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大原美術館を設立した大原孫三郎は、1880年に倉敷紡績を創業した大原孝四郎の三男として生まれる。1897年に東京専門学校(後の早稲田大学)に入学するが、放蕩生活の果てに現在の金額で1億円もの借金を抱え、1901年父親より東京専門学校を中退のうえ倉敷に連れ戻され、謹慎処分を受けた。まさに「放蕩息子の帰還」そのものだが、転んでもタダでは起きないのが大物の証明で、謹慎中に日本の慈善事業の草分けとも言われる石井十次を知り、その活動に感銘を受けた孫三郎は社会福祉事業に興味を示すようになる。<br /><br />1902年、謹慎を解かれた孫三郎は倉敷紡績に入社、工員が初等教育すら受けていないことに驚き、職工教育部を設立、さらには工場内に尋常小学校を設立する。さらには、学びたくても金がない地元の子弟のために大原奨学会を開設するが、後に大原美術館の礎となるコレクションを集めた洋画家・児島虎次郎もこの奨学生となっている。<br /><br />1906年、父親が社長を辞任、兄2人は若くして亡くなっていたため孫三郎が社長となる。就任と同時に従来の飯場制度を廃止し、工員の住居も集団寄宿舎から今日のような社宅に近い状態に改め、診療所や託児所まで備えた。また、日露戦争などで増えた孤児を救うために孤児院を支援。支援金額は現在の金額では数百億円に上ったといわれる。重役や株主は当然反対したが、孫三郎は「わしの眼は十年先が見える」という言葉で押し切った。<br /><br />1914年、大原奨農会農業研究所を設立し、農業の改善も図ったり、社会問題の研究機関として1919年に大原社会問題研究所を開設する。なお、こんな名前のせいで資本家でありながら特別高等警察からマークされたりした。1923年には倉紡中央病院(現在の倉敷中央病院)を設立し、工員のみならず市民の診療も行った。工場を蒸気から電気への転換を図り中国水力電気会社(現在の中国電力)を設立。資金の効率的運用の為、中国合同銀行(現在の中国銀行)を創立、その頭取となり、地元経済界の重鎮となった。<br /><br />未来を見続ける孫三郎の目は、芸術にも向かい、洋画家で奨学生の児島虎次郎をフランスへ留学させる。虎次郎はヨーロッパへ行く機会のない、多くの日本の画家たちのために、西洋名画の実物を日本へもたらすことの必要性を孫三郎に説き、その考えに賛同した孫三郎は、何を購入するかについては虎次郎に一任した。こうして虎次郎はヨーロッパで多くの西洋絵画を購入したのである。1929年に虎次郎は亡くなる(享年47歳)が、孫三郎は虎次郎の収集品を中心に、1930年、大原美術館を設立する。(Wikipedia参照)<br /><br />写真は倉敷美観地区に残された倉敷川を行く高瀬舟。昔は米や原綿・繊維製品を、今は観光客を乗せて舟は進む。<br />

2015年 倉敷旅行記:十年先が見える男がいた街

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2015/06/20 - 2015/06/20

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chiaki-k

chiaki-kさん

大原美術館を設立した大原孫三郎は、1880年に倉敷紡績を創業した大原孝四郎の三男として生まれる。1897年に東京専門学校(後の早稲田大学)に入学するが、放蕩生活の果てに現在の金額で1億円もの借金を抱え、1901年父親より東京専門学校を中退のうえ倉敷に連れ戻され、謹慎処分を受けた。まさに「放蕩息子の帰還」そのものだが、転んでもタダでは起きないのが大物の証明で、謹慎中に日本の慈善事業の草分けとも言われる石井十次を知り、その活動に感銘を受けた孫三郎は社会福祉事業に興味を示すようになる。

1902年、謹慎を解かれた孫三郎は倉敷紡績に入社、工員が初等教育すら受けていないことに驚き、職工教育部を設立、さらには工場内に尋常小学校を設立する。さらには、学びたくても金がない地元の子弟のために大原奨学会を開設するが、後に大原美術館の礎となるコレクションを集めた洋画家・児島虎次郎もこの奨学生となっている。

1906年、父親が社長を辞任、兄2人は若くして亡くなっていたため孫三郎が社長となる。就任と同時に従来の飯場制度を廃止し、工員の住居も集団寄宿舎から今日のような社宅に近い状態に改め、診療所や託児所まで備えた。また、日露戦争などで増えた孤児を救うために孤児院を支援。支援金額は現在の金額では数百億円に上ったといわれる。重役や株主は当然反対したが、孫三郎は「わしの眼は十年先が見える」という言葉で押し切った。

1914年、大原奨農会農業研究所を設立し、農業の改善も図ったり、社会問題の研究機関として1919年に大原社会問題研究所を開設する。なお、こんな名前のせいで資本家でありながら特別高等警察からマークされたりした。1923年には倉紡中央病院(現在の倉敷中央病院)を設立し、工員のみならず市民の診療も行った。工場を蒸気から電気への転換を図り中国水力電気会社(現在の中国電力)を設立。資金の効率的運用の為、中国合同銀行(現在の中国銀行)を創立、その頭取となり、地元経済界の重鎮となった。

未来を見続ける孫三郎の目は、芸術にも向かい、洋画家で奨学生の児島虎次郎をフランスへ留学させる。虎次郎はヨーロッパへ行く機会のない、多くの日本の画家たちのために、西洋名画の実物を日本へもたらすことの必要性を孫三郎に説き、その考えに賛同した孫三郎は、何を購入するかについては虎次郎に一任した。こうして虎次郎はヨーロッパで多くの西洋絵画を購入したのである。1929年に虎次郎は亡くなる(享年47歳)が、孫三郎は虎次郎の収集品を中心に、1930年、大原美術館を設立する。(Wikipedia参照)

写真は倉敷美観地区に残された倉敷川を行く高瀬舟。昔は米や原綿・繊維製品を、今は観光客を乗せて舟は進む。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
4.5
グルメ
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
自家用車
旅行の手配内容
個別手配

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  • 6/20<br /><br />6:00に家を車で出発、諏訪ICから中央道に入り、名神→中国道→山陽道を経て15:00に早島ICで高速を降り、下道を10分ほど走ってドーミーイン倉敷にチェックイン。写真は部屋の窓から眺めた倉敷美観地区。ホテルから徒歩1分という距離。なお、ホテルの詳細は口コミを参照あれ。<br />

    6/20

    6:00に家を車で出発、諏訪ICから中央道に入り、名神→中国道→山陽道を経て15:00に早島ICで高速を降り、下道を10分ほど走ってドーミーイン倉敷にチェックイン。写真は部屋の窓から眺めた倉敷美観地区。ホテルから徒歩1分という距離。なお、ホテルの詳細は口コミを参照あれ。

  • ホテルで一休みしてから美観地区に行く。写真は美観地区入り口のスクランブル交差点。<br />

    ホテルで一休みしてから美観地区に行く。写真は美観地区入り口のスクランブル交差点。

  • 途中の店には目もくれず、飛び込んだのは大原美術館。私はこれで3度目、カミさんは2度目である。入場料は大人1300円。館内は写真撮影禁止なので、絵葉書&ガイドブックより何点かご紹介。<br /><br />以下 作者名 「作品名」 制作年 & 簡単な説明を添付します。<br />

    途中の店には目もくれず、飛び込んだのは大原美術館。私はこれで3度目、カミさんは2度目である。入場料は大人1300円。館内は写真撮影禁止なので、絵葉書&ガイドブックより何点かご紹介。

    以下 作者名 「作品名」 制作年 & 簡単な説明を添付します。

  • エドモン・フランソワ・アマンジャン「髪」1912年  虎次郎が最初に本人から購入した作品。<br />

    エドモン・フランソワ・アマンジャン「髪」1912年  虎次郎が最初に本人から購入した作品。

  • カミーユ・コロー「ラ・フェルテ・ミロンの風景」1865年<br />

    カミーユ・コロー「ラ・フェルテ・ミロンの風景」1865年

  • ジャン・フランソワ・ミレー「クレヴィルの断崖」1867-1871年<br />

    ジャン・フランソワ・ミレー「クレヴィルの断崖」1867-1871年

  • ギュスターブ・クールベ「秋の海」1867年<br />

    ギュスターブ・クールベ「秋の海」1867年

  • エドゥアール・マネ 「薄布のある帽子の女」 1881年<br />

    エドゥアール・マネ 「薄布のある帽子の女」 1881年

  • クロード・モネ「積みわら」1885年<br />

    クロード・モネ「積みわら」1885年

  • クロード・モネ「睡蓮」1906年  虎次郎がモネに逢って直接購入したもの。<br />

    クロード・モネ「睡蓮」1906年  虎次郎がモネに逢って直接購入したもの。

  • カミーユ・ピサロ「ポントワーズのロンデスト家の中庭」1880年<br />

    カミーユ・ピサロ「ポントワーズのロンデスト家の中庭」1880年

  • アルフレッド・シスレー 「マルリーの通り」 1879年<br />

    アルフレッド・シスレー 「マルリーの通り」 1879年

  • ピエール・オーギュスト・ルノアール 「泉に寄る女」 1914年 これは満谷国四郎が入手した作品。<br />

    ピエール・オーギュスト・ルノアール 「泉に寄る女」 1914年 これは満谷国四郎が入手した作品。

  • アンリ・ロートレック 「マルトX夫人」 1900年<br />

    アンリ・ロートレック 「マルトX夫人」 1900年

  • ポール・セザンヌ 「風景」 1890年<br />

    ポール・セザンヌ 「風景」 1890年

  • ポール・シャニック 「オーヴェルシーの運河」 1906年<br />

    ポール・シャニック 「オーヴェルシーの運河」 1906年

  • ポール・ゴーギャン 「かぐわしき大地」 1892年<br />

    ポール・ゴーギャン 「かぐわしき大地」 1892年

  • アンリ・ル・シダネル 「夕暮の小卓」 1921年  一軒だけ灯った窓明かりが印象的な画。<br />

    アンリ・ル・シダネル 「夕暮の小卓」 1921年  一軒だけ灯った窓明かりが印象的な画。

  • アンリ・マティス 「マティス嬢の肖像」 1918年 画家本人が気に入って長らく手元に置いていた作品を無理に譲ってもらったものだという。<br />

    アンリ・マティス 「マティス嬢の肖像」 1918年 画家本人が気に入って長らく手元に置いていた作品を無理に譲ってもらったものだという。

  • レオン・フレデリック 「万有は死に帰す、されど万有をして蘇らしめん」 1893-1918年 縦1.6m 横11mの大作の左側部分<br />

    レオン・フレデリック 「万有は死に帰す、されど万有をして蘇らしめん」 1893-1918年 縦1.6m 横11mの大作の左側部分

  • レオン・フレデリック 「万有は死に帰す、されど万有をして蘇らしめん」 1893-1918年 縦1.6m 横11mの大作の中央部分<br />

    レオン・フレデリック 「万有は死に帰す、されど万有をして蘇らしめん」 1893-1918年 縦1.6m 横11mの大作の中央部分

  • レオン・フレデリック 「万有は死に帰す、されど万有をして蘇らしめん」 1893-1918年 縦1.6m 横11mの大作の右側部分<br />

    レオン・フレデリック 「万有は死に帰す、されど万有をして蘇らしめん」 1893-1918年 縦1.6m 横11mの大作の右側部分

  • パブロ・ピカソ 「鳥籠」 1925年 画商・福島繁太郎のコレクションを購入。<br />

    パブロ・ピカソ 「鳥籠」 1925年 画商・福島繁太郎のコレクションを購入。

  • エル・グレコ 「受胎告知」 1590-1603年  <br /><br />1922年、3回目の渡欧中だった児島が、パリの画廊で売りに出ているものを偶然見出したもの。児島はこんな機会は二度とないと思ったが、非常に高価で手持ちの金もなかったため、この時ばかりは大原に写真を送り購入を相談した。現在では、これが大原美術館にあることは奇蹟だといわれている。(Wikipedia参照)<br />

    エル・グレコ 「受胎告知」 1590-1603年  

    1922年、3回目の渡欧中だった児島が、パリの画廊で売りに出ているものを偶然見出したもの。児島はこんな機会は二度とないと思ったが、非常に高価で手持ちの金もなかったため、この時ばかりは大原に写真を送り購入を相談した。現在では、これが大原美術館にあることは奇蹟だといわれている。(Wikipedia参照)

  • 本館を出て、次に向かったのは分館。1961年に建てられ、藤島武二、 岸田劉生、 関根正二、 藤田嗣治など日本の近代 美術、現代美術と明治以降現代に至るまでの日本美術が主として展示されている。また、地階には現在活躍中の若手作家の作品も展示されている。<br />

    本館を出て、次に向かったのは分館。1961年に建てられ、藤島武二、 岸田劉生、 関根正二、 藤田嗣治など日本の近代 美術、現代美術と明治以降現代に至るまでの日本美術が主として展示されている。また、地階には現在活躍中の若手作家の作品も展示されている。

  • 大原美術館に前回来たのはおよそ30年前(^^;; 本館だけしか見ていなかったので小さな美術館という印象が残っているが、本館だけでも増築で3倍位大きくなり、立派な美術館になった。<br />

    大原美術館に前回来たのはおよそ30年前(^^;; 本館だけしか見ていなかったので小さな美術館という印象が残っているが、本館だけでも増築で3倍位大きくなり、立派な美術館になった。

  • 本館を後に倉敷川通り?(でいいのか)に出ると。ちょうど良いタイミングで観光客を乗せた高瀬舟がやってきた。なお、川向こうにある立派な屋敷は大原家の別宅で、名を有隣荘という。非公開であるが黄色いスパニッシュ瓦がよく目立つ建物。<br />

    本館を後に倉敷川通り?(でいいのか)に出ると。ちょうど良いタイミングで観光客を乗せた高瀬舟がやってきた。なお、川向こうにある立派な屋敷は大原家の別宅で、名を有隣荘という。非公開であるが黄色いスパニッシュ瓦がよく目立つ建物。

  • 倉敷川にかかるアーチ型の橋。名前は中橋。<br />

    倉敷川にかかるアーチ型の橋。名前は中橋。

  • 倉敷川は江戸時代には年貢米を、明治時代には繊維製品を運搬する重要な運河として利用されていた。現在運ぶのは観光客となっている。<br />

    倉敷川は江戸時代には年貢米を、明治時代には繊維製品を運搬する重要な運河として利用されていた。現在運ぶのは観光客となっている。

  • 倉敷川通りを途中で左折すると倉敷アイビー・スクエアーと名付けられたテーマパークがある。元々は倉敷紡績の工場だった場所で、今ではホテル、記念館、工房、ミュージアムなどを集積した複合観光施設となっている。<br />

    倉敷川通りを途中で左折すると倉敷アイビー・スクエアーと名付けられたテーマパークがある。元々は倉敷紡績の工場だった場所で、今ではホテル、記念館、工房、ミュージアムなどを集積した複合観光施設となっている。

  • その一角にあるのが児島虎次郎記念館。<br />

    その一角にあるのが児島虎次郎記念館。

  • 大原美術館の収蔵絵画を選んだ画家を記念して建てられた。<br />

    大原美術館の収蔵絵画を選んだ画家を記念して建てられた。

  • 児島虎次郎 「和服を着たベルギーの少女」 1911年<br /><br />館内は撮影禁止なので、虎次郎の画を絵葉書から一枚UPするが、当時の西洋絵画の潮流に則った素晴らしい絵画が並んでいた。<br />

    児島虎次郎 「和服を着たベルギーの少女」 1911年

    館内は撮影禁止なので、虎次郎の画を絵葉書から一枚UPするが、当時の西洋絵画の潮流に則った素晴らしい絵画が並んでいた。

  • アイビー・スクエアー前の通りは土産物屋などが連なり、世界中からの観光客で大賑わい。許可を得たプリウスTAXIが走っているが、エンジンを止めモーターだけで走行していた。プリウスはEVカーにも変身するのね。<br />

    アイビー・スクエアー前の通りは土産物屋などが連なり、世界中からの観光客で大賑わい。許可を得たプリウスTAXIが走っているが、エンジンを止めモーターだけで走行していた。プリウスはEVカーにも変身するのね。

  • 再び倉敷川通りへ。倉紡製品原綿積み降ろし場所の石碑を発見。<br />

    再び倉敷川通りへ。倉紡製品原綿積み降ろし場所の石碑を発見。

  • ここも日本の近代化の一翼を担った場所。<br />

    ここも日本の近代化の一翼を担った場所。

  • 酒屋さん

    酒屋さん

  • うどん屋さん

    うどん屋さん

  • そして倉敷川

    そして倉敷川

  • 水面に周りの木々などを映して川は流れる。(流れていない?)<br />

    水面に周りの木々などを映して川は流れる。(流れていない?)

  • 中橋まで戻ってきた。

    中橋まで戻ってきた。

  • 大原美術館は17:00閉館。美術館の塀に絡まる蔦は大原美術館のシンボルだが、もともとは紡績工場の環境改善を目指して工場の壁に這わせたもの。<br />

    大原美術館は17:00閉館。美術館の塀に絡まる蔦は大原美術館のシンボルだが、もともとは紡績工場の環境改善を目指して工場の壁に這わせたもの。

  • 今、日本に存在する美術館の中で大原美術館は数少ない黒字経営の美術館らしい。維持費や人件費の少ない小さな美術館にしては、コレクションの内容が素晴らしく世界中から観光客が訪れている。また、上述したとおり、現在活躍中の若手の作家にも広く門戸を開き、制作を援助するなど工夫をこらしており、大原孫三郎の口癖だった「十年先が見える」精神が遺憾なく発揮されている。<br /><br />これで「2015年 倉敷旅行記:十年先が見える男がいた街」は終了です。最後までご覧いただきありがとうございました。

    今、日本に存在する美術館の中で大原美術館は数少ない黒字経営の美術館らしい。維持費や人件費の少ない小さな美術館にしては、コレクションの内容が素晴らしく世界中から観光客が訪れている。また、上述したとおり、現在活躍中の若手の作家にも広く門戸を開き、制作を援助するなど工夫をこらしており、大原孫三郎の口癖だった「十年先が見える」精神が遺憾なく発揮されている。

    これで「2015年 倉敷旅行記:十年先が見える男がいた街」は終了です。最後までご覧いただきありがとうございました。

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この旅行記へのコメント (6)

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  • ぶどう畑さん 2016/01/11 20:17:13
    懐かしの名画!
    chiaki-kさん

    こんにちは。ぶどう畑です。
    インドネシア・シンガポールの旅行記にお越しいただき、投票をありがとうございました!

    「十年先が見える男がいた街:2015倉敷・大原美術館」の旅行記にお邪魔しました。

    だいぶ前になりますが、ボロブドゥールに一緒に行ったMちゃんと倉敷を旅行したことがあります。
    大原美術館に行って、アンリ・ル・シダネルの「夕暮の小卓」が気に入って、絵葉書を買いました。懐かしいです!

    当時は珍しかった人力車がいたので写真を撮ったら、有料と言われて戸惑ったことを思い出します。

    旅行記を通じて今回も懐かしい景色に会えて嬉しかったです。
    ありがとうございました!

    chiaki-k

    chiaki-kさん からの返信 2016/01/12 10:23:47
    はじめまして

    ぶどう畑さん、はじめまして。
    倉敷旅行記に”いいね”をありがとうございます。

    アンリ・ル・シダネルの「夕暮の小卓」は私も好きになった
    作品ですが、一軒だけ灯った窓明かりのほのぼのとした感じ
    が良いですね。

    「ボロブドゥールから見る幻想的な朝日 
    インドネシア・シンガポールの旅3-1」拝見しました。

    インドネシアは2012年1月にツアーで行きましたが
    雨季というのを忘れていて、ほぼ毎日雨に降られました。

    http://4travel.jp/travelogue/10636990

    *今日の朝日は何点?・・・満点ですよ

    *寝姿山・・・言い得て妙です

    *ボロブドゥール全景・・・良く撮れましたね

    > 旅行記を通じて今回も懐かしい景色に会えて嬉しかったです。
    > ありがとうございました!

    こちらこそ、あのときを思い出させていただき
    ありがとうございました。

    chiaki-k

    chiaki-k

    chiaki-kさん からの返信 2016/01/12 10:33:11
    「はじめまして」→「こんにちは」 に訂正します
    ぶどう畑さんからは2015年12月12日に最初のコメントを
    いただいていましたね。

    最近どうも物忘れが増えてしまい失礼いたしました。

    chiaki-k

    ぶどう畑

    ぶどう畑さん からの返信 2016/01/14 21:58:17
    コメントありがとうございました!
    chiaki-kさん

    私も返信したつもりだったのに、今見たら、アレ???

    で、お礼を言いたくて返信します。

    > *今日の朝日は何点?・・・満点ですよ

    ありがとうございます!気持ちがほっこりしました。
    私にとっては、満点以上の朝日でしたが、80点なんて書くと、満足していないみたいですよね。
    その気持ちを書こうと、旅行記にコメントを付け加えました。
    http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=40958541

    今後とも、どうぞよろしくお願いします!
  • わんぱく大将さん 2015/12/28 08:39:16
    倉敷に留学
    chiaki-kさん

    ロンドン時代、違う課でしたが、同僚のスペイン人がいきなり日本語で喋り始めた時はびっくりしました。 なんと彼女は倉敷に留学していたというじゃありませんか。 倉敷なんて珍しいなと思ってましたが、ホームステイ先はやはり病院長のお宅。どっかで聞いたぞ、と。
    その彼女とも長いこと会ってませんが、スペインの画家がでてきたのもあって、思い出させていただきました。彼女の誕生日確か1月1日だったな〜。

    今年もわずかとなりました。来年はもっと笑える年でありますように。
    よいお年を。

     大将

    chiaki-k

    chiaki-kさん からの返信 2015/12/28 11:40:30
    倉敷の病院とは?
    大将さん、こんにちは。
    倉敷旅行記に”いいね”をありがとうございます。

    >ホームステイ先はやはり病院長のお宅。

    もしかして倉敷中央病院の院長さん?
    とすればこの病院も大原孫三郎が建てた病院ですね。

    正式名は
    公益財団法人大原記念倉敷中央医療機構倉敷中央病院
    というまるでジュゲムのような長〜い名前の病院ですが
    設立は1923年、今では1161床の大病院です。

    >彼女の誕生日確か1月1日だったな〜。

    よほど印象に残った女性だったんですね。

    >来年はもっと笑える年でありますように。よいお年を。

    こちらこそ良いお年をお迎えください。

    では、また。

    chiaki-k

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