2014/05/05 - 2014/05/05
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cloud9さん
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ペトラからアンマンへの戻り、死海に寄って浮遊体験とヨルダン博物館で死海文書を見てきました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- ユーラシア旅行社
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パレスホテルで7時ごろに朝食をとったが、すでに大勢のゲストが食事中だった。やっぱり、ペトラ観光はみんな朝早くから出かけるらしい。今日は死海経由でアンマンに戻るので、ドライバーとはホテルのクロークで8時半に待ち合わせ。ちょうどペトラ観光に出かけるゲストと重なって10分位待ったが、ちょうど8時半にチェックアウトできた。
ドライバーから、死海へはキングスハイウェイを通って行くので、カメラを用意しておけと言われます。
キングスハイウェイでは確かにあちこちに絶景があらわれますが、車で移動中にシャッター押してもいい絵は取れませんでした。
でここは渓谷のビューポイントらしく、ガイドブックにも乗っていました。ワディ・ダーナ自然保護区です。ドライバーがガイドブックめくって教えてくれました。日本人はみんな同じガイドブック持っているので覚えているようです。
ちょっとガスがかかっていますが、左右の峰が1500mで、谷の部分は-50mになるそうです。 -
キングスハイウェイは渓谷を進むのでアップダウンとワイディングが連続しています。この渓谷はアフリカ大陸を南北に縦断する大地溝帯の最北端で、死海で終端しているようです。
キングスハイウェイとは“創世記第 14 章で語られている「北から来た 4 人の王」の同盟が邪悪なソドムとゴモラを含む平原の都市の 5 人の王と戦うために行軍したエピソードが起源”だそうです。
写真はダーナ村です。いまは廃墟になっている。このあと、この町の街道を通過して死海に向かいます。 -
死海に近づくと、温度があがって、空気も濃くなってきました。死海は海抜マイナス420mと紹介されていますが、GPSデータではマイナス394mでした。確かに空気が濃い感じです。1気圧以上あるわけですからね。大ざっぱに計算すると400m高くなると5%くらい気圧が低くなるので、逆にここでは5%空気が濃いと言えそうです。
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途中、ハママートマインを通過します。ハママートマインには渓流下りとかカヌーとかのアクティビティが用意されているようです。今回は弾丸なので、無理ですが、時間があれば寄ってみたいところです。
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死海での浮遊体験はアンマンビーチです。死海のホテルはプライベートのビーチを持っているのですが、今回はホテルではなく、公共ビーチです。ビーチ料金は旅行代金に含まれていますが、料金表を見ると25JDとなっています。日本円だと3000円はしますので結構高い。
入ってすぐのところにプールが複数用意されています。死海のビーチは階段を下りてその先にあるので、50m位先です。死海は年々水位が下がっているので湖岸が後退しているのでそのせいのようです。きっとリゾート建設時は目の前に湖岸があったのだと思います。
着替えは写真右奥の売店でロッカーのカギを受け取ります。その際にデポジット5JDを支払いますが、帰りにカギを返すと5JD戻る仕組みです。また、バスタオルもレンタルしてくれます。こちらも5JD支払ますが、使用して返却すると2JD戻ってきます。3JDはクリーニング代というわけです。ロッカーのカギとバスタオルを持って、ロッカーに向かいます。ロッカーは木製の結構くたびれた感じで、セキュリティが保たれているとは思えませんがまあいいでしょう。着替えは小さな部屋が3つぐらい用意してあり、そこで着替えて、バスタオルとカギ以外をロッカーに預けて、死海に向かいます。 -
で、死海の海水の第一印象は、重くてぬるぬるって感じです。遠浅で岸から10m位までは足がつくので少し離れて浮かんでみました。仰向けで体をくの字にすると、膝から下が水面に出ますが、上半身も胸の上半分が水面に出ます。確かに相当浮遊している感じです。今度は垂直に立ってみましたが、足をばたつかせなくても胸が水面に出る感じです。
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まあ、5分くらい浮かんでいましたが、すぐに飽きてきました。みんな死海の泥を体に塗ったりしていますが、私は早く新ヨルダン博物館に行きたいので早々に上がって、ビーチのシャワーでヌルヌルを落とします。ただこのシャワーがちょろちょろとしか出ないので、1分位かけてヌルヌルを落としました。
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着替えてロッカーのカギとバスタオルを売店に返却して、7JD戻ってきました。でドライバを探して見つけたところ、昨日のペトラで食事取らなかった分、ここで食事してくださいと言われますが、やっぱりおなかすいていないので断ったが半強制で食事させられました。たぶん後から問題になることがあったのでしょうね。とりあえずサラダだけ選んでさっさと済ませました。
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ドライバーを急かせて、新ヨルダン博物館に向かいます。新ヨルダン博物館の閉館が14:00なためです。18:00ぐらいまで開けていてほしいが。新ヨルダン博物館は日本の援助が入っているらしく最新のきれいなところです。
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新ヨルダン博物館のウリは、紀元前7700年前の人形(ひとがた)と死海文書です。この2つは入口付近の左右に別々にブースが作られており、特別展示していました。まずは人形のブースに入ります。
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ありましたアイン・ガザルの双頭の胸像。ブース内は落ち着いた感じの照明で、じっくり鑑賞できます。唯一問題なのは、写真を撮ると前面ガラスに自分が写り込むことでしょうか。
紀元前7700年というと大体1万年前ですが、そんな昔の人形とは思えないぐらい保存状態はいいですね。文楽の人形浄瑠璃のかしらのようです。 -
アインガザル遺跡は”新石器時代の農耕牧畜起源を示す最も古い遺跡として知られている”そうです。
わらの芯の周りに石灰石を焼いて作られる漆喰で形を整えて作成されているそうです。 -
単純に考えて、1万年近くも土に埋もれていて、よく漆喰と土を分離できたものです。
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このあと、博物館をぐるっと一周しました。150万年前から年代順に展示されていますが、コンパクトにまとめられていました。2階もあるみたいですが、まだ公開されていないようです。
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でやってきました、死海文書ブース。
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これは銅板の写しの死海文書で、The Copper Scrollです。銅が腐食して全体が緑青になっている感じです。死海周辺でただでさえ雰囲気中の塩分濃度が高いのに、なぜCopperに写本なのかと思いますね。
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解説には、
このThe Copper ScrollはクムランのQ3洞窟で見つかった。死海周辺で唯一、金属に記述された。この巻物は3枚で合計2.3mの長さがある。これらは、ベブライの口語で記述された。内容をを読むために、23の断片にカットされた。ローマ時代(紀元前1世紀)、
と書いてありました。 -
他の多くの死海文書は宗教的な性質のものであり、革やパピルスに書かれていますが、この巻物は金属に書かれており、内容は隠された財宝に関する情報で、全く宗教的ではないようです。
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これらは、1952年3月にQ3洞窟の考古学的発掘の際に発見されたが、サビてまったく開くことが出来なかったので、23の断片に分割したようです。
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テキストは紀元前1世紀のヘブライ語の口語の方言で書かれており、大量の隠された金と銀がパレスチナとヨルダンの異なった場所に隠された詳細が記述されているようです。
貴金属の量は4530タレントで、これは120トンと同じだそうです。タレントは当時の重さの単位のようです。 -
この財宝はおそらく伝説であり、クムラン共同体やその近隣の民間伝承の一部の可能性がある。これまでにこの内容が真実だとい証拠は見つかっていないようです。なのでThe Copper Scrollの内容は未解決で謎のままです。
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死海文書保存瓶。
羊皮紙やパピルスの巻物はまかれた状態で。この瓶の中で発見されたようです。 -
しっかりと閉まる蓋と特殊な瓶によって、羊皮紙やパピルスの巻物は発券されるまでよく保存されたようです。これらの瓶は、死海周辺で作成されたもののようです。
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宗教にまつわる内容は解釈が難しすぎでわたしにはわかりませんでしたが、わかるところだけ抜粋するとこんな感じです。
1947年にパレスチナの若い牛飼が偶然にクムランの北の崖の洞窟でこれらの巻物を発見した。その中に、慎重に布に包まれた革の巻物を含む瓶があった。彼は、陶器の瓶の1つから3つの巻物を取りだし、エルサレムのヘブライ大学の教授にそれらを売った。他の4つの巻物は古物商を通じてベツレヘムの司教に買収された。司教は彼の教会の資金を得るためにそれら米国に販売した。これらは最終的にはヘブライ大学が購入し、現在の西エルサレムの博物館に戻った。 -
ベドウィンは巻物が発見されたサイトを明らかにしなかった。アラブとイスラエル間の戦争の休戦後、1949年に巻物の場所を見つけるために遠征が可能になった。死海の崖を数週間探索後、洞窟で壊れた瓶を発見した。この破片が、巻物が発見された元の瓶と同じタイプのものであることが判明した。その後、考古学者はクムランの崖を探索するためのキャンペーンを実施した。彼らは最初に7巻の巻物を発見したのと同じ洞窟を発掘し、50瓶と2つのオイルランプと、少なくとも70の原稿に属する羊皮紙の600以上の断片を発見した。この洞窟は、洞窟Iと呼ばれていました
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これらは紀元前100年以上前に作られ、唯一存在する聖書のコピーを含むので、宗教的、歴史的に重要である。 これらの巻物は、旧約聖書のテキストを含む約1,000の文書で構成されている。
大体こんな感じです。 -
博物館のスタッフはすべて女性でしたが、閉館時間を過ぎてもしばらく写真を撮り終わるまで待ってくれてました。感謝です。
博物館を出て、ドライバーにホテルに送ってもらいます。ホテルに到着すると少し時間が早すぎたらしく、部屋を用意するのに30分まってくれといわれる。そこで、近くに貨幣博物館があったのを思い出し、歩いて行くことに。30分くらいかけて貨幣博物館に到着したが、すでにしまっていました。ガイドブックでは閉館は16:00ですが、実際は15:30ぐらいでした。残念。
ホテルにもどると部屋が用意されていました。
明日はネポ山とマタバを経由してクイーンアリア空港から帰国の途に着きます。
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