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<2000年5月3日(水)> <br /><br /> フェリーターミナルは9時頃でないと開かないと分かっていましたが、万一、当日券が売り切れては大変なので、早めに並ぶ事にしました。宿から見ると、沢山の観光バスが駐車されていましたので、少しあせりました。出航の送りの車だけではなく、到着便の出迎えの車もあるようにと、願いました。<br /> 昨日の願いが通じたのか、風もそんなに強くはなく、海もそれなりに治まってきたようです。しかし、『天気晴朗なれど、波高し』の日本海です。油断はできません。<br /><br /><ポハンの港><br /> ポハンの港では、大分待ち時間がありました。それでも無事切符が手に入りましたので、さほど苦にはならない時間です。多くの時間を、待合室の外に張ってあったテントの中の腰掛で過ごしました。そこには自動小銃のような、相当に威力がありそうな火器を傍らに置いた若い兵士2人も座っていました。休暇中と思われる兵士も、勤務中と思われる兵士も軍服を着ていますので、なかなか判断が難しいものです。<br /> 暫く待ったところで、日本語が達者な、30代と思われる韓国の方が寄ってきて、話し掛けてくれました。後で交換した名刺には、財閥系の大会社、三星(サムスン)に勤められているヨン・ジー・パークさんのお名前がありました。そのヨンさんは、<br /><br /> 「昨日出航しましたが、1時間ほど航海したところで、波の高さが3m余りになり、引き返してきました」<br /><br /> 「今日も波が高くなったら、引き返すかも知れませんよ。そうしたら、私はウルルンドへの出張を取り止めます」<br /><br /> との話でした。<br /><br /> 「ウルルンドは初めてです。折角の機会ですから家族を連れてきました」<br /><br /> ともお聞きしました。そのお話の後で、小学5年生のお嬢さんが顔を出されました。学制は、日本と同じ6・3・3制です。奥さんもご一緒でした。<br /><br /> 「学校を休ませました。父親と一緒に旅行する時は、許可がもらえます」<br /><br /> と、ヨンさんは教えてくれました。<br /><br /><ウルルンドへの船旅><br /> 車は積めないものの、800人乗りという、結構大きな船でした。スタイルも抜群です。後ろから見ますと、双胴構造の快速船です。『乗り心地もさぞや』と思ったのが間違いでした。散々、船酔いに苦しめられました。船酔いは今回が初めての経験でした。<br /> 出航するや否や、みんな一斉に後方に向かいましたので、こちらもその後に続きました。そこは全面透明の覆いが付いたサンルームのようなデッキでした。椅子とテーブルが用意されていました。みんな椅子だけをこの部屋の縁に移動して、回りの景色を眺めるのが目的でした。暫くは、出航したポハンの港や、それに続く韓半島が見えていましたが、やがて春霞に消されるように、後方に消え去っていきました。<br /> ヨンさんもデッキに出てきて、暫くは4人で雑談していました。出航して1時間もすると、次第にうねりが大きくなってきました。<br /><br /> 「昨日は、1時間位走って、この辺りから引っ返したんですよ」<br /><br /> と、ヨンさんが説明してくれました。<br /><br /> 「今日のうねりだと、無事に島に着けるかどう、まだ分かりませんね」<br /><br /> とも解説してくれました。船酔いが襲ってきたのは、出航して2時間ほど経ってからです。デッキや通路のあちらこちらで、船酔いに苦しんでいる人を見かけました。<br /> まだその時は、『自分は大丈夫』とタカをくくっていました。しかし、席へ戻ろうとして、苦労をしました。揺れのために歩行がままならず、あっちこっちに捕まりながら席へ戻ったのが、いけなかったようです。不覚をとりました。タオルが身近にありましたので、まだ良かったですが、『外洋ではエチケット袋が不可欠』なことを悟りました。<br /><br /><ウルルンド到着><br /> 船酔いのせいで、席で大人しくしていますと、『島が見えてきた』と言う声があがりました。早くも外に出て、カメラを構えている人もいました。私も左側の窓際に寄って写真を撮りました。船酔いで苦しめられただけに、待望の島影です。<br /> お酒の時の二日酔いと違って、船酔いは不思議です。陸へ上がってしまうと、全くダメージは残っていません。少し腹が減っただけです。<br /> 島に上がると、全員タスキを掛けた小学生くらいの子供達が出迎えてくれました。道路の両脇に整列して、みんなにお辞儀をしていましたので、我々も歓迎された内にはいっていたようです。後で思い起こしてみますと、この島は観光が最大の資源のようであり、小さい頃から、そのことを教えている風でもありました。しかし、これは私の単なる推測に過ぎません。<br /> 宿案内の小旗を持って大勢の人が出迎えていましたが、我々はこれからが宿探しです。ヨンさんの家族も、同じようでした。往きと帰りの切符だけを手に入れて、宿は現地調達の家族旅行のようでした。<br /> 私達のメンバーは、宿を探すまでもなく、向こうからやってきました。宿の若奥さんらしき人が、『うちに泊まりなさい。日本語の分かる旦那がうちにはいます』と言った具合に、我々を宿に案内してくれました。歩いて行ける距離ですが、結構急な坂を上っていきました。5分ほど歩いて、派出所の横を左に上がると、すぐ近くにその民宿はありました。<br /> 一人当たり3万ウォンと一部屋3万ウォンを間違えて差し出しました。ら、慌てて若旦那さんが、<br /><br /> 「全部で3万ウォンです」<br /><br /> と言って、余分な金を返してくれました。後でお聞きした話ですが、<br /><br /> 「この島に無いものが3つ有ります。その1つが泥棒です」<br /><br /> と言った、島の暮らしぶりが窺える最初の体験でした。<br /><br /><4WDのタクシー><br /> この若旦那は、運転手も兼ねていました。<br /><br /> 「4時間コースで島の全部を案内します」<br /><br /> 「12万ウォンですが、危険な山道や間道を通りますので、高くありません。是非使って下さい」<br /><br /> と、勧められました。日本円に換算しますと、1人当たり4千円です。いつ又訪れることができるか知れませので、案内を頼むことにしました。<br /> 交渉が成立しますと、<br /><br /> 「先に交番の所でエンジンを掛けて待っています」<br /><br /> と言って、喜んで宿を飛び出していきました。そのタクシーは4WD車でした。予め<br /><br /> 「世界一危険なところを通ります。普通の車では通れません」<br /><br /> と聞いていましたので、なるほどと思いましたが、4WDのタクシーに乗ったのは、今回が初めての経験でした。<br /> 若旦那は大学を出た後、陸地(半島のこと)で働いていましたが、民宿をやるので、奥さんを連れて帰ってきたと話してくれました。<br /><br /> 「日本語を使わなくなって15年近くなりましたので、今は少し下手になりました」<br /><br /> と、謙遜されていましたが、観光案内に全く言葉の不自由の無いレベルの日本語でした。<br /> 島の道路はまだ完成していない箇所があり、そこからは山道に入ったり、Uターンしました。『世界一危険な道路』は、実際に通ってみて実感できました。<br /><br /> 「最近は50cmほどですが、冬は3mの雪が積ることもあります」<br /><br /> といった山道は、とても冬場に通れるものではありません。若旦那は、冬に、一番危険なところを通過する時、<br /><br /> 「お客さんは降りて歩いて通りました。私だけが車に乗って通りました」<br /><br /> とエピソードを語ってくれました。そのことが容易に想像できる険しさでした。『狭く、勾配が急で、しかもカーブがきつく、恐ろしい崖付き』ときています。<br /> 出発が遅かったので、昼食を摂ることができませんでした。お菓子とバナナ1本で我慢しました。どうやら、若旦那の作戦でもあるらしいようでした。途中、外輪山の中にある店に電話して、食事を頼んでいました。そのお店で、山菜ビビンバを食べることになりました。結局、17時を回っていて、昼食兼夕食となりました。<br /> この外輪山は、九州の阿蘇山を連想させました。茶店と言うかレストランと形容しようか、昼食を摂った店から見渡しますと、周りはすべて山でした。阿蘇山の外輪山を少し小型にしたような景観です。<br /><br /> 「あそこを見てください。雪渓です」<br /><br /> と言う若旦那の指差す方を見ると、さほど高くはないのに、新緑の中に雪渓が幾筋か残っていました。先ほどの『3mの雪が積もります』と言う言葉が、真実味を持って迫ってきました。<br /> 外輪山に囲まれた盆地に保存された昔ながらの住居は、ログハウスを覆って2重の構造となっていました。冬は二重構造の間が通路になり、『入り口はすべて雪で閉ざされます』とお聞きしました。厳しい冬への備えです。<br /><br /><夜の散策><br /> 少し暗くなってから、揃って港付近を散策しました。桟橋付近では市が立っており、この島の特産の薬草や、海産物を売っていました。その場にヨンさんも現れて、<br /><br /> 「海鼠(ナマコ)をここで刺身にして貰って、向こうの店で食べました」<br /><br /> 「一人でチンロを1本飲みました。それで、すっかり気持よくなってしまいました」<br /><br /> と、笑って話されました。顔は少し赤くなっていましたが、ヨンさんは、結構いける口のようです。ご家族一緒で、そのうち奥さんや、娘さんも顔を出されました。<br /> 時間がたっぷりありましたので、照明が点いた海岸端を歩きました。岩肌を削って作った細い通路です。照明が無い奥まで続いていました。その先は、昼間でないと、ちょっと、しり込みしてしまうような険しさです。<br /> アップダウンも相当にありました。それでもステンレス製の手すりが完備しており、歩き易くなっていました。道路の取付けのところには、施錠できる扉があり、夜遅くなれば、締め切ってしまうようです。転落事故防止のためでしょう。<br /> ヨンさんとは、あちこちの店先を覗きながら、話をしました。それとなくこちらを気遣ってくれているようで、嬉しいことでした。<br /><br /> 「私は、明日仕事なので、二人には、島巡りの遊覧船に乗るよう言ってあります」<br /><br /> と、予定を説明してくれました。<br /><br /><ウルルンド紹介><br /> メモした紙が無くなりましたので、記憶だけで紹介します。若旦那にお聞きしたウルルンドの概況は、人口1万人、車1千台、小学校9校、中学校5校、高校1校です。思ったより人口が多く、学校も多いようです。いくつかの小学校の横を通りましたが、日本でいえば、分校クラスのものが多いようです。<br /> また、沢山あるものと、無いものを紹介してくれました。沢山あるものとは木、水と薬草、美人等です。5つほど教えてもらいました。木は、火山で生成された島にしては不思議な気がしますが、白檀の名産地です。このことは、白檀加工製品を販売していたお土産店のご年配のご主人からも、お聞きしました。<br /><br /> 「昔から島根県に輸出しています。香りがいいので、お香としても使えます」<br /><br /> と、穏やかな話しぶりの日本語で教えて戴きました。白檀の加工製品は、家具類のほかにお土産用として、孫の手、櫛、肩叩きなどが並べられていました。袋詰や無造作に括った線香代わりの束もありました。店先の木工用旋盤で実演している店もありました。さすがに木屑から白檀の芳香が漂っていました。うなぎ店の煙と同じような効果があるかも知れません。<br /> 水は全島が岩山であり、木も多く茂っているので納得できました。問題は「美人」です。私の結論から紹介すれば、『かかあ天下』の証明のような気がします。『よそから来た人には、そう言いなさい』と後ろから操られているではないでしょうか?実際に確認したわけではありませんから、責任は持てません。<br /> 無いものの3つは、蛇と泥棒、もう1つは忘れてしまいました。海岸が砂ではなく、砂利でしたので、砂であったような気がします。こちらはそれなりに納得がいきます。公害も無いとお聞きした気もします。<br /> この島には、熱心なキリスト教信者が多いらしく、至る所で、教会が目に付きました。それも、小さな集落でさえ、3つも4つも教会が点在しています。 どうやら、幾つもの小さな宗派に分かれているようです。立派な教会や、村の集会所といった感じの質素な協会もありました。少ないながら、お寺も有るといいます。こちらはキリスト教のようには、信仰されていないようです。<br /> <br /><br />  浦項(ポハン)の宿にて<br /> 香る風部屋に取込み旅の宿<br /><br /> オンドルの温み微に春の宿<br /><br /> 春の海荒じと願う宿の朝 <br /><br />  ウルルンドへ向かうフェリーにて<br /> 春の海消ぬ波濤に白き鳥<br /><br /> 五月晴波高くして島遠し<br /><br /> 島影に酔を忘るる春霞<br /><br /> 若草が化粧となりし岩の島<br /><br />  ウルルンドへ着いて <br /> 春の海しぶきを避けて鳥の宿<br /><br /> レリーフを刻み溶岩山萌る<br /><br /> お辞儀して子らが迎える島の春<br /><br />  ウルルンドの島巡りにて<br /> 雪渓を残し麓の草萌ゆる<br /><br /> 黄海老根の鉢置かれたる石畳<br /><br /> 島岬染めて春日は落ちにけり<br /><br />  ウルルンドの民宿にて<br /> 春蘭の窓辺で香る島の朝

2000春、韓国紀行7(4):5月3日:ポハンからウルルンへ、予約なしで宿探し、車を借り切ってウルルンド周遊

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2000/05/01 - 2000/05/08

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

<2000年5月3日(水)> 

 フェリーターミナルは9時頃でないと開かないと分かっていましたが、万一、当日券が売り切れては大変なので、早めに並ぶ事にしました。宿から見ると、沢山の観光バスが駐車されていましたので、少しあせりました。出航の送りの車だけではなく、到着便の出迎えの車もあるようにと、願いました。
 昨日の願いが通じたのか、風もそんなに強くはなく、海もそれなりに治まってきたようです。しかし、『天気晴朗なれど、波高し』の日本海です。油断はできません。

<ポハンの港>
 ポハンの港では、大分待ち時間がありました。それでも無事切符が手に入りましたので、さほど苦にはならない時間です。多くの時間を、待合室の外に張ってあったテントの中の腰掛で過ごしました。そこには自動小銃のような、相当に威力がありそうな火器を傍らに置いた若い兵士2人も座っていました。休暇中と思われる兵士も、勤務中と思われる兵士も軍服を着ていますので、なかなか判断が難しいものです。
 暫く待ったところで、日本語が達者な、30代と思われる韓国の方が寄ってきて、話し掛けてくれました。後で交換した名刺には、財閥系の大会社、三星(サムスン)に勤められているヨン・ジー・パークさんのお名前がありました。そのヨンさんは、

 「昨日出航しましたが、1時間ほど航海したところで、波の高さが3m余りになり、引き返してきました」

 「今日も波が高くなったら、引き返すかも知れませんよ。そうしたら、私はウルルンドへの出張を取り止めます」

 との話でした。

 「ウルルンドは初めてです。折角の機会ですから家族を連れてきました」

 ともお聞きしました。そのお話の後で、小学5年生のお嬢さんが顔を出されました。学制は、日本と同じ6・3・3制です。奥さんもご一緒でした。

 「学校を休ませました。父親と一緒に旅行する時は、許可がもらえます」

 と、ヨンさんは教えてくれました。

<ウルルンドへの船旅>
 車は積めないものの、800人乗りという、結構大きな船でした。スタイルも抜群です。後ろから見ますと、双胴構造の快速船です。『乗り心地もさぞや』と思ったのが間違いでした。散々、船酔いに苦しめられました。船酔いは今回が初めての経験でした。
 出航するや否や、みんな一斉に後方に向かいましたので、こちらもその後に続きました。そこは全面透明の覆いが付いたサンルームのようなデッキでした。椅子とテーブルが用意されていました。みんな椅子だけをこの部屋の縁に移動して、回りの景色を眺めるのが目的でした。暫くは、出航したポハンの港や、それに続く韓半島が見えていましたが、やがて春霞に消されるように、後方に消え去っていきました。
 ヨンさんもデッキに出てきて、暫くは4人で雑談していました。出航して1時間もすると、次第にうねりが大きくなってきました。

 「昨日は、1時間位走って、この辺りから引っ返したんですよ」

 と、ヨンさんが説明してくれました。

 「今日のうねりだと、無事に島に着けるかどう、まだ分かりませんね」

 とも解説してくれました。船酔いが襲ってきたのは、出航して2時間ほど経ってからです。デッキや通路のあちらこちらで、船酔いに苦しんでいる人を見かけました。
 まだその時は、『自分は大丈夫』とタカをくくっていました。しかし、席へ戻ろうとして、苦労をしました。揺れのために歩行がままならず、あっちこっちに捕まりながら席へ戻ったのが、いけなかったようです。不覚をとりました。タオルが身近にありましたので、まだ良かったですが、『外洋ではエチケット袋が不可欠』なことを悟りました。

<ウルルンド到着>
 船酔いのせいで、席で大人しくしていますと、『島が見えてきた』と言う声があがりました。早くも外に出て、カメラを構えている人もいました。私も左側の窓際に寄って写真を撮りました。船酔いで苦しめられただけに、待望の島影です。
 お酒の時の二日酔いと違って、船酔いは不思議です。陸へ上がってしまうと、全くダメージは残っていません。少し腹が減っただけです。
 島に上がると、全員タスキを掛けた小学生くらいの子供達が出迎えてくれました。道路の両脇に整列して、みんなにお辞儀をしていましたので、我々も歓迎された内にはいっていたようです。後で思い起こしてみますと、この島は観光が最大の資源のようであり、小さい頃から、そのことを教えている風でもありました。しかし、これは私の単なる推測に過ぎません。
 宿案内の小旗を持って大勢の人が出迎えていましたが、我々はこれからが宿探しです。ヨンさんの家族も、同じようでした。往きと帰りの切符だけを手に入れて、宿は現地調達の家族旅行のようでした。
 私達のメンバーは、宿を探すまでもなく、向こうからやってきました。宿の若奥さんらしき人が、『うちに泊まりなさい。日本語の分かる旦那がうちにはいます』と言った具合に、我々を宿に案内してくれました。歩いて行ける距離ですが、結構急な坂を上っていきました。5分ほど歩いて、派出所の横を左に上がると、すぐ近くにその民宿はありました。
 一人当たり3万ウォンと一部屋3万ウォンを間違えて差し出しました。ら、慌てて若旦那さんが、

 「全部で3万ウォンです」

 と言って、余分な金を返してくれました。後でお聞きした話ですが、

 「この島に無いものが3つ有ります。その1つが泥棒です」

 と言った、島の暮らしぶりが窺える最初の体験でした。

<4WDのタクシー>
 この若旦那は、運転手も兼ねていました。

 「4時間コースで島の全部を案内します」

 「12万ウォンですが、危険な山道や間道を通りますので、高くありません。是非使って下さい」

 と、勧められました。日本円に換算しますと、1人当たり4千円です。いつ又訪れることができるか知れませので、案内を頼むことにしました。
 交渉が成立しますと、

 「先に交番の所でエンジンを掛けて待っています」

 と言って、喜んで宿を飛び出していきました。そのタクシーは4WD車でした。予め

 「世界一危険なところを通ります。普通の車では通れません」

 と聞いていましたので、なるほどと思いましたが、4WDのタクシーに乗ったのは、今回が初めての経験でした。
 若旦那は大学を出た後、陸地(半島のこと)で働いていましたが、民宿をやるので、奥さんを連れて帰ってきたと話してくれました。

 「日本語を使わなくなって15年近くなりましたので、今は少し下手になりました」

 と、謙遜されていましたが、観光案内に全く言葉の不自由の無いレベルの日本語でした。
 島の道路はまだ完成していない箇所があり、そこからは山道に入ったり、Uターンしました。『世界一危険な道路』は、実際に通ってみて実感できました。

 「最近は50cmほどですが、冬は3mの雪が積ることもあります」

 といった山道は、とても冬場に通れるものではありません。若旦那は、冬に、一番危険なところを通過する時、

 「お客さんは降りて歩いて通りました。私だけが車に乗って通りました」

 とエピソードを語ってくれました。そのことが容易に想像できる険しさでした。『狭く、勾配が急で、しかもカーブがきつく、恐ろしい崖付き』ときています。
 出発が遅かったので、昼食を摂ることができませんでした。お菓子とバナナ1本で我慢しました。どうやら、若旦那の作戦でもあるらしいようでした。途中、外輪山の中にある店に電話して、食事を頼んでいました。そのお店で、山菜ビビンバを食べることになりました。結局、17時を回っていて、昼食兼夕食となりました。
 この外輪山は、九州の阿蘇山を連想させました。茶店と言うかレストランと形容しようか、昼食を摂った店から見渡しますと、周りはすべて山でした。阿蘇山の外輪山を少し小型にしたような景観です。

 「あそこを見てください。雪渓です」

 と言う若旦那の指差す方を見ると、さほど高くはないのに、新緑の中に雪渓が幾筋か残っていました。先ほどの『3mの雪が積もります』と言う言葉が、真実味を持って迫ってきました。
 外輪山に囲まれた盆地に保存された昔ながらの住居は、ログハウスを覆って2重の構造となっていました。冬は二重構造の間が通路になり、『入り口はすべて雪で閉ざされます』とお聞きしました。厳しい冬への備えです。

<夜の散策>
 少し暗くなってから、揃って港付近を散策しました。桟橋付近では市が立っており、この島の特産の薬草や、海産物を売っていました。その場にヨンさんも現れて、

 「海鼠(ナマコ)をここで刺身にして貰って、向こうの店で食べました」

 「一人でチンロを1本飲みました。それで、すっかり気持よくなってしまいました」

 と、笑って話されました。顔は少し赤くなっていましたが、ヨンさんは、結構いける口のようです。ご家族一緒で、そのうち奥さんや、娘さんも顔を出されました。
 時間がたっぷりありましたので、照明が点いた海岸端を歩きました。岩肌を削って作った細い通路です。照明が無い奥まで続いていました。その先は、昼間でないと、ちょっと、しり込みしてしまうような険しさです。
 アップダウンも相当にありました。それでもステンレス製の手すりが完備しており、歩き易くなっていました。道路の取付けのところには、施錠できる扉があり、夜遅くなれば、締め切ってしまうようです。転落事故防止のためでしょう。
 ヨンさんとは、あちこちの店先を覗きながら、話をしました。それとなくこちらを気遣ってくれているようで、嬉しいことでした。

 「私は、明日仕事なので、二人には、島巡りの遊覧船に乗るよう言ってあります」

 と、予定を説明してくれました。

<ウルルンド紹介>
 メモした紙が無くなりましたので、記憶だけで紹介します。若旦那にお聞きしたウルルンドの概況は、人口1万人、車1千台、小学校9校、中学校5校、高校1校です。思ったより人口が多く、学校も多いようです。いくつかの小学校の横を通りましたが、日本でいえば、分校クラスのものが多いようです。
 また、沢山あるものと、無いものを紹介してくれました。沢山あるものとは木、水と薬草、美人等です。5つほど教えてもらいました。木は、火山で生成された島にしては不思議な気がしますが、白檀の名産地です。このことは、白檀加工製品を販売していたお土産店のご年配のご主人からも、お聞きしました。

 「昔から島根県に輸出しています。香りがいいので、お香としても使えます」

 と、穏やかな話しぶりの日本語で教えて戴きました。白檀の加工製品は、家具類のほかにお土産用として、孫の手、櫛、肩叩きなどが並べられていました。袋詰や無造作に括った線香代わりの束もありました。店先の木工用旋盤で実演している店もありました。さすがに木屑から白檀の芳香が漂っていました。うなぎ店の煙と同じような効果があるかも知れません。
 水は全島が岩山であり、木も多く茂っているので納得できました。問題は「美人」です。私の結論から紹介すれば、『かかあ天下』の証明のような気がします。『よそから来た人には、そう言いなさい』と後ろから操られているではないでしょうか?実際に確認したわけではありませんから、責任は持てません。
 無いものの3つは、蛇と泥棒、もう1つは忘れてしまいました。海岸が砂ではなく、砂利でしたので、砂であったような気がします。こちらはそれなりに納得がいきます。公害も無いとお聞きした気もします。
 この島には、熱心なキリスト教信者が多いらしく、至る所で、教会が目に付きました。それも、小さな集落でさえ、3つも4つも教会が点在しています。 どうやら、幾つもの小さな宗派に分かれているようです。立派な教会や、村の集会所といった感じの質素な協会もありました。少ないながら、お寺も有るといいます。こちらはキリスト教のようには、信仰されていないようです。
 

  浦項(ポハン)の宿にて
 香る風部屋に取込み旅の宿

 オンドルの温み微に春の宿

 春の海荒じと願う宿の朝 

  ウルルンドへ向かうフェリーにて
 春の海消ぬ波濤に白き鳥

 五月晴波高くして島遠し

 島影に酔を忘るる春霞

 若草が化粧となりし岩の島

  ウルルンドへ着いて 
 春の海しぶきを避けて鳥の宿

 レリーフを刻み溶岩山萌る

 お辞儀して子らが迎える島の春

  ウルルンドの島巡りにて
 雪渓を残し麓の草萌ゆる

 黄海老根の鉢置かれたる石畳

 島岬染めて春日は落ちにけり

  ウルルンドの民宿にて
 春蘭の窓辺で香る島の朝

交通手段
鉄道 高速・路線バス タクシー
  • 浦項(ポハン)のフェリーターミナルです。ここで、サムスンのヨンさん一家にお会いしました。出航まで、長い待ち時間がありました。

    浦項(ポハン)のフェリーターミナルです。ここで、サムスンのヨンさん一家にお会いしました。出航まで、長い待ち時間がありました。

  • サンフラワー、ひまわり号の後姿です。いかにも高速艇らしい雰囲気が漂っています。白地をベースに2色の青と赤い線があります。

    サンフラワー、ひまわり号の後姿です。いかにも高速艇らしい雰囲気が漂っています。白地をベースに2色の青と赤い線があります。

  • 浦項のフェリーポート近くの観光案内版です。海岸線いっぱいに海水浴場の印が付いています。海産物が名産品になっているようです。

    浦項のフェリーポート近くの観光案内版です。海岸線いっぱいに海水浴場の印が付いています。海産物が名産品になっているようです。

  • 浦項のフェリーポートの室内に掲示してあった料金表などです。

    浦項のフェリーポートの室内に掲示してあった料金表などです。

  • 桟橋に係留されていた高速船の光景です。

    桟橋に係留されていた高速船の光景です。

  • 微かに見える対岸は、浦項の製鉄所群です。昨晩も煌々と明かりが点いていました。世界でも有数な製鉄所です。

    微かに見える対岸は、浦項の製鉄所群です。昨晩も煌々と明かりが点いていました。世界でも有数な製鉄所です。

  • サンフラワー号の船内です。この船で、初めて船酔いを経験しました。波が高かったことと、波を切って走る、高速艇のためだったようです。

    サンフラワー号の船内です。この船で、初めて船酔いを経験しました。波が高かったことと、波を切って走る、高速艇のためだったようです。

  • 鬱陵島に渡る高速フェリーの中から眺めた、白い功績の光景です。他に見えるのは水平線だけです。

    鬱陵島に渡る高速フェリーの中から眺めた、白い功績の光景です。他に見えるのは水平線だけです。

  • 船酔いに苦しめられ、本当に、やっと見えてきたウルルンドの島影です。船内から歓声が上がりました。これで、船酔いも吹っ飛びました。

    船酔いに苦しめられ、本当に、やっと見えてきたウルルンドの島影です。船内から歓声が上がりました。これで、船酔いも吹っ飛びました。

  • ウルルンドに降り立っての岬の遠景です。海岸道路はそれなりに整備してありました。作業服を着て、早朝から掃除をする人達を見かけました。

    ウルルンドに降り立っての岬の遠景です。海岸道路はそれなりに整備してありました。作業服を着て、早朝から掃除をする人達を見かけました。

  • 垂直に切り立った、鬱陵島の桟橋近くの海岸光景です。

    垂直に切り立った、鬱陵島の桟橋近くの海岸光景です。

  • 世界地図に例えられた岩です。車の横の黄色いペンキは、ウルルンドを示しています。車から降りて見学しました。

    世界地図に例えられた岩です。車の横の黄色いペンキは、ウルルンドを示しています。車から降りて見学しました。

  • そのガイド兼運転手さんは、写真の一番左側です。今度は私がカメラマンになって撮影しました。ウルルンドが故郷の方です。

    そのガイド兼運転手さんは、写真の一番左側です。今度は私がカメラマンになって撮影しました。ウルルンドが故郷の方です。

  • 宿の若旦那でもあるガイド兼運転手さんが、景色のいい場所へ差し掛かると、その都度、車を止めてくれました。記念写真を撮るためです。

    宿の若旦那でもあるガイド兼運転手さんが、景色のいい場所へ差し掛かると、その都度、車を止めてくれました。記念写真を撮るためです。

  • 集落ごとに、屋根に十字架が付いた教会は沢山見ましたが、川の対岸に、珍しくお寺がありました。この島では、仏教はマイナーなようです。

    集落ごとに、屋根に十字架が付いた教会は沢山見ましたが、川の対岸に、珍しくお寺がありました。この島では、仏教はマイナーなようです。

  • この島は、一組の若いカップルから始まったとされます。それをお祭りしたお堂です。聖霊神堂の額が掛かっていました。

    この島は、一組の若いカップルから始まったとされます。それをお祭りしたお堂です。聖霊神堂の額が掛かっていました。

  • お堂の中には、可愛らしいカップルの像がありました。ガイド兼、運転手さんがその謂れを説明してくれました。島の草創に関する物語でした。

    お堂の中には、可愛らしいカップルの像がありました。ガイド兼、運転手さんがその謂れを説明してくれました。島の草創に関する物語でした。

  • シートの上に山菜を干しているところです。ビビンバなどに使われると、お聞きしました。島の特産品とも、お聞きしました。

    シートの上に山菜を干しているところです。ビビンバなどに使われると、お聞きしました。島の特産品とも、お聞きしました。

  • 風力発電の設備概要を記した看板です。写真は別の箇所のものです。600kWの出力等の文字が見えます。島では重要な発電設備でしょう。

    風力発電の設備概要を記した看板です。写真は別の箇所のものです。600kWの出力等の文字が見えます。島では重要な発電設備でしょう。

  • 風力発電の大プロペラです。微風で、ほとんど停止状態でした。風速4mから20m/秒以内で稼動するようです。

    風力発電の大プロペラです。微風で、ほとんど停止状態でした。風速4mから20m/秒以内で稼動するようです。

  • 韓国電力公社の水力発電所の看板です。島には2箇所あると聞きました。火力発電所は設置されていないようです。

    韓国電力公社の水力発電所の看板です。島には2箇所あると聞きました。火力発電所は設置されていないようです。

  • 水力発電所の中に設置された発電機です。開け放しで、誰も見えませんでしたから、写真を撮らせてもらいました。

    水力発電所の中に設置された発電機です。開け放しで、誰も見えませんでしたから、写真を撮らせてもらいました。

  • 鬱陵島の海岸線の光景です。険しい海岸線の光景でした。

    鬱陵島の海岸線の光景です。険しい海岸線の光景でした。

  • この場所は、岩の間から見える、海に浮かんだ細長い岩が見所です。ジャンケンポンの名前の島もありました。

    この場所は、岩の間から見える、海に浮かんだ細長い岩が見所です。ジャンケンポンの名前の島もありました。

  • 海岸から離れて、山側に来ました。ログハウスの入口です。中にもう一つの建屋があり、二重構造になっていました。厳冬対策です。

    海岸から離れて、山側に来ました。ログハウスの入口です。中にもう一つの建屋があり、二重構造になっていました。厳冬対策です。

  • 英文の方は、『ログ・ハウス』のタイトルがあった説明パネルの光景です。『ログ』とは、樹木の幹や枝をシンプルに切り出したものを指し、これを主要な構造材として使用した家屋・建築物がログハウスです。

    英文の方は、『ログ・ハウス』のタイトルがあった説明パネルの光景です。『ログ』とは、樹木の幹や枝をシンプルに切り出したものを指し、これを主要な構造材として使用した家屋・建築物がログハウスです。

  • 明かりが少なかった、ウルルンドの波止場付近の夜景です。

    明かりが少なかった、ウルルンドの波止場付近の夜景です。

  • ウルルンドの波止場付近の夜景です。中央付近の時計が、9時半頃を指しています。遠くには、微かに山並みが見えます。

    ウルルンドの波止場付近の夜景です。中央付近の時計が、9時半頃を指しています。遠くには、微かに山並みが見えます。

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2000春、韓国旅行記7

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