2015/06/25 - 2015/06/26
67位(同エリア187件中)
ひらしまさん
梅雨入り寸前の岩手・宮城を1泊2日で訪ねました。妻の母を強引に誘ったので、極力負担の少ない行程です。
新幹線一ノ関駅で車を借り、まずは近くの厳美渓へ。それから海に出て、南三陸町に宿泊し、翌日は気仙沼を回って帰りました。
南三陸も気仙沼も、津波ですさまじい被害を受けた町として私たちの記憶に刻まれています。
4年がたった今も町には大きな傷あとが残っていましたが、海はなにごともなかったかのようにおだやかで美しく、そこに生きる人たちは元気でした。
漁業や観光に頑張っている人たちにほんの少しでも応援になればと思い、簡単な旅行記ですが投稿します。
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- レンタカー 新幹線
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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一ノ関駅から十数分で厳美渓に着き、無料の市営駐車場に車をとめます。
最初のビューポイント御覧場橋に向かう道には紫陽花が鮮やかに咲いていました。 -
御覧場橋は吊り橋です。写真は上流方向から撮ったものです。
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橋からは、ごつごつした岩々に挟まれて流れる磐井川を近くに見ることができます。
ここから上流に見える天工橋までの30分周遊コースを歩いてみました。 -
途中で上から見おろすと、白い木蓮の花びらが散らばっているように岩が見えました。
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天工橋の先に川にせり出した岩畳があり、東屋が設けられています。
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そこから上流を望みます。
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対岸の岩壁も見応えがあります。
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ここの名物は郭公団子。
東屋の脇のざるに代金400円を入れ、板をたたいて合図すると、ざるは対岸の団子屋に引っ張り上げられていきます。 -
待つことしばし、スルスルとざるは戻ってきて、中には団子3本とお茶3杯。
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さっそく母がさらし餡、妻がごまだれをとり、私は残ったみたらし団子をいただきました。
味もいいし、対岸とざるが行き来する趣向も楽しい郭公団子でした。
それでは、これより南三陸町へ向かいます。
一関街道を南下していくといつの間にか県境を越え、そのうち左手に大河が現れました。
北上川です。コンクリート護岸のない自然な姿に心がほっとします。
地図で調べると、厳美渓を流れていた磐井川もこの北上川に合流しているんですね。
車は北上川を渡り本吉街道を東に向かいます。
そして海が見えてきたと思ったらすぐに、巨大な土盛りに視界をさえぎられました。
そこが南三陸町の、おそらく中心部だったところのようでした。 -
いったん宿に入ったあと、志津川湾沿いにもう少し南西に進み、名勝神割崎へ。
「ある日、この浜に大クジラが打ち上げられましたが、隣の十三浜村との境がはっきりしていなかったため、クジラの取り合いから両村には争いが起こってしまいました。 その夜、あろうことか岬がまっぷたつに割れ、クジラも2つに割られてしまいました。
両村の人々は神様が岬を割り、いさかいの仲裁をしたのであろうといって、以来この岩の割れ目が村境となったと伝えられています。 今日も、石巻市との境界になっています。」(南三陸町観光協会サイトより)
写真の位置から階段を少し下ると小さな入り江に出ます。 -
なるほど岩山が二つに割られ、その間から水平線が見えます。
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岩と岩の間を波が押し寄せます。
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波は足元の岩に当たって砕け散ります。
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右手を見るとこちらにも岩の割れ目が走り、波しぶきが高く上がっています。
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石材が斜めに立っているような柱状節理と、波に洗われた丸石のコントラストも面白い神割崎でした。
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宿に戻る途中の志津川湾。津の宮漁港と青島(椿島)の風情にひかれ車をとめました。
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左に見える小さな島は竹島と呼ばれているそうです。
本当におだやかな湾です。 -
宿の南三陸ホテル観洋に戻りました。その名の通り、目の前いっぱいに志津川湾が広がっています。
写真はロビーから見た青島。 -
部屋からの眺め。
海面に並んでいるのは養殖のいけす類の浮きです。
波おだやかな志津川湾ではカキ、ホタテ、銀ザケなどの養殖が盛んでしたが、津波で壊滅しました。
でも、今ではこのように立派に復活しています。 -
その上を飛ぶのは海猫。
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近くに来ると羽の大きいことに驚きました。
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客室バルコニーの手すりに降り立ちます。
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水平線をバックにポーズ。
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人を怖がらず、入れ替わり次々とやってきます。
鳴き声はほんとに猫のようにミャア。 -
海猫はくちばしの先が赤いことでカモメと見分けられると、宿の人が教えてくれました。
しかし、あの大きな羽をよくコンパクトに収納するものですね。 -
考え深そうな横顔でした。
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夕食は鮑の踊り焼きや鰹の刺身などの海の幸をいただきました。
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南三陸ホテル観洋の自慢の一つは海に面した露天風呂。写真はホテルのウェブサイトから借用しました。
夜入った時は、真っ暗で何も見えないと思っていたのですが、見れば海面に浮かぶたくさんの白い舟のような、白鳥のような、あれはなんだろう。中には夜空を飛ぶのもいます。
あとでホテルの人に確かめると、やはり海猫だそうです。ホテルの明かりを受けて白く輝くその姿は幻想的でした。 -
翌朝。霧に包まれた志津川湾はモノクロの世界です。
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ゆっくり朝風呂につかったあと朝食会場へ。
朝食ビュッフェの品数の多さにびっくり。母は朝から刺身を食べ大満足でした。
南三陸ホテル観洋も、もちろん津波の被害を受け、また地域の人の避難所として大きな役割を果たした上で、営業再開に漕ぎつけたそうです。
このホテルでは震災の語り部バスを毎朝運行しています。
参加したかったのですが、高齢で自身も浜育ちの母には重すぎるのではないかと思い断念しました。
景色は最高、施設も立派、食事もお値段からすれば十分満足、人の対応もよく、こんなホテルにもっともっと人が来るといいなと思いました。
宿を出て気仙沼に向かう途中、南三陸町のほとんど建物のなくなった景色の中に、報道写真で何度も見た旧防災庁舎が見えました。
震災の悲劇の象徴ともなったこの建物を、保存するのか撤去するのか、遺族の中でも様々な受けとめ方があると聞いていたので、あえて近寄らずに通り過ぎました。
私たちが帰って数日後、旧防災庁舎を県有にして時間をかけて検討するという県の提案を、住民の意向を踏まえ南三陸町が受け入れ決定したとの報道がありました。 -
復興工事のダンプがゆきかう道を走り気仙沼に着きました。
妻と母が海鮮市場海の市でお土産を買っている間に、私は隣の気仙沼市魚市場をのぞいてみました。
海の市の屋上から魚市場の長〜い見学デッキに出られます。
コンテナやパレットが積まれた市場の向こうが港です。 -
漁船がたくさん並んでいます。
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接岸した漁船から魚がコンベアで運び出されていました。
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男たちが仕分けしてコンテナに入れます。
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コンテナから飛び出さんばかりの魚たち。
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こちらでは発泡スチロール箱に氷詰めして出荷するところのようです。
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その一角では包丁でおろしている人もいます。ここで食べるのかな。
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こちらは計量した重量を箱に書き込んでいきます。
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若い女性も活躍しています。
気仙沼はかつおの水揚げ量日本一の伝統を、震災後も頑張って守ってきたそうです。
宿で頼んだかつおの刺身が安くてたっぷりだったのも産地ならではですね。 -
豊かな海とそこに生きる人たちの頑張りに少しふれられた旅。
母が「行く前はおっくうだったけど、行ってよかった」と言ってくれてうれしかったです。
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