2013/02/01 - 2013/02/01
348位(同エリア440件中)
bossさん
➛東海道五十三次(日本橋~三条大橋)の難所の一つ、大井川を挟む「島田宿」と「金谷宿」、そして「日坂宿」に至る道のりを空撮で辿ってみます。
➛Wikiloc ツアー一覧(後順)
http://bit.ly/12dwUQp
➛名所・史跡を訪ねて
http://bit.ly/XWAasC
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 徒歩
-
➛東海道五十三次、第二十三宿の島田宿は、大井川の左岸(江戸側)にあるため、増水で大井川の川越が禁止されると、お伊勢詣りなどの江戸から京都方面へ上る旅客が足止めされ、さながら江戸のような賑わいをみせました。「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ 大井川」と詠われた、東海道の難所の一つです。
➛島田宿 -
➛歴史の道百選にも「小夜の中山道・金谷坂・大井川川越遺跡」として選ばれているこの街道、一度は辿ってみたい衝動に駆られます。
➛大井川川越遺跡 -
➛第二十四宿の金谷宿は、大井川の右岸(京都側)にあり、牧之原台地が迫る狭隘な場所ですが、増水で大井川の川越が禁止されると、江戸へ下る旅客が足止めされ、島田宿と同様、さながら江戸のような賑わいをみせました。
➛金谷宿 -
➛石畳茶屋は平成6年にオープンした建物で、平成3年金谷坂石畳が復元されたのに続いて、この場に相応しい木造数寄屋風の「おやすみ処」としてが誕生しました。
➛石畳茶屋 -
➛金谷坂石畳(旧東海道)は、急坂な上に粘土質であるために雨が降るたびに滑りやすく、大名行列や旅人は難儀しました。このため正確な時期は不明ですが文久2・3(1862・1863)年頃、石畳が敷設されたと推測されています。
➛金谷坂石畳 -
➛江戸時代、島田宿を出発、大井川を渡り金谷宿から山間の道を歩き、第二十五宿の日坂宿へ辿りつく道のり。多くの人が行き交う様が想像されます。
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