恩納・読谷旅行記(ブログ) 一覧に戻る
恩納村にある、正式名称「多幸山観光園琉球村」と言う観光テーマパークです。沖縄の歴史や文化、芸能、自然を学び、体験できるのが魅力です。園内は、県内各地から移築した築80~200年の琉球古民家が建ち並び、100年程前の明治末期の城下町を再現しています。古民家や水牛、登り窯などは、電気もガスもなかった頃の暮らしぶりを窺い知ることができます。古民家のいくつかは国の有形文化財に登録された貴重な建物ですが、家屋の中で寛ぐうちに昔ながらの沖縄を感じてもらう趣向です。また、民家の壁に掛けられた時計は全て止まっています。来村者には時間を気にせず、ゆっくり過ごして欲しいというスタッフの計らいだそうです。現代の沖縄は開発や整備が進み、風景が変わってしまったと嘆かれる方も少なくないようです。しかし、開業33年になる琉球村を訪ねれば、沖縄の原風景にタイムスリップできます。<br />また、もうひとつの魅力はスタッフとの交流にあります。皆、個性豊かな兵揃いで、ついつい話が弾んでしまいます。おばぁ達の屈託の無い笑顔とのんびりとした口調には、多くの方々が癒されること間違いなしです。<br /><br /><旅程><br />1日目:伊丹空港→那覇空港→糸満(泊)サザンビーチホテル&リゾート沖縄<br />2日目:ホテル→万座毛→ナゴパイナップルパーク→古宇利オーシャンタワー→備瀬のフクギ並木→琉宮城 蝶々園(昼食)→海洋博公園・美ら海水族館→恩納村(泊)ホテルモントレ沖縄スパ&リゾート<br />3日目:ホテル→辺戸岬→大石林山→茅打バンタ→琉球村(昼食)→那覇(泊)ロワジールホテル那覇<br />4日目:ホテル→首里城跡(首里城正殿入館)→那覇空港→伊丹空港

早春賦 沖縄紀行⑥中部エリア(琉球村)

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2015/02/28 - 2015/03/03

7位(同エリア3963件中)

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

恩納村にある、正式名称「多幸山観光園琉球村」と言う観光テーマパークです。沖縄の歴史や文化、芸能、自然を学び、体験できるのが魅力です。園内は、県内各地から移築した築80~200年の琉球古民家が建ち並び、100年程前の明治末期の城下町を再現しています。古民家や水牛、登り窯などは、電気もガスもなかった頃の暮らしぶりを窺い知ることができます。古民家のいくつかは国の有形文化財に登録された貴重な建物ですが、家屋の中で寛ぐうちに昔ながらの沖縄を感じてもらう趣向です。また、民家の壁に掛けられた時計は全て止まっています。来村者には時間を気にせず、ゆっくり過ごして欲しいというスタッフの計らいだそうです。現代の沖縄は開発や整備が進み、風景が変わってしまったと嘆かれる方も少なくないようです。しかし、開業33年になる琉球村を訪ねれば、沖縄の原風景にタイムスリップできます。
また、もうひとつの魅力はスタッフとの交流にあります。皆、個性豊かな兵揃いで、ついつい話が弾んでしまいます。おばぁ達の屈託の無い笑顔とのんびりとした口調には、多くの方々が癒されること間違いなしです。

<旅程>
1日目:伊丹空港→那覇空港→糸満(泊)サザンビーチホテル&リゾート沖縄
2日目:ホテル→万座毛→ナゴパイナップルパーク→古宇利オーシャンタワー→備瀬のフクギ並木→琉宮城 蝶々園(昼食)→海洋博公園・美ら海水族館→恩納村(泊)ホテルモントレ沖縄スパ&リゾート
3日目:ホテル→辺戸岬→大石林山→茅打バンタ→琉球村(昼食)→那覇(泊)ロワジールホテル那覇
4日目:ホテル→首里城跡(首里城正殿入館)→那覇空港→伊丹空港

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
観光バス JALグループ
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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  • 琉球村 番所<br />ここが琉球村への入口となるゲートで番所と言います。<br />建物は琉球の高倉をイメージしたデザインをしています。<br />モール内の団体食堂で「麻婆豆腐鍋ご膳」をいただいた後、三々五々フリータイムとなります。<br />麻婆豆腐鍋はキムチ鍋を薄くしたような感じです。辛味が控えめな間口の広い優しい味ですが、卓上の島とうがらしでお好みの味に調整することができます。

    琉球村 番所
    ここが琉球村への入口となるゲートで番所と言います。
    建物は琉球の高倉をイメージしたデザインをしています。
    モール内の団体食堂で「麻婆豆腐鍋ご膳」をいただいた後、三々五々フリータイムとなります。
    麻婆豆腐鍋はキムチ鍋を薄くしたような感じです。辛味が控えめな間口の広い優しい味ですが、卓上の島とうがらしでお好みの味に調整することができます。

  • 琉球村 番所前<br />番所前にある建屋ですが、この奥はトイレになっています。<br />団体写真の背景になる建物なのですが、「琉球村」という文字を入れたいということなのでしょうね!<br />団体写真を人に見せた時、この建物は何?と訊ねられたら答えに窮してしまいます。

    琉球村 番所前
    番所前にある建屋ですが、この奥はトイレになっています。
    団体写真の背景になる建物なのですが、「琉球村」という文字を入れたいということなのでしょうね!
    団体写真を人に見せた時、この建物は何?と訊ねられたら答えに窮してしまいます。

  • 琉球村 キジムナー「キム(♂)とキミィ(♀)」<br />入口からすぐの短い橋を渡ると、琉球村のイメージ・キャラクターが道案内をしてくれます。伝説の「キジムナー(木の精)」で、キムは赤褌一丁のスタイルです。広い村内の要所には道標が置かれ、キジムナーの人形が順路を教えてくれます。<br />沖縄各地には「小妖精キジムナー」の伝説があり、古いガジュマルの大木に住む妖精で、人と交流して仲良くなると魚をくれたりして友人を幸せにするとの言い伝えがあります。それで、道に沿った陶壁が、魚の絵柄になっている訳ですね!でも、きれいな心の人にしかキジムナーの姿は見えないと言われています。

    琉球村 キジムナー「キム(♂)とキミィ(♀)」
    入口からすぐの短い橋を渡ると、琉球村のイメージ・キャラクターが道案内をしてくれます。伝説の「キジムナー(木の精)」で、キムは赤褌一丁のスタイルです。広い村内の要所には道標が置かれ、キジムナーの人形が順路を教えてくれます。
    沖縄各地には「小妖精キジムナー」の伝説があり、古いガジュマルの大木に住む妖精で、人と交流して仲良くなると魚をくれたりして友人を幸せにするとの言い伝えがあります。それで、道に沿った陶壁が、魚の絵柄になっている訳ですね!でも、きれいな心の人にしかキジムナーの姿は見えないと言われています。

  • 琉球村 那覇大綱挽きの綱<br />龍宮城を彷彿とさせる典雅な建築物で目を惹き付けますが、那覇大綱挽きの綱を奉納している建物です。<br />ここにあるのは、1995年に初めて「世界一のわら綱」としてギネスブックに認定された綱だそうです。現在も記録更新中とのことです。<br />

    琉球村 那覇大綱挽きの綱
    龍宮城を彷彿とさせる典雅な建築物で目を惹き付けますが、那覇大綱挽きの綱を奉納している建物です。
    ここにあるのは、1995年に初めて「世界一のわら綱」としてギネスブックに認定された綱だそうです。現在も記録更新中とのことです。

  • 琉球村 那覇大綱挽きの綱<br />那覇大綱挽きでは、全長200m近くで直径1.5m以上、質量35トン以上もある綱を1万5000人余が引き合います。<br />1450年頃の発祥と伝えられ、琉球王朝の祝い事や中国から来訪した冊封使歓待の際に特別に行われた国家的な行事であり、500年以上の歴史と伝統を持つ沖縄県内最大規模の人気を誇るそうです。琉球王朝時代から続く長い歴史と、参加する地域の人々の矜持の高さが支える伝統行事と言えます。

    琉球村 那覇大綱挽きの綱
    那覇大綱挽きでは、全長200m近くで直径1.5m以上、質量35トン以上もある綱を1万5000人余が引き合います。
    1450年頃の発祥と伝えられ、琉球王朝の祝い事や中国から来訪した冊封使歓待の際に特別に行われた国家的な行事であり、500年以上の歴史と伝統を持つ沖縄県内最大規模の人気を誇るそうです。琉球王朝時代から続く長い歴史と、参加する地域の人々の矜持の高さが支える伝統行事と言えます。

  • 琉球村 旧仲宗根家<br />沖縄には伝統的な年中行事がいくつもあり、今も旧暦で行事が行われています。琉球村ではそうした様々な行事を再現し、琉球文化を身近に感じるアトラクションも盛り沢山です。1時間毎に民謡ショーやエイサー演舞が行われ、中央広場では10時と16時に始まる「道ジュネ―」という琉球の国王や王妃、獅子舞、エイサーなど沖縄の伝統行事の中で演じられる芸能をパレード形式で堪能できます。20〜30分の演舞の最後は、三線の音色で観客を巻き込むカチャーシーで締め括られます。カチャーシーとは、「かき合わせる」との意味があり、頭上で手を広げ、音楽に合わせて盆踊り風に皆で踊るものです。また、旧島袋家では日に数回「家遊び(ヤーアシビー)」が催され、屋内で唄や三線、太鼓に合わせて踊り手と観客が一緒になって踊ります。途切れない三線の音は、昔から沖縄の歴史が音楽と共にあったことを教えてくれます。

    琉球村 旧仲宗根家
    沖縄には伝統的な年中行事がいくつもあり、今も旧暦で行事が行われています。琉球村ではそうした様々な行事を再現し、琉球文化を身近に感じるアトラクションも盛り沢山です。1時間毎に民謡ショーやエイサー演舞が行われ、中央広場では10時と16時に始まる「道ジュネ―」という琉球の国王や王妃、獅子舞、エイサーなど沖縄の伝統行事の中で演じられる芸能をパレード形式で堪能できます。20〜30分の演舞の最後は、三線の音色で観客を巻き込むカチャーシーで締め括られます。カチャーシーとは、「かき合わせる」との意味があり、頭上で手を広げ、音楽に合わせて盆踊り風に皆で踊るものです。また、旧島袋家では日に数回「家遊び(ヤーアシビー)」が催され、屋内で唄や三線、太鼓に合わせて踊り手と観客が一緒になって踊ります。途切れない三線の音は、昔から沖縄の歴史が音楽と共にあったことを教えてくれます。

  • 琉球村 旧仲宗根家<br />目の前には明治時代の沖縄にタイムスリップしたような、のどかな風景が広がっています。とてもエキゾチックな風情を醸す古民家です。<br />日本と中国との間に栄えた独自の文化を受け継ぎ、厳しい自然条件が生み出した形でもあります。小ぶりの木造平屋建てながら、激しい台風や強烈な日差しに耐える強さを秘めた優れものです。琉球の人たちの知恵や歴史が詰まった「庶民の家」を知れば、本当の沖縄が見えてきます。<br /><br />このように琉球古民家には門扉がなく、その代わりに「ヒンプン」という衝立が設置されています。中国語の屏風(ひんぷん)門に倣ったもので、ヒンプンの大きさは富の大きさを象徴していたそうです。ヒンプンは、台風の多い沖縄ならではの知恵で、風の直撃を防ぐ役目と目隠しの役目も果たしています。また、沖縄の魔物は角を曲がるのが苦手なため、直進して入ってこないように魔除けの意味もあるそうです。<br />因みに、ヒンプンを右から回り込むとお客さんが入る方向、左は家の人たちが出入りする方向だそうです。各部屋は、向かって右側から一番座、二番座となるのでとても合理的です。

    琉球村 旧仲宗根家
    目の前には明治時代の沖縄にタイムスリップしたような、のどかな風景が広がっています。とてもエキゾチックな風情を醸す古民家です。
    日本と中国との間に栄えた独自の文化を受け継ぎ、厳しい自然条件が生み出した形でもあります。小ぶりの木造平屋建てながら、激しい台風や強烈な日差しに耐える強さを秘めた優れものです。琉球の人たちの知恵や歴史が詰まった「庶民の家」を知れば、本当の沖縄が見えてきます。

    このように琉球古民家には門扉がなく、その代わりに「ヒンプン」という衝立が設置されています。中国語の屏風(ひんぷん)門に倣ったもので、ヒンプンの大きさは富の大きさを象徴していたそうです。ヒンプンは、台風の多い沖縄ならではの知恵で、風の直撃を防ぐ役目と目隠しの役目も果たしています。また、沖縄の魔物は角を曲がるのが苦手なため、直進して入ってこないように魔除けの意味もあるそうです。
    因みに、ヒンプンを右から回り込むとお客さんが入る方向、左は家の人たちが出入りする方向だそうです。各部屋は、向かって右側から一番座、二番座となるのでとても合理的です。

  • 琉球村 旧仲宗根家<br />1984年に読谷村座喜味より移築した、築約200年になる古民家です。座喜味村発祥の「七家」のひとつに数えられる旧家で、先祖は中曽根大親(うふや)が戦乱の最中に追われて読谷山間切真栄田に逃げ延び、その後座喜味に移ってその地域の中曽根姓の祖となったと伝えられています。<br />横長2重になった赤瓦屋根が特徴です。軒下は、柱だけの風通しのよさそうな民家です。床下の通気口には菱形の意匠がデザインされ、お洒落なアクセントになっています。

    琉球村 旧仲宗根家
    1984年に読谷村座喜味より移築した、築約200年になる古民家です。座喜味村発祥の「七家」のひとつに数えられる旧家で、先祖は中曽根大親(うふや)が戦乱の最中に追われて読谷山間切真栄田に逃げ延び、その後座喜味に移ってその地域の中曽根姓の祖となったと伝えられています。
    横長2重になった赤瓦屋根が特徴です。軒下は、柱だけの風通しのよさそうな民家です。床下の通気口には菱形の意匠がデザインされ、お洒落なアクセントになっています。

  • 琉球村 旧仲宗根家<br />開口部には、部屋を雨や日差しから守るために長く突き出した軒が設けられ、屋根が低く感じられます。この軒下空間を「雨端(アマハジ)」と言い、玄関のない沖縄では、家に出入りしたり、軒下で寛ぐなど重要な居住空間となっています。本土で言う「縁側」を広くした感じのものです。<br />その深い軒を支えているのが雨端柱です。強烈な台風で軒が飛ばされないよう、しっかりと地面とつなぐものです。微妙な湾曲があり華奢な柱のように見えますが、最高級木材の「チャーギ」と呼ばれる頑丈な木材が使われています。製材されたものは雨風に弱くなるため、自然に生えたチャーギを使っているそうです。ですから、このように床柱のように野趣溢れる表情を見ることができます。<br />また、雨端柱の礎石には脳珊瑚の石化したものが好んで用いられています。これは水はけが良く、柱の腐食が防げるとの考えからです。細長く切り出した石灰岩を柱として用いることもあり、これはイシバーヤと呼ばれます。<br />このように大切な雨端の空間には、沖縄の人々の贅と知恵、美意識が込められています。また、屋根の上に安置されたユニークな姿のシーサーなど見所満載です。

    琉球村 旧仲宗根家
    開口部には、部屋を雨や日差しから守るために長く突き出した軒が設けられ、屋根が低く感じられます。この軒下空間を「雨端(アマハジ)」と言い、玄関のない沖縄では、家に出入りしたり、軒下で寛ぐなど重要な居住空間となっています。本土で言う「縁側」を広くした感じのものです。
    その深い軒を支えているのが雨端柱です。強烈な台風で軒が飛ばされないよう、しっかりと地面とつなぐものです。微妙な湾曲があり華奢な柱のように見えますが、最高級木材の「チャーギ」と呼ばれる頑丈な木材が使われています。製材されたものは雨風に弱くなるため、自然に生えたチャーギを使っているそうです。ですから、このように床柱のように野趣溢れる表情を見ることができます。
    また、雨端柱の礎石には脳珊瑚の石化したものが好んで用いられています。これは水はけが良く、柱の腐食が防げるとの考えからです。細長く切り出した石灰岩を柱として用いることもあり、これはイシバーヤと呼ばれます。
    このように大切な雨端の空間には、沖縄の人々の贅と知恵、美意識が込められています。また、屋根の上に安置されたユニークな姿のシーサーなど見所満載です。

  • 琉球村 旧仲宗根家 一番座<br />大きな家屋では、右端の一番座にこのような床の間が設えられています。床の間は、客人をもてなすための見かけの格好を重視したものと考えられているそうです。ですから、古い家屋ほど床の間の奥行きが浅くなっているそうです。<br />旧中曽根家も、床の間の奥行きは半間のさらに半分以下と思われます。<br />1番座と二番座には仕切りもなく、開放的な造りになっています。<br />また、このように畳が敷かれている家は、格式の高い家に限られるそうです。

    琉球村 旧仲宗根家 一番座
    大きな家屋では、右端の一番座にこのような床の間が設えられています。床の間は、客人をもてなすための見かけの格好を重視したものと考えられているそうです。ですから、古い家屋ほど床の間の奥行きが浅くなっているそうです。
    旧中曽根家も、床の間の奥行きは半間のさらに半分以下と思われます。
    1番座と二番座には仕切りもなく、開放的な造りになっています。
    また、このように畳が敷かれている家は、格式の高い家に限られるそうです。

  • 琉球村 旧仲宗根家 二番座<br />一番座の左側にある二番座は仏間です。<br />床から鴨居までの高さを「内法高」と呼び、この高さが低いほど古い家だそうです。また、祖先崇拝の強い沖縄では、仏壇は比較的豪勢に作られています。古い仏壇の下は、このように戸を開閉できる「地袋」になっていないそうです。<br /><br />一番座と二番座の裏は「裏座」と呼ばれ、板の間に地炉(ジール)を置いています。二番座の左側に三番座、その先に土間を置くのが一般的な古民家の間取りのようです。

    琉球村 旧仲宗根家 二番座
    一番座の左側にある二番座は仏間です。
    床から鴨居までの高さを「内法高」と呼び、この高さが低いほど古い家だそうです。また、祖先崇拝の強い沖縄では、仏壇は比較的豪勢に作られています。古い仏壇の下は、このように戸を開閉できる「地袋」になっていないそうです。

    一番座と二番座の裏は「裏座」と呼ばれ、板の間に地炉(ジール)を置いています。二番座の左側に三番座、その先に土間を置くのが一般的な古民家の間取りのようです。

  • 琉球村 旧仲宗根家<br />天井には、天井板がなく小屋組梁が剥き出しになっています。<br />屋根裏は、中から見ると茅葺っぽいのに、外から見ると瓦葺きという不思議な感じになっています。<br /><br />

    琉球村 旧仲宗根家
    天井には、天井板がなく小屋組梁が剥き出しになっています。
    屋根裏は、中から見ると茅葺っぽいのに、外から見ると瓦葺きという不思議な感じになっています。

  • 琉球村 キジムナーの家<br />キジムナーとは、昔からガジュマルの古木に宿ると言い伝えられている「妖精」です。魚の左の目が大好物で、苦手なものは蛸と屁だとか…。<br /> 巨大なガジュマルの木の上には、キジムナーの家が建てられています。<br />お留守のようですが、心がきれいでないと見えないと言うことなのかも!?<br /><br />沖縄には「キジムナーの足跡を見る」という遊びがあるそうです。静かな薄暗い場所に円を描き、白い粉(小麦粉など)を撒き、円の中央に火を灯した線香を立て呪文を唱えて隠れ、20数えてから戻ると粉の上にキジムナーの足跡が付いているのだとか。

    琉球村 キジムナーの家
    キジムナーとは、昔からガジュマルの古木に宿ると言い伝えられている「妖精」です。魚の左の目が大好物で、苦手なものは蛸と屁だとか…。
    巨大なガジュマルの木の上には、キジムナーの家が建てられています。
    お留守のようですが、心がきれいでないと見えないと言うことなのかも!?

    沖縄には「キジムナーの足跡を見る」という遊びがあるそうです。静かな薄暗い場所に円を描き、白い粉(小麦粉など)を撒き、円の中央に火を灯した線香を立て呪文を唱えて隠れ、20数えてから戻ると粉の上にキジムナーの足跡が付いているのだとか。

  • 旧玉那覇家(国登録有形文化財)<br />往時の家主の玉那覇家は、琉球王国時代の14世紀の読谷山間切を支配していた按司の護佐丸を祖とする一族です。琉球王国瓦解後、一族は王府首里から恩納村塩屋に移住し、この建屋を建築して住居としていました。<br />護佐丸にまつわる話は、首里城のところで紹介いたします。<br />http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=37818214<br /><br />沖縄と言えば赤瓦をイメージしますが、実は1889年(明治22年)までは民家には赤瓦を使うことが許されず、茅葺の家だったそうです。17世紀の首里城には往時貴重な赤瓦が使われ、赤は「高貴な色」でした。つまり、赤瓦は庶民の憧れの的でした。瓦の使用が解禁されると、庶民はこぞって赤瓦を屋根に載せました。<br />実はこの赤色は、沖縄の土に由来します。沖縄の南部一帯に出土する「クチャ」という鉄分を多く含む泥土です。赤瓦はその黒土と水だけで作ります。成形した瓦を40日ほど乾燥させ、1000℃という低温で「素焼き」します。すると鉄分が酸化し、焼くことで独特の赤色が生まれます。<br />この素焼きの瓦は、亜熱帯気候にも適していました。スコールの際に赤瓦は水を吸い、そして灼熱の日照りの時にはそれを蒸発させます。水分を蒸発させる時、気化熱としてこもった熱を大気中に放熱し、温度調整できる仕組みになっています。見かけだけで赤瓦を好んだ訳ではなく、過酷な自然に打ち勝つための知恵の結晶だったのですね!

    旧玉那覇家(国登録有形文化財)
    往時の家主の玉那覇家は、琉球王国時代の14世紀の読谷山間切を支配していた按司の護佐丸を祖とする一族です。琉球王国瓦解後、一族は王府首里から恩納村塩屋に移住し、この建屋を建築して住居としていました。
    護佐丸にまつわる話は、首里城のところで紹介いたします。
    http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=37818214

    沖縄と言えば赤瓦をイメージしますが、実は1889年(明治22年)までは民家には赤瓦を使うことが許されず、茅葺の家だったそうです。17世紀の首里城には往時貴重な赤瓦が使われ、赤は「高貴な色」でした。つまり、赤瓦は庶民の憧れの的でした。瓦の使用が解禁されると、庶民はこぞって赤瓦を屋根に載せました。
    実はこの赤色は、沖縄の土に由来します。沖縄の南部一帯に出土する「クチャ」という鉄分を多く含む泥土です。赤瓦はその黒土と水だけで作ります。成形した瓦を40日ほど乾燥させ、1000℃という低温で「素焼き」します。すると鉄分が酸化し、焼くことで独特の赤色が生まれます。
    この素焼きの瓦は、亜熱帯気候にも適していました。スコールの際に赤瓦は水を吸い、そして灼熱の日照りの時にはそれを蒸発させます。水分を蒸発させる時、気化熱としてこもった熱を大気中に放熱し、温度調整できる仕組みになっています。見かけだけで赤瓦を好んだ訳ではなく、過酷な自然に打ち勝つための知恵の結晶だったのですね!

  • 琉球村 石敢當(いしがんとう)<br />沖縄のT字路の突き当りや通りの曲がり角の石垣や壁には、この様な「石敢當」と記された石碑が置かれています。この石碑は、シーサーなどと同様に中国発祥の魔除けとされています。<br />石敢當の名前の由来は、後漢代の無敵の武将の名前とも、中国五代の頃の名力士の名前とも言われる他、石の持つ呪力と関わる石神信仰に由来するとの説もあり、定かでありません。石敢當そのものに「その石は向かうところ敵無し」という意味もあるようです。<br />市中を徘徊する魔物「マジムン」には直進する性質があり、突き当りの家ではマジムンが入り込むと信じられています。そのため、突き当りに石碑の護符を置き、マジムンが家に侵入するのを防いでいます。因みに、マジムンは石碑に当たると砕け散るとされています。

    琉球村 石敢當(いしがんとう)
    沖縄のT字路の突き当りや通りの曲がり角の石垣や壁には、この様な「石敢當」と記された石碑が置かれています。この石碑は、シーサーなどと同様に中国発祥の魔除けとされています。
    石敢當の名前の由来は、後漢代の無敵の武将の名前とも、中国五代の頃の名力士の名前とも言われる他、石の持つ呪力と関わる石神信仰に由来するとの説もあり、定かでありません。石敢當そのものに「その石は向かうところ敵無し」という意味もあるようです。
    市中を徘徊する魔物「マジムン」には直進する性質があり、突き当りの家ではマジムンが入り込むと信じられています。そのため、突き当りに石碑の護符を置き、マジムンが家に侵入するのを防いでいます。因みに、マジムンは石碑に当たると砕け散るとされています。

  • 琉球村 親子ガジュマル<br />神アシャギへの入口には何故か場違いな鳥居が建てられています。調べてみると、鳥居が設置されている御嶽は、明治維新から琉球処分以降の「皇民化政策」による神道施設化の結果であり、本来のものではないそうです。沖縄本島では戦後、鳥居が撤去された御嶽も多いそうが、宮古や八重山地方の御嶽では戦後もそのまま鳥居が残されたようです。なるほど、時代背景に忠実にこうして鳥居を含めて再現したということです。であれば、説明書きがあれば理解しやすいのでは?<br />鳥居の左手には親子ガジュマルと呼ばれる巨木が南国の青空に映えています。<br />こうして見ると、確かに背丈の高いのが親、低いのが子供のようにも思えます。 <br />親の方は推定樹齢180年だそうです。

    琉球村 親子ガジュマル
    神アシャギへの入口には何故か場違いな鳥居が建てられています。調べてみると、鳥居が設置されている御嶽は、明治維新から琉球処分以降の「皇民化政策」による神道施設化の結果であり、本来のものではないそうです。沖縄本島では戦後、鳥居が撤去された御嶽も多いそうが、宮古や八重山地方の御嶽では戦後もそのまま鳥居が残されたようです。なるほど、時代背景に忠実にこうして鳥居を含めて再現したということです。であれば、説明書きがあれば理解しやすいのでは?
    鳥居の左手には親子ガジュマルと呼ばれる巨木が南国の青空に映えています。
    こうして見ると、確かに背丈の高いのが親、低いのが子供のようにも思えます。
    親の方は推定樹齢180年だそうです。

  • 琉球村 神アシャギ <br />御嶽には村の守護神「祖霊神」が祀られています。その御嶽の近くには神を招いて祭祀や行事を行うアシャギナーと呼ぶ広場(本土で言う「鎮守の社」)があり、そこに神アシャギと呼ばれる軒が低く、壁や床もない祭祀小屋が建てられています。<br />小屋は男子禁制の聖域で、ノロ(神女)たちが御嶽を遙拝したり、オモロ(神歌)を謡ったり、神酒のふるまいを受けたりした場所だそうです。<br />因みに、ノロとは神の波動を感じて神とコミュニケーションがとれるシャーマンで、村の神事祭祀を司りました。

    琉球村 神アシャギ
    御嶽には村の守護神「祖霊神」が祀られています。その御嶽の近くには神を招いて祭祀や行事を行うアシャギナーと呼ぶ広場(本土で言う「鎮守の社」)があり、そこに神アシャギと呼ばれる軒が低く、壁や床もない祭祀小屋が建てられています。
    小屋は男子禁制の聖域で、ノロ(神女)たちが御嶽を遙拝したり、オモロ(神歌)を謡ったり、神酒のふるまいを受けたりした場所だそうです。
    因みに、ノロとは神の波動を感じて神とコミュニケーションがとれるシャーマンで、村の神事祭祀を司りました。

  • 琉球村 神アシャギ<br />『琉球国由来記』(1713年)には「神アシアゲ」と記され、今でもこうした神アシャギのある村を「古層の村」と呼んでいます。神を招く神聖な場所だけでなく、ムラ・シマの貢租(穀物)を集積する施設としても使用されました。軒の低い構造になっているのは、穀物を集積する際に牛や馬が首を突っ込まないようにするためであり、屈まないと御神体が見えないことから、自然と腰を落として神に敬意を払うためとも伝えられています。<br />古来の茅葺屋根の建物から、近年では赤瓦やコンクリート造りへと変遷を辿っています。

    琉球村 神アシャギ
    『琉球国由来記』(1713年)には「神アシアゲ」と記され、今でもこうした神アシャギのある村を「古層の村」と呼んでいます。神を招く神聖な場所だけでなく、ムラ・シマの貢租(穀物)を集積する施設としても使用されました。軒の低い構造になっているのは、穀物を集積する際に牛や馬が首を突っ込まないようにするためであり、屈まないと御神体が見えないことから、自然と腰を落として神に敬意を払うためとも伝えられています。
    古来の茅葺屋根の建物から、近年では赤瓦やコンクリート造りへと変遷を辿っています。

  • 琉球村 旧花城家<br />久米島仲里村から移築された築120年以上の古民家で、明治時代の沖縄の一般的な建物です。<br />ここではカラフルな色使いの紅型(びんがた)や琉球藍染めの他、沖縄の三線(三味線)の体験ができます。<br /><br />

    琉球村 旧花城家
    久米島仲里村から移築された築120年以上の古民家で、明治時代の沖縄の一般的な建物です。
    ここではカラフルな色使いの紅型(びんがた)や琉球藍染めの他、沖縄の三線(三味線)の体験ができます。

  • 琉球村 旧花城家<br />裏手に回ると、このような昔ながらの機織り機が置かれ、織物教室が開かれています。<br />沖縄本島の織物には芭蕉布(ばしょうふ)や読谷山花織(よみたんざんはなおり)、 首里織(しゅりおり)、南風原(はえばる) の絣(かすり)などがあり、王国時代は貢布(人頭税)や自家用として女性たちの手で織られていました。<br />紅型は、琉球王国時代から続く沖縄の代表的な染物です。東南アジアや中国、日本の影響を受けながら、沖縄の自然・風土を取り込み、色鮮やかな染物として発展してきた伝統工芸です。王府の庇護の下、王族衣裳をはじめ琉球舞踊や組踊りにも取り入れられました。最大の魅力は、南国的な色彩と艶やかな模様です。小刀で細かく彫った型紙を用いて染色するという技法により、鮮やかな色が表現されます。

    琉球村 旧花城家
    裏手に回ると、このような昔ながらの機織り機が置かれ、織物教室が開かれています。
    沖縄本島の織物には芭蕉布(ばしょうふ)や読谷山花織(よみたんざんはなおり)、 首里織(しゅりおり)、南風原(はえばる) の絣(かすり)などがあり、王国時代は貢布(人頭税)や自家用として女性たちの手で織られていました。
    紅型は、琉球王国時代から続く沖縄の代表的な染物です。東南アジアや中国、日本の影響を受けながら、沖縄の自然・風土を取り込み、色鮮やかな染物として発展してきた伝統工芸です。王府の庇護の下、王族衣裳をはじめ琉球舞踊や組踊りにも取り入れられました。最大の魅力は、南国的な色彩と艶やかな模様です。小刀で細かく彫った型紙を用いて染色するという技法により、鮮やかな色が表現されます。

  • 琉球村 旧花城家<br />軒が低いので、よく観ると泥土が塗り込まれているのが判ります。<br />

    琉球村 旧花城家
    軒が低いので、よく観ると泥土が塗り込まれているのが判ります。

  • 琉球村 石敢當<br />余談ですが、1959年(昭和33年)9月15日、宮古島を襲った台風14号は、死者47人、行方不明52人を出し、島の7割の家屋を破壊しました。その記憶を宮古島から遠く離れた川崎市に見ることができます。JR川崎駅東口改札前にある「石敢當」には、次のようなドラマが刻まれています。<br />宮古島特産の名石トラパーチンの裏側には、初代川崎市長 金刺不二太郎氏の名と昭和45年9月1日の日付と共に「石敢當の由来」が刻まれています。台風の翌年、沖縄出身者が多く住む川崎市で宮古災害救援の大運動が起き、全戸10円以上の市ぐるみのカンパや街頭募金で約358万円を集め、宮古島に約1万ドルを贈りました。そして宮古島は返礼にこの「石敢當」を贈ったのです。しかし、石碑には「昭和41年の台風」と刻まれています。それは第2次宮古島台風のことです。このことから、川崎市には、繰り返し被災地に支援を続けるという「絆」が存在したことが窺われます。<br />嵐の爪痕を修復したのははるか遠い地からの助け合いの心「絆」だったことを、物言わぬ「石敢當」が教えてくれています。

    琉球村 石敢當
    余談ですが、1959年(昭和33年)9月15日、宮古島を襲った台風14号は、死者47人、行方不明52人を出し、島の7割の家屋を破壊しました。その記憶を宮古島から遠く離れた川崎市に見ることができます。JR川崎駅東口改札前にある「石敢當」には、次のようなドラマが刻まれています。
    宮古島特産の名石トラパーチンの裏側には、初代川崎市長 金刺不二太郎氏の名と昭和45年9月1日の日付と共に「石敢當の由来」が刻まれています。台風の翌年、沖縄出身者が多く住む川崎市で宮古災害救援の大運動が起き、全戸10円以上の市ぐるみのカンパや街頭募金で約358万円を集め、宮古島に約1万ドルを贈りました。そして宮古島は返礼にこの「石敢當」を贈ったのです。しかし、石碑には「昭和41年の台風」と刻まれています。それは第2次宮古島台風のことです。このことから、川崎市には、繰り返し被災地に支援を続けるという「絆」が存在したことが窺われます。
    嵐の爪痕を修復したのははるか遠い地からの助け合いの心「絆」だったことを、物言わぬ「石敢當」が教えてくれています。

  • 琉球村 旧西石垣家(国登録有形文化財)<br />1903年に建てられたもので、石垣発祥の地と言われる最高の聖所「宮島御嶽」の神職を代々務めたツカサ(神女)の住居を西石垣家が昭和30年代に購入して自宅としたものです。<br />平面形式が正方形に近く、用途によって間仕切りを変えることができるのが特徴です。

    琉球村 旧西石垣家(国登録有形文化財)
    1903年に建てられたもので、石垣発祥の地と言われる最高の聖所「宮島御嶽」の神職を代々務めたツカサ(神女)の住居を西石垣家が昭和30年代に購入して自宅としたものです。
    平面形式が正方形に近く、用途によって間仕切りを変えることができるのが特徴です。

  • 琉球村 旧西石垣家<br />人が庭にまで溢れているのでさぞ人気のある家屋かと思いきや、島唄のライブ中でした。<br />ここの屋根裏は全部板張りです。こうした構造の違いに時代の変遷が感じられます。梁の構造も他の琉球古民家とは異なり、入れ子構造のようになっており、鳥居のように至る所に楔が打ち込まれています。

    琉球村 旧西石垣家
    人が庭にまで溢れているのでさぞ人気のある家屋かと思いきや、島唄のライブ中でした。
    ここの屋根裏は全部板張りです。こうした構造の違いに時代の変遷が感じられます。梁の構造も他の琉球古民家とは異なり、入れ子構造のようになっており、鳥居のように至る所に楔が打ち込まれています。

  • 琉球村 旧島袋家 高倉(国登録有形文化財)<br />美しい白い道が印象的な風景です。その白に対比するのが石垣の黒です。こうして南国の太陽の下、鮮やかなコントラストの妙が生まれます。石垣は、珊瑚が堆積してできた琉球石灰岩を積み上げたものです。<br />この石垣の積み方は、野面積(のづらづみ)と言い、外側と内側と両側に大きな石を積み上げ、石と石の間に割栗石と言う小さい石が詰めてあります。割栗石は楔のような働きをし、セメントを使わなくても大丈夫な石垣になります。また、排水にも優れています。<br />更には、石積みには住人の想いが込められています。キーワードは「うつぐみ=助け合い」です。この石垣も大きい石と小さい石、それぞれの立場で「うつぐみ」し合っています。台風襲来の多い沖縄では、村の人々が協力し合って暮らしてきました。石垣にはそうした人知と住人の精神が宿っています。

    琉球村 旧島袋家 高倉(国登録有形文化財)
    美しい白い道が印象的な風景です。その白に対比するのが石垣の黒です。こうして南国の太陽の下、鮮やかなコントラストの妙が生まれます。石垣は、珊瑚が堆積してできた琉球石灰岩を積み上げたものです。
    この石垣の積み方は、野面積(のづらづみ)と言い、外側と内側と両側に大きな石を積み上げ、石と石の間に割栗石と言う小さい石が詰めてあります。割栗石は楔のような働きをし、セメントを使わなくても大丈夫な石垣になります。また、排水にも優れています。
    更には、石積みには住人の想いが込められています。キーワードは「うつぐみ=助け合い」です。この石垣も大きい石と小さい石、それぞれの立場で「うつぐみ」し合っています。台風襲来の多い沖縄では、村の人々が協力し合って暮らしてきました。石垣にはそうした人知と住人の精神が宿っています。

  • 琉球村 旧島袋家 (国登録有形文化財)<br />1982年に名護市羽地より移築された、ほぼ原型を留めた築約130年になる屋号「枡取り屋」と言う豪農の家屋です。明治期に建てられた古民家で、住人は琉球王府の貢納穀類(往時に税金)の徴収を務めていました。<br /><br />赤瓦の屋根をより魅力的に見せるものが、シーサーです。中国の風水思想にある魔除けです。元々はエジプトのスフインクスや日本の狛犬、中国の石獅子なども同類で、ルーツは古代オリエントのライオンあるいは犬と考えられています。よく見ると魔除けなのにお茶目です。かわいらしいものやユニークなものまで多種多様です。元々は瓦を葺いた職人が赤瓦が飛ばないよう祈願して置いたものだとも言われ、度々起こる火事に悩まされていた集落で石造りのシーサーを奉ったところ、火災が起きなくなったことから広まったとも伝わります。ですから作った人の感性や遊び心が溢れたものになっています。<br />しかし、沖縄でこのように自宅の屋根に置くようになったのは、民家にも赤瓦の使用が許されるようになった明治時代以降だそうです。それまでは城門や寺社、王陵、村の入口などにしか安置されていなかったようです。

    琉球村 旧島袋家 (国登録有形文化財)
    1982年に名護市羽地より移築された、ほぼ原型を留めた築約130年になる屋号「枡取り屋」と言う豪農の家屋です。明治期に建てられた古民家で、住人は琉球王府の貢納穀類(往時に税金)の徴収を務めていました。

    赤瓦の屋根をより魅力的に見せるものが、シーサーです。中国の風水思想にある魔除けです。元々はエジプトのスフインクスや日本の狛犬、中国の石獅子なども同類で、ルーツは古代オリエントのライオンあるいは犬と考えられています。 よく見ると魔除けなのにお茶目です。かわいらしいものやユニークなものまで多種多様です。元々は瓦を葺いた職人が赤瓦が飛ばないよう祈願して置いたものだとも言われ、度々起こる火事に悩まされていた集落で石造りのシーサーを奉ったところ、火災が起きなくなったことから広まったとも伝わります。ですから作った人の感性や遊び心が溢れたものになっています。
    しかし、沖縄でこのように自宅の屋根に置くようになったのは、民家にも赤瓦の使用が許されるようになった明治時代以降だそうです。それまでは城門や寺社、王陵、村の入口などにしか安置されていなかったようです。

  • 琉球村 旧島袋家 高倉<br />ブーゲンビリアの花と高倉のコンビネーションがいい雰囲気を醸しています。<br />往時、種子や穀物などを貯蔵する倉が持てるのは富のシンボルとも言え、富裕農家特有のものでした。沖縄の倉には高倉と波照間島に見られる高床倉、地倉の3種あり、高倉は床を高く上げて通風を良くし、湿気を防ぐと共に水害やネズミ等による害獣から穀物を守っています。深い茅葺屋根には俗にネズミ返しと呼ばれる床の傾斜が見られ、奄美地方の高倉に近い形式だそうです。 <br />

    琉球村 旧島袋家 高倉
    ブーゲンビリアの花と高倉のコンビネーションがいい雰囲気を醸しています。
    往時、種子や穀物などを貯蔵する倉が持てるのは富のシンボルとも言え、富裕農家特有のものでした。沖縄の倉には高倉と波照間島に見られる高床倉、地倉の3種あり、高倉は床を高く上げて通風を良くし、湿気を防ぐと共に水害やネズミ等による害獣から穀物を守っています。深い茅葺屋根には俗にネズミ返しと呼ばれる床の傾斜が見られ、奄美地方の高倉に近い形式だそうです。

  • 琉球村 旧島袋家<br />屋根から一段突き出した部分は息道(イーチミー)と呼ばれる伝統工芸の換気口で、キッチンの真上に設けられています。<br />このようにして屋根裏を換気し、屋内の熱を天井から屋根へと逃がす生活の知恵が窺われます。こうした工夫により、亜熱帯気候に耐える生活が営なめたのでしょう。

    琉球村 旧島袋家
    屋根から一段突き出した部分は息道(イーチミー)と呼ばれる伝統工芸の換気口で、キッチンの真上に設けられています。
    このようにして屋根裏を換気し、屋内の熱を天井から屋根へと逃がす生活の知恵が窺われます。こうした工夫により、亜熱帯気候に耐える生活が営なめたのでしょう。

  • 琉球村 旧島袋家<br />土間と三番座を家屋の左端から写したものです。<br />四周にはイヌマキの柱に支持された雨端を廻し、沖縄の伝統的古民家の形式と言えます。<br />また、このようにあちこちに瓶が置かれていますが、水不足に備えて雨水を溜めるためのものです。

    琉球村 旧島袋家
    土間と三番座を家屋の左端から写したものです。
    四周にはイヌマキの柱に支持された雨端を廻し、沖縄の伝統的古民家の形式と言えます。
    また、このようにあちこちに瓶が置かれていますが、水不足に備えて雨水を溜めるためのものです。

  • 琉球村 旧島袋家<br />土間から、三番座〜一番座を眺めるとこんな雰囲気で開放感に満ちています。<br />室内は丁度いい渋さの黒色に燻され、どっしりと構えた威厳に満ちた雰囲気を醸しています。<br />旧島袋家は、琉球建国の祖神アマミキヨに関わる家柄と伝えられ、代々聖地の管理を務め、一番座に聖石を祀るための床の間を設けているのが特徴です。

    琉球村 旧島袋家
    土間から、三番座〜一番座を眺めるとこんな雰囲気で開放感に満ちています。
    室内は丁度いい渋さの黒色に燻され、どっしりと構えた威厳に満ちた雰囲気を醸しています。
    旧島袋家は、琉球建国の祖神アマミキヨに関わる家柄と伝えられ、代々聖地の管理を務め、一番座に聖石を祀るための床の間を設けているのが特徴です。

  • 琉球村 旧島袋家 竈(かまど)<br />土間の大きさが他の古民家より大きくなっているのが印象的です。<br />このように「火の神」が竈(かまど)の上に祀られているのが琉球古民家のキッチンの特徴です。沖縄では「火ぬ神(ひぬかん)」と呼ばれています。火ぬ神は、家の守護神、火食の神様、また他の神々へのお通し神と言われています。<br />元々は極楽浄土(ニライカナイ)を遥拝していたそうですが、中国の道教の竈神と融合てし沖縄固有の信仰となったようです。

    琉球村 旧島袋家 竈(かまど)
    土間の大きさが他の古民家より大きくなっているのが印象的です。
    このように「火の神」が竈(かまど)の上に祀られているのが琉球古民家のキッチンの特徴です。沖縄では「火ぬ神(ひぬかん)」と呼ばれています。火ぬ神は、家の守護神、火食の神様、また他の神々へのお通し神と言われています。
    元々は極楽浄土(ニライカナイ)を遥拝していたそうですが、中国の道教の竈神と融合てし沖縄固有の信仰となったようです。

  • 琉球村 舟舞台<br />池の上に2隻の琉球伝統の手漕ぎ式漁船(サバニ:鱶舟)を使った舟舞台が浮かべられています。<br />かつて琉球の漁師たちは、このサバニに乗って遥か海の彼方まで出かけて漁をしたそうです。<br />海路の有効な交通手段でもあったのでしょう。

    琉球村 舟舞台
    池の上に2隻の琉球伝統の手漕ぎ式漁船(サバニ:鱶舟)を使った舟舞台が浮かべられています。
    かつて琉球の漁師たちは、このサバニに乗って遥か海の彼方まで出かけて漁をしたそうです。
    海路の有効な交通手段でもあったのでしょう。

  • 琉球村 旧比嘉家(国登録有形文化財)<br />1982年に玉城村百名から移築した、築約130年になる沖縄の稲作発祥地「受水走水(うきんじゅはいんじゅ)」の領主を兼ねた地主の旧家です。<br />比嘉家は、琉球王国時代から500年以上も続く名家だそうです。<br /><br />余談ですが、「受水走水」を判り易く言えば「沖縄の稲作発祥の地」なのですが、『琉球国由来記』によると、ヤハラヅカサにアマミキヨがニライカナイ(海の彼方の理想国)から稲の種子を持って上陸し、浜川御嶽で仮住まいし、この受水走水で稲作を始めたことに由来すると記されています。<br />また、他の伝説によると、稲穂をくわえた鶴が暴風雨に遭って新原(みーばる)村のカラウカハに落ちて死んだが、種子は発芽し、アマミツによって受水走水の水田(御穂田:みふーだ)に移植されたと伝わっています。<br />旅行記の①西海岸エリアで紹介したように、日本本土の稲作は沖縄から伝わったことが最新の研究により判明しています。であれば、「受水走水」は「日本の稲作の発祥の地」に格上げされてもよいのではないでしょうか?<br /><br />①西海岸エリアの稲作伝来の説明は、次を参照ください。<br />http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=37659398

    琉球村 旧比嘉家(国登録有形文化財)
    1982年に玉城村百名から移築した、築約130年になる沖縄の稲作発祥地「受水走水(うきんじゅはいんじゅ)」の領主を兼ねた地主の旧家です。
    比嘉家は、琉球王国時代から500年以上も続く名家だそうです。

    余談ですが、「受水走水」を判り易く言えば「沖縄の稲作発祥の地」なのですが、『琉球国由来記』によると、ヤハラヅカサにアマミキヨがニライカナイ(海の彼方の理想国)から稲の種子を持って上陸し、浜川御嶽で仮住まいし、この受水走水で稲作を始めたことに由来すると記されています。
    また、他の伝説によると、稲穂をくわえた鶴が暴風雨に遭って新原(みーばる)村のカラウカハに落ちて死んだが、種子は発芽し、アマミツによって受水走水の水田(御穂田:みふーだ)に移植されたと伝わっています。
    旅行記の①西海岸エリアで紹介したように、日本本土の稲作は沖縄から伝わったことが最新の研究により判明しています。であれば、「受水走水」は「日本の稲作の発祥の地」に格上げされてもよいのではないでしょうか?

    ①西海岸エリアの稲作伝来の説明は、次を参照ください。
    http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=37659398

  • 琉球村 旧比嘉家<br />天井には天井板が張られています。<br />往時の国王も訪れていたという由緒ある旧家だそうで、一番座の床の間の高さが一般的な家屋より高く造られ、ここに聖石が置かれていたそうです。<br />因みに、この古民家はNHKドラマや映画『テンペスト』のロケ地ともなりました。<br />

    琉球村 旧比嘉家
    天井には天井板が張られています。
    往時の国王も訪れていたという由緒ある旧家だそうで、一番座の床の間の高さが一般的な家屋より高く造られ、ここに聖石が置かれていたそうです。
    因みに、この古民家はNHKドラマや映画『テンペスト』のロケ地ともなりました。

  • 琉球村 旧大城家(国登録有形文化財)<br />1982年に糸満市兼城より移築された、築200年以上になる旧家です。<br />琉球王府の大臣職を務めた与那原親方の邸宅だったものを大城家が購入したものです。

    琉球村 旧大城家(国登録有形文化財)
    1982年に糸満市兼城より移築された、築200年以上になる旧家です。
    琉球王府の大臣職を務めた与那原親方の邸宅だったものを大城家が購入したものです。

  • 琉球村 旧大城家<br />重厚な2重になった赤瓦の屋根と、くねくねと曲がったチャーギの対比が印象的です。<br />東面とこの南面の雨端が土庇状になっているのが家屋の特徴だそうです。確か、旧仲宗根家も同じ構成だったと思います。築200年以上の琉球古民家の特徴ということなのでしょう。

    琉球村 旧大城家
    重厚な2重になった赤瓦の屋根と、くねくねと曲がったチャーギの対比が印象的です。
    東面とこの南面の雨端が土庇状になっているのが家屋の特徴だそうです。確か、旧仲宗根家も同じ構成だったと思います。築200年以上の琉球古民家の特徴ということなのでしょう。

  • 琉球村 旧大城家<br />琉球村に流れる風は、とてもゆるやかで心地のよいものです。<br />のんびりペースのウチナータイムはことさら有名ですが、古の風土に裏打ちされたものだそうですので、この際、琉球の風にとことん吹かれてみようではありませんか!

    琉球村 旧大城家
    琉球村に流れる風は、とてもゆるやかで心地のよいものです。
    のんびりペースのウチナータイムはことさら有名ですが、古の風土に裏打ちされたものだそうですので、この際、琉球の風にとことん吹かれてみようではありませんか!

  • 琉球村 旧大城家 一番座<br />床の間の造りが独特なスタイルになっています。<br />また、天井は天井板で覆われています。これは同年代に建てられた旧仲宗根家とは異なる特徴です。後世に追加されたものなのでしょうか?

    琉球村 旧大城家 一番座
    床の間の造りが独特なスタイルになっています。
    また、天井は天井板で覆われています。これは同年代に建てられた旧仲宗根家とは異なる特徴です。後世に追加されたものなのでしょうか?

  • 琉球村 旧大城家 二番座<br />この仏間も天井板が張られています。<br />鴨居などの柱は随分太いものが使われ、がっしりした印象です。

    琉球村 旧大城家 二番座
    この仏間も天井板が張られています。
    鴨居などの柱は随分太いものが使われ、がっしりした印象です。

  • 琉球村 旧大城家<br />一番座から土間方向を見渡すとこんな感じです。<br />この琉球村の建物としては、古株ですが一番しっかりとした造りになっていると思います。<br />王府の大臣職の家屋としての片鱗が随所に見られます。

    琉球村 旧大城家
    一番座から土間方向を見渡すとこんな感じです。
    この琉球村の建物としては、古株ですが一番しっかりとした造りになっていると思います。
    王府の大臣職の家屋としての片鱗が随所に見られます。

  • 琉球村 旧大城家<br />沖縄やハワイでよく見かけるのがハイビスカスの髪飾り。しかし、付ける位置によってそれぞれ意味が違うそうです。<br />右側が「未婚者」で左側が「未婚者」。後側が「娼婦」。最近は頭のてっぺんに付ける方も多いのですが、これには2つの意味があります。ひとつは、「恋人募集中」。もうひとつは、「私はバカ」です。<br />本人の意思はどうあれ、解釈するのは他人ですから、「恋人募集中のバカ」と思われないように留意なさってください。

    琉球村 旧大城家
    沖縄やハワイでよく見かけるのがハイビスカスの髪飾り。しかし、付ける位置によってそれぞれ意味が違うそうです。
    右側が「未婚者」で左側が「未婚者」。後側が「娼婦」。最近は頭のてっぺんに付ける方も多いのですが、これには2つの意味があります。ひとつは、「恋人募集中」。もうひとつは、「私はバカ」です。
    本人の意思はどうあれ、解釈するのは他人ですから、「恋人募集中のバカ」と思われないように留意なさってください。

  • 琉球村 旧大城家<br />もうひとつインパクトがあるのは、家の上座付近に鎮座するシーサーたちです。<br />背後に何層にも積み上げられた赤瓦塀が「いいアクセント」になり、往時の風情を醸しています。

    琉球村 旧大城家
    もうひとつインパクトがあるのは、家の上座付近に鎮座するシーサーたちです。
    背後に何層にも積み上げられた赤瓦塀が「いいアクセント」になり、往時の風情を醸しています。

  • 琉球村 登り窯<br />沖縄の郷土品として名高いやちむん(焼き物)の登り窯跡です。<br />全国的にも珍しい大型の登り窯だそうです。

    琉球村 登り窯
    沖縄の郷土品として名高いやちむん(焼き物)の登り窯跡です。
    全国的にも珍しい大型の登り窯だそうです。

  • 琉球村 登り窯<br />かなり崩れてきているように思えます。<br />修理が必要かも?

    琉球村 登り窯
    かなり崩れてきているように思えます。
    修理が必要かも?

  • 琉球村 シーサー<br />泡盛用の壷には砂が満たされ、その上に佇むのは、のどチンコが見えるくらいに大きな口を開けたひょうきんなシーサーです。<br />こんなシーサーで魔除けの効果が期待できるのかと疑いたくなるような作品が勢ぞろいです。作者のオリジナリティが溢れ、遊び心満点の作品群をお見逃しなく!<br />ひょっとしたら、こうしたシーサーは魔物を脅すためのものではなく、気持ちを和らげて大人しく退散してもらうためのハイテクなのかもしれないと勘ぐってしまいます。

    琉球村 シーサー
    泡盛用の壷には砂が満たされ、その上に佇むのは、のどチンコが見えるくらいに大きな口を開けたひょうきんなシーサーです。
    こんなシーサーで魔除けの効果が期待できるのかと疑いたくなるような作品が勢ぞろいです。作者のオリジナリティが溢れ、遊び心満点の作品群をお見逃しなく!
    ひょっとしたら、こうしたシーサーは魔物を脅すためのものではなく、気持ちを和らげて大人しく退散してもらうためのハイテクなのかもしれないと勘ぐってしまいます。

  • 琉球村 陶芸工房(ヤチムン屋)<br />沖縄の赤土粘土を使い、ロクロを使った湯呑や手捻りのシーサーや器作りが体験できる工房です。<br />因みに、シーサーの材料は赤瓦と同じです。赤瓦を作る過程で割れたり欠けたりしたものをリサイクルし、環境にも配慮されています。<br />

    琉球村 陶芸工房(ヤチムン屋)
    沖縄の赤土粘土を使い、ロクロを使った湯呑や手捻りのシーサーや器作りが体験できる工房です。
    因みに、シーサーの材料は赤瓦と同じです。赤瓦を作る過程で割れたり欠けたりしたものをリサイクルし、環境にも配慮されています。

  • 琉球村 陶芸工房(ヤチムン屋)<br />工房の屋根の上には、漫画チックでユーモラスなシーサーが沢山鎮座しています。<br />その中で一番のお気に入りの作品です。<br />作者の方の名前も記されています。<br />自分のお気に入りの1品を見つけてみてください。

    琉球村 陶芸工房(ヤチムン屋)
    工房の屋根の上には、漫画チックでユーモラスなシーサーが沢山鎮座しています。
    その中で一番のお気に入りの作品です。
    作者の方の名前も記されています。
    自分のお気に入りの1品を見つけてみてください。

  • 琉球村 陶芸工房(ヤチムン屋)<br />頭が壺から抜けなくなったシーサー???<br />酔っ払って泡盛の酒壺に頭からダイブしてしまったのでしょうか?<br />こうした自由な発想ができるのがシーサーの愉しいところですね!

    琉球村 陶芸工房(ヤチムン屋)
    頭が壺から抜けなくなったシーサー???
    酔っ払って泡盛の酒壺に頭からダイブしてしまったのでしょうか?
    こうした自由な発想ができるのがシーサーの愉しいところですね!

  • 琉球村 陶芸工房(ヤチムン屋)<br />筋骨隆々のマッチョな守護神的なシーサーです。<br />穂高神社で見た小川大系氏がデザインした狛犬を思い出させます。<br />神社に安置される狛犬はその姿形にさほどアレンジは見られませんが、シーサーは形や表情、色彩が千差万別で見ていて飽きることがありませんね!中にはかなりデフォルメされたシーサーもあるような…。<br /><br />穂高神社の狛犬については次を参照ください。<br />http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=35634937

    琉球村 陶芸工房(ヤチムン屋)
    筋骨隆々のマッチョな守護神的なシーサーです。
    穂高神社で見た小川大系氏がデザインした狛犬を思い出させます。
    神社に安置される狛犬はその姿形にさほどアレンジは見られませんが、シーサーは形や表情、色彩が千差万別で見ていて飽きることがありませんね!中にはかなりデフォルメされたシーサーもあるような…。

    穂高神社の狛犬については次を参照ください。
    http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=35634937

  • 琉球村 陶芸工房(ヤチムン屋)<br />こうしたユーモラスなシーサーも工房内に展示され、訪れる人たちをなごませてくれます。

    琉球村 陶芸工房(ヤチムン屋)
    こうしたユーモラスなシーサーも工房内に展示され、訪れる人たちをなごませてくれます。

  • 琉球村 セーターヤー<br />琉球村のシンボル的存在の製糖工場なのですが、生憎水牛はお食事タイム中でした。<br />ここでは日本唯一の水牛によるセーターヤーと呼ばれる製糖工場が見られます。大正末期〜昭和初期の製糖方法とされ、水牛が砂糖車(サーターグルマ)で歯車を回し、歯車と歯車の間にサトウキビを差し込んで搾る姿を想像するとほのぼの&ホッコリした気分になります。<br />搾り汁を煮詰めて固めると黒砂糖ができあがります。黒砂糖は、お茶うけとして沖縄では昔から食され、甘みがあり、ミネラルやビタミンB1、B2などが豊富に含まれたアルカリ性健康食品(純黒砂糖のみ)ですので、糖尿病を患っておられる方でも食べられるそうです。

    琉球村 セーターヤー
    琉球村のシンボル的存在の製糖工場なのですが、生憎水牛はお食事タイム中でした。
    ここでは日本唯一の水牛によるセーターヤーと呼ばれる製糖工場が見られます。大正末期〜昭和初期の製糖方法とされ、水牛が砂糖車(サーターグルマ)で歯車を回し、歯車と歯車の間にサトウキビを差し込んで搾る姿を想像するとほのぼの&ホッコリした気分になります。
    搾り汁を煮詰めて固めると黒砂糖ができあがります。黒砂糖は、お茶うけとして沖縄では昔から食され、甘みがあり、ミネラルやビタミンB1、B2などが豊富に含まれたアルカリ性健康食品(純黒砂糖のみ)ですので、糖尿病を患っておられる方でも食べられるそうです。

  • 琉球村 セーターヤー 水牛<br />ウシ科の哺乳類。茅などの草を好んで食べます。野生のアフリカ水牛と農耕に用いるインドやアジア水牛に分けられ、体長2.5m、体重700kgにもなります。特徴は半円形の大きな角。皮膚には汗腺がないため、時々水浴びする必要があります。ですから時々ホースで水をかけてもらっている姿が見られます。台湾からの移民により、1933年に石垣島に持ち込まれたのが始まりです。おとなしい性格で飼いならし易く、石垣島等では湿田作業に不可欠な動物です。<br />現在、沖縄で水牛が見られるのは、琉球村とビオスの丘、備瀬、離島部の一部の計7頭だけだそうですので、ここにいる2頭は貴重な存在です。

    琉球村 セーターヤー 水牛
    ウシ科の哺乳類。茅などの草を好んで食べます。野生のアフリカ水牛と農耕に用いるインドやアジア水牛に分けられ、体長2.5m、体重700kgにもなります。特徴は半円形の大きな角。皮膚には汗腺がないため、時々水浴びする必要があります。ですから時々ホースで水をかけてもらっている姿が見られます。台湾からの移民により、1933年に石垣島に持ち込まれたのが始まりです。おとなしい性格で飼いならし易く、石垣島等では湿田作業に不可欠な動物です。
    現在、沖縄で水牛が見られるのは、琉球村とビオスの丘、備瀬、離島部の一部の計7頭だけだそうですので、ここにいる2頭は貴重な存在です。

  • 琉球村 水車小屋<br />製糖工場の横にあるのが水車小屋です。落下する水の勢いで水車を回し、臼と杵で穀物を潰す仕組みです。<br /><br />ところで、水車の柵の上に留まっているのは2羽の鳩です。本土では全く珍しくない鳩ですが、今回の沖縄旅行では初めての遭遇となりました。<br />ひょっとすると、貴重な写真なのかも知れません。

    琉球村 水車小屋
    製糖工場の横にあるのが水車小屋です。落下する水の勢いで水車を回し、臼と杵で穀物を潰す仕組みです。

    ところで、水車の柵の上に留まっているのは2羽の鳩です。本土では全く珍しくない鳩ですが、今回の沖縄旅行では初めての遭遇となりました。
    ひょっとすると、貴重な写真なのかも知れません。

  • 琉球村 旧大城家<br />石垣の上に赤瓦を重ねた趣のある赤瓦塀です。旧大城家のところで紹介した、シーサーの裏側に当たります。<br />右にあるパイナップルのような実を沢山付けた木は「アダン」です。<br />地面に落ちたアダンの実をヤドカリが食べるらしいのですが、ヤシガニもアダンが大好物だそうです。<br /><br />アダンの説明は次を参照してください。<br />http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=37659637<br />http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=37660043

    琉球村 旧大城家
    石垣の上に赤瓦を重ねた趣のある赤瓦塀です。旧大城家のところで紹介した、シーサーの裏側に当たります。
    右にあるパイナップルのような実を沢山付けた木は「アダン」です。
    地面に落ちたアダンの実をヤドカリが食べるらしいのですが、ヤシガニもアダンが大好物だそうです。

    アダンの説明は次を参照してください。
    http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=37659637
    http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=37660043

  • 琉球村 出口<br />沖縄特有のゆったりした時間のせいでしょうか、あっと言う間に時間が経ってしまいました。<br />音と共に息づくという琉球文化の象徴の「民謡ショー」や「エイサー演舞」を愉しむことは時間の制約で叶いませんでしたが、琉球古民家に込められた沖縄独自の建築技術の一端を垣間見ることができました。こうした英知の結晶である伝統技術を受け継ぎながら、新しいものに反映して行ければよいですね!

    琉球村 出口
    沖縄特有のゆったりした時間のせいでしょうか、あっと言う間に時間が経ってしまいました。
    音と共に息づくという琉球文化の象徴の「民謡ショー」や「エイサー演舞」を愉しむことは時間の制約で叶いませんでしたが、琉球古民家に込められた沖縄独自の建築技術の一端を垣間見ることができました。こうした英知の結晶である伝統技術を受け継ぎながら、新しいものに反映して行ければよいですね!

  • (株)沖縄黒糖<br />琉球村のすぐ近所ですが、途中、ショッピングも兼ねて読谷村にある黒糖工場へ寄ってもらえました。ここでは黒糖ができるまでを工場見学できます。<br />サンプルとして提供された黒糖を味見すれば、本日の疲れがすっかり取れます。<br /><br />T添乗員さん(実際はJ社)からお土産にいただいたここの「黒糖かりんとう」は、甘さ控えめで美味しかったです。

    (株)沖縄黒糖
    琉球村のすぐ近所ですが、途中、ショッピングも兼ねて読谷村にある黒糖工場へ寄ってもらえました。ここでは黒糖ができるまでを工場見学できます。
    サンプルとして提供された黒糖を味見すれば、本日の疲れがすっかり取れます。

    T添乗員さん(実際はJ社)からお土産にいただいたここの「黒糖かりんとう」は、甘さ控えめで美味しかったです。

  • (株)沖縄黒糖<br />ショップの庭先には黄色のハイビスカスが咲いていました。<br />さっそく花弁の中心を覗いてみると、やはり赤く染まっていました。<br />伝説の通りですね!<br /><br />ハイビスカスの伝説は、ここを参照してください。<br />http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=37660143

    (株)沖縄黒糖
    ショップの庭先には黄色のハイビスカスが咲いていました。
    さっそく花弁の中心を覗いてみると、やはり赤く染まっていました。
    伝説の通りですね!

    ハイビスカスの伝説は、ここを参照してください。
    http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=37660143

  • 嘉手納基地<br />嘉手納基地は、沖縄県中頭郡嘉手納町・沖縄市・中頭郡北谷町にまたがる米空軍の基地です。全長3700mの滑走路2本を擁し、F15戦闘機やKC135空中給油機、海軍のP3C哨戒機など約100機が常駐する極東最大の空軍基地かつ在日空軍最大の基地です。スティルス戦闘機F−22ラプターも時々見かけるそうです。<br />元々日本陸軍の飛行場であり、敷地内には女子挺身隊員20人の集団自決跡があるそうです。嘉手納町の83%はこの基地と嘉手納弾薬庫が占有しています。<br />ごらんのようにF−15C戦闘機などを日常的に目にすることができ、「沖縄の戦後はまだ終わっていない」ことを実感できます。<br /><br />余談ですが、2012年に週刊現代が「日本の大金持ち1000人」として高額所得者ベスト30(西日本編)を特集しました。1位は竹野一郎氏=沖縄土地住宅会長で約20億円。<br />竹野氏は、日本最大級の地主として知る人ぞ知る存在で、米軍嘉手納基地の敷地内に110万坪の土地を所有し、所得のほとんどは防衛施設庁から支払われる賃料だそうです(米軍が支払っている訳ではありません)。<br />元々は製糖業を営んでおられたようですが、戦後、サトウキビ畑が基地に転用されて今日に至っています。<br />「瓢箪から駒」というか、「青天の霹靂」というか、仰天すべき現実だったのでしょうが、竹野氏にとってはなすすべもなく借り上げられてしまったのでしょうね?<br />しかし、賃料は、我々が支払った血税でもあります。沖縄のため、困っている方々のために有効に使っていただきたいですね!<br />因みに、竹野氏は、東日本大震災では1億円の義援金を寄付されています。

    嘉手納基地
    嘉手納基地は、沖縄県中頭郡嘉手納町・沖縄市・中頭郡北谷町にまたがる米空軍の基地です。全長3700mの滑走路2本を擁し、F15戦闘機やKC135空中給油機、海軍のP3C哨戒機など約100機が常駐する極東最大の空軍基地かつ在日空軍最大の基地です。スティルス戦闘機F−22ラプターも時々見かけるそうです。
    元々日本陸軍の飛行場であり、敷地内には女子挺身隊員20人の集団自決跡があるそうです。嘉手納町の83%はこの基地と嘉手納弾薬庫が占有しています。
    ごらんのようにF−15C戦闘機などを日常的に目にすることができ、「沖縄の戦後はまだ終わっていない」ことを実感できます。

    余談ですが、2012年に週刊現代が「日本の大金持ち1000人」として高額所得者ベスト30(西日本編)を特集しました。1位は竹野一郎氏=沖縄土地住宅会長で約20億円。
    竹野氏は、日本最大級の地主として知る人ぞ知る存在で、米軍嘉手納基地の敷地内に110万坪の土地を所有し、所得のほとんどは防衛施設庁から支払われる賃料だそうです(米軍が支払っている訳ではありません)。
    元々は製糖業を営んでおられたようですが、戦後、サトウキビ畑が基地に転用されて今日に至っています。
    「瓢箪から駒」というか、「青天の霹靂」というか、仰天すべき現実だったのでしょうが、竹野氏にとってはなすすべもなく借り上げられてしまったのでしょうね?
    しかし、賃料は、我々が支払った血税でもあります。沖縄のため、困っている方々のために有効に使っていただきたいですね!
    因みに、竹野氏は、東日本大震災では1億円の義援金を寄付されています。

  • 黒糖サーターアンダギー<br />往きの飛行機内でいただいた冊子を見せ、琉球村でいただいた「おばぁ」手作りの黒糖サーターアンダギーです。スタッフまでこの特典情報が行き届いていないのか、たらい回しにされましたが、なんとか根性でGETできました。<br />表面に砂糖がまぶされていない分、甘さ控え目で美味しかったです。<br /><br />サーターアンダギーは、琉球村沖縄の老若男女に人気の伝統的なお菓子です。味はプレーン、黒糖、紅芋やウコン、かぼちゃなどと多彩です。<br />因みに、名前の由来は、「サーター」は砂糖、「アンダギー」は揚げ物ということです。分かり易く言うなら、沖縄風ドーナツでしょうか?

    黒糖サーターアンダギー
    往きの飛行機内でいただいた冊子を見せ、琉球村でいただいた「おばぁ」手作りの黒糖サーターアンダギーです。スタッフまでこの特典情報が行き届いていないのか、たらい回しにされましたが、なんとか根性でGETできました。
    表面に砂糖がまぶされていない分、甘さ控え目で美味しかったです。

    サーターアンダギーは、琉球村沖縄の老若男女に人気の伝統的なお菓子です。味はプレーン、黒糖、紅芋やウコン、かぼちゃなどと多彩です。
    因みに、名前の由来は、「サーター」は砂糖、「アンダギー」は揚げ物ということです。分かり易く言うなら、沖縄風ドーナツでしょうか?

  • ロワジールホテル那覇<br />お世話になったホテルの部屋から望むベイビューです。那覇市内にありながら海に面した抜群のロケーションです。また、今年の読売巨人軍の沖縄キャンプ宿泊先でもありました。<br />プールは森英恵さんがデザインした蝶をイメージした造波プールで有名だそうです。また、地下800mから41℃の温泉を汲み上げる「三重城温泉」も魅力のひとつです。旅の疲れを癒せる、ありがたいおもてなしです。源泉掛け流しで、特に泉質が日本では珍しいタイプです。含ヨウ素、ナトリウム、塩化物泉で、約800万年前の化石海水が地熱で温められたものだそうです。ですから、北海道〜九州までの本土の温泉の多くを占める火山性の温泉とは、成分が全く異なります。無臭で透明な温泉は、化石海水である塩分を含み、しょっぱい味がします。肌に付着した塩分が汗の蒸発を防ぎ、保温&保湿効果は抜群です。<br />ありがたいことに、今回の宿泊には温泉券が付与されていました(バスガイドさんによると、T社はなかったそうです)。温泉には2つの浴槽がありますが、本土のように広くはありませんので期待は禁物です。そもそもシャワーで済ませるのが沖縄流ですから…。

    ロワジールホテル那覇
    お世話になったホテルの部屋から望むベイビューです。那覇市内にありながら海に面した抜群のロケーションです。また、今年の読売巨人軍の沖縄キャンプ宿泊先でもありました。
    プールは森英恵さんがデザインした蝶をイメージした造波プールで有名だそうです。また、地下800mから41℃の温泉を汲み上げる「三重城温泉」も魅力のひとつです。旅の疲れを癒せる、ありがたいおもてなしです。源泉掛け流しで、特に泉質が日本では珍しいタイプです。含ヨウ素、ナトリウム、塩化物泉で、約800万年前の化石海水が地熱で温められたものだそうです。ですから、北海道〜九州までの本土の温泉の多くを占める火山性の温泉とは、成分が全く異なります。無臭で透明な温泉は、化石海水である塩分を含み、しょっぱい味がします。肌に付着した塩分が汗の蒸発を防ぎ、保温&保湿効果は抜群です。
    ありがたいことに、今回の宿泊には温泉券が付与されていました(バスガイドさんによると、T社はなかったそうです)。温泉には2つの浴槽がありますが、本土のように広くはありませんので期待は禁物です。そもそもシャワーで済ませるのが沖縄流ですから…。

  • スーパー「タウンプラザ かねひで 西町店」<br />ホテルから2分足らずの至近距離にあるスーパーマーケットです。<br />バスガイドさんやT添乗員さん御用達とのことでしたので、冷やかしに行ってみました。ところが、お土産や地元の名産物が激安しかも種類が豊富。バスガイドさん曰く「牧志公設市場は観光地化が進んで以前のように安くない」とのこと。<br />「ミイラ取りがミイラになる」とは、こういうことなのでしょうね!結局、海ぶどう(150g=289円激安しかも美味)やポーク缶(チューリップ印ポークランチョンミートなど)、タコス&タコライスの素などを大量に買い込みました。<br />おかげで手荷物係の主人には睨まれてしまいましたが…。

    スーパー「タウンプラザ かねひで 西町店」
    ホテルから2分足らずの至近距離にあるスーパーマーケットです。
    バスガイドさんやT添乗員さん御用達とのことでしたので、冷やかしに行ってみました。ところが、お土産や地元の名産物が激安しかも種類が豊富。バスガイドさん曰く「牧志公設市場は観光地化が進んで以前のように安くない」とのこと。
    「ミイラ取りがミイラになる」とは、こういうことなのでしょうね!結局、海ぶどう(150g=289円激安しかも美味)やポーク缶(チューリップ印ポークランチョンミートなど)、タコス&タコライスの素などを大量に買い込みました。
    おかげで手荷物係の主人には睨まれてしまいましたが…。

  • スーパー「タウンプラザ かねひで 西町店」<br />ポークランチョンミートは、沖縄が本土復帰を果たした際に取り決められた「沖縄特別輸入割当品目」に該当し、特別に関税設定されているようです。<br /><br />ところで、ポークランチョンミートの2大巨頭と言えば「SPAM」と「TULIP(チューリップ)」です。それぞれの特徴を簡単にまとめてみました。どちらもこちらのスーパーでは本土の半値以下で売られています。<br />「SPAM」:終戦直後にアメリカから配給物資として提供されたことが普及のきっかけですが、近年、国内商社による本格的な国内販売に力を入れており、アメリカ直輸入品の入手可能な各地では比較的身近に手に入るようになり、本土での小売価格は500円前後。本社は米国にあります。<br />「TULIP」:戦後食糧難の頃の沖縄で米軍経由で広まりましたが、沖縄の家庭料理にはこちらのTULIPが一般的だそうです。実はポーク缶といえばTULIPしか知らなかった期間が長かったため、馴染みがあるようです。沖縄県人に言わせれば、「ゴーヤチャンプルーによく合うのはTULIP」だそうです。本土のアンテナショップや沖縄物産センターなどでも、300円代〜500円と幅があり、SPAMと競合する高価な缶詰になっています。本社はデンマークにあります。

    スーパー「タウンプラザ かねひで 西町店」
    ポークランチョンミートは、沖縄が本土復帰を果たした際に取り決められた「沖縄特別輸入割当品目」に該当し、特別に関税設定されているようです。

    ところで、ポークランチョンミートの2大巨頭と言えば「SPAM」と「TULIP(チューリップ)」です。それぞれの特徴を簡単にまとめてみました。どちらもこちらのスーパーでは本土の半値以下で売られています。
    「SPAM」:終戦直後にアメリカから配給物資として提供されたことが普及のきっかけですが、近年、国内商社による本格的な国内販売に力を入れており、アメリカ直輸入品の入手可能な各地では比較的身近に手に入るようになり、本土での小売価格は500円前後。本社は米国にあります。
    「TULIP」:戦後食糧難の頃の沖縄で米軍経由で広まりましたが、沖縄の家庭料理にはこちらのTULIPが一般的だそうです。実はポーク缶といえばTULIPしか知らなかった期間が長かったため、馴染みがあるようです。沖縄県人に言わせれば、「ゴーヤチャンプルーによく合うのはTULIP」だそうです。本土のアンテナショップや沖縄物産センターなどでも、300円代〜500円と幅があり、SPAMと競合する高価な缶詰になっています。本社はデンマークにあります。

  • ロワジールホテル那覇 琉球ダイニング「花風」<br />本日の夕食は、ステーキ、和食、中華料理から選べ、事前に時間予約もできました。<br />これまでのようなバイキング形式ではないので、拡張気味の胃にはやさしい食事となりました。<br />花風からの落陽です。和食と中華はこのダイニングでいただけます。

    ロワジールホテル那覇 琉球ダイニング「花風」
    本日の夕食は、ステーキ、和食、中華料理から選べ、事前に時間予約もできました。
    これまでのようなバイキング形式ではないので、拡張気味の胃にはやさしい食事となりました。
    花風からの落陽です。和食と中華はこのダイニングでいただけます。

  • ロワジールホテル那覇<br />せっかくの那覇市内宿泊ですので、食後に国際通りまで繰り出しました。<br />ホテルから国際通りまでは、往きは徒歩で15分ほど、帰りはタクシーで7分ほど(620円)でした。

    ロワジールホテル那覇
    せっかくの那覇市内宿泊ですので、食後に国際通りまで繰り出しました。
    ホテルから国際通りまでは、往きは徒歩で15分ほど、帰りはタクシーで7分ほど(620円)でした。

  • 那覇市役所<br />2013年1月から業務を開始した白い外壁の新庁舎です。ライトアップされて幻想的です。1990年竣工の隣にある黒川紀章氏設計の県庁行政棟より近代的なデザインで、自然とカメラを向けたくなります。外観は、花と緑が溢れる庁舎をキャッチフレーズに則り、雛壇状の屋上庭園や緑化ルーバーを施した斬新ながら落ち着きのあるデザインにまとまっています。また、地球環境にもやさしい、採光にも配慮した機能構成であることが一目瞭然です。県庁に負けてなるものかという那覇市の気概と矜持が如実に体現化された建物と映ります。見事コンペで最優秀賞を獲得したのが、(株)国建、 (株)環境設計国建JJVチームのデザイン。著名デザイナーを落選させたのは、賢明な判断とも言えます。県庁舎が反面教師として重宝したとも言えますが…。<br />正面には旧市庁舎時代から植えられていたガジュマルの大木が鎮座し、夜間は建物と一緒にライトアップされてキジムナーが棲みついているような神秘的な佇まいです。<br />外観デザインもさることながら、機能も充実しています。特に防災拠点機能の充実が特徴で、災害対策本部機能となる必要な設備を備え、災害時でも停止しない情報システム機能や建物自体の耐震性能や安全性、水害への対策に加え、自家発電システムや貯水槽の設置などバックアップ機能の強化を図られています。

    那覇市役所
    2013年1月から業務を開始した白い外壁の新庁舎です。ライトアップされて幻想的です。1990年竣工の隣にある黒川紀章氏設計の県庁行政棟より近代的なデザインで、自然とカメラを向けたくなります。外観は、花と緑が溢れる庁舎をキャッチフレーズに則り、雛壇状の屋上庭園や緑化ルーバーを施した斬新ながら落ち着きのあるデザインにまとまっています。また、地球環境にもやさしい、採光にも配慮した機能構成であることが一目瞭然です。県庁に負けてなるものかという那覇市の気概と矜持が如実に体現化された建物と映ります。見事コンペで最優秀賞を獲得したのが、(株)国建、 (株)環境設計国建JJVチームのデザイン。著名デザイナーを落選させたのは、賢明な判断とも言えます。県庁舎が反面教師として重宝したとも言えますが…。
    正面には旧市庁舎時代から植えられていたガジュマルの大木が鎮座し、夜間は建物と一緒にライトアップされてキジムナーが棲みついているような神秘的な佇まいです。
    外観デザインもさることながら、機能も充実しています。特に防災拠点機能の充実が特徴で、災害対策本部機能となる必要な設備を備え、災害時でも停止しない情報システム機能や建物自体の耐震性能や安全性、水害への対策に加え、自家発電システムや貯水槽の設置などバックアップ機能の強化を図られています。

  • 国際通り<br />現在の国際通りには観光客が溢れ、1日の歩行者数が2万人を超える那覇市のメインストリートとして賑わっています。しかし、戦前は湿地帯が広がる寂しい通りで、畑の中の未舗装の一本道だったそうです。5回に亘る大空襲で那覇市のほとんどが焼け、市街地は米軍に占領され、行き場を失った人たちが今の国際通りへと集まってきました。命をつなぐ為、食料や毛布、薬、タバコなどの米軍の物資を盗み、それらをテントを張った闇市で売りさばきました。こうして約1.6kmの何も無かったこの地が奇跡的に大繁華街へと姿を変えて行きました。国際通りは、一早く復興を遂げたことから別名「奇跡の1マイル」とも呼ばれ、地元の方々にとって思い入れのある通りです。因みに、「奇跡の1マイル」は、往時の米人新聞記者がそう評したことが由来です。<br />色々な店をじっくり観察すれば、当方のように沖縄の文化をよく知らない者には、どの店も新鮮で面白く感じられます。

    国際通り
    現在の国際通りには観光客が溢れ、1日の歩行者数が2万人を超える那覇市のメインストリートとして賑わっています。しかし、戦前は湿地帯が広がる寂しい通りで、畑の中の未舗装の一本道だったそうです。5回に亘る大空襲で那覇市のほとんどが焼け、市街地は米軍に占領され、行き場を失った人たちが今の国際通りへと集まってきました。命をつなぐ為、食料や毛布、薬、タバコなどの米軍の物資を盗み、それらをテントを張った闇市で売りさばきました。こうして約1.6kmの何も無かったこの地が奇跡的に大繁華街へと姿を変えて行きました。国際通りは、一早く復興を遂げたことから別名「奇跡の1マイル」とも呼ばれ、地元の方々にとって思い入れのある通りです。因みに、「奇跡の1マイル」は、往時の米人新聞記者がそう評したことが由来です。
    色々な店をじっくり観察すれば、当方のように沖縄の文化をよく知らない者には、どの店も新鮮で面白く感じられます。

  • 国際通り 御菓子御殿 松尾店<br />首里城正殿を模した建物が御菓子御殿です。松尾店ではタルト生地の中に紅芋餡が絞られていく様子や焼き釜へ入っていく様子がガラス越しに見学できるのですが、訪問した時間が遅く終了していました。<br />紅芋餡の原材料の紅芋は、紫芋とも呼ばれ、1605年に野国総管が中国 福建省から苗を持ち帰ったことが始まりと言われています。その後品種改良され、現在の紅芋のルーツは1947年に沖縄で改良された赤紫系紅芋「宮農36号」です。紅芋とサツマイモの栄養価を比較すると、紅芋は食物繊維とカリウムが多く含まれ、ビタミンCはサツマイモに劣るものの、カルシウムはサツマイモの10倍近くあります。紫色の色素は、ポリフェノールの1種のアントシアニンの色です。アントシアニンは、抗酸化作用に優れ、老化を防ぎ、動脈硬化およびコレステロールの抑制効果があります。そのため紅芋は、健康や美容面からも注目を集めています。<br />お土産のタルトは、オーブンやレンジで温めて食べると焼きたてのような風味が楽しめます。また、冷蔵庫で冷やしても美味しく食べられます。

    国際通り 御菓子御殿 松尾店
    首里城正殿を模した建物が御菓子御殿です。松尾店ではタルト生地の中に紅芋餡が絞られていく様子や焼き釜へ入っていく様子がガラス越しに見学できるのですが、訪問した時間が遅く終了していました。
    紅芋餡の原材料の紅芋は、紫芋とも呼ばれ、1605年に野国総管が中国 福建省から苗を持ち帰ったことが始まりと言われています。その後品種改良され、現在の紅芋のルーツは1947年に沖縄で改良された赤紫系紅芋「宮農36号」です。紅芋とサツマイモの栄養価を比較すると、紅芋は食物繊維とカリウムが多く含まれ、ビタミンCはサツマイモに劣るものの、カルシウムはサツマイモの10倍近くあります。紫色の色素は、ポリフェノールの1種のアントシアニンの色です。アントシアニンは、抗酸化作用に優れ、老化を防ぎ、動脈硬化およびコレステロールの抑制効果があります。そのため紅芋は、健康や美容面からも注目を集めています。
    お土産のタルトは、オーブンやレンジで温めて食べると焼きたてのような風味が楽しめます。また、冷蔵庫で冷やしても美味しく食べられます。

  • 国際通り 御菓子御殿 松尾店<br />沖縄土産の定番の紅芋タルトと言えば、ナンポーと御菓子御殿(元ポルシェ)が2大巨頭です。その内、本家本元は御菓子御殿です。紅芋タルトは1986年の読谷村の村おこしをきっかけに生まれたお菓子で、紅芋の葉がさわさわと揺れるイメージを象った形だそうです。100%沖縄県産の紅芋を使用し、紅芋本来の美しい色彩や自然な甘さ、豊かな風味をそのままにしっとりとしたタルトに仕上げたものです。<br />2社とも味には拘りがあるようですが、簡単に相違点をまとめてみました。<br />ナンポー製は、やさしい味わいで後味もさっぱりしており、その分、食が進みます。<br />御菓子御殿製は、本格的な濃厚なスイーツ風味になっています。<br />原材料への拘りは、御菓子御殿に軍配が上がります。無添加・無着色と余計なものを入れていません。また、味覚の最大の相違点は、バター or マーガリンです。御菓子御殿はバターを使っています。近年はバター不足が続いて大変と思いますが、味への拘りを捨てていません。対するナンポーは、販売初期からマーガリンを使ってさっぱりした味覚で差別化を図っています。<br />ですから、どちらが美味しいかは好みだと思います。因みに、御菓子御殿の紅芋タルトは、2013年のモンドセレクション金賞を受賞し、連続6年の金賞受賞です。また、2014年「旅先でお土産として買ってみたい賞(JTB)」を受賞しています。<br />原材料費を考えると、御菓子御殿の方がコストがかかっているため、値段が同じならお徳感があります。故に、お土産屋ではマージンが高いナンポー製を勧める傾向があるのではと勘ぐりたくなります。また、値引きができるのもナンポーだけのようです。<br />御菓子御殿 松尾店(国際通り)のクーポンです。<br />http://okinawatravelinfo.com/ja/shopping/okashigoten_matuo/<br />

    国際通り 御菓子御殿 松尾店
    沖縄土産の定番の紅芋タルトと言えば、ナンポーと御菓子御殿(元ポルシェ)が2大巨頭です。その内、本家本元は御菓子御殿です。紅芋タルトは1986年の読谷村の村おこしをきっかけに生まれたお菓子で、紅芋の葉がさわさわと揺れるイメージを象った形だそうです。100%沖縄県産の紅芋を使用し、紅芋本来の美しい色彩や自然な甘さ、豊かな風味をそのままにしっとりとしたタルトに仕上げたものです。
    2社とも味には拘りがあるようですが、簡単に相違点をまとめてみました。
    ナンポー製は、やさしい味わいで後味もさっぱりしており、その分、食が進みます。
    御菓子御殿製は、本格的な濃厚なスイーツ風味になっています。
    原材料への拘りは、御菓子御殿に軍配が上がります。無添加・無着色と余計なものを入れていません。また、味覚の最大の相違点は、バター or マーガリンです。御菓子御殿はバターを使っています。近年はバター不足が続いて大変と思いますが、味への拘りを捨てていません。対するナンポーは、販売初期からマーガリンを使ってさっぱりした味覚で差別化を図っています。
    ですから、どちらが美味しいかは好みだと思います。因みに、御菓子御殿の紅芋タルトは、2013年のモンドセレクション金賞を受賞し、連続6年の金賞受賞です。また、2014年「旅先でお土産として買ってみたい賞(JTB)」を受賞しています。
    原材料費を考えると、御菓子御殿の方がコストがかかっているため、値段が同じならお徳感があります。故に、お土産屋ではマージンが高いナンポー製を勧める傾向があるのではと勘ぐりたくなります。また、値引きができるのもナンポーだけのようです。
    御菓子御殿 松尾店(国際通り)のクーポンです。
    http://okinawatravelinfo.com/ja/shopping/okashigoten_matuo/

  • 国際通り Tシャツ屋<br />「国際通り」の名称は、現在のてんぶす那覇の付近に「アーニーパイル国際劇場」という映画館があったことが由来です。戦後、民間会社が娯楽を楽しむ施設として映画館を建設し、米軍に配慮した命名としました。<br />アーニーパイルとは沖縄戦に同行した従軍記者の名前で、1945年4月18日に伊江島で日本兵に狙撃されて44歳で殉職しました。ピューリッツァー賞を受賞するなど、第二次世界大戦期の従軍記者を代表するひとりでした。彼の記事の特徴は、名もなき兵隊たちを取り上げたことです。故国を遠く離れ、肉親や妻子と別れて戦場の凄惨さにあえぐ無名戦士たちの心中を、彼らに代わって綴りました。人間味溢れる記事が読者の共感を誘い、新聞史家から高く評価されていました。当然、米兵たちにも圧倒的な人気があり、終戦直後は一種のブームになったほどです。<br />因みに、戦後、東京宝塚劇場は、米軍に接収され、奇しくも「アーニーパイル劇場」と名を変えてGHQ専用劇場になっていたそうです。淡谷のり子や美空ひばり、高峰秀子らも舞台に立ちましたが、日本人は入場できなかったそうです。

    国際通り Tシャツ屋
    「国際通り」の名称は、現在のてんぶす那覇の付近に「アーニーパイル国際劇場」という映画館があったことが由来です。戦後、民間会社が娯楽を楽しむ施設として映画館を建設し、米軍に配慮した命名としました。
    アーニーパイルとは沖縄戦に同行した従軍記者の名前で、1945年4月18日に伊江島で日本兵に狙撃されて44歳で殉職しました。ピューリッツァー賞を受賞するなど、第二次世界大戦期の従軍記者を代表するひとりでした。彼の記事の特徴は、名もなき兵隊たちを取り上げたことです。故国を遠く離れ、肉親や妻子と別れて戦場の凄惨さにあえぐ無名戦士たちの心中を、彼らに代わって綴りました。人間味溢れる記事が読者の共感を誘い、新聞史家から高く評価されていました。当然、米兵たちにも圧倒的な人気があり、終戦直後は一種のブームになったほどです。
    因みに、戦後、東京宝塚劇場は、米軍に接収され、奇しくも「アーニーパイル劇場」と名を変えてGHQ専用劇場になっていたそうです。淡谷のり子や美空ひばり、高峰秀子らも舞台に立ちましたが、日本人は入場できなかったそうです。

  • 国際通り 東宝1号店<br />国際通りには観光客相手の土産物店や飲食店が年々増え、現在は6割以上を占めるそうです。ターゲットが観光客なので、当然地元の人たちの足は遠のきます。市の都市計画では、那覇の顔とも言える国際通りを「背骨」と位置付け、平和通りや市場本通り、浮島通りなどの通りを「あばら骨」のようにリンクさせ、それらを肉付けしていく構想です。その一環として、よしもと沖縄花月や屋台村といった仕掛で市民リピーターを増やそうと躍起ですが、沖縄文化に定着しなければいずれ足が遠のくことでしょう。事実、脇道にそれた平和通りや壷屋通りなど、俗に言う裏通りの方がレトロ感満載で愉しめます。<br />そんな中、新しいエリアが密かに産声をあげています。国際通り南側の裏筋にある繁華街「桜坂」です。60年代にはキャバレーなどの歓楽街として名を馳せた社交街でしたが、市中心部の人口空洞化で活気を失いました。しかし、閉鎖された映画館が2005年に改装オープンし、周囲に若者が営むカフェやバーが集まるようになってきたそうです。おしゃれな店と古いおでん屋などが混在する一種独得の妖しげな雰囲気が、地元の若者や観光客を魅了しているようです。一見さんお断りと思うような、ディープな看板の居酒屋もあるとか。旅慣れた観光客は、地元の人たちが集う場所に行って文化を共有してみたいと思うものです。海外を旅する日本人も、昔はブランド品購入が一番の目的でしたが、今は市民に人気のカフェを探し回るのと同じ感覚です。日本が観光新興国になるには、リピーターの集客能力が不可欠です。

    国際通り 東宝1号店
    国際通りには観光客相手の土産物店や飲食店が年々増え、現在は6割以上を占めるそうです。ターゲットが観光客なので、当然地元の人たちの足は遠のきます。市の都市計画では、那覇の顔とも言える国際通りを「背骨」と位置付け、平和通りや市場本通り、浮島通りなどの通りを「あばら骨」のようにリンクさせ、それらを肉付けしていく構想です。その一環として、よしもと沖縄花月や屋台村といった仕掛で市民リピーターを増やそうと躍起ですが、沖縄文化に定着しなければいずれ足が遠のくことでしょう。事実、脇道にそれた平和通りや壷屋通りなど、俗に言う裏通りの方がレトロ感満載で愉しめます。
    そんな中、新しいエリアが密かに産声をあげています。国際通り南側の裏筋にある繁華街「桜坂」です。60年代にはキャバレーなどの歓楽街として名を馳せた社交街でしたが、市中心部の人口空洞化で活気を失いました。しかし、閉鎖された映画館が2005年に改装オープンし、周囲に若者が営むカフェやバーが集まるようになってきたそうです。おしゃれな店と古いおでん屋などが混在する一種独得の妖しげな雰囲気が、地元の若者や観光客を魅了しているようです。一見さんお断りと思うような、ディープな看板の居酒屋もあるとか。旅慣れた観光客は、地元の人たちが集う場所に行って文化を共有してみたいと思うものです。海外を旅する日本人も、昔はブランド品購入が一番の目的でしたが、今は市民に人気のカフェを探し回るのと同じ感覚です。日本が観光新興国になるには、リピーターの集客能力が不可欠です。

  • 国際通り  東宝2号店<br />ネットで調べ、クーポンを印刷して訪ねました。口コミが多い理由も納得です。店員さんの対応もフレンドリーで、よい印象を受けました。安くても客を客と見ないショップも多いですから…。店内は決して広くはないですが、所狭しと商品が並べられ、昔の駄菓子屋を彷彿とさせる店構えです。 <br />「一番安い店総合1位」をキャッチフレーズにされており半信半疑でしたが、定価と販売価格が表示されているのでお得な商品が一目で分かります。大量買いで持ち帰りなら更に割引きがあります。何がいいか迷ったら、相談すればお勧めや売れ筋を教えてくれます。因みに、御菓子御殿の製品は販売していません。<br />写真は1号店のすぐ隣の2号店です。置かれている商品1号店とは異なり、しっかり分業できています。<br />ショップのサイトです。クーポンもあります。<br />http://tohodo.org/index.html

    国際通り 東宝2号店
    ネットで調べ、クーポンを印刷して訪ねました。口コミが多い理由も納得です。店員さんの対応もフレンドリーで、よい印象を受けました。安くても客を客と見ないショップも多いですから…。店内は決して広くはないですが、所狭しと商品が並べられ、昔の駄菓子屋を彷彿とさせる店構えです。
    「一番安い店総合1位」をキャッチフレーズにされており半信半疑でしたが、定価と販売価格が表示されているのでお得な商品が一目で分かります。大量買いで持ち帰りなら更に割引きがあります。何がいいか迷ったら、相談すればお勧めや売れ筋を教えてくれます。因みに、御菓子御殿の製品は販売していません。
    写真は1号店のすぐ隣の2号店です。置かれている商品1号店とは異なり、しっかり分業できています。
    ショップのサイトです。クーポンもあります。
    http://tohodo.org/index.html

  • 国際通り 久高民藝店<br />国際通りに店を構えながら、観光客ターゲットの賑やかな土産物屋とは一線を画し、琉球民芸一筋に創業40年超を誇る老舗です。店内に鎮座するのは、琉球ガラスややちむん(沖縄の焼物)、紅型(染織物)、銀細工、トンボ玉など、オーナーの審美眼で厳選された上質な琉球民芸品の数々。作家や工房の名を教えていただけるので安心して購入できます。沖縄で活躍されている方々をメインに、琉球ガラスは松田清春氏(ガラス工房清天)や稲嶺盛吉氏(宙吹ガラス工房 虹)、焼物は松田共司氏(読谷山焼)や島袋常秀氏(読谷壺屋焼)などの作品が勢揃いです。また、伝統工芸にアレンジを加えた現代風セレクションでは、漆喰シーサーの若手作家 中野充都里さんの作品などもあります。

    国際通り 久高民藝店
    国際通りに店を構えながら、観光客ターゲットの賑やかな土産物屋とは一線を画し、琉球民芸一筋に創業40年超を誇る老舗です。店内に鎮座するのは、琉球ガラスややちむん(沖縄の焼物)、紅型(染織物)、銀細工、トンボ玉など、オーナーの審美眼で厳選された上質な琉球民芸品の数々。作家や工房の名を教えていただけるので安心して購入できます。沖縄で活躍されている方々をメインに、琉球ガラスは松田清春氏(ガラス工房清天)や稲嶺盛吉氏(宙吹ガラス工房 虹)、焼物は松田共司氏(読谷山焼)や島袋常秀氏(読谷壺屋焼)などの作品が勢揃いです。また、伝統工芸にアレンジを加えた現代風セレクションでは、漆喰シーサーの若手作家 中野充都里さんの作品などもあります。

  • 国際通り 久高民藝店<br />目を瞠るのはセンスの良さです。質の確かさを窺わせる凜とした雰囲気を湛え、ガラスと焼物などジャンルは違ってもシックで落ち着いた共通のコンセプトを纏った珠玉の作品たちが心を捉えて離しません。普段の生活の中で使うシーンを想像しながら、あれこれ選べばワクワク感が倍増します。沖縄旅行の度に訪れる長年のリピーターを多数抱えておられるというのも納得です。

    国際通り 久高民藝店
    目を瞠るのはセンスの良さです。質の確かさを窺わせる凜とした雰囲気を湛え、ガラスと焼物などジャンルは違ってもシックで落ち着いた共通のコンセプトを纏った珠玉の作品たちが心を捉えて離しません。普段の生活の中で使うシーンを想像しながら、あれこれ選べばワクワク感が倍増します。沖縄旅行の度に訪れる長年のリピーターを多数抱えておられるというのも納得です。

  • 国際通り 久高民藝店<br />このような手作り感満載のブリキ製ドアチャイムも売られています。<br />

    国際通り 久高民藝店
    このような手作り感満載のブリキ製ドアチャイムも売られています。

  • 魚文の壷屋焼き<br />沖縄旅行の記念にと、魚文の壷屋焼を買い求めました。<br />夫婦おそろいの湯呑とタンブラーです。<br />沖縄初の人間国宝 故金城次郎一門の伝統の魚文は、こうしたお孫さん(金城裕二氏)の作品にも連綿と受け継がれています。<br />今にも飛び出して来そうな躍動感あふれる魚文です。

    魚文の壷屋焼き
    沖縄旅行の記念にと、魚文の壷屋焼を買い求めました。
    夫婦おそろいの湯呑とタンブラーです。
    沖縄初の人間国宝 故金城次郎一門の伝統の魚文は、こうしたお孫さん(金城裕二氏)の作品にも連綿と受け継がれています。
    今にも飛び出して来そうな躍動感あふれる魚文です。

  • 魚文の壷屋焼き<br />ショップの方の話では、金城一門の誰の作品かが判るように名を入れているそうです。<br />壷屋焼は、大別して、釉薬を使わない荒焼と釉薬を用いる上焼に分けられます。 <br />荒焼は、主に酒や水、味噌などを入れる瓶やシーサーなど大形の製品です。<br />上焼は、主として食器や酒器、花器などに使われる製品で、沖縄独特の絵付模様が施されています。<br />17世紀末、琉球王朝は、沖縄の数箇所に分散していた窯場を現在の那覇市壷屋地区に集め統合しました。以来、壷屋焼として独自の発展を遂げてきました。<br />線彫り技法から生まれる魚文や海老文などに色を差す手法で、力強さと躍動感に溢れた金城次郎氏の真骨頂とも言えます。

    魚文の壷屋焼き
    ショップの方の話では、金城一門の誰の作品かが判るように名を入れているそうです。
    壷屋焼は、大別して、釉薬を使わない荒焼と釉薬を用いる上焼に分けられます。
    荒焼は、主に酒や水、味噌などを入れる瓶やシーサーなど大形の製品です。
    上焼は、主として食器や酒器、花器などに使われる製品で、沖縄独特の絵付模様が施されています。
    17世紀末、琉球王朝は、沖縄の数箇所に分散していた窯場を現在の那覇市壷屋地区に集め統合しました。以来、壷屋焼として独自の発展を遂げてきました。
    線彫り技法から生まれる魚文や海老文などに色を差す手法で、力強さと躍動感に溢れた金城次郎氏の真骨頂とも言えます。

  • 国際通り 路線バス「にこにこ号」<br />ラッピングされたようなかわいらしい路線バスを見かけました。<br />沖縄都市モノレールの「おもろまち駅」を起終点とし、新都心地区を一周するコミュニティバス「新都心バス」です。車両は小型バス3台で、それぞれ車体にクレパス画家アリカワ コウヘイ氏の描かれた絵がペインティングされています。氏は、福岡県出身、大阪府育ち。どんな縁で作品を手がけられたかと言うと、高校時代、阪神大震災をきっかけに沖縄県に移住され、感性が多感な時期を沖縄で過ごされたからです。現在は、山梨県在住です。<br />各車両には愛称があり、写真の赤色は「にこにこ号」、黄色が「ぽかぽか号」、緑色が「レッツ号」。<br />那覇バス運営ということもあり、ナンバープレートの上2桁は「78(ナハ)」となっています???<br />こんなバスがあるとは知りませんでした。もう少しアピールされてもいいのでは?

    国際通り 路線バス「にこにこ号」
    ラッピングされたようなかわいらしい路線バスを見かけました。
    沖縄都市モノレールの「おもろまち駅」を起終点とし、新都心地区を一周するコミュニティバス「新都心バス」です。車両は小型バス3台で、それぞれ車体にクレパス画家アリカワ コウヘイ氏の描かれた絵がペインティングされています。氏は、福岡県出身、大阪府育ち。どんな縁で作品を手がけられたかと言うと、高校時代、阪神大震災をきっかけに沖縄県に移住され、感性が多感な時期を沖縄で過ごされたからです。現在は、山梨県在住です。
    各車両には愛称があり、写真の赤色は「にこにこ号」、黄色が「ぽかぽか号」、緑色が「レッツ号」。
    那覇バス運営ということもあり、ナンバープレートの上2桁は「78(ナハ)」となっています???
    こんなバスがあるとは知りませんでした。もう少しアピールされてもいいのでは?

  • 国際通り Calbee+OKINAWA<br />2012年に国際通り牧志にオープンしたスナック菓子メーカー カルビーの直営アンテナショップです。白い壁一面にカラフルなハイビスカスが描かれたポップな空間は、沖縄らしさを感じさせます。<br />沖縄限定のホットスナックでは、「スイートポテりこ」(紅芋使用)や「ポテふわっト うすしお味」、「ピザポテトコロッケ」が愉しめます。<br />店内でオリオンビールも飲めるなんてのもあり、サービス満点です。

    国際通り Calbee+OKINAWA
    2012年に国際通り牧志にオープンしたスナック菓子メーカー カルビーの直営アンテナショップです。白い壁一面にカラフルなハイビスカスが描かれたポップな空間は、沖縄らしさを感じさせます。
    沖縄限定のホットスナックでは、「スイートポテりこ」(紅芋使用)や「ポテふわっト うすしお味」、「ピザポテトコロッケ」が愉しめます。
    店内でオリオンビールも飲めるなんてのもあり、サービス満点です。

  • 国際通りで仕入れたお土産<br />御菓子御殿と東宝2号店で購入したお土産の一部です。この紅芋タルト(ナンポーではありません)は、東宝一押しでしたが、御菓子御殿のものと比べると味も餡の量も劣りました。<br /><br />2007年にポルシェ(現 御菓子御殿)がナンポー通商を相手に訴訟を起こしたことがあります。商品の販売差し止めと1億円の損害賠償を求めました。<br />ナンポーが販売していた「べにいもたると」に対し、ポルシェは「呼称が類似し、商品の基本的構成形態も同一。現に消費者の間で混同が生じている」と訴えました。対するナンポーの代理人は「『ベニイモタルト』は沖縄の多くのメーカの努力で成長した商品で、現在では『ちんすこう』と同様に沖縄土産として定着しており、原告のみが独占して製造、販売できるものではない」と反駁しました。<br />その結果、消費者に嬉しい大岡裁きが下され、ポルシェ側の請求が棄却されました。もしもポルシェの独占となっていたら、我々観光客はこのような値段で購入できなかっただろうし、ポルシェも今のように量販できなかったことでしょう。競争原理が働くが故に、コストパフォーマンスの高い商品として勝ち残ったのです。沖縄も量販によって税収が潤い、「売り手よし、買い手よし、世間よし」の近江商人理念の「三方よし」を越えるものでは!?

    国際通りで仕入れたお土産
    御菓子御殿と東宝2号店で購入したお土産の一部です。この紅芋タルト(ナンポーではありません)は、東宝一押しでしたが、御菓子御殿のものと比べると味も餡の量も劣りました。

    2007年にポルシェ(現 御菓子御殿)がナンポー通商を相手に訴訟を起こしたことがあります。商品の販売差し止めと1億円の損害賠償を求めました。
    ナンポーが販売していた「べにいもたると」に対し、ポルシェは「呼称が類似し、商品の基本的構成形態も同一。現に消費者の間で混同が生じている」と訴えました。対するナンポーの代理人は「『ベニイモタルト』は沖縄の多くのメーカの努力で成長した商品で、現在では『ちんすこう』と同様に沖縄土産として定着しており、原告のみが独占して製造、販売できるものではない」と反駁しました。
    その結果、消費者に嬉しい大岡裁きが下され、ポルシェ側の請求が棄却されました。もしもポルシェの独占となっていたら、我々観光客はこのような値段で購入できなかっただろうし、ポルシェも今のように量販できなかったことでしょう。競争原理が働くが故に、コストパフォーマンスの高い商品として勝ち残ったのです。沖縄も量販によって税収が潤い、「売り手よし、買い手よし、世間よし」の近江商人理念の「三方よし」を越えるものでは!?

  • 国際通りで仕入れたお土産<br />手前のどら焼きは、御菓子御殿の「おいシーサー」(税抜120円)です。 生地はふわふわ、餡子と餅の食感がハーモニーしたどら焼きです。サイズも大きく、餡の量もたっぷりですのでコストパフォーマンスの高い和菓子です。<br />真ん中はプリンセスムーン(マンゴー味)、奥はプリンセスムーン(シークヮーサー味)です。ふわふわのスポンジケーキの中に南国風味のマンゴーやシークヮーサーのクリームがたっぷり入った洋菓子です。マンゴーは濃厚なテイスト、シークヮーサーはさっぱりしています。<br /><br />この続きは、早春賦 沖縄紀行⑦首里城(エピローグ)でお届けいたします。

    国際通りで仕入れたお土産
    手前のどら焼きは、御菓子御殿の「おいシーサー」(税抜120円)です。 生地はふわふわ、餡子と餅の食感がハーモニーしたどら焼きです。サイズも大きく、餡の量もたっぷりですのでコストパフォーマンスの高い和菓子です。
    真ん中はプリンセスムーン(マンゴー味)、奥はプリンセスムーン(シークヮーサー味)です。ふわふわのスポンジケーキの中に南国風味のマンゴーやシークヮーサーのクリームがたっぷり入った洋菓子です。マンゴーは濃厚なテイスト、シークヮーサーはさっぱりしています。

    この続きは、早春賦 沖縄紀行⑦首里城(エピローグ)でお届けいたします。

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