
2006/10/22 - 2006/10/22
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morino296さん
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<<2006お祭りシリーズ>>
秋晴れの下、京都三大祭りの最後を飾る時代祭を楽しみました。
鎧兜に身を包んだ武将や、絢爛豪華な十二単(ひとえ)姿の女官などにふんした約2000人、牛馬70余頭で全長約2Kmに及ぶ時代行列が、正午すぎに京都御所を出発、都大路を通り平安神宮まで練り歩きます。
時代祭は、1895(明治28)年に平安遷都1100年を記念して始まり、戦争などで中止された年もあり、今年で102回目。
毎年10月22日に行われますが、今年は6年ぶりの日曜開催とあって、約13万3000人(京都府警調べ)が沿道などで見物しました。
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明治維新から時代を逆戻りして平安遷都までの歴史絵巻きを再現。
衣装や調度品、祭具は1万2000点にも上り、京都の工匠や染色の識者が考証研究を重ね、帯1本から糸に至るまで各時代の素材を使い現在に蘇らせています。 -
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■明治維新
<維新勤王隊列>
維新の際、京都府北桑田郡山国の有志が山国隊を組織して、官軍に参加した当時の行装を模した、鼓笛隊が先頭を行きます。 -
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近衛忠熈
<幕末志士列>
明治維新の立て役者となった志士14人(桂小五郎、西郷吉之助、坂本龍馬、中岡慎太郎、高杉晋作、梅田雲浜、橋本左内、吉田松陰ほか)が「七卿落(しちきょうおち)」列をはさんで登場。 -
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<江戸時代婦人列>
和宮(かずのみや)1846−1877
仁孝天皇の第八皇女。孝明天皇の妹。
親子内親王。将軍徳川家茂に降嫁。
江戸無血開城に隠れた功績がある。
家茂の没後は、落飾して静寛院宮と号した。 -
出雲阿国(いずものおくに)
阿国歌舞伎の創始者。歌舞伎芝居の祖。
もと出雲大社の巫女(みこ)といい、京都で念仏踊を興行して大変な人気を呼びました。 -
■安土桃山時代
<豊公参朝列>
豊臣家の朝廷参上のうち、1596年(慶長元年)5月の秀頼初参内と、翌年9月の元服時の参内などは最も盛んであったと伝えられています。列はそれを表したものです。 -
<織田公上洛列>
1568年(永禄11年)9月天下統一のため織田信長が兵をひきいて上洛したときの様子。
信長のほか羽柴秀吉や柴田勝家などが登場しました。 -
<中世婦人列>
淀君(よどぎみ)1567−1615
豊臣秀吉の側室。名は茶茶。
浅井長政の長女。母は信長の妹お市の方。
柴田勝家滅亡後、山城の淀城に住み、秀頼を生みました。
秀吉没後は、秀頼を擁して大坂城に移り実権を握ったが、大坂夏の陣(1615)で落城の際、城中で自刃しました。 -
静御前(しずかごぜん)
源義経の愛妾。京都の白拍子。磯禅師の娘。
容姿艶麗、歌舞をよくした。義経と吉野山で決別、捕えられて鎌倉に送られ、鶴岡八幡宮で源頼朝、北条政子らを前にして義経恋慕の舞を舞いました。
能の「吉野静」「二人静」「船弁慶」の題材となり
歌舞伎などにも多く使われています。 -
■鎌倉時代
<城南流鏑馬列>
流鏑馬(やぶさめ)は平安朝から行われた騎射の技で、3カ所の的を立て、馬をはしらせながら射るもの。
1221年(承久3年)、後鳥羽天皇が朝廷の権威回復のため、城南離宮で近畿10余国の武士を召集して行われました。 -
<平安時代婦人列>
巴御前(ともえごぜん)
平安末期・鎌倉初期の女性。
木曾の豪族中原兼遠の娘。
武勇すぐれた美女で、源義仲に嫁し、武将として最後まで随従。
夫の戦死後は和田義盛に再嫁し、その敗死後、尼となって越中に赴いたといわれます。 -
常盤御前(ときわごぜん)
平安末期の女性。
もと近衛天皇の皇后九条院の雑仕。
源義朝に嫁し、今若・乙若・牛若を生む。
平治の乱に義朝敗死後、大和に隠れたが、六波羅に自訴、子供の命乞いのため平清盛になびき、のち藤原長成に再嫁しました。 -
清少納言(せいしょうなごん)
平安中期の女房。三十六歌仙の一。
和漢の学に通じた才女で、紫式部と並び称せられ、一条天皇の皇后定子に仕えて寵遇を受けました。
「枕草子」の作者。家集「清少納言集」。
紫式部(むらさきしきぶ)
藤原為時の娘。
名前は源氏物語の「紫の上」と父の官位「式部丞」からとったという説が有力。
夫と死別後、上東門院(一条天皇の中宮彰子)に仕え、その間、藤原道長らから重んじられました。
三十六歌仙の一。
著作は「源氏物語」「紫式部日記」「紫式部集」など。 -
小野小町(おののこまち)
平安前期の歌人。六歌仙・三十六歌仙の一。
出羽郡司小野良真(篁<たかむら>の子)の女(むすめ)ともいう。歌は柔軟艶麗。
文屋康秀・僧正遍昭らとの贈答歌があり、仁明・文徳朝頃の人と知られます。絶世の美人として七小町などの伝説があります。 -
百済王明信(くだらのこにきし みょうしん)
平安朝初期のトップレディー。
明信は百済王敬福(きょうふく)の孫。
この敬福は、陸奥守の時に陸奥国で産出した黄金九百両を、東大寺の大仏の鍍金用に献上したことによって、聖武天皇に寵愛され従三位宮内卿兼河内守となり交野郡内に居館を作りました。彼女は桓武天皇がまだ山部王と呼ばれるた頃の初恋の女性。 -
■延暦時代
<前列>
御神幸列の前を行くので前列といわれ、雅楽の奏者、迦陵頻伽、胡蝶など優美な行列で多数の狩装束のお供が従います。 -
<神幸列>
御賢木(おんさかき)を先頭に、孝明天皇、桓武天皇の御鳳輦(ごほうれん)を中心とする神幸の本列。
行列の先頭から最後尾までを見物するには、約2時間掛かります。
来年から、新たに「室町時代列」が加わるそうです。
参考資料:京都時代祭パンフレット(京都観光協会編)、京都新聞HP
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