2010/05/12 - 2010/05/23
33位(同エリア110件中)
カメちゃんさん
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私の初めての海外旅行は1994年の秋でした。パリ→スイス→ドイツというコースのいわゆる「ロマンチック街道」で、それに個人旅行をプラスしての2週間の旅でした。
その際に、知人から「個人でドイツを巡るなら、是非トリアーを見てきなさい」と強く勧められたものでした。しかし、その時の私の日程に組み込むことが出来ず、残念な思いをしたものでした(-_-;) そのことがズーーッ!と気にかかっていましたので、今回のトリーア(「トリアー」「トリール」とも言われる)訪問には、私なりの感慨があったのです。
とは言うものの、何ごとにも鈍感な私のこと(-_-;)、見るもの聞くものに単純に驚いてきただけのことでした(^_^;) 例によって、
『こんなに大きなものを造らなくても」
とか
「こんなに豪勢なものを造って・・、ホントにしょうがねぇなぁ」
といった感覚で見てしまったような感じがしましたね(^_^;)
そんな私の感覚にも関わらずトリーアの街や史跡は想像以上に立派で、ドイツ史の原点・始点とも言えるような街だということが何となく分かるような気がしたものです。
トリーアは紀元前15年前頃に古代ローマ帝国の支配が及んで植民市となり、ローマ帝国の防衛の重要拠点となったことを起源とする街でした。しかし、その時ローマ帝国がトリーアで何をしたかは、その後のドイツの歴史に大きく影響したはずです。
私の知識では、一般に外国他民族に支配されれば、どんな町でも猛烈な破壊と収奪に遇い、その地域は荒廃してしまうものと思っていました。
ところがローマ人がトリーアでやったことは、新しい都市作りでした。首都ローマと違って碁盤の目のように整えられた街をつくり、円形劇場や「アウラ・パラティーナ(皇帝宮殿)」、大浴場バルバラテルメン( Barbarathermen・大衆浴場)、大聖堂等々の建設などなどに加えて、ローマ大帝の戴冠式までトリーアでやったんですね。
もし、トリーア支配が当時のローマ帝国でなく、もっと以前のローマ帝国だったり、東方や北方の別の民族であったなら、街は略奪と破壊・搾取で破壊されて、こういうことにはならなかった可能性は大いにあり得ると思うのです。
もちろん、ローマ帝国の支配がトリーアにとってよいことずくめではないと思いますが、トリーアの歴史のこのような形での再スタートは、それ以降のドイツの歴史と無関係ではないわけで、その意味では大いに興味をそそられますね。
ところで、
今回、トリーアの旅行記を作成するにあたって、私の見聞と知識の甚だしい不足に悩みました。それを何とかしたいと思い、トリーアを旅行された内容を4トラ上で「雨のトリーア」のタイトルでお纏めになっておられた
Giraudさんの旅行記を、参考にさせていただくことに致しました。
Giraudさんには当方の勝手なお願いをご了承いただきまして、厚く御礼を申し上げます。
Giraudさんの旅行記「雨のトリーア」では、
☆「ポルタ・ニグラ(黒門)」の内部の詳細と模型及び変遷の様子
☆「アウラ・パラティーナ(皇帝宮殿)」の内部と原形(復元図)及び変遷の様子
☆「ローマ時代のワイン運搬船の彫刻」の現物
☆「円形闘技場」とその地下の様子
☆「皇帝浴場(カイザーテルメン)」の地下の様子と模型
☆「トリーア大聖堂」の内部の詳細
そして、
☆「ローマ時代のトリーアの模型」
などを、詳しく拝見することが出来ます。もちろん、そのほかの御写真とお話も楽しみです。
Giraudさんの「雨のトリーア」は、↓をクリックされますとご覧になれます。
http://4travel.jp/traveler/giraud/album/10345585/
トリーアの地図をご覧になるには↓をクリックしてください。
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&brcurrent=3,0x0:0x0,0&msa=0&msid=101016593599736252226.000484bb19bc9a30091a2&t=k&ll=49.756169,6.643191&spn=0.001542,0.002658&z=19
それでは、トラーベン・トラーバッハを出港致します(^-^)(^_^)/~
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 観光バス 船
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
昨夜からトラーベン・トラーバッハで一泊した船は、朝五時半前にを過ぎたころ次の寄港地の「ベルンカステル・クース」へ向けて航行を開始しました。
トラーベン・トラーバッハでは、夜の到着が遅かったし朝の出発も早かったために街の様子など全く見物していませんでした。それに、旅行プランで観光が予定されていた街でもなかったので、果たして上陸させてもら他かも知れないのですけどね。
特急列車が信号停止や客扱いのない駅でドアを開けないようなものだったかも知れませんね。
トラーベン・トラーバッハの地図は下記にて
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&brcurrent=3,0x0:0x0,0&t=k&msa=0&msid=101016593599736252226.000484bb19bc9a30091a2&ll=49.947699,7.109957&spn=0.011792,0.021887&z=16 -
船が動き出してからのこと、キャビンから景色を眺めていましたら山の中腹に古城のようなものが見えましたので、望遠一杯にして急いで撮りました。
この城は14世紀中期頃(日本では足利尊氏が征夷大将軍のころ)に造られた「Grevenburg城」の残骸のようで、昔はとても立派で豪華な造りだったようですが、18世紀前半期にフランス軍によって破壊されたようです。
これまでも多くの城が戦争によって破壊されてきたことは、本当にもったいないことですね。日本でも明治政府によって多くの城が破壊され、戦争でまた攻撃されましたね。名古屋城なんか特にもったいなかったですね。 -
快調に進んできた船が停船しました。
おかしい!!と思いましたが、暫く様子を見ていました。
(船長がいるんだから、私が様子を見ることはないんだけど・・(~o~) ) -
そうしましたら、暫くして貨物船がやってきたんですよ〜。
ハハーン!!橋の下の通過を交互にやっていたんだぁ。
納得でした。 -
近づいてみたら、結構大きな船でした。
こういう船を見るたびに、「ここが川なのに・・、こんなに大きな貨物船が通っているなんて本当に不思議だ」という気持になります。 -
「おかあさん 車が乗ってるよ!!」(~o~)
この貨物船の船尾に車が乗せてありました。
じつは、このような例は本当に多いのですよ(~o~)
行き先の港に到着してから、車で出掛けることがあるんでしょうね。 -
橋を通過して間もないころ、ブドウ畑の中の小さい教会を見つけました。
信心深いのですね〜。
日本に喩えれば、「お地蔵さん」といったところでしょうか? -
ヴォルフの街の教会越しに、遙か向こう山の上に古城を発見!!
時計を見たら、6時6分!!でしたよ!!
きょうも朝から忙しいねぇ(~o~)
あの古城はちょっと大きい感じがしますね〜。
望遠を一杯効かせて、撮影成功であります!!
( ↑カミさんには、やっぱり感謝だね〜〜(^-^) ) -
クレーフの街の教会です。
-
ここでもキャンプが賑やかですね。
モーゼル河に入ってからというもの、各地でこのようなキャンプ場を見てきましたが、このような場所が本当に多いですね。 -
乗船券を売っているみたいですね。
船の出発頻度は大がい1時間に1本くらいですね。 -
先ほど見つけた古城は聖母教会Göckelsbergで、公式には「ウルファー修道院」だったようです。
『ウルファー修道院』場所は↓にて
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&brcurrent=3,0x0:0x0,0&t=k&msa=0&msid=101016593599736252226.000484bb19bc9a30091a2&ll=49.973961,7.091278&spn=0.005893,0.010943&z=17&iwloc=000484bc6a85d179f72a3 -
船が進んで行くにしたがって、修道院跡の形はどんどん変わってきます。
上にも下にも手すりが付けられていますね。 -
またもや古城か?!と思ったのですけど、写真を撮ってみるとちょっと違っていたみたいです。櫓の上になにかが載っているという感じですね。
ああいう紛らわしいものは、困りますね〜(-_-;) -
これより朝食!!です。
古城や史跡が気になりますけど、「はらが減っては戦にならぬ」の喩え通り食事を抜くことは出来ませんね。
そうそう、料金もちゃんと前払いしてありますし・・(~o~) -
朝はバイキングです!
「おとうさん 野菜も食べなさい!!」
そんなご忠告がいつ飛んでくるか分かりませんから、そう言われる前に野菜も取ってくるんですよ(~o~)(^O^)
なんせ、「代表取締まられ役」ですからね(-_-;) -
殆ど通過してしまってから、古城跡に気がつきました。
この城はKunibertsburg城だったようです。
どうやら、13世紀頃の建築らしいですが、詳しくは分かりません。
破壊されたのは1807年頃のようです。
あの形は、本当に残骸だけですね〜。昔の栄華が偲ばれますね。
この城から見る眺めは、とっても素晴らしいみたいですよ。
写真左下の、白い四角なものは日時計でした。 -
朝食の後の記念写真です。
この頃になるとお互いに分かってきますから、親しみも湧いてきますよ〜(^^) -
ベルンカステル・クースに近づいたようです。
この白い船はカッコいいですね(^-^)
モーゼル河をここまで遡ってくる船は、このように低く造られた船ばかりです。 -
向こうの方にも2隻が停泊していますねぇ。
もう船のことになると嬉しくなってしまって・・(^o^) ここまでやってくる船は、水門や橋の下を通過する関係で、この船形が最大サイズなんですよ〜。
ですから、ここだけの話をすれば、これらの船は「大型客船」になるわけですね。 -
川沿いの街の光景です。
「大型客船」が多数やって来るだけあって、ステキな町並みですね。
真ん中の教会の渋いデザインは、とってもイイですね〜。 -
すぐ左の山の上には古城がありました。
貫禄ありますね〜。
この城はランツフート城というのだそうです。 -
オ〜〜トットッ!!
お城に見とれていると、アタマをゴツ〜〜ン!!とやられるよ〜〜(*_*)(@_@)
ブリッジも下げられ、当家のカミさんも身構えておりました(~o~)
こういうところがリバークルーズのスリルでもあるんですね。 -
立派なホテルもありました。
お城っぽい造りがイイじゃないですか(^O^)(~o~)
私たちがこれまでドイツで泊まったホテルと言えば、ホリディインとかシェラトンとかヒルトンとか言うホテルばっかりでしたから、こういうホテルにも泊まってみたいですね。 -
こちらは白鳥さん達です。
ノンビリした感じにさせられますね〜〜。 -
私たちの船が停泊したところは、このお城に近いところでした。
でも、この後私たちが行くところはこのお城ではなくて、トリーアなんですよ。 -
デッキ上からベルンカステル・クースの街を展望してみました。
この時の時刻は、午前8時10分ごろです。
まだまだ陽は低く、朝靄が山を包んでいましたね。
コブレンツのフローリン教会前の広場にあった碑の主人公、「ニコラウス・クザーヌス」こちらの街の出身地だったのですね。
ベルンカステル・クースの地図は↓にて
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&brcurrent=3,0x0:0x0,0&t=k&msa=0&msid=101016593599736252226.000484bb19bc9a30091a2&ll=49.91542,7.071987&spn=0.00295,0.005472&z=18 -
さぁ、トリーアに向けて出発です。
こちらの方は現地の旅行社の方だと思います。
人数確認をするとき表情は、世界のどこの人も同じですね。
1・2・3・4・5・6・7……
それともイー・リャン・サン・スー・ウー・リュー・チィー・パー……
いやいや、そんなことはありません(~o~)
私なら何度数えても途中でおかしくなってしまうでしょうね(-_-;) -
途中で立派な教会が見えてきました。
-
モーゼル河を渡ります。
積んでいる荷物はくず鉄みたいですね〜。 -
コブレンツからトリーアに至るモーゼル河の両岸は、いわゆる『山』無く、このようになだらかな丘の連続になります。
-
ポルタ・ニグラの前に到着しました。
正面の建物は市立博物館(Stadtmuseum Simeonstift Trier)です。
トリーアの街の模型もあるとのことでしたが、私たちはあの建物の中に入らず、中庭を素通りしてポルタ・ニグラの前へ抜けてしまいました(-_-;)
まぁ、腰の心配のある私としては、それでむしろ助かっているのですが、ちょっとだけガッカリでしたね。
市立博物館の詳しいことは↓にて。
http://www.museum-trier.de/index.php?id=9 -
ここは市立博物館の中庭です。
ここで初めて世界遺産のポルタ・ニグラの偉容を目にしたのです!!
「おかあさん あれがポルタ・・」
と言い出そうとしたところをグッとこらえて、カミさんの後についていきましたね(~o~)
そう、亭主というものは、カミさんの腰巾着みたいな行動を取ってはいけないのであります。 皆さんの手前もあるし、コソコソしてはオトコの貫禄が下がりかねませんからね(-_-;)
亭主の皆さん!! 胸を張って行動しましょう!(^^)!(^_^)v -
「ポルタ・ニグラ」の前の広場に来ました。
これを見た最初の印象は、
「なんじゃ??真っ黒じゃないかね?? ぜんぜん磨いてないね」
なんていうモンでしたよ(^^;)
なんのセンスもない私は、すぐにそういう印象を持ってしまうんですよ(-_-;)
ところが、「ポルタ・ニグラ」の意味は何ぞや??という話で分かりましたね(^o^)
ポルタとは“門”だそうで、ニグラは“黒”という意味みたいです。その“黒”は見た目の黒い石から名付けられたようです。
「あ〜、それじゃあ黒いわけだぁ(~o~)」
早とちりはイケマセンよ〜。
ポルタ・ニグラの場所は↓にて
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&brcurrent=3,0x0:0x0,0&t=k&msa=0&msid=101016593599736252226.000484bb19bc9a30091a2&ll=49.75961,6.643623&spn=0.00148,0.002736&z=19 -
この広場で、しばし休息(^^)
このポルタ・ニグラは、ローマ時代の180年頃に街を守る目的で城壁で囲み、そこに4つの門を作ったのがそもそもの建設理由だったみたいですね。街を防衛するという目的のため、1階部分にはご覧の通り窓が作られなかったようです。その大きさは、高さ30m、長さ36mほどと言うことです。
私たちが今見ている姿は、街を囲った城壁の内側になります。昔の住民が街を出て行くときに見える側なんです。今でこそ、トリーアの街の真ん中にありますが、昔は街の端っこにあったわけですね。時代の変化というものは、こういうことですね〜(^o^)
ところで、この姿は建設された初期の姿とは違うといわれています。 -
ポルタ・ニグラ初期の姿
私の勝手でかなり大雑把な創作ですが、初期のポルタ・ニグラはこんな格好ではないかと思いますね。
それが11世紀頃から18世紀までは教会として使用されたことから、右の方の塔を低くして、さらに丸みのある教会のような張り出しが追加され、現在の姿に変わってしまったという話です。しかし、教会として使われていたために、壊されずに済んだという話もあるようで、人も物も運命というものは分からないものですね(トリーアでは古いものを壊して新しいものの建設に使ったという時期があったそうで、その難を免れたということです)。
ポルタ・ニグラは、当初は城壁で囲まれた街の出入り口としての「門」だったが、その後バジリカ(長方形の大聖堂)に、また教会になったり、それが19世紀になるとある程度までの元の形に戻ったりという数奇な運命をたどったのですね。
↓は教会に転用されていた当時のポルタ・ニグラ復元図です。
(Giraudさんの「雨のトリーア」にて)
http://4travel.jp/traveler/giraud/pict/16254755/ -
ポルタニグラ初期の姿
私の勝手でかなり大雑把な創作ですが、初期のポルタニグラはこんな格好ではないかと思いますね。
それが11世紀頃から18世紀までは教会として使用されたことから、右の方の塔を低くして、さらに丸みのある教会のような張り出しが追加され、現在の姿に変わってしまったという話です。しかし、教会として使われていたために、壊されずに済んだという話もあるようで、人も物も運命というものは分からないものですね(トリーアでは古いものを壊して新しいものの建設に使ったという時期があったそうで、その難を免れたということです)。
ポルタ・ニグラは、当初は城壁で囲まれた街の出入り口としての「門」だったが、その後バジリカ(長方形の大聖堂)に、また教会になったり、それが19世紀になるとある程度までの元の形に戻ったりという数奇な運命をたどったのですね。
↓は教会に転用されていた当時のポルタ・ニグラ復元図です。
(Giraudさんの「雨のトリーア」にて)
http://4travel.jp/traveler/giraud/pict/16254755/ -
ポルタニグラの南側広場から、右手方向を見た街の様子です(左端の黒っぽい建物がポルタニグラです)。
このあたりの建物はどれもが独特の形をしていて、歴史を感じさせるものが多いですよ〜。 -
トリーア観光案内所(ポルタニグラ前)だそうです。
-
ポルタ・ニグラの壁の模様です。
このポルタ・ニグラの建造は180年ごろとのことです。この頃はローマ帝国西部ヨーロッパのゲルマン民族などに対しての防備に気をつかっていた頃と言えます。 -
ポルタ・ニグラを南側から見て、右側の丸みのある部分の屋根を支える柱です。
教会として使われていた時の名残りですね。 -
ポルタ・ニグラに使われている砂岩です。
ネット上でも「12世紀に造られた街を囲んだ城壁の門で、黒い砂岩で出来ている」との記事がありますが、これを見ますと結構綺麗な色ですよね!!ですから、最初から黒い砂岩だったかどうか疑問が湧いてきますね。確かに、別の記事では「中世になって「黒い門」と名付けられた」という説もありますから、最初から黒かったかどうかは分かりませんね。
砂岩それ自体はどうなのかとという点では、砂岩は汚れやすいこと、吸湿性が高いことから苔やカビなど微生物が発生しやすいことが言われています。さらに、砂岩には吸湿と乾燥の繰り返しを通じて、砂岩それ自体の内部から濃い色の成分が表面に出てきやすい特徴もあるとのことです(接着剤は使っていなかったとか)。もっと言えば酸化や排煙などの影響もあるかも??
ですから、ポルタ・ニグラの初期は比較的綺麗だったと仮定することも出来ますね。それが、長い年月のうちにこのように黒くなってきたと考えれば、中世になって黒い門と名付けられたことは納得できますね。
調べてみると、「砂岩で作られているため、建設当初は乳白色をしていた」と言う記事もありました。やっぱりそうだったかも知れませんね。
そこでケルン大聖堂が“黒かった”のは何だった??という疑問がわいてきますが、そちらの方は知りませんよ〜〜(^O^)(~o~)
追記:
砂岩で造られた新しい建物を見ますと、やはり黒っぽい色では無く、黄色っぽい色をしてます。
近鉄バッファローズさんの↓の写真をご覧下さい。
http://4travel.jp/traveler/kintetsubuffaloes/pict/15027757/
近鉄バッファローズさん、ありがとうございました。 -
ポルタ・ニグラを作っている砂岩の色とスジ模様。
砂岩であることがよく分かります。
こうしてみると、かなり摩耗しているような感じがしますね。
金具でガー!!とヒッカケれば、深さのあるキズが容易に付きそうな感じです。
このような岩で、2000年近くもよく持ちこたえているものだと感心してしまいました。 -
砂岩の間に、枠のようなものが使われているようですね
。
それと、色と材質の違った曲がったものは、粘土かローマン・コンクリートなのでしょうか。
花崗岩とか大理石との、硬い石を使った建築物とは全く違った建物・・という感じがしますね。 -
ポルタ・ニグラを見ていた目線を180度変えてみると、真っ直ぐに伸びる通りがありました。
この通りは「ジメオン通り」と言われているそうで、トリーアの街では旧市街に相当するところとのことです。
ご覧の通り、結構古そうな家が並んでいますね、それに観光列車以外の車もありません。歩行者天国になっているんですね〜。 -
このジメオン通りで来た道を振り返ってみますと、その正面にポルタ・ニグラがデン!!と控えていました。ちょうど、外人さんの団体がガイドさんの説明を聞いて見えるとこでしたね。
団体旅行は日本人の専売特許ではなく、どこの国の人もやっていますね。そう言えば、フォーレンダム号が日本の港を巡っていたときも、外人さん達は観光バスで「団体ツアー」をしていましたからね〜(^^) それに海外でもそうでしたよ〜。
(Kさんご提供の写真です)
その様子は↓にて。
★小樽港で現地ツアー客を待つ観光バス(小樽だけでなく、東京・青森・・箱舘でも同様です)
http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/16490591/
★サンフランシスコで、現地ツアーの観光バスを待つ外人さんたち。
http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/album/10159736/ -
ここはやっぱり記念写真ですね!!
なんか、サングラスがカッコいいですね!!
でも、ちょっと怖い!!
これでも、オレのカミさんだよ〜〜ん(^_^;)
ま、お手柔らかにお願いしますね^^; -
ポルタ・ニグラから大聖堂に向かっていく途中、
「昔の貴族の家だって」
という話をきいて、見たのがこの家でした。
2階の一番右の窓がちょっと低くて縦に細長いですね。ローマが崩壊して治安が悪かった頃、1階部分は全て閉じて2階のこの窓にハシゴをかけて出入り口にしていたというのです。
見た感じはとても綺麗ですが1230年頃に建てられた家とのことです。しっかり補修されているんですね。それにしても窓の上部の飾りは洒落てますね(^o^)
この家は「三聖人の家」とか「三位一体の家」とも言われることもあるようですが、それは一番上の階の部屋に三聖人の像があったという理由からそう言われただけで、それ以外の意味はないとのことです。
でも、三聖人とは誰ですかね?? 私の場合は父と母、それにカミさんですけどね(^-^)
そして、これは何という建築様式の家でしょうか?? -
「貴族の家」につり下げられていたものです、
なんと書いてあるのでしょうか??
追記:
近さんより、以下のお話しをいただきました。
(文章を簡略化しています)
☆「Drei Koenigen」とは「三聖人」と言う意味。
☆三聖人とは、東方三賢人をさす。誕生したキリストを
ダビデ王から守るために遣わされた三人の人。
☆「erbaut um 1230」とは、「1230年建築」という意味。 -
ポルタ・ニグラから、次へと向かう途中です。
両側に並ぶ4階建てほどのアパート群はどこの街でも共通していますね。 -
ジメオン通りの家のちょっと高いところに飾ってあった「エライ人」です。
お肌がちょっと色黒ですが、さぁ、何方でしょうか?
(Kさんご提供の写真です) -
ジメオン通りのお店で、可愛い人形を見つけました(*^_^*)
耳が横にたれているのですから、ワンコですね。
(Kさんご提供の写真です) -
窓に中国の漢字が書いてありましたので撮影しました。
世界で活躍している、華僑の人の店でしょうかね?
「酒樓」ということは、スナックみたいなモンですかね? -
この門の奥の住居地は、はユーデンガッセ(Judengasse。ユダヤ人横丁とも)というのだそうです。
建てられたのは13世紀前半ごろで、両側の壁の中に住宅があって14世紀までユダヤ人が生活したようで、礼拝所も出来たとか。一種のユダヤ人集落という状況だったようです。15世紀前半にユダヤ人追放に遇い、廃墟となったようです。その後17世紀中に再建されています。
ネット上のある記事では、十字軍が各地に遠征する頃に、イエスを裏切ったユダにちなむユダヤ人への恨みとユダヤ人に金持ちの多いことへの妬みが社会に広がり、ユダヤ人たちはやむなくここに寄り合って生活するようになったというのです。
ユダヤ人は、こんな時代から宗教と偏見という運命を背負わされていたんですね。ヒトラーはそうした心情を利用して、ドイツ人の関心をそらせたんですね。
偏見・妬み・ヒガミは私たちの暮らしと意識の隅々に隠れながら、しかし強かに私たちの精神を蝕んでいますし、意外に国の政策にまで利用されることがあります。気をつけましょうね。 -
有料トイレの表示です。
一人50セント(1ユーロの半分)です。
中国語表示がありますけど、日本語表示がないです(T_T)(T_T)
ドイツ各地の観光地をインターネットで調べても、中国語表示への変更は出来ても日本語に変更するボタンのないホームページが結構ありますからね。
世界における中国の存在が日増しに強くなっていることの表れですね。
大陸の文化と共通点のある中国がいよいよ力を付けてきている今、島国の日本人こそが頑張らないと難しい時代に来ていると、この表示が訴えているようにも感じますね。 -
ちょっと広い場にやってきました!!
その真ん中に塔がありましたので、そこで早速に記念写真です!!(^-^)
旅に出たら、必ず記念写真であります!!
それさえ撮ったら、後はゆっくりと・・(~o~)!(^^)!
うしろに立っている塔は、10世紀にマルクト(市場=いちば)を開設する記念に大司教によって建てられたマルクト・クロイツ(Marktkreuz、市場の十字架)だそうです。建てられたのは958年だそうです。
さらに、後の方にそびえている教会は、「ザンクトガンゴルフ(St Gangolf、マルクト教会)」と言う教会だそうです。 -
マルクトクロイツ(市場の十字架)の側面です。
この方は何方なんでしょうかね??
あの上の鳩は気楽なモンですね。 -
この広場は、「ハウプトマルクト広場(Hauptmarkt、中央マーケット)」と言うそうです。
「ハウプトマルクト広場」←これを口を大きくあけて早口で言ってみてください!!
どうでしたか??
口の運動になったでしょう!(^^)!(~o~)
それはともあれ、トリーアの街の起こりにはいろいろな説があるようです。
もともとこのような大河に近い街はその可能性があるのですが、トリーアもモーゼル河の利を活かした交易でローマ時代よりも以前から栄えていたという見方もあるようです。
紀元前1世紀のカエサル(猿ではありません。人の名です。「ジュリアス・シーザー」とも言われます。)の遠征でトリーアはローマ帝国の支配下に入り、その後ローマ皇帝のアウグストゥスがトリーアに軍を駐留させたあたりから、今に残る施設が作られるようになって街の発展が顕著になったらしいです。
そして、4世紀前後には人口が7万とも10万とも言われるほどに発展して(当時として巨大都市と言える)、5世紀頃までは「第二のローマ」といわれるようになったようです。
ローマ帝国が391年にキリスト教を国教と定めると、トリーアにも司教区を置くなどガリア地方(現在のフランス・ドイツ・ベルギー・スイス諸国にまたがる一部の地域)支配の拠点として力を入れていたようです。 -
「ハウプトマルクト広場(Hauptmarkt、中央マーケット)」
このあたりの家って、とっても面白いですね。
異種同居って感じ。
左側の白い家はお城風でオシャレ(~o~)
真ん中の2軒は妻面の飾りが凝ってるね〜
右側のグレーの家は宮殿風??
見る人によって、印象も変わってくるでしょうね(~o~)!(^^)!
このどれが、どの時代の建築様式なのか分かりませんけど、皆さんは分かりますか〜〜??
ところで、その一番左のオシャレな家は中世のトリーアの参事官の家だったようです。ケルンと同じように市民に経済力が付けば、当時の支配者だった大司教に対しいろいろ注文も出ようというもの。歴史の必然ですね。参事官は自由都市を求めて大司教と対立するようになったみたいです。
これと直接関係があるかどうか分かりませんが、「聖ペトロの噴水」が作られた流れが読めてきますね。 -
↑の参事官の家の一階の壁の部分に4人の聖人?偉人?市民?の彫像があります。
どの人がどちら様なのか??ご存知の方は教えて下さいね。 -
こちらは、いろいろな家がひしめき合っていて面白いです。
-
広場の真ん中に立ってぐるっと見回すだけで、それぞれの家が自己の存在感を主張しながらひしめき合っているところがホントの面白意です。
いつまで見ていても、見飽きることがないですね。 -
またまた、ハウプトマルクト(Hauptmarkt)の風景。
街の起源は紀元前16年のローマ帝国による植民地建設まで遡ります。その後、コンスタンティヌス1世の時代に再建が始まり、人口10万人を数える大都市に発展しました。ローマ時代の歴史を感じさせる街です。また、トリーアはモーゼルワインの産地としても有名です。 -
ここでも屋根窓に注目してみました。
この二つはそれぞれ別の家の屋根窓です。
瓦の並べ方はコブレンツの市役所周辺の家と同じでしたが、左の家の屋根窓屋根形状が入母屋風になっていました。 -
教会の屋根を見ますと、衣服を掛けるような「フック」みたいなのがたくさん付いているのに気がつきました。
あれはいったいなんでしょうかね??
追記:
近さんより、以下のお話しがありました。
☆ 聞いたところによると、引っ越しなどの時に、
☆ 重たい荷物を階段では大変なので、
☆ あそこに滑車のようなものでも着けて吊り上げたそうです。
面白い話ですね。 -
聖ペトロの噴水。
これは「ハウプトマルクト広場」にありますが、1595年に作られたということです。
一番上の人は「聖ペトロ」さんです。かなりい眺めがイイと思いますね(^-^)(~o~)
これを作った理由については、市民と大聖堂の対立解消を祝ってのことのようです。なんか、ケルンでも聞いたような話ですが、トリーアは「帝国自由都市」にはなっていませんでしたね。
聖ペトロとはどんな人??
ウィキペディアによると、「キリストに従った使徒達のリーダーだった」とか。また、「『聖人』の概念をもつ全てのキリスト教諸教派(正教会・東方諸教会・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会)において聖人とされ」ているようです。
ペテロは、イエスを「神の子」と認めて、最初ににイエス信仰を告白した一番弟子なのです。そんなペトロも、イエスが磔刑のとき刑場から逃げてしまったのですが、再び戻ってきてイエス復活の最初の証人となった人とのことです。現在のキリスト教は、ペテロの「イエス復活」の信仰の上に成り立っていると言われています。 ペテロはイエスの教えを広めるべく奥さんを連れて各地を巡っていたとのことです。←いつも奥さんと一緒!!(*^_^*) ペテロはホントにいい人ですねぇ!(^^)!(^-^)
さらにウィキペディアによると、ペテロはローマ皇帝からの迫害で身の危険を感じ、ローマから逃げます。その途中でローマへ向かう主イエスに会い、「主よどこへえいく」と尋ねたところ、「君が民を見捨てるなら私はもう一度十字架を受ける」と答えられたというのです。ペテロは死を覚悟でローマへ戻り、最後にはローマ皇帝から磔刑に処せられますけど、“自分はイエスと同じ人間(対等な人間)ではない”として、「逆さ磔」を自ら望んだというのです。
犠牲を省みず民を救おうとする姿勢と、神とイエスへの真に謙虚で真摯な姿勢は感動ものですね。 -
噴水塔の女性像
聖ペトロの噴水の中の女性の顔です。
なんと、優しく・美しく・可愛いのでしょうか!!(*^_^*)(*^_^*)
この女性がどのような方かは分かりませんが、ホントにステキですね。
当家のカミさんにも・・・
いやいや、そんなことを言ってはなりませぬ(-_-;)
どんなことにも文句を言わず、3歩後をひたすら歩き続けます!!!
(Kさんご提供の写真です) -
聖ペテロの噴水の下の方です。
ここの噴水は、男性の面や獅子の口から下に向いていて流れ出ていますね。
ちょっとケルンの「ガーゴイル」を思い起こしてしまいました。
ケルン大聖堂のガーゴイルでは、パイプ全体が魔物の身体の中に隠されていますが、ここでは、口からパイプが丸出しされていますね。その違いがちょっと気になりましたね。
聖ペトロが従えている4人の女性と子供たち。彼ら・彼女らがどういう人なのか、私にはサッパリ分かりません(-_-;)。
ご存知の方がおられましたら教えて下さいね。 -
聖ペテロの噴水と「ザンクトガンゴルフ教会」です。
聖ペトロの噴水は1595年に造られたようですが、「ザンクトガンゴルフ教会」は1300年代(14世紀)に造られたようです、てっぺんの塔のあたりがちょっと変わっているところが特徴的ですね。建築様式は半分ロマニスクのようで、半分ゴシックのような気がしますけど、詳しいことは分かりません。
ところで、特に教会建築においては高い「塔」が特徴的ですが、『塔』と何かということを、実は私、知ってるようで知らなかったのであります(-_-;)
塔にはいろいろなものがあるけど、仕事をする目的の塔(電波塔・管制塔・給水塔ほか)、記念にしたり人に見せる塔(記念塔・慰霊塔・時計塔ほか)、登って楽しむ塔(五稜郭タワー・神戸ポートタワーほか)、闘うための塔(監視塔・見張り塔ほか)、信仰としての塔(教会・寺院ほか)等々キリがないですね。
教会の塔は、人を天(神)と結びつける役割や特徴があるとのことです。その塔を登ることによって少しでも天(神)に近付くという意味が含まれているそうですよ。ですから人が登れる作り方をしているものが圧倒的に多いとのことです。従って、教会の塔は屋根のすぐ下まで階段あるようで、塔を特に高くしているゴシック建築では塔の中まで登れるものあるようですね。
そういうことなら、教会の塔で登らせてもらえるものなら登ってこないとイケマセンねぇ(~o~) -
「ハウプトマルクト広場」から、トリーア大聖堂がこんな風に見えますよ〜。
建物の間のこの路地をホンの50mほど抜けるだけです。
写真で見ますと、手前の建物が大きくてみえて大聖堂があんまり大きく見えませんが、本当は高さが100m超もある程巨大なのでよ!!
その距離感は(↓)でお確かめ下さいね。
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&brcurrent=3,0x0:0x0,0&msa=0&msid=101016593599736252226.000484bb19bc9a30091a2&t=k&ll=49.756382,6.642354&spn=0.001516,0.003186&z=19 -
トリーアの大聖堂(正式名:Trier Dom、聖ペテロ大聖堂)です。
同じキリスト教でもケルン大聖堂とは大違いです!!
実に大きくてドッシリとしているのですが、ケルン大聖堂のように、空を突く巨大な尖塔と細かく尖った彫刻で埋め尽くされていたのとは大違いで、平静な気持ちで見ることが出来ます。
皆さん、大聖堂の姿を見てください!!初期ロマネスク様式といわれているその形が左右対称ではないですね。ちょっと変ですね〜。その変な事情は増改築を重ねたことにありそうですね。
まず、326年にコンスタンティヌス1世が建てたそうで、現在でもその一部が残っているようです。1035年にロマネスク様式で増改築されたようです。それ以後もゴシック様式とかバロック様式で増改築を重ねられたようです。
こうした増改築が、バランスの悪いファサード(前面景観)となってしまった間接要因ですけど、なぜこのアンバランスが認められたのかという直接の要因については、ちょっと分かりません。
このような増改築のお蔭で、内部も含めて細かいことまで言えばロマネスク様式とかゴシック様式とかバロック様式とかが入り混じっているようですよ。 -
トリーア大聖堂の場所は、建築以前にはコンスタンティヌス1世の母「聖へレナ」の宮殿があったようで、聖ヘレナが司教座教会建設のために壊れていた宮殿の一部を割いてトリーア司教に譲ったとのことです。
聖ペトロ大聖堂も聖母マリア教会も倒壊していた宮殿を、2棟のの聖堂として再建したものとのことです。北棟が聖ペトロ大聖堂に、難棟が聖母マリア教会になった。大聖堂は11世紀の教会建築の最大傑作の一つと言われてます。
それと関係があるかどうか分かりませんが、この大聖堂には「聖ヘレナ」がエルサレムから持ってきたキリストの聖衣(ローブ)が納められているといわれています。それも、たまに公開されることがあるそうです。
大聖堂の内部はGiraudさんの「雨のトリーア」をご覧下さい。
http://4travel.jp/traveler/giraud/pict/16254902/ -
大聖堂は一人寂しく建っているのではなく、本当に寄り添うようにして聖母マリア教会が建っているのです。なんか、カミさんと私みたいです(^O^)(~o~)
この教会は1235〜60年頃に建設されたとのことで(大聖堂と一緒に造られたとの記事も一部にあります)、純ゴシック様式の教会としてはドイツ最古の教会ということです。
それはともあれ、大聖堂の中を見物したいなと思っていたところ、
「ミサの最中なので見学できませ〜〜ん!!」
エエ〜ッ!!(*_*) ナニ!ソレ!!(@_@)(T_T)
世界遺産でしょ!! 世界の人々の共通の財産でしょ!! 多くの人の基金で守りあっているんでしょ!!
遙々ここまで来たのに「見学できませ〜〜ん」はないよ!!
世界遺産を守るためには、より多くの人々にその姿を見てもらうことも大事じゃないのかな??
ミサも大事かも知れないけど、何かちょっと工夫して欲しいですね。
撮影場所を限定するとか、会話を禁止するとか、床に絨毯でも敷いて足音のしないようにするとか、いろいろ工夫して見せて欲しいものですね。 -
ケルン大聖堂でもアンダーナッハの教会でもマリア様の像を見てきましたが、ちょっとマリア様のことに関心を持ちました。
聖母マリアとは、イエス・キリストとう「神」を生んだ女性(神の母)として、キリスト教世界では「生神女(しょうしんじょ)」とされ、世界中の信者のみならず多くの人々から崇められ慕われているといわれています。
聖母マリアは受胎の瞬間から原罪(善と悪を知る禁断の木の実を食べてしまったアダムとイヴの罪。キリスト教では、これによって人類は神の救いなしには克服し得ない罪への衝動を背負うようになったとされる)を免れていたと言われています。罪がないと言うことは罪の結果である「死」もないと言うことになり、彼女はキリストによって肉身のまま天に昇ったとされ、永遠の命をもっているというのです(キリスト教では「聖母マリアの被昇天」といわれています)。
さて、写真の聖母マリア教会は。お隣の大聖堂と共に建設されたと言われていますが、他方で1235年〜1260年頃に建設されたという記事もたくさん出ています。いずれにしても、その建物は初期のフランス風ゴシック建築と言われ、ゴシック様式でドイツ最古の教会といわれています。
この聖母マリア教会も、中を見学することはありませんでした。(;_;)(T_T) -
聖母マリア教会の正面です。
どこかで見た光景だなと思いませんか??
そうです、あのケルン大聖堂です。
http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/19528011/src.html
ケルン大聖堂よりウンと早く造られたこの様式が(増改築はあるけれども)、あのケルン大聖堂でさらに磨き上げられているんですね。 -
磔刑に倒れたキリストを抱く人・・。
12使徒が現場から逃げてしまった中で、誰がキリストを抱き上げたのでしょうか。
それは、マリア様しかいない!!
私は、そう思いますね。その顔は悲しみに満ちているようですね。
(Kさんご提供の写真です) -
街中の建物の壁に造られたマリア様と幼子キリストの像です。
寺院だけでなく、街の通りにもこうした像がある!!
古くて伝統ある街なればこその雰囲気もあろうと思いますが、ジメオン通りの聖人像、ハウプトマルクト広場のペトロの噴水像に見るまでもなく、街角のあちこちでこうした像の見られるのも、ヨーロッパならではの特色でしょうか??
(Kさんご提供の写真です) -
小さな船にワイン樽4つと8人が乗ってるよ〜(^_^)
こりゃもう、満員御礼だがぎゃ~(~o~)
でも、チョット待てよ(~o~) 女性が一人も乗ってないみたい(-_-;)
この人達は、奥さんを家に残してきたのでしょうか? それで寂しくないのでしょうかね??
このオブジェは「ローマ時代のワイン運搬船」と言われているものだそうで、本ものではなくレプリカ(複製品)です。(博物館に展示されている本物の方は、5人しか乗っていません。おそらく、3人は欠けて落ちてしまったかも知れませんね)
船首と船尾の犬か狼のような怪獣が面白いですね。これは例えば災難よけの神だったりして?? それと、人数を遙かに上回るたくさんの櫂が面白いですね。川を上る時や、岩場を避けたり船の進路を変える時には確かにたくさんの櫂が要るわけで、当時の操船の大変さが察せられます。
モーゼル河・ライン河流域に進出してきたローマ人が、ローマで使われていたのと同じような船をこちらで作ってワインを運んでいたのですね〜〜?
ワイン運搬船の彫刻の本物は↓をご覧下さい。
(Giraudさんの「雨のトリーア」にて)
http://4travel.jp/traveler/giraud/pict/16254806/ -
中華街の入り口ではないですが、リーブフラウェン通り(Liebfrauenstraße)の出入り口のこところに、通りを跨ぐようにしてキリスト受難像がありました。
このあたりは、2000年近い歴史を持つトリーア旧市街のど真ん中と言うことになります。 -
これは「ペテロの門」と言われるものです。
これは選定候の住居の入口の門だったようです。
この門の上に立っているのが、聖ペトロかも知れませんね。 -
この建物は何なのかょっと分かりません。
ドイツ語では、直訳すると「赤い塔」と言われてる塔です。
上記の「ペテロの門」も含めて、「コンスタンチン・プラッツ」と言うところにあります。
(Kさんご提供の写真です) -
大きな茶色の建物が皇帝宮殿なのか、バシリカなのか?、そのすぐ南にあるピンク色の宮殿がバシリカなのか? 二つ併せて皇帝宮殿やバシリカなのか?? 今ごろになって悩むなんて(-_-;) だからガイドさんから離れずにお話を聞かないとダメなんですね〜(/_;)(T_T) この旅行記ではこの茶色の建物を「アウラ・パラティーナ(皇帝宮殿)」とします。
さて、この建物は4世紀に古代ローマ帝国の皇帝コンスタンティヌス(大帝とも言われた)の命によって建てられたとされるもので、ローマ皇帝の宮殿だったと言われています。今ではプロテスタント教会となっているそうです。コンスタンティヌスはここで大帝の戴冠式をしたというのですから、古代のトリーアがローマ帝国にとって重要な街だったことを伺わせますね。
この建物はその昔、床暖房になっていたとか(^-^) 韓国のホテルも床暖房でしたねぇ(そこでお布団を敷いてカミさんと一緒に寝ました(^-^) )。その話は置いといて、ローマ人にとってはトリーアの冬はつらかったんですかね。
ガラスも、あの頃はイイやつがなくて、曇りガラスだったみたいですね(これについては演歌の「サザンカの宿」を思い出しますね)。
ちょっと脱線しましたが、この建物は↓に述べます選帝侯宮殿と共に第二次世界大戦で損傷を被りました。 -
「アウラ・パラティーナ(皇帝宮殿)」の形(建て方?)を「バシリカ」と言われるのですが、「バシリカ」の典型的な形がこの「アウラ・パラティーナ(皇帝宮殿)」だと思います。
バシリカとは、ギリシア語で「王の列柱廊」と言う意味の「バシリケー」から来ている言葉のようです。「長方形の建物」という意味らしいです。こうした建て方は、教会建築に使われる形式ので、「長堂式」とも言われるようです。古代ローマ時代では裁判所にも応用されたようで、柱で囲まれた大ホールを造って多人数を収容するのに適していたために、教会建築にも応用されたようです。長さ67m、幅27m、高さ33mで、当時としてはかなりの巨大建築ですね。
教会本堂それ自体が、大ホールを造ってより多くの人を収容する目的を持って造られる。仏教寺院の建築思想はどうなんでしょうかね??
この頃はキリスト教がローマ帝国の国教として認められて日の浅いときでしたから、ローマ人達が智慧を絞って造った教会建築だったようです。そこに、ギリシア語に由来する建築スタイルをもつ古代ローマの建物との共通性をもった、この建物の形が出来た事情があったのではと思いますね。
この「アウラ・パラティーナ(皇帝宮殿)」もたびたび改造されたようです。そのために原形回復の措置もとられたようです。
バシリカのより詳細なことは↓にて
(Giraudさんの「雨のトリーア」にて)
http://4travel.jp/traveler/giraud/pict/16254786/ -
バシリカの前から山の方を見てみましたら、山の上に塔が立っていました。
モーゼル側の左岸の、砂岩の山の上にある高さ40メートルのマリア様の戴冠像ということです。 1860年代に市民の寄付によってつくられたとの記事がありますが、真偽の程はハッキリしません。
その頃に何かがあったようで、その解決を記念し造られたようですが、マリア様は全てのキリスト者にとって愛と平和の象徴なのでしょうかね。 -
選帝侯の宮殿です。
実は、これも「バシリカ」として紹介しているサイトが多いですね。
「アウラ・パラティーナ(皇帝宮殿)」のお隣にあるトリーア選帝侯宮殿です。ご覧の通りビンク色をしたロココ様式のおしゃれでかわいらしいお城ですよ〜(~o~)
この宮殿は17世紀はじめの頃建設されたロココ様式のお城で、その豪華さに圧倒されてしまいます。18世紀末よりトリーア選帝侯の宮殿として使われたとのことです。
今ではプロテスタントの教会とのことで、2000年からは州政府の建物になっているようです。
ただ、この建物は誰が造らせたのかちょっと分からないです。こんなお城を作れるのはよほどの権力者のはずですから、おそらくは選帝侯にもなっていたトリーア大司教だと思いますが、そのあたりはどうでしょうかね?? -
宮殿そのものもお洒落なものながら、その前に広がる庭園にもバロック様式の造園芸術が広がって、たくさんの彫刻をもって私たちに何かを語っています。でも、私たちにはサッパリ分かりません(-_-;)
しかし、私たち庶民にとっては、この世の極楽とも言える豪華さ・豊かさを極めた建物を造るよりも、他にやることがなかったのか?と言いたくなりますね。 しかし、無駄と贅沢を省みずに造ったものが、歴史に残るんですね(-_-;) ノイッシュバンシュタイン城などはその典型なんですが、世の中とは面白いものです。 -
宮殿そのものもお洒落なものながら、その前に広がる庭園にもバロック様式の造園芸術が広がって、たくさんの彫刻をもって私たちに何かを語っています。でも、私たちにはサッパリ分かりません(-_-;)
しかし、私たち庶民にとっては、この世の極楽とも言える豪華さ・豊かさを極めた建物を造るよりも、他にやることがなかったのか?と言いたくなりますね。 しかし、無駄と贅沢を省みずに造ったものが、歴史に残るんですね(-_-;) ノイッシュバンシュタイン城などはその典型なんですが、世の中とは面白いものです。 -
選帝侯の宮殿の前庭です。
前庭はプール(庭園の池)までも含めれば優に1万5千?もあろうかと思うほど広くてゆったりしたもので、その周辺には人物彫刻が点々と置かれています。この撮影点の近くには噴水も置かれています。
上流階級の優雅な暮らしぶりが想像されますね。 -
こちらは、宮殿から見て左側にあるプール(庭園の池?)です。
この宮殿も、第二次世界大戦で破壊されたようです。戦後、復興の工事がされたようですが、バジリカ(後の大きい建物)の復元が優先されたことから、宮殿の西側(右の写真の左側の部分)が取り壊されて短くなり、左右非対称になってしまったとのことです。宮殿は、今では区役所と博物館として使われています。 -
こちらは、宮殿から見て140mも先にある噴水です。
トリーア大司教(選帝侯でもある)はコブレンツでも宮殿をもっていたんですね。
18世紀末ごろ16年をかけて造ったとのことですが、フランスから有名な建築家をやデザイナー呼んで造らせたとのことです。
日本の封建時代の支配層の社交がどのようなものかは知りませんが、ヨーロッパ貴族の華やかな社交の世界では、このような宮殿が必要だったのかも知れませんね。
選帝侯と言っても本来の仕事は大司教で、日本流に言えばお坊さんのエライ人。そういうお坊さんがロココ調だのバロック調だのの豪華な宮殿造りにうつつを抜かしていたなんて、ちょっと変な話ですね。 -
このクルーズでお知り合いになったご夫妻です。
いつも二人でくっついています(*^_^*) -
日本から遙々やってきました美人集団です!!
今も昔も美人の皆さんです!(^^)!(^_^)v
トリーア選帝侯もニコニコになっていることでしょうね。 -
さあて、しっかり歩いたことだし、選帝侯宮殿も見たことだだから、このへんでお風呂にでもいきますか?
ホントにそうなると一番良いのですけどね〜(^o^)
そんな期待を込めて出掛けてみましょう。
左側には選帝侯宮殿を囲むと思われる城壁があります。 -
城壁に記念像??がありました。
どういう人なのかちょっと分かりませんが、そんなことよりカミさんの方が大事であります!!
それでは、記念写真を!!(^O^)(~o~)
この写真ですけど、何か感じませんか??
ハ?? 分からないですか??(^^;)
カミさんをがちょっとだけ左に寄せていることですよ(^-^) -
そしてまた、記念写真を!!(~o~)
誰ですか??黒メガネの方は??
ちょっと怖い方ですね〜〜。
「おとうさん!!早く撮りなさい!!」
余計なことを考えていると、叱られるだけです(-_-;) -
ちょうど壁の“門”のところへきました。
そこで、またもや記念写真であります!!
この人って、どこの人ですかね〜?(^_^;) -
ようやくお風呂についたと思ったのに、なんと!!壊れていました(-_-;)(T_T)
折角ここまで来たのに〜(/_;) お風呂どころではありませんね。
これは皇帝浴場(カイザーテルメン)といって、古代ローマの大浴場跡だそうです。
建造は紀元4世紀とのことで、その名のとおりローマ皇帝のコンスタンティヌス帝が造らせたものとのことです。今はこの通り壁の一部残っているにすぎませんが、この様子から想像すると水泳プールみたいなかなり大きなお風呂があったかも知れませんね。
ところが、ウィキペディアによりますと、お風呂が大きかっただけではないみたいですね。図書館まで備えた一大健康ランドという感じみたいのようです。これにはビックリ!! 今から2000年も前の古代ローマで健康ランドをやっていたなんて!! そして、それをここトリーアにも建設したなんて驚きですね。
この件につきましては↓をお読み下さいね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%81%AE%E5%85%AC%E8%A1%86%E6%B5%B4%E5%A0%B4
Giraudさんの下記のお話もご参考にして下さい。
http://4travel.jp/traveler/giraud/pict/16254873/ -
皇帝浴場が図書館まで備えた一大健康ランドということになりますと、その敷地も広大なもので、小さく見積もっても幅100m、長さ200m弱という広さをもっていたようです(下の地図を参照して下さいね)。ローマ帝国時代の最も大きな浴場施設の一つだったと言われるのも、何となく分かるような気がしますね。
こうしてみると、お風呂好きは日本人だけじゃなかったんですね(^o^) でも、お風呂をどのように考え、また使ってきたのでしょうか?
このことも↓をご覧下さいね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A5%E6%B5%B4
皇帝浴場の場所は↓をクリックしますと分かりますよ〜。
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&brcurrent=3,0x0:0x0,0&msa=0&msid=101016593599736252226.000484bb19bc9a30091a2&t=k&ll=49.750017,6.642802&spn=0.003085,0.008529&z=18 -
残念ながら、私たちはここでも内部の見学が出来ずに敷地の外から、言わば塀越しに見ただけなのです(;_;)(T_T) 中がどうなっているのか??見ることも出来ませんでした。
ただ、これだけの施設が出来るためには、建物を造る技術だけでなくて大規模な上下水道があったり、サウナを熱したりや大量の温水を造る技術が伴わなければはじまらないわけで、それを考えると古代ローマ時代の都市作りの思想と技術は大したモンだなぁと感嘆してしまいます。
このような大レジャーランドは皇帝浴場だけでなくて、市民向けにも造られていたのですかビックリです!!ローマ人の風呂好きはドイツにまで伝播することになったんですねえ(^-^) それは「公衆浴場(バルバラテルメン・Barbarathermen、「市民浴場」とも言われるそうです)と言われ、皇帝浴場よりも200年も先に造られ規模も大きかったというのです。
ローマ文化の一つの形をみる思いがしますね。
公衆浴場の場所は↓にて
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&brcurrent=3,0x0:0x0,0&msa=0&msid=101016593599736252226.000484bb19bc9a30091a2&t=k&ll=49.749965,6.630866&spn=0.003085,0.008529&z=18 -
日本の美人集団がドイツ最古の街トリーアに花を添えたのであります!!
やっぱり、日本女性は美しく奥ゆかしいですね!!
では、撮りますよ〜〜(*^_^*)(^_^)v
「ハイ!!パチリ!!(^_^)/~」
どんな時よりも、こういう時が一番楽しいですね。
この写真が現地の翌日の新聞に載ったかどうか?? それは覚えていません(^_^;) -
皇帝浴場への入り口となっている建物の側に置いてあった足のモニュメントです。
-
こちらのご夫妻も記念写真ですね。
仲良しご夫妻で、私たちにも楽しくお付き合いいただきましたよ〜〜(^-^)(^_^)v -
トリーアの川向こうの山に建つマリア像。
多くの人の募金もあって建てられたようですが、何を記念して建てられたのか分かりませんが、街のどこからでも見えますよ〜。 -
マルクス(Karl-Marx、1818年−1883年)の生家です(真ん中の家)。
折角訪れたのに、時間もなくこの「家」を外から眺めただけです(^_^;)
「カール・マルクス」我々の世代では、その名を知らない人はいないと言っていいでしょう。
彼の名言集からちょっとだけ拾ってみました。
「哲学者たちは世界を単にさまざまに解釈しただけである。」
「学問をするのに,簡単な道など無い。」
「愛とは本来臆病なものであり、控えめなものです。」
「人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである。」
「愛とは本来臆病なもの………」←これ!!本当にその通りですよ!!
でも、マルクスさんはナイショで子供をつくったとか??ホントに臆病だったの??
どっちにしても、世界の現代史に大きな影響を与えた人ですね。私たちの日常感覚からみれば、歴史を動かした人ですから「スゴイ人」という印象がありますね。 -
カール・マルクス・ハウス博物館( Karl-Marx-Haus)
残念ながら入場して見学することはありませんでした。
ネット上の説明記事等を見ますと、マルクスは二十歳頃までこの家に住んだようです。
彼の生家は博物館となって、彼の生い立ちや人生の過程(変化に富んでいたらしい)、を展示しているようです。
良くも悪くも、後世の人に利用されようがされまいが、20世に巨大な影響を与えた人の様子をちょっと見たかったですね。 -
彼の理論と思想がなぜ世界を動かすまでになったのかと思ったところで、そんなことは私には到底分かりません。
マルクスの歴史・社会への厳しい分析の姿勢は、ヨーロッパの思想家の持つ厳しい追及姿勢と共通しているのかなと思ったりもしますね。
何と言ってもマルクスも人間ですから時代の制約からは自由では有り得ず、その点ではある分野の研究者に過ぎないと思いますね。彼も他の歴史上の人物と同様に歴史の流れの中で評価されていく一人の研究者・運動家なんですね。実際、ヤスパースによれば「世界の大哲学者」の定員4人の第一グループに入れず、30名の第二グループからも落選し、60名の第三グループに何とか引っかかった(^_^;)と言うことなんですからね。
それに、マルクス個人を見れば、浪費家だし、他所で子供もつくっているし、極めて普通の人間ですね!!(「代表取締まられ役」の方が、ナンボか清純な暮らしをしていますよ!(^_^;))
マルクスのことは↓にてご覧下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9 -
なんと書いてあるか分かりませんけど、とにかく撮っておきましょう。
マルクスは弁護士の家庭に生まれたようですね。その家庭は今で言う中の上クラスの生活だったみたいで、マルクス自身はかなりの浪費癖があったようです。しかし、とっても秀才で23歳にして哲学博士を取ったようです。
マルクスの奧さんは貴族の出だったみたいで、話題になったようです。でも「カカア天下」の家庭になったかどうかは不明です(~o~)(^O^)。まぁ、出身も育ちも才能もハイクラス!! その上奥さままでアタマのよいハイクラスの人だったんだねぇ。
もし彼が歴史上にいなかったら??世界はもっと違っていたのか?或いは回り道をせずに済んだのか?そこは分かりませんねぇ。
追記:
近さんより、以下のお話しをいただきました。
☆ この看板書いてあるのは、博物館の名前と、
☆ 曜日毎の開館時間、最終入場時間、
☆ 一番下は、財団の名前と博物館及び研究所の住所
ありがとうございました。 -
やっぱり、記念写真ですよ!!
ここまで来たんですからね〜。
「おかあさん、撮るよ〜〜」(^O^)
またまた、記念写真が増えました(^O^)(~o~) -
トリーアの観光は、マルクス生家を見たのが最後でした。
車窓に見るトリーアの街の中には、ところどころに古い建てものが見られました。そういう歴史的なものが本当にたくさん保存されている!!と言う印象を強くしました。
「トリーアを見てこい!!」
私にそう勧めてくれた知人の気持ちが、ちょっとだけ分かってきたような感じがしましたね。ケルンもそうですがトリーアももう一度訪れて、ガイドさんにすがってしっかり学んでみたいと思いますね。
写真はトリーアからの帰り道です。
手前の丘と向こう側に見える丘。モーゼル河はこの真ん中を流れているのです。
こうした地形がモーゼル河流域の地形なんですよ(^^) -
船に戻る車内で、ヒマな皆さんを気遣って?ドイツ語の勉強をしました。
おはよう=グーテン・モルゲン
こんにちは=グーテン・ターク
さようなら=チュース
う〜ん、ドイツ語は難しい!!
日本語なら3歳の孫でもしゃべっているのに、ドイツ語は大人の私たちでもしゃべれない(-_-;) -
船に帰ったら、白鳥さんが
「お帰りなさい」
と言って迎えてくれましたよ〜〜(~o~) -
お船に帰って、さっそくお昼です!!
まずは、こんなに甘〜いケーキ!!
疲れを忘れてしまいました。(^o^) -
お向かいの奥さまもケーキでニンマリ・・(^-^)
-
お昼のお肉は、子豚の丸焼きでした(~o~)(^O^)
子豚さん、スミマセンけどいただきます!! -
こちらはカミさんの好きなパンです。
私は、菓子パンが好きですけど・・。 -
生ベーコンですかね。
私は好きですけど・・
追記;
近さんより以下のお話を承りました。
☆これは生ベーコンではなくて、モモ肉の生ハム
ありがとう御座いました。 -
ご覧の通りのサラダです。
-
これは、チーズですね。
何でも食べる大食いのカミさんですが、これだけはダメなんですよ〜〜(~o~)
そういうカミさんの顔を見ますと、可哀想と言うより、
なんか知らないけど江戸の仇を長崎で取ったような気分になるんですね(~o~)
べつに、カミさんは食べないだけだからどうってことはないけどね(^^;)
トリーアの史跡を訪ねたことは、本当によかったです!!
でも、ポルタ・ニグラをはじめトリーア大聖堂も聖母マリア教会も、「アウラ・パラティーナ(皇帝宮殿)」も皇帝浴場も、さらに博物館なども、どれも内部を見学できなかったのは残念でした。
それとGiraudさんがご覧になった「ローマ時代のトリーアの模型」は何としても見たかったですね。
本当に、もう一度トリーアを訪ねたいと思いました。
Giraudさんんはお力添えをいただき、有り難う御座いました。
(その7に続きます)
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この旅行記へのコメント (16)
-
- 近鉄バッファローズさん 2010/08/09 00:23:07
- 生ベーコン?
- カメちゃんさん、こんばんは。
近鉄バッファローズです。
標記の写真ですが、
これは生ベーコンではなくて、
モモ肉の生ハムだと思います。
ベーコンだったら、もっと脂身が多いです。
何かの御参考になれば幸甚です。
- カメちゃんさん からの返信 2010/08/09 20:40:35
- RE: 生ベーコン?
- 近鉄バッファローズさん
> これは生ベーコンではなくて、
> モモ肉の生ハムだと思います。
> ベーコンだったら、もっと脂身が多いです。
「ベーコンだったら、もっと脂身が多い」
脂身ね〜〜(^o^) なるほど(^_^)
当家のカミさんも脂身が多いですから、
生ハムにはなりませんね(~o~)(^O^)
カミさんはよくてもベーコン、普通に行けば脂身だね(~o~)(^O^)
料理のこともお詳しいようで・・(^-^)(^_^)v
ありがとうございました。
カメちゃん
-
- 近鉄バッファローズさん 2010/08/09 00:20:00
- カールマルクス博物館の看板
- カメちゃんさん、こんばんは。
近鉄バッファローズです。
この看板書いてあるのは、博物館の名前と、
曜日毎の開館時間、最終入場時間、
一番下は、財団の名前と、博物館及び研究所の住所となっています。
何かの御参考になれば幸甚です。
- カメちゃんさん からの返信 2010/08/09 20:34:58
- RE: カールマルクス博物館の看板
- 近鉄バッファローズさん
> この看板書いてあるのは、博物館の名前と、
> 曜日毎の開館時間、最終入場時間、
> 一番下は、財団の名前と、博物館及び研究所の住所となっています。
教えていただいて、ありがとうございました。
一番下のやつが分かりにくかったですね。
さっそく、旅行記に反映させたいと思います。
ありがとうございました。
カメちゃん
-
- 近鉄バッファローズさん 2010/08/09 00:03:49
- フックは、クレーン?
- カメちゃんさん、こんばんは。
近鉄バッファローズです。
教会に限らず、あのようなフックは、
いろんな建物に付いているのを見たことがあります。
聞いたところによると、引っ越しなどの時に、
重たい荷物を階段では大変なので、
あそこに滑車のようなものでも着けて吊り上げたそうです。
ひょっとすると違うかも知れませんが‥‥(ーー;)
違ったらすいません。
何かの御参考になれば幸甚です。
- カメちゃんさん からの返信 2010/08/09 20:30:29
- RE: フックは、クレーン?
- 近鉄バッファローズさん
> 教会に限らず、あのようなフックは、
> いろんな建物に付いているのを見たことがあります。
> 聞いたところによると、引っ越しなどの時に、
> 重たい荷物を階段では大変なので、
> あそこに滑車のようなものでも着けて吊り上げたそうです。
そういう話もあったんですか(^_^)
> ひょっとすると違うかも知れませんが‥‥(ーー;)
> 違ったらすいません。
いえいえ、お話しをお寄せ下さっただけでも嬉しいですよ!!(^-^)
ありがとうございました。
カメちゃん
-
- 近鉄バッファローズさん 2010/08/08 23:57:11
- 看板に書いてあるのが三聖人ってことです
- カメちゃんさん、こんばんは。
近鉄バッファローズです。
この青色の看板に書いてある「Drei Koenigen」と言うのが
「三聖人」と言う意味です。
三聖人とは、東方三賢人ともいい、
キリストが生まれたときにキリストをダビデ王から守るために
遣わされた三人の人だったと思います。
ちなみに「erbaut um 1230」とは「1230年建築」という意味です。
何かの御参考になれば幸甚です。
- カメちゃんさん からの返信 2010/08/09 20:27:52
- RE: 看板に書いてあるのが三聖人ってことです
- 近鉄バッファローズさん
> この青色の看板に書いてある「Drei Koenigen」と言うのが
> 「三聖人」と言う意味です。
> 三聖人とは、東方三賢人ともいい、
> キリストが生まれたときにキリストをダビデ王から守るために
> 遣わされた三人の人だったと思います。
> ちなみに「erbaut um 1230」とは「1230年建築」という意味です。
教えて下さってありがとうございました。
助かりました(^_^)
さっそく、ブログの当該ヶ所に反映させていただこうと思います。
ありがとうございました。m(_ _)m
カメちゃん
-
- 近鉄バッファローズさん 2010/08/08 22:05:05
- 砂岩の変化がよく分かる例
- カメちゃんさん、こんばんは。
先日の近鉄バッファローズです。
新しい旅行記を、また拝見いたしました。
ポルタニグラの砂岩のことについて詳しく調べられていましたが、
砂岩が時間が経つと黒くなるのがよく分かるいい例がドレスデンにあります。
数年前に復元が完成したドレスデンの聖母教会です。
第二次大戦で、米英軍の爆撃で徹底的に破壊されたのですが、
ドイツ統一後にたくさんの寄付金によって再建されました。
その際に、瓦礫の山からまだ使える石材については
元の場所に填め込まれて再建されました。
なので、新しい石と古い石が混在しています。
私の旅行記でもご覧いただけますが、所々にある黒い石が古い石です。
http://4travel.jp/traveler/kintetsubuffaloes/album/10288966/
↑
この旅行記の6枚目の写真です(一枚目は別の教会)。
ドレスデン近辺は砂岩がよく取れたので、多くの古い建物が砂岩です。
砂岩は、数十年もあれば黒くなると聞いたことがあります。
聖母教会もしばらくすれば、全体が真っ黒になるはずです。
何かの御参考になれば幸甚です。
- カメちゃんさん からの返信 2010/08/09 19:54:19
- RE: 砂岩の変化がよく分かる例
- 近鉄バッファローズさん こんばんは〜
昨日から出掛けていましたために、お返事が遅くなってしまってごめんなさい。
> 新しい旅行記を、また拝見いたしました。
> ポルタニグラの砂岩のことについて詳しく調べられていましたが、
> 砂岩が時間が経つと黒くなるのがよく分かるいい例がドレスデンにあります。
私の旅行記を見てくださってありがとうございました。(^_^)
御写真拝見しました。
やっぱり、最初はあの色ですね!!(^-^)
都市と共に黒く老いてゆく・・
なんか、生き物のようも感じますね!
> ドレスデン近辺は砂岩がよく取れたので、多くの古い建物が砂岩です。
たしか、ストラスブール大聖堂も砂岩で造ってあったと思います。
> 聖母教会もしばらくすれば、全体が真っ黒になるはずです。
マリア様のおられる聖母教会くらいは、黒くならないようにできないですかね?
ちょっとお願いがあります。
ご紹介していただいた御写真を、私のブログの方でご紹介させていただきたいのですが、お許し頂ければ幸いです!!
よろしく御願いしますm(_ _)m
ありがとうございました。
カメちゃん
- 近鉄バッファローズさん からの返信 2010/08/09 20:36:16
- どうぞ、御利用下さい
- カメちゃんさん、こんばんは。
近鉄バッファローズです。
ご返信が遅いことは決してありませんよ。
気の向いたときに頂ければ充分です。
私の拙い写真でよければ、どんどんお使い下さい。
少しでもいい旅行記になるよう御協力できれば、何よりです。
砂岩の建物でも、檜の柱でも、
経時変化することを織り込んで作っているのではないかと。
檜の柱でも、時間が経つと黒光りしてよくなりますよね。
庭石が苔生したりとかもありますし。
西欧の石造りの建物は、大理石なんかのように
あまり変化しないものが多いですが、
そんな中で砂岩は東洋の価値観に通じるものがあるのではないでしょうか?
これは私の全くの個人的な解釈ですが。
何かの御参考になれば幸甚です。
- カメちゃんさん からの返信 2010/08/09 20:51:02
- RE: どうぞ、御利用下さい
- 近鉄バッファローズさん またまた、こんばんは〜
> 私の拙い写真でよければ、どんどんお使い下さい。
> 少しでもいい旅行記になるよう御協力できれば、何よりです。
嬉しいご配慮を賜り、心より感謝申し上げます。
私の旅行記の方で、早速にご紹介させていただきます!!
> 砂岩の建物でも、檜の柱でも、
> 経時変化することを織り込んで作っているのではないかと。
> 檜の柱でも、時間が経つと黒光りしてよくなりますよね。
> 庭石が苔生したりとかもありますし。
> 西欧の石造りの建物は、大理石なんかのように
> あまり変化しないものが多いですが、
> そんな中で砂岩は東洋の価値観に通じるものがあるのではないでしょうか?
> これは私の全くの個人的な解釈ですが。
全くお話しの通りですね(^o^)
当家のカミさんの「カカア天下」も、貫禄が付いて黒光りしてきたような気がしますよ!!
オトコはつらいのであります!!(-_-;)
ありがとうございました。
カメちゃん
-
- 4nobuさん 2010/08/07 00:15:09
- 懐かしく&うらやましく拝見
- 私めのページを訪問くださったのでどんな方かと伺ってトリアの記事を懐かしく拝見できました。
ずいぶん昔ですがモーゼル河畔をドライブしました。
http://4travel.jp/traveler/4nobu/album/10132862
http://4travel.jp/traveler/4nobu/album/10132353
http://4travel.jp/traveler/4nobu/album/10131925
http://4travel.jp/traveler/4nobu/album/10131510
その時にリバークルーズ船が繋留してあるのを見て、海洋クルーズでの寄港地での観光はせわしそうで気に入らないが河なら観光地が小さくてじっくりと観光できそうだからいつか参加したいものだと思いました。
それからもう10年になりますが未だ実現しません。
うらやましいです。
- カメちゃんさん からの返信 2010/08/07 10:18:54
- RE: 懐かしく&うらやましく拝見
- 4nobuさん こんにちは〜(^^)
ご訪問くださって、ありがとうございました。
4nobuさんの旅行記にお邪魔させて頂いておりました。
外国語がご堪能で自由にドライブを楽しまれたご様子、とても羨ましく拝見させて頂きました。本当に羨ましいです!!
ヨーロッパを旅するのは、本当に楽しいですね。
日本とのさまざまな面での違いを見る思いです。文化の違いと言ってしまえばそれまでですが、経済・社会制度が共通化している中で(細かい点は違いますが)、その違いからくるところの日本社会での「何か」を考えてみたい気持になりますね(もちろん、欧米礼賛ではなく・・)。
> その時にリバークルーズ船が繋留してあるのを見て、海洋クルーズでの寄港地での観光はせわしそうで気に入らないが河なら観光地が小さくてじっくりと観光できそうだからいつか参加したいものだと思いました。
外洋クルーズも、リバー・クルーズも、寄港地観光自体は一般の観光と似たようなものかと思います。今回のリバー・クルーズの感覚ですと、もう少し現地での時間をとって欲しいと思いましたね。ライヒスブルグ城では船の運航との関わりもあって、バスの時間を待った人たちは城に入ることも叶いませんでした。
しかし、リバー・クルーズの最大の良さは船上から見る光景を通じて、ドイツの暮らしや文化の一端を垣間見られることでしょうか。それと、自分の部屋とベッドありますから、身体にラクということですね。バス旅行では無理な方々も、船での旅ならば十分に可能ですよ。
外洋客船にも是非ご挑戦下さいね。
外洋客船での旅は、旅の目的の半分以上が船そのものにありますから、船そのものを楽しまれてみて下さい。クルーズ客船の姿は、まさにアメリカ文化の落とし子とでも言えるのでしょうか?そうした文化に浸りながら日本を考えてみるのも面白いかも?ですよ〜〜(~o~)。当然ですが、寄港地でさまざまな観光をご自身でアレンジされて楽しんでみるのも面白いと思います。
リバー・クルーズもそうですが、船の旅は身体に優しいと言えます。ですから、目のご不自由な方、盲導犬や介護犬同伴の方、杖をお持ちの方も乗ってこられますよ〜(これだけでも、大いに社会勉強になりました!!)。大型客船では、寄港地観光もせず、船内で楽しみ・移りゆく風景を楽しんでおられる方も少なくないですよ(これの出来るのが、大型客船のよいところでもあるのです)。
> それからもう10年になりますが未だ実現しません。
是非、トライなされて下さいね。
ちょっと長い話になってしまいましたm(_ _)mm(_ _)m
ありがとうございました。
これからもよろしく御願いします。
カメちゃん
-
- takkunnさん 2010/07/31 21:23:21
- 素晴らしいリバークルーズ
- こんばんは カメちゃんさん。
リバークルーズも佳境に入り、皆様方とも仲良くなり
一日一日より楽しく、満喫度が高くなってきているのが
感じ取れる写真の数々、楽しく拝見させていただいてます。
朝早くから目覚めるのは体調の良い印、奥様もご満悦の様子。
「ドイツ トリーア」始めて聞く名前の都市。
重厚で歴史を存分に感じる、なかなか興味が沸く都市ですね。
この都市には、特別な感慨があっての訪問だったのですね。
良かったですね、なかなか思うような所には行けないものです。
この先の旅行記も楽しみにしております。
Takkunn より
- カメちゃんさん からの返信 2010/07/31 22:53:37
- RE: 素晴らしいリバークルーズ
- Takkunnさん こんばんは!!
ちょっとご無沙汰しちゃってゴメンナサイね。
今日もまた暑い日になってしまいましたが、お宅の方では如何でしたでしょうか?
> リバークルーズも佳境に入り、皆様方とも仲良くなり
> 一日一日より楽しく、満喫度が高くなってきているのが
> 感じ取れる写真の数々、楽しく拝見させていただいてます。
ご覧いただいて、本当にありがとうございます!!
Takkunnさんはボルガ河の方でリバークルーズをご体験されましたが、私たちには初めてのリバークルーズとなりました。
リバークルーズでは移りゆく風景を間近に見られますので、それが大きな魅力ですね。
窓辺にのどかな景色を見ながらのディナーも、リバークルーズならではの贅沢ですねぇ(~o~)
> 朝早くから目覚めるのは体調の良い印、奥様もご満悦の様子。
リバークルーズですと、間近に見る風景に何が見えてくるか分かりませんので、ノンビリ寝ているわけにもいきませんね(^_^;)
こんなに忙しいクルーズも初めてでした!!(^O^)
> 「ドイツ トリーア」始めて聞く名前の都市。
そうでしたか??
私もあの時知人に勧められなければ未だに知らなかったかも知れないですよ。
ドイツ史、ひいてはヨーロッパ史を知る上で、とても参考になる町のような気がしますね。
> 重厚で歴史を存分に感じる、なかなか興味が沸く都市ですね。
本当にお話の通りですよ!!
私たちが見た史跡以外にまだまだたくさんの史跡が残っていますから、街そのものが歴史博物館のような感じがしますね。
今回に限らずいつもそうなんですが、もう一度訪ねてみたいと思いますね。
> この都市には、特別な感慨があっての訪問だったのですね。
> 良かったですね、なかなか思うような所には行けないものです。
知人が、何を私に見せたくて
「トリーアへ行ってこい」
と勧めたのかは未だハッキリとは分かりませんが、そこに行ってみたいという思いだけは捨てきれませんでしたので、行ってよかったと思っています。
最近、ヨーロッパへの関心も強くなっていましたので、その点でもいいタイミングで行くことが出来ました。
> この先の旅行記も楽しみにしております。
ついつい参考記事を読み込んでしまうので、UPに時間がかかってしまいそうです。
そんな調子ですが、是非のぞきに来て下さいね!!
ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします!!
カメちゃん
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