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14年間の上海生活から横浜生活に切り替えて、今、私は横浜。カアちゃんも娘も、勿論一緒。<br />いや、娘が高校と大学は日本の方がイイ、と言い出したので、日本に戻ってきたのです。上海の教育熱はホットで、競争も激しく、宿題ワンサカ・・・そこから脱け出したいという気持ちが強くなったので、日本に逃げてきたということです。それに、娘もどうやら、日本の方がいろんな面で中国より、上かなと思い始めてきた、と言うことも、そうさせた一因。同級生の中にも、中国を脱出して、高校と大学は海外で、と言う人が結構いるとか・・・。<br />ということで、今回の騒動のために、日本に逃げてきたわけではないですが、結果的には良かったのかも。<br /><br />しかし、まあ、今回の中国の騒動は酷いもんですね。中国人の民度の低さを改めて実感した次第です。いまや経済大国になった中国。でも、人民の中身は未だにそのまま。乱暴で野蛮で・・・金持ちになって、思い上がってるところもあるんでしょう。<br /><br />上海生活から横浜生活に切り替えて、上海人であるうちのカアちゃんも、日本のテレビで、中国の騒動を見てるんですが、私は、カアちゃんに、中国人は野蛮だね、って言っています。それは納得するんですが、やはり、カアちゃんは、中国人なので、<br />早くあの島を中国に返せばイイのに、ってことになってしまうのです。それに対して娘はママは何も知らない、と非難するのです。我が家も日中がぶつかり合ってるのです<br /><br />横浜に8月15日に移り住んで1ヶ月が過ぎ、なんとなく落ち着き始めた9月16日に、久しぶりの食事会。<br />場所は横浜の下町の野毛にあるB級中華料理屋・萬里です。<br />集まったのは、8人で、1人を除き、皆さん、上海に住んでたことある人達。<br />今回の騒動のことも話題になりましたが、<br />上海時代によく行っていた孔乙己酒家の話題も出ました。<br />皆さん、孔乙己酒家には何度か行ってる人達ばかりですから。<br /><br />では、その食事会と、野毛の様子をどうぞ。

横浜野毛の萬里で上海仲間と食事会

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2012/09/16 - 2012/09/16

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井上@打浦橋@上海

井上@打浦橋@上海さん

14年間の上海生活から横浜生活に切り替えて、今、私は横浜。カアちゃんも娘も、勿論一緒。
いや、娘が高校と大学は日本の方がイイ、と言い出したので、日本に戻ってきたのです。上海の教育熱はホットで、競争も激しく、宿題ワンサカ・・・そこから脱け出したいという気持ちが強くなったので、日本に逃げてきたということです。それに、娘もどうやら、日本の方がいろんな面で中国より、上かなと思い始めてきた、と言うことも、そうさせた一因。同級生の中にも、中国を脱出して、高校と大学は海外で、と言う人が結構いるとか・・・。
ということで、今回の騒動のために、日本に逃げてきたわけではないですが、結果的には良かったのかも。

しかし、まあ、今回の中国の騒動は酷いもんですね。中国人の民度の低さを改めて実感した次第です。いまや経済大国になった中国。でも、人民の中身は未だにそのまま。乱暴で野蛮で・・・金持ちになって、思い上がってるところもあるんでしょう。

上海生活から横浜生活に切り替えて、上海人であるうちのカアちゃんも、日本のテレビで、中国の騒動を見てるんですが、私は、カアちゃんに、中国人は野蛮だね、って言っています。それは納得するんですが、やはり、カアちゃんは、中国人なので、
早くあの島を中国に返せばイイのに、ってことになってしまうのです。それに対して娘はママは何も知らない、と非難するのです。我が家も日中がぶつかり合ってるのです

横浜に8月15日に移り住んで1ヶ月が過ぎ、なんとなく落ち着き始めた9月16日に、久しぶりの食事会。
場所は横浜の下町の野毛にあるB級中華料理屋・萬里です。
集まったのは、8人で、1人を除き、皆さん、上海に住んでたことある人達。
今回の騒動のことも話題になりましたが、
上海時代によく行っていた孔乙己酒家の話題も出ました。
皆さん、孔乙己酒家には何度か行ってる人達ばかりですから。

では、その食事会と、野毛の様子をどうぞ。

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  • 横浜の下町・野毛の最寄り駅はJRの桜木町駅なのです。<br />その桜木町駅と野毛の位置関係を示したのが左の地図です。<br /><br />野毛は京浜急行ですと日の出町駅となりますが、やはり桜木町駅の方が一般的ですね。東京方面から桜木町まで来まして、駅を出て左に行けば、今をときめくMM21方面。反対の右へ向かえば、横浜の呑み助が泣いて喜ぶ野毛に入り込むことになります。<br /><br />MM21はいまや、横浜で一番人気と言っても良いエリア。そこには高層ビルが建ち並び、正に21世紀の横浜そのもので、観光地にもなっていますし、横浜だけでなく東京の若い連中もやって来て、買い物したり、洒落た食い物を楽しむところでもあります。しかし、そのMM21エリアはホンの20年前は貨物列車の集積場であり、造船所であり、倉庫が並ぶ場所だったのです。ですから当時は、左に行く人は、労働者諸君だけだったのです。貨物の荷捌きをする人達、造船所で働く人達、港で肉体労働する人達ですね。<br /><br />野毛は昔から飲み屋街です。戦後の闇市から発展した盛り場ですので、昭和ドップリの下町なのです。だもんですから、横浜で働く人たちが仕事帰りにチョイと一杯やりたい時には、ココで、っていう人が多いのです。MM21が出来る前は、左に向かった労働者諸君も、帰りに寄るところでもありました。また、労働者諸君は夜勤もありましたので、夜勤明けの人は、朝から一杯と言う人もいまして、そういう人向けの店もあったのです。<br /><br />野毛の町に出るには、桜木町駅から左に行き、一度地下に潜り、野毛に面した道に上がることになります。<br /><br />「横浜本」と言う雑誌があります。その表紙には柳原良平のトリスおじさんが描かれていまして、そのおじさんは「港町のごきげんは下町にあり!」と言ってるのです。そして、何ページかめくりますと、私も良く行く福田フライの店内の写真が見開き2ページに渡り載っていまして、そこには・・・<br />「桜木町の駅から地下道を抜け上がったところから俺たちの放課後が始まる。野毛小路に入ったならもうごきげんは約束されたも同然。ここ福田フライ(通称・FF)に萬里、若竹、三陽・・・・<br />まずはこの入り口4軒で口開けだ!」<br />・・・・と書かれているのです。<br /><br />その福田フライ、萬里、若竹、三陽の位置も左に地図で分かるでしょう。

    横浜の下町・野毛の最寄り駅はJRの桜木町駅なのです。
    その桜木町駅と野毛の位置関係を示したのが左の地図です。

    野毛は京浜急行ですと日の出町駅となりますが、やはり桜木町駅の方が一般的ですね。東京方面から桜木町まで来まして、駅を出て左に行けば、今をときめくMM21方面。反対の右へ向かえば、横浜の呑み助が泣いて喜ぶ野毛に入り込むことになります。

    MM21はいまや、横浜で一番人気と言っても良いエリア。そこには高層ビルが建ち並び、正に21世紀の横浜そのもので、観光地にもなっていますし、横浜だけでなく東京の若い連中もやって来て、買い物したり、洒落た食い物を楽しむところでもあります。しかし、そのMM21エリアはホンの20年前は貨物列車の集積場であり、造船所であり、倉庫が並ぶ場所だったのです。ですから当時は、左に行く人は、労働者諸君だけだったのです。貨物の荷捌きをする人達、造船所で働く人達、港で肉体労働する人達ですね。

    野毛は昔から飲み屋街です。戦後の闇市から発展した盛り場ですので、昭和ドップリの下町なのです。だもんですから、横浜で働く人たちが仕事帰りにチョイと一杯やりたい時には、ココで、っていう人が多いのです。MM21が出来る前は、左に向かった労働者諸君も、帰りに寄るところでもありました。また、労働者諸君は夜勤もありましたので、夜勤明けの人は、朝から一杯と言う人もいまして、そういう人向けの店もあったのです。

    野毛の町に出るには、桜木町駅から左に行き、一度地下に潜り、野毛に面した道に上がることになります。

    「横浜本」と言う雑誌があります。その表紙には柳原良平のトリスおじさんが描かれていまして、そのおじさんは「港町のごきげんは下町にあり!」と言ってるのです。そして、何ページかめくりますと、私も良く行く福田フライの店内の写真が見開き2ページに渡り載っていまして、そこには・・・
    「桜木町の駅から地下道を抜け上がったところから俺たちの放課後が始まる。野毛小路に入ったならもうごきげんは約束されたも同然。ここ福田フライ(通称・FF)に萬里、若竹、三陽・・・・
    まずはこの入り口4軒で口開けだ!」
    ・・・・と書かれているのです。

    その福田フライ、萬里、若竹、三陽の位置も左に地図で分かるでしょう。

  • その「横浜本」がコレです。<br />どうですか、なかなか面白そうな雑誌でしょう。<br /><br />柳原良平の描くこのおじさん、なんというのか・・・<br />私には、大昔の「トリスを飲んでハワイへいこう」のトリスおじさんに見えましたので、上では、そう書いてしまいました。<br /><br />この雑誌は、Meeets Regional別冊となっていまして、編集発行は京阪神エルマガジン社となっています。<br />中身は、なかなかのもの。観光客のミーちゃんハーチャン向けの店などは出てきません。渋くてディープな店ばかり。ですから、どうして野毛の店が多いですね。横浜の、そういった渋い店を知るには最高の雑誌ですね。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />この横浜本には、上海仲間と食事会をしました野毛の萬里も勿論取り上げられているのです。<br /><br />この店は、日本で最初に焼き餃子を出した店だとか・・・いや、それは、ココのご主人が言ってることでして、真実かどうかは、私は知りません。しかし、ココのご主人は野毛では有名人。野毛の名物は、毎年行われえる野毛大道芸なのかもしれませんが、それの仕掛け人が、この萬里のご主人・福田さんなのです。また、20年位前に、野毛を取り上げた雑誌に「ハマ野毛」というのがあったのですが、それの発行にも関わったとか・・・。この「ハマ野毛」は、大昔のカストリ雑誌風の作りでして、全部で6号まで発行されていまして、私は第4号を除いて、全て持っています。この雑誌が、また泣けてくるのです。<br /><br />その「ハマ野毛」の画像は下記です。<br />http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/pict/15737481/src.html

    その「横浜本」がコレです。
    どうですか、なかなか面白そうな雑誌でしょう。

    柳原良平の描くこのおじさん、なんというのか・・・
    私には、大昔の「トリスを飲んでハワイへいこう」のトリスおじさんに見えましたので、上では、そう書いてしまいました。

    この雑誌は、Meeets Regional別冊となっていまして、編集発行は京阪神エルマガジン社となっています。
    中身は、なかなかのもの。観光客のミーちゃんハーチャン向けの店などは出てきません。渋くてディープな店ばかり。ですから、どうして野毛の店が多いですね。横浜の、そういった渋い店を知るには最高の雑誌ですね。













    この横浜本には、上海仲間と食事会をしました野毛の萬里も勿論取り上げられているのです。

    この店は、日本で最初に焼き餃子を出した店だとか・・・いや、それは、ココのご主人が言ってることでして、真実かどうかは、私は知りません。しかし、ココのご主人は野毛では有名人。野毛の名物は、毎年行われえる野毛大道芸なのかもしれませんが、それの仕掛け人が、この萬里のご主人・福田さんなのです。また、20年位前に、野毛を取り上げた雑誌に「ハマ野毛」というのがあったのですが、それの発行にも関わったとか・・・。この「ハマ野毛」は、大昔のカストリ雑誌風の作りでして、全部で6号まで発行されていまして、私は第4号を除いて、全て持っています。この雑誌が、また泣けてくるのです。

    その「ハマ野毛」の画像は下記です。
    http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/pict/15737481/src.html

  • ここが、日本で最初に焼き餃子を出したと言う萬里です。<br />私はここで、何度昼定食を食ったか・・・また、何度、一杯やりながら食事をしたか・・・そして、ここで食事会は、何度やったか・・・まあ、食事会は、4・5回ってところでしょうね。<br />食事会の仲間は、いつも中国仲間、上海仲間でしたね。皆で酒を酌み交わし、ドッサリの食事を楽しみながら、いつも、中国の話で盛り上がったものです。<br />上の画像は、2006年の7月22日のものでして、その時も、ここで食事会をしたのです。<br /><br />中の画像は、この日のもの。<br />5時半から初めて、終わったのが9時一歩手前。3時間以上やっていたんですね。<br />店を出てから撮ったものが、この画像です。<br />この日、集まったのは、全部で8人。<br />一人を除いて、全てが上海に住んでいた人達。<br />上海で生まれた人も、戦前上海のフランス租界に住んでた人もいたのです。<br />上海に留学して、そのまま上海に居つき、上海で知り合った日本人女性と結婚したカップルも・・<br />上海の話、尽きなかったですね・・・勿論、今回の島騒動問題も話題に上がったのでした。<br />島を買い取ると言った石原さんが悪いんだと言う人もいましたし、いや、石原さんは良くやってくれた、中国人相手にはあの手しかないんだ、と言い張る人もいたのでした。<br />私は飲みすぎで、最後のほうはおぼろげ・・・。<br /><br /><br />下の画像は、食事会が始まって30分もたってないころのテーブル状況です。<br />手前が、この店の売りの焼き餃子です。<br />これで3人前ですが、これを2皿行きましたね。<br />紹興酒は、何本行ったのか・・・まあ、3本くらいでしょうね。

    ここが、日本で最初に焼き餃子を出したと言う萬里です。
    私はここで、何度昼定食を食ったか・・・また、何度、一杯やりながら食事をしたか・・・そして、ここで食事会は、何度やったか・・・まあ、食事会は、4・5回ってところでしょうね。
    食事会の仲間は、いつも中国仲間、上海仲間でしたね。皆で酒を酌み交わし、ドッサリの食事を楽しみながら、いつも、中国の話で盛り上がったものです。
    上の画像は、2006年の7月22日のものでして、その時も、ここで食事会をしたのです。

    中の画像は、この日のもの。
    5時半から初めて、終わったのが9時一歩手前。3時間以上やっていたんですね。
    店を出てから撮ったものが、この画像です。
    この日、集まったのは、全部で8人。
    一人を除いて、全てが上海に住んでいた人達。
    上海で生まれた人も、戦前上海のフランス租界に住んでた人もいたのです。
    上海に留学して、そのまま上海に居つき、上海で知り合った日本人女性と結婚したカップルも・・
    上海の話、尽きなかったですね・・・勿論、今回の島騒動問題も話題に上がったのでした。
    島を買い取ると言った石原さんが悪いんだと言う人もいましたし、いや、石原さんは良くやってくれた、中国人相手にはあの手しかないんだ、と言い張る人もいたのでした。
    私は飲みすぎで、最後のほうはおぼろげ・・・。


    下の画像は、食事会が始まって30分もたってないころのテーブル状況です。
    手前が、この店の売りの焼き餃子です。
    これで3人前ですが、これを2皿行きましたね。
    紹興酒は、何本行ったのか・・・まあ、3本くらいでしょうね。

  • ここは萬里の並びにある店です。<br />萬里の隣ではなく一つ置いて隣にある店で、串フライがメインの立飲み屋です。<br />ココには、もう、大昔から来ています。<br />だいたいが、土日に馬券を買いに行く前や、買った後に来ていましたね。あるいは、夕方野毛で一杯と言う時に、まずはココでチョイと引っ掛けて行く為の店なのです。<br />大昔は、ココにあったのでなく、もう少し駅寄りにある酒屋の隣でやっていたのです。<br /><br />この店の名が「福田フライ」と知ったのは、ホンの一年前。<br />マニアの間ではFFと呼ばれているとか・・・。<br />そうなんです、野毛では、もう、知る人ぞ知る店なんです。<br /><br />上の画像は2006年7月のもの。やはり萬里で食事会あった時に撮ったものです。<br />40年以上前から、この店を切り盛りしてるのが、ココに写っていますおばさんなんです。<br />おばさんとは、もう顔なじみですので、私が上海に移り住んだってことは、おばさんご存知なのです。<br />この時も、あれ、いつ横浜に帰ってきたのと、呼びかけられたのでした。<br /><br />中の画像は、この日のもの・・・<br />萬里での食事会は5時半からでしたので、5時には野毛に繰り出し、ココでチョイと引っ掛けていたのです。生ビールと焼酎のロックと、そして串揚げ2本でしたね。<br />そうしましたら、食事会に参加する方が私を見つけまして、なんですか、井上さん・・・じゃあ、私もと、その人も立飲みに参加したのでした。<br />店の中の写真を撮ろうとしましたら、中から、「ダメだよ、撮っちゃあ!!」と叱られてしまいました。<br />おばさんの息子さんです。<br />このおばさんは凄いのです。その凄さは、後段で説明します。<br />おばさんのご主人は戦争中は満州で特務の仕事をしていたようで、北京語はペラペラだったそうです。大平首相の弟さんと船で日本に帰ってきたらしいんですが、日本では、もう抜け殻のようになっていたようです。だもんですから、おばさんが一家を支えるために、40年以上前に野毛に立飲み屋を始めたということらしいです。40年位前、私が社会人になった頃は、この店、今より、もっと賑わっていましたね。客筋は会社員もいましたが、殆どが労働者諸君でしたね。<br />そういった店だったんですが、この日、私が立飲みしていましたら、若いカップルが店の奥に入り込んでいきました。えっ!なぬっ!そうか今は、こういった連中も、こういった店に来るんだ、へぇ・・・となったのでした。そしてジックリと店の中を見回すと、労働者諸君らしき客の姿は少ない。私とホンの2・3人。フ〜ム、野毛も変わってきたのかも、と思った次第です。

    ここは萬里の並びにある店です。
    萬里の隣ではなく一つ置いて隣にある店で、串フライがメインの立飲み屋です。
    ココには、もう、大昔から来ています。
    だいたいが、土日に馬券を買いに行く前や、買った後に来ていましたね。あるいは、夕方野毛で一杯と言う時に、まずはココでチョイと引っ掛けて行く為の店なのです。
    大昔は、ココにあったのでなく、もう少し駅寄りにある酒屋の隣でやっていたのです。

    この店の名が「福田フライ」と知ったのは、ホンの一年前。
    マニアの間ではFFと呼ばれているとか・・・。
    そうなんです、野毛では、もう、知る人ぞ知る店なんです。

    上の画像は2006年7月のもの。やはり萬里で食事会あった時に撮ったものです。
    40年以上前から、この店を切り盛りしてるのが、ココに写っていますおばさんなんです。
    おばさんとは、もう顔なじみですので、私が上海に移り住んだってことは、おばさんご存知なのです。
    この時も、あれ、いつ横浜に帰ってきたのと、呼びかけられたのでした。

    中の画像は、この日のもの・・・
    萬里での食事会は5時半からでしたので、5時には野毛に繰り出し、ココでチョイと引っ掛けていたのです。生ビールと焼酎のロックと、そして串揚げ2本でしたね。
    そうしましたら、食事会に参加する方が私を見つけまして、なんですか、井上さん・・・じゃあ、私もと、その人も立飲みに参加したのでした。
    店の中の写真を撮ろうとしましたら、中から、「ダメだよ、撮っちゃあ!!」と叱られてしまいました。
    おばさんの息子さんです。
    このおばさんは凄いのです。その凄さは、後段で説明します。
    おばさんのご主人は戦争中は満州で特務の仕事をしていたようで、北京語はペラペラだったそうです。大平首相の弟さんと船で日本に帰ってきたらしいんですが、日本では、もう抜け殻のようになっていたようです。だもんですから、おばさんが一家を支えるために、40年以上前に野毛に立飲み屋を始めたということらしいです。40年位前、私が社会人になった頃は、この店、今より、もっと賑わっていましたね。客筋は会社員もいましたが、殆どが労働者諸君でしたね。
    そういった店だったんですが、この日、私が立飲みしていましたら、若いカップルが店の奥に入り込んでいきました。えっ!なぬっ!そうか今は、こういった連中も、こういった店に来るんだ、へぇ・・・となったのでした。そしてジックリと店の中を見回すと、労働者諸君らしき客の姿は少ない。私とホンの2・3人。フ〜ム、野毛も変わってきたのかも、と思った次第です。

  • 上に紹介した「横浜本」の中の福田フライ(FF)の紹介記事です。<br />見開き2ページに渡る店の写真はなかなか圧巻。<br />その写真には全面に渡って「ごきげん DOWN TOWN NOGE!」と大きな白い文字が斜めに走り、そして、以下のようなコメントが・・・<br /><br />■■■■■■■■■■■■■■■■<br />桜木町の駅から地下道を抜け上がったところから<br />俺たちの放課後が始まる。<br />野毛小路に入ったならもうごきげんは約束されたも同然。<br />ここ福田フライ(通称・FF)に萬里、若竹、三陽・・・・<br />まずはこの入り口4軒で口開けだ!<br /><br />野毛の入り口にあって「野毛の関所」とも呼ばれているのが、昭和23年頃創業の「福田フライ」だ。その店名の通り看板メニューは串揚げで、それぞれ一本ずつから注文することができる。味付けには普通のソースや塩に加えて、この店ならではの、ニンニクと唐辛子が入った辛いソースも大人気。創業時から串揚げと自家製のお新香だけでやってきたが、5年ほど前に、割烹料理店で修行した息子さんも店に入り、魚介類やもつ炒めなどもメニューに加わった。店頭でフライを揚げるおばちゃんの笑顔に出会うと、ついつい吸い寄せられるように立ち寄ってしまう野毛の名店なのであ〜る。 <br />■■■■■■■■■■■■■■■■<br />

    上に紹介した「横浜本」の中の福田フライ(FF)の紹介記事です。
    見開き2ページに渡る店の写真はなかなか圧巻。
    その写真には全面に渡って「ごきげん DOWN TOWN NOGE!」と大きな白い文字が斜めに走り、そして、以下のようなコメントが・・・

    ■■■■■■■■■■■■■■■■
    桜木町の駅から地下道を抜け上がったところから
    俺たちの放課後が始まる。
    野毛小路に入ったならもうごきげんは約束されたも同然。
    ここ福田フライ(通称・FF)に萬里、若竹、三陽・・・・
    まずはこの入り口4軒で口開けだ!

    野毛の入り口にあって「野毛の関所」とも呼ばれているのが、昭和23年頃創業の「福田フライ」だ。その店名の通り看板メニューは串揚げで、それぞれ一本ずつから注文することができる。味付けには普通のソースや塩に加えて、この店ならではの、ニンニクと唐辛子が入った辛いソースも大人気。創業時から串揚げと自家製のお新香だけでやってきたが、5年ほど前に、割烹料理店で修行した息子さんも店に入り、魚介類やもつ炒めなどもメニューに加わった。店頭でフライを揚げるおばちゃんの笑顔に出会うと、ついつい吸い寄せられるように立ち寄ってしまう野毛の名店なのであ〜る。
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  • これも、今年発売された野毛本です。<br />神奈川新聞社が発行しています横浜市との共同編集雑誌「横濱」です。<br />2012年夏号となってますから、季刊誌なのかもしれません。<br />コレが第37号となっています。<br />この37号の特集が野毛なのです。<br />題して「野毛にようこそ」なんです。<br />でもって、その表紙の写真が、野毛小路のあの4つの店が並ぶ街並み。<br />つまり、右に萬里と福田フライ、左に三陽と若竹があるという一画ですね。<br />やはり、野毛と言うとココになってしまうんでしょうね。<br />この雑誌は、もう野毛の魅力が一杯。<br />野毛の渋い店がワンサカ。<br />萬里のご主人・福田さんと江戸川乱歩賞受賞の推理小説家・山崎洋子さんの「ハマ野毛」に関する対談なんかも、もうゴキゲン一杯なのです。<br />しかし、コレを見ますと、なんか野毛も若者向けの街に変身しつつあるなと思いましたね。<br />労働者諸君のオヤジや、競馬オヤジの街から、オヤジも楽しめて、若者も楽しめる街に変わろうとしてるような・・・・。まあ、それもイイでしょうね。MM21に行った後の一杯は野毛で、なんてな若者も増えてくるのかもしれません。華やかな横浜と渋い横浜・・・エエじゃないですか。

    これも、今年発売された野毛本です。
    神奈川新聞社が発行しています横浜市との共同編集雑誌「横濱」です。
    2012年夏号となってますから、季刊誌なのかもしれません。
    コレが第37号となっています。
    この37号の特集が野毛なのです。
    題して「野毛にようこそ」なんです。
    でもって、その表紙の写真が、野毛小路のあの4つの店が並ぶ街並み。
    つまり、右に萬里と福田フライ、左に三陽と若竹があるという一画ですね。
    やはり、野毛と言うとココになってしまうんでしょうね。
    この雑誌は、もう野毛の魅力が一杯。
    野毛の渋い店がワンサカ。
    萬里のご主人・福田さんと江戸川乱歩賞受賞の推理小説家・山崎洋子さんの「ハマ野毛」に関する対談なんかも、もうゴキゲン一杯なのです。
    しかし、コレを見ますと、なんか野毛も若者向けの街に変身しつつあるなと思いましたね。
    労働者諸君のオヤジや、競馬オヤジの街から、オヤジも楽しめて、若者も楽しめる街に変わろうとしてるような・・・・。まあ、それもイイでしょうね。MM21に行った後の一杯は野毛で、なんてな若者も増えてくるのかもしれません。華やかな横浜と渋い横浜・・・エエじゃないですか。

  • 横浜開港記念館の2階の展示室には横浜の風景を描いたステンドグラスが何枚か展示されています。<br />どんなものがあったか・・・港の風景や中華街や山下公園などのものがあったような・・・それらは、一目で、誰が見ても、ああ横浜だなと分かってしまう絵柄なんですが、その中に一つだけ、コレ見て、コレが横浜とピンと来る人いるかなと、思われる絵があるんです。それが左の画像のステンドグラス。<br />私は勿論、おお・・と分かってしまいましたね。<br />そして、嬉しいこっちゃ・・・って思いましたね。<br />なんせ、野毛のあそこが横浜を代表する風景として取り上げられてる、って言うんですから。<br /><br />「野毛のあそこ」とは、そうです、野毛小路の関所の対面にある2つの店が並ぶ一画です。<br />2つの店は餃子とラーメンの三陽と焼鳥の若竹です。<br /><br />その2つの店が並ぶ画像を4つ左に貼り付けました。<br />まずは、横浜開港記念館に飾られてるステンドグラス、次はその原画、そして私が撮った画像2つ。<br />一つはその日の食事会が終わった後に撮ったもの、もう一つは、6年前の昼に撮ったもの。

    横浜開港記念館の2階の展示室には横浜の風景を描いたステンドグラスが何枚か展示されています。
    どんなものがあったか・・・港の風景や中華街や山下公園などのものがあったような・・・それらは、一目で、誰が見ても、ああ横浜だなと分かってしまう絵柄なんですが、その中に一つだけ、コレ見て、コレが横浜とピンと来る人いるかなと、思われる絵があるんです。それが左の画像のステンドグラス。
    私は勿論、おお・・と分かってしまいましたね。
    そして、嬉しいこっちゃ・・・って思いましたね。
    なんせ、野毛のあそこが横浜を代表する風景として取り上げられてる、って言うんですから。

    「野毛のあそこ」とは、そうです、野毛小路の関所の対面にある2つの店が並ぶ一画です。
    2つの店は餃子とラーメンの三陽と焼鳥の若竹です。

    その2つの店が並ぶ画像を4つ左に貼り付けました。
    まずは、横浜開港記念館に飾られてるステンドグラス、次はその原画、そして私が撮った画像2つ。
    一つはその日の食事会が終わった後に撮ったもの、もう一つは、6年前の昼に撮ったもの。

  • 昭和50年前後の野毛小路の様子を思い浮かべながら描き出したのが左の図です。<br /><br />私は昭和47年(1972年)に大学を卒業。大学時代のアルバイトはいつも肉体労働ばかりでした。土方をやったり、大型トラックの助手をやったり・・・そんな中、一番、日給が良かったのが沖中仕でしたね。土方仕事は1日1200円くらいでしたが、沖仲仕は確実に2000円行きましたからね。その沖中仕の仕事を得るためには朝早く、桜木町や東神奈川の駅の近くの特定の場所に来る必要がありました。そうしますと、どこからか手配師が現れて、大黒ふ頭10人、2200円だ、とか言って人集めを始めるのです。私の場合はいつも桜木町でしたね。そして、その特定の場所と言うのが野毛小路の桜木町寄りの図で示した場所でした。<br /><br />社会人になってからは、野毛で一杯やってから、伊勢佐木町に繰り出すなんてなことやっていまして、そんな時は、いつも野毛小路の屋台の焼鳥屋か、あるいは串フライの立飲み屋でしたね。当時、その串フライ屋に名前があったのかどうか・・・なかったような・・・。焼鳥の屋台の爺さんはいつも鼻水垂らしていまして、見てると、ああ、危ない、鼻水が焼鳥に・・・といつも冷や冷やしながら、見守っていたもんです。当時1本いくらだったのか・・・まあ、30円前後だったような。<br /><br />串フライの立飲み屋・・・つまり、今の福田フライですが、当時は酒屋(加藤酒店)の隣にありまして、殆どの人は酒やビールは酒屋で買って、飲んでましたね。そして、今より、客はワンサカでいつも夕方は賑わっていました。そんな中、店を切り盛りしていましたのが、若かりし頃の上に出てきたおばちゃんだったのです。いやぁ、当時のおばちゃんは凄かったですね。これほどの天才には、63歳になる今でも、このおばちゃん以外には会っていません。何がスゴイか・・・当時、いつも満員で30人くらいは客が居ました。アッチャコッチャから注文が飛んできます。メニューは串フライだけで20種類はあったでしょう。それ以外におしんことか、トマトとかもあり、酒類はビール、日本酒、焼酎、ウィスキーなどです。おばちゃん、その注文をすべて、頭の中の30個くらいある引き出しうち1つを引っ張り出し、その中のメモ帳に書き込み、正確に注文に応じて、串フライを揚げ、酒を提供します。そして、遠くから、おばちゃん幾ら、と声が掛かりますと、頭の中の引き出しのうちの1つを引っ張り出して、中のメモ帳に書かれた注文品の合計を計算し、450円だよー、と叫びます。それが、間違うことが無かったですね。あれをいつも見ていまして、スッゲェーなあ、といつも感心していました。100回に5回くらいは間違いがあったのかもしれませんが、客は皆、おばちゃんの正確さを知ってましたから、あいよ、って感じで代金を支払っていました。<br />しかし、まあ、今はもうこのおばちゃんも80歳を越えていますので、当時の凄さは、もう感じられませんが、今でも元気に頑張っています。<br /><br />以上野毛の思い出話でした。

    昭和50年前後の野毛小路の様子を思い浮かべながら描き出したのが左の図です。

    私は昭和47年(1972年)に大学を卒業。大学時代のアルバイトはいつも肉体労働ばかりでした。土方をやったり、大型トラックの助手をやったり・・・そんな中、一番、日給が良かったのが沖中仕でしたね。土方仕事は1日1200円くらいでしたが、沖仲仕は確実に2000円行きましたからね。その沖中仕の仕事を得るためには朝早く、桜木町や東神奈川の駅の近くの特定の場所に来る必要がありました。そうしますと、どこからか手配師が現れて、大黒ふ頭10人、2200円だ、とか言って人集めを始めるのです。私の場合はいつも桜木町でしたね。そして、その特定の場所と言うのが野毛小路の桜木町寄りの図で示した場所でした。

    社会人になってからは、野毛で一杯やってから、伊勢佐木町に繰り出すなんてなことやっていまして、そんな時は、いつも野毛小路の屋台の焼鳥屋か、あるいは串フライの立飲み屋でしたね。当時、その串フライ屋に名前があったのかどうか・・・なかったような・・・。焼鳥の屋台の爺さんはいつも鼻水垂らしていまして、見てると、ああ、危ない、鼻水が焼鳥に・・・といつも冷や冷やしながら、見守っていたもんです。当時1本いくらだったのか・・・まあ、30円前後だったような。

    串フライの立飲み屋・・・つまり、今の福田フライですが、当時は酒屋(加藤酒店)の隣にありまして、殆どの人は酒やビールは酒屋で買って、飲んでましたね。そして、今より、客はワンサカでいつも夕方は賑わっていました。そんな中、店を切り盛りしていましたのが、若かりし頃の上に出てきたおばちゃんだったのです。いやぁ、当時のおばちゃんは凄かったですね。これほどの天才には、63歳になる今でも、このおばちゃん以外には会っていません。何がスゴイか・・・当時、いつも満員で30人くらいは客が居ました。アッチャコッチャから注文が飛んできます。メニューは串フライだけで20種類はあったでしょう。それ以外におしんことか、トマトとかもあり、酒類はビール、日本酒、焼酎、ウィスキーなどです。おばちゃん、その注文をすべて、頭の中の30個くらいある引き出しうち1つを引っ張り出し、その中のメモ帳に書き込み、正確に注文に応じて、串フライを揚げ、酒を提供します。そして、遠くから、おばちゃん幾ら、と声が掛かりますと、頭の中の引き出しのうちの1つを引っ張り出して、中のメモ帳に書かれた注文品の合計を計算し、450円だよー、と叫びます。それが、間違うことが無かったですね。あれをいつも見ていまして、スッゲェーなあ、といつも感心していました。100回に5回くらいは間違いがあったのかもしれませんが、客は皆、おばちゃんの正確さを知ってましたから、あいよ、って感じで代金を支払っていました。
    しかし、まあ、今はもうこのおばちゃんも80歳を越えていますので、当時の凄さは、もう感じられませんが、今でも元気に頑張っています。

    以上野毛の思い出話でした。

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この旅行記へのコメント (17)

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  • 齊天大聖さん 2012/10/09 21:03:59
    横浜行ってみたくなりました!
    お帰りなさいませ!
    うちはもともと拠点は四国の香川の高松なんですが(田舎なので四国ってそれどこ?とか言わないで下さい(>_<))、やっぱり上海には行きづらくなりましたね。
    尖閣問題は遠い国境のとこの話で、高松拠点のうちではたまにしか話題になりませんが、井上様はほんとに上手に戻られたんだと思います。
    さて、FF美味しそうですね!来年1月に1週間休暇を頂けることになったのですが、上海でなく横浜に行ってみようかしらん(メ・ん・)?
    ちなみにこの前パットの残高が尽きてWINS高松に突撃、毎日おーかんの馬連万馬券ゲットで、現ナマを手にする良さに再度触れた次第です。
    話がバラバラになりましたが、是非井上先生とは一献傾けたいと熱望します。ご迷惑なことばかり申しました、またよろしくお願い致しますm(_ _)m

    井上@打浦橋@上海

    井上@打浦橋@上海さん からの返信 2012/10/10 06:36:21
    RE: 横浜行ってみたくなりました!
    齊天大聖さん、どうも。

    毎日王冠、カレンブラックヒルとジャスタウェイの馬連、
    取りましたか、凄いですね・・・
    今年の3歳馬、強いですね。
    島問題の騒動ですが、私の経験上では、
    日本のテレビで報道されてるほどではないのかと・・・
    でも、まあ、前回、前々回よりは、チョイと過激になってのかなと思えます。
    いつか、横浜に来られましたら、
    MM21とか山下公園とか元町とか中華街とか・・・・そういうところもイイですが、
    是非野毛にもどうぞ・・・・Winsありますし、B級酒場もたくさんありますから。

    kekorin

    kekorinさん からの返信 2012/10/11 09:17:39
    RE: 横浜行ってみたくなりました!
    横浜は、有名な場所でもありますし、楽しいところ美味しいところでもありますので、是非お出かけください〜♪

    この前、
    青島へ行った方から、お土産に飴でしょうか?
    食べてみました。包に牛肉って書いてあるんです・・・
     
    たしかに、牛肉の風味が口一杯に広がるんです・・・
    初めてでしたが、良くある飴なんですって〜〜〜

    知りませんでした〜(★>U<★)

    お土産には楽しくっていいかも〜と思っています♪

    齊天大聖

    齊天大聖さん からの返信 2012/10/11 23:26:12
    RE: 横浜行ってみたくなりました!
    横浜行き、本気で検討しようかな・・・特に飲め、もとい野毛に・・・


    kekorinさん、包に牛肉飴のある青島って中国の青島ビールの青島ですか?
    牛肉飴は微妙ですね・・・

    井上大先生、秋華賞は堅いですかね?
    今日パットに振込したら、上海出身嫁にまたお金使って!・・・と怒られました(;_;)

    井上@打浦橋@上海

    井上@打浦橋@上海さん からの返信 2012/10/13 03:09:54
    秋華賞当たるかな・・・
    ジェンティルドンナ、圧倒的な人気ですね。今のところ1.1倍。
    ジェンティルを◎、
    ヴィルシーナとアイムユアーズとミッドサマーフェアを○、
    10、11、12、13番人気を▲にして、
    3連単◎→○○○→▲▲▲▲を700円ずつ、
    3連単◎→▲▲▲▲→○○○を300円ずつ
    合計12000円を買おうかなと、今のところ思っています。
    あるいは馬単の◎→○○○を3000円ずつ、
    ◎→▲▲▲▲を1000円ずつの合計13000円を買うか・・・。

    ▲のうち、
    特にステイゴールド産駒のアイスフォーリス(今のところ11番人気)
    に魅力を感じています。

    齊天大聖

    齊天大聖さん からの返信 2012/10/13 17:14:37
    RE: 横浜行ってみたくなりました!
    井上大先生に似ていますが、?連単1着ジェンティル−アイム−???で勝負!それではグッドラック!!
  • よーじーぼーりさん 2012/09/25 23:10:54
    お帰りなさい!
    本当に良いタイミングで帰国されましたね。
    お嬢ちゃんの第六感、恐るべし!!
    奥さまにとっては寂しいでしょうが、数年ご辛抱頂いて
    ディープな野毛を堪能して欲しいです(*^_^*)

    存在は知っているものの、この中ではまだFFしか行ったことがありません。
    いつか制覇したいものです。

    私のおススメ、「武蔵屋」「旧バラ荘」「日の出理髪店」なども是非足をお運びください。
    もちろん「世界の西村」リポートにも期待!(^O^)

    井上@打浦橋@上海

    井上@打浦橋@上海さん からの返信 2012/09/26 11:00:24
    秋は酒が更にうまくなる
    よーじーぼーりさん、どうも。

    横浜生活に切り替えたのはグッドタイミングでした。

    中国は思い上がりすぎです。
    2012年は中国にとってターニングポイントになるでしょうね。
    これ以上の発展があるのかどうか・・・
    どうやら、この年が頂点で、今後はジワジワと落ちていくかも。

    やっと暑い残暑が去り、酒の美味い季節になりました。
    いや、ボクのバヤイは、暑い夏でも関係ないですが、
    やはり、秋の方が気分的には酒がうまくなる。
    と言うことで、野毛に足を向けるようになるでしょう。
    15年前までは、野毛には毎週一回以上は行っていたんですが、
    今は、Winsまで馬券買いに行かなくなったので、足が遠のいています。
    (今は馬券はパソコンで買っています)
    今後は月に2回くらいは行くようになるでしょうね。
    武蔵屋はチト敷居が高そうで、分かりませんが、
    旧バラ荘や日の出理髪店には、なんかそそられるところありますので、
    是非、足を運び、チラッとやって来たいと思います。
    そこへ行く前には、勿論、そうです・・・
    FFか世界の西村にて、キューッと引っ掛けてから、
    ってことになるでしょうね。
  • ションさん 2012/09/24 17:24:36
    お礼。
    井上さん、はじめまして。
    4〜5年前から拝見させていただいていた上海在住のションと申します。

    長らく上海歩きの参考にさせていただいてたので、
    この機会にお礼を申し上げたいと思いました。

    時々上海へいらっしゃるということですから、
    またその時を楽しみにしています。

    横浜と上海。
    これからも記事を楽しみにしていますね。

    井上@打浦橋@上海

    井上@打浦橋@上海さん からの返信 2012/09/26 10:34:09
    RE: お礼。
    ションさん、どうも。

    ションさんは、上海はどちらにお住まいなのでしょうか?

    上海は、結構街歩きが面白いです。
    秋になりまして、ますます、いろんなところに、
    足を伸ばせるのでは・・。

    上海にはこれからも、時々、帰りますので、
    その時に、上海でお会いできれば、などと思います。
  • kekorinさん 2012/09/19 08:49:07
    いい感じのお店ですね〜
    野毛という場所は聞いたことがありますが、
    最寄駅が、桜木町なのですね〜(知らなかったわぁ〜ヾ( ̄∇ ̄=ノ)

    B級グルメ〜ワタクシも大好きですvv(。・ω・。)

    今度横浜の中華街へ行きます〜共同購入クーポンで購入したお店で食事をするのですが、チェーン店でもなく、ご主人は台湾出身だそうで楽しみにしているところです☆

    井上@打浦橋@上海

    井上@打浦橋@上海さん からの返信 2012/09/19 09:52:54
    いつか野毛に来てチョ!!
    ここのご主人は、なかなか不思議な人。
    福田豊さんと言う方で、野毛では有名人。
    野毛では毎年、大道芸フェスティバルみたいなことやってるんですが、
    それの仕掛け人が福田さんらしいです。

    [ 野毛 福田豊 ]で検索掛けますと、彼のWikipediaが出てきます。
    天津生まれで、電通に勤めたというんですから、
    彼のお父様は、中国で特務機関にいたのかと想像されます。

    野毛にはB級グルメがドッサリあります。
    いつか、散策されてください。

    野毛は立飲み屋と競馬と落語とジャズの街なんです。
    そして”ゲイ”ですね。
    ”ゲイ”文化が根付いてるというのは成熟した飲み屋街ということです。
    [ 野毛 ゲイ ]で検索掛けますとイロイロ出てきますよ。
    私のブログも出てきます・・・でも、私はゲイではないですよ。
    ゲイバーは好きでしたが。

    横浜は、元町だ山下公園だ中華街だMM21だ、ってことに
    一般的になってるんですが、ディープの方向に向かってしまう、
    私には、何と言っても横浜は野毛なんです。

    その野毛も様相変わってきましたね。
    親父の街だったのが、若い女性が目立つようになって来ました。
    萬里の食事会の前に、隣にある立飲み屋で、引っ掛けていましたら、
    若い女性が入ってきたのには、ビックラこきました。
    昔は、労働者諸君の店だったのに・・。

    けこりんさん、いつか野毛に来られて、オヤジになってください。

    kekorin

    kekorinさん からの返信 2012/09/19 10:25:35
    RE: いい感じのお店ですね〜
    楽しそう〜本当Deepですね〜
    桜木町駅近辺を見渡すだけじゃ〜ダメダメね♪
    検索してみよっと〜☆^▽^☆

    立ち飲み〜お酒1滴も頂けませんが、新橋、浜松町の秋田屋は好きで
    ウーロン茶&焼トンで〜〜〜(ひとりでじゃありませんよ〜笑)
  • デカニシさん 2012/09/18 09:10:16
    日本に戻られましたか
    上海で街を案内していただき有難うございました。
    現在私は名古屋に住んでおりますが、幼時代は横浜、小・中。高時代は世田谷、以後名古屋在住です。亡くなった母が横浜出身なので、横浜は第二の故郷見たいです。ここ数年は東京方面は出向いておりませんが、小・中のクラス会が有ると出かけます。その時は高校時代の仲間や、中国駐在時代の仲間とワイワイやるのを楽しみにしています。出ると1週間ほど帰らず、女房に、何しに行ってるのと・・・・・
    井上さんその時は連絡いたしますので、又現在の横浜と昔の横浜を教えて下さい。それでは。

    井上@打浦橋@上海

    井上@打浦橋@上海さん からの返信 2012/09/19 08:44:41
    RE: 日本に戻られましたか
    デカニシさん、お久しぶり。

    > 亡くなった母が横浜出身なので、横浜は第二の故郷見たいです。

    そうですか。
    もし、横浜に来られることあれば、連絡ください。

    今回の中国の騒動、酷いもんでしたね。

    その辺のことに関して、下記に自分の意見を書きましたので、
    宜しかったら、ご覧ください。
    http://yorozu.explore.ne.jp/info/view.php?r=jp&aidb=&aidc=&id=74971
  • melonpanさん 2012/09/18 08:21:13
    帰国されたのですね。
    おはようございます。
    旅行記がアップされる前に、上海に住んでいる井上@打浦橋@上海さん家族はどうされているのだろうと思っていました。
    まあ、奥さんが上海人でも井上@打浦橋@上海さんは日本人、在住の人に暴行されている人も出ています。危惧していました。
    コメントには書かなくても中国に在住の人達を心配している人は多いと思います。
    僕は、在日の中国人の方達が、このような時でも日本人は優しいし問題はないと母国の家族に知らせている事に日本人の民度の高さを誇らしく思います。
    昨年の東日本震災の時もスーパーに並ぶ様子を世界に発信されて日本人の民度が高くネットでは世界の模範に成ると公表されています。

    ただ、今後は上海の旅行記が見られなくなる事を思うと残念です。
    melonpanより

    井上@打浦橋@上海

    井上@打浦橋@上海さん からの返信 2012/09/19 08:39:37
    RE: 帰国されたのですね。
    melonpanさん、どうも。

    > 僕は、在日の中国人の方達が、このような時でも日本人は優しいし
    > 問題はないと母国の家族に知らせている事に日本人の
    > 民度の高さを誇らしく思います。

    そうそう、こういうのは誇るべきですね。
    こういった民度の差は、
    いずれ世界中の人に知れ渡るでしょうね。

    とにかく、中国は困ったもんです。

    その辺のことは下記に書きましたので、
    ご覧ください。
    http://yorozu.explore.ne.jp/info/view.php?r=jp&aidb=&aidc=&id=74971

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