2014/11/23 - 2014/11/23
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ぴんぴんころりさん
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神子畑選鉱場跡は巨大な構造物が山の斜面に張り付いている感じです。
その歴史は800年頃に鉱山として開拓された神子畑は15世紀頃から採鉱が盛んになり、その後、明治政府の管理から一時は皇室財産として宮内省の管轄にもなりました。
明治29(1896)年に三菱へ払い下げられ、大正8(1919)年には大規模な選鉱場が建設されました。
取り壊し前の選鉱場の様子
山を隔て6キロメートル離れた明延鉱山(養父市大屋町)から運ばれてきた鉱石をその比重や浮力を利用して亜鉛、銅、錫に選鉱。
東洋一の生産高を誇りました。
ムーセ旧居は鉱山技師達の住まいでした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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歴史が書かれていました。
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遺構。
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三連休の中日だったので、人が結構いてました。
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ここには三度目でしたが、めったに人はおりません。
今日は特別でした。 -
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ムーセ旧居。
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現在は写真館となってました。
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一円電車。
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昭和20年になると鉱石だけではなく、人を運ぶ客車の運行が始まりました。昭和27年に一円電車切符の発行が始まり、昭和60年までの33年間、料金1円で人々を運びました。これが一円電車です。片道30分、客車2両で定員は約40人です。料金が1円の一円電車は、明延鉱山のシンボルとして全国的に有名になりました、しかし、昭和60年11月、明延鉱山の合理化のため、一円電車の運行は終了しました。
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小さな車両でしたがオモチャのようで可愛いものです。
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壮大な景色です。
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色ついてました。
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昔の写真です。
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昔の写真です。
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フランス人技師と家族達の名前があります。
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錫の製品。
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写真家織作峰子の作品を展示する写真美術館ムーセハウス写真館(2004年開館)として利用されている。
兵庫県指定重要文化財。 -
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昔の写真です。
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昔の写真です。
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