2000/05/01 - 2000/05/08
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旅人のくまさんさん
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<2000年5月4日(木)>
海が荒れたら、いつ半島に戻ることができるか、分かりませんでしたから、今日の切符を予約に朝一番にフェリーポートまで行きました。昨日の大勢の観光客に押しかけられたら、切符が手に入らないのではないかとの杞憂もありました。 結果は一番乗りで、ムコまでの切符が入手できました。ムコはハングルで「ムクホ」と表記されていました。ムコに近い発音のようです。切符が手に入り、取り敢えず一安心です。
<ヨンさんと再び>
昨日、宿の奥さんから岬に昇るロープウェイの券を買っていましたので、早い時間に乗り場まで向かいました。丁度、ヨンさんも仕事で同じ方向へ向かわれるところでした。それで、一緒に坂を歩くことにしました。船着き場からもきつかったですが、一層厳しい傾斜になっていました。
ヨンさんが仕事で向かう建物を、指さして教えてくれました。ロープウェイと隣接のウルルンド記念館です。
「地元から土地を提供していただき、建物をサムスンが建設して島に寄付しました」
と、説明されました。その場所に案内して貰って、サムスンの記念碑と一緒に写真を撮りました。
「この記念館の設備点検が今回の出張目的です」
と、ヨンさんが話されました。私達3人は入山料を払いましたが、ヨンさんは
「サムスンから博物館の用事で来ました」
と言って、そのまま門を潜られました。私は、会話のハングルを聞き取れないので、『サムスン』の単語だけからの推測です。
ヨンさんからの勧めもあって、
「ロープウェイからの帰りに、見学に立ち寄ります」
と約束して、お別れしました。別れ際に
「2、3日もすればソウルの会社に戻っています。困ったことが起きたら電話して下さい」
と、言って戴きました。名刺は、予め頂いていましたので、その電話番号をメモしました。ヨンさんには本当にお世話になってしまいました。
<岬の展望台>
展望台へのロープウェイは、他に一組の観光客が乗っただけで、空いていました。ウルルンドへ渡るとき、フェリーのクルーに指定席の事で噛みついていた、怖いアジュマの一行でした。
日本でもオバタリアンのパワーはすごいですが、韓国ではその比ではありません。なるべく話しかけられないようにしていました。
ロープウェイは長くなく、発車、停止の時間を含めても、5分程で頂上に着きました。まだ新しく、サムスンの建てた記念館と同じ時期に建設されたようでした。これもサムスンからの寄付かも知れません。正確なところは、ヨンさんから聞き漏らしました。
岬は島の南端付近に位置していて、周囲がよく見渡せました。北側には更に高い山が聳えていました。この頂上で海抜500m弱と言ったところです。一番高いところは、1000mに近いようです。そういえば、登山目的の観光客も多かったようです。
この岬の一段高い所にも展望台があり、昇りやすいように、金属ネットの登山道が手摺付きで設えてありました。あまり高くはないものの、急な坂道に、結構骨が折れました。
頂上では、例のアジュマ達がスルメを裂いて仲間に配っていました。ここでもなるべく関わらないようにしました。『イルボンサラム(日本人)ここへ来て座りなさい』と言った仕草で、歓迎の意を表してくれましたので、断るのに些か参りました。裂きイカを少しだけ頂戴して、早々に頂上から退散しました。
ロープウェイから降り立った展望台からは、南へ向けての下りの階段が続いていました。更に岬の南端に行けるようです。UeさんとMuさんは『二度と来られないかも知れないから』と言って、この坂道に挑戦しました。私は少し前に痛めた膝に、少し不安がありましたので、居残りました。俳句を詠みながら、二人を待つことにしました。
この岬に立つと、春霞で空と海とが一緒になって、過ぎていく時間が、非日常性をもって感じられました。日頃あくせくとして働いている時間とは、全く別の時間が流れました。海とも空とも分からない空間に、海鳥が弧を描いているだけでした。さすがに帰りの登りはきつかったらしく、息を切ったお二人が、元の展望台に戻ってきました。
<ドクト>
登ってくる人が少なかったので、当然、帰りのロープウェイも空いていました。ガイドさんの同乗なしで、出入り口扉の施錠も、自分たちでするよう、手真似で指示されました。
ドクトは独島のことであり、日本では竹島と呼んでいる国境紛争の島です。このドクトとウルルンドは兄弟島のようです。いずれも火山活動の結果、海底から姿を現した島に間違いありません。殊に、ドクトは限りなく沈みつつあり、やがては海面下に姿を没する運命のようです。
ウルルンド記念館には、『ドクトが歴史的に韓国領土です』と言った事を主張する資料が多く収蔵されていました。その一角には、江戸や明治時代等の資料と並んで、現在の島根県の状況も、写真入りで展示されていました。島根県の『沖の島』が丁度ウルルンドからの距離と似ており、問題がややこしくなっています。島自体は無人島ですが、漁業権問題としての根が深いようです。トンヘ(日本海)はオジンノ(イカ)の漁場としての価値が高いことも背景にあるようです。
結局、ヨンさんとは会わずじまいでしたが、最後の日にプサンから電話でお礼の電話をして置きました。ご本人は不在でしたが、交換台の方から取り次いで頂いた同僚の方が、流ちょうな日本語で対応してくれました。その方に、ヨンさんへのお礼の伝言をお願いしました。
<ウルルンドからムコへ>
ロープウェイに乗る時には、荷物を民宿に預けたままでした。それで、午後の船に乗る時間を見計らって、荷物を取りに戻りました。留守番されていた、若旦那のお父さんと思しき方にご挨拶して、宿を辞しました。穏やかな振る舞いの方でした。最後に『さよなら』だけを日本語で話されました。
昼食は少し早めでしたが、港近くの店で摂りました。みんなの意見が『マンドウにしよう』と言うことで、一致したからです。日本で言えば、餃子のアンに饅頭のような蒸かした皮が付いた饅頭です。饅頭のように丸くしたものと、餃子のように襞を付けた皮のもありました。お腹も空いていたので、美味く戴きました。
往きの船より一回り小さな船でしたので、揺れを心配しました。しかし、それは全くの杞憂でした。島に渡った時と比べて、波は穏やかで、大きな揺れは全くありませんでした。所要時間は、ほとんど違わない3時間余りの航海でした。値段も往きの5400ウォンより安く、1人当たり3400ウォンでした。1時間当たり1000円と言ったところです。
前の席には、2歳くらいのお子さん連れの若いご夫婦がみえました。最初は、小さいお子さんは、揺れで大変なのではないかと、それとなく心配していましたが、暫くすると、寝入ってしまいました。それでも、若いご夫婦の気遣いようは、見ていて微笑ましい光景でした。
ムコは、トンヘ(東海)の直ぐ南側に位置する港町です。この町は、3人とも今回が初めての土地です。
最初の計画では、トンヘ(東海)か、カンヌン(江陵)に泊まる予定でしたが、順調に半島に戻れましたので、今日のうちにソクチョ(束草)まで移動することに変更しました。
<ムコからソクチョへ>
ムコは小さな港町で、そこからはタクシーを拾って市外バスターミナルに移動しました。トンヘの町です。トンヘからソクチョまでのバスの切符は容易に入手できました。
この市外バスターミナルは交通の要所にあたるようで、10階建てくらいのホテルが3軒軒を並べていました。更にその脇に新しいホテルが建設中でした。他に施設らしき物がなかったので、どうしても交通の要所としての宿泊施設のようにしか思えませんでした。
トンヘからのソクチョまでのバスは、途中、カンヌン(江陵)、チュムンジン(注文津)、ヤンヤン(難しい字)に停まった後、ソクチョに到着しました。
この道すがら、トンヘからカンヌン当たりの松林が枯れ尽くしていたのには驚きました。松食い虫が原因と思われます。植え付けた幼木にまで、被害が及んでいました。すべて赤松です。不謹慎ながら、これで韓国産の松茸が輸入できないのではないか、と危ぶみました。
<ソクチョの町>
6年ほど前に始めてソクチョを訪れた時を基準にしますと、3年ほど前に見たソクチョは大変に寂れていました。港近くの建設工事は中止され、鮮魚店も大多数が店を閉めていました。韓国の経済不況の真最中でした。国全体に活気がありませんでしたが、寂れていたような印象を、殊更、強く持ちました。
しかし、今回はその印象を劇的に変えさせてくれました。工事が中止されていた砂浜は、浚渫工事が済んでいました。これで、筏の渡し場の突堤は、完全な島になってしまいました。勿論、仮橋が架かっていますので、車でそのまま渡ることもできます。澱んでいた海水が入れ替わって、旧港が甦ったような印象を持ちました。
<テポドン>
夜は待望のテポドンでの刺身です。テポドンは大浦洞のことであり、大きな入江を意味します。各地にある地名のようです。北の物騒なミサイルの名前が有名になりすぎましたが、これも、語源は一緒のようです。
2年度前の記憶で、ここまで歩いたことがありますので、ひたすら歩きました。それでも、なかなかテポドンには到着しませんでした。そういえば、余りに時間が掛かったので、帰りにはタクシーを使ったようでした。そのことは、大分歩いたところで思い出しました。とうとう、最後まで歩いてしまいました。たっぷり、30分以上はかかりました。
しかし、その苦労は報われました。2、3年前に来た時と同じように浜は賑わっていました。魚の値段もあまり変わっていないようでした。平日とあって、少し客は少なかったですが、袖を引く店の若い衆には、今回も閉口しました。一通り、店を覗いた後、めぼしい店に見当をつけておきました。
その店は、ザル籠にセットで魚を泳がせていました。3万ウォンの籠は高級魚主体でしたが、とても3人では食べきれないくらいの量です。それで、2万ウォンセットにターゲットを絞りました。
このセットには、50cmほども有るボラ、35cmくらいのヒラメ、イカ、コハダ数匹とホヤ1個が入っていました。そこで、このボラが食べ切れそうになかったので、イカ2匹と交換して貰いました。値段は勿論一緒です。
席に座ってみて、前に来た店のような雰囲気がありました。正確には覚えていませんが、椅子の格好、置き具合、何となく懐かしい印象です。深くは考えないことにしました。店のお姉さんの包丁さばきは見事でした。あっという間にザル籠一杯の魚を刺身にしてしまいました。これに野菜やキムチが付いて1人当たり700円余りなので、最高です。30分以上歩いてきた甲斐がありました。
値段交渉が終わった後で、『モンゲ(ほや)サービスチュセヨ』と言って注文するのが、私の楽しみです。一つだけ残念なのが、このお店では、メウンタンが注文できないことでした。刺身の残りはすべて捨てているようでした。
美味しくてたっぷりの刺身に満足しました。焼酎の酔いの勢いで、『もっと食べよう』と言うことになりました。市場の一番手前のところで、美味しそうな蟹を売っていたからです。茹でたてのタラバ蟹が、3匹で2万ウォンでした。3人ともこの値段に惹かれて、持ち帰り用に袋に入れてもらいました。
お酒を旅館の前のコンビニで入手して、夜の酒盛りです。チンロ焼酎の1合半が1千ウォンでした。蟹は身が十分に詰まっていて、一人1匹食べ尽くして、大満足しました。この蟹蟹大宴会の費用が、締めて700円程度でした。日本でこれだけ贅沢すれば、一人5千円は取られるかも知れません。少し蟹の季節を外れており、今回の旅行では半ば諦めていました。それで、ことさら美味しく感じました。
泊まった宿は、翌日の行動を考えて、市街バス停留所付近にしました。以前にも泊まったことがある一帯です。まだ新しく、清潔で部屋の広さも十分でした。ただし、翌日明るくなって宿の周りを観察しましたら、かなりいい加減な電気配線や壁の工事が目に付きました。欠陥工事と言うより、未完成工事と言った風に見受けました。
そういえば、昨晩、排水の具合などが余り調子よくなかったことを思い出しました。ケンチャナヨの世界では、この程度の事は取るに足りないのかもしれません。この宿でもそうでしました。が、バスタブ用のカーテンは、このホテルでも設備されていませんでした。4つか5つ星でなければ、付けないものかと思いました。余りお金がかからず、設備すれば、床が濡れずに便利なはずだと思うのですが。
ウルルンドの民宿にて
オンドルの背に暖かき薄布団
薬草の若葉は部屋の小鉢にも
島の岬に登りて
海と空霞で繋ぐ鳥巡る
春霞空海融て時もなし
東海から束草へ向かう途中にて
松枯て韓の山並萌ぬ春
松籟は悲しからずや春の丘
松枯れて墓標に届かぬ草若葉
春霞松の林は立枯て
春無惨韓の國なる松林
黄海老根や群幾つもの山の道
山若葉更に萌えんと雨を待ち
田を張りて五月の空に誘い水
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 タクシー
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泊まった民宿の黄海老根の花です。玄関脇で咲いていました。群生を島の各地で見かけましたので、自生の蘭でしょう。
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これも宿にあった春蘭です。残念ながら、少し盛りは過ぎていました。この蘭も、島に自生していたものが移植されたものでしょう。芳香があります。
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波止場の海鳥です。遠くを見詰めているような姿は、ウミネコのようです。近寄っても、逃げませんでした。ウミネコをを苛める島の人がいないためでしょうか?
(補遺)ウミネコとユリカモメの区別がつきませんでしたが、潮来メジロさんのアドバイスで、ウィキペディアの写真も参照して、ウミネコと記載を改めました。 -
フェリー乗り場近くの水飲み場、オジンノ(イカ)の碑が上に付いていました。
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牡丹桜が各地で満開でした。時々写真を撮りましたが、全部撮っていてはきりが無いくらいでした。自然がたっぷりの島です。
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藤の花が真っ盛りでした。山藤でしょうか?公害がないとお聞きしたウルルンドは、緑が溢れていました。自然の宝庫でもあるようです。
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ロープウェイ駅に向かう坂の途中にあったお寺です。観音殿の額が掛かっています。普段は、住職は住まわれていない小さなお寺です。
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立派な記念碑です。サムスンの寄贈品でしょうか。
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サムスンの記念碑の前での記念撮影です。右端がサムスンの技術者のヨンさんです。ウルルンドへは仕事と家族旅行を兼ねての渡航でした。
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ロープウェイの中から見下ろした駅と記念館です。サムスンのヨンさんとお別れしてから、乗車しました。
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ロープウェイの中からの島の光景です。山並みが続いていました。
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ロープウェイの山頂駅です。汗ばむような好天に恵まれました。これから山頂付近の散策です。
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展望台から見下ろしたウルルンドの桟橋です。複数の桟橋がありますが、こちらはフェリーで到着した時の桟橋です。
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山頂駅とは別のピークがありました。そちらを目指して歩き、アジュマの一団と出会いました。焼酎を飲んで賑やかな一団でした。
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ロープウェイから降り立ったところの展望台です。海岸方面に下りることもできますし、山を目指して登ることもできました。
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記念館の入り口近くに飾ってあった独島(竹島)パネルです。受付のお嬢さんが見えましたので、了解を得てから撮影しました。
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展示パネルの上部には独島(竹島)の模型が飾られていました。その下の展示パネルは独島(竹島)の景観写真等です。
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島から追い出される倭人(日本人)を表現した人形模型です。手に棒を持ち、白い服を着た人達が、韓国の人達です。
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独島(竹島)のに関する展示室内の光景です。中央は独島(竹島)の模型です。ガラス戸の中は、文献などです。
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ウルルン島の自然を紹介したパネルの数々です。海、山、川と豊富な自然が残っていることが一目で分かります。
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アザラシでしょうか、あるいはアシカでしょうか?詳しい知識を持ち合わせません。島の冬の厳しさを思わせる真っ白な海洋動物です。
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展示室内にあった古い道標です。大韓民国慶尚北道等の文字が見えます。
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独島(竹島)問題は、結局は漁業権の問題でしょうか?地図の上に描かれた何本もの線は、日韓両国の主張する領海などでしょう。
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四角いマンホール蓋です。韓国電力公社のものでしょうか。
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ロープウェイからの帰りに見つけました。垣根から覗いていた色鮮やかな山吹の花です。まさに山吹色です。
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ロープウェイからの帰りの下り坂です。中央少し上の旗は、韓国電力公社の建物であることを示しています。
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ウルルンドの泊まった宿の玄関での記念撮影です。どう言うわけか、椅子がおいてありました。
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民宿入り口の所の派出所です。宿に戻る時の目印にもなりました。ここにも、観光パンフレットが置いてありました。
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派出所の前の狭い坂道を左に上がったところが、泊まった民宿でした。手すりが付いた道が、その坂道です。
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ムコ行きのフェリーは、ポハンから乗った船より、やや小型でした。往きは船酔いで苦労しましたが、今度は大きな揺れはありませんでした。
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東海(トンヘ)の市外バスターミナル前のホテルです。建設中のビルもありました。交通の要所になっているようです。
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束草(ソクチョ)の市外バスターミナルの外観です。東海から乗って、海岸近くを北上し、このバスターミナルに到着しました。
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東海の市外バスターミナルの待合室の風景です。時計は4時半頃を指していました。このバスターミナルは初めてか、2回目です。
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雪岳山脈に沈む寸前の夕陽です。束草へ向かうバスの中からの撮影です。電線が邪魔ですが、車の中からでは、仕方がありません。
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バスの中から撮った雪岳山の入り口近くの飲食店街です。船型のネオンサインがあります。テポドンも近い場所です。
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対岸はテポドンの飲食店街です。走るバスの中からの撮影ですから、ぼやけた人影が右手に写っています。
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