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 ドイツ・メルヘン街道、ミュンスターラントの水城と、オランダ、ベルギー・ルクセンブルクのアルデンヌ地方の古城を巡る旅<br /><br />期間:2013年10月14日(月)〜10月28日(月)15日間:10月17日(木)<br /><br />XXX<br /><br />St. Hubert聖ユベールはオランダのマーストリヒトMaastrichtと、ベルギーのリエージュLiegeの司教で、後に聖人(655ころ‐727年)に列せられた。<br /><br />伝説によれば、世俗の貴族であったが、復活祭の日に狩りに行ったところ、一頭の鹿の角の間にキリストの十字架を幻視し、改心したと云う。<br /><br />写真は十字架を幻視する場面の絵

≪アルデンヌ地方:実在した狩人の守護聖人St. Hubert聖ユベール≫

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2013/10/14 - 2013/10/28

14位(同エリア48件中)

旅行記グループ ドイツ以外の伝説・民話

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jijidaruma

jijidarumaさん

ドイツ・メルヘン街道、ミュンスターラントの水城と、オランダ、ベルギー・ルクセンブルクのアルデンヌ地方の古城を巡る旅

期間:2013年10月14日(月)〜10月28日(月)15日間:10月17日(木)

XXX

St. Hubert聖ユベールはオランダのマーストリヒトMaastrichtと、ベルギーのリエージュLiegeの司教で、後に聖人(655ころ‐727年)に列せられた。

伝説によれば、世俗の貴族であったが、復活祭の日に狩りに行ったところ、一頭の鹿の角の間にキリストの十字架を幻視し、改心したと云う。

写真は十字架を幻視する場面の絵

旅行の満足度
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
レンタカー
航空会社
ルフトハンザドイツ航空 ANA
旅行の手配内容
個別手配

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  • 以後、聖ユベールはアルデンヌ地方でのキリスト教の布教に努めた。<br />聖ユベールはこの地方の狩人、山林官などの守護聖人として崇敬され、とりわけ当時恐ろしい狂犬病を鎮めるとされて、多くの信仰を集めた。<br /><br />また、聖ユベールは美術作品では犬や鹿を連れた狩人または司教として描かれ、伝説から十字架を幻視する場面、司教に就任する場面などが表現されている。<br /><br />尚、<br />St.Hubertus聖フベルトゥスはラテン語読みで、ドイツ語・オランダ語でフーベルト(Hubert)、フランス語でユベール(Hubert)、英語ではヒューバート (Hubert)と、其々異なった呼び方をするので、聖ユベールの伝説が聖フベルトゥスの伝説と一致せず、理解に戸惑った。<br />ここベルギー・アルデンヌ地方ではフランス語のユベール(Hubert)を使った。<br /><br /><br />写真は十字架を幻視する場面の絵<br />

    以後、聖ユベールはアルデンヌ地方でのキリスト教の布教に努めた。
    聖ユベールはこの地方の狩人、山林官などの守護聖人として崇敬され、とりわけ当時恐ろしい狂犬病を鎮めるとされて、多くの信仰を集めた。

    また、聖ユベールは美術作品では犬や鹿を連れた狩人または司教として描かれ、伝説から十字架を幻視する場面、司教に就任する場面などが表現されている。

    尚、
    St.Hubertus聖フベルトゥスはラテン語読みで、ドイツ語・オランダ語でフーベルト(Hubert)、フランス語でユベール(Hubert)、英語ではヒューバート (Hubert)と、其々異なった呼び方をするので、聖ユベールの伝説が聖フベルトゥスの伝説と一致せず、理解に戸惑った。
    ここベルギー・アルデンヌ地方ではフランス語のユベール(Hubert)を使った。


    写真は十字架を幻視する場面の絵

  • ≪伝説:狩人の守護聖人、聖ユベール≫<br /><br />聖ユベールは、実在が危ぶまれる他の伝説の英雄とは違いHerzogtum Aquitanienアキテーヌ公爵家(Gallia Aquitaniaローマのガリア・アキテーヌ国で 後に西ゴート国に従属し、更にフランケン王国に併合された。)・ベルトラン公爵の長男で、フランク王クローヴィスの曾孫にあたるという確実な資料が残っているそうである。<br /><br />それによると28才の頃、ネウストリア(フランク王国西部)の退屈きわまる宮廷から逃げ出し、親戚にあたるピピン王のエールスタル(リエージュ近郊)の離宮に滞在し、狩りに熱中していた。<br /><br /><br />写真は聖ユベールバジリカ聖堂

    ≪伝説:狩人の守護聖人、聖ユベール≫

    聖ユベールは、実在が危ぶまれる他の伝説の英雄とは違いHerzogtum Aquitanienアキテーヌ公爵家(Gallia Aquitaniaローマのガリア・アキテーヌ国で 後に西ゴート国に従属し、更にフランケン王国に併合された。)・ベルトラン公爵の長男で、フランク王クローヴィスの曾孫にあたるという確実な資料が残っているそうである。

    それによると28才の頃、ネウストリア(フランク王国西部)の退屈きわまる宮廷から逃げ出し、親戚にあたるピピン王のエールスタル(リエージュ近郊)の離宮に滞在し、狩りに熱中していた。


    写真は聖ユベールバジリカ聖堂

  • ある秋の日、アルデンヌの森で狩りをしていると、一頭の立派な角を持った鹿に森の奥深くに導かれた。立派な鹿を仕留めようとねらったが、鹿の角の間に十字架の形の光が現れ、無益な殺生に夢中になっているユベールを諭し、宗教生活に入るように促したと云う。<br /><br />それ以来、宮廷を離れ、ピピンの妃プレクトルーデが建てたアンダージュの修道院で僧になった。後に聖ランベールの跡を継いでリエージュ司教になり、数々の奇跡を行ったと言われる。<br />紀元727年に死去しだが、16年後にもその遺体は生前の如くであったことから、743年11月3日、聖人に列せられた。<br /><br /><br />写真は十字架を幻視する場面の絵

    ある秋の日、アルデンヌの森で狩りをしていると、一頭の立派な角を持った鹿に森の奥深くに導かれた。立派な鹿を仕留めようとねらったが、鹿の角の間に十字架の形の光が現れ、無益な殺生に夢中になっているユベールを諭し、宗教生活に入るように促したと云う。

    それ以来、宮廷を離れ、ピピンの妃プレクトルーデが建てたアンダージュの修道院で僧になった。後に聖ランベールの跡を継いでリエージュ司教になり、数々の奇跡を行ったと言われる。
    紀元727年に死去しだが、16年後にもその遺体は生前の如くであったことから、743年11月3日、聖人に列せられた。


    写真は十字架を幻視する場面の絵

  • 森の奇跡が人々の間に根強い人気を起こし、巡礼がひきもきらないので、聖ユベールへの礼拝がリエージュの聖人ランベールSaint-Lambertの妨げとならないように、825年には聖ユベールが修道生活を送ったアンダージュにその遺体を移し、以後このベネディクト派の修道院と町はSaint-Hubertサンテュベール(聖ユベールバジリカ聖堂Basilique St-Hubert)と呼ばれるようになった。<br /><br />サンテュベール修道院は広大な領地を持ち、この地方随一の図書館を備えるなど西ヨーロッパの知的、芸術的中心となった。<br /><br />9世紀には修道僧が狂犬病の患者の額に、聖ユベールが天使から受け取ったとされるストラ(頚垂布)の糸を額に埋め込むタイユ(切り込み)と呼ばれる儀式を行うと奇跡的に治癒したということで、サンテュベール修道院は一躍有名になった。<br />猟犬を通してこの病の危険にさらされる猟師達が、聖ユベールを守護聖人に奉ったことは自然の成り行きであった。<br /><br />今では毎年11月3日の聖ユベールの祝日に、サンテュベール修道院に海外から狩猟家が集まりミサを捧げ、動物達への祝福が行われる。<br />この日のミサで祝福されたパンを食べると、人間も家畜も狂犬病を予防することができると言われ、大きな籠いっぱいの“聖ユベールのパン”が配られる。<br /><br />XXX<br /><br /><br />写真はSt. Hubertus Church 、Aachenドイツ・アーヘンの教会

    森の奇跡が人々の間に根強い人気を起こし、巡礼がひきもきらないので、聖ユベールへの礼拝がリエージュの聖人ランベールSaint-Lambertの妨げとならないように、825年には聖ユベールが修道生活を送ったアンダージュにその遺体を移し、以後このベネディクト派の修道院と町はSaint-Hubertサンテュベール(聖ユベールバジリカ聖堂Basilique St-Hubert)と呼ばれるようになった。

    サンテュベール修道院は広大な領地を持ち、この地方随一の図書館を備えるなど西ヨーロッパの知的、芸術的中心となった。

    9世紀には修道僧が狂犬病の患者の額に、聖ユベールが天使から受け取ったとされるストラ(頚垂布)の糸を額に埋め込むタイユ(切り込み)と呼ばれる儀式を行うと奇跡的に治癒したということで、サンテュベール修道院は一躍有名になった。
    猟犬を通してこの病の危険にさらされる猟師達が、聖ユベールを守護聖人に奉ったことは自然の成り行きであった。

    今では毎年11月3日の聖ユベールの祝日に、サンテュベール修道院に海外から狩猟家が集まりミサを捧げ、動物達への祝福が行われる。
    この日のミサで祝福されたパンを食べると、人間も家畜も狂犬病を予防することができると言われ、大きな籠いっぱいの“聖ユベールのパン”が配られる。

    XXX


    写真はSt. Hubertus Church 、Aachenドイツ・アーヘンの教会

  • 聖フベルトゥス(聖ユベール)の名を冠した教会や町、学校、ホテル、狩猟(射撃)団体も各国に多くみられる。<br /><br />たとえば、<br /><br />St. Hubertus Church 、Aachenドイツ・アーヘンの教会<br /><br />Saint-Hubert 、Belgium リュクサンブール州中央にある人口5800人の町<br /><br />St. Hubertus Grundschule Neussドイツ・ノイスの小学校<br /><br />Hotel St.Hubertus 、Lofer オーストリアのホテル<br /><br />St. Hubertus-Schuetzen-Gesellschaft Neuss 1899 e.Vドイツ・ノイスの狩猟(射撃)団体;ノイス聖フベルトゥス射撃協会は1899年に聖フベルトゥス(聖ユベール)を讃え設立された。制服は、緑色の上着、黒のズボン、緑色のリボンのついた黒の帽子である。猟兵部隊と同じく花で飾った角を掲げる。<br />http://www.schuetzenfest-neuss.com/<br /><br /><br /><br />写真はドイツ・ノイス聖フベルトゥス射撃協会の人たち

    聖フベルトゥス(聖ユベール)の名を冠した教会や町、学校、ホテル、狩猟(射撃)団体も各国に多くみられる。

    たとえば、

    St. Hubertus Church 、Aachenドイツ・アーヘンの教会

    Saint-Hubert 、Belgium リュクサンブール州中央にある人口5800人の町

    St. Hubertus Grundschule Neussドイツ・ノイスの小学校

    Hotel St.Hubertus 、Lofer オーストリアのホテル

    St. Hubertus-Schuetzen-Gesellschaft Neuss 1899 e.Vドイツ・ノイスの狩猟(射撃)団体;ノイス聖フベルトゥス射撃協会は1899年に聖フベルトゥス(聖ユベール)を讃え設立された。制服は、緑色の上着、黒のズボン、緑色のリボンのついた黒の帽子である。猟兵部隊と同じく花で飾った角を掲げる。
    http://www.schuetzenfest-neuss.com/



    写真はドイツ・ノイス聖フベルトゥス射撃協会の人たち

  • ついでに言えば、<br /><聖フベルトゥス(聖ユベール)騎士団と騎士団章><br /><br />聖フベルトゥス騎士団は1444年の聖フベルトゥスの祝日に1444年、ユーリヒ・ベルク公ゲルハルト5世がヘルデルラント公アルノルトとの戦いに勝利したのを記念して設立されました。<br />ユーリヒ・ベルク公国はHerzogtum Juelich‐Berg:神聖ローマ帝国の北西部の諸邦の連合体で、現在のノルトライン・ヴェストファーレン州の多くを支配した。<br /><br />その後、ユーリヒ・クレーヴェ・ベルク公が断絶すると、騎士団はプファルツ選帝侯が継承し、次いでバイエルン選帝侯、バイエルン王国の騎士団章となりました。<br /><br />中世に憧れたバイエルン王ルートヴィヒ2世は、この騎士団の装束を好んでまとったと云われている。この勲章のメダル中央部分にも伝説の場面が刻まれています。<br /><br />(参考;Wik.、オランダ観光局、ベルギーの小さな旅(文・玉井美子)<br /> :2013.10.02.編集・加筆)<br /><br />写真はバイエルン王国の聖フベルトゥス騎士団章

    ついでに言えば、
    <聖フベルトゥス(聖ユベール)騎士団と騎士団章>

    聖フベルトゥス騎士団は1444年の聖フベルトゥスの祝日に1444年、ユーリヒ・ベルク公ゲルハルト5世がヘルデルラント公アルノルトとの戦いに勝利したのを記念して設立されました。
    ユーリヒ・ベルク公国はHerzogtum Juelich‐Berg:神聖ローマ帝国の北西部の諸邦の連合体で、現在のノルトライン・ヴェストファーレン州の多くを支配した。

    その後、ユーリヒ・クレーヴェ・ベルク公が断絶すると、騎士団はプファルツ選帝侯が継承し、次いでバイエルン選帝侯、バイエルン王国の騎士団章となりました。

    中世に憧れたバイエルン王ルートヴィヒ2世は、この騎士団の装束を好んでまとったと云われている。この勲章のメダル中央部分にも伝説の場面が刻まれています。

    (参考;Wik.、オランダ観光局、ベルギーの小さな旅(文・玉井美子)
     :2013.10.02.編集・加筆)

    写真はバイエルン王国の聖フベルトゥス騎士団章

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この旅行記へのコメント (2)

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  • 旅するうさぎさん 2015/03/15 22:47:25
    St. Hubert
    jijidarumaさん、こんにちは。

    今日、なにげなく、jijidarumaさんの
    旅行記を拝見したところ、
    鹿の角の間に十字架が光る絵を見ました。

    この聖人はSt.Hubert(St.Hubertus)という人なのですね。
    以前、チロルのフルプメス村でこの聖人と思われる
    壁絵を見て以来、一体、この人物って誰だろう?
    神秘的な絵だけれど、一体何を表した絵なのかな?と
    ずっと疑問に思ってたのですが、
    ようやくナゾが解けました!
    ありがとうございます。

    jijidarumaさんの旅行記で
    説明がしっかりされているので
    自分の持っている聖人事典でも
    St.Hubertusを見つけることができました。

    この方はアルデンヌ地方の人なのですね。
    チロルになぜこの聖人の壁絵があるのかな?
    と一瞬思いましたが、
    猟師の守護聖人ということなら納得です。
    チロルの山には、猟師さんがいるからです。
    教えていただき、ありがとうございました。
    これで2年越しのモヤモヤが晴れました(^^)/


    旅するうさぎ

    jijidaruma

    jijidarumaさん からの返信 2015/03/16 11:26:59
    St. Hubert
    旅するうさぎさん

    こんにちは。
    ご投票とコメントありがとうございました。
    昨年にも旅の守護聖人・聖クリストファーについて、コメントを寄せて頂きましたね。
    今回もお好きなチロルで、聖ユベールの壁絵を見られた由、そして”2年越しのモヤモヤが晴れました”とのこと、何よりでした。
    ヨーロッパの様々な絵画、壁絵には宗教的なものが多いので、こうした伝説話も少しは役立ったようですね。

    元来が歴史好き、伝説好きですので、ドイツ・メルヘン街道、ミュンスターラントの水城と、オランダ、ベルギー・ルクセンブルクのアルデンヌ地方の古城を巡る旅(2013年10月14日(月)〜10月28日(月)15日間)でも、事前に調べてみたり、現地で見聞きしたものをこうしてご紹介しております。

    この旅でも古城の築城伝説、Hier beginnt ein Maerchen・・・ここにメルヘン白雪姫が生まれた、ビューディンゲン城の伝説:若き伯爵夫人エリザベート妃とビューディンゲンの蛙、アルデンヌ地方:カール大帝の叙事詩・エーモンの4人の息子と漆黒の妖精馬バイヤールなど十数の伝説を知りました。
    旅はだから楽しいですね。

    ありがとうございました。

    jijidaruma

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