2011/11/03 - 2011/11/03
107位(同エリア160件中)
風遊さん
備後東城の里は古い歴史を持つ城下町ですが、その東城で約三百年以上前に起源を持つ伝統行事「お通り」が毎年11月3日(文化の日)に行われています。
「お通り」では、関ヶ原の戦いの後東城を治めた長尾隼人公の軍勢を再現した武者行列、江戸時代に東城を治めた浅野家の家老が主君のご神幸に随行した一行を再現した大名行列、平安末期の矢よけの武具に起源を持ち美しい花と武者人形で飾られた衣装を着た母衣(ほろ)行列、幼女が可愛らしい衣装に身を包む華童子行列が、長い列となって東城の中心街を練り歩きます。
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中学生位の女の子背中には、大きな袋のようなものを背負ってます。
とても重いそうです。 -
頭の上には武者人形が飾ってます。
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まず最初は武者行列
武者行列
大砲の轟音を合図に「お通り」の列が本陣を出発し、先頭は武者行列が練り歩きます。
この武者行列は、西暦1600年の関ヶ原の戦いの後安芸国と備後国を治めることとなった福島正則が、東城を見下ろす城山にあった五品嶽城主に家老の長尾隼人を任命し、長尾隼人が家来を率いて東城の地にやってきた軍勢を再現したものです。
武者行列には、町内各企業や事業所から多くの若者が参加し、鎧甲に身を包んで、法螺貝の音を聞きながら銅鑼と太鼓の音に合わせて行進していきます。 -
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大名行列
武者行列の後ろには、大名行列が練り歩きます。
この大名行列は、江戸時代に安芸国全部と備後国八郡を治めた広島浅野藩が、家来の一人を家老に取り立てて東城の地を治めさせ、その東城家老が家来を引き連れて主君の御神幸に随行したものを再現したものです。
殿様役は市長や商工会長などが、姫役は事前の公募で選ばれた若く美しい女性たちが務めます。
途中三楽荘前の交差点広場では寸劇が披露され、殿様と家老とのユーモラスなやりとりが見物人を楽しませます。
また大名行列に加わる家来衆は商店主の皆さんなどが扮し、いつもとは違う姿に馴染みの見物人からも声援が飛びます。
大名行列は、「したにぃ、したに」のかけ声に合わせて、ゆっくりと歩みを進めていきます。 -
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母衣(ほろ)行列
勇壮な武者行列の後は、美しく着飾られた母衣(ほろ)行列が続きます。
母衣は、籠を入れて膨らませた装飾布の上に武者人形と山茶花(さざんか)の花を飾り付けたものを、着飾った小学校高学年くらいの女の子や男の子が背負って歩きます。
母衣の起源は、平安時代末期に武者の鎧の背に付けられた幅広の長い布で、戦場での矢よけの武具として用いられていました。
室町時代になると布地の内部に籠を入れて膨らませたものになり、江戸時代以降美しく装飾が施されてきました。
現在では、我が子の健康と平和への願いを込めて「母の衣で包む」という意味合いを持たせた「母衣」の文字を当てています。
母衣隊の列の後半は、小さな母衣を背負った小学校低学年くらいの女の子や男の子の列が続きます。
東城の子供たちは、小さなものから大きなものへと、成長と共に母衣を背負っていきます。
ご覧のように母衣行列は、枝を広げた花の美しさと衣装の華麗さが長い列となって練り歩く見事なものです。 -
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華童子行列
「お通り」の最後列では、幼い女の子がかわいい装束に身を包んだ華童子行列が歩きます。
幼い女の子が母親に連れられてちょこちょこと歩く姿が、見物人の微笑みを誘います。
「お通り」の日は、東城で育つ子供たちにとって忘れられない楽しい想い出になることでしょう。 -
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