2000/05/01 - 2000/05/08
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旅人のくまさんさん
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<2000年5月3日(水)>
フェリーターミナルは9時頃でないと開かないと分かっていましたが、万一、当日券が売り切れては大変なので、早めに並ぶ事にしました。宿から見ると、沢山の観光バスが駐車されていましたので、少しあせりました。出航の送りの車だけではなく、到着便の出迎えの車もあるようにと、願いました。
昨日の願いが通じたのか、風もそんなに強くはなく、海もそれなりに治まってきたようです。しかし、『天気晴朗なれど、波高し』の日本海です。油断はできません。
<ポハンの港>
ポハンの港では、大分待ち時間がありました。それでも無事切符が手に入りましたので、さほど苦にはならない時間です。多くの時間を、待合室の外に張ってあったテントの中の腰掛で過ごしました。そこには自動小銃のような、相当に威力がありそうな火器を傍らに置いた若い兵士2人も座っていました。休暇中と思われる兵士も、勤務中と思われる兵士も軍服を着ていますので、なかなか判断が難しいものです。
暫く待ったところで、日本語が達者な、30代と思われる韓国の方が寄ってきて、話し掛けてくれました。後で交換した名刺には、財閥系の大会社、三星(サムスン)に勤められているヨン・ジー・パークさんのお名前がありました。そのヨンさんは、
「昨日出航しましたが、1時間ほど航海したところで、波の高さが3m余りになり、引き返してきました」
「今日も波が高くなったら、引き返すかも知れませんよ。そうしたら、私はウルルンドへの出張を取り止めます」
との話でした。
「ウルルンドは初めてです。折角の機会ですから家族を連れてきました」
ともお聞きしました。そのお話の後で、小学5年生のお嬢さんが顔を出されました。学制は、日本と同じ6・3・3制です。奥さんもご一緒でした。
「学校を休ませました。父親と一緒に旅行する時は、許可がもらえます」
と、ヨンさんは教えてくれました。
<ウルルンドへの船旅>
車は積めないものの、800人乗りという、結構大きな船でした。スタイルも抜群です。後ろから見ますと、双胴構造の快速船です。『乗り心地もさぞや』と思ったのが間違いでした。散々、船酔いに苦しめられました。船酔いは今回が初めての経験でした。
出航するや否や、みんな一斉に後方に向かいましたので、こちらもその後に続きました。そこは全面透明の覆いが付いたサンルームのようなデッキでした。椅子とテーブルが用意されていました。みんな椅子だけをこの部屋の縁に移動して、回りの景色を眺めるのが目的でした。暫くは、出航したポハンの港や、それに続く韓半島が見えていましたが、やがて春霞に消されるように、後方に消え去っていきました。
ヨンさんもデッキに出てきて、暫くは4人で雑談していました。出航して1時間もすると、次第にうねりが大きくなってきました。
「昨日は、1時間位走って、この辺りから引っ返したんですよ」
と、ヨンさんが説明してくれました。
「今日のうねりだと、無事に島に着けるかどう、まだ分かりませんね」
とも解説してくれました。船酔いが襲ってきたのは、出航して2時間ほど経ってからです。デッキや通路のあちらこちらで、船酔いに苦しんでいる人を見かけました。
まだその時は、『自分は大丈夫』とタカをくくっていました。しかし、席へ戻ろうとして、苦労をしました。揺れのために歩行がままならず、あっちこっちに捕まりながら席へ戻ったのが、いけなかったようです。不覚をとりました。タオルが身近にありましたので、まだ良かったですが、『外洋ではエチケット袋が不可欠』なことを悟りました。
<ウルルンド到着>
船酔いのせいで、席で大人しくしていますと、『島が見えてきた』と言う声があがりました。早くも外に出て、カメラを構えている人もいました。私も左側の窓際に寄って写真を撮りました。船酔いで苦しめられただけに、待望の島影です。
お酒の時の二日酔いと違って、船酔いは不思議です。陸へ上がってしまうと、全くダメージは残っていません。少し腹が減っただけです。
島に上がると、全員タスキを掛けた小学生くらいの子供達が出迎えてくれました。道路の両脇に整列して、みんなにお辞儀をしていましたので、我々も歓迎された内にはいっていたようです。後で思い起こしてみますと、この島は観光が最大の資源のようであり、小さい頃から、そのことを教えている風でもありました。しかし、これは私の単なる推測に過ぎません。
宿案内の小旗を持って大勢の人が出迎えていましたが、我々はこれからが宿探しです。ヨンさんの家族も、同じようでした。往きと帰りの切符だけを手に入れて、宿は現地調達の家族旅行のようでした。
私達のメンバーは、宿を探すまでもなく、向こうからやってきました。宿の若奥さんらしき人が、『うちに泊まりなさい。日本語の分かる旦那がうちにはいます』と言った具合に、我々を宿に案内してくれました。歩いて行ける距離ですが、結構急な坂を上っていきました。5分ほど歩いて、派出所の横を左に上がると、すぐ近くにその民宿はありました。
一人当たり3万ウォンと一部屋3万ウォンを間違えて差し出しました。ら、慌てて若旦那さんが、
「全部で3万ウォンです」
と言って、余分な金を返してくれました。後でお聞きした話ですが、
「この島に無いものが3つ有ります。その1つが泥棒です」
と言った、島の暮らしぶりが窺える最初の体験でした。
<4WDのタクシー>
この若旦那は、運転手も兼ねていました。
「4時間コースで島の全部を案内します」
「12万ウォンですが、危険な山道や間道を通りますので、高くありません。是非使って下さい」
と、勧められました。日本円に換算しますと、1人当たり4千円です。いつ又訪れることができるか知れませので、案内を頼むことにしました。
交渉が成立しますと、
「先に交番の所でエンジンを掛けて待っています」
と言って、喜んで宿を飛び出していきました。そのタクシーは4WD車でした。予め
「世界一危険なところを通ります。普通の車では通れません」
と聞いていましたので、なるほどと思いましたが、4WDのタクシーに乗ったのは、今回が初めての経験でした。
若旦那は大学を出た後、陸地(半島のこと)で働いていましたが、民宿をやるので、奥さんを連れて帰ってきたと話してくれました。
「日本語を使わなくなって15年近くなりましたので、今は少し下手になりました」
と、謙遜されていましたが、観光案内に全く言葉の不自由の無いレベルの日本語でした。
島の道路はまだ完成していない箇所があり、そこからは山道に入ったり、Uターンしました。『世界一危険な道路』は、実際に通ってみて実感できました。
「最近は50cmほどですが、冬は3mの雪が積ることもあります」
といった山道は、とても冬場に通れるものではありません。若旦那は、冬に、一番危険なところを通過する時、
「お客さんは降りて歩いて通りました。私だけが車に乗って通りました」
とエピソードを語ってくれました。そのことが容易に想像できる険しさでした。『狭く、勾配が急で、しかもカーブがきつく、恐ろしい崖付き』ときています。
出発が遅かったので、昼食を摂ることができませんでした。お菓子とバナナ1本で我慢しました。どうやら、若旦那の作戦でもあるらしいようでした。途中、外輪山の中にある店に電話して、食事を頼んでいました。そのお店で、山菜ビビンバを食べることになりました。結局、17時を回っていて、昼食兼夕食となりました。
この外輪山は、九州の阿蘇山を連想させました。茶店と言うかレストランと形容しようか、昼食を摂った店から見渡しますと、周りはすべて山でした。阿蘇山の外輪山を少し小型にしたような景観です。
「あそこを見てください。雪渓です」
と言う若旦那の指差す方を見ると、さほど高くはないのに、新緑の中に雪渓が幾筋か残っていました。先ほどの『3mの雪が積もります』と言う言葉が、真実味を持って迫ってきました。
外輪山に囲まれた盆地に保存された昔ながらの住居は、ログハウスを覆って2重の構造となっていました。冬は二重構造の間が通路になり、『入り口はすべて雪で閉ざされます』とお聞きしました。厳しい冬への備えです。
<夜の散策>
少し暗くなってから、揃って港付近を散策しました。桟橋付近では市が立っており、この島の特産の薬草や、海産物を売っていました。その場にヨンさんも現れて、
「海鼠(ナマコ)をここで刺身にして貰って、向こうの店で食べました」
「一人でチンロを1本飲みました。それで、すっかり気持よくなってしまいました」
と、笑って話されました。顔は少し赤くなっていましたが、ヨンさんは、結構いける口のようです。ご家族一緒で、そのうち奥さんや、娘さんも顔を出されました。
時間がたっぷりありましたので、照明が点いた海岸端を歩きました。岩肌を削って作った細い通路です。照明が無い奥まで続いていました。その先は、昼間でないと、ちょっと、しり込みしてしまうような険しさです。
アップダウンも相当にありました。それでもステンレス製の手すりが完備しており、歩き易くなっていました。道路の取付けのところには、施錠できる扉があり、夜遅くなれば、締め切ってしまうようです。転落事故防止のためでしょう。
ヨンさんとは、あちこちの店先を覗きながら、話をしました。それとなくこちらを気遣ってくれているようで、嬉しいことでした。
「私は、明日仕事なので、二人には、島巡りの遊覧船に乗るよう言ってあります」
と、予定を説明してくれました。
<ウルルンド紹介>
メモした紙が無くなりましたので、記憶だけで紹介します。若旦那にお聞きしたウルルンドの概況は、人口1万人、車1千台、小学校9校、中学校5校、高校1校です。思ったより人口が多く、学校も多いようです。いくつかの小学校の横を通りましたが、日本でいえば、分校クラスのものが多いようです。
また、沢山あるものと、無いものを紹介してくれました。沢山あるものとは木、水と薬草、美人等です。5つほど教えてもらいました。木は、火山で生成された島にしては不思議な気がしますが、白檀の名産地です。このことは、白檀加工製品を販売していたお土産店のご年配のご主人からも、お聞きしました。
「昔から島根県に輸出しています。香りがいいので、お香としても使えます」
と、穏やかな話しぶりの日本語で教えて戴きました。白檀の加工製品は、家具類のほかにお土産用として、孫の手、櫛、肩叩きなどが並べられていました。袋詰や無造作に括った線香代わりの束もありました。店先の木工用旋盤で実演している店もありました。さすがに木屑から白檀の芳香が漂っていました。うなぎ店の煙と同じような効果があるかも知れません。
水は全島が岩山であり、木も多く茂っているので納得できました。問題は「美人」です。私の結論から紹介すれば、『かかあ天下』の証明のような気がします。『よそから来た人には、そう言いなさい』と後ろから操られているではないでしょうか?実際に確認したわけではありませんから、責任は持てません。
無いものの3つは、蛇と泥棒、もう1つは忘れてしまいました。海岸が砂ではなく、砂利でしたので、砂であったような気がします。こちらはそれなりに納得がいきます。公害も無いとお聞きした気もします。
この島には、熱心なキリスト教信者が多いらしく、至る所で、教会が目に付きました。それも、小さな集落でさえ、3つも4つも教会が点在しています。 どうやら、幾つもの小さな宗派に分かれているようです。立派な教会や、村の集会所といった感じの質素な協会もありました。少ないながら、お寺も有るといいます。こちらはキリスト教のようには、信仰されていないようです。
浦項(ポハン)の宿にて
香る風部屋に取込み旅の宿
オンドルの温み微に春の宿
春の海荒じと願う宿の朝
ウルルンドへ向かうフェリーにて
春の海消ぬ波濤に白き鳥
五月晴波高くして島遠し
島影に酔を忘るる春霞
若草が化粧となりし岩の島
ウルルンドへ着いて
春の海しぶきを避けて鳥の宿
レリーフを刻み溶岩山萌る
お辞儀して子らが迎える島の春
ウルルンドの島巡りにて
雪渓を残し麓の草萌ゆる
黄海老根の鉢置かれたる石畳
島岬染めて春日は落ちにけり
ウルルンドの民宿にて
春蘭の窓辺で香る島の朝
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 タクシー
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浦項(ポハン)のフェリーターミナルです。ここで、サムスンのヨンさん一家にお会いしました。出航まで、長い待ち時間がありました。
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サンフラワー、ひまわり号の後姿です。いかにも高速艇らしい雰囲気が漂っています。白地をベースに2色の青と赤い線があります。
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浦項のフェリーポート近くの観光案内版です。海岸線いっぱいに海水浴場の印が付いています。海産物が名産品になっているようです。
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浦項のフェリーポートの室内に掲示してあった料金表などです。
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桟橋に係留されていた高速船の光景です。
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微かに見える対岸は、浦項の製鉄所群です。昨晩も煌々と明かりが点いていました。世界でも有数な製鉄所です。
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サンフラワー号の船内です。この船で、初めて船酔いを経験しました。波が高かったことと、波を切って走る、高速艇のためだったようです。
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鬱陵島に渡る高速フェリーの中から眺めた、白い功績の光景です。他に見えるのは水平線だけです。
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船酔いに苦しめられ、本当に、やっと見えてきたウルルンドの島影です。船内から歓声が上がりました。これで、船酔いも吹っ飛びました。
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ウルルンドに降り立っての岬の遠景です。海岸道路はそれなりに整備してありました。作業服を着て、早朝から掃除をする人達を見かけました。
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垂直に切り立った、鬱陵島の桟橋近くの海岸光景です。
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世界地図に例えられた岩です。車の横の黄色いペンキは、ウルルンドを示しています。車から降りて見学しました。
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そのガイド兼運転手さんは、写真の一番左側です。今度は私がカメラマンになって撮影しました。ウルルンドが故郷の方です。
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宿の若旦那でもあるガイド兼運転手さんが、景色のいい場所へ差し掛かると、その都度、車を止めてくれました。記念写真を撮るためです。
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集落ごとに、屋根に十字架が付いた教会は沢山見ましたが、川の対岸に、珍しくお寺がありました。この島では、仏教はマイナーなようです。
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この島は、一組の若いカップルから始まったとされます。それをお祭りしたお堂です。聖霊神堂の額が掛かっていました。
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お堂の中には、可愛らしいカップルの像がありました。ガイド兼、運転手さんがその謂れを説明してくれました。島の草創に関する物語でした。
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シートの上に山菜を干しているところです。ビビンバなどに使われると、お聞きしました。島の特産品とも、お聞きしました。
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風力発電の設備概要を記した看板です。写真は別の箇所のものです。600kWの出力等の文字が見えます。島では重要な発電設備でしょう。
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風力発電の大プロペラです。微風で、ほとんど停止状態でした。風速4mから20m/秒以内で稼動するようです。
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韓国電力公社の水力発電所の看板です。島には2箇所あると聞きました。火力発電所は設置されていないようです。
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水力発電所の中に設置された発電機です。開け放しで、誰も見えませんでしたから、写真を撮らせてもらいました。
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鬱陵島の海岸線の光景です。険しい海岸線の光景でした。
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この場所は、岩の間から見える、海に浮かんだ細長い岩が見所です。ジャンケンポンの名前の島もありました。
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海岸から離れて、山側に来ました。ログハウスの入口です。中にもう一つの建屋があり、二重構造になっていました。厳冬対策です。
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英文の方は、『ログ・ハウス』のタイトルがあった説明パネルの光景です。『ログ』とは、樹木の幹や枝をシンプルに切り出したものを指し、これを主要な構造材として使用した家屋・建築物がログハウスです。
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明かりが少なかった、ウルルンドの波止場付近の夜景です。
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ウルルンドの波止場付近の夜景です。中央付近の時計が、9時半頃を指しています。遠くには、微かに山並みが見えます。
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