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                              森と水の都、盛岡を舞台として北上川ゴムボート川下り大会(第23回全日本ラフティング大会)が平成11年7月25日(日)開催された。前日まで雨が降り続き天候が心配されていたが、当日は梅雨開けを宣言するかのように晴天となった。盛岡では温度計も日中30度8分にまで上昇して真夏日となった。<br /><br /> 大会は四十四田ダムから開運橋までの約7キロメートルを二人ずつ乗り込んだゴムボートで漕ぎ下っていく競技である。<br /> 部門はタイムレース部門、パフォーマンス部門、フリーレース部門に別れており主として東北、関東の各地から集まってきた選手達が同僚、友人、恋人、夫婦、親子、兄弟と二人一組のさまざまな組み合わせで、希望の部門に出漕した。<br />  会を重ねるごとに大会参加者数も増え続けて、今回は総参加者数3,016人に及び総参加艇も1,508艇の大きに達した。参加者数、隻数では全国最大規模の大会である。参加者名簿を見てみるとクルーの合計年齢では我々のクルーは出場者中、二番目の123歳という高齢クルーであった。因みに最年少クルーは26歳の中学生クルーである。<br /><br /> 私がこの大会のタイムレース部門に出場したのは大学時代にボート部で共にエイトを漕いだ友人が盛岡市内の会社に再就職し、この大会への出場を勧めてくれたからである。今でも月二回は昔の漕友達と横浜の鶴見川へ集まりエイトを漕いで楽しんでいるので、ゴムボートは未経験だが、艇を漕ぐ原理は同じ筈だから挑戦してみようと漕友のK氏と一緒に参加することになったのである。ゴムボートやパドル、ライフジャケット、ヘルメットも全て借り物で練習なしの文字通りぶっつけ本番の出場であった。<br /><br /> 南大橋の河川敷に設けられた大会本部の受付へ当日六時半に来てみると、広い河川敷には既に夥しい数の自家用車が所狭しと並んで駐車していた。テントを張って野宿した組も相当数あるようだし、テントの前に机と椅子を並べて朝食をとっている人々もある。そうした人達を横目に見ながら、主として黄色のライフジャケットを一様に着込んでパドルを両手に持った、短パンツ姿の男女の若者達が次々と行列を作って受付へ向かっていた。中にはパーフォマンス部門へエントリーしたクルーなのであろうか髪の毛をピンク色に染めて顔にはピエロのような化粧をした若者がいるかと思えば、黄色と黒色の虎の衣装を纏った人やら、奇抜な衣装に身をくるんだ年配の人も散見される。なにしろ3,000名規模の参加者であるから、概して似たような装いの群衆の行列は壮観である。<br /><br /> 受付を済ませゼッケンを受け取ってから、持参したゴムボートにゼッケン番号を記入して日通の係員に渡すとトラックでスタート地点まで運んでくれるのである。<br /> 荷物を預け終わるとゼッケンをつけた選手達がスタート地点行きの貸切りバスに乗車するためにまた行列を作る。10台のバスへゼッケン番号順に50名ずつ乗せてのピストン輸送だが人数が多いので人員輸送だけでかなりの時間を費やしてしまう。我々のゼッケン番号は1,020番なので第三陣のバスであった。スタート地点の四十四田ダムへ到着するとダムの巨大なコンクリート壁の下の広場では、ライフジャケットの上にゼッケンをつけた多数の選手達が用意されているコンプレッサーのホースからめいめいのゴムボートへ空気を入れている。拡げられて薄く平らなゴムボートがみるみる膨らんで、周囲のコンクリート壁にはゴムボートが並べて立てかけられる。川の方に目を向けると川面に浮かんだ五十艇のゴムボートが次々に号砲とともに漕ぎだしていく。五分置きに出漕するので川は華やかなボートの群れで溢れかえっている。うまく流れに乗ってたちまち群れから飛び出し、水を空けて快走する艇があるかと思えば、その場でぐるぐる回転運動を始めて悲鳴をあげる女子クルーの艇もある。なかには出発そうそう転覆する舟もあるし、空気が抜けて沈没する舟もある。<br /><br /> 見よう見まねでゴムボートに空気を入れながら或いはスタートの順番を待ちながらそうした光景を眺めているといやがうえにも心臓の鼓動は昂ぶってきて、戦意が高揚してくるのが判る。スタートを直前に控えたレース独特の緊張感がここにも漲っているのである。<br /> やがて順番がきたので水面へ舟を浮かべて乗り込むといきなり水が流れ込んできてひやりとした感触である。<br /> スタート地点まで漕ぎついて流されないように、パドルでバックローをしながら号砲を待つ。やがてピストルの音がして50隻の舟が一斉に漕ぎだした。一漕ぎ目から既に差がついてしまった。種目が違うので日頃エイトを漕いでいても勝手がちがってなかなか思うようには動いてくれない。流れに乗ろうとするのだが方向が定まりにくく蛇行しながら流されていく。やっと要領が判りはじめて真っ直ぐ進みだしたら、やがて窪みに乗り上げ舟は大きく上下に躍動して波が覆いかぶってくる。艇は瞬間空中に漂い、落差をもって着水する。ラフティングの醍醐味である。波を被り水濡れになりながら、転覆することもなく急流に乗って何とか脱出することができた。このあたりの呼吸はオーストラリヤで急流下りを体験しているのでそう怖いとは思わなかったが、今回始めてのK氏は緊張して体がこちこちになっているのが後ろで見ていてもよく判る。<br /><br /> それにしても二人の呼吸がうまく合って舟が加速され、真っ直ぐ前へ進むということは滅多にない。漕ぐと必ずといっていいぐらい舟は向きを変えるからなんとも始末が悪い。波の高くたっているところには大抵岩がある。そんなことがわかり始めたのもスタートして暫くたってからだった。流れの早いところで岩場につっこんだら悲劇である。岩の上を船底が擦りながら進んでいくので投げ出した足の踵や尻にぶっつかってとても痛い。一端岩場に乗り上げてしまったらパドルで制御できなくなるので暫し耐えるしかない。薄い底だから鋭角の岩角にでもぶっつかろうものなら舟底のゴムが破れて沈没するに違いない。そんな恐怖に襲われながら流れに身を任せて岩場から脱出するのを待っているのである。慣れた選手達が、空気の入ったマットを舟底に積み込んでいる理由が納得できた。岩場へ乗り上げた時の衝撃を緩和するためのものだったのである。レースが終わって触ってみると尻や腕に何箇所か紫色の打撲傷が出来ていた。岩にぶっつけて出来たものであることは明らかだ。<br /><br /> 流れのゆったりしたところでは一生懸命漕いで、先発グループのゼッケンをつけたクルーや同じグループの先行クルーを何艘か抜き去ることが出来たが、なかなか先頭グループには追いつくことができない。ノーワークでパドルを動かしながら両岸へ視線を投げかけると鶴見川等と違って人工のコンクリート製の護岸は殆ど見られず緑豊かな天然の川岸である。そしてなによりも水が清らかである。時間が経つほどに周囲の景色に目配りする余裕も出来てきた。はるか前方には岩手山が青空にその秀麗な姿を描き出しているし橋の上や両岸には沢山の観客が声援を上げたりカメラを向けているのが目に入るようにもなった。コースも半ば過ぎた頃からは、初参加なのだからタイムにこだわることを止めて周囲の光景を楽しもうとピッチを落とした。周囲を眺めると漕ぐことを止めて流れに任せながら持ち込んだ缶ビールを飲んでいる呑気なクルーもある。<br /><br /> やがて一時間ほどかかって、どうにか転覆しないでゴールまで到達することが出来た。ゴールを通過するときゼッケン番号を呼ばれお疲れさまでしたと労いのアナウンスの声が聞こえたので手を振って応えた。ゴールを過ぎてから約一キロメートル下った所が上陸地点に指定されているのだが、我々のクルーはそこまで行かずに手前で、或る会社の社屋の前に上陸するように手筈を決めていた。借用した道具を返納するのに便利なためである。ところが上陸予定地付近へ到達した筈なのに目的の建物が見当たらないのである。とにかく一旦上陸して建物を探すことにしたが、いくら探しても目的の建物と花畑が見つからず狐騙しにでもあったような気持ちである。<br /><br /> たまたま上陸地点近くの家の二階のベランダで飲みながらレースを観覧していた住人がいたので尋ねてみると、何と目的の建物は反対側の岸にあるという。言われて見ると確かに見覚えのある建物が聳えており、河川敷きには目印とした花畑もあるではないか。始めての土地だとは言え、錯覚と思い込みに囚われて対岸に目を向けてみようという気持ちが二人共に全然沸かなかったのが不思議である。<br /><br /> ボートとパドルとライフジャケット、ヘルメットを返納してから歩いて宿舎のマンションへ帰り、シャワーを浴びて缶ビールを飲んだ。運動の後だけに快い疲労感が伴いとても美味かった。一休みしてから再び炎天下を会場まで歩いて行き閉会式に臨んだ。美人の司会者はテレビ局のアナウンサーらしく話し方が上手であった。来客の長々しい挨拶は一切無しで成績発表、講評と続いたのには好感が持てた。上位入賞のクルーは優勝クルーが43分台のタイムを出しており流石に歴戦の強豪が多かった。中でも競技の神様のたくまざるユーモアだと思ったのは女子の部で3位に入賞したクルーのゼッケン番号が偶然にも333番であったことである。<br /><br /> 今回のラフティングの体験によって、清流を下る魅力に取りつかれたので来年は、自前の道具も揃えて、再びこの大会に出場したいと思っているし、全国各地の清流を求めて野宿しながら川下りをするのも楽しかろうと夢を膨らませているところである。<br /><br /> 明日は陸中海岸と竜泉洞を見学するため、レンタカーを予約しておいてから「わんこ蕎麦」を食べに行った。頑張ってK氏とともに百杯宛平らげた。後日大会事務局から郵送された通知によれば、タイムは69分17秒で男子の部の749艇中、464であったから初出場としてはまずまずの健闘であったと自らを慰めている。<br />

 森と水の都、盛岡で北上川ゴムボート川下りに挑む   

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1999/07/25 - 1999/11/25

201位(同エリア216件中)

0

6

早島 潮

早島 潮さん

                              森と水の都、盛岡を舞台として北上川ゴムボート川下り大会(第23回全日本ラフティング大会)が平成11年7月25日(日)開催された。前日まで雨が降り続き天候が心配されていたが、当日は梅雨開けを宣言するかのように晴天となった。盛岡では温度計も日中30度8分にまで上昇して真夏日となった。

 大会は四十四田ダムから開運橋までの約7キロメートルを二人ずつ乗り込んだゴムボートで漕ぎ下っていく競技である。
 部門はタイムレース部門、パフォーマンス部門、フリーレース部門に別れており主として東北、関東の各地から集まってきた選手達が同僚、友人、恋人、夫婦、親子、兄弟と二人一組のさまざまな組み合わせで、希望の部門に出漕した。
会を重ねるごとに大会参加者数も増え続けて、今回は総参加者数3,016人に及び総参加艇も1,508艇の大きに達した。参加者数、隻数では全国最大規模の大会である。参加者名簿を見てみるとクルーの合計年齢では我々のクルーは出場者中、二番目の123歳という高齢クルーであった。因みに最年少クルーは26歳の中学生クルーである。

 私がこの大会のタイムレース部門に出場したのは大学時代にボート部で共にエイトを漕いだ友人が盛岡市内の会社に再就職し、この大会への出場を勧めてくれたからである。今でも月二回は昔の漕友達と横浜の鶴見川へ集まりエイトを漕いで楽しんでいるので、ゴムボートは未経験だが、艇を漕ぐ原理は同じ筈だから挑戦してみようと漕友のK氏と一緒に参加することになったのである。ゴムボートやパドル、ライフジャケット、ヘルメットも全て借り物で練習なしの文字通りぶっつけ本番の出場であった。

 南大橋の河川敷に設けられた大会本部の受付へ当日六時半に来てみると、広い河川敷には既に夥しい数の自家用車が所狭しと並んで駐車していた。テントを張って野宿した組も相当数あるようだし、テントの前に机と椅子を並べて朝食をとっている人々もある。そうした人達を横目に見ながら、主として黄色のライフジャケットを一様に着込んでパドルを両手に持った、短パンツ姿の男女の若者達が次々と行列を作って受付へ向かっていた。中にはパーフォマンス部門へエントリーしたクルーなのであろうか髪の毛をピンク色に染めて顔にはピエロのような化粧をした若者がいるかと思えば、黄色と黒色の虎の衣装を纏った人やら、奇抜な衣装に身をくるんだ年配の人も散見される。なにしろ3,000名規模の参加者であるから、概して似たような装いの群衆の行列は壮観である。

 受付を済ませゼッケンを受け取ってから、持参したゴムボートにゼッケン番号を記入して日通の係員に渡すとトラックでスタート地点まで運んでくれるのである。
 荷物を預け終わるとゼッケンをつけた選手達がスタート地点行きの貸切りバスに乗車するためにまた行列を作る。10台のバスへゼッケン番号順に50名ずつ乗せてのピストン輸送だが人数が多いので人員輸送だけでかなりの時間を費やしてしまう。我々のゼッケン番号は1,020番なので第三陣のバスであった。スタート地点の四十四田ダムへ到着するとダムの巨大なコンクリート壁の下の広場では、ライフジャケットの上にゼッケンをつけた多数の選手達が用意されているコンプレッサーのホースからめいめいのゴムボートへ空気を入れている。拡げられて薄く平らなゴムボートがみるみる膨らんで、周囲のコンクリート壁にはゴムボートが並べて立てかけられる。川の方に目を向けると川面に浮かんだ五十艇のゴムボートが次々に号砲とともに漕ぎだしていく。五分置きに出漕するので川は華やかなボートの群れで溢れかえっている。うまく流れに乗ってたちまち群れから飛び出し、水を空けて快走する艇があるかと思えば、その場でぐるぐる回転運動を始めて悲鳴をあげる女子クルーの艇もある。なかには出発そうそう転覆する舟もあるし、空気が抜けて沈没する舟もある。

 見よう見まねでゴムボートに空気を入れながら或いはスタートの順番を待ちながらそうした光景を眺めているといやがうえにも心臓の鼓動は昂ぶってきて、戦意が高揚してくるのが判る。スタートを直前に控えたレース独特の緊張感がここにも漲っているのである。
 やがて順番がきたので水面へ舟を浮かべて乗り込むといきなり水が流れ込んできてひやりとした感触である。
 スタート地点まで漕ぎついて流されないように、パドルでバックローをしながら号砲を待つ。やがてピストルの音がして50隻の舟が一斉に漕ぎだした。一漕ぎ目から既に差がついてしまった。種目が違うので日頃エイトを漕いでいても勝手がちがってなかなか思うようには動いてくれない。流れに乗ろうとするのだが方向が定まりにくく蛇行しながら流されていく。やっと要領が判りはじめて真っ直ぐ進みだしたら、やがて窪みに乗り上げ舟は大きく上下に躍動して波が覆いかぶってくる。艇は瞬間空中に漂い、落差をもって着水する。ラフティングの醍醐味である。波を被り水濡れになりながら、転覆することもなく急流に乗って何とか脱出することができた。このあたりの呼吸はオーストラリヤで急流下りを体験しているのでそう怖いとは思わなかったが、今回始めてのK氏は緊張して体がこちこちになっているのが後ろで見ていてもよく判る。

 それにしても二人の呼吸がうまく合って舟が加速され、真っ直ぐ前へ進むということは滅多にない。漕ぐと必ずといっていいぐらい舟は向きを変えるからなんとも始末が悪い。波の高くたっているところには大抵岩がある。そんなことがわかり始めたのもスタートして暫くたってからだった。流れの早いところで岩場につっこんだら悲劇である。岩の上を船底が擦りながら進んでいくので投げ出した足の踵や尻にぶっつかってとても痛い。一端岩場に乗り上げてしまったらパドルで制御できなくなるので暫し耐えるしかない。薄い底だから鋭角の岩角にでもぶっつかろうものなら舟底のゴムが破れて沈没するに違いない。そんな恐怖に襲われながら流れに身を任せて岩場から脱出するのを待っているのである。慣れた選手達が、空気の入ったマットを舟底に積み込んでいる理由が納得できた。岩場へ乗り上げた時の衝撃を緩和するためのものだったのである。レースが終わって触ってみると尻や腕に何箇所か紫色の打撲傷が出来ていた。岩にぶっつけて出来たものであることは明らかだ。

 流れのゆったりしたところでは一生懸命漕いで、先発グループのゼッケンをつけたクルーや同じグループの先行クルーを何艘か抜き去ることが出来たが、なかなか先頭グループには追いつくことができない。ノーワークでパドルを動かしながら両岸へ視線を投げかけると鶴見川等と違って人工のコンクリート製の護岸は殆ど見られず緑豊かな天然の川岸である。そしてなによりも水が清らかである。時間が経つほどに周囲の景色に目配りする余裕も出来てきた。はるか前方には岩手山が青空にその秀麗な姿を描き出しているし橋の上や両岸には沢山の観客が声援を上げたりカメラを向けているのが目に入るようにもなった。コースも半ば過ぎた頃からは、初参加なのだからタイムにこだわることを止めて周囲の光景を楽しもうとピッチを落とした。周囲を眺めると漕ぐことを止めて流れに任せながら持ち込んだ缶ビールを飲んでいる呑気なクルーもある。

 やがて一時間ほどかかって、どうにか転覆しないでゴールまで到達することが出来た。ゴールを通過するときゼッケン番号を呼ばれお疲れさまでしたと労いのアナウンスの声が聞こえたので手を振って応えた。ゴールを過ぎてから約一キロメートル下った所が上陸地点に指定されているのだが、我々のクルーはそこまで行かずに手前で、或る会社の社屋の前に上陸するように手筈を決めていた。借用した道具を返納するのに便利なためである。ところが上陸予定地付近へ到達した筈なのに目的の建物が見当たらないのである。とにかく一旦上陸して建物を探すことにしたが、いくら探しても目的の建物と花畑が見つからず狐騙しにでもあったような気持ちである。

 たまたま上陸地点近くの家の二階のベランダで飲みながらレースを観覧していた住人がいたので尋ねてみると、何と目的の建物は反対側の岸にあるという。言われて見ると確かに見覚えのある建物が聳えており、河川敷きには目印とした花畑もあるではないか。始めての土地だとは言え、錯覚と思い込みに囚われて対岸に目を向けてみようという気持ちが二人共に全然沸かなかったのが不思議である。

 ボートとパドルとライフジャケット、ヘルメットを返納してから歩いて宿舎のマンションへ帰り、シャワーを浴びて缶ビールを飲んだ。運動の後だけに快い疲労感が伴いとても美味かった。一休みしてから再び炎天下を会場まで歩いて行き閉会式に臨んだ。美人の司会者はテレビ局のアナウンサーらしく話し方が上手であった。来客の長々しい挨拶は一切無しで成績発表、講評と続いたのには好感が持てた。上位入賞のクルーは優勝クルーが43分台のタイムを出しており流石に歴戦の強豪が多かった。中でも競技の神様のたくまざるユーモアだと思ったのは女子の部で3位に入賞したクルーのゼッケン番号が偶然にも333番であったことである。

 今回のラフティングの体験によって、清流を下る魅力に取りつかれたので来年は、自前の道具も揃えて、再びこの大会に出場したいと思っているし、全国各地の清流を求めて野宿しながら川下りをするのも楽しかろうと夢を膨らませているところである。

 明日は陸中海岸と竜泉洞を見学するため、レンタカーを予約しておいてから「わんこ蕎麦」を食べに行った。頑張ってK氏とともに百杯宛平らげた。後日大会事務局から郵送された通知によれば、タイムは69分17秒で男子の部の749艇中、464であったから初出場としてはまずまずの健闘であったと自らを慰めている。

同行者
友人
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
JR特急

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