国頭・大宜味旅行記(ブログ) 一覧に戻る
やんばる(山原)とは山々が連なり、木々が鬱蒼と生い茂る山深い森という意味です。本島北部に広がる国頭村や大宜味村、東村エリアを指し、やんばる地区には沖縄本島最高峰の与那覇岳(よなはだけ:標高503m)をはじめ、標高400mを越す峰々が連なっています。かつて国道58号線がなかった時代、この地へは船でしか行けなかったことから、陸の孤島と呼ばれていました。現在は国道が貫通しましたが、その道のりは意外と遠く、那覇から最北の辺戸岬までは片道3時間ほどのドライブとなります。北進するに連れ、南国のトロピカルな海岸の景色は遠ざかり、黒い岩肌を荒々しく剥き出した景観に移り変わります。右手には小高い峰々が連なり、蒼い空を借景に滑らかな稜線を描いています。そして左手に続く海岸線にも力強さが漲ります。こうした山海の表情の変化に、恩名村や読谷村で見てきた同じ沖縄の海かと目を疑いますが、手つかずの自然が残り、国の天然記念物のヤンバルク イナやノグチゲラをはじめとする絶滅危惧種に指定される動物が生息する、まさしく沖縄の秘境です。<br />本編は、本島北部の最果ての地「辺戸岬」と「茅打バンタ」をレポいたします。<br /><br /><旅程><br />1日目:伊丹空港→那覇空港→糸満(泊)サザンビーチホテル&リゾート沖縄 <br />2日目:ホテル→万座毛→ナゴパイナップルパーク→古宇利オーシャンタワー→備瀬のフクギ並木→琉宮城 蝶々園(昼食)→海洋博公園・美ら海水族館→恩納村(泊)ホテルモントレ沖縄スパ&リゾート <br />3日目:ホテル→辺戸岬→大石林山→茅打バンタ→琉球村(昼食)→那覇(泊)ロワジールホテル那覇<br />4日目:ホテル→首里城跡(首里城正殿入館)→那覇空港→伊丹空港

早春賦 沖縄紀行④やんばるエリア(辺戸岬~茅打バンタ)

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2015/02/28 - 2015/03/03

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

やんばる(山原)とは山々が連なり、木々が鬱蒼と生い茂る山深い森という意味です。本島北部に広がる国頭村や大宜味村、東村エリアを指し、やんばる地区には沖縄本島最高峰の与那覇岳(よなはだけ:標高503m)をはじめ、標高400mを越す峰々が連なっています。かつて国道58号線がなかった時代、この地へは船でしか行けなかったことから、陸の孤島と呼ばれていました。現在は国道が貫通しましたが、その道のりは意外と遠く、那覇から最北の辺戸岬までは片道3時間ほどのドライブとなります。北進するに連れ、南国のトロピカルな海岸の景色は遠ざかり、黒い岩肌を荒々しく剥き出した景観に移り変わります。右手には小高い峰々が連なり、蒼い空を借景に滑らかな稜線を描いています。そして左手に続く海岸線にも力強さが漲ります。こうした山海の表情の変化に、恩名村や読谷村で見てきた同じ沖縄の海かと目を疑いますが、手つかずの自然が残り、国の天然記念物のヤンバルク イナやノグチゲラをはじめとする絶滅危惧種に指定される動物が生息する、まさしく沖縄の秘境です。
本編は、本島北部の最果ての地「辺戸岬」と「茅打バンタ」をレポいたします。

<旅程>
1日目:伊丹空港→那覇空港→糸満(泊)サザンビーチホテル&リゾート沖縄
2日目:ホテル→万座毛→ナゴパイナップルパーク→古宇利オーシャンタワー→備瀬のフクギ並木→琉宮城 蝶々園(昼食)→海洋博公園・美ら海水族館→恩納村(泊)ホテルモントレ沖縄スパ&リゾート
3日目:ホテル→辺戸岬→大石林山→茅打バンタ→琉球村(昼食)→那覇(泊)ロワジールホテル那覇
4日目:ホテル→首里城跡(首里城正殿入館)→那覇空港→伊丹空港

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
観光バス JALグループ
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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  • モントレ沖縄スパ&リゾート <br />ホテルのベランダから眺めるオーシャンビューです。<br />明け方までは雨が降っていたため、少し雲の多い景色です。

    モントレ沖縄スパ&リゾート
    ホテルのベランダから眺めるオーシャンビューです。
    明け方までは雨が降っていたため、少し雲の多い景色です。

  • モントレ沖縄スパ&リゾート<br />沖縄モントレ・ルメール教会のノーブル・ホワイトの礼拝堂が朝日を浴びてうっすらと頬を染めています。<br />2013年にグランドオープンしたばかりのホテル併設のウェディング用チャペルです。エメラルドグリーンに輝く穏やかな海原の前に佇む、モダンブリティッシュ・テイストの壮麗なるチャペルです。

    モントレ沖縄スパ&リゾート
    沖縄モントレ・ルメール教会のノーブル・ホワイトの礼拝堂が朝日を浴びてうっすらと頬を染めています。
    2013年にグランドオープンしたばかりのホテル併設のウェディング用チャペルです。エメラルドグリーンに輝く穏やかな海原の前に佇む、モダンブリティッシュ・テイストの壮麗なるチャペルです。

  • モントレ沖縄スパ&リゾート タイガービーチ<br />8時過ぎの出発ですので、朝食後にビーチ散策を愉しむことができます。<br />とてもきれいなビーチです。マリンアクティビティのシーズンには賑わうのでしょうね!<br /><br />右側に見えるホテルは、沖縄で一番客室数が多い「リザンシーパークホテル 谷茶ベイ」です。上空から見ると鍵形に棟が連なっています。しかし、これだけ広いとレストランやフロントまでのアプローチが大変でしょうね!2006年の九州・沖縄サミットの際、フランスのシラク大統領とカナダのクレティエン首相が宿泊されています。<br />リザンとは、琉球王国の名臣 謝名親方利山(じゃなうぇかたりざん)に因んだ命名です。1609 年、薩摩軍が琉球へ侵攻。武器を持たない琉球は 、有効な対抗手段を持ちえず惨敗しました。民の身を案じた尚寧王の降伏により、共に連行されたのが利山です。薩摩藩から起請文に署名するように強制された際、「琉球の自由なくして生きる甲斐無し」とただひとり反対し、処刑された人物です。<br />また、谷茶ベイの由来は、古来より当地は谷茶と呼ばれ、村人は谷でお茶や踊りを楽しんだということから。

    モントレ沖縄スパ&リゾート タイガービーチ
    8時過ぎの出発ですので、朝食後にビーチ散策を愉しむことができます。
    とてもきれいなビーチです。マリンアクティビティのシーズンには賑わうのでしょうね!

    右側に見えるホテルは、沖縄で一番客室数が多い「リザンシーパークホテル 谷茶ベイ」です。上空から見ると鍵形に棟が連なっています。しかし、これだけ広いとレストランやフロントまでのアプローチが大変でしょうね!2006年の九州・沖縄サミットの際、フランスのシラク大統領とカナダのクレティエン首相が宿泊されています。
    リザンとは、琉球王国の名臣 謝名親方利山(じゃなうぇかたりざん)に因んだ命名です。1609 年、薩摩軍が琉球へ侵攻。武器を持たない琉球は 、有効な対抗手段を持ちえず惨敗しました。民の身を案じた尚寧王の降伏により、共に連行されたのが利山です。薩摩藩から起請文に署名するように強制された際、「琉球の自由なくして生きる甲斐無し」とただひとり反対し、処刑された人物です。
    また、谷茶ベイの由来は、古来より当地は谷茶と呼ばれ、村人は谷でお茶や踊りを楽しんだということから。

  • モントレ沖縄スパ&リゾート タイガービーチ<br />タイガービーチの左端には、万座ビーチで見たようなキノコ岩のそっくりさんがあります。<br />

    モントレ沖縄スパ&リゾート タイガービーチ
    タイガービーチの左端には、万座ビーチで見たようなキノコ岩のそっくりさんがあります。

  • モントレ沖縄スパ&リゾート<br />サンセットガーデンから見上げるホテルです。

    モントレ沖縄スパ&リゾート
    サンセットガーデンから見上げるホテルです。

  • モントレ沖縄スパ&リゾート 沖縄モントレ・ルメール教会<br />海側を前面ガラス張りのワイドビューにした、魅力的な白亜の独立型チャペルです。碧い海と花木がノーブル・ホワイトの気品ある外観を引き立て、幸せな光景を温かく見守ってくれるという趣向です。艶かしく撫でるような潮騒が聞こえるロケーションで、記憶に残るセレモニーが挙げられるなんて素敵なことですね!

    モントレ沖縄スパ&リゾート 沖縄モントレ・ルメール教会
    海側を前面ガラス張りのワイドビューにした、魅力的な白亜の独立型チャペルです。碧い海と花木がノーブル・ホワイトの気品ある外観を引き立て、幸せな光景を温かく見守ってくれるという趣向です。艶かしく撫でるような潮騒が聞こえるロケーションで、記憶に残るセレモニーが挙げられるなんて素敵なことですね!

  • モントレ沖縄スパ&リゾート イソヒヨドリ(磯鵯)<br />沖縄を代表する野鳥「イソヒヨドリ」で、地元では「イシスーサー」と呼ばれています。<br />スズメ目ツグミ科に分類され、アフリカとユーラシア大陸に広く分布し、和名通り海岸や岩山などで多く見られます。世界的には標高2000〜4000mの岩石地帯に生息する鳥です。沖縄では磯や岩場に生息し、ヒヨドリの姿に似ていることからこの和名がありますが、分類上はヒヨドリ科ではなくツグミ科でヒヨドリとは全く別種です。オスは頭から喉および背部が暗青色、胸腹部が赤褐色のツートンカラー。一方、メスは全身褐色で鱗状の斑紋があります。

    モントレ沖縄スパ&リゾート イソヒヨドリ(磯鵯)
    沖縄を代表する野鳥「イソヒヨドリ」で、地元では「イシスーサー」と呼ばれています。
    スズメ目ツグミ科に分類され、アフリカとユーラシア大陸に広く分布し、和名通り海岸や岩山などで多く見られます。世界的には標高2000〜4000mの岩石地帯に生息する鳥です。沖縄では磯や岩場に生息し、ヒヨドリの姿に似ていることからこの和名がありますが、分類上はヒヨドリ科ではなくツグミ科でヒヨドリとは全く別種です。オスは頭から喉および背部が暗青色、胸腹部が赤褐色のツートンカラー。一方、メスは全身褐色で鱗状の斑紋があります。

  • モントレ沖縄スパ&リゾート イソヒヨドリ <br />沖縄旅行中、海岸近くでも海鳥を見る機会はありませんでした。これは本土とは異なる特色と言えます。何故なのでしょうか?<br />実は、沖縄の珊瑚礁海域の海が、栄養分が少ない貧栄養の海だからです。小魚が餌にするプランクトンが豊富な海は濁って見えますが、プランクトンの少ない貧栄養の海は透明度が高くなります。その分、褐虫藻は光合成し易く、珊瑚が育ち易くなります。つまり、珊瑚礁にはプランクトンが少なく、そのため小魚も少なく、その小魚を狙う海鳥も少ないという、透明度の高い海独特の生態系に起因するものだそうです。

    モントレ沖縄スパ&リゾート イソヒヨドリ
    沖縄旅行中、海岸近くでも海鳥を見る機会はありませんでした。これは本土とは異なる特色と言えます。何故なのでしょうか?
    実は、沖縄の珊瑚礁海域の海が、栄養分が少ない貧栄養の海だからです。小魚が餌にするプランクトンが豊富な海は濁って見えますが、プランクトンの少ない貧栄養の海は透明度が高くなります。その分、褐虫藻は光合成し易く、珊瑚が育ち易くなります。つまり、珊瑚礁にはプランクトンが少なく、そのため小魚も少なく、その小魚を狙う海鳥も少ないという、透明度の高い海独特の生態系に起因するものだそうです。

  • モントレ沖縄スパ&リゾート イソヒヨドリ <br />体格も大きく、全身褐色で胸や腹に鱗状の細かい斑紋があるのでメスですね!<br /><br />沖縄ではスズメやカラスよりもこのイソヒヨドリと遭遇する機会が圧倒的に多いです。鳩も一度しか見かけませんでした。<br />沖縄でのカラスの生息域はヤンバル(=沖縄本島北部)に集中しているため、那覇や浦添周辺でカラスを見かけるのは稀だそうです。しかし、沖縄でも厄介者であることは変わりません。国の天然記念物ノグチゲラの雛を捕食することが問題になっています。ノグチゲラは世界でもヤンバルにしか生息しない希少種ですが、皮肉にもカラスと生息域がバッティングしてしまったのです。しかし、急速にカラスが都市適応化しだしているのは、ここ沖縄でも例外ではないそうです。<br />沖縄でもカラスの鳴き声が目覚まし時計代わりになる時代も近いかも…。

    モントレ沖縄スパ&リゾート イソヒヨドリ
    体格も大きく、全身褐色で胸や腹に鱗状の細かい斑紋があるのでメスですね!

    沖縄ではスズメやカラスよりもこのイソヒヨドリと遭遇する機会が圧倒的に多いです。鳩も一度しか見かけませんでした。
    沖縄でのカラスの生息域はヤンバル(=沖縄本島北部)に集中しているため、那覇や浦添周辺でカラスを見かけるのは稀だそうです。しかし、沖縄でも厄介者であることは変わりません。国の天然記念物ノグチゲラの雛を捕食することが問題になっています。ノグチゲラは世界でもヤンバルにしか生息しない希少種ですが、皮肉にもカラスと生息域がバッティングしてしまったのです。しかし、急速にカラスが都市適応化しだしているのは、ここ沖縄でも例外ではないそうです。
    沖縄でもカラスの鳴き声が目覚まし時計代わりになる時代も近いかも…。

  • 古宇利島(バス車窓)<br />昨日渡った古宇利大橋の先には、どこから見ても円盤状に見える古宇利島が見えます。<br />丁度真ん中辺りに古宇利オーシャンタワの純白の塔が見られます。<br />こんな天気のいい日に渡れたら最高だったのにね!<br />

    古宇利島(バス車窓)
    昨日渡った古宇利大橋の先には、どこから見ても円盤状に見える古宇利島が見えます。
    丁度真ん中辺りに古宇利オーシャンタワの純白の塔が見られます。
    こんな天気のいい日に渡れたら最高だったのにね!

  • 古宇利島(上空より)<br />飛行機の窓から撮した古宇利島周辺の写真です。<br />エメラルドグリーン色を呈した珊瑚礁が広がる様子が判ると思います。<br />Google Mapで見る方が判りやすいかもしれませんが…。

    古宇利島(上空より)
    飛行機の窓から撮した古宇利島周辺の写真です。
    エメラルドグリーン色を呈した珊瑚礁が広がる様子が判ると思います。
    Google Mapで見る方が判りやすいかもしれませんが…。

  • 辺戸岬(へどみさき)<br />ホテルのある恩納村を発ち、途中で道の駅「ゆいゆい国頭(くにがみ)」にてトイレ休憩を取った後、辺戸岬まで辿り着きました。<br />国頭村に位置し、沖縄海岸国定公園に属すゴツゴツした隆起珊瑚礁の断崖絶壁を紺碧の海が取り囲む景勝地です。細長い沖縄本島の最北端にある岬ですので、太平洋と東シナ海の大海原をぐるりと見渡せます。どうやら人は最果ての地を求めるのが性なのか、いつも結構な数の観光客が訪れる岬だそうです。岬の上面はカルスト地形を呈した荒涼な台地となり、岬の突端は高さ20m程の断崖となって紺碧の海へと落ち込んでいます。断崖の下に目を投じれば、珊瑚礁が縁取り、カルスト地形特有の鍾乳洞(洞窟)が口を開けています。変化に富んだ奇観と透明度の高い海は、ダイバーの間でも隠れた人気スポットです。眼下に広がる海原は、エメラルドグリーン〜コバルトブルーのグラデーションが美しい穏やかな時もあれば、激しい波が豪快に岩場に打ち付け、真っ白な波飛沫が展望台まで届くほど荒々しい表情を見せる時もあるそうです。また、春先のクジラの回遊時期には、クジラが潮を吹いて回遊しているのを見かけることもあるそうです。運が良ければ、遭遇できるかもです。<br />因みに、沖縄県の最北端は久米島町に属する硫黄鳥島です。

    辺戸岬(へどみさき)
    ホテルのある恩納村を発ち、途中で道の駅「ゆいゆい国頭(くにがみ)」にてトイレ休憩を取った後、辺戸岬まで辿り着きました。
    国頭村に位置し、沖縄海岸国定公園に属すゴツゴツした隆起珊瑚礁の断崖絶壁を紺碧の海が取り囲む景勝地です。細長い沖縄本島の最北端にある岬ですので、太平洋と東シナ海の大海原をぐるりと見渡せます。どうやら人は最果ての地を求めるのが性なのか、いつも結構な数の観光客が訪れる岬だそうです。岬の上面はカルスト地形を呈した荒涼な台地となり、岬の突端は高さ20m程の断崖となって紺碧の海へと落ち込んでいます。断崖の下に目を投じれば、珊瑚礁が縁取り、カルスト地形特有の鍾乳洞(洞窟)が口を開けています。変化に富んだ奇観と透明度の高い海は、ダイバーの間でも隠れた人気スポットです。眼下に広がる海原は、エメラルドグリーン〜コバルトブルーのグラデーションが美しい穏やかな時もあれば、激しい波が豪快に岩場に打ち付け、真っ白な波飛沫が展望台まで届くほど荒々しい表情を見せる時もあるそうです。また、春先のクジラの回遊時期には、クジラが潮を吹いて回遊しているのを見かけることもあるそうです。運が良ければ、遭遇できるかもです。
    因みに、沖縄県の最北端は久米島町に属する硫黄鳥島です。

  • 辺戸岬 日本祖国復帰闘争碑<br />岬の北端に建つ「日本祖国復帰闘争碑」は、1972年5月15日、アメリカ統治下にあった沖縄が日本に返還されて沖縄県になった時の記念碑です。幾度も祖国復帰の闘争が繰り返されたのを忘れまいと、本土に一番近い最北端のこの地に碑が建てられています。この岬が本土の与論島に最も近いことから、沖合いで篝火を焚いて本土復帰を願う海上集会が年一回開かれた場所でもあったそうです。ここと22km北の与論島からそれぞれ漁船を出し合い、海上にあった当時の北緯27度の「国境」付近で祖国統一を誓い合っていたと聞くと胸が熱くなります。

    辺戸岬 日本祖国復帰闘争碑
    岬の北端に建つ「日本祖国復帰闘争碑」は、1972年5月15日、アメリカ統治下にあった沖縄が日本に返還されて沖縄県になった時の記念碑です。幾度も祖国復帰の闘争が繰り返されたのを忘れまいと、本土に一番近い最北端のこの地に碑が建てられています。この岬が本土の与論島に最も近いことから、沖合いで篝火を焚いて本土復帰を願う海上集会が年一回開かれた場所でもあったそうです。ここと22km北の与論島からそれぞれ漁船を出し合い、海上にあった当時の北緯27度の「国境」付近で祖国統一を誓い合っていたと聞くと胸が熱くなります。

  • 辺戸岬 日本祖国復帰闘争碑<br />祖国復帰闘争碑 「全国のそして全世界の友人へ贈る」<br />石碑には、本土復帰における沖縄の方々の率直な気持ちが深く刻まれています。<br />吹き渡る風の音に耳を傾けよ。権力に抗し復帰をなし遂げた大衆の乾杯の声だ。<br />打ち寄せる波濤の響きを聞け。戦争を拒み平和と人間解放を闘う大衆の雄叫びだ。 「鉄の暴風」やみ平和のおとずれを信じた沖縄県民は、米軍占領に引き続き、1952年4月28日サンフランシスコ「平和」条約第三条により、屈辱的な米国支配の鉄鎖に繋がれた。米国の支配は傲慢で県民の自由と人権を蹂躙した。祖国日本は海の彼方に遠く、沖縄県民の声は空しく消えた。われわれの闘いは蟷螂の斧に擬された。 しかし独立と平和を闘う世界の人々との連帯であることを信じ、全国民に呼びかけ、全世界の人々に訴えた。<br />見よ、平和にたたずまう宜名真の里から、27度線を断つ小舟は船出し、舷々相寄り勝利を誓う大海上大会に発展したのだ。今踏まえている土こそ、辺土区民の真心によって成る沖天の大焚火の大地なのだ。1972年5月15日、沖縄の祖国復帰は実現した。しかし県民の平和への願いは叶えられず、日米国家権力の恣意のまま軍事強化に逆用された。<br />しかるが故にこの碑は、喜びを表明するためにあるのでもなく、ましてや勝利を記念するためにあるのでもない。 闘いをふり返り、大衆が信じ合い、自らの力を確め合い、決意を新たにし合うためにこそあり、人類が永遠に生存し、生きとし生けるものが自然の攝理の下に生きながらえ得るために警鐘を鳴らさんとしてある。

    辺戸岬 日本祖国復帰闘争碑
    祖国復帰闘争碑 「全国のそして全世界の友人へ贈る」
    石碑には、本土復帰における沖縄の方々の率直な気持ちが深く刻まれています。
    吹き渡る風の音に耳を傾けよ。権力に抗し復帰をなし遂げた大衆の乾杯の声だ。
    打ち寄せる波濤の響きを聞け。戦争を拒み平和と人間解放を闘う大衆の雄叫びだ。 「鉄の暴風」やみ平和のおとずれを信じた沖縄県民は、米軍占領に引き続き、1952年4月28日サンフランシスコ「平和」条約第三条により、屈辱的な米国支配の鉄鎖に繋がれた。米国の支配は傲慢で県民の自由と人権を蹂躙した。祖国日本は海の彼方に遠く、沖縄県民の声は空しく消えた。われわれの闘いは蟷螂の斧に擬された。 しかし独立と平和を闘う世界の人々との連帯であることを信じ、全国民に呼びかけ、全世界の人々に訴えた。
    見よ、平和にたたずまう宜名真の里から、27度線を断つ小舟は船出し、舷々相寄り勝利を誓う大海上大会に発展したのだ。今踏まえている土こそ、辺土区民の真心によって成る沖天の大焚火の大地なのだ。1972年5月15日、沖縄の祖国復帰は実現した。しかし県民の平和への願いは叶えられず、日米国家権力の恣意のまま軍事強化に逆用された。
    しかるが故にこの碑は、喜びを表明するためにあるのでもなく、ましてや勝利を記念するためにあるのでもない。 闘いをふり返り、大衆が信じ合い、自らの力を確め合い、決意を新たにし合うためにこそあり、人類が永遠に生存し、生きとし生けるものが自然の攝理の下に生きながらえ得るために警鐘を鳴らさんとしてある。

  • 辺戸岬<br />何故沖縄が米国に占領されたかには諸説ありますが、米国は当初、琉球人は日本帝国に支配された異民族と誤解し、沖縄を日本が武力で制圧した植民地と考えていたようです。また、沖縄人は自ら政治・経済活動を行えないという先入観から、自治能力を過小評価し、沖縄における民主化に消極的であったとも伝えられています。米軍は演習や補給用地、倉庫群などの用地として次々に集落や農地を接収し、特に宜野湾市の田園地帯と伊江島は集落ごと破壊し、大規模な土地接収を断行しました。サンフランシスコ条約締結以降、沖縄の本土復帰を唱える団体や運動が弾圧され、更に米軍兵による事件が相次ぎ、次第に住民に反米感情が高まっていきました。しかし本土復帰への道のりは長く、そして険しいものでした。やがてベトナム戦争が始まり、その基点として役割を担う沖縄で航空機事故が勃発。また、不当な扱いを受ける市民の怒りは鎮まらず、米軍統治下に置くことは適切ではないと国内外に知らしめるきっかけとなりました。<br />そして、1969年の日米首脳会談にてニクソン大統領がベトナム戦争の近年中の終結を鑑み、日米安保条約の延長と引き換えに沖縄返還を約束しましたが、県民の強い期待とは裏腹に米軍基地を県内に残したままの返還が決定され、1972年5月15日に日本へ復帰することに至りました。<br />多くの県民は、複雑な気持ちでその日を迎えていました。何故なら、県民の復帰への願いは、核も基地も無い、平和で豊な明るい沖縄の姿を希求していたからです。復帰後も依然変わらない沖縄の米軍基地…。まだ沖縄の戦後は終っていないということでしょう。

    辺戸岬
    何故沖縄が米国に占領されたかには諸説ありますが、米国は当初、琉球人は日本帝国に支配された異民族と誤解し、沖縄を日本が武力で制圧した植民地と考えていたようです。また、沖縄人は自ら政治・経済活動を行えないという先入観から、自治能力を過小評価し、沖縄における民主化に消極的であったとも伝えられています。米軍は演習や補給用地、倉庫群などの用地として次々に集落や農地を接収し、特に宜野湾市の田園地帯と伊江島は集落ごと破壊し、大規模な土地接収を断行しました。サンフランシスコ条約締結以降、沖縄の本土復帰を唱える団体や運動が弾圧され、更に米軍兵による事件が相次ぎ、次第に住民に反米感情が高まっていきました。しかし本土復帰への道のりは長く、そして険しいものでした。やがてベトナム戦争が始まり、その基点として役割を担う沖縄で航空機事故が勃発。また、不当な扱いを受ける市民の怒りは鎮まらず、米軍統治下に置くことは適切ではないと国内外に知らしめるきっかけとなりました。
    そして、1969年の日米首脳会談にてニクソン大統領がベトナム戦争の近年中の終結を鑑み、日米安保条約の延長と引き換えに沖縄返還を約束しましたが、県民の強い期待とは裏腹に米軍基地を県内に残したままの返還が決定され、1972年5月15日に日本へ復帰することに至りました。
    多くの県民は、複雑な気持ちでその日を迎えていました。何故なら、県民の復帰への願いは、核も基地も無い、平和で豊な明るい沖縄の姿を希求していたからです。復帰後も依然変わらない沖縄の米軍基地…。まだ沖縄の戦後は終っていないということでしょう。

  • 辺戸岬<br />岬の北側は太平洋と東シナ海がぶつかる沖合からの猛々しい波濤が隆起した珊瑚礁の断崖絶壁に打ち付け、このダイナミックな景観に心が洗われるような気分です。特に秋から冬にかけては北風が強くてうねりも高く、鋭く尖った珊瑚礁石灰岩に当たって砕け散った波飛沫が崖の上まで飛んでくるほどです。<br />本来ならここも珊瑚礁が織り成すグラデーションの絶好ビューポイントなのですが…。<br />風が弱く、太陽が高い位置にある日中の訪問であれば、珊瑚礁のグラデーションが見下ろせるはずです。

    辺戸岬
    岬の北側は太平洋と東シナ海がぶつかる沖合からの猛々しい波濤が隆起した珊瑚礁の断崖絶壁に打ち付け、このダイナミックな景観に心が洗われるような気分です。特に秋から冬にかけては北風が強くてうねりも高く、鋭く尖った珊瑚礁石灰岩に当たって砕け散った波飛沫が崖の上まで飛んでくるほどです。
    本来ならここも珊瑚礁が織り成すグラデーションの絶好ビューポイントなのですが…。
    風が弱く、太陽が高い位置にある日中の訪問であれば、珊瑚礁のグラデーションが見下ろせるはずです。

  • 辺戸岬<br />2015年は第二次世界大戦の終戦70年の節目。しかし、歳月が流れてもなお、この戦争が発端の諸問題と直面しています。従軍慰安婦問題や韓国徴用工訴訟、閣僚の靖国神社参拝の是非など…。こうした日韓・日中関係を鑑みると、戦後は終焉していないというのが実感です。そんな折、日本に「懺悔のモデル」のドイツを見習うよう求める声が高まっています。実際、ドイツは、悔恨を鮮明にしてナチスが犯した罪を謝罪した結果、今日があります。真摯な態度が再び平和が脅かされる恐怖を沈静化させ、西欧は劇的な和解に至りました。一方、日本が戦争を振り返る時には謝罪の気持ちが伝わり難く、これが中・韓との関係がギクシャクしている理由とされています。この際、東アジア緊張緩和のために全面謝罪すべきとの意見もあり、有識者や戦争犠牲者のグループは安倍首相の談話に期待を寄せています。<br />留意すべきは、まず、日本が今まで公式謝罪してこなかった訳ではないことです。1970年にドイツ ブラント首相がワルシャワ・ゲットー記念碑前で跪いて献花したドラマチックな謝罪や1985年のワイツゼッカー首相の連邦議会の演説(国家としてではなくナチスの罪を謝罪)に匹敵するものは皆無ながら、1995年の村山談話では植民地支配と侵略について「痛切な反省の意」を表し、心からのお詫びを表明しています。この違いは、ドイツが国家とナチスを線引きしたのに対し、日本は明確な線引きができなかった点です。その理由は、A級戦犯を合祀した靖国神社を参拝する官僚が後を絶たないからです。つまり、身からでた錆びと言えます。<br />次に、謝罪が奏功するかどうかは未知数ということです。何故なら、安倍首相は海外からはタカ派と目され、「平和の使者」としてはミスキャストです。「信教の自由」を盾に靖国神社を参拝し、軍国主義者のレッテルを貼られました。「信教・表現の自由」はひとつの権利ですが、それによって社会に悪影響を及ぼせば義務の不履行となります。また、傲慢にも平和憲法を変えようと画策しています。そして、IS問題では、日本人2名の拘束を察しながらも、火に油を注ぐような慢心した言動で煽って悲惨な結果を招きました。誰がこのような首相の談話を素直に受け入れられるでしょうか?<br />もうひとつは、戦争を巡る議論は国益のために利用されるという現実です。中国では反日感情が弱体化した共産党を支える柱と化し、軍事増強を正当化しています。翻って、日本では中国の経済的興隆を日本産業への脅威と受け止める事態に陥っています。ドイツが発明し、米国が大量生産し、日本が小型化し、それを中国が模倣するというビジネスモデルです。かつての西欧では「窮鼠猫を噛む」の状態の中で共通の脅威が芽生え、それが和解成立を促す原動力となりました。しかし、現在の東アジアは混沌としたベクトルを呈しています。<br />しかし、節目として日本の立位置を世界へ発信することは必要なことです。「継続は力なり」です。首相は、「大戦への反省、戦後の平和国家としての歩み、今後アジア太平洋地域や世界にどのような貢献を果たしていくのか」を談話に加えるとHPに記し、世界から孤立しないために過去の公式謝罪から後退させないと公約しています。しかし、何を言及しようとも中・韓を納得させるのは至難の技です。何故なら、日本がドイツをモデルに傷を癒やそうとしても、中・韓が「赦しのモデル」であるフランスのように大人の態度がとれるか疑わしいからです。これはある意味想定内のことですが、不覚にも日本発の「表現の自由」がもたらす不協和音が新たな火種とならないことを祈るのみです。もしもこのような事態に陥れば、首相談話は茶番と化し、更なる泥沼へとまっしぐらです。

    辺戸岬
    2015年は第二次世界大戦の終戦70年の節目。しかし、歳月が流れてもなお、この戦争が発端の諸問題と直面しています。従軍慰安婦問題や韓国徴用工訴訟、閣僚の靖国神社参拝の是非など…。こうした日韓・日中関係を鑑みると、戦後は終焉していないというのが実感です。そんな折、日本に「懺悔のモデル」のドイツを見習うよう求める声が高まっています。実際、ドイツは、悔恨を鮮明にしてナチスが犯した罪を謝罪した結果、今日があります。真摯な態度が再び平和が脅かされる恐怖を沈静化させ、西欧は劇的な和解に至りました。一方、日本が戦争を振り返る時には謝罪の気持ちが伝わり難く、これが中・韓との関係がギクシャクしている理由とされています。この際、東アジア緊張緩和のために全面謝罪すべきとの意見もあり、有識者や戦争犠牲者のグループは安倍首相の談話に期待を寄せています。
    留意すべきは、まず、日本が今まで公式謝罪してこなかった訳ではないことです。1970年にドイツ ブラント首相がワルシャワ・ゲットー記念碑前で跪いて献花したドラマチックな謝罪や1985年のワイツゼッカー首相の連邦議会の演説(国家としてではなくナチスの罪を謝罪)に匹敵するものは皆無ながら、1995年の村山談話では植民地支配と侵略について「痛切な反省の意」を表し、心からのお詫びを表明しています。この違いは、ドイツが国家とナチスを線引きしたのに対し、日本は明確な線引きができなかった点です。その理由は、A級戦犯を合祀した靖国神社を参拝する官僚が後を絶たないからです。つまり、身からでた錆びと言えます。
    次に、謝罪が奏功するかどうかは未知数ということです。何故なら、安倍首相は海外からはタカ派と目され、「平和の使者」としてはミスキャストです。「信教の自由」を盾に靖国神社を参拝し、軍国主義者のレッテルを貼られました。「信教・表現の自由」はひとつの権利ですが、それによって社会に悪影響を及ぼせば義務の不履行となります。また、傲慢にも平和憲法を変えようと画策しています。そして、IS問題では、日本人2名の拘束を察しながらも、火に油を注ぐような慢心した言動で煽って悲惨な結果を招きました。誰がこのような首相の談話を素直に受け入れられるでしょうか?
    もうひとつは、戦争を巡る議論は国益のために利用されるという現実です。中国では反日感情が弱体化した共産党を支える柱と化し、軍事増強を正当化しています。翻って、日本では中国の経済的興隆を日本産業への脅威と受け止める事態に陥っています。ドイツが発明し、米国が大量生産し、日本が小型化し、それを中国が模倣するというビジネスモデルです。かつての西欧では「窮鼠猫を噛む」の状態の中で共通の脅威が芽生え、それが和解成立を促す原動力となりました。しかし、現在の東アジアは混沌としたベクトルを呈しています。
    しかし、節目として日本の立位置を世界へ発信することは必要なことです。「継続は力なり」です。首相は、「大戦への反省、戦後の平和国家としての歩み、今後アジア太平洋地域や世界にどのような貢献を果たしていくのか」を談話に加えるとHPに記し、世界から孤立しないために過去の公式謝罪から後退させないと公約しています。しかし、何を言及しようとも中・韓を納得させるのは至難の技です。何故なら、日本がドイツをモデルに傷を癒やそうとしても、中・韓が「赦しのモデル」であるフランスのように大人の態度がとれるか疑わしいからです。これはある意味想定内のことですが、不覚にも日本発の「表現の自由」がもたらす不協和音が新たな火種とならないことを祈るのみです。もしもこのような事態に陥れば、首相談話は茶番と化し、更なる泥沼へとまっしぐらです。

  • 辺戸岬<br />敷地内は遊歩道が整備されているため、ベビーカーや車椅子の方でも安心して観光を愉しむことができます。<br />ただし、遊歩道の先はゴツゴツした尖った珊瑚礁石灰岩のカルスト地形が続き、特に柵も設けられていないので転落には十分な注意が必要です。

    辺戸岬
    敷地内は遊歩道が整備されているため、ベビーカーや車椅子の方でも安心して観光を愉しむことができます。
    ただし、遊歩道の先はゴツゴツした尖った珊瑚礁石灰岩のカルスト地形が続き、特に柵も設けられていないので転落には十分な注意が必要です。

  • 辺戸岬 かりゆしの像(パナウル)<br />北の彼方に与論島の島影が望めるこの地に、友好の証として「ヨロン島  国頭村友好のきずな」という白いモニュメント『かりゆしの像』が建てられています。頭部が鳥で下半身が魚の姿をした架空の生物がモデルです。当初は「パナウル」と名命名されたイラストに過ぎなかったそうですが、次第に与論島のシンボル像となっていったそうです。像は沢山あるそうですが、造られる度に微妙にデザインが変わり、辺戸岬の像に初めて羽根が付けられたそうです。台座には珊瑚が貼られていますが、鳥はFRP(強化プラスチック)製です。中は空洞のようです。因みに、「パナウル」とは、与論島の方言で花と珊瑚を意味します。<br />それにしても与論島がこんなに近くにあったとは衝撃でした。その中間点に国境があったと言うことです。ここは、沖縄の波乱万丈の歴史に想いを馳せる場所でもあります。<br />本来ならこのモニュメントの左側に与論島が見えるのですが、肉眼でうっすら見える程度でした。最近は黄砂やPM2.5の関係で天気が良くても霞んでいることが多いそうですので少し気がかりです。

    辺戸岬 かりゆしの像(パナウル)
    北の彼方に与論島の島影が望めるこの地に、友好の証として「ヨロン島 国頭村友好のきずな」という白いモニュメント『かりゆしの像』が建てられています。頭部が鳥で下半身が魚の姿をした架空の生物がモデルです。当初は「パナウル」と名命名されたイラストに過ぎなかったそうですが、次第に与論島のシンボル像となっていったそうです。像は沢山あるそうですが、造られる度に微妙にデザインが変わり、辺戸岬の像に初めて羽根が付けられたそうです。台座には珊瑚が貼られていますが、鳥はFRP(強化プラスチック)製です。中は空洞のようです。因みに、「パナウル」とは、与論島の方言で花と珊瑚を意味します。
    それにしても与論島がこんなに近くにあったとは衝撃でした。その中間点に国境があったと言うことです。ここは、沖縄の波乱万丈の歴史に想いを馳せる場所でもあります。
    本来ならこのモニュメントの左側に与論島が見えるのですが、肉眼でうっすら見える程度でした。最近は黄砂やPM2.5の関係で天気が良くても霞んでいることが多いそうですので少し気がかりです。

  • 辺戸岬<br />辺戸岬先端の断崖の下部をよく観ると「小象の鼻」とも言えそうな洞穴が見られます。因みに、ネットを調べてみるとダイバーの間では「辺戸岬の象の鼻」で通っているようです。当方の審美眼もまんざらでもないかも…。

    辺戸岬
    辺戸岬先端の断崖の下部をよく観ると「小象の鼻」とも言えそうな洞穴が見られます。因みに、ネットを調べてみるとダイバーの間では「辺戸岬の象の鼻」で通っているようです。当方の審美眼もまんざらでもないかも…。

  • 辺戸岬<br />人体で「頭」は最も重要な場所のひとつであるのと同様に、国頭の地は古の琉球王国の「頭」として神により近い所でした。また、国頭にある辺戸岳は、一番初めに神が降臨した地と崇められ、沖縄では最も神聖な聖地とされています。辺戸集落は、北は辺戸岬、南は神々が鎮座する峰々(安須杜:あしむい)に挟まれた村です。また、沖縄の東西南北には沖縄本島を守るための要所として竜宮神が祀られ、ここ辺戸岬にはニーヌファ(北)の竜宮神が鎮座しています。(その他は、浜比嘉島竜宮神、大渡海岸竜宮神、瀬長島竜宮神)

    辺戸岬
    人体で「頭」は最も重要な場所のひとつであるのと同様に、国頭の地は古の琉球王国の「頭」として神により近い所でした。また、国頭にある辺戸岳は、一番初めに神が降臨した地と崇められ、沖縄では最も神聖な聖地とされています。辺戸集落は、北は辺戸岬、南は神々が鎮座する峰々(安須杜:あしむい)に挟まれた村です。また、沖縄の東西南北には沖縄本島を守るための要所として竜宮神が祀られ、ここ辺戸岬にはニーヌファ(北)の竜宮神が鎮座しています。(その他は、浜比嘉島竜宮神、大渡海岸竜宮神、瀬長島竜宮神)

  • 辺戸岬 聖地 安須杜(あしむい)<br />背後に聳える峰々は、聖地 安須杜(大石林山)です。地元では黄金森(クガニムイ)と呼ばれています。<br />沖縄には自然の姿を聖地として崇拝する文化があり、辺戸岬もそのひとつです。岬に限らず、やんばると呼ばれる森そのものが聖地とされ、中でも岬の後方に聳える山々には安須杜と呼ばれる琉球開闢の聖地が存在します。安須杜とは、長老の杜を意味する琉球古語。祖神アマミキヨが天帝の命を受けて最初に神降りした御嶽で、国造りの神ニヌファヌ神が祀られています。遠い昔、北方から南下してきたアマミキヨ族が航海中に目に留めたのが安須杜でした。その後、辺戸の宇座浜に上陸し、この地に居を構えました。これが神格化され、降臨(天孫=アマミキヨ)伝説へと繋がったと伝えられています。安須杜には今でも44箇所の拝所があり、峰々は天上界への入口に相当し、多くの神々や精霊たちが行き交うパワースポットとなっています。久高島がニライカナイ(海の底にある異界)に一番近い島だとしたら、安須杜は天なる神々に一番近い場所と言えます。

    辺戸岬 聖地 安須杜(あしむい)
    背後に聳える峰々は、聖地 安須杜(大石林山)です。地元では黄金森(クガニムイ)と呼ばれています。
    沖縄には自然の姿を聖地として崇拝する文化があり、辺戸岬もそのひとつです。岬に限らず、やんばると呼ばれる森そのものが聖地とされ、中でも岬の後方に聳える山々には安須杜と呼ばれる琉球開闢の聖地が存在します。安須杜とは、長老の杜を意味する琉球古語。祖神アマミキヨが天帝の命を受けて最初に神降りした御嶽で、国造りの神ニヌファヌ神が祀られています。遠い昔、北方から南下してきたアマミキヨ族が航海中に目に留めたのが安須杜でした。その後、辺戸の宇座浜に上陸し、この地に居を構えました。これが神格化され、降臨(天孫=アマミキヨ)伝説へと繋がったと伝えられています。安須杜には今でも44箇所の拝所があり、峰々は天上界への入口に相当し、多くの神々や精霊たちが行き交うパワースポットとなっています。久高島がニライカナイ(海の底にある異界)に一番近い島だとしたら、安須杜は天なる神々に一番近い場所と言えます。

  • 辺戸岬 小さな拝所(うがんじゅ)<br />岬の一画には、小さな拝所が設けられています。香炉のすぐ先の岩の頂には、北風を正面に受けた厳しい表情をした青銅製の「不動明王」像が安置されています。<br />恐らく、このように安須杜の聖地を仰ぎ見ながら願い事をするのでしょう。<br /><br />安須杜の峰々を側面から見ると「涅槃像(お釈迦さまが入滅する様子)」に見えます。涅槃像として見た場合、お釈迦さまの目の位置に当たる場所が最強のパワースポットになります。右側の額の部分は地上界、鼻から顎の部分を天上界としています。四連峰は、鼻の部位が「イヘヤ」、なだらかな鼻の下「シジャラ」、その先のピークが「アフリ」、左端の尖った顎が「シノクセ(辺戸岳)」と呼ばれます。<br />因みに、この辺戸岬から眺める安須杜の峰々は、聖徳太子の横顔にも似ていると言われています。安須杜は「大石林山」という自然のテーマパークになっていますので、島を造った琉球の神々のパワーをあやかりに巡られるのもお勧めです。この後、大石林山では、涅槃像の目の辺りまで登ることになります。

    辺戸岬 小さな拝所(うがんじゅ)
    岬の一画には、小さな拝所が設けられています。香炉のすぐ先の岩の頂には、北風を正面に受けた厳しい表情をした青銅製の「不動明王」像が安置されています。
    恐らく、このように安須杜の聖地を仰ぎ見ながら願い事をするのでしょう。

    安須杜の峰々を側面から見ると「涅槃像(お釈迦さまが入滅する様子)」に見えます。涅槃像として見た場合、お釈迦さまの目の位置に当たる場所が最強のパワースポットになります。右側の額の部分は地上界、鼻から顎の部分を天上界としています。四連峰は、鼻の部位が「イヘヤ」、なだらかな鼻の下「シジャラ」、その先のピークが「アフリ」、左端の尖った顎が「シノクセ(辺戸岳)」と呼ばれます。
    因みに、この辺戸岬から眺める安須杜の峰々は、聖徳太子の横顔にも似ていると言われています。安須杜は「大石林山」という自然のテーマパークになっていますので、島を造った琉球の神々のパワーをあやかりに巡られるのもお勧めです。この後、大石林山では、涅槃像の目の辺りまで登ることになります。

  • 辺戸岬 宇佐浜海岸方面<br />岬から南東方向の宇佐浜海岸方面を俯瞰すると、ここには比較的穏やかな海原が横たわっています。この辺りも珊瑚礁の縁取りが美しいポイントです。<br />宇佐浜海岸周辺の珊瑚礁地形は、典型的な裾礁(フリンジングリーフ:陸地の周縁に形成された珊瑚礁)に分類されます。引き潮の時には、砂浜の先に幅100mほどの浅瀬の珊瑚礁(イノー)が広がります。<br />

    辺戸岬 宇佐浜海岸方面
    岬から南東方向の宇佐浜海岸方面を俯瞰すると、ここには比較的穏やかな海原が横たわっています。この辺りも珊瑚礁の縁取りが美しいポイントです。
    宇佐浜海岸周辺の珊瑚礁地形は、典型的な裾礁(フリンジングリーフ:陸地の周縁に形成された珊瑚礁)に分類されます。引き潮の時には、砂浜の先に幅100mほどの浅瀬の珊瑚礁(イノー)が広がります。

  • 辺戸岬 立神岩(たちがみいわ)<br />切り立った断崖絶壁が連なる中、海中にはポツンと「立神岩」の名に相応しい岩塊が凛々しく屹立しています。海底遺跡で話題沸騰の与那国島の「立神岩」の方が知名度が勝り、辺戸岬のものはあまり注目されないようですが、見る人が見るとこの岩の中に右手に長い宝剣を携えた不動明王の立ち姿が見えるそうです。凡人の当方には無理ですが…。恐らく、岬に現れる神は、後方の安須杜の聖地を外護する神なのでしょう。

    辺戸岬 立神岩(たちがみいわ)
    切り立った断崖絶壁が連なる中、海中にはポツンと「立神岩」の名に相応しい岩塊が凛々しく屹立しています。海底遺跡で話題沸騰の与那国島の「立神岩」の方が知名度が勝り、辺戸岬のものはあまり注目されないようですが、見る人が見るとこの岩の中に右手に長い宝剣を携えた不動明王の立ち姿が見えるそうです。凡人の当方には無理ですが…。恐らく、岬に現れる神は、後方の安須杜の聖地を外護する神なのでしょう。

  • 辺戸岬 炬火『友情の火』の石碑<br />1987年10月に開催された第42回国民体育大会「海邦国体」の炬火『友情の火』の石碑も建てられています。全国一巡の最後を締め括り、また、復帰15周年の記念大会でした。 沖縄県は、県民の大声援に後押しされて総合優勝を果たしています。<br />昭和天皇は、沖縄訪問を楽しみになされていたのですが、直前に病に倒れて実現に至りませんでした。その無念を「思わざる 病となりぬ 沖縄を たづねて果たさむ つとめありしを」と詠んでいます。<br />しかし、その国体会場で日の丸を燃やすというショッキングな事件が起こりました。それには前段となるひとつの事件が存在します。国体を控えた学校現場は「日の丸・君が代」の強制で混乱していました。読谷高校卒業式では女子在校生が壇上に立てられた日の丸を奪い、ドブに浸けて路上に放り投げるという抵抗を示したのです。中曽根首相が唱える「戦後政治の総決算」とは、戦後から一巡目の最後を飾る海邦国体に昭和天皇を出席させ、県民の抵抗を和らげるという政治的幕引きストーリーだったのです。「日の丸・君が代」の強制はそのためのツールでした。<br />海邦国体ソフトボール会場のメインポールに翻った日の丸を百円ライターで焼き捨てたのが、知花昌一氏。それは「日の丸の強制を許さない」という、当時の読谷村の意志を踏みにじられたことへの抵抗表現でした。氏にとって日の丸とは、沖縄復帰と解放の印としてかつて血が滲むほど自ら振った旗でした。そんな思い入れのある日の丸を燃やしたのです。それから「日の丸裁判」「象のオリ再契約拒否〜反戦地主としての闘い」〜読谷村議会議員としての活動〜真宗大谷派僧侶への変身と波瀾万丈の人生を歩んで来られました。<br />これらの事件から察するのは、沖縄ほど日の丸に憧れ、また日の丸に悲しんだ県民もいないということです。これ以上苦しませてよいものでしょうか?

    辺戸岬 炬火『友情の火』の石碑
    1987年10月に開催された第42回国民体育大会「海邦国体」の炬火『友情の火』の石碑も建てられています。全国一巡の最後を締め括り、また、復帰15周年の記念大会でした。 沖縄県は、県民の大声援に後押しされて総合優勝を果たしています。
    昭和天皇は、沖縄訪問を楽しみになされていたのですが、直前に病に倒れて実現に至りませんでした。その無念を「思わざる 病となりぬ 沖縄を たづねて果たさむ つとめありしを」と詠んでいます。
    しかし、その国体会場で日の丸を燃やすというショッキングな事件が起こりました。それには前段となるひとつの事件が存在します。国体を控えた学校現場は「日の丸・君が代」の強制で混乱していました。読谷高校卒業式では女子在校生が壇上に立てられた日の丸を奪い、ドブに浸けて路上に放り投げるという抵抗を示したのです。中曽根首相が唱える「戦後政治の総決算」とは、戦後から一巡目の最後を飾る海邦国体に昭和天皇を出席させ、県民の抵抗を和らげるという政治的幕引きストーリーだったのです。「日の丸・君が代」の強制はそのためのツールでした。
    海邦国体ソフトボール会場のメインポールに翻った日の丸を百円ライターで焼き捨てたのが、知花昌一氏。それは「日の丸の強制を許さない」という、当時の読谷村の意志を踏みにじられたことへの抵抗表現でした。氏にとって日の丸とは、沖縄復帰と解放の印としてかつて血が滲むほど自ら振った旗でした。そんな思い入れのある日の丸を燃やしたのです。それから「日の丸裁判」「象のオリ再契約拒否〜反戦地主としての闘い」〜読谷村議会議員としての活動〜真宗大谷派僧侶への変身と波瀾万丈の人生を歩んで来られました。
    これらの事件から察するのは、沖縄ほど日の丸に憧れ、また日の丸に悲しんだ県民もいないということです。これ以上苦しませてよいものでしょうか?

  • 辺戸岬 「沖縄島最北端の地」の碑<br />これが「沖縄島最北端の地」の碑になります。<br />沢山の碑があるので、記念写真を撮るにも、どれがどれだか混乱してしまうほどです。<br />因みに、この碑を入れて記念撮影するには午後が適しています。午前中はこのように逆行になるので、少し角度を持たせたアングルで撮ることになります。

    辺戸岬 「沖縄島最北端の地」の碑
    これが「沖縄島最北端の地」の碑になります。
    沢山の碑があるので、記念写真を撮るにも、どれがどれだか混乱してしまうほどです。
    因みに、この碑を入れて記念撮影するには午後が適しています。午前中はこのように逆行になるので、少し角度を持たせたアングルで撮ることになります。

  • 茅打(かやうち)バンタ<br />沖縄本島北端の国頭(くにがみ)村宜名真(ぎなま)に位置し、東シナ海に向かって屹立する高さ80mの断崖絶壁の上にある景勝地です。この下には宜名真トンネルが貫通しています。沖縄海岸国定公園にあり、辺戸岬と共に沖縄通が一度は目指す絶景スポットのひとつです。<br />崖下から吹き上げる風を受けて眼下に目を移すと、沖縄本島西海岸の海岸線が南へ延びる姿がくっきりと見え、雄大な森林と水平線が大地を2分する大自然の息吹が圧倒的な力で迫ってきます。また、美ら海と伊平屋島や伊是名島を見渡す絶好のビューポイントでもあります。<br />名の由来は、束ねた茅を崖から投げ込むと海上からの上昇気流にあおられてバラバラになることから付けられました。因みに、茅とは古くから屋根材や飼肥料などに利用されてきた草本の有用植物の総称です。判り易いものでは、ススキもその一種です。また、バンタとは沖縄の方言で崖を指し、「茅吹ち」がなまって「茅打ち」バンタと呼ばれるようになったそうです。<br />眼下には透明感のある美しい海が水平線まで広がり、珊瑚礁の中には青色や茶色の魚影を映すこともあるそうです。また、ここの外海は水深がかなり深いため、マグロなどの回遊魚がやってくることでも有名です。

    茅打(かやうち)バンタ
    沖縄本島北端の国頭(くにがみ)村宜名真(ぎなま)に位置し、東シナ海に向かって屹立する高さ80mの断崖絶壁の上にある景勝地です。この下には宜名真トンネルが貫通しています。沖縄海岸国定公園にあり、辺戸岬と共に沖縄通が一度は目指す絶景スポットのひとつです。
    崖下から吹き上げる風を受けて眼下に目を移すと、沖縄本島西海岸の海岸線が南へ延びる姿がくっきりと見え、雄大な森林と水平線が大地を2分する大自然の息吹が圧倒的な力で迫ってきます。また、美ら海と伊平屋島や伊是名島を見渡す絶好のビューポイントでもあります。
    名の由来は、束ねた茅を崖から投げ込むと海上からの上昇気流にあおられてバラバラになることから付けられました。因みに、茅とは古くから屋根材や飼肥料などに利用されてきた草本の有用植物の総称です。判り易いものでは、ススキもその一種です。また、バンタとは沖縄の方言で崖を指し、「茅吹ち」がなまって「茅打ち」バンタと呼ばれるようになったそうです。
    眼下には透明感のある美しい海が水平線まで広がり、珊瑚礁の中には青色や茶色の魚影を映すこともあるそうです。また、ここの外海は水深がかなり深いため、マグロなどの回遊魚がやってくることでも有名です。

  • 茅打バンタ 珊瑚礁<br />1996年、この茅打バンタの真下辺りで、世界的にも珍しいドーム状の宜名真海底鍾乳洞が発見されました。ムー大陸やアトランティスのように、かつては陸地だったものが海底に沈んだものと考えられています。しかし、鍾乳石のある壁面には目が退化した新種とされる小さなコオロギが住み着き、この洞窟が陸上のどこかと通じていると考えるのが理に適うため沈下説も揺らいでいます。祖神 アマミキヨが降り立ったという辺戸岳の山頂付近には深い縦穴が2ヶ所確認されており、もしこの洞窟と通じていれば興味深いことです。鍾乳洞には石器や貝塚など生活の痕跡を示す遺跡も発見されており、慶良間の海底遺跡同様に謎に満ちた神秘ゾーンと言えます。<br />通常、鍾乳洞と言えば石灰岩を思い浮かべますが、ここの地層は部分的には石灰岩があるものの、主となる地層は黒色片岩のようです。

    茅打バンタ 珊瑚礁
    1996年、この茅打バンタの真下辺りで、世界的にも珍しいドーム状の宜名真海底鍾乳洞が発見されました。ムー大陸やアトランティスのように、かつては陸地だったものが海底に沈んだものと考えられています。しかし、鍾乳石のある壁面には目が退化した新種とされる小さなコオロギが住み着き、この洞窟が陸上のどこかと通じていると考えるのが理に適うため沈下説も揺らいでいます。祖神 アマミキヨが降り立ったという辺戸岳の山頂付近には深い縦穴が2ヶ所確認されており、もしこの洞窟と通じていれば興味深いことです。鍾乳洞には石器や貝塚など生活の痕跡を示す遺跡も発見されており、慶良間の海底遺跡同様に謎に満ちた神秘ゾーンと言えます。
    通常、鍾乳洞と言えば石灰岩を思い浮かべますが、ここの地層は部分的には石灰岩があるものの、主となる地層は黒色片岩のようです。

  • 茅打バンタ 宜名真漁港<br />沖縄本島最北部の西海岸から南方向を写したものです。<br />沖縄では、海に面した崖でこれほどの高さを有するものは他に類を見ません。<br />左には宜名真漁港が穏やかな表情を見せています。その先にはやんばるの山々の深い森の緑と浅瀬に広がる珊瑚礁のエメラルドグリーン〜外海のコバルトブルーのコントラストが印象的です。<br />こうした素朴な漁村風景は、また違った視点で沖縄を感じさせてくれます。沖縄と言えばリゾート地と思われがちですが、北部にはこうした素朴な風景がまだ残されています。こうして崖の上から眺める漁村風景が本当の沖縄の姿だと絶賛される方も多いそうです。人々の暮らしと自然が融合している様は、まるで一幅の絵を見ているようで、美しい情景に思わず時を忘れてしまいます。<br />宜名真漁港は新鮮で質の良いシイラがたくさん水揚げされるため、宜名真の秋〜冬の風物詩には「フーヌイユー(シイラの天日干し)」が挙げられます。また、宜名真漁港産「海ぶどう」でも名を馳せています。<br />下を覗き込むと広がる海の碧さに思わず吸い込まれそうになります。ご注意を!

    茅打バンタ 宜名真漁港
    沖縄本島最北部の西海岸から南方向を写したものです。
    沖縄では、海に面した崖でこれほどの高さを有するものは他に類を見ません。
    左には宜名真漁港が穏やかな表情を見せています。その先にはやんばるの山々の深い森の緑と浅瀬に広がる珊瑚礁のエメラルドグリーン〜外海のコバルトブルーのコントラストが印象的です。
    こうした素朴な漁村風景は、また違った視点で沖縄を感じさせてくれます。沖縄と言えばリゾート地と思われがちですが、北部にはこうした素朴な風景がまだ残されています。こうして崖の上から眺める漁村風景が本当の沖縄の姿だと絶賛される方も多いそうです。人々の暮らしと自然が融合している様は、まるで一幅の絵を見ているようで、美しい情景に思わず時を忘れてしまいます。
    宜名真漁港は新鮮で質の良いシイラがたくさん水揚げされるため、宜名真の秋〜冬の風物詩には「フーヌイユー(シイラの天日干し)」が挙げられます。また、宜名真漁港産「海ぶどう」でも名を馳せています。
    下を覗き込むと広がる海の碧さに思わず吸い込まれそうになります。ご注意を!

  • 茅打バンタ<br />崖上の展望遊歩道はしっかりとした事故防止の柵で固められていますが、眼下を見下ろすとその険しさに足が竦む思いがします。周辺は園地として整備され、自然賛歌などの記念石碑や休憩用の東屋なども置かれ、じっくり腰を据えて眺望を満喫することができます。ここのポイントは眺望ですので、天気が悪い場合はスキップしてもよいかもしれません。<br />この写真は、漁港を見渡す展望台から、柵に沿って右側へ細い路を辿った突き当たりから撮影しています。珊瑚礁を見るにはこの位置がベストです。

    茅打バンタ
    崖上の展望遊歩道はしっかりとした事故防止の柵で固められていますが、眼下を見下ろすとその険しさに足が竦む思いがします。周辺は園地として整備され、自然賛歌などの記念石碑や休憩用の東屋なども置かれ、じっくり腰を据えて眺望を満喫することができます。ここのポイントは眺望ですので、天気が悪い場合はスキップしてもよいかもしれません。
    この写真は、漁港を見渡す展望台から、柵に沿って右側へ細い路を辿った突き当たりから撮影しています。珊瑚礁を見るにはこの位置がベストです。

  • 茅打バンタ 珊瑚礁<br />このように宜名真の珊瑚礁の海景色を俯瞰する隠れた名所でもあります。少し大げさに言えば「グレート・バリア・リーフ」の航空写真を彷彿とさせるものがあります。まるで宝石を見ているかのようでうっとりしてしまいます。<br /><br />かつて道路が整備されていなかった頃、宜名真(ぎなま)の集落には平地が少なく、茅打ちバンタの先にある辺戸上原という高地まで畑を耕作しに往来したのですが、その道が狭く、途中で反対方向から来た人と出くわすとどちらかが戻って道を譲らねばならなかったことから、「戻る道」とも呼ばれたそうです。<br />その大昔からあった細道を人馬が通れるほどの道幅に広げたのが1913年。道路の拡幅を提案したのは、なんと小学校の校長先生でした。役所に掛け合っても無視され、村人だけで着手した後、漸く役所の支援が得られて完成に至ったそうです。ところで、何故、校長が音頭を取ったかと言うと、家々が貧しく子供たちが学校に来られないのは、「畑に行く道が狭いから」と考え、まずそこから着手したということです。 <br />茅打バンタは、宜名真トンネル完成の1982年まで利用されていました。現在は茅打バンタの山塊をトンネルが貫通し、辺戸岬に通じています。

    茅打バンタ 珊瑚礁
    このように宜名真の珊瑚礁の海景色を俯瞰する隠れた名所でもあります。少し大げさに言えば「グレート・バリア・リーフ」の航空写真を彷彿とさせるものがあります。まるで宝石を見ているかのようでうっとりしてしまいます。

    かつて道路が整備されていなかった頃、宜名真(ぎなま)の集落には平地が少なく、茅打ちバンタの先にある辺戸上原という高地まで畑を耕作しに往来したのですが、その道が狭く、途中で反対方向から来た人と出くわすとどちらかが戻って道を譲らねばならなかったことから、「戻る道」とも呼ばれたそうです。
    その大昔からあった細道を人馬が通れるほどの道幅に広げたのが1913年。道路の拡幅を提案したのは、なんと小学校の校長先生でした。役所に掛け合っても無視され、村人だけで着手した後、漸く役所の支援が得られて完成に至ったそうです。ところで、何故、校長が音頭を取ったかと言うと、家々が貧しく子供たちが学校に来られないのは、「畑に行く道が狭いから」と考え、まずそこから着手したということです。
    茅打バンタは、宜名真トンネル完成の1982年まで利用されていました。現在は茅打バンタの山塊をトンネルが貫通し、辺戸岬に通じています。

  • 茅打バンタ ナンヨウスギ(南洋杉)<br />天空に突き刺さるがごとくひょろりと伸びる木。この木は、ナンヨウスギと言い、裸子植物門マツ綱ナンヨウスギ科の常緑高木です。別名はパインツリー。県内で多く植栽されているのはノーフォーク島原産のシマナンヨウスギです。自生地がニューカレドニアのノーフォーク島に限られ、天国にいちばん近い島に相応しい樹として神が選んだのかもしれません。世界三大庭園樹(コウヤマキ、ヒマラヤスギ、アロウカリヤ=シマナンヨウスギ)の一つに数えられ、沖縄にある針状樹はこのスギを含めて希少です。<br />元々この木は背が高いのですが、沖縄の強い台風の影響で外側の葉や枝が吹き飛ばされ、細長く育ってしまうそうです。やや軽軟で加工性に富みますが、強度が低く、耐朽性も低いため用途は限定的です。家具や合板、木型、マッチの軸、割り箸などに利用されます。<br />花粉症の身にはスギと聞くだけでアレルギー反応が現れるのですが、本土で花粉症をもたらすヒノキ科のスギとは異なるため大丈夫だそうです。花粉症の季節には沖縄に逃避されてくる観光客も多いそうです。<br /><br />この続きは、早春賦 沖縄紀行⑤やんばるエリア(大石林山)でレポいたします。

    茅打バンタ ナンヨウスギ(南洋杉)
    天空に突き刺さるがごとくひょろりと伸びる木。この木は、ナンヨウスギと言い、裸子植物門マツ綱ナンヨウスギ科の常緑高木です。別名はパインツリー。県内で多く植栽されているのはノーフォーク島原産のシマナンヨウスギです。自生地がニューカレドニアのノーフォーク島に限られ、天国にいちばん近い島に相応しい樹として神が選んだのかもしれません。世界三大庭園樹(コウヤマキ、ヒマラヤスギ、アロウカリヤ=シマナンヨウスギ)の一つに数えられ、沖縄にある針状樹はこのスギを含めて希少です。
    元々この木は背が高いのですが、沖縄の強い台風の影響で外側の葉や枝が吹き飛ばされ、細長く育ってしまうそうです。やや軽軟で加工性に富みますが、強度が低く、耐朽性も低いため用途は限定的です。家具や合板、木型、マッチの軸、割り箸などに利用されます。
    花粉症の身にはスギと聞くだけでアレルギー反応が現れるのですが、本土で花粉症をもたらすヒノキ科のスギとは異なるため大丈夫だそうです。花粉症の季節には沖縄に逃避されてくる観光客も多いそうです。

    この続きは、早春賦 沖縄紀行⑤やんばるエリア(大石林山)でレポいたします。

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