2001/12/31 - 2002/01/04
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Mugieさん
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シチリア島~南イタリアを旅行したときの体験をまとめました。
シチリア島編からの続きです。
訪れた都市は、ターラント、アルベルベッロ、ナポリ、ポンペイ、ローマです。
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大晦日のこの日はシチリア島からイタリア本土へ列車での大移動。
朝、ブラブラとみやげものやをのぞき、ホテルをチェックアウト。
部屋代は確か前日17,000リラ(1リラ=約0.7円)と言われたのに、14,000リラ請求された。
安くなってるから良しとして、何も言わずに払う。
タオルミナの観光地は急勾配の丘の上にあるが、ここからバスで下の駅まで降りる。
タオルミナの駅のチケット売り場の天井にはチーターや鳥の絵が鮮やかに描かれ、重厚な扉の装飾はアールヌーヴォー調だった。 -
この日はポカポカ暖かくて、コートを着ていると厚いくらい。
駅に置かれたサボテンの植木鉢や、ホームの横に植えられたオレンジがさらに暖かさを演出している。
駅からタオルミナの街を見上げ、後にする。 -
レッジョカラブリアに着くと列車ごとフェリーに積み込まれる。
暗いフェリーの内部に入ると、車内の明かりで隣の車両の乗客たちの顔がよく見える。
ちょうどお昼になったので、買っておいたサンドウィッチを食べる。
何のアナウンスもなく、いつの間にはフェリーは海を渡り、本土に着く。 -
長い移動で持ってきた「冷静と情熱の間」も読み終える。
イタリアにちなんで持ってきたけど、本の舞台はフィレンツェとミラノ(笑)
同じイタリアでも北と南では全く違う顔を持っている。
商人の自治が発達し、ルネサンス文化が花開いた北側と、イスラム、ノルマン朝、スペインの異文化支配が続いた南側。
南側は人も混沌としている。アフリカから来たアラブ系や黒人もよくみかける。
そして日本人観光客はほとんどいない。
ようやく夜遅くターラントの街に着く。
駅には物乞いや奇声をあげる人がいてなんだか怖い。
ホテルについてもベルボーイは東洋人を奇異に感じているのか、不機嫌なのかまるでにらまれているようで怖い。
遠くに花火の音が聞こえ、ホテルでもカウントダウン・パーティをやっていたけど、なんだか行く気にならず、部屋で就寝。 -
お正月。
この日も大移動で、アルベルベッロに寄ってからターラント経由でナポリまで行く予定だった。
イタリア国鉄のHPでちゃんと検索して調べてきたというのに、駅についてみると列車が動いていない。
駅には人だかり。
駅員に聞いてもいつ列車が来るのかわからない、という。
アルベロベッロに行きたいといったら、今日はローカル線は休みだから列車が着ても止まらないという。
そんな〜(涙)
バスだったら出てるかもというので、一応バス停まで行ってみたけど、待てど暮らせどやって来ない。
やっぱりね…
もう一度駅に戻る。
午後になったら列車が来るらしい、という。
駅のカフェテリアで時間をつぶしていたけど、午前で終わり。
午後は暖房もない駅の待合室でいつくるのかわからない列車を震えながら待つ。
ようやく3時くらいに列車が来た。
バーリまで移動。
アルベルベッロはあきらめきれないので、予約していたナポリの部屋を一泊分捨て、バーリに泊まり、翌日アルベロベッロに戻ることにする。
バーリでは飛び込みで駅前のホテルに泊まったけど、宿泊客が少ないため、最上階のゆったりした部屋だった。
レストランも多くがクローズしてるので、マックで夕飯を済ませて、ワインを買って部屋で飲んで寝た。
イタリアのいい加減さというのは時間に追われる東京に住んでいると時に心地いいけど、この日はホントひどい目にあった。
でも、今となっては楽しいハプニングに思えるから不思議だ(笑)
(写真はホテルの部屋から見たバーリ駅) -
1月2日
私の中ではこの旅行で一番楽しみにしていたのがアルベロベッロだ。
バーリから私鉄のSud-Est線で1時間半くらい。 -
バーリの住宅街を抜けると、オリーブ畑が広がり、とんがり屋根のトゥルッリがあちこち顔を出しているのが見える。
密集するトゥルッリはもちろん素敵だけど、畑に散在する姿はなんともかわいらしい。
トゥルッリ探しをしているうちにあっという間にアルベルベッロに到着。 -
駅について坂を上り、旧市街地まで歩く。
教会などがある中心街らしきところをブラブラ。
坂を下って反対側へ行くと、こちらはみやげもの屋がたくさんある。
片言の日本語で話しかけられる。
ガイドブックにも乗っているなんとかおばさんのお店に入ると、刺繍をした小さなハンカチが1枚1000円位する。 -
日本人の女性がご主人と経営しているとかいうお店では上のテラスに上がり、街並みを見せてくれた。
お礼に何か買おうかと思ったけど、小さなトゥルッリの置物が5000円。
職人が作ったというけど、その価値のわかる人はほとんどいないだろう。
高い石鹸なんかも勧められたけど、最後はしつこい押し売りに辟易して何も買わずに出て来てしまった。
結局他の店でトゥルッリとかわいい瓶に入ったレモンのお酒を購入。 -
昼食をとってから住宅街のほうを散策。
ネコが昼寝をしていたり、とても心が和む風景だ。 -
私鉄でバーリに戻り、ナポリまでの急行のチケットを買おうとすると、構内はすごい人だかり。
何だろう?Uターンラッシュ?
列に並んでいると、2,3のグループをはさんで前に学生らしき日本人のグループがいる。
彼らの番が来たら、すぐにチケットを買わずに売り場を離れる。
リーダーらしき男の子が「インフォメーションに行けって言われた」と説明しているのが聞こえた。
不思議に思いながらも自分たちの番が来た。
乗りたい列車を告げると、「いっぱい。インフォメーションへ行け」と片言の英語で言われた。
「なんでツーリストインフォに行かなくちゃいけないの?」と聞き返すと、英語がわからないと言う。
あっちへ行け、シッシって感じで手を動かす。
なんだかすごーく嫌な感じ。
でも、今日こそナポリに行きたいので粘って、
「じゃあ、次の○時の急行は?」と聞くと、憮然としながらもPCを叩き、「一等席?二等席?」と聞いてくる。
次の列車は開いてるんじゃん…
何事もなかったかのように発券してくれた。
なんだったんだろう?
そしておとなしくインフォメーションへ行った日本人たちはどうなったんだろう?
少し時間が開いてしまったので、バーリの市内観光をしてから、駅に預けていた荷物をピックアップして急行に乗る。
カゼルタで乗り換え、夜遅くナポリへ到着。
駅前はなんとなく雰囲気が怖かったけど、人もたくさんいたので急ぎ足でホテルに向かう。
(写真はカゼルタ) -
1月3日
アルベロベッロへの移動に失敗したため、ナポリ観光の予定が一日分減ってしまった。
よって午前はナポリ市内、午後はポンペイ観光というややハードなスケジュールになった。
スパッカナポリという旧市街を主に教会を巡りながら散策した。
スパッカナポリは小さな路地の上を見上げると洗濯物が干してあり、ご近所同士で会話しており、世界遺産といいながら手を施された観光地ではなく、生活感にあふれるまさにイメージ通りの街だった。
冬のせいか、薄暗い路地は中世の憂鬱をいまだに色濃く移している。 -
ホテルを出て、まずはドゥオーモへ。
ここの地下にはギリシア・ローマ時代の遺構が見られる。
小さな階段を降り、ひんやりした地下に入っていくと、用水路やモザイク通りが顔を出す。
ネアポリスと呼ばれていた頃の街並みだ。
現代のライトに照らされながら、古代の町を歩く。
さらにドゥオーモのなかには古い教会が残っており、黄金のモザイクで輝いていた。
これはビザンツ時代のものだろう。
古い町の上に新しい街が築かれていく。
知識としてはわかっているけど、異なる時代の層を目の当たりにし、地下から地上に上がることで、ギリシア時代から現代までを体感できたというのはすごく不思議な感じがした。
ジロラミーニ教会、さらにプルガトリオアダルコ教会へ行った。
有名な地下の骸骨はお昼の時間しか公開されないそうで、見られずに帰ってきた。
残念。
サン・ドメニコ・マッジョーレ教会は階段を登ると教会の後陣に出るという不思議な作りだ。
サン・セヴェーロ礼拝堂へ行くと、狭い小道にたくさんの人がチケットを買うために並んでいた。
この礼拝堂は小さいけれども、中の大理石の彫刻群がすばらしい。
中でも有名なのが、「ヴェールに覆われたキリスト」という作品だ。
大理石で彫られたとは思えないほど柔らかさを感じるヴェール。
大理石のマーブル模様が浮き出たキリストの血管を現しているようにも思えた。
出口のところにはなぜか血管のみを残した人体の模型があって気持ち悪かった。 -
サンタ・キアーラ教会。
この教会は第二次大戦で焼けてしまったそうで、中にはその写真が展示されている。
有名なのは付属のクラリッセのキオストロというマヨルカ焼きのタイルが美しい中庭だ。
タイルの黄色と、中庭のオレンジの実が調和して、なんとも暖かい。
スパッカナポリを離れ、考古学博物館へ行った。
ここはポンペイから出土した彫刻やモザイク、フレスコ画が展示されている。
けっこう広い博物館だけど、時間がないので急ぎ足でまわる。
ここには世界史の教科書で見たイッソスの戦いのフレスコ画がある。
思っていたよりも大きい、壮大な作品だ。
マケドニアのアレクサンダー大王とアケメネス朝ペルシアのダリウス3世の戦闘シーン。
ここで見れるとは知らなかったので、感動した。
春画を集めた特別室は無料だけど、予約制。 -
ベスビオ周遊鉄道に乗って約40分のポンペイへ。
ポンペイというと一瞬にして住民が亡くなった悲劇の町。
小学生の時、農作業をしていた家族の遺体で母親が子供をかばうために覆いかぶさったままの姿で息絶えてたものがあるという話に涙がこぼれた。
高校生の時、なぜか英語の先生が交わったままの姿で見つかった男女の遺体の話を始め、快楽の絶頂で迎える死とは…なんてことを女子高生の前で語り、眠気が一気に覚めたのを思い出す。 -
駅前には広大な遺跡公園が広がっている。
中に入ると、まさに古代の町が残っている。
荷車の車輪の跡が深く刻まれた通り。
通りに面してならぶ商店街。
公衆浴場。少しはなれたところには劇場や陸上競技場。 -
でも、住人の消えた町…
昔住居を彩っていたモザイクや調度品は、今は博物館へ。
神殿の跡は、欠けた円柱が残るのみ。
せめて、一部だけでも博物館から戻して完全に復元すれば、往時の街並みがもっと想像できるのになぁ。
とりあえず日本人ツアーを見つけたのでツアー客に混じり、ガイドの説明を拝聴する(笑)
南イタリアもここまでくるとけっこう日本人をみかけるようになった。
本当は秘儀荘も行きたかったけど、時間切れ。
ナポリの町へ戻る。
最近粗食が続いたので、夜はちょっとドレスアップしてリストランテへ。
ガイドブックに日本語のメニューがあると紹介されていたホテル近くのお店へ行くと、半分以上が日本人客(笑)
が、やっぱり別名「地球の迷い方」情報。
日本語メニューは置いてない!!
でも、英語のメニューがあったので、私は満足。
食べたいものがちゃんと選べた。 -
1月4日
朝早く、青の洞窟を見るためにカプリ島へ渡ろうと、フェリー乗り場へ。
が、強風のせいか欠航。
ここでたまたま日本人カップルに会う。
一緒にタクシーで別のフェリー乗り場へ。
ここも強風のため、フェリーの出発は未定だという。
たくさんの人が待っているので、一緒に待ってみたけど、なかなか情報がつかめない。
そして、携帯を持っていた日本人の女性がカプリ島のインフォメーションに電話をして青の洞窟について聞いてみると、「今日は無理」と言われたそう。
確かに、この強風じゃ青の洞窟は無理っぽいし、がんばってカプリ島へ行って帰り本土に戻れなかったら悲惨なので、あきらめてナポリ市内観光に変更!
絶対、夏にもう一度来よう!と決意。 -
でも…市内観光もなかなかよかった。
ヌォーヴォ城を見て、サン・カルロ劇場を横目に、王宮を目指す。
途中、ウンベルト1世のガレリアによる。
ミラノのガレリアより距離的には短いが、人通りも少なく、レストランからはみだすテーブルやイスがない分、なんだか広々と感じた。
プレビシート広場につき、サン・フランチェスコ・ディ・パオラ教会へ。
ここはパンテオンをほうふつとさせる。 -
この向かいに王宮があるが、入り口が見つからず、ウロウロ。
通りがかりの人に聞いたら、連れて行ってくれた。
やっと入った王宮はなかなか立派で見ごたえがあった。
ロココ式、ネオ・クラッシック式の室内装飾。
金屏風を思わせるオリエンタルな扉。
ちょっと不思議な感じがしたのはフランスで見たロココ式は白を基調に金の装飾なのに、ここは金を基調に白の装飾が施されている。
ベルリン郊外のサン・スーシに比べると毒々しさが消え、洗練された印象。 -
強風が吹きつける中、サンタルチアを歩く。
「サンタールリア♪」の歌が頭から離れないが、寒くて歌う気分にはなれない。
卵城が海に突き出ている。
ケーブルカーで高台に上がる。
頂上駅からさらにバスに乗り、サン・マルティーノ修道院へ。
中は博物館になっている。
そして、この修道院から見下ろすナポリの街は美しかった。
ベスビオ火山を背景に広がるナポリの街。
海岸線。
やや霧がかかていたけど、そもそもナポリは霧の多い街だそうだ。
「ナポリを見て死ね」はとりあえず果たした。 -
帰りにカメオのお店によっておみやげのブローチを買う。
ナポリに工場が多いとかで、カメオが安いと聞いたので、ここで購入。
お昼になったので、ナポリにきたらやっぱり…ということでピッツァ、マルゲリータを頼む。
本場で食べるピッツァは最高!
ちょっと高級なお店だったらしく、きちんとした服装の人が多かった。
ホテルに戻り、荷物をピックアップしてICでローマに移動。
ローマは日本から予約していた中央駅のそばのホテルに泊まった。
7年前にローマに来たときは駅の周りは治安が悪く、昼間でも雰囲気が悪かったが、今回は駅の建物はきれいに明るくなり、だいぶ治安がよさそうだった。
そして、ローマまで来ると日本人観光客の多さにびっくり。
ホテルに荷物を置いてから、近くのレストランで夕食。
部屋に帰って就寝。 -
1月5日
あっという間にイタリア最終日。
ローマは前に来たことあるから素通りでよかったんだけど、ダンナは初めて。
ダンナの希望で、バチカンへ行くことに。
朝一で行ったにもかかわらず、バチカン美術館の前のチケット売り場には列ができていた。
中に入ると、ヘッドフォン・ガイドを貸してくれる。
システィーナ礼拝堂の「最後の審判」の前で待ち合わせ時間を決めて、各々好きなところを見に行く。 -
でも、いつも私は時間配分に失敗する。
最初のオリエントのところでいろいろ興味が引かれて時間を食ってしまう。
気づくと集合時間目前。
人ごみのできているラファエロの間はほとんど斜め見で時間に遅れて最後の審判に到着。
高校生のときにシスティーナ礼拝堂のミケランジェロの壁画の修復作業の特番を見たとき、セピア色の絵を薬品でふき取るとものすごく色鮮やかな絵が出てきたのに衝撃を覚えた。
前回来たときもここには着たが、最後の審判だけは修復中だった。
やっと修復後の作品が見られた。 -
サン・ピエトロ大聖堂へ移動。
6万人を収容できるという大聖堂は近くに見えるけど、歩いても歩いてもつかない。
オベリスクの立つサンピエトロ広場を横切るのもけっこうな距離がある。 -
中に入るとさすがカトリックの総本山、どこをみてもゴージャス。
クーポラの下の教皇の祭壇はベルニーニ作のブロンズの天蓋がある。 -
ミケランジェロが25歳のときに作った「ピエタ」。
完成された美しさ。
これを見るとミラノにある未完のピエタがいっそう悲しいものとして思い出される。 -
地下墓地は有料だけど、ここは比較的人が少なく落ち着いて鑑賞できる上にけっこう見ごたえもある。
クーポラの上に昇るにはいったん外に出てからエレベータに乗る。
このエレベータに乗るにも長蛇の列。
エレベータに乗ると屋上に着く。
ここから回廊に入ると、先ほど見上げたベルニーニの天蓋を見下ろすことができる。
人が小さく見える事で、逆に大聖堂の大きさを感じることができる。 -
そして、さきほどは遠かったミケランジェロのクーポラに近づき、キリストの偉大な姿を間近にする。
-
狭い階段を登っていくと、クーポラの外側に出る。
気持ちよい風が吹き、サンタンジェロ城、サンピエトロ広場、ローマの街並みが360度楽しめる。
まさに天上界。 -
地上界に戻り、電車でスペイン広場へ。
買い物をしようと、ブランドショップをのぞいたけど、日本人観光客でごった返す店内に疲れ、結局何も買わずにホテルへ戻る。
ホテル近くの三越でベネチアングラスで縁取られたかわいい時計を見つけて購入。
会社へのおみやげなんかを買っていると、あーまた日本で日常の生活に戻るんだ〜と悲しい実感がわいてくる。
この頃の私にとって旅は脱日常だったかな。
翌日、午前便にて日本に帰国。
(写真はサンピエトロ大聖堂からの眺め)
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