2013/04/03 - 2013/04/06
69位(同エリア1379件中)
ミッキーさん
秋吉台のカルスト台地の湧水で出来た綺麗な「別府 弁天池」を後にして、1時間ほどで壇ノ浦合戦の「みもすそ川公園」に到着。
寿永4年(1185年)3月24日「平知盛」を大将にした平家と、「源義経」ひきいる源氏がこの壇ノ浦を舞台に合戦をした所で、両軍約4000艘(そう)の軍船が関門海峡に集結。
天下分け目の大海戦で、平家は敗れ知盛は海峡に身を投じ平家一門は滅亡し、日本の政治は貴族から幕府(鎌倉)による武家政治へと移行していきました。
それから700年後の文久3年(1863年)長州藩は攘夷(じょうい)を盾に関門海峡を通る外国船を砲撃、翌年、アメリカ・イギリス・フランス・オランダの4国連合艦隊17隻が報復の為やってきて
近代的な兵器(距離と威力)の大砲で長州藩の砲台は破壊され、目覚めた長州藩は、開国・倒幕へと転換し、700年続いた武士の時代は徳川幕府の大政奉還で終りを告げ、明治維新の引き金にこの海峡がかかわり、歴史は繰り返されたのかもしれません。
そして、公園には5門のレプリカの大砲が海峡に向かって設置されていて、その内の一門は100円を入れるとドカンと大きな発射音が鳴り、白い煙まで出る演出がされていました。
又、公園内では時代衣裳に身を包み「風雲児 高杉晋作」の紙芝居をドラマティックに語っていて、観光客が熱心に聞いていました。
それから、道路を挟んだ駐車場に「関門トンネル人道」の入り口があり、エレベーターで55M下ると下関側のトンネル入り口がありました。
県境まで400M、門司側までは780M(15分)と表示されていて、予定では門司側出入り口まで行くつもりでしたが、「明日の天候」が気になっており、県境まで歩き、写真だけ撮って戻ってきました。
そして、明日見学の予定をしていた門司港近くにある「海峡ドラマシップ」に向かい、途中、国道2号線の関門国道トンネル(3461M・人道トンネルの上)を通り「海峡ドラマシップ」に15分ほどで到着。
PM4時を過ぎていた為、見学できるか心配でしたが、PM5時まで開館していて、入り口からの「学ぶコーナー」のアトリウム・歴史回廊は係の人が付いて説明してくれました。
そして、「レトロ通り」のコーナーは、門司港に実在した大正ロマン薫る建物・路面電車・街並みなどが復元されており、特に、バナナの叩き売りの様子を再現した、等身大の人形は本当にリアルに造られており、当時の生活シーンがうかがわれました。
ちょうどPM5時になり、すぐ近くにある「門司港ホテル」にチェックイン、するとフロントの方が、シングルの部屋からツインの広い部屋(レトロ側)に3人共ランクアップしてくれました。 ラッキー。
そして、すぐにホテルを出て、明日のランチを予定していた「旧三井倶楽部」・「門司港駅」・「バナナの叩き売り発祥の記念碑」など、門司港の街並みを見て歩き、チェックしておいた栄町商店街にある居酒屋「一心太助」に入りました。
地元で人気の居酒屋で品数が多く、刺身をはじめ、揚げ物・創作料理等、全て美味しく、〆に頼んだ「お茶漬け」もちゃんとした一人前の料理でした。
PM8時ごろホテルに戻り、天候(大雨・嵐)はますます怪しくなり明日予約の飛行機(福岡空港PM8:30発)が飛ぶか心配になってきました。
天気予報では、明日の夜は雨・嵐が一段とひどくなるとの予想で、予約している便は飛ばないとおやじ達は判断し、他社の飛行機の時刻を調べたり、最悪どの飛行機も席が取れなかったら、新幹線で帰ろうか2時間ほど迷っていたら、今回も運転をお願いしている「Sさんの娘」さんから連絡が入り、「今、ANAのHPで、明日の午後の便を予約の人は午前中の便に無料で変更を受け付ける」とのメッセージが出たよと教えていただき、おやじ達は、明日のAM9時頃ホテルを出発し昼頃の便で帰る予定にしました。
そして翌朝、早めに起きて、AM9時の出発を1時間早めて8時にホテルを出発し、10時ちょうどに空港前のレンタカー会社に車を返却し、歩いて空港へ行きANAのカウンターで40分後に出発する便に変更してもらい、急いでおみやげを買って定刻30分遅れで福岡空港を離陸しました。
「おやじ3人旅」で、初めて天候によるトラブルがあり、おやじ達が乗った便以降、午後の飛行機は予想通り欠航が多かったようで早めに帰ることが出来たおやじ達は「ラッキー」で、10回目の「おやじ3人旅」は特に記憶に残ることになりました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- ANAグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- ANAセールス
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関門海峡に面した細長い「みもすそ川公園」。
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寿永4年(1185年3月24日)この関門海峡で軍船に白旗をなびかせた源義経が率いる「源氏勢」と赤い旗をなびかせた平知盛の「平家軍」が戦いました。(壇ノ浦の戦い)
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源義経の像(左)と平知盛の像(右)。
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源義経、27歳。
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平知盛、34歳。
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関門海峡に向かって5門の長州藩の大砲。(実寸のレプリカ)
長州藩の大砲は「加農砲・カノン砲」と呼ばれ、青銅製で球形の弾丸を発射し目標物を打ち抜いて損害を与えるものでした。 -
もう1門の原寸大の大砲(レプリカ)は屋根がある所に設置されていました。
当時、連合国のフランスが戦利品として持ち帰った長州藩の大砲を現在もパリの軍事博物館で保存されています。 -
1984年フランスが保存していた長州藩の大砲を、フランス政府の好意で一時里帰りさせ、その時にフランス政府の了解を得て、現在のレプリカが造られたとのことです。
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5門の大砲の内、1門でけ100円玉を入れると大きな発射音と白い煙が出ます。
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関門海峡大橋をバックに、紙芝居が始まっていました。
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時代衣裳を着た語り部に観光客は熱心に耳を傾けていました。
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歴史体感紙芝居の内容は「高杉晋作の生涯」でした。
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「関門トンネル人道」下関の側の建物。
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人は通行料無料。
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関門トンネルの位置。
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関門トンネルの真円断面の上3分の2が車道、3分の1が人道で、海底部の長さは780m。
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ここが関門開海峡人道トンネルの「山口県と福岡県の県境」です。
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関門トンネル車道(国道2号線)の下関側の入り口。
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門司港の海峡ドラマシップ。
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レトロ通り内の、「バナナのたたき売り」の場面の実寸大人形。
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左手にバナナ、右手に新聞を丸めて「叩きながら」値を下げていく様子の人形。
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左官(壁塗り)職人と立ち話をしている依頼人?
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黒崎駅前行きの市電を再現。
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今日の宿泊先「門司港ホテル」。
イタリアの建築家の設計で、1998年3月開館。 -
「門司港ホテル」正面玄関。
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長い階段を上がり、フロントが正面にあります。
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ランクアップして頂いたツインの部屋からは、レトロな街並みが見えます。
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手前には、レトロな船(レストラン?)が繋留されていました。
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大正3年(1914年)2代目の門司港駅として建てられた駅舎は、昨年秋から5年間の改修に入りました。
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100年前に建てられた門司港駅舎を、なんとか正面から撮ることができました。
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明日のランチを予定していた、旧三井倶楽部。
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大正10年(1921年)三井物産門司支店の社交倶楽部の為に造られた、木造2階建ての本館(洋館)と平屋(和館)の建物。
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門司港駅のホーム。
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門司港駅のホーム。
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大正初期に、台湾から「バナナ」を船で門司港に輸送中、船内でバナナが塾生しすぎたり、傷ついたりしたバナナを、ここ門司港(桟橋通り)で叩き売ったのが始まりで、現在も土曜日・日曜日は保存会の人達による「バナナの叩き売り」と口上(こうじょう)の実演があるとのことです。
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地元で人気の居酒屋「一心太助」。
地元のお客さんで満員でした。 -
刺身の種類も多かったです。
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最後の〆に「海苔茶漬け・鮭茶漬け・鯛茶漬け」を個々に頼んだのですが、どれも量が多く美味しかったです。
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