2014/08/21 - 2022/08/31
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砂布巾さん
は じ め に
子どもの頃から海外、特にドイツへの憧れがあった。
(このページを訪問してくださった方へ)
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心からの感謝を込めて 砂布巾
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最初の海外旅行が1984年(前年には母の故郷で水害に遭遇し、床上浸水を経験した)大学3年時に参加した西ドイツ(当時)でのホームステイを主とするツアーだった。この時1日ツアーでブレーメンのほか、周囲を壁で囲まれた「陸の孤島」西ベルリンも訪問し、考えさせられるものがあった。
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ソ連書記長にゴルバチョフが就任した4年後の1989(平成元)年。中国ではそれに刺激され6月には天安門事件が起こった。廿日市で夜遅くまでテレビにかじりついた。11月には東ドイツが壁を開放(ポーランドでは既に非共産政権が誕生していた)、その後チェコスロヴァキア(当時)のビロード革命、ルーマニア大統領処刑へと波及。12月のマルタでの米ソ首脳会談で冷戦終結が謳われ、歴史の節目となった。なおゴルバチョフは2022年の8月30日に亡くなった。
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*東ベルリン側からの写真 ブランデンブルク門は東ベルリンに属していた
当時営業マンとしての「壁」に直面していた砂布巾は、翌年6月からソ連、北欧、統一直前のドイツ、オーストリア、ポーランドなどと北京を巡る大旅行を敢行し、特に1997年以降意識して第二次大戦や戦後史関連の地を訪問するようになった。
ある時、日付順に第二次大戦中の出来事を並べた。それがこのベースとなっている。
最後に詳述するが、2000年12月にはHPを開設。その後7回のヨーロッパ、2回の韓国(東西で軍事境界線を越えた北朝鮮2回を含む)旅行などを敢行し、2015年に「自叙伝的旅行記~ヨーロッパにおける第二次大戦を歩く」(最終確定版)として完成。ブランデンブルク門 建造物
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*宮島大聖院のダライ・ラマ師(朝青竜も来ていた) 残念ながらピンボケ
その後も戦後のドイツ、朝鮮半島などに関する記述を加え、2016年10月には1990年に諦めた盧溝橋を訪問し、日中戦争の正式項目も追加。タイトルに「…を中心に」を入れた。2017年4月独ソ開戦の象徴的場所ブレスト(現ベラルーシ)と首都ミンスク(依然東部前線の記述は多くない)、2018年北京・東北地方(旧満州)とニューヨーク、コロナ直前の2019年にハワイを訪問し、日本が始めた戦争・事変の項目なども追加できた。大聖院 寺・神社・教会
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*南アフリカ ツツ大主教 オーラが凄い 握手はしてもらえなかった
また砂布巾自身の知識不足の問題もある。それはさておき「自分史」の項目も入れ、現時点におけるこれまでの旅の記録としてまとめてみた。 この旅行記は1996年から2013年まで17年間務め、中途退職した高校「世界史」教員生活のいわば総まとめ的意味をも持つ。実を言うと本文以外の部分は苦手でもあった。世界平和記念聖堂 寺・神社・教会
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*原爆ドームを見上げるバングラデシュ グラミン銀行総裁ユヌス氏
基本的に並びは日付順としている。「ユダヤ人」、「戦前史」、「戦後史」、「映画」、「人物」、「音楽」の区分も採用し、ともに便宜上国名(訪問先)を付与している。国名は本人の国籍や、訪問地など1か国とした。(改訂2022年9月)原爆ドーム 名所・史跡
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旅行記グループ 砂布巾のLW「進化し続ける自叙伝的旅行記~ヨーロッパにおける大戦を中心に20世紀の歴史を歩く」
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