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1).旅の始めに                <br /><br />                    儘の皮 老いらくの恋  旅晩夏<br /><br />                                                                                          「杜月笙」は、1888年8月21日、陰暦の「盂蘭盆」の「中元節」に、江蘇省川沙庁高橋南杜家宅(現在の上海市浦東新区高橋鎮)で生まれ、「月生」と名付けられた(後に「月笙」と改名)。「杜月笙」は、1920年から40年にかけ、上海の裏社会「青幇」の実力者であり、表社会まで影響を持っていたと、言われていた。<br />  「杜月笙」が、「青幇」に入ったのは、「黄公館」と呼ばれていた「黄金栄」の家を訪れた時だと、言われている。「黄金栄」は、当時、フランス租界警察の刑事部長であったので、夫人「桂生」が、実質的な闇のボスであり、「杜月笙」は、この夫人に気に入られ、闇社会の出世街道を登り詰めて行った。「桂生」夫人の遠縁の「沈月英」との結婚も、夫人の肝煎りであり、結婚後「黄公館」に住むことになった。  <br /><br /><br />2).『東湖賓館』(旧「杜月笙」公館)へ<br /> <br />                                                                                      上海徐匯区の「東湖路」と「新楽路」の交差点付近にある、嘗ては「杜月笙」の家であった『東湖賓館』に出かけた。 この建物は、1921年、ユダヤ人の貿易商がフランス人の建築家に依頼し建てたもので、6棟の洋館が残っていた。「1号楼」は、「杜月笙」が支配していた、阿片の流通担当の、『三〇公司』社長「金廷〇」が、航空彩票(宝くじ)の儲けで建築し、「杜月笙」に献上したものである。この家に引越しようとした時、「8・13事変」(1937年8月13日、 日本軍による第二次上海事変)が勃発したため、「杜月笙」一家は、ここには、住まなかった。後に、この建物を、アメリカの新聞社へ売却し、香港での晩年の生活費に当てたようだ。当時は、プラタナスの並木道が続く、静かな住宅街であったが、現在は、雑居ビルが連立する、賑やかなダウンタウンになっていた。<br /><br />3).ワグナー通りの「杜月笙」の公館へ   <br />   <br />                                                                                    もう一つの「杜月笙」公館は、嘗ての「ワグナー通り」にあった。この家は、親分の「黄金栄」が、ある軍閥に誘拐されたのを、「杜月笙」が助けた、そのお礼として、譲られと言われている。玄関の両脇には、『友天下士、読古人書』(天下の士を友とし、古人の書を読む)と書かれた、「読書人」(当時の、インテリー階層)の心掛けを模した一対の聯が掲げられていた。1937年8月13日、第二次上海事変勃発、日本海軍陸戦隊が、上海に上陸、占拠した。「杜月笙」は、「蒋介石」の指示で、レジスタンス活動を企てたが、「蒋介石」軍が、早々に上海を放棄したため、租界地は陸の孤島になった。その時、日本軍の「土肥原少将」から、「杜月笙」は日華協力への打診をされたが、「香港」へ、早々に脱出している。<br />   嘗ての「ワグナー通り」(現在の「寧海西路」)の「杜月笙」の家を探しに出かけたが、街は大きく変わり、「延安高速道路」と「金陵中路」の一角に、公園があり、其処に池があった。その池の端に立ち、古い地図を見ながら、突き合わせているうちに、この池付近に、「杜月笙」の嘗ての公館があったのではと、思えてきた。<br /><br />4).紹興路の旧『笙館』へ<br />                                                                                                                                                       <br />  今も、「笙館」と呼ばれている建物が、残っていると聞き、早速探しに出かけた。「新天地」を西に向かい、「思南路」を通り、「瑞金二路」を北に向かうと、出版関係の事務所が並ぶ「紹興路」に出た。その左手の古いビルの壁に、『笙館』と書かれた小さな袖看板を見つけた。ビルの楼門には、『老洋房』と大きく書かれ、その下に小さく「花園飯店」と、書かれていた。老洋房「花園飯店」は、嘗ては、「杜月笙」の第四夫人「姚玉蘭」の屋敷跡であった。石組みの楼門を潜り、塀に沿って中に入って行った。一階のレストランの内部は、大きな窓に、白いカーテンが、床まで下がり、古典的な雰囲気が漂っていた。この店は、濃厚な油に、生醤油を巧みに使う上海伝統料理の店で、人気料理は、魚の燻製料理と、極上の牛肉料理であった。<br />  <br />5).旅の終わりに<br />   <br />          紅くして 黒き晩夏の 日が沈む    (誓子)<br /><br />                                                       実は、「杜月笙」には、もう一人夫人(第五夫人)がいた。1945年、日本の敗戦後、「杜月笙」は上海に戻り、再び活動を始めている。1947年、「杜月笙」の還暦パーテイが盛大に行われた。その時、彼の発案で、難民救済のため、京劇の名優「梅蘭芳」主演のチャリテイ公演が「中国大戯院」で行われた。その公演では、10年以上も上海の舞台を踏むことがなかった、京劇女優「孟小冬」の出演が、大きな話題となった。「孟小冬」は、杜月笙の第四夫人「姚玉蘭」が、京劇女優時代の師匠格であったことから、京劇ファンの「杜月笙」が、「孟小冬」への出演依頼を、第四夫人に、手紙を書かせ、北京から呼び寄せている。その後、共産党軍の攻撃により、上海陥落寸前に、「杜月笙」は、第四夫人と、「孟小冬」を連れ、香港へ逃れている。最後まで「杜月笙」の世話をしたのは、第五夫人となった「孟小冬」であった。(完)<br /><br />   * Coordinator:  H. Gu              <br />                             <br /><br /><br /><br />  <br />                            <br /><br />                                   <br />            <br />                <br /><br /><br /><br /><br />

【上海市】 * 上海のドン・「杜月笙」の日々を 旅する

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2012/08/17 - 2012/08/20

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彷徨人MU

彷徨人MUさん

1).旅の始めに                

               儘の皮 老いらくの恋  旅晩夏

 「杜月笙」は、1888年8月21日、陰暦の「盂蘭盆」の「中元節」に、江蘇省川沙庁高橋南杜家宅(現在の上海市浦東新区高橋鎮)で生まれ、「月生」と名付けられた(後に「月笙」と改名)。「杜月笙」は、1920年から40年にかけ、上海の裏社会「青幇」の実力者であり、表社会まで影響を持っていたと、言われていた。
  「杜月笙」が、「青幇」に入ったのは、「黄公館」と呼ばれていた「黄金栄」の家を訪れた時だと、言われている。「黄金栄」は、当時、フランス租界警察の刑事部長であったので、夫人「桂生」が、実質的な闇のボスであり、「杜月笙」は、この夫人に気に入られ、闇社会の出世街道を登り詰めて行った。「桂生」夫人の遠縁の「沈月英」との結婚も、夫人の肝煎りであり、結婚後「黄公館」に住むことになった。


2).『東湖賓館』(旧「杜月笙」公館)へ
 
   上海徐匯区の「東湖路」と「新楽路」の交差点付近にある、嘗ては「杜月笙」の家であった『東湖賓館』に出かけた。 この建物は、1921年、ユダヤ人の貿易商がフランス人の建築家に依頼し建てたもので、6棟の洋館が残っていた。「1号楼」は、「杜月笙」が支配していた、阿片の流通担当の、『三〇公司』社長「金廷〇」が、航空彩票(宝くじ)の儲けで建築し、「杜月笙」に献上したものである。この家に引越しようとした時、「8・13事変」(1937年8月13日、 日本軍による第二次上海事変)が勃発したため、「杜月笙」一家は、ここには、住まなかった。後に、この建物を、アメリカの新聞社へ売却し、香港での晩年の生活費に当てたようだ。当時は、プラタナスの並木道が続く、静かな住宅街であったが、現在は、雑居ビルが連立する、賑やかなダウンタウンになっていた。

3).ワグナー通りの「杜月笙」の公館へ   
  
   もう一つの「杜月笙」公館は、嘗ての「ワグナー通り」にあった。この家は、親分の「黄金栄」が、ある軍閥に誘拐されたのを、「杜月笙」が助けた、そのお礼として、譲られと言われている。玄関の両脇には、『友天下士、読古人書』(天下の士を友とし、古人の書を読む)と書かれた、「読書人」(当時の、インテリー階層)の心掛けを模した一対の聯が掲げられていた。1937年8月13日、第二次上海事変勃発、日本海軍陸戦隊が、上海に上陸、占拠した。「杜月笙」は、「蒋介石」の指示で、レジスタンス活動を企てたが、「蒋介石」軍が、早々に上海を放棄したため、租界地は陸の孤島になった。その時、日本軍の「土肥原少将」から、「杜月笙」は日華協力への打診をされたが、「香港」へ、早々に脱出している。
   嘗ての「ワグナー通り」(現在の「寧海西路」)の「杜月笙」の家を探しに出かけたが、街は大きく変わり、「延安高速道路」と「金陵中路」の一角に、公園があり、其処に池があった。その池の端に立ち、古い地図を見ながら、突き合わせているうちに、この池付近に、「杜月笙」の嘗ての公館があったのではと、思えてきた。

4).紹興路の旧『笙館』へ
               
  今も、「笙館」と呼ばれている建物が、残っていると聞き、早速探しに出かけた。「新天地」を西に向かい、「思南路」を通り、「瑞金二路」を北に向かうと、出版関係の事務所が並ぶ「紹興路」に出た。その左手の古いビルの壁に、『笙館』と書かれた小さな袖看板を見つけた。ビルの楼門には、『老洋房』と大きく書かれ、その下に小さく「花園飯店」と、書かれていた。老洋房「花園飯店」は、嘗ては、「杜月笙」の第四夫人「姚玉蘭」の屋敷跡であった。石組みの楼門を潜り、塀に沿って中に入って行った。一階のレストランの内部は、大きな窓に、白いカーテンが、床まで下がり、古典的な雰囲気が漂っていた。この店は、濃厚な油に、生醤油を巧みに使う上海伝統料理の店で、人気料理は、魚の燻製料理と、極上の牛肉料理であった。
  
5).旅の終わりに
   
          紅くして 黒き晩夏の 日が沈む    (誓子)

   実は、「杜月笙」には、もう一人夫人(第五夫人)がいた。1945年、日本の敗戦後、「杜月笙」は上海に戻り、再び活動を始めている。1947年、「杜月笙」の還暦パーテイが盛大に行われた。その時、彼の発案で、難民救済のため、京劇の名優「梅蘭芳」主演のチャリテイ公演が「中国大戯院」で行われた。その公演では、10年以上も上海の舞台を踏むことがなかった、京劇女優「孟小冬」の出演が、大きな話題となった。「孟小冬」は、杜月笙の第四夫人「姚玉蘭」が、京劇女優時代の師匠格であったことから、京劇ファンの「杜月笙」が、「孟小冬」への出演依頼を、第四夫人に、手紙を書かせ、北京から呼び寄せている。その後、共産党軍の攻撃により、上海陥落寸前に、「杜月笙」は、第四夫人と、「孟小冬」を連れ、香港へ逃れている。最後まで「杜月笙」の世話をしたのは、第五夫人となった「孟小冬」であった。(完)

* Coordinator:  H. Gu




  
   


            
                




同行者
一人旅
交通手段
鉄道 タクシー 徒歩 飛行機
旅行の手配内容
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  • 上海<br /><br />  徐匯区の東湖路と新楽路が交差する地点にある「東湖賓館」<br />このホテルの1号楼が、嘗ての「杜月笙」の邸宅

    上海

      徐匯区の東湖路と新楽路が交差する地点にある「東湖賓館」
    このホテルの1号楼が、嘗ての「杜月笙」の邸宅

  • 上海<br /><br />  徐匯区の東湖路と新楽路が交差する地点にある「東湖賓館」<br />

    上海

      徐匯区の東湖路と新楽路が交差する地点にある「東湖賓館」

  • 上海<br /><br />  徐匯区の東湖路と新楽路が交差する地点にある「東湖賓館」<br />

    上海

      徐匯区の東湖路と新楽路が交差する地点にある「東湖賓館」

  • 上海<br /><br />  徐匯区の東湖路と新楽路が交差する地点にある「東湖賓館」<br />このホテルの1号楼は、嘗ては、杜月笙の邸宅であった。

    上海

      徐匯区の東湖路と新楽路が交差する地点にある「東湖賓館」
    このホテルの1号楼は、嘗ては、杜月笙の邸宅であった。

  • 上海  大世界(ダスカ)

    上海  大世界(ダスカ)

  • 上海  寧海西路182号(旧ワグナー路16号)<br /><br />  1937年に、香港に行くまで、「杜月笙」の石庫門住宅があったが、現在は「延中広場公園」となっていた。<br /><br />  

    上海  寧海西路182号(旧ワグナー路16号)

      1937年に、香港に行くまで、「杜月笙」の石庫門住宅があったが、現在は「延中広場公園」となっていた。

      

  • 上海  寧海西路182号(旧ワグナー路16号)<br /><br />  かつて、「杜月笙」の石庫門住宅があった、「延中広場公園」。<br /><br />  

    上海  寧海西路182号(旧ワグナー路16号)

      かつて、「杜月笙」の石庫門住宅があった、「延中広場公園」。

      

  • 上海  寧海西路182号(旧ワグナー路16号)<br /><br />  1937年に香港に行くまで住んでいた「杜月笙」の石庫門住宅があった「延中広場公園」<br /><br />  

    上海  寧海西路182号(旧ワグナー路16号)

      1937年に香港に行くまで住んでいた「杜月笙」の石庫門住宅があった「延中広場公園」

      

  • 上海  紹興路  「老洋房レストラン」<br />  (嘗ての杜月笙第4夫人邸)

    上海  紹興路  「老洋房レストラン」
      (嘗ての杜月笙第4夫人邸)

  • 上海  紹興路  「老洋房レストラン」<br />  (嘗ての杜月笙第4夫人邸)

    上海  紹興路  「老洋房レストラン」
      (嘗ての杜月笙第4夫人邸)

  • 上海  紹興路  「老洋房レストラン」<br />

    上海  紹興路  「老洋房レストラン」

  • 上海  紹興路  「老洋房レストラン」<br />

    上海  紹興路  「老洋房レストラン」

  • 上海  紹興路  「老洋房レストラン」<br />

    上海  紹興路  「老洋房レストラン」

  • 上海  紹興路  「老洋房レストラン」<br />

    上海  紹興路  「老洋房レストラン」

  • 上海  「老洋房」の内部

    上海  「老洋房」の内部

  • 上海  レストラン「老洋房」(嘗ての杜月笙公館) 夕食<br /><br />   『老洋房糟三品」<br />

    上海  レストラン「老洋房」(嘗ての杜月笙公館) 夕食

       『老洋房糟三品」

  • 上海  「老洋房」(旧杜月笙公館) 夕食<br /><br />    『蜜汁南瓜」<br />

    上海  「老洋房」(旧杜月笙公館) 夕食

      『蜜汁南瓜」

  • 上海  「老洋房」(旧杜月笙公館) 夕食<br /><br />    「竹〇戀銀杏絲瓜」

    上海  「老洋房」(旧杜月笙公館) 夕食

      「竹〇戀銀杏絲瓜」

  • 上海  「老洋房」(旧杜月笙公館) 夕食<br /><br />   『金牌佛跳墻」

    上海  「老洋房」(旧杜月笙公館) 夕食

       『金牌佛跳墻」

  • 上海  「老洋房」(旧杜月笙公館) 夕食<br /><br />   『黒洋酥麻球」<br />

    上海  「老洋房」(旧杜月笙公館) 夕食

       『黒洋酥麻球」

  • 上海  「老洋房」(旧杜月笙公館) 夕食<br /><br />   『湯圓」<br /><br />

    上海  「老洋房」(旧杜月笙公館) 夕食

       『湯圓」

  • 上海  「老洋房」の内部

    上海  「老洋房」の内部

  • 上海 豫園  「上海老飯店」  

    上海 豫園  「上海老飯店」  

  • 上海  「上海老飯店」二楼榮順堂  昼食<br /><br />    「桂花糖藕」

    上海  「上海老飯店」二楼榮順堂  昼食

        「桂花糖藕」

  • 上海老飯店二楼「榮順堂」  昼食<br /><br />     「香干馬蘭頭」<br /><br />

    上海老飯店二楼「榮順堂」  昼食

         「香干馬蘭頭」

  • 上海  上海老飯店二楼「榮順堂」  昼食<br /><br />   「油爆鮮河蝦」<br /><br />

    上海  上海老飯店二楼「榮順堂」  昼食

       「油爆鮮河蝦」

  • 上海  上海老飯店二楼「榮順堂」  昼食<br /><br />   「蟹粉豆腐」<br /><br />

    上海  上海老飯店二楼「榮順堂」  昼食

       「蟹粉豆腐」

  • 上海  上海老飯店二楼「榮順堂」  昼食<br /><br />   「薺菜松茸銀鱈魚」<br />

    上海  上海老飯店二楼「榮順堂」  昼食

       「薺菜松茸銀鱈魚」

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