2007/12 - 2007/12
4492位(同エリア6773件中)
Giraudさん
- GiraudさんTOP
- 旅行記89冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 365,723アクセス
- フォロワー4人
古代ローマ遺跡巡りの旅。アッピア旧街道とカタコンベ(地下墓所)、そしてローマの城壁について。
アッピア街道を観光するには、一度チケットを買えばあとは乗り降り自由のアルケオバスが便利です。私は朝一番は普通のバスで城壁まで行き、あとはなるべく歩きながら、疲れたらアルケオバスを拾う、というように使いました。それにしてもローマでは、他の都市ではこれだけで観光の目玉になるというような遺跡や教会が、(コロッセオやサン・ピエトロ大聖堂などのおかげで)特筆されることもなくあちこちに存在していることに驚かされました。
PR
-
テルミニ駅から714番の市バスを利用。
アウレリアヌスの城壁のアルデアティーナ門で下車。 -
アウレリアヌスの城壁に沿って歩きます。
3世紀の軍人皇帝アウレリアヌス帝が、イタリア半島にも侵入するようになった蛮族への防衛のため建設。
立派な城壁ですが、ローマ帝国衰退の象徴です。
急造する必要があったため、資材は既存の建築物のものを壊して流用。さらには既存の門や墓廟なども城壁の一部に込みこみ、工程を節約したといいます。 -
アッピア街道上のサン・セバスティアーノ門に到着。
旧名はずばりアッピア門でしたが、サン・セバスティアーノ聖堂への巡礼路のため後世改名されました。 -
サン・セバスティアーノ門の内側にある通称ドルーソ門(ドルーススの凱旋門)。
“門”とは呼ばれていますが、実はカラカラ浴場に水を供給していた水道橋の橋脚の跡。 -
アウレリアヌスの城壁の内側。
サン・セバスティアーノ門の上は城壁博物館になっているので上がれましたが、城壁の上は立入禁止でした。 -
城門の上からアッピア街道を遠望。
遠くには、まだ朝もやがかかっていました。 -
第一マイル標石。
-
アッピア街道沿いにあった修復中の建造物。
看板によると、カラカラ帝の弟ゲタの墓だそうです。 -
ドミネ・クオ・ヴァディス教会に残るキリストの足跡。
ここからはアルケオバスを使って次の目的地へワープしました。 -
サン・セバスティアーノ聖堂。
ローマの七大聖堂のひとつで、パラティーノの丘の馬場で殉教した聖セバスティアヌスに因みます。
多数あるローマの教会でも、「バジリカ(聖堂)」と呼ぶことが許されるのは由緒ある七つの建物だけで、他はどんなに立派でもただの「チャーチ(教会)」だ・・・と、ここの英語のガイドさんが力説していました。
地上の建物は後世の改築のため古さを感じませんが、ここの見所は地下に広がるカタコンベです。 -
サン・セバスティアーノ聖堂のカタコンベ。
(写真はポストカードのもの)
ローマ建築によく使われる天然コンクリートの材料である火山灰の採掘所を利用して、キリスト教の普及以前から使われていたローマ最古の地下墓所です。
もともと「カタコンベ」という言葉は、サン・セバスティアーノ聖堂の墓所だけを指す固有名詞だったそうです。
想像していたよりも内部が広い(というか、狭いトンネルが迷路のようにどこまでも続いている)のに驚きました。
地下4層、通路は全長12kmあるそうです。
ガイド・ツアーのみでの見学になります。 -
サン・セバスティアーノ聖堂のカタコンベ。
1世紀、五賢帝時代のキリスト教以前の墓廟。
(写真はポストカードのもの)
ガイド・ツアーで狭く長い通路を連れ回された後、最下層にあるこの広間に劇的に引き出されたときは、ツアー客全員が思わず「おおっ」と声を上げました。
それぞれ神殿のような門構えの奥に、階段を下って立派な墓室が備えられています。
ヨルダンのペトラ遺跡のミニチュア版といったところか。 -
マクセンティウス帝の競技場。
アッピア街道上から望む全景。 -
マクセンティウス帝の胸像の複製。
(ローマ文明博物館)
4世紀初頭、各地に複数の皇帝が分立したときの一人。
ミルヴィオ橋の決戦で、キリスト教の「XP」印を掲げたコンスタンティヌス帝の前に敗死しました。
ローマを本拠地とした最後の皇帝で、アッピア街道沿いの他、フォロ・ロマーノにも遺跡を残しています。 -
マクセンティウス帝の離宮の復元図。
早世した息子ロムルスの墓廟に隣接して、競技場や離宮を建設しました。 -
マクセンティウス帝の離宮の壁。
-
ロムルスの墓廟跡。
マクセンティウス帝の子で、わずか9歳で溺死しました。
皮肉にも、父も最期はミルヴィオ橋から転落してテヴェレ河で溺死することになります。 -
マクセンティウス帝の競技場内部。
出走を告げるラッパ塔やスタート台が残っています。
ただしマクセンティウス帝が野望なかばで敗死したため、実際には一度も使われることなく終わったといわれます。 -
マクセンティウス帝の競技場。
遠くに、チェチーリア・メテッラの墓廟が見えています。 -
チェチーリア・メテッラの墓廟。
共和制末期の貴婦人の墓。
街道沿いにあるため、中世には砦に転用されていました。 -
アルケオバスの標識。
アッピア街道の残りは、車上からの見学で済ませました。
ガイドブックの情報では、クラウディウス水道橋も回るはずでしたが、残念ながらルートには含まれておらず。 -
コロッセオの近くにあるサン・クレメンテ教会。
ここにもカタコンベがあります。 -
サン・クレメンテ教会のカタコンベ。
(写真はポストカードのもの)
ここのカタコンベはサン・セバスティアーノ聖堂とは違って狭いトンネルではなく、窓がないことを除けば、地下ということを感じさせないしっかりした構造でした。
古代には地上階だった部分が、長い年月で埋もれて地下になってしまったというせいもあるかも知れません。
最下層では、湿地だったフォロ・ロマーノを干拓したクロアカ・マクシマ(大排水溝)の水音も聞くことができます。 -
サン・クレメンテ教会のカタコンベ。
地下2層にあるミトラ教の集会所跡。
(写真はポストカードのもの)
古代ローマの多神教が廃れたのはキリスト教が原因とよくいわれますが、ミトラ教も太陽神を崇拝する一神教で、キリスト教が広まる前のローマ帝国で流行していました。
クリスマスも、実はミトラ教の冬至祭の名残りです。
同じく太陽を崇拝していた日本人が、キリスト教の祝日の中でも特にクリスマスが好きなのは当然なのかも。 -
サン・クレメンテ教会の内部。
ここは地上の教会内部も古びた感じで味がありました。 -
サン・クレメンテ教会の内陣。
モザイクは、初期キリスト教の教会建築の特徴。 -
サン・クレメンテ教会内陣モザイクの上部。
キリスト教の象徴である「XP」の印があります。
ギリシャ文字のX(キー)とP(ロー)の組文字で、ギリシャ語で「キリスト(=救世主)」の最初の2文字。
両隣の記号は、ギリシャ・アルファベットの最初のアルファと最後のオメガで、「初めから終わりまで」の意味だとか。 -
テルミニ駅前に残るセルウィウスの城壁。
伝説の王政期に造られたという、ローマ最古の城壁。 -
ローマの城壁の模型。
(サン・セバスティアーノ門上の城壁博物館のもの)
内側が初期ローマ建造のセルウィウスの城壁。
外側が軍人皇帝時代のアウレリアヌスの城壁。
最盛期のローマは敵無しで、防御のための城壁など不要でした。 -
マッジョーレ門(=大門)。
複数の水道橋の交差点を門にしたもの。
3世紀にアウレリアヌスの城壁に組み込まれました。
門の上部数段が空洞になっていて、水道管を通した跡がわかります。 -
マッジョーレ門の復元模型。
(ローマ文明博物館)
門前にある四角い箱は、商人の墓。 -
マッジョーレ門の近くに残る水道橋。
-
マッジョーレ門の近くに残る水道橋。
-
ピラミデとサン・パオロ門。
サン・パオロ門は、旧名オスティア門。オスティア港へ通じる街道上にありましたが、サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ聖堂(バジリカ)ができたために改名されました。
ピラミデは、古代の執政官の個人的墓廟。
ともに3世紀にアウレリアヌスの城壁に組み込まれました。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ローマ(イタリア) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
34