2012/03/19 - 2012/03/19
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norisaさん
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駿河の国といえば茶の香り、でしょうか。
ホテルを後にして、駿府城に行き、さらに西に走って東海道の石畳、ギネス認定の木橋などを訪ねました。
そして江戸時代の旅人のご苦労や楽しみ、あるいは江戸末期の徳川の家来衆の苦しみの一端をかいま見ました。
石畳は金谷の方々のボランティアで修復されたそうですが、大変な御苦労だったことでしょう。しかし、その労苦に余りある素晴らしい風情でした。
一方の蓬莱橋は大井川への架橋ご法度が解かれてはじめて架けられた橋です。こちらも当時の元武士の開拓者魂を垣間見ることができました。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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静岡グランドホテル中島屋の9階からの眺めです。
良い天気でこれからの西遊記が楽しみです。 -
食べかけの写真で失礼します。
(お腹がすいていたので撮影をわすれ食べ始めてしまいました(笑)
このオムレツは桜エビ入りです。
シェフが注文を聞いてから調理してくれます。
オムレツはチーズ、オニオン、ハムそして桜エビから選べます。
静岡なので迷うことなく桜エビを! -
ビジネスホテルでは望めないシェフ料理が楽しめる朝食バイキング会場です。
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まずは駿府城跡を訪れます。
昔はこの方向に有名だった!?丹下健三設計に体育館が建っていたそうです。
しかし不良建築で雨漏りその他不具合多発で取り壊されたと教えていただきました。 -
これは東側の橋から場内を臨んだものです。
犬の散歩を楽しむ市民がいます。 -
遠くに県庁が見えます。
かなり立派なビルですが、バブル時代の名残でしょうか。 -
天守閣こそ現在はありませんが堂々たる城です。
風もなく、お堀の水が波立ちません。 -
駿府城は天正13年から14年(1585から86)に徳川家康が築き、駿遠豆と甲斐・信濃を治める中枢となっていました。晩年、再びこの城に戻った家康は、7層の天守閣を上棟しましたが、寛永12年(1635)焼失。1638年に再築されましたが天守閣は再建されませんでした。明治4年(1871)城郭はすべて解体され、石垣と堀を残すのみとなり、駿府公園として市民に開放されてきました。1989年、市制100周年を記念して木造2層3階の巽櫓がたち平成8年4月東御門も復元されました。
しかし常に感じますが古城跡は静かで気品があります。
この駿府城も第一級のお城の雰囲気が感じられます。 -
このお堀は北北東に延びています。
遠くに見えるのは海抜1000mを超える文殊岳と竜爪岳です。
絵にしたいけど時間も腕もないーーー。 -
昔の静岡県庁だそうです。
こちらのほうがよっぽど風情があります。 -
さてひたすら車を西に走らせ、金谷の石畳に到着しました。
駐車場は狭く車5台で満車です。
旧東海道石畳(金谷坂)は東海道制定の頃、ぬかるむ山道に幕府は敷き石を並べることを命じました。多くの助郷によって、金谷宿から牧之原にいたる坂道に山石を並べ、通行人の便に供したといわれます。平成3年、町民ひとり一石運動を展開し、430mの石畳の道が復元されました。平成13年には「石畳菊坂助郷伝説」と銘打ち菊川坂に町内外の方々の手によって山石が敷かれ、611メートルの石畳が復元されました。また菊川坂の一部には江戸時代後期の石畳(H12年発掘)が残っています。
これには驚きました。地元の人々の熱意と御苦労がなければこのような美しい風情は残せないものだと実感しました。 -
日本人の旅行好きは一体いつから始まったのでしょうか?
江戸時代には町民レベルでも盛んになされていました。
最大のイベントはお伊勢参りだったようですが、それ以外にも多くの旅行プランがあったようです。
大義名分は神社仏閣への参拝ですが、もちろん観光や慰安目的もあったでしょう。
この旅行ブームを実現したのは(私見ながら)以下の要因ではないでしょうか?
①18、19世紀で当時世界最大の人口である100万人を擁する江戸や浪花の繁栄
②それ以前に整備された東海道や中山道、山陽道や甲州街道などの幹線道路の完成
③少人数旅はもちろん婦女子もふくめ(相対的に)安全に旅行できる全国的治安の良さ
その他にも多くの要因がありそうです。
そして戦国時代、江戸時代、明治初期に日本を訪れた外人の多くは日本での旅の安全さ、そして日本人の旅好きを指摘しています。
それはたぐいまれな平和時代比率の高さと全国的な治安の良さに起因するのでしょう。
(これが現在の4トラベルサイトの繁栄の一因かしら?(笑) -
現在石畳の残る街道は東海道に二か所、中山道に一か所の計三か所しかないそうです。
東海道のもうひとつの石畳は箱根にあります。
この金谷、菊川の石畳はふたつあるそうです。
ひとつはこの金谷坂で住民により復元、整備されました。
菊川坂のほうは少なくとも150年以前からのままだそうです。 -
息が切れます!
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しかし、この石畳、スニーカーでも歩きにくいものです。
むかしの人は草鞋でよくも一日数十kmも歩いたものだと感心します。 -
少々細工をしてみました。
真夏の街道はかくや? -
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旅人気分で歩きます。
しかし傾斜がきつく石畳は決して歩きやすくありません。
雨の日には威力を発揮するでしょう。 -
向こうに金谷の町が見えるようです。
お伊勢参りの帰りにここまで歩いてきた旅人達はさぞほっとしたことでしょう! -
降り口の左側に庚申塚がありました。
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路傍に佇むお地蔵さま。
江戸時代から多くの旅人を見守ってきたのでしょう。 -
金谷坂の昇り口には石畳茶屋があります。
この日は定休日でしたが、敷地内は歴史の香りがただよってきます。 -
石畳を後にして蓬莱橋へ向かいます。
東進して再び大井川を渡ります。 -
大井川は南アルプスからの多くの支流を集めた一級河川です。
通常はそれほどの水量ではありませんが大雨の後などは水かさが増し、とても歩いての渡河は無理です。
そのため江戸時代の橋がない時期においては大雨の後は数日も宿に滞留して水位の低下を待ったそうです。
この大井川には江戸時代を通じて架橋が厳しく禁じられました。
その理由は駿府城(静岡市)に隠居した徳川家康がこの川を外堀として利用したためです。
天下を取った後も家康はじめ徳川家の歴代将軍は用心深かったわけです。
そのため大井川は東海道でもNO1の最難関箇所とされました。
ご存知の「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」はこの状況を詠っています。
現在は新幹線や東名高速では数十秒以内、というよりも十数秒かもしれませんが、で渡れるこの川も江戸時代には数日もかかることは珍しくなかったそうです。 -
蓬莱橋は将軍徳川慶喜を護衛してきた幕臣達が大井川右岸にある牧之原を開拓し、お茶を作り始めましたが、苦労の連続の後に、順調に茶栽培に成功したそうです。しかし生活が安定するに従って、島田の方へ生活用品や食料品を買いに出かけるようになったのですが、大井川を小舟で渡らなければならず、大変危険なことでした。そこで、開墾人総代達は、時の静岡県令(現在の知事)に橋をかける願いを出し許可され、1879(明治12)年1月13日に完成したそうです。しかし、木橋のため大井川の増水のたびに被害を受けてきたので1965(昭和40)年4月にコンクリートの橋脚に変え、今日の姿となりました。 現在の蓬莱橋は、全長897m(平成9年12月ギネス認定「世界一長い木造歩道橋」)、通行幅2.4mであり、大井川の自然と一体となった木橋として全国的にも有名な観光名所となっています。
橋の名称は静岡藩主となった徳川亀千代が明治3年4月に牧之原を開拓している幕臣達を激励するために訪れ「これは宝の山だ。」と仰せになったのがそのいわれと伝えられています。
もちろん、江戸幕府滅亡後なので橋造りが許可されたわけですね、 -
この日もかなり多くの観光客が橋を渡っていました。
通行料100円は安いのですが、凄い強風でnorisa夫婦は早々に渡河をギブアップ!
ビーチをはじめ山でも平野でも無理しないのが軟弱、虚弱ペアの強み?です。 -
しかし、よくもこの長い橋(900m弱)を木造でコツコツ造ったものだと改めて感心します。
いきなりリストラにあった当時の近衛兵の根性は鬼気迫るものがあったに違いありません。 -
度重なる大雨や台風で橋脚をコンクリートに変えたのは少々残念ながら、大部分は木造で、いかにも日本らしい美しい橋です。
この橋を渡った多くの人々の思いや人生を本にしたら一体何万冊のドラマティックな物語になるのでしょうか?
そんな思いにさせてくれる橋に佇みます−−−。
駿府城から大井川を渡り金谷の石畳を歩き、再び大井川を渡って木造の蓬莱橋への旅でした。
日暮れも近いため東名高速に乗って帰路につきます。
近県ですが関東にはない味わいのある東海道の旅でした。
久能山東照宮、ロダン、タミヤなど硬軟おりまぜた見どころのある温暖な県を後にしましたーーー。
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この旅行記へのコメント (9)
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- しなつさん 2013/06/06 20:22:41
- 石と橋
- norisaさん、こんばんは。
御訪問と投票をありがとうございます。
私は石や橋が好きなので、この旅行記に目が止まりました。
とはいえ、この石畳の道は足に負担がきそうです
橋は鄙びたいい感じです。
また、訪問させてください。
あっ、実はなに気にnorisaさん旅行記のお料理にも惹かれています。笑
しなつ
- norisaさん からの返信 2013/06/06 21:16:38
- RE: 石と橋
- しなつさん、
こんばんわ。
梅ケ島温泉、大昔に行ったことがあり思わず拝見しましたーー。
昔とあまり変わらないような、変わったような。
妙なデジャヴュに襲われました。
そして「東京〜〜都会の緑に触れる旅〜〜詩編」、とても秀作ですね。
詩と絵、これが私の旅へのドライビングフォースでもありますーーー。
norisa
- しなつさん からの返信 2013/06/07 10:45:57
- 梅ヶ島温泉
- norisaさん
おはようございます。
> 梅ケ島温泉、大昔に行ったことがあり思わず拝見しましたーー。
> 昔とあまり変わらないような、変わったような。
> 妙なデジャヴュに襲われました。
新東名ができてアクセスは良くなっているという宿の方のお話ですが
まだまだ秘湯ですね。
遠いけれどまた行きたいと思わせてくれる宿に泊まれました。
> そして「東京〜〜都会の緑に触れる旅〜〜詩編」、とても秀作ですね。
> 詩と絵、これが私の旅へのドライビングフォースでもありますーーー。
絵も素敵ですね
しなつ
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- わんぱく大将さん 2012/04/12 05:57:36
- 2本?
- norisaさん
絵にする時間も腕もないって? 2本お持ちでは? 大将
- norisaさん からの返信 2012/04/12 06:53:10
- RE: 2本?
- 大将さん、
いや、これ画像加工ソフトでちゃちゃとやったものです。
絵を描く手間の一万分の一ですね(笑)
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- ミンさん 2012/04/02 22:28:00
- 絵になる素敵な所ですね!!
- norisaさん、こんばんは。
いつも、ご訪問、投票、ありがとうございます。
金谷の石畳、風情がありますね。
「箱根の東海道を歩こう」という遠足に高校生の時、行ったことありますが、石畳あったかな?
小学生の子どもたちを連れて、箱根を歩いたこともありますが、どうだったか・・・
石畳って、歩きにくいのですね。
昔の人は、今では考えられないくらい、たくさん歩くから、足裏が鍛えられていたのでしょうね。
蓬莱橋、木造の橋ですね。
素敵です。
以前ダイバーでなかった時は、近県をドライブして、公共の宿に泊ったりしましたが、今はなかなか行く機会がなくなりました。
ぜひ行ってみたいです。
素敵な旅行記、ありがとうございました。
ミン
- norisaさん からの返信 2012/04/03 06:20:02
- RE: 絵になる素敵な所ですね!!
- ミンさん、
おはようございます。
こちらこそご訪問、ご投票ありがとうございました。
石畳は見かけ以上に歩きにくいですね。これ、人間はともかく馬はどうしたのか心配になります。
でも雨の日は低開発国の雨季の悲惨さを見ても石畳は威力を発揮すると思います。
norisa夫婦も海好きで、今年も沖縄慶良間に行く予定ですが秋ー春は陸地で過ごします(笑)今年は山も行きたいなと思っています。
またよろしくお願いいたします。
norisa
-
- frau.himmelさん 2012/03/31 10:44:06
- すばらしいー!
- norisaさん こんにちは。
とってもよく下調べをなさっての旅行記、感服いたします。
読んでいて初めて知る内容も多く、とても勉強させていただきました。
それに、歴史的事柄もさることながら、ちょこっちょこと入るnorisaさんのコメントがとても面白い!
辛口あり、ホロリあり…。
また時々寄らせていただきますね。
himmel
- norisaさん からの返信 2012/03/31 11:04:26
- RE: すばらしいー!
- frau.himmelさん、
早速のご愛読ありがとうございます。
自分では辛口ではないつもりですが、旅行記としてそうかもしれませんね。
以前は旅行に行って感心して帰ってくることが多かったのですが、最近は国内、国外問わず事前の調べを簡単にしています。そのほうが感度が高くなるような気がします。
しかし、旅行は常にレジャーとしてしかとらえていないので負の側面を探索する器がいまだないのがお恥ずかしい次第です。
またのご訪問をお待ちしますね!
norisa
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