2009/07/15 - 2009/07/20
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nobunyさん
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初めてのヨーロッパ完全独り旅。
特にトラブルもなかったドレスデンから移動して早速トラブルの洗礼に。
怖い思いをしたり、両替トラブルで怒り狂ったりもしましたが達成感のある思い出深い旅になりました。
プラハは一番トラブルが多かった旅なのに、再訪したい都市のナンバー1でもあります。
旅程
7月15日
ドレスデン → プラハへ
7月16日
プラハ城 → シナゴーク博物館 → 共和国広場 → 旧市街広場 → 聖フランシス セラファン教会コンサート
7月17日
ヴィシェフラド → キュビズム建築巡礼 → TV塔 → U Kaliha → ドボジャーク博物館 → ヴァーツラフ広場 →
プラハ城コンサート
7月18日
日帰りクトナーホラへ → コストニツェ → 聖バーバラ聖堂
7月19日
プラハ → フランクフルト → 成田へ
7月20日
成田着
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩
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-
7/15
ドレスデンから約2時間。
15時20分にプラハはホレショヴィツェ駅に到着。
駅で円からコルナに両替するが結構レート悪し。
ガイドブックにホレショヴィツェ駅からで客待ちしているタクシーは吹っかけるから注意、無線タクシーを呼べと書いているけど、電話しても自分のいるのが駅の何口なのかもよくわからないし、どうしようと思いつつタクシーの表示がある方向へ進んでみる。
そして最大のトラブル。
タクシーの運転手に声をかけられたので「I need meter taxi」と言うとメータータクシーだと言う。
ホテルの住所を見せておよそいくらか聞くと初乗り40コルナ、その後何とかで何コルナとよく聞き取れず。
初乗り料金はガイドブックと同じ、まあいいかと乗ってみる。
しかし1秒ごとに1コルナ上がっていく、本当は1kmで6コルナアップのはずなのに。
ホテルに到着したら500コルナになっていた。
乗っている間にずっとメーターを見るか、運転手を睨むかしてメモに運転手の名前を控えるパフォーマンスもしてみたんだけど500コルナ要求された。
高すぎる、私は200コルナしか払わない(たぶん200コルナだってちょっと高め)と札を渡してにらみ合いになるが、運転手にお札を投げ返されて車が動きだす。
どこに行くのか聞くとホレショヴィツェだと言うので駅に戻るのか聞くと、そうだ、と。
本当に駅に戻るのか怖かったけど、今更引けないしこんなことに負けるのは嫌。
こんなことで運転手を怒らせてもし殺されてもいいのか自問自答、「いい、死んでも嫌な物は嫌」という結論に達して運転手を睨み続けていた。
タクシーは無事にホレショヴィツェ駅へ。
往復乗ったのだから200コルナは払うべきか、アホなことを考えているうちに運転手が荷物をおろしてくれた。
荷物取られたらどうしようと考えていたので、ほっとする。
お金払わずに駅へ、私も怖かったけどあんたも時間とガソリン無駄にしたんだからね、という気分。
さすがにもうタクシーに乗る気分にはなれずメトロとトラムでホテルに向かった。
スーツケースを引くのは大変だったけど、どうにかホテルまでたどり着いた。 -
ここは4つ星なのだがエレベーターがなく階段で荷物を引っぱり上げる。
部屋の中は古いルネッサンス様式の天井、バスタブなし、冷蔵庫はあり。
ドレスデンは涼しかったけど、今日のプラハは暑いのだが、エアコンなし。
大きな扇風機があるのはいいけど、空いているコンセントが一つもないのでベッドランプを一つ外してつけてみた。
17時半には荷物も落ち着いたのだけど、外は明るくて人通りも多いのに出かける気力がない。
さっきのトラブルで精神的にめげていたみたい。
6時になったら、7時になったらと出かける時間を引き延ばし、結局出かけられなかった。
散々な一日。 -
7/16
朝食のレストランの扉を開けるが案内もなし、部屋番号を聞かれることもなし。
勝手に食事をよそって、勝手にテーブルについた。
シリアルとパン数種、コールドミート、目玉焼きとインゲンの炒め物、生野菜、コーヒーはタンクに入っている。
なぜかインスタントも横に置いてある。
もしかするとカフェインレスだったのかも。
他ににフルーツとヨーグルトもあり。
朝食後、プラハ城へいざ出発。 -
暑くてノースリーブで充分、帽子もしっかりかぶります。
ホテルから大した距離ではないのに分岐点で地図を確認しなかったせいで何度も道を間違う。
広場を中心に放射状に道が伸びているのでだいたいこっちと思っても一つ道を間違うとどんどん離れて行き、後から間違いを訂正するのは大変です。
恐ろしい階段を上ってようやく着きました。
7カ所見られる共通チケットを買って入場。
聖ヴィート教会の前には早くも行列ができていました。 -
並びながらガーゴイルを見ます。
-
中は厳か、ステンドグラスが両翼に並び、入り口上に薔薇窓。
撮影は別料金のはずだけど、みんなバシバシ写真を撮っていたので私も気にせず撮りました。 -
ミュシャ(チェコ語ではムハ)のステンドグラス。
女性の横顔がやはりミュシャの描く顔です。
青や緑を多用した色使いが美しい。
塔が素晴らしいとガイドブックに書いてありましたが、修理中で上がれず。
他にもあちこち修理していました。
そもそも城の正面入り口の門から修理中です。
ドレスデンもそうだったけど、旧東側はようやく文化財の保護や修理をできる状態になってきたということなんでしょうね。
まだまだ何年もかかるんでしょうね。 -
旧王宮へ。
天井の梁が美しいです。
そのままプラハ城の歴史についての展示に地下へ入ります。
プラハに人が移り住み城ができていく歴史が英語でも説明されていて面白いです。
一つ一つ読んでいるとここだけで一日終わってしまうので、興味のあるところだけ読んで行きます。
人骨もあって屈葬というのでしょうか、しゃがんだ姿です。
王冠とオーブや王錫もあります。
王家の歴史ではバーツラフやリュドミラが沢山でてきて、誰かが兄の王位を奪ったりしたよう。
日本に帰ったらもう少しチェコの歴史を読みましょう。 -
城からプラハの街を眺める。
-
眺望抜群です。
オレンジ色の屋根と百の塔の街と言われるように尖塔が沢山あって本当にきれいな街です。 -
聖イジー教会、かわいらしい外観。
ロマネスク様式で聖ヴィート教会よりも古いのだそうです。
出口で明日のコンサートチケット売りに呼び止められました。
イジー教会は音響が良く、プラハの春音楽祭でも使われるホールだというので、
プログラムはあまり気に入りませんでしたが500コルナで買ってしまいました。
演奏はプラハロイヤルハーモニーです。 -
衛兵の交代式を見るため一度門を出ました。
すでに結構人がいます。
向かって左側に陣取って大正解。
10分前くらいに門を開けるのに、列が乱れて前の方に行けました。
ここから入場するようです。
来ました、イケメン多し、軍服のせいかしら?
15分程で終了、退場も目の前からでした。
衛兵交代式は門に向かって左側が良いですよ。 -
再び中に戻って黄金小路へ。
カフカの住んでいた家があります。 -
ダリボルカ、牢獄へ。
拷問道具や処刑道具の展示があり、中世的で結構残酷。
その後イジー教会横の国立美術館へ入る。
クラナハの祭壇は火事で焼けたそうで、残った部分だけが展示されていました。
クラナハってエッチぽくてあんまり好きじゃなかったけど、これはきれい。
王宮美術館にも入ったけど、こちらはチェコの画家、彫刻家中心で知っている芸術家の作品はありませんでした。
カレル庭園ものぞこうと門を出たら両側に衛兵が立っていて、驚きました。
全然人の気配を感じなかったの。
直立不動でじーっと見ていると眼球だけがギョロリと動きますが、足は閉じたまま動かないの。
すごい訓練が必要なんじゃないでしょうか? -
ネルドバ通りを下ってランチのレストランを探します。
プラハは人形劇が盛んなので、お店の前に人形が立っていました。 -
結構な坂道、ここを昔は馬車が通ったんですね。
怖いなー。 -
ランチは全然チェコ料理じゃないけどチリコンカーンにしました。
ビールも頼みます。
ピルスナーウルケル、おいしいけど私には少しライトで炭酸が弱く感じます。 -
一度ホテルに戻ってからいよいよカレル橋を渡って旧市街へ。
-
まずはスメタナ博物館を目指します。
閉館まで1時間、2階の展示室を日本語のパンフレットを見ながら回ります。
チェコでは入り口でどこから来たか聞かれてその言語のパンフレット・・・というかコピー一枚なんですが、これを渡されて勝手に展示を見るというパターンが多かったです。
コピー一枚なんだからくれればいいのにと思うけど、出口でまた返さなきゃいけないの。
奥の楽譜の立っているスタンドはスピーカーがついていて、本来はスメタナの音楽を流れているんじゃないかと思うんですが、何も流れません。
そして、閉館30分前になんと電気を消されてしまいました。
もう1人の客と顔を見合わせて、帰ることにしました。 -
今度はシナゴーク博物館へ向かいます。
途中下からプラハ城を見上げて。
シナゴークは18時閉館、すでに17時。
全部見られるかしらと思っていると、チケットは明日まで有効よ、と教えてくれました。
まずは一番見たかったピンカスシナゴークへ。
白い壁に赤と黒の文字でナチスに殺されたユダヤ人の名前が書いてあります。
2階はテレジンに収容された子供達の絵が展示。
暗い絵が多いのかと思ったら明るい夢の絵もありました。
教師の写真もあります、テレジンの子供達は教育を受けていたの?
後から知りましたが、国際赤十字の視察をだますために美化されていたそうです。
1万5千人中生還したのは100人あまり。 -
続いて旧ユダヤ人墓地へ。
英語のガイドさんが前にいてmove, move,moveと言っています。
どうやら土地が足りなくてどんどん墓石を動かしたことを説明しているらしいです。
ぐるりと一周すると墓石の重なりがどんどん大きくなっていくのがわかりました。
儀式の家の横に出たのでそのまま入場。
ユダヤ人が病気になって亡くなって埋葬されるまでの一連の儀式の説明。
日本で仏教徒が亡くなって埋葬されるまで、なんて博物館はないですよね。
ユダヤ人は自国にいてもマイノリティーだったんですね。
続いてクラウスシナゴーク、教会のような所。
ユダヤ帽をかぶった人が結構いました。
サバスという正餐のことや祈りのことが説明されていました。
最後にスペインシナゴークへ(写真)。
外観だけでも見たかったけど中に入れました。
あと10分だよって言われたけど、うそ、15分はあるよ。
有名なユダヤ人の展示物。
カフカのもあります。
17時50分になると係員はそわそわ、露骨に鍵をチャラチャラ言わせるので諦めて閉館5分前に退場。 -
まだまだ元気だったので旧市街広場を目指しましたが、道を間違い共和国広場にでました。
市民会館では夜に催し物があるらしく、バルコニーから4人の楽士がファンファーレを演奏していました。 -
火薬塔の下を通って再び旧市街広場を目指します。
骸骨人形のパフォーマンスをやっていました。 -
聖ミクラーシュ教会、ティート教会、旧市庁舎を外から見学。
-
市庁舎の仕掛け時計、時間になると場所取りが始まります。
20時ジャストに骸骨の手が動きだし、窓から12人の使徒が次々とのぞいて、鐘が20回鳴っておしまい。
案外あっけなかったです。 -
20時過ぎてもまだ明るいですが、さてそろそろ帰りましょう。
カレル橋に向かうとコンサートの客引きの女性に声をかけられました。
聖フランシス・セラファン教会で、テノールとトランペットとオルガンという珍しい組み合わせ。
値段を聞くと400コルナ(3000円位)だけど、21時の開演5分前に来たら350にまけてくれる、と。
一度ホテルに戻って出直したら、結局330コルナで入れました。
パッヘルベルのカノン、マスカーニのアベマリア、プッチーニの誰も寝てはならぬ、とても良かったです。
最後の曲は大好きな「Con te partiro」、イタリア語版の「time to say goodbye」です。
アンコールまで聞いて感動して帰路につきました。
明日の夜の聖イジー教会のコンサートも楽しみです。
外はようやく暗くなっていました。
今日は素敵な一日でした。 -
7/17
今日はホテルの引越です。
朝食を済ませて荷物をまとめフロントで、タクシーを呼んでもらいました。
写真はホテルのダイニングの窓の眺め。
コルナが少ないのでフロントで両替を頼んだらできないと言われました。
結構レートが良かったんですけど。
タクシーが来て、またボラれないかドキドキしました。
大した距離ではないのですが、一方通行が多くて途中で方向感覚がなくなります。
グランドホテルボヘミアまで134コルナ、200渡して50をバック。
ちゃっかりしたドライバーにしっかりチップを取ってお釣りを返されます。
まあ同じ額をチップにと思っていたからいいのですが。
ホテルのフロントで荷物を預けて引き換え証をもらいます。
今日はヴィシェフラドに向かいましょう。 -
地下鉄でヴィシェフラド駅まで行き、外に出るとパナソニックの大きな看板。
そちらの方向にずんずん進むと右手にロトンダが見えてきました。 -
すぐに左折、道沿いに行くと聖ペテロ聖パウロ教会にでます。
墓地に寄り添うように立っているとガイドブックに書いていたので、もっとひっそりしているかと思いましたが堂々とした教会です。 -
墓地の入り口の地図に有名人の墓の番号が書いていて、その横に墓石の列と番号。
これで例えばカレル・チャペックがどこに 眠っているかわかるしくみになっていますが、例によって現在地の印が書かれていないため位置関係がわからない。
しばらく眺めていたら目の前の左の13という番号に気がつきました。
これで位置関係がわかりました。 -
カレル・チャペックの墓石。
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本がデザインされています。
-
続いてドボジャーク。
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スメタナ。
ムハのは番号ではなく単語が書いてあり地図ではわからなかったのパスしました。
しかし、墓石はオーソドックスな十字架や長方形あり、華麗な彫像あり、丸い球体とか、いきなり掌とか、思い思いで興味深いです。
最近は石に肖像を焼き付ける技術もあるようです。
そしてお花を直植えしている所あり、墓石に鉢をぽんぽん乗せている所あり。
ほとんどの鉢はきちんと手入れされていましたよ。 -
聖ペテロ聖パウロ教会の入り口。
なかなか華麗です。 -
丘の上から細い階段を下るとヴルタヴァ川沿いに出られます。
キュビズム建築を探しながら旧市街方面に戻ってみました。
キュビズムとは、ご存知ピカソやブラックで有名な物体を多面的な方向から見て再構築した芸術の総称。
チェコには世界で唯一キュビズムの建築があるのです。
キュビズム建築は立体感をつけるよう構造的には意味のない角を使った装飾が多用されていて、アールデコのシャープさとはまた違った独特の美しさ。
川沿いの立派な邸宅。 -
キュビズムのアパート。
割と近くにダンシングビルもあります。
ここでカメラのバッテリーが危なくなってきたので携帯で写真撮ったのですが、アップするのを忘れたまま買い替えて放置しバッテリーがダメになってしまいました。
ダンシングビルや他のキュビズム建築は携帯に沢山保存していたのに、ああ、残念。 -
地下鉄を利用してTV塔に行ってみました。
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プラハのTV塔はシュール、赤ちゃんが這い這いしていますよ。
共産時代の塔ですが、共産主義政府もこんなユニークさを持ち合わせていたんですね。 -
ランチを取りに「U Kaliha」に行ってみました。
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お店に入ると善良な兵士シュヴァイクのグッズが売っています。
ランチには遅い時間のせいかお客さんは3人連れ一組のみ、2人はシュヴァイクの帽子をかぶっていてすごく似合っていました。 -
テーブルに着くとアペリティフにベヘロフスカを勧められ、それからビール、そしてチェコ名物「ヴェプショー クネドロ ゼロ」=「ローストポーク、クネドリーキ添え」です。
ベヘロフスカは薬草酒、すっきりした味ですが一度飲めば充分です。
ローストポークはローストというより煮込んだような感じ。
クネドリーキ2種類、白いのはふかふか、黄色いのは多分ポテト入りでむっちりした感じです。
ザワークラウトも白と紫の2種類。
野菜不足なのでキャベツは全部食べてクネドリーキは一枚ずつ残しました。
シュヴァイクのコースターが欲しかったのでウェイターさんにチップを多めに渡して4枚ゲットしましたよ。 -
徒歩でドヴォジャーク博物館へ。
ここもスメタナ博物館のように日本語のコピーを渡され自由見学。
とてもきれいな建物でした。
妻とたくさんの子供、義妹は伯爵夫人、アメリカに招聘されて・・・ドヴォジャーク氏はスメタナ氏よりおおむね幸福な生涯を送ったようです。
何が幸福かは他人が決めることではないですけれどね。
地下鉄でヴァーツラフ広場に向かいました。 -
コルナが少なくなったのでチェドックで両替をするプランでしたが、ドルとユーロからしかできないと言われてしまいました。
仕方がないので両替所をのぞきます、が、これが間違いの元。
左側に14.4とあり右に13.3、その横に10.6と書いてありましたがレートから程遠い数字なので気にも留めなかったのです。
後ろから来た人が何か話して帰って行く、ここでももうちょっと気にするべきでした。
5千円出して533コルナしか返ってきません、え? 700以上くるはず。
聞いてみると3万9千円以下の両替はレートが10.6とのこと。
レートが悪すぎます。
抗議するが聞き入れられず、コルナを出して金返せと言うと「これはビジネスだ」とコルナを突っ返されました。
ああ、くやしい、両替商に引っかかってしまいました。
にらみつけて、あかんべーをして店をでました。
5千円しか両替しなかったのがせめてもの救い。
プラハではお金に関して嫌な思いばかり、一気に気分が盛り下がります。 -
旧市街に戻ってきて黒い聖母の家へ。
2階はキュビズムの美術館になっています。
階段もキュビズムですね。 -
いい時間になったのでグランドホテル ボヘミアにチェックイン。
今回の旅で初めてデポージットにクレジットカードを要求され、初めて荷物を部屋まで運んでもらえました。
さすが5つ星ですよ。
アメニティも充実、アラベスク模様の絨毯、アールデコのシャープなカッティングのベッドライト。
明日の天気予報を書いたメモが添えてあり、もちろん枕元にはチョコレート。
広い部屋ではないですがうっとりしてしまいます。
とても居心地がいいです。 -
18時半から聖イジー教会のコンサート。
軽くインスタントスープを飲んでプラハ城に向かいます。
お席はB席だったので後ろ5列くらい、私の後ろに英語で話す中年カップル。
なんだか嫌な予感。
案の定、男はごそごそ動いてかばんを探り、女はすぐ男に話しかける。
私もそうだけど、このコンサートを聞きに来ているのは由緒正しいホールでこの値段なら、話のタネにまあいいじゃないか、というお気楽観光客だけ、マナーがいいわけがない。
あっちの席でゴホゴホ、こっちでごそごそ、最悪です。
演奏自体はまあまあ、音響も確かにいい、でもモーツァルトもヴィヴァルディも特に好きではないので結構つまらない。
それでよけい他人のマナーが気になってしまう。
あまり集中できないまま1時間でコンサート終了。
なんとアンコールさえなかった、プラハロイヤルハーモニーはお高いのか、はたまた客のマナーが悪くてノレなかったせいか。
あーあ、このコンサートに500コルナの価値はなかったです。
スーパーに寄ってちょっとお買い物してホテルへ。 -
7/18
今日はこの旅行で自分に課していた最後の冒険。
バスでクトナーホラまで行く。
プラハの中なら何とかなるけど、郊外のクトナーホラまで行って迷子になってもタクシーでは戻れない、などと弱気になるのですが、墓地教会コストニツェはどうしても見てみたい。
地下鉄でフローレンツまで行きバスターミナルへ。
ところでプラハの地下鉄駅のお話。
長い長いエスカレーターは何故か乗り心地が悪い、どうして? と気がついたのが、ステップ部分の速度と手すり部分の速度が違うので何度も手すりを持ち替えなくてはならないんです。
ふつうに手すりを持っていると手すりばかりが先に進んでいく。
こんなことってありかしら? -
フローレンツのターミナルはでーんと建っている建物がなく、どこがチケットカウンターなのかと探しました。
半地下にありました。
地上では石畳修理をしていました。
バスは席の指定10と書いてあります。
定刻より遅れてバス到着、ここは日本じゃないから遅れるのは全然構わないんだけど、遅れると自分が何か間違っているんじゃないか(乗り場とか)と思って不安になってきます。
シート番号なんてどこにも書いていないので、まあいいやと適当に座りました。
バスはエアコンが効いていて快適。
景色は北海道っぽい、でもドイツでは牧草地が多かったけど、ここではとうもろこし畑とかひまわり畑がありました。 -
一時間ちょっとでクトナーホラに到着。
ターミナルはだだっ広い広場。
帰りのバス時刻はまったくわからず。
ガイドブックの地図には中心部しか出ていなくてバスターミナル方面と省略されているため、ターミナルからどちらの方角を目指したらいいのかわかりません。
とにかく地図を見て検討をつけてコストニツェ方向へ行ってみます。
途中からは道に「Hotel U RUZE」の看板があったので、この方向へどんどん歩いて行きました。
20分弱で到着、これが墓地教会コストニツェ、外観は普通の教会です。 -
コストニツェ・セドレツは聖地エルサレムに巡礼した修道院長がゴルゴタの丘の土を持ち帰りこの地に撒いたことから、ここも清められ聖地とされたとのこと。
そのためこの地に埋葬を望む者が後を絶たず、ここに納骨堂が築かれたのです。
人骨を整然と並べたのは盲目の修道士、そして様々に装飾したのはこの地の領主から頼まれたリントという木彫家だそうです。
チケットを買って中に入ると、地下室に続く階段の手前には骨盤と大腿骨でできた聖杯が。 -
階段を降りると頭蓋骨でできたシャンデリアが下がっています。
-
いや、オベリスクの上にかわいい天使の像をつけたって、その下がしゃれこうべじゃねーぇ。
-
この辺の領地を治めていたシュヴァルツェンベルク侯爵家の紋章も人骨でできています。
-
文字だって指の骨を使って書いちゃいますよ。
ほぼ人間のすべての骨を使って装飾をしているそうで、およそ1万人分だそうです。
ほんとに職業柄わかるのですが、頭蓋骨から肩甲骨から骨盤から幹骨まで、すべてが工夫されて使われていますよ、はああー。
なんかね、怖いとか気持ち悪いとかいうよりも、よくまあこんなことしたわねぇという感心です。 -
コストニツェを出て聖バーバラ聖堂を目指してみました。
地図を見ながら歩いていると通りすがりの女性が棒アイス食べながら「May I help you?」と声をかけてくれました。
セントバーバラカテドラルで通じるのかしら? サンバルバラかなーと思いつつ地図を差し出しここに行きたいんですと言うと、女性は老眼だったようで、目を細めながら地図を見て道を教えてくれました。
「楽しんでね」と声をかけてくれたのがとても嬉しい。
無事たどり着きましたが、ここもまた工事中。
飛梁(フライングバッドネス)という側廊の塔と屋根を結ぶ梁が有名なカテドラルです。
片側は工事中でしたが反対側は無事でした、良かった。 -
中に入るとまたまたどこから来たのか聞かれて日本語のパンフを渡してくれましたよ。
このパンフはなかなか詳しい説明で面白かったですよ。 -
建築的にはかなり変わった価値のあるものらしいです。
-
そしてこの像は聖職者ではなく鉱夫、ガウンは鉱夫の仕事着なのだそうです。
ここは鉱夫の聖堂なのです。
バスターミナルまでの道を戻りながら屋台でアイスクリームを買いました。
ワンスクープで9コルナ、安いです。
ピスタチオとピニャコラーダという変な組み合わせで買ってしまいましたがおいしかったです。
バスターミナルについたとたんに電光掲示板に 6 PRAHAの文字、人が沢山いるバス停まで慌てて走ってプラハ行きか尋ねると、そうだとのこと。
ラッキーです。
このバスはエアコンなしで走っていると天窓から風が入って気持ちがいいですが、止まると暑くなりました。
途中渋滞が何度かあってその度に汗をかきましたが1時間半かからずにプラハの終着地へ、ただしフローレンツではなくCERNY MOST駅でした。
地下鉄B線のターミナル、地下鉄に乗って共和国広場まで帰りました。 -
7/19
いよいよ今日は帰路につきます。
7:20にチェックアウトし地下鉄でデイヴィッカー駅へ。
ここから空港バスに乗りました。
地下鉄駅にはわんこもいましたよ。
空港でタックスリファンドのカウンターを尋ねたら免税店を教えられてしまいました。
なんだかよくわからないので免税手続きはあきらめます、たった6ユーロだし。 -
チェックインして手荷物検査後、朝ご飯にサンドイッチとビール。
レジのお姉さんが延々と電話で長話をして列がちっとも捌けなかったのですが、奥から男性がやってきてレジの女性を叱り始め、女性はようやく受話器を置いて列を裁き始めました。
うーん、チェコの人の仕事感がわかる一幕でした。 -
定刻をちょっと遅れて離陸しましたが、フランクフルトに着いたのは定刻より早め。
トランジットトンネルを抜けて長距離路線のターミナルへ。
帰りの機内食はカッパ巻、鮭の押し寿司、冷や麦、チキンカレー、うわお、炭水化物ばっかり。
翌朝7:30に成田に到着。
こうして初めてのヨーロッパ一人旅はトラブル満載だったけど、無事に終了しました。
今回の教訓、注意深く、尋ねられることは先に尋ねておく。失敗は教訓としていつまでもくよくよしない。そしてカメラの充電器は何があっても持って行くこと。
プラハではトラブルがいっぱいあったけど、生き生きとした印象の都市で、この後行った沢山の都市よりも思い出深く、私にとって再訪したい都市No.1なのです。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- Serenadeさん 2017/08/16 21:36:23
- お礼
- はじめまして。Serenadeと申します。今月終わりから遅い夏休みを取ってチェコに行きます。旅行記、参考になりました。旧東欧では悪質タクシー、ストレスですよねww。Facebookやインスタが主流になっていますが、旅好きが集まる4トラはやはり旅人の元祖、味方です!
- nobunyさん からの返信 2017/08/18 03:05:50
- Re: お礼
- コメントありがとうございます。
いざという時のタクシーが信用できないって地味にストレスですね。
実は私もここ2年くらい旅行記はfacebookで済ませていましたが、こうして知らない方からもコメントいただけるのはとても嬉しいです。
タクシーや両替で嫌な思いはしましたが、プラハはとても素敵な街でしたので、どうぞ楽しんでいらしてくださいね。
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