化財や伝承をもとに古代の女体神社の姿を明らかにすることを目指しました。
その研究の成果は、社務所で販売されている「見沼物語」という小冊子に収められています。
神武天皇は初代天皇に即位した際、各地に地方官僚を置きました。
武佐志(むさし)国には太玉命の56世の孫に当たる御鉾海辺命が赴任し、ここ水沼(見沼)に奇稲田媛命と三穂津比女命という出雲系の2女神をお祀りしたのでした。 -
最寄りのバス停から東浦和駅までバスに乗り、JRで大宮駅へ。
大宮駅で東武線に乗り換えて北大宮駅で下車しました。
ほとんど記憶が残っておりませんが、初めて氷川神社を参拝した際は、大宮駅から表参道を歩いて向かったような気がします。
北大宮駅から閑静な住宅街を歩いて氷川神社へ向かいますが、駅をはじめとする風景に見覚えはありません。
東京のベッドタウンさいたま市のオアシスとも言うべき大宮公園には、西側から入ることになります。
公園が近づくにつれ、大勢の人たちが一斉にあげている掛け声が聞こえて来ました。
球場かスタジアムで行われている試合を観戦する人たちの声なのでしょう。
氷川神社の御祭神は荒ぶる神である須佐之男命。
元気の良い歓声が聞こえるこの地は、御祭神にとっても満足のいく鎮座地なのかも知れません。
しばらく歩くと楼門が見えてきました。
楼門の前には神池や白鳥池などが水をたたえています。
かつての見沼の名残であるかは分かりませんが、地質調査などから氷川神社のすぐ目の前まで見沼が広がっていたことは明らかにされています。武蔵一宮氷川神社 寺・神社・教会
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楼門から内部へと進むと、拝殿の正面に舞殿が見えます。
季節の行事が執り行われる場です。 -
氷川は「ひかわ」と読みます。
氷川というのは当て字であって、本質を表すのは「ひかわ」という訓じ方。
日本国内で「ひかわ」という名称の川は他にいくつかありますが、氷川神社の御祭神である須佐之男命とゆかりの深い川は、何といっても出雲に位置する斐伊川です。
斐伊川は現在「ひいかわ」と読みますが、『古事記』では肥河として登場し、「ひかわ」と読まれていた可能性があることは否定できません。
斐伊川は日本神話におけるヤマタノオロチのモデルであるとも言われており、古代出雲の暴れ川であったことが分かっています。
社伝によると氷川神社は第5代孝昭天皇の御代の御創建とされ、斐伊川流域に鎮座する出雲大社を勧請したのが始まりとされています。
東京都と埼玉県には氷川神社を名乗る神社は200社以上ある一方、他の道府県には10社もありません。
出雲と武蔵の関係は、氷川神社の宮司を代々務める西角井氏が出雲国造家から分かれた古代から、すでに強固な結びつきを持っていました。
明治時代、出雲国造を生前譲位した千家尊福氏が埼玉県知事に任命された(当時は官選)縁も、出雲の神々によってもたらされたものであるのかも知れません。 -
本殿の東側には摂社門客人神社と末社御嶽神社。
境内には他に全13社の摂社末社が鎮座しています。 -
大宮公園の西には埼玉県護国神社が鎮座しています。
こちらを訪れるのも、以前に氷川神社とともに参拝して以来のこと。
神奈川県は東京に近いという理由で護国神社が置かれませんでしたが、同じ首都圏の埼玉県にはこのように護国神社が置かれています。
昭和9年に埼玉県招魂社として創始され、昭和14年に埼玉県護国神社と改称されました。 -
一の鳥居から社殿までは参道が伸びていますが、その途中を車道が横切っています。
参道が先か車道が先か、ネットで調べただけでは分かりませんでした。
想像するに、かつて大宮公園と護国神社は一体であったものが、周辺の開発が進んだことによって車道で分断されてしまったのではないでしょうか。
全国に存在する他の護国神社とくらべても、その境内地の様子が明らかに異質であると言わざるをえません。
参拝を終え、東武線で大宮駅に戻りました。
夕食をとろうと思ったのですが、そこそこ満足できるものを提供してくれる店が見つかりませんでした。
前に大宮駅を利用した際は、駅中の飲食店で何かを食べ、とても満足したように記憶しています。
駅の様子もすっかり変わってしまったということでしょうか。
それとも自分の記憶力が不確かになってきているのでしょうか。
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