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私の名前を呼び続ける声は、リサール像のモニュメントの傍に佇むグループの一人から発せられていた。近づいていくと前日、同じ場所で言葉を交わしたフィリピンバンドの連中だった。そして私の名前を呼び続けていたのは、一番私と言葉を交わしていたダニーだった。<br /><br />「アレ?今朝の早い便で東京に帰るって云ってなかった?」と訝しげに尋ねるダニー。<br />「それが、空港に向かうタクシーの中にパスポートや、航空券の入ったバッグを置き忘れてしまった。今、日本大使館に行って再発行の為の準備をしてきたところだ」<br />「お前が乗ったタクシーの車体に大きく書かれた4桁の番号は覚えているか?」<br />「いいや、 ボディに書かれた番号は覚えていない。覚えているのは黄色い車体という事だけ、タクシーに乗ったのは午前5時半頃YMCAに程近いロハス・ブルーバード<大通り>からだけど、それ以上のタクシーに関する記憶は残念ながら無いよ」と私は答えた。<br /><br />「食事は摂ったのか?お腹が空いていると良いアイデアは浮かばないぞ、」彼のガールフレンドらしき人と私を伴って、ファースト・フードもどきのヌードルレストランに向かった。 そういえば朝から何も口にしていなかった事に今更に気づいた。無我夢中で空腹感は感じていなかったが、ダニーに促されて余り美味くないヌードルをすすった。<br />「お前の為に出来うる限りの事をしてみようと思う。まず、空港にもう一度、向かってみよう。もしかしたら届け出が有るかもしれないよ」<br /><br />  私はその案には懐疑的だったが万が一届いていないとも限らなかった。 我々はバスで再び空港に向かった。胡散臭い感じもいささか、有る男だったが、ダニー曰く「無為に過ごすより、アクションを起こす事が大事だよ」の言葉に、この男、なかなか巧いこと云うじゃないかと、頼りにすることにした。 空港に着いた我々はまず、エアポートポリスに向かった。ダニーが警官に状況を話したが、該当する届け物は無いと云う。 私は自分のマニラでの所在地で有るYMCAの名前を告げ、もし届いたら必ず連絡をくれるように頼んだ。<br />タクシーは黄色いボディカラーだったという以外に記憶は無いか?と再びダニーに問われたが、一番肝心な車体の前後、側面に大きく書かれてる4桁の番号の記憶が全然ないのだ。それさえ判ればタクシー会社も車両も特定出来るのだと云う。<br /><br />エアポート警察でマーキングした後、今度は空港の有る管轄の警察署であるPASAY-CITYの警察に向かった。朝一番で向かった場所だった。 今日は祝日で明日また来いと云われた警察署だった。 今度は今朝入った建物と違う建物に向かった。<br />ドアを開けると、右端にカウンターが有リ、その隣に唐突に鉄格子の牢屋が有り、その唐突さに少し驚いた。牢屋の中には 囚人と思われる半裸に近い男達が三人程、私達の姿を観て鉄格子を揺さぶりながら何事か叫んでいた。 ダニー曰く「オ〜〜イ出してくれ〜〜」と叫んでいるらしかった。 かなり漫画チックな図柄で思わず笑ってしまった。<br /> ダニーに伴われて向かった先で遺失物係りの様な担当警察官が丁寧に応対してくれた。車内に置き忘れたバッグの形状や図柄から、内容物についても丁寧に話した。<br />何処の警察に行っても最も熱心に問われたのは「幾ら金が入っていたか?」という事だった。今日は祝日なので明日にならなければ動けないと今朝と同じ事を云われたが、取りあえず、紛失届けだけは出しておきたかった。滞在先はYMCAだから連絡を頼むとお願いし、警察署を出た。その間、ダニーは方々に電話をしていた。彼曰く、該当タクシーを絞り込む為の作業だと云った。 マニラ市内を走る黄色いタクシーは沢山有るがな〜と云うと、少しずつ絞り込んでいけると云う。<br /><br />当時、フィリピンのタクシーには無線などもない、メーターには大阪タクシーなどと日本語で書いてある。つまり、日本で使用済みとなったタクシーメーターの払い下げの様なメーターを積んで走っている。 いったいどういうノウハウでダニーは絞り込めるのか皆目、見当がつかなかった。 警察署を出た我々は再び市内にバスで向かった。<br /><br />私は取りあえず、宿の確保をする旨を彼等に伝え、YMCAに向かう事になった。YMCAに入ると顔見知りのフロントの男から怪訝な表情で帰国したんじゃなかったけ? と問われた。事情を話してもう少し厄介になるよと伝えた。YMCAは基本的には宿泊費は毎朝の前払いだったが、日本からの送金があるまで、後払いで泊めて貰いたいと伝え、了承を取った。ドミトリー<相部屋>でもいいかと思っていたが、シングル部屋が空いていると聞いて シングルルームを確保した。 その間もダニーは電話をかけてくると云いながら席を何度か離れた。彼のガールフレンドは英語はほとんど解さない様だった。私が何か言うとダニーに通訳を求めていた。取りあえず、今夜からの寝床を確保した私は気分的にはかなり気楽になった。<br /><br />ソファーとテーブルが一つしかないロビーの椅子に座って一息ついていた。 ソファには先客がいた。三十代前後と思われる日本人夫婦の様だった。私は軽く会釈をした。やがて ダニーが電話から戻ってきて、今、ケソンシティのタクシー会社に絞り込めた。オーナーが小一時間くらいしたら戻ってくるから連絡をまたこちらからすると話して置いたという。<br /><br />「どうされました?」夫婦者らしき夫の方が訝しげに尋ねてきた。何となく態度、物腰、雰囲気が教員夫婦という風情だった。教員、公務員等には旅先でもあちこちで遭遇した。長期休暇が民間勤務よりかなり自由に取れるという事だろう。夫婦旅行でYMCAに泊まるのは相当に旅慣れている証拠だ。<br /><br />「空港に向かうタクシーの中にパスポートから小切手まで置き忘れました」<br />「まず出てこないでしょうネ。再発行の手続きをした方が探すより速いですな」<br />「ええ、、日本大使館で取りあえず、再発行の為の作業は済ませてきました。」<br />「日本人のパスポートは闇で高い価格で売買されるし、犯罪に使われる可能性も高いしね」訳知り風の夫<br />「そうね、偽造パスポートより本物の場合はパスポートの写真をすり替えるだけだから、変な意味で価値があるのよネ」夫唱婦随の妻、、 夫婦でつまらない事を話し始めた。<br /><br />「一緒にいるこの胡散臭い男は誰?」とダニーに顔を向ける教員風の夫<br />「私をヘルプしてくれている友達ですよ、つまらない事は云わない方がいいよ」<br />「でもなんか怪しげな人よね、、目つきも良くないし、気を付けた方がいいわよ」と教員風の妻<br />ダニーは我々の会話に聞き耳を立てている様子が垣間見えた。<br />フィリピン人はとてもプライドが高い。日本には何度も仕事で出かけていると云ってたから、もしかして日本語もある程度解しているかもしれなかった。 <br />私はこの教員風夫婦の口を閉ざしてやりたい衝動に駆られた。<br />黙って聞いていればネガティブな事ばかり云う感じの悪い夫婦だった。<br />何のアドバイスにもなっていない。更に思慮浅い事ばかり云う。 <br />一発かましてやるっ  こいつらッ黙らしてやる!<br />私は思いきり野卑な口調で学校教員風の夫婦に向かって云った。<br /><br />「金を貸して貰えないかな?そうすればとても助かるんだけどネ、50ドルでも一万円でもいいよ、それからこの男は日本で仕事しているから、あんた達の云った事もおそらく解していると思うよ・・・」 <br /><br />案の定、夫婦は顔を見合わせて、唖然とした顔をしている。この男は初対面の私達に何という事を言い出すんだという表情と気不味そうな表情を交互に浮かべホントに押し黙ってしまった。その様を見たダニーが苦笑いを浮かべ、何事か傍らのガールフレンドにタガログ語で囁くと、今度は彼のガールフレンドが可笑しそうに笑った。日本人夫婦は気まずい雰囲気で黙って席を立っていった。<br /><br />それと入れ替わる様に玄関のドアから入ってくる男に見覚えがあった。有名商社と極めて良く似た名前の持ち主、I君だった。<br />バンコックの妖しげ旅社、楽宮ホテルにしがみついていたI君だった。お互いに余りの奇遇に驚いていた。お互いに (ノ゚ο゚)ノ オオオオォォォォォォ-と奇声を上げている。私は彼の姿を見た時、<地獄で仏>という言葉を思い出さずには居られなかった。。私はI君に事の顛末を話し、というわけで金を貸して貰えないかなと頼んだ。彼は今週にも帰国するから、一万円位なら構わないよと云ってくれた。有り難かった。私は自分の強運というか悪運に更なる自信を持った。<br />取りあえず、これで一週間分の宿と食費は確保が出来た。<br />聞けば、彼は4日前からここに滞在していたらしい。ベスト・タイミングな遭遇だった。<br />ダニーも事の顛末に驚いている様子だった。バンコックで一緒だった旅仲間だと説明した。<br />ちょっとケソンシティのタクシー会社に電話をしてくると、ダニーが言い残して席を立った。やがて電話から戻ったダニーが云う。<br />「グッドニュースだ!お前のバッグがケソンシティのタクシー会社に届いている!」<br />「ホントか!? 俺のパスポートもか??」<br />「ウンッ 間違いないようだ。お前のパスポートの名前を電話の向こうで読み上げたぞ!」  <br /> 「やったッ!!!!有難う!ダニー!!」<br /><br />一時間後、タクシー会社のオーナー宅で私のカジュアルバッグを受け取る事が出来た。<br />午前6時頃にタクシー内に置き忘れ、午後6時に私の元に帰ってきた。この12時間の何と長かった事よ・・・<br /><br /> 私はタクシー運転手とダニーに自分の気持ちとして御礼をした。<br />とりわけダニーの尽力には感謝しても足りないほどだった。<br />更に 思わぬ知遇を得たタクシーオーナー宅の娘と手紙のやり取りをするようになり、二年後には私の妹が友達とのマニラ旅行でこのオーナー家族にとても世話になる。 <br /><br />人の縁は不思議なものだなとつくづく思う。 そして私はいつも何かに導かれているような不思議な運を感じずにはいられなかった。<br /> 旅の日々は人の縁、、一期一会の輪廻を感じた。<br />このピンチをどう乗り越えるか、まるで旅の神様から試されているような長い一日だった。<br />               The End ・・・・<br /><br />それにしても不思議なのはダニーがどういう方法で<br />タクシー会社を絞り込む事が出来たのかということ、、<br />早朝にYMCAの傍からロハス大通りに出て、黄色いボディカラーの<br />タクシーに乗ったという事しかインフォメーションは無かった。<br />ボディに大きく書かれている所属を現す四桁の数字も覚えて<br />いなかったし、、 黄色いボディカラーを使用しているタクシー会社に<br />片っ端から電話したのかなあ う〜ん謎、、 <br /><br />PS- 番外編 、、、 <br />パスポートが手元に戻った翌朝、私はとても奇妙で不可思議な<br />体験に遭遇してしまう。 それ以前は、そういうオカルト的な<br />事は信じないタイプだったが体験した後は、そういうことも<br />有るんだなと少しは思うようになったものである。<br /><br />その時の出来事を番外編として次回に載せます。。 <br />             <br />           あとがき<br /><br />フィリピン編、及び<旅の日々> これにて完了致しました。ここまで読み続けてくれた皆様、有難うございました。私が二十数年前に旅を続けた日々、詳細を書けたのは当時書き続けたノートの所為に他在りません。そして印象的な出来事や、出逢いは脳裏に深く刻み込まれ私の記憶から離れる事は有りませんでした。いつの日か、自分の旅の日々を書き残したいと長い間、考えていました。<br /> この旅文は<旅の自分史>に他ならないものでした。<br />帰国後から二十数年を経てネットという当時は考えられない媒体によって、自分の暖めていた思いをこのような媒体を利用し書き残せるようになるとは夢にも思いませんでした。

NO5 マニラ・パスポートの置き忘れ事件 パート2

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1979/02 - 1980/01

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kio

kioさん

私の名前を呼び続ける声は、リサール像のモニュメントの傍に佇むグループの一人から発せられていた。近づいていくと前日、同じ場所で言葉を交わしたフィリピンバンドの連中だった。そして私の名前を呼び続けていたのは、一番私と言葉を交わしていたダニーだった。

「アレ?今朝の早い便で東京に帰るって云ってなかった?」と訝しげに尋ねるダニー。
「それが、空港に向かうタクシーの中にパスポートや、航空券の入ったバッグを置き忘れてしまった。今、日本大使館に行って再発行の為の準備をしてきたところだ」
「お前が乗ったタクシーの車体に大きく書かれた4桁の番号は覚えているか?」
「いいや、 ボディに書かれた番号は覚えていない。覚えているのは黄色い車体という事だけ、タクシーに乗ったのは午前5時半頃YMCAに程近いロハス・ブルーバード<大通り>からだけど、それ以上のタクシーに関する記憶は残念ながら無いよ」と私は答えた。

「食事は摂ったのか?お腹が空いていると良いアイデアは浮かばないぞ、」彼のガールフレンドらしき人と私を伴って、ファースト・フードもどきのヌードルレストランに向かった。 そういえば朝から何も口にしていなかった事に今更に気づいた。無我夢中で空腹感は感じていなかったが、ダニーに促されて余り美味くないヌードルをすすった。
「お前の為に出来うる限りの事をしてみようと思う。まず、空港にもう一度、向かってみよう。もしかしたら届け出が有るかもしれないよ」

  私はその案には懐疑的だったが万が一届いていないとも限らなかった。 我々はバスで再び空港に向かった。胡散臭い感じもいささか、有る男だったが、ダニー曰く「無為に過ごすより、アクションを起こす事が大事だよ」の言葉に、この男、なかなか巧いこと云うじゃないかと、頼りにすることにした。 空港に着いた我々はまず、エアポートポリスに向かった。ダニーが警官に状況を話したが、該当する届け物は無いと云う。 私は自分のマニラでの所在地で有るYMCAの名前を告げ、もし届いたら必ず連絡をくれるように頼んだ。
タクシーは黄色いボディカラーだったという以外に記憶は無いか?と再びダニーに問われたが、一番肝心な車体の前後、側面に大きく書かれてる4桁の番号の記憶が全然ないのだ。それさえ判ればタクシー会社も車両も特定出来るのだと云う。

エアポート警察でマーキングした後、今度は空港の有る管轄の警察署であるPASAY-CITYの警察に向かった。朝一番で向かった場所だった。 今日は祝日で明日また来いと云われた警察署だった。 今度は今朝入った建物と違う建物に向かった。
ドアを開けると、右端にカウンターが有リ、その隣に唐突に鉄格子の牢屋が有り、その唐突さに少し驚いた。牢屋の中には 囚人と思われる半裸に近い男達が三人程、私達の姿を観て鉄格子を揺さぶりながら何事か叫んでいた。 ダニー曰く「オ〜〜イ出してくれ〜〜」と叫んでいるらしかった。 かなり漫画チックな図柄で思わず笑ってしまった。
ダニーに伴われて向かった先で遺失物係りの様な担当警察官が丁寧に応対してくれた。車内に置き忘れたバッグの形状や図柄から、内容物についても丁寧に話した。
何処の警察に行っても最も熱心に問われたのは「幾ら金が入っていたか?」という事だった。今日は祝日なので明日にならなければ動けないと今朝と同じ事を云われたが、取りあえず、紛失届けだけは出しておきたかった。滞在先はYMCAだから連絡を頼むとお願いし、警察署を出た。その間、ダニーは方々に電話をしていた。彼曰く、該当タクシーを絞り込む為の作業だと云った。 マニラ市内を走る黄色いタクシーは沢山有るがな〜と云うと、少しずつ絞り込んでいけると云う。

当時、フィリピンのタクシーには無線などもない、メーターには大阪タクシーなどと日本語で書いてある。つまり、日本で使用済みとなったタクシーメーターの払い下げの様なメーターを積んで走っている。 いったいどういうノウハウでダニーは絞り込めるのか皆目、見当がつかなかった。 警察署を出た我々は再び市内にバスで向かった。

私は取りあえず、宿の確保をする旨を彼等に伝え、YMCAに向かう事になった。YMCAに入ると顔見知りのフロントの男から怪訝な表情で帰国したんじゃなかったけ? と問われた。事情を話してもう少し厄介になるよと伝えた。YMCAは基本的には宿泊費は毎朝の前払いだったが、日本からの送金があるまで、後払いで泊めて貰いたいと伝え、了承を取った。ドミトリー<相部屋>でもいいかと思っていたが、シングル部屋が空いていると聞いて シングルルームを確保した。 その間もダニーは電話をかけてくると云いながら席を何度か離れた。彼のガールフレンドは英語はほとんど解さない様だった。私が何か言うとダニーに通訳を求めていた。取りあえず、今夜からの寝床を確保した私は気分的にはかなり気楽になった。

ソファーとテーブルが一つしかないロビーの椅子に座って一息ついていた。 ソファには先客がいた。三十代前後と思われる日本人夫婦の様だった。私は軽く会釈をした。やがて ダニーが電話から戻ってきて、今、ケソンシティのタクシー会社に絞り込めた。オーナーが小一時間くらいしたら戻ってくるから連絡をまたこちらからすると話して置いたという。

「どうされました?」夫婦者らしき夫の方が訝しげに尋ねてきた。何となく態度、物腰、雰囲気が教員夫婦という風情だった。教員、公務員等には旅先でもあちこちで遭遇した。長期休暇が民間勤務よりかなり自由に取れるという事だろう。夫婦旅行でYMCAに泊まるのは相当に旅慣れている証拠だ。

「空港に向かうタクシーの中にパスポートから小切手まで置き忘れました」
「まず出てこないでしょうネ。再発行の手続きをした方が探すより速いですな」
「ええ、、日本大使館で取りあえず、再発行の為の作業は済ませてきました。」
「日本人のパスポートは闇で高い価格で売買されるし、犯罪に使われる可能性も高いしね」訳知り風の夫
「そうね、偽造パスポートより本物の場合はパスポートの写真をすり替えるだけだから、変な意味で価値があるのよネ」夫唱婦随の妻、、 夫婦でつまらない事を話し始めた。

「一緒にいるこの胡散臭い男は誰?」とダニーに顔を向ける教員風の夫
「私をヘルプしてくれている友達ですよ、つまらない事は云わない方がいいよ」
「でもなんか怪しげな人よね、、目つきも良くないし、気を付けた方がいいわよ」と教員風の妻
ダニーは我々の会話に聞き耳を立てている様子が垣間見えた。
フィリピン人はとてもプライドが高い。日本には何度も仕事で出かけていると云ってたから、もしかして日本語もある程度解しているかもしれなかった。
私はこの教員風夫婦の口を閉ざしてやりたい衝動に駆られた。
黙って聞いていればネガティブな事ばかり云う感じの悪い夫婦だった。
何のアドバイスにもなっていない。更に思慮浅い事ばかり云う。
一発かましてやるっ  こいつらッ黙らしてやる!
私は思いきり野卑な口調で学校教員風の夫婦に向かって云った。

「金を貸して貰えないかな?そうすればとても助かるんだけどネ、50ドルでも一万円でもいいよ、それからこの男は日本で仕事しているから、あんた達の云った事もおそらく解していると思うよ・・・」

案の定、夫婦は顔を見合わせて、唖然とした顔をしている。この男は初対面の私達に何という事を言い出すんだという表情と気不味そうな表情を交互に浮かべホントに押し黙ってしまった。その様を見たダニーが苦笑いを浮かべ、何事か傍らのガールフレンドにタガログ語で囁くと、今度は彼のガールフレンドが可笑しそうに笑った。日本人夫婦は気まずい雰囲気で黙って席を立っていった。

それと入れ替わる様に玄関のドアから入ってくる男に見覚えがあった。有名商社と極めて良く似た名前の持ち主、I君だった。
バンコックの妖しげ旅社、楽宮ホテルにしがみついていたI君だった。お互いに余りの奇遇に驚いていた。お互いに (ノ゚ο゚)ノ オオオオォォォォォォ-と奇声を上げている。私は彼の姿を見た時、<地獄で仏>という言葉を思い出さずには居られなかった。。私はI君に事の顛末を話し、というわけで金を貸して貰えないかなと頼んだ。彼は今週にも帰国するから、一万円位なら構わないよと云ってくれた。有り難かった。私は自分の強運というか悪運に更なる自信を持った。
取りあえず、これで一週間分の宿と食費は確保が出来た。
聞けば、彼は4日前からここに滞在していたらしい。ベスト・タイミングな遭遇だった。
ダニーも事の顛末に驚いている様子だった。バンコックで一緒だった旅仲間だと説明した。
ちょっとケソンシティのタクシー会社に電話をしてくると、ダニーが言い残して席を立った。やがて電話から戻ったダニーが云う。
「グッドニュースだ!お前のバッグがケソンシティのタクシー会社に届いている!」
「ホントか!? 俺のパスポートもか??」
「ウンッ 間違いないようだ。お前のパスポートの名前を電話の向こうで読み上げたぞ!」  
 「やったッ!!!!有難う!ダニー!!」

一時間後、タクシー会社のオーナー宅で私のカジュアルバッグを受け取る事が出来た。
午前6時頃にタクシー内に置き忘れ、午後6時に私の元に帰ってきた。この12時間の何と長かった事よ・・・

私はタクシー運転手とダニーに自分の気持ちとして御礼をした。
とりわけダニーの尽力には感謝しても足りないほどだった。
更に 思わぬ知遇を得たタクシーオーナー宅の娘と手紙のやり取りをするようになり、二年後には私の妹が友達とのマニラ旅行でこのオーナー家族にとても世話になる。

人の縁は不思議なものだなとつくづく思う。 そして私はいつも何かに導かれているような不思議な運を感じずにはいられなかった。
旅の日々は人の縁、、一期一会の輪廻を感じた。
このピンチをどう乗り越えるか、まるで旅の神様から試されているような長い一日だった。
               The End ・・・・

それにしても不思議なのはダニーがどういう方法で
タクシー会社を絞り込む事が出来たのかということ、、
早朝にYMCAの傍からロハス大通りに出て、黄色いボディカラーの
タクシーに乗ったという事しかインフォメーションは無かった。
ボディに大きく書かれている所属を現す四桁の数字も覚えて
いなかったし、、 黄色いボディカラーを使用しているタクシー会社に
片っ端から電話したのかなあ う〜ん謎、、 

PS- 番外編 、、、 
パスポートが手元に戻った翌朝、私はとても奇妙で不可思議な
体験に遭遇してしまう。 それ以前は、そういうオカルト的な
事は信じないタイプだったが体験した後は、そういうことも
有るんだなと少しは思うようになったものである。

その時の出来事を番外編として次回に載せます。。
             
           あとがき

フィリピン編、及び<旅の日々> これにて完了致しました。ここまで読み続けてくれた皆様、有難うございました。私が二十数年前に旅を続けた日々、詳細を書けたのは当時書き続けたノートの所為に他在りません。そして印象的な出来事や、出逢いは脳裏に深く刻み込まれ私の記憶から離れる事は有りませんでした。いつの日か、自分の旅の日々を書き残したいと長い間、考えていました。
この旅文は<旅の自分史>に他ならないものでした。
帰国後から二十数年を経てネットという当時は考えられない媒体によって、自分の暖めていた思いをこのような媒体を利用し書き残せるようになるとは夢にも思いませんでした。

同行者
一人旅
航空会社
パキスタン航空

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この旅行記へのコメント (9)

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  • ちぐささん 2011/12/08 17:01:45
    はじめまして

     パスポート置忘れ事件のタイトルに魅かれ、続けて読んでしまいました
     20年も前の話、とてもくわしく、書いてありました
     その時の情景が浮かびました、 戻ってきたのも、よかったですね、
     海外では、見つからないのが普通でしょうね、助けてくれた方や
     いい人にもめぐり合えたんですね

     もう何年も前ですが、 私も始めてイタリアに旅した時、添乗員から、
     パスポートのことすごく、言われ盗られたりするからと
     その時は、なにを考えたのか、寝るとき枕の下に入れて次の朝
     出発してしまい、皆さんパスポート大丈夫ですね、と言われ
     初めて気がつき、あおくなりました、10分位走ったと思いますが
     すぐホテルに戻ってもらい、無事パスポートはありました
     今でも思い出すと皆さんに迷惑かけたし、恥ずかしいです
     それからは、何回も海外に行っておりますが、なんの事件も
     ありませんでした、

     ちぐさ

    kio

    kioさん からの返信 2011/12/09 21:37:55
    RE: はじめまして
    ちぐささん  はじめまっして

    マニラチック読んで頂き、合せて 投票まで頂戴しありがとうございます


    >  パスポート置忘れ事件のタイトルに魅かれ、続けて読んでしまいました
    >  20年も前の話、とてもくわしく、書いてありました
    >  その時の情景が浮かびました、


    パスポート捜索中も時系列で事件経過?をノートに書いていました。
    長い長い旅の一番最後だったから、旅のキャリアのお蔭で
    それほど慌てることもなく、パニックになることもなく、
    メモ書きする余裕もあったのかなと思います


    >  その時は、なにを考えたのか、寝るとき枕の下に入れて次の朝
    >  出発してしまい、皆さんパスポート大丈夫ですね、と言われ
    >  初めて気がつき、あおくなりました

    焦りますよね。添乗員、バスが走り始まる前に、パスポートの
    有無をツアー客に尋ねればいいのにね〜(*^_^*)





  • おでぶねこさん 2007/11/15 17:04:05
    宝物。
    パスポート置き忘れ事件。。。
    引き込まれるように読ませていただきました。
    置き忘れたパスポートがもどってきたり、
    素敵な人たちとの出会いがあったり。。。
    本当に『奇跡』ですね。
    これぞ旅の醍醐味。
    何物にも代えられないすばらしい思い出ですね。
    20数年前の出来事と言う事ですがkioさんの文章の
    すばらしさでしょうね。
    『今』起きている出来事のようにハラハラドキドキ。
    ああ、旅をしたなぁ。。。
    一緒にそんな実感を味あわせていただきました。

     ご無事のお帰り何よりでしたね。(*~~*)

     おでぶねこ

    kio

    kioさん からの返信 2007/11/16 21:04:40
    ある意味、宝物かも・・
    おでぶこさん こんばんわ!

    私のお間抜けでお馬鹿の極み<マニラ・パスポート置き忘れ>編を読んで頂き
    投票まで頂戴しありがとうございます。
    正直、悪運の強さを感じたものでした。
    私の長い旅の掉尾を飾るに相応しい集大成のような出来事でした。
    ある意味ではいい経験をしたなと思っています

    <マニラチック・マニラ、パスポート置き忘れ事件のその後>編
    も是非 読んでみてください。
    事件の全貌が判ります(違)

    http://4travel.jp/traveler/kio/album/10030372/
  • ちょめたんさん 2006/05/06 00:13:03
    めでたし、めでたし
    何処に続きがとは思っていました。よかったですね。ここでも出会いが有りましたね、ローマもよかったけれど、いい出会いが多いですね。また続きを見に来ます。

    kio

    kioさん からの返信 2006/05/06 21:14:35
    運、不運は紙一重、、 ちょめたんさんへ
    >何処に続きがとは思っていました。よかったですね。ここでも出会いが有りましたね、ローマもよかったけれど、いい出会いが多いですね。また続きを見に来ます。

    旅先での運、不運は紙一重って感じですよね。
    でも若い時の個人旅行は苦が苦に成り得ない。
    何があっても<へっちゃら〜>って感じですね
    って無事に生還してきたからそんな事を云えるのかもしれませんが(^-^;

    やはり運、不運は紙一重だな


  • SUR SHANGHAIさん 2006/02/07 01:15:40
    いい話だな〜 (ToT)
    脱出していた上海に戻ってきました。
    留守中の書き込み、ありがとうございます。m(__)m

    この旅行記はちりばめられた人間模様がドラマですね〜。映画にもなりますね〜。
    泣けちゃう話です。一票!

    kio

    kioさん からの返信 2006/02/07 22:38:16
    RE: いい話ですかぁ〜?(*^o^*) SUR SHANGHAIさん he
    <強運という名の悪運の強さ 我にありて >編に投票頂いたんですねぇ(*^_^*)

    長〜いアンポンタンな日々を過ごしたバックパッカーな旅の最後を
    飾るに相応しいやっぱりアンポンタンなパスポート紛失の顛末話でした。(^-^;

    パスポートが戻ってきて、遅い時間にもかかわらずYMCAに戻って
    すぐにその日、一日の全てをベッドで詳細に旅ノートに
    メモ書きしたものでした(*^_^*)
    そんな事などせずにさっさと寝ないから
    翌朝に訳の判らぬ

    kio

    kioさん からの返信 2006/02/07 22:50:29
    RE: RE: いい話ですかぁ〜?2 (*^o^*) SUR SHANGHAIさん へ 続く
    書き込み途中で途切れたぁ(爆)

    そんな事せずにさっさと寝ないから
    訳の判らぬ怪しげな体験をしてしまうんですよね 多分?

    arfaさん曰く これって何万人に一人というレベルの体験みたいっす(^-^;
    死神が魂をちょん切ってしまえば戻れないとか( ̄□ ̄;)!!
    水木しげるの妖怪話を想起しますね げげげのkio太郎(*^o^*)


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