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九夏三伏 京都逍遥①西本願寺<前編>

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    旅行時期 2015/07/28 - 2015/07/28 (2015/08/02投稿

    連日猛暑日の報道が絶えない中、意を決して京都市美術館で開催されているルーヴル美術館展に行ってまいりました。その寄り道と言うには方向が正反対なのですが、何時でも行けると油断して今まで足を運んでいなかった京都の表玄関と称される西・東本願寺を訪ねてみました。
    西本願寺は、龍谷山と号する浄土真宗本願寺派大本山で、正式には「本派本願寺」と言います。親鸞の末女 覚信尼が、亡き父の遺骨を奉じて東山に大谷廟堂を創建し、御影を安置ししたのが本願寺の起源とされ、その後数奇な運命を経て1591(天正19)年に現地に移されました。その所在地から、通称 「西本願寺」と呼ばれています。
    浄土真宗は、鎌倉時代中期に親鸞が開山し、その後、室町時代中期には中興の祖 蓮如によって民衆の間に広く浸透しました。しかし、蓮如の教化は比叡山を刺激し、大谷本願寺は比叡山衆徒によって破却されるという憂き目をみます。その後、越前や近畿を転々とした後、山科本願寺を造営するも、またしても六角定頼や日蓮衆徒によって焼き払われました。やがて顕如が大坂石山御坊に堂宇を整備しますが、今度は天下統一を目前にした織田信長から築城を理由に退去を迫られ、石山合戦が勃発しました。そして11年間に及ぶ持久戦の末、信長に屈する形で仏法存続を旨として和議を結び、紀伊鷺森に移転しました。その後、本能寺の変を経て秀吉の天下となり、京都市街経営計画に基づいて本願寺は再び京都に返り咲くことになり、顕如が七条堀川の現在地に寺基を移しました。
    境内には、開祖 親鸞を祀る荘厳な国宝「御影堂」や「阿弥陀堂」だけでなく、「唐門」や「飛雲閣」、「書院」に代表される伏見城や聚楽第など秀吉の面影を今に伝える安土桃山文化の赴きや、かつてこの地に駐屯した新撰組の姿を偲ばせる「太鼓楼」など、歴史ロマンを揺さぶるものが遺されています。
    境内マップです。
    http://blog-imgs-34.fc2.com/k/i/m/kimamanikaiteru/img14922.jpg
    http://sp.hongwanji.or.jp/map/img/map.jpg

    写真 60枚

    交通手段 : 
    • 現地移動 :  高速・路線バス / 私鉄
    エリア:
    京都 | 京都駅周辺
    エリアの満足度:
    5.0
    • 龍谷大学 大宮キャンパス 本館(重文)<西面>
      阪急京都線 大宮駅から京都市バス(3番乗り場:18、71、206、207系統)に乗車して島原口で下車し、北小路通りに入ってすぐの右手に裏口があります。尚、大宮駅の東口階段を上った所には阪急ラガールショップがあり、市バス1日乗車券(500円)を購入できます。車内では売り切れのこともあります。
      アクセスは、JR京都駅からの方が便利です。徒歩10分強の距離です。

      西本願寺に隣接する龍谷大学は、1639年に西本願寺が設立した学寮を前身とします。対極の東本願寺系は大谷大学を構えています。
      この建物は、1879(明治12)年に竣工し、大宮キャンパスのシンボルとも言われています。1997年、旧き佳き時代の気品ある佇まいに大改修が行われました。複数の建物が重要文化財に指定されているレアなキャンパスです。
      このように本館の西面には窓が一切ありません。これは浄土真宗のお寺と同じ思想を反映させたもので、洋風ながら伝統を重んじていることが窺えます。

    • 龍谷大学 大宮キャンパス 本館(重文)<南面:渡り廊下>
      南黌と本館を結ぶ渡り廊下です。
      さすがに仏教系の大学のため、軒の意匠も凝っています。また、通気口の意匠は、卍模様をアレンジしたデザインだそうです。
      後で知ったのですが、この渡り廊下も重要文化財に指定されています。天井は細長い木を斜めに組み合わせた菱組天井(京都の現存最古)、柱の上部には斜めに方杖が付けられ、旧い時代のプラットホームを彷彿とさせるデザインです。これは1877年(明治10)年にできた京都駅を参考にしたためだそうです。

    • 龍谷大学 大宮キャンパス 本館(重文)<東面>
      こちらが正面玄関になり、コロニアル風様式の建物です。金色の紋は六つ藤と呼ばれる当時の大教校の校章で、西本願寺の寺紋と同じです。扁額「眞宗學庠」は、広如が1830(文政13)年に下付したものです。
      かつては、百畳敷きの畳の上に正座して、講義を受けたそうです。また、本館の中で仏前結婚式を行われていたという話を聞いたことがあります。指輪の代わりに、念珠を交換するそうです。
      1964年には明治初期の「擬洋風建築」の代表例として重要文化財に指定されています。明治初期、日本の大工が西洋建築を見よう見まねで建てていた頃の、和洋折衷を取り入れざるを得なかった貴重な建造物です。
      ①木造石貼り:石の柱が立ち並び、石造や煉瓦造のような印象を受けますが、実は木造で石材を柱などの木部に貼り付けています。
      ②洋風建築技術:補強にはボルトなどの金物が数多く用いられ、また屋根を支える小屋組にキングポスト構造が採用されています。
      ③漆喰塗り:壁は、柱も一緒に漆喰で塗り込んだ大壁造りです。窓や出入り口の枠は欅で造られ、美しい木目が浮かび上がるように透明の塗料(ワニス)で仕上げられています。
      ④細部装飾:一見西洋風ですが、目を凝らすと古来から日本建築に使われてきた菊や桐などの植物、雲などの意匠が散り嵌められています。テラスにはギリシア神殿風のコリント式オーダーが立てられています。

    • 龍谷大学 大宮キャンパス 北黌(ほっこう:重文)
      白亜の美しい壁とアーチ型に連なるヨーロッパ調の窓が印象的な北黌は、同じ意匠の南黌と対をなしている優雅な建築物です。本館と同じ年に竣工された歴史的な建物です。木を弓形に組み、石炭モルタルを使って石造りに見せています。夜にはライトアップされ、白亜の壁が幻想的に輝くそうです。
      現在は校舎として使用されていますが、最初は尞として建設されたそうです。当時はモダンな寮として衆目を集めたのではないでしょうか?

    • 龍谷大学 大宮キャンパス
      花壇に楚々と咲くブルーの桔梗です。
      暑い夏に涼やかな雰囲気を漂わせています。

    • 西本願寺 台所門
      北小路通りを挟んで龍谷大学と対面しているのが台所門です。
      長屋門ですが、関西人にはもの珍しく映る「なまこ壁」が特徴です。ここは本当に京都なのかと疑いたくなる空間です。門の両脇には番所が設けられていますが、出窓の庇は片流れといった簡素なものになっています。

    • 西本願寺 台所門
      この奥が本願寺中央幼稚園になっています。
      お母様方が自転車で園児を送り届ける姿が印象的です。

    • 西本願寺 大玄関門
      1847(弘化4)年に廣如により新築されたもので、重厚な門構えです。名の通り、公式な行事などで来賓をお迎えする際に使用される大玄関の前に構える門です。大玄関を経て書院へとつながり、門の内側に控柱が立てられた薬医門形式です。
      大玄関門を武家屋敷の門のように見せるのは、両脇にある唐破風を載せた門番屋です。幕府から10万石以上の大名家の格式に準じられていたそうですから、門構えも立派です。

    • 西本願寺 唐門
      南端の北小路通りに面して構える唐門は、桃山時代の豪華な装飾彫刻や黒漆を湛えた檜皮葺の入母屋屋根の前後に唐破風を設けた向唐門(むかいからもん)様式の四脚門です。四脚門とは、門柱の前後に控柱を2本ずつ建てた計4本の控え柱を持つ門で、合計6本の柱があります。
      荘厳華麗なことより、一説には伏見城の遺構とも伝わり、西本願寺内で最古の建造物です。細部に亘る贅を尽くした彫刻には思わず見入ってしまいます。凝らされた精緻な彫刻を丹念に眺めていると、時が経つのも忘れ日が暮れてしまうことから、「日暮門」という異名があるほどです。『都名所図会』には「いにしへ豊国社にありしなり。人物・走獣等の彫り物、荘厳花美にして希代の奇物なり」と記され、『山州名跡志』にも「衆彩を為し、人姿鳥獣有り。遠鄙参詣の輩、国に帰て美談と為す」とあります。

    • 西本願寺 唐門
      三大唐門(大徳寺、豊国神社、西本願寺)の一角でもあります。これらの唐門は、いずれも安土桃山時代に建造されたため、「桃山の三唐門」とも呼ばれています。根っからの派手好きの秀吉ならではの豪華さで、金箔が随所に使われて格式の高い四脚門となっています。

    • 西本願寺 唐門
      寺の記録によると、1617(元和3)年の火災の翌年に旧御影堂門を移築したものとありますが、移築前の建立年代ははっきりしていません。
      また、改修の際、現在見られる装飾彫刻の多くが新たに付け加えられていることが判かったそうです。
      金具の各所には桐紋と菊紋が打たれ、寺院の門としては華麗に過ぎるところから、聚楽第の遺構とも伏見城の遺構とも伝えられています。しかし、それらを定説に導く証拠は未だ見つかっていないそうです。

    • 西本願寺 唐門
      全面に黒漆が塗られ、随所に飾り金具が施され、極彩色豊かな彫刻によって装飾されています。彫刻は唐獅子や麒麟、鳳凰、龍、孔雀、松、牡丹といった縁起物の他、中国の故事などもモチーフとしています。
      境内側からも見ることができますが、装飾の豪華さではこちらの道路側からの方に軍配が上がります。是非、北小路側からアートを堪能してください。

    • 西本願寺 唐門
      国宝の極彩色の彫刻群がこうして寺院の外側の路地から自由に見学できるのは、とても珍しいことだと思います。勿論監視カメラは設置されていますが、警備員が駆け付ける間に危害を加えて逃亡することは不可能ではありません。リスクと背中合わせに今の状態があることを認識しておかなければなりません。しかし、今までそのような事件が起こったのを聞いたことがありません。
      しかし、後で記しますが、西本願寺では、かつて親鸞の木像を燃やそうとした未遂事件が起こっています。この唐門に何か起これば、このように路地から自由に見学することはできなくなってしまうことでしょう。いつまでも自由に見られる平安を願うばかりです。

    • 西本願寺 唐門
      それでは手前最上段の右側から彫刻の紹介をいたします。
      牡丹に唐獅子の透かし彫りが見られます。唐獅子は、体毛が見事な巻毛になっており、4本爪ですが角はありません。
      体全体をくねらせる唐獅子は、今にもここから勢いよく飛び出してきそうな気迫を感じさせます。

    • 西本願寺 唐門
      手前最上段の左側です。
      身を捻って後方を振り返る唐獅子が生き生きと彫られています。

    • 西本願寺 唐門
      獅子の下にあるのは麒麟です。
      この麒麟の彫刻がキリンビールの商標のモデルだとの説があるのですが、知恩院でも三門の楼上の天井にある麒麟の絵がモデルだと言っています。このようにキリンビールの商標のモデルのルーツには諸説あるのですが、実際には長崎のグラバー邸にある麒麟の絵がモデルになったというのが真相のようです。

    • 西本願寺 唐門
      麒麟は、一角で蹄があります。鳳凰は鳳が雄で凰が雌だと言われますが、同様に麒は雄で麟は雌と言う説もあります。
      この雲文を駈ける麒麟は、恐ろしげな表情をリアルに彫っています。伝説の生き物の存在感が満ち溢れた彫刻です。
      麒麟の上には菊と思しき花も彫られています。

    • 西本願寺 唐門
      睨みを利かせる麒麟と目線を合わせてみました。
      この凄みを利かせた険しい表情から、必死に唐門を守護しようとしているのが伝わってきます。

    • 西本願寺 唐門
      麒麟の下にあるのは鳳凰です。
      燦然と黄金色に輝く鳳凰の雄姿です。

    • 西本願寺 唐門
      菊の紋章が掲げられていることから、かつての勅使門であったことが窺えます。
      門扉の中央上部の蟇股に置かれた羽を広げた孔雀は、飛び立たんばかりの躍動感に溢れ、羽の一枚一枚に生命力を湛えています。この孔雀は外側にしか配されていませんが、これだけ立体感がある彫刻は希少なものです。
      その下には2頭の龍が波間に躍動する姿が彫り込まれています。

    • 西本願寺 唐門
      何故孔雀なのでしょうか?孔雀は、インドの国鳥とされ、害虫やコブラのような毒蛇を退治することから霊鳥と崇められています。仏教で言えば、人々の災厄や苦痛を取り除く功徳を授ける「孔雀明王」が有名で、これを本尊とした密教呪法は孔雀経法と呼ばれています。このような経緯から、本願寺系の寺院では要所に孔雀を用いる傾向が窺われます。

    • 西本願寺 唐門
      龍の下には、唐獅子とボタンの図象が透かし彫りされています。

    • 西本願寺 唐門
      縁起の良い組合せとして使われる「獅子に牡丹」という言葉は、「獅子身中の虫」の諺が由来との説があります。
      「獅子身中の虫」とは、獅子の体内に寄生して獅子を死に至らせる害虫の意味です。元々は仏教用語で、仏教徒でありながら仏教に害をもたらす者を例えた表現だそうです。
      その「寄生虫」から我が身を守るには、何か薬になるものを飲まなくてはなりません。その薬となるのが、牡丹の花に溜まる朝露です。そのため、獅子は牡丹の花から離れることができない運命ということになっています。

    • 西本願寺 唐門
      扉の錦板の表裏には、厚肉彫りの蓮唐草の浮き彫りと唐獅子の彫刻が市松模様のように配されています。唐獅子は、扉の守護の意図を担って配されたのでしょう。

    • 西本願寺 唐門
      2匹の子獅子が親獅子とじゃれ合っている情景には、彫刻家の優しい心根が窺えます。
      彫刻家の遊び心なのでしょうか?これぞ、仏を慕う民衆を迎え入れる門に相応しいと言えるのではないでしょうか?

    • 西本願寺 唐門
      道路側の面の2面には親子が戯れている微笑ましい図象の彫刻があります。
      こちらは、母獅子が子に授乳している様子を彫りあげています。

    • 西本願寺 唐門
      道路側の右側には、黄石公と張良の故事「黄石公が川の中に投げ入れた沓(靴)を張良に拾わせ兵書を授ける」をモチーフにした彫刻が見られます。
      『史記』の「留侯世家」によると、秦朝末期、秦に滅ぼされた韓の若い貴族 張良は、始皇帝の暗殺を計画するも失敗します。そして名を変えて下邳に隠れます。ある日、この街の橋のたもとで、老人が橋の下に自分の履いていた沓を投げ入れ、張良に取ってくるように命じました。不本意ながらも張良が沓を取ってくると、今度はその沓を履かせるように命じ、張良はその通り従いました。笑いながら去って行った老人は再び戻って来て、渡したいものがあるので5日後の朝、ここへ来るようにと伝えます。

    • 西本願寺 唐門
      左側には、黄石公と張良の故事「龍に乗って沓を差しだす張良」をモチーフにした彫刻が見られます。
      5日後、張良が橋のたもとまでやって来ると老人は遅いと怒り、また5日後に来るように言います。5日後、再び日の出前に張良が家を出ると老人は先に来ており、さらに5日後に来るように言います。5日後、張良が夜中のうちにやって来ると、やがて老人が現れて張良に太公望の兵書を渡し、これで王者の師となれることと、13年後に黄色い石に出会い、それが自分の化身であることを告げて立ち去ります。そして老人の言葉通り張良は13年後に黄石に出会い、劉邦を補佐して秦を滅ぼし、漢の天下統一を助けます。何事を成就するにも、精進と我慢と勇気の必要なことを諭した故事です。
      この彫刻で黄石公が馬、張良が龍に乗っているのは、中国の故事を元に創られた能「張良」に基づいて彫られたためです。流されてゆく老人の沓を取ろうとすると大きな龍が現われ、その沓をくわえて逃げて行きます。その沓取られてなるものかと、腰の大刀を抜いて切りつけたところ、龍は恐れをなして沓を差し出します。沓を取り返し、龍の頭に乗り「先生取って参りました」と差し出している姿が彫刻の図象です。
      因みに、黄石公と武人 張良のエピソードが門の外側に配されているのは意味があり、これが俗世の立身出世話だからです。一方、清廉な人物である許由と巣父のエピソードが内側にあるのは、これが非俗世の話であるためです。つまり、この門が俗世との結界と言うことになっています。

    • 西本願寺 唐門
      じっと正面を見据える木鼻の唐獅子は、表裏に各2体置かれ、あたかも唐門の結界を守護するかのように凄みを利かせています。
      獅子の対角には優美な牡丹の花が添えられています。その花弁の儚げなまでの柔らかさが見事に表現されていて、思わず息を呑んでしまうほどです。

    • 西本願寺 唐門
      右側面の彫刻です。
      側面の上部には虎と豹が対になって彫られています。こちらは虎です。
      なぜ虎と豹が対になっているかというと、往時は豹が虎の雌だと勘違いしていたことに由来します。

    • 西本願寺 唐門
      左側面の彫刻です。
      上段には豹が睨みを利かせます。

    • 西本願寺 唐門
      豹のズームアップです。
      かつて豹は「中つ神(なかつかみ)」と呼ばれて「虎の雌」と考えられており、母虎が3匹の子虎を生むとそのうちの1匹は雌虎(豹)で他の2匹を食おうとするため、川を渡る際に豹と2匹だけにしないよう子の運び方に苦慮するという中国の古書『癸辛雜識』にある「虎の子渡し」という説話が生まれたそうです。
      因みに、どのように渡すかと言うと、まず豹を対岸に渡し、次に他の1匹を渡してから豹を連れ帰り、次に残る1匹を渡して最後に豹を渡します。

    • 西本願寺 唐門
      この装飾は、六葉と菊座を樽の口と楔で留めてあります。
      また、菊紋と桐紋をあしらい、猪目文様(ハート型)がアクセントになっています。猪目とは、猪の目に似ているところからの呼称です。奈良時代の遺物に見ることができ、さらに古墳時代の倒卵形鐔にもこの文様があり、最も歴史の古い文様のひとつです。

    • 西本願寺 唐門
      唐門だけで30分程要しました。レンズ交換の際、カメラのピントが合わなくなると言うトラブルに遭い、設定に時間を要したこともあるのですが…。
      その間、数名の方が立ち止まって見て行かれましたが、所要時間は5分もないほどでした。ある程度事前に知識をインプットしておかないと、「凄いな〜!」で終わってしまうのかもしれません。
      名実ともに「日暮門」にするには、それなりの準備と心構えが必要と言えます。
      後編では、内側の様子をレポいたします。

    • 北小路 築地塀(ついじべい)
      唐門を過ぎると両側に築地塀が連なる趣ある小路を進みます。左は西本願寺、右は興正寺の塀です。どちらも切妻造、本瓦葺の版築の塀で、5本の定規筋が引かれています。江戸中期〜後期の建築と言われ、定規筋という白い横線を入れた筋塀を築き、横線5本(5条)を最高位として寺の格を表すようになっています。
      ところで、西本願寺の塀には近づき過ぎないようにしてください。警報装置が作動し、ALSOKかSECOMのお兄さんが駆け付けます。

    • 西本願寺 北小路門
      北小路通りの終点にあるのが北小路門です。
      西本願寺寺域にある為、西本願寺の閉門に合わせて北小路門も閉門されますのでご注意下さいませ。
      門が閉まると、反時計回りに西本願寺の周囲を大回りしないと唐門へは辿り着けません。

    • 興正寺 阿弥陀堂門
      京都には浄土真宗の本山が4つあります。西本願寺、東本願寺、佛光寺、そしてこの興正寺です。
      西本願寺の南隣りにあるせいか影が薄いのですが、円頓山 興正寺と言い、れっきとした浄土真宗 真宗興正派の本山です。かつては西本願寺の脇門跡にありましたが、1887(明治9)年に独立して本山となっています。
      寺号興正は、聖徳太子の事績に因み、「正しい法を興し栄えさす」との意味が込められています。荘厳な御影堂と阿弥陀堂が東面して並び建つ、典型的な浄土真宗の大伽藍です。ただ、西本願寺の伽藍があまりに壮大なため、西本願寺を拝観した後に入山すると、これでも小さく感じられてしまいます。ここを訪れるなら、西・東本願寺より先に訪ねられることをお勧めします。

    • 興正寺 伽藍
      南(左)に御影堂、北(右)に阿弥陀堂を配する伽藍配置は、西本願寺と同じです。これが兄弟寺と言われる所以でもあります。東本願寺は全く逆の伽藍配置で、南に阿弥陀堂、北に御影堂が連なります。また、柱も西本願寺が角柱を使っているのに対し、東は丸柱を使っています。 堂宇の畳の向きも90度違えていることから、これらは意図的に違えているものと思われます。こうしたところから、東西本願寺の確執が噂されるのでしょう。

      寺伝によると「創建は鎌倉時代に遡り、当初は京都の山科に創建されました。創建後、数年を経て山科から京都東山の渋谷へと移りますが、その際、ご本尊が光を放ったことから、後醍醐天皇より佛光寺の寺号を賜り名を改めました。佛光寺の教勢は飛躍的に拡大し、隆盛を極めました。室町時代、蓮教上人は本願寺の蓮如上人と歩みを共にし、佛光寺を弟に譲り、再び山科の地に多くの門徒と共に興正寺を興しました」とあります。
      その後は本願寺と歩調を合わせ、度重なる移転にも常に行動を共にしています。桃山時代、現在の地へ移転し、堂舎が隣接して建てられているのも本願寺との深い関係を示しています。

    • 西本願寺 飛雲閣
      さて、わざわざこの興正寺を訪ねた理由は、ずばり西本願寺境内にある飛雲閣を眺めるためためです。飛雲閣は国宝なのですが、高い塀で周りを囲んでしまっていて、見ることさえままならない秘宝になっています。
      正興寺の経蔵の裏からは、このように塀越しに飛雲閣の南東面を見ることができます。3層と2層の一部だけですが…。
      実は、伽藍も立派なのですが、西本願寺とそっくりらしいので拝観は断念しました。
      後で考えてみましたが、地上高がある分、興正寺の阿弥陀堂から見た方がよかったのかもしれません。

    • 堀川
      これは西本願寺の外堀ではありません。れっきとした川で、堀川と言います。
      現在では堀川のほとんどが歩道の下で暗渠になっており、あたかも空堀のように見えてしまいます。

    • 西本願寺 御影堂門
      御影堂門は、堀川通に面した門の中で最大の四脚門です。構造は、木造総欅造(そうけやきづくり)で、屋根は入母屋、本瓦葺、規模は間口:約11m、奥行き:約7m、棟高:約14m、扉は桟唐戸(さんからど)の形式です。
      親鸞600回大遠忌を前に、1859(安政6)年に大阪の講社(こうしゃ)が修理を担当しています。また、1960(昭和35)年、700回大遠忌前にも修理されています。更に、2006〜2009年にかけて、750回大遠忌を前に、築地塀と併せて石工事・屋根工事・金物工事などが実施されています。屋根工事では瓦の葺き替えが行われ、リサイクルされた旧瓦は南面にまとめられています。

    • 西本願寺 御影堂門
      門柱の銅板には躍動感溢れる獅子たちのレリーフが施されています。
      あまり知られていないのですが、西本願寺はJR京都駅から徒歩10分強でアクセスできます。

    • 西本願寺 御影堂門
      こちらは、空を自在に滑走する獅子です。
      門の上方を仰ぎ見ると、暗い上に鳩避け網がかかっていてよく見ることができないのですが、様々な彫刻が飾られています。

    • 西本願寺 御影堂門
      猪目を巧みにあしらった透かし彫りもため息ものです。

    • 西本願寺 御影堂門
      桟唐戸の上段には花菱細工が施されています。

    • 西本願寺 御影堂門
      なんともいえない落ち着いた雰囲気を醸しています。

    • 西本願寺 御影堂門
      国道一号線の堀川通りを渡った所から撮ると、このように荘厳な佇まいを呈しています。
      門の先に見えるのが目隠塀(めかくしべい)と呼ばれるものです。切妻造、本瓦葺、真壁造の塀で、江戸後期の建築と言われています。

    • 西本願寺 御影堂門
      門に吊り下げられている金燈籠を下から仰ぎ見ます。

    • 西本願寺 御影堂門
      よく観ると燈籠の底面にかわいらしい龍が潜んでいるではありませんか!
      龍神がしっかり握り締めている玉 如意宝珠は、「いかなる願望も成就できる魔法の玉」とも、宝石の総称を意味する梵語のManiを音写した「摩尼(末尼)」とも称されています。
      如意宝珠は、全ての海水と魚を呑み込んでしまうインドの伝説の怪魚「マカラ=摩竭魚(まかつぎょ)」の体内から、あるいは龍神の脳から出現した貴重な宝の珠と言われています。その無限の価値から仏やその教えの象徴となり、地蔵菩薩や虚空蔵菩薩の持物とされ、仏様の中で最も如意宝珠の霊験を象徴しているとされるのが如意輪観音菩薩です。
      古事記には、イザナギが黄泉の国にいるイザナミに会いに行き、その帰りに魔物に追いかけられる話がありますが、この桃を投げて撃退する場面も宝珠の霊力を象徴的に表した話だと言われています。 

    • 西本願寺 御影堂門
      境内から見る御影堂門の雄姿です。

    • 西本願寺 噴水
      門を潜って境内に入ると右手前方に蓮の花弁をモチーフにした噴水があり、涼しげです。まるで聖杯からこぼれる聖水のように穏やかです。
      これは、1955年に門徒により寄進されたものだそうです。

    • 西本願寺 水吹き銀杏(天然記念物 )
      西本願寺が一度も火事に見舞われることがなかったのには、陰の助っ人がいます。
      御影堂の手前に「水吹き銀杏」と呼ばれる巨大な銀杏があります。この大銀杏は、江戸時代の1759年に大坂の門徒により植えられたそうですが、樹齢400年と推定され、高さ15m、幹周り7m、枝廻り30mもあり、スケールの大きさとその勢いには圧倒されます。
      「水吹き銀杏」と呼ばれるようになったのは、1788年に京都の大半を焼き尽くした「天明の大火」が起きた時、この大銀杏の葉から水が噴出し、御影堂などの伽藍を延焼から守ったという言い伝えが由来です。
      因みに、本能寺の境内にも大きな「火伏せの銀杏」がありますが、この銀杏も天明の大火の際、火から逃れた人々を守ったと伝えられています。伝説の真偽は不明ですが、銀杏は保水力に優れ、他の植物に比べると熱に耐える能力は抜群であり、大銀杏が類焼を防いだ可能性は高いとされています。
      また、この大銀杏は、「逆さ銀杏」とも呼ばれています。枝が天に向かって根を張っているような姿に見えるのが由来です。今の姿があるのは、この銀杏が苗木の時にある高僧が間違って逆さに植えてしまい、その後も今のように剪定され続けたためだそうです。確かに、上に伸びずに枝を左右に広げる銀杏は珍しいかもしれません。

    • 西本願寺 水吹き銀杏
      この大銀杏は低い位置から各方向へ水平枝や斜方枝を出す特異な形状をしていますが、これは植栽時から剪定等の行き届いた管理がなされていた結果ではないかと思います。

    • 西本願寺 水吹き銀杏
      近づいて横方向に枝を張出す生命力の逞しさを目の当たりにします。

    • 西本願寺 手水舎(重文)
      比較的新しい1810(文化7)年の創建ですが、東大寺 法華堂(三月堂)の手水舎(1335年創建)や春日大社 摂社 若宮神社の手水舎(1633年創建)と肩を並べて重要文化財に指定されています。このように19世紀の手水舎が重文に指定されるのは、前例がなく画期的なことです。手水舎としては立派ですが、これもひとえに西本願寺に詣でた先人や現代の人々の篤い信仰を象徴する建造物群の一角として評価されたと言うことなのでしょう。

    • 西本願寺 手水舎
      破風板には錺金具が付けられ、四周を開放し花崗岩の四半敷で中央に石製の井戸と水盤を据えています。軸部は方形礎盤に几帳面取角柱を立て、内法虹梁(うちのりこうりょう)で繋ぎ、柱頂部の舟肘木と内法虹梁上の蟇股(五七桐紋)で受け、鏡天井を張っています。
      2010(平成22)年に修復されています。

    • 西本願寺 鐘楼(重文)
      飛雲閣がある「滴翠園」という庭園敷地内に建てられています。滴翠園は、通常は特別拝観以外は立ち入ることができませんが、鐘楼は境内の南東角から仰ぎ見ることができます。1618(元和4)年の建立で、これもまた極彩色の装飾が鮮やかな桃山様式風の建造物です。
      現在の梵鐘は1996年に寄贈された2代目ですが、初代は平安時代(1150年頃)の鋳造と伝わっています。初代は、1600年頃に太秦広隆寺から2300貫文で購入したものだそうです。銘文中に「久安六年正月」とあり、口径106.4cm、高さ158.2cm、質量1.8トンあるそうです。また、近年の研究により、平等院の梵鐘と外形がほぼ一致することから、同時期に同工房で制作された兄弟鐘と想定されています。
      因みに、秀吉が信長に仕えたはじめた頃の給料が年収15貫文だったそうですのでその価値は推して知るべしです。
      珍しい木製の龍頭(吊り下げ部)だそうです。初代の梵鐘は安穏殿の玄関横に保存されています。

    • 西本願寺 鐘楼
      唐門に対抗するように、鐘楼にも素晴らしい極彩色の彫刻が施されています。
      このような鐘楼は珍しいのではないでしょうか?

      仏教教団の本山でも鳴らされる「除夜の鐘」ですが、不思議と東西両本願寺では撞きません。「教義に合わない」というのがその理由だそうです。
      本願寺では、毎朝、日の出の頃に撞かれたり、儀式や法要などの時刻を知らせるための手段のようです。
      そもそも、同派では「煩悩を除く」という考え方をしないそうです。「煩悩があると分かることが親鸞の教えであり、煩悩を打ち消すことはありえない。だから108の煩悩を払うという思想がない。人は煩悩をなくすことがいいことだという答えを求めるが、答えを求める自分自身が煩悩である。自分は煩悩以外の何者でもない。だから煩悩を絶つことはない」と説かれています。
      もう少し親鸞の教えについて学ばないと旅行記が進みませんね!

    • 西本願寺 飛雲閣(国宝)
      本願寺境内の南東隅の塀に囲まれた一角に、滴翠園(てきすいえん:国の名勝)という庭園が広がっています。そこの滄浪池(そうろうち)と呼ばれる池を挟んだ対岸に、池に迫り出すようにして建つ3層からなる楼閣建築が飛雲閣です。金閣寺や銀閣寺、飛雲閣を「京都三名閣」、大徳寺芳春院の呑湖閣を加えて「洛陽四名閣」と呼び、更に東福寺の伝衣閣を合わせて「京の五閣」と称されます。大胆にも左右対称を崩し、層毎に趣きを異にした意匠から、関白になった秀吉が政庁兼豪邸として建てた聚楽第からの移築とも伝えられています。1595年に秀次が自刃した後 飛雲閣も取り壊され、その後1619〜24年頃にこの地に移築されたとの説ですが、残念ながら移築の形跡が見られないため、現在は江戸時代初期に建てられたとの説が有力です。通常は非公開となっており、塀に囲まれているがゆえにその姿すら拝むこともままならない神秘に満ちた楼閣です。

    • 西本願寺 飛雲閣
      初層は唐破風と入母屋を左右に置き、2層は寄棟造りを中心に唐破風や千鳥破風を配し、3層は宝形造りと変化に富んだ屋根を持ち、左右非対称ながら巧みな調和をなす名建築として知られています。
      現在は飛雲閣の前に橋が架けられていますが、往時は舟に乗って池を渡る趣向でした。飛雲閣へは左側下部に口を開いた階段に舟を着け、そこから直接飛雲閣内に入りました。故に、その階段の部屋を「船入の間」と呼びます。「船入の間」からは、瀟湘(しょうしょう)八景が描かれた「八景の間」、そして一番偉い人の居る「招賢殿(しょうけんでん)」へと続きます。位の高い人物の上に部屋を作ることが憚られ、2層は1層より小さくなっています。2層は壁や杉戸などに36六歌仙(藤原公任の「36六人撰」に載る歌人)を描いた「歌仙の間」となっています。柿本人麻呂や小野小町といった歌人が杉戸に生き生きと描かれています。2層にも上段の間があり、その上に部屋を作れず3層が2層より小さくなり、結果的に歪な建物になっています。3層は摘星楼(てきせいろう)という名の望楼をバランス良く配分して上層部としています。往時の京都には3層建の建物など稀有で、 星が手で摘めそうなほどの眺めを愉しめることからその名が付けられています。

      漸く境内に入ったばかりで誠に恐縮ですが、この続きは九夏三伏 京都逍遥②西本願寺<後編>でお届けいたします。

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