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NYでジャズ・ジャイアンツの邸宅を巡るツアー<br />2010年11月6日(土)実施、予定中。<br /><br />ニュー・オリンズ、<br />ストーリーヴィル、<br />ベイズン・ストリート、<br />メンフィス、<br />シカゴのサウス・サイド、<br />カンザス・シティ、<br />ハーレム、<br />52丁目、<br />グリニッチ・ヴィレッジ・・・、<br />枚挙にいとまがないほど、<br />ジャズはいろんな都市、町、通り、区域などを舞台に発展を続けてきた。<br /><br />ニューヨークのクイーンズ区は、<br />マンハッタンからイースト・リバーを超えてすぐ北側の地区だが、<br />1920年代から数多(あまた)のミュージシャンが居を構え、<br />夜毎ハーレムに、52丁目に、そしてヴィレッジへと繰りだして行ったところである。<br />代表的なミュージシャンだけでも、<br />ルイ・アームストロング、<br />ディジー・ガレスピー、<br />ファッツ・ワーラー、<br />カウント・ベイシー、<br />ベニー・グッドマン、<br />グレン・ミラー、<br />レスター・ヤング、<br />ビリー・ホリディ、<br />エラ・フィッツジェラルド、<br />ナットとキャノンボールのアダレイ兄弟、<br />チャーリー・ミンガス、<br />ジミー・ヒース、<br />そして<br />ジョン・コルトレーンに至るまで住んでいたというから、<br />いかに居住地として快適であったかがうかがい知れる。<br /><br />NYでジャズ・ジャイアンツの邸宅を巡るツアー<br />2010年11月6日(土)実施、予定中<br />日本からのツアーは<br />Tトラベルのホームページ<br />http://ttravel.jp/<br />2010年8月末アップ予定

NY クイーンズ・ジャズ・トレイル (Queens Jazz Trail, NY)

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2009/05/03 - 2009/05/10

6370位(同エリア8651件中)

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藤岡靖洋

藤岡靖洋さん

NYでジャズ・ジャイアンツの邸宅を巡るツアー
2010年11月6日(土)実施、予定中。

ニュー・オリンズ、
ストーリーヴィル、
ベイズン・ストリート、
メンフィス、
シカゴのサウス・サイド、
カンザス・シティ、
ハーレム、
52丁目、
グリニッチ・ヴィレッジ・・・、
枚挙にいとまがないほど、
ジャズはいろんな都市、町、通り、区域などを舞台に発展を続けてきた。

ニューヨークのクイーンズ区は、
マンハッタンからイースト・リバーを超えてすぐ北側の地区だが、
1920年代から数多(あまた)のミュージシャンが居を構え、
夜毎ハーレムに、52丁目に、そしてヴィレッジへと繰りだして行ったところである。
代表的なミュージシャンだけでも、
ルイ・アームストロング、
ディジー・ガレスピー、
ファッツ・ワーラー、
カウント・ベイシー、
ベニー・グッドマン、
グレン・ミラー、
レスター・ヤング、
ビリー・ホリディ、
エラ・フィッツジェラルド、
ナットとキャノンボールのアダレイ兄弟、
チャーリー・ミンガス、
ジミー・ヒース、
そして
ジョン・コルトレーンに至るまで住んでいたというから、
いかに居住地として快適であったかがうかがい知れる。

NYでジャズ・ジャイアンツの邸宅を巡るツアー
2010年11月6日(土)実施、予定中
日本からのツアーは
Tトラベルのホームページ
http://ttravel.jp/
2010年8月末アップ予定

同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
鉄道 自転車
航空会社
デルタ航空
旅行の手配内容
個別手配

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  • 大リーグNYメッツの本拠地シェア・スタジアム<br />(現・CITIフィールド)を横切り、<br />グランド・セントラル・パーク・ウェイを東にひた走る。<br />目指すはセント・アーバンズ(St. Albans)の<br />アディスレー・パーク(Addisleigh Park)地区。<br />113番街(113th Avenue)はミルト・ヒントン・プレイスと名付けられた道路標識が目印

    大リーグNYメッツの本拠地シェア・スタジアム
    (現・CITIフィールド)を横切り、
    グランド・セントラル・パーク・ウェイを東にひた走る。
    目指すはセント・アーバンズ(St. Albans)の
    アディスレー・パーク(Addisleigh Park)地区。
    113番街(113th Avenue)はミルト・ヒントン・プレイスと名付けられた道路標識が目印

  • 写真家としても一流の腕前を見せたベーシスト、ミルト・ヒントンの居宅に到着。<br />前庭の芝生も手入れが行き届き、<br />円錐型の門が可愛らしい家だ。<br />1950年に購入したこの家で、<br />2000年に生涯を閉じるまでの半世紀、<br />彼はクイーンズでの生活をエンジョイしたようだ。<br />&#39;36年からキャッブ・キャロウェイのバンドに長期間参加したのはもとより、<br />ビング・クロスビー、チャーリー・ミンガス、ジョン・コルトレーンらとも共演し、<br />ポップスの世界でも、ベット・ミドラーやポール・マッカートニーとも共演するなど<br />幅広い活躍で知られていたベースの名手だ。<br />

    写真家としても一流の腕前を見せたベーシスト、ミルト・ヒントンの居宅に到着。
    前庭の芝生も手入れが行き届き、
    円錐型の門が可愛らしい家だ。
    1950年に購入したこの家で、
    2000年に生涯を閉じるまでの半世紀、
    彼はクイーンズでの生活をエンジョイしたようだ。
    '36年からキャッブ・キャロウェイのバンドに長期間参加したのはもとより、
    ビング・クロスビー、チャーリー・ミンガス、ジョン・コルトレーンらとも共演し、
    ポップスの世界でも、ベット・ミドラーやポール・マッカートニーとも共演するなど
    幅広い活躍で知られていたベースの名手だ。

  • そこからすぐのアデレイド・ロード(Adelaide Rd.)に、<br />ピアニスト、バンド・リーダーとして一世を風靡したカウント・ベイシーの家が在る。<br />1936年マンハッタンに再び舞い戻ってきたベイシーは、<br />自らのオーケストラを率いるが、<br />当時のメンバーにはレスター・ヤング、バック・クレイトン、ハリー・エディソン、<br />そしてヴォーカリストのビリー・ホリディやジミー・ラッシングらがいたのだ。<br />彼らはハーレムのウッドサイド・ホテルに住み、<br />&#39;38年名曲「ジャンピン・アット・ザ・ウッドサイド」が生まれたことは良く知られているが、<br />ベイシーは&#39;46年からクイーンズのこの家に移ったのである。<br />最小限の音で、最大のスイング感を引き出す、<br />まるで魔術師のような彼がここに住んでいたのかと思うと、<br />感慨深いものがある。<br />以外に瀟洒な造りだ。

    そこからすぐのアデレイド・ロード(Adelaide Rd.)に、
    ピアニスト、バンド・リーダーとして一世を風靡したカウント・ベイシーの家が在る。
    1936年マンハッタンに再び舞い戻ってきたベイシーは、
    自らのオーケストラを率いるが、
    当時のメンバーにはレスター・ヤング、バック・クレイトン、ハリー・エディソン、
    そしてヴォーカリストのビリー・ホリディやジミー・ラッシングらがいたのだ。
    彼らはハーレムのウッドサイド・ホテルに住み、
    '38年名曲「ジャンピン・アット・ザ・ウッドサイド」が生まれたことは良く知られているが、
    ベイシーは'46年からクイーンズのこの家に移ったのである。
    最小限の音で、最大のスイング感を引き出す、
    まるで魔術師のような彼がここに住んでいたのかと思うと、
    感慨深いものがある。
    以外に瀟洒な造りだ。

  • 次はセイアーズ・アヴェニューと174丁目の角。<br />ストライド・ピアノの名手<br />トーマス・ファッツ・ワーラーの大きな家。

    次はセイアーズ・アヴェニューと174丁目の角。
    ストライド・ピアノの名手
    トーマス・ファッツ・ワーラーの大きな家。

  • ユーモアあふれるほのぼのとしたセンスにファンが多く、<br />アメリカでファッツの人気はたいへん高い。<br />ここらが日本と違うところだ。<br />クイーンズのアディスレイ地区に住んだ最初のアフロ・アメリカン(黒人)であり、<br />(内部の見学は出来なかったが)この家には<br />ビルト・インされたハモンド・オルガンと<br />スタインウェイのピアノがあるそうだ。

    ユーモアあふれるほのぼのとしたセンスにファンが多く、
    アメリカでファッツの人気はたいへん高い。
    ここらが日本と違うところだ。
    クイーンズのアディスレイ地区に住んだ最初のアフロ・アメリカン(黒人)であり、
    (内部の見学は出来なかったが)この家には
    ビルト・インされたハモンド・オルガンと
    スタインウェイのピアノがあるそうだ。

  • デューク・エリントンは、<br />ジャングル・スタイルと呼ばれる独創的なアンサンブルを創出し、<br />ダンス・ミュージックを鑑賞音楽のレヴェルにまで引き上げた功労者だ。<br />ハーレムの『コットン・クラブ』に出演していた3年余の間に、<br />「ムード・インディゴ」<br />「ザ・ムーチ」<br />「黒と茶の幻想」など<br />不朽の名作を残すと共に<br />「バンドがわたしの楽器である」の名言通り、<br />バンド・リーダー、名作曲家、ピアニストとして名を馳せた。<br />そのバンドを引き継いだ息子マーサー・エリントンは、<br />このアディスレー・パーク地区に住んでいたのだ

    デューク・エリントンは、
    ジャングル・スタイルと呼ばれる独創的なアンサンブルを創出し、
    ダンス・ミュージックを鑑賞音楽のレヴェルにまで引き上げた功労者だ。
    ハーレムの『コットン・クラブ』に出演していた3年余の間に、
    「ムード・インディゴ」
    「ザ・ムーチ」
    「黒と茶の幻想」など
    不朽の名作を残すと共に
    「バンドがわたしの楽器である」の名言通り、
    バンド・リーダー、名作曲家、ピアニストとして名を馳せた。
    そのバンドを引き継いだ息子マーサー・エリントンは、
    このアディスレー・パーク地区に住んでいたのだ

  • ところでこのツアーを廻る途中、<br />巨大な家に出くわした。<br />ジャズと並んでアメリカが生んだ偉大な文化のひとつ、<br />プロ野球大リーグのホームラン王、<br />ベーブ・ルースの文字通り“大邸宅”だ。<br /><br />1920年から40年までの20年余り<br />ベーブ・ルースはここに住んで<br />ブロンクスのヤンキー・スタジアムに通い、<br />生涯本塁打714本の大記録を打ち立てたことは、<br />どなたもご存知のはず。

    ところでこのツアーを廻る途中、
    巨大な家に出くわした。
    ジャズと並んでアメリカが生んだ偉大な文化のひとつ、
    プロ野球大リーグのホームラン王、
    ベーブ・ルースの文字通り“大邸宅”だ。

    1920年から40年までの20年余り
    ベーブ・ルースはここに住んで
    ブロンクスのヤンキー・スタジアムに通い、
    生涯本塁打714本の大記録を打ち立てたことは、
    どなたもご存知のはず。

  • ベーブ・ルース大邸宅の南側は<br />リンデン・ブールバード(Linden Blvd.)と言う大通り。<br />すぐ右手に見えるのが<br />クーティー・ウイリアムスの家だ。<br /><br />1948年ごろから63年まで<br />トランペッターのクーティはここに住み、<br />その後ソウルの大御所ジェイムス・ブラウンが<br />71年から77年までの6年間をここで暮らした。

    ベーブ・ルース大邸宅の南側は
    リンデン・ブールバード(Linden Blvd.)と言う大通り。
    すぐ右手に見えるのが
    クーティー・ウイリアムスの家だ。

    1948年ごろから63年まで
    トランペッターのクーティはここに住み、
    その後ソウルの大御所ジェイムス・ブラウンが
    71年から77年までの6年間をここで暮らした。

  • ベーブ・ルースの家を右に、すなわち東へ折れると<br />今度はボクサーであるジョー・ルイスの家が隣に在る。<br /><br />ニックネームは<br />褐色の爆撃機(The Brown Bomber)<br /><br />11年間の王座在位中に、<br />全階級通じて最多防衛記録である世界王座25連続防衛の記録保持者であり、<br />現在もこの記録は破られていない。<br /><br />ジャック・ジョンソン以来、<br />史上二人目のアフリカ系アメリカ人(黒人)<br />世界ヘビー級王者である。<br /><br />

    ベーブ・ルースの家を右に、すなわち東へ折れると
    今度はボクサーであるジョー・ルイスの家が隣に在る。

    ニックネームは
    褐色の爆撃機(The Brown Bomber)

    11年間の王座在位中に、
    全階級通じて最多防衛記録である世界王座25連続防衛の記録保持者であり、
    現在もこの記録は破られていない。

    ジャック・ジョンソン以来、
    史上二人目のアフリカ系アメリカ人(黒人)
    世界ヘビー級王者である。

  • ジョー・ルイスの家からマードック・アヴェニューを東進し、179丁目にやってきた。

    ジョー・ルイスの家からマードック・アヴェニューを東進し、179丁目にやってきた。

  • マードック・アヴェニューの179丁目を左(北)に曲がると、<br />歌手レナ・ホーンの家が在る。<br />本来一軒だけだったが、<br />アメリカのショウビス界で大成功を収めた彼女は<br />両隣の家も購入し、3軒続きで<br />優雅な生活を謳歌したようだ。<br /><br />特に43年“ストーミー・ウェザー”の大ヒットは<br />一大センセーションを巻き起こし、<br />歌に専念するため西海岸キャリフォルニアのハリウッドから<br />この地に引越して来たのである。<br />そして81年、ブロードウェイのミュージカル<br />“レナ・ホーン:ザ・レイディ&ハー・ミュージック”は、<br />一人の女性歌手のミュージカルとしては<br />異例のロング・ラン公演を達成し、<br />ブロードウェイの記録を塗り替えたのである。

    マードック・アヴェニューの179丁目を左(北)に曲がると、
    歌手レナ・ホーンの家が在る。
    本来一軒だけだったが、
    アメリカのショウビス界で大成功を収めた彼女は
    両隣の家も購入し、3軒続きで
    優雅な生活を謳歌したようだ。

    特に43年“ストーミー・ウェザー”の大ヒットは
    一大センセーションを巻き起こし、
    歌に専念するため西海岸キャリフォルニアのハリウッドから
    この地に引越して来たのである。
    そして81年、ブロードウェイのミュージカル
    “レナ・ホーン:ザ・レイディ&ハー・ミュージック”は、
    一人の女性歌手のミュージカルとしては
    異例のロング・ラン公演を達成し、
    ブロードウェイの記録を塗り替えたのである。

  • マードック・アヴェニューの179丁目を逆に右に曲がる(南下する)と<br />ピアニストのワイルド・ビル・デイヴィスの家も在って、<br />このアディスレー・パークはミュージシャン密集地帯。

    マードック・アヴェニューの179丁目を逆に右に曲がる(南下する)と
    ピアニストのワイルド・ビル・デイヴィスの家も在って、
    このアディスレー・パークはミュージシャン密集地帯。

  • 心地よい風がすり抜け、柔らかな日差しを浴びながら、ワン・ブロック西側の178丁目も歩く。<br />イリノイ・ジャケーの家だ。<br /><br />豪快なブローが身上のテキサス・テナーの雄イリノイは、<br />ライオネル・ハンプトン楽団での<br />“フライング・ホーム”のソロで知られる。<br /><br />そのハンプトン、<br />デューク・エリントン、<br />マイルス・デイヴィスらと共に<br />一列に並んで、<br />イリノイ・ジャケーが<br />ブロンクスのウッドローン・セメタリーに埋葬されている。<br />http://4travel.jp/traveler/coltranehouse/album/10349624/<br /><br />こちらも、同日2010年11月6日(土)に<br />特別「お墓参りツアー」を企画中。

    心地よい風がすり抜け、柔らかな日差しを浴びながら、ワン・ブロック西側の178丁目も歩く。
    イリノイ・ジャケーの家だ。

    豪快なブローが身上のテキサス・テナーの雄イリノイは、
    ライオネル・ハンプトン楽団での
    “フライング・ホーム”のソロで知られる。

    そのハンプトン、
    デューク・エリントン、
    マイルス・デイヴィスらと共に
    一列に並んで、
    イリノイ・ジャケーが
    ブロンクスのウッドローン・セメタリーに埋葬されている。
    http://4travel.jp/traveler/coltranehouse/album/10349624/

    こちらも、同日2010年11月6日(土)に
    特別「お墓参りツアー」を企画中。

  • ヴォーカリストでありトランペッターであった<br />ラッセル・ジャケーは<br />そのイリノイの兄貴で、隣に住んでいた。

    ヴォーカリストでありトランペッターであった
    ラッセル・ジャケーは
    そのイリノイの兄貴で、隣に住んでいた。

  • ツアー最後の締めくくりは、<br />エラ・フィッツジェラルドの「ステキなおうち」<br />と言う表現がピッタリな邸宅を訪ねる。<br />シンメトリーに配された小窓のある可愛いらしい二階建てで、<br />強い日差しに映えた芝生の緑がとても印象的だった。<br /><br />58年間の歌手生活の中で、<br />13個のグラミー賞や4,000万枚の売り上げは<br />まさに「ファースト・レイディ・オヴ・ソング」の面目躍如たるものがある。<br />デッカ・レコードでヒット曲を連発したあと<br />50年代からここに移り住み、<br />&#39;55年にはヴァーヴと契約して<br />コール・ポーター、ロジャース&ハート、エリントンらの名曲集を綴っていったのである。

    ツアー最後の締めくくりは、
    エラ・フィッツジェラルドの「ステキなおうち」
    と言う表現がピッタリな邸宅を訪ねる。
    シンメトリーに配された小窓のある可愛いらしい二階建てで、
    強い日差しに映えた芝生の緑がとても印象的だった。

    58年間の歌手生活の中で、
    13個のグラミー賞や4,000万枚の売り上げは
    まさに「ファースト・レイディ・オヴ・ソング」の面目躍如たるものがある。
    デッカ・レコードでヒット曲を連発したあと
    50年代からここに移り住み、
    '55年にはヴァーヴと契約して
    コール・ポーター、ロジャース&ハート、エリントンらの名曲集を綴っていったのである。

  • ジョン・コルトレーンが<br />1959年から1963年まで暮らした<br />メキシコ・ストリートの家。<br /><br />門扉を開けて<br />パティオ(前庭)をエイヤッと数ステップし、<br />更に4段のステップ(階段)を昇る。<br />これらの行為が名曲「Giant Steps」の語源になったのである。<br />地下室には、アスレチックの器具もあり、<br />サックスの練習も24時間可能になり、<br />さらなる飛躍に向けて前進あるのみ!

    ジョン・コルトレーンが
    1959年から1963年まで暮らした
    メキシコ・ストリートの家。

    門扉を開けて
    パティオ(前庭)をエイヤッと数ステップし、
    更に4段のステップ(階段)を昇る。
    これらの行為が名曲「Giant Steps」の語源になったのである。
    地下室には、アスレチックの器具もあり、
    サックスの練習も24時間可能になり、
    さらなる飛躍に向けて前進あるのみ!

  • 今回全部の家(リストアップされているだけで85軒)を<br />廻ることはとうてい不可能であったが、<br />ちなみにジャクソン・ハイツには<br />クラリネットのベニー・グッドマンが住み、<br />ジャメイカにはストライド・ピアノの先駆者ジェームス・P・ジョンソンが居たり、<br />パーソンズ・ガーデンのアパートにはビリー・ホリディも一時期住んでいた。<br />これらの情報はQueens Jazz Trail Map(一部9ドル95セント)に詳しい。<br />下記のウエッブ・サイトにアクセスすればその地図をメール・オーダー出来るし、<br />クイーンズの他にハーレム、<br />イースト・ヴィレッジ、<br />ロウアー・マンハッタンなど<br />計4種の地図も手に入る。<br />http://www.ephemerapress.com<br />

    今回全部の家(リストアップされているだけで85軒)を
    廻ることはとうてい不可能であったが、
    ちなみにジャクソン・ハイツには
    クラリネットのベニー・グッドマンが住み、
    ジャメイカにはストライド・ピアノの先駆者ジェームス・P・ジョンソンが居たり、
    パーソンズ・ガーデンのアパートにはビリー・ホリディも一時期住んでいた。
    これらの情報はQueens Jazz Trail Map(一部9ドル95セント)に詳しい。
    下記のウエッブ・サイトにアクセスすればその地図をメール・オーダー出来るし、
    クイーンズの他にハーレム、
    イースト・ヴィレッジ、
    ロウアー・マンハッタンなど
    計4種の地図も手に入る。
    http://www.ephemerapress.com

  • 現在(2009年6月)、<br />アメリカの景気悪化で<br />予算が得られず休止状態に成っているが<br />フラッシング・タウンホールから、<br />かつては毎月第一土曜日の午後、<br />クイーンズ・ジャズ・トレイル(Queens Jazz Trail)のバスが出ていた。<br /><br /><br />Flushing Town Hall: <br />137-35 Northern Boulevard, Queens, NY 11354 <br />TEL: 718-463-7700<br />www.flushingtownhall.org<br />

    現在(2009年6月)、
    アメリカの景気悪化で
    予算が得られず休止状態に成っているが
    フラッシング・タウンホールから、
    かつては毎月第一土曜日の午後、
    クイーンズ・ジャズ・トレイル(Queens Jazz Trail)のバスが出ていた。


    Flushing Town Hall:
    137-35 Northern Boulevard, Queens, NY 11354
    TEL: 718-463-7700
    www.flushingtownhall.org

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