2006/09/12 - 2006/09/18
361位(同エリア440件中)
みーままさん
7日間で行ってやろう・・見てやろう・・食べてやろうと3人で、
沢山の思いをギュウギュウ詰めにして、時間を有効に使おうと
パッチワークの様な旅に出ました。
1日目
アンマン・・ラルナカ(キプロス)・・パフォス パフォス泊
2日目
パフォス・・レメソス・・ラルナカ・・アテネ アテネ泊
3日目
アテネ・・エーゲ海クルーズ アテネ泊
4日目
アテネ・・オリンピア (汽車利用) オリンピア泊
5日目
オリンピア・・アテネ (バス利用) アテネ泊
6日目
アテネ・・サントリーニ島 (高速艇利用) サントリーニ島泊
7日目
サントリーニ島・・アテネ・・ラルナカ・・アンマン
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キプロス共和国
キプロスは地中海東の一番奥にある四国の半部ぐらいの島である。地中海の
島の中では三番目に広い面積を持つ島である。キプロス島は島の東西を貫く
グリーンラインが引かれ此処で生活する島民は様々な制限が生じている。
これは長年のキプロス紛争の産物で有り南北分断された形である。
此の島は大昔からエジプト、ギリシャ、ペルシャ、ローマ帝国と支配され1571年に
オスマン・トルコ領となった。1878年にはイギリスがトルコより行政権を獲得し
植民地支配が始まった。第2次世界大戦後住民から激しい反英闘争が発生しようやく
独立をしたのだったが、1963年トルコ系住民の権利が制限され、ギリシャ住民との
間に対立が生まれ内戦へと発展し国連平和維持軍が駐留する事になった。1974年7月
クーデターが発生、トルコがトルコ系住民の保護を理由にキプロスの北部に派兵、これによってトルコ系住民の多く暮らす北部、ギリシャ系の多く暮らす南部に実質分断された。
そこで約18万人のギリシャ系住民が南部へ、約10万人のトルコ系住民が北部へ移動し、住み慣れた土地を離れなければ成らないと言う悲劇も起こった。
グリーンラインは何人とも自由に行き来は出来ないが南部から北部へは日帰りなら制限(人数、時間、車など)は有るが行き来が出来る。私の歩いた観光地は南部である。 -
1日目
アンマン発7:00CY403便・・・・キプロス・ラルナカ国際空港着8:00着
ラルナカ空港前で「トロードス地方を廻ってパフォスまで1日」と言う事で
タクシーをチャター。赤いベンツ運転手Mrワーナーヨージス200ユーロ
キプロスはキプロスポンド1キプロスポンド284円1ユーロ148円
ラルナカ市内
空港の直ぐ近くにはソルト湖が有るが今の時期は干し上がってただの原っぱ!
聖ラザロ教会
イスラエルでキリストによって蘇生したラザロはキプロスにやって来て最初の主教
として30余年を過ごした。町中に有りともすると見逃してしまいそうな程街並みと
同化している。イコン画が素晴らしい -
キテイオン
住宅地の中にある遺跡ミケーネ人達が築いた町でありハマグリの加工場跡などが有るというので楽しみだったが、入場料1キプロスポンドと言われキプロスポンドを持ち合わせていないのでユーロではどうか?と聞いたが、絶対駄目!と言われ、諦め先を急ぐ事にした。
外から背伸びをして眺める -
ヒロキテイア 世界遺産
ラルナカより南西に32~3キロ高速を道路を行きと左手に小高い丘がある。此処は1998年世界遺産に登録されて紀元前7000年ごろの住居跡である。丘の南斜面に続く住居跡は河原の石を土台に藁を混ぜた土レンガで造られた円形住宅である。厚い壁、日当たり良好な傾斜地に立てられた住宅は、自然の砦を形成しているようで大昔も今も、住居を造るリッチ条件は変らないものなのだとつくづく思った。 -
入場口を入ると直ぐに、円形住居のレプリカがあり内部なども再現されている。その当時には既に出土品から狩猟に加え農業と牧畜も始められていた様だとされている。
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円形住宅のレプリカの中に再現されていた、墓?人骨である。
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トロードス地方
トロードス地方はキプロス島のほぼ中央には標高1951mのオリンポス山をはじめとする山々が連なっている。此の山岳地帯をトロードス地方と言う。冬にはスキーリゾート、夏には避暑地としてヨーロッパ各地から人々が集まってくるようだ。丁度軽井沢の様なエリアが有った。丁度避暑客が帰り静けさを取り戻したところだった。 -
ラルナカ市内やトロードスの避暑地で見つけたポスト。この黄色い可愛いポストがmi-mamaはとっても気に入りました。
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避暑地に有った交番
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キッコー修道院に行く途中で立ち寄った滝。岩の上にはレンガ色の教会の屋根が見え、美しい眺めだった
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キッコー修道院
標高1140mの山中にある修道院でキプロスでは最も名高い修道院。聖母マリアのイコン画
(宗教画)が有り、聖ルカが描いた現存する3点のイコン画の一つといわれている。1997年に祭壇の左側のマリア様が涙を流されたという。何度も火災に合い現在の建物は19~20世紀に建てられたものだが、真新しくとても煌びやかであり壁画も色鮮やかで、何とも私は違和感を覚えた。 -
修道院内部
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右側の白い塔の教会の中に「涙を流されたマリア様」のイコン画が有る。
教会内はシャンデリアが天井から幾つも下がり、それはそれはピッカピッカでした。
色々なイコン画が飾られていました。涙を流されたマリア様のイコンは小さく、ともすると見逃してしまいそうです。涙の跡が無いかと目をサラの様にしてみましたが、見えませんでした。 -
色鮮やかな壁画・・・・
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修道院の中にある博物館
素晴らしい衣装や、イコン、装飾品などが展示してある。 -
キッコー修道院はショートパンツやミニスカート、ノースリーブ等肌を出した服装では入れません。近くの出店やお土産物屋でスカーフなど貸してくれますが・・・羽織る物を
持参すると良いと思います。 -
パフォス 町全体が世界遺産
パフォスは島の南西部に有り昔はキプロスの首都として栄えた港町。沢山の世界遺産とマリン・リゾートとして古い物と新しい物とが共存している町。 -
王族の墓
パフォス街はカト・パフォスとパノ・パフォスとに分かれている。港近くはカト・パフォスである。カト・パフォスより北へ海沿いよ4キロほど行くと、只今発掘進行中の墓群の遺跡が有る。今11の墓が発掘されている。紀元前3世紀頃の物で墓の数は100以上だと言われているが誰の墓であるかはまだ解っていない。当時の支配者の墓ではあろうが権力の大きさがうかがい知れる。 -
神殿の様な柱が有り、棺が置かれたであろう?と思われるような棚がある。
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墓の近くに真っ白な花を咲かせていたハマユウ・・日本のものと花の形は変らないが
茎の丈がとっても短かった。 -
パフォス考古学遺跡
港の直傍に有り此処は紀元前2~4世紀末までキプロスの都だった町でビザンチン時代の砦、デイオニソスの館、テセウスの館、エオンの館、オルフェウスの館と見学が出来る。どの館もモザイク画とても素晴らしい。 -
テセウスの館は総督の館で部屋数が100以上も有った大豪邸だったと言う。
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テセウスの館のモザイク
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トラがいのししを襲っているモザイク
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エオンの館に描かれているモザイクの美しい人物画は地中海を代表する物といわれている。
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モザイクは美しく繊細で見て歩いていると時間の経つのが解らないぐらい。まだまだ時間をかけて見てみたいものだ。
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教会など街並みの遺跡群・・きちんと整備されている。他にスークや野外劇場などの遺跡も残っている。急ぎ足で閉館ぎりぎりまで歩き回った。時間を沢山とってゆっくりと見て廻る事をお勧めします。
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18:30分ホテル到着。海辺のプールを備えて綺麗なホテルでした。
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夜バスに乗って15~6分タベルなの立ち並ぶ港近くのタベルナで舌ビラメのフリッターでかんぱーい!美味しいお魚に舌鼓・・キプロスの第1日はとっぷりと暮れていきました。
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赤ベンツとワーナーヨージスさん。1日中運転して疲れた顔はしていたものの、2日目も運転と案内をしてもらう事を約束した。「明日9:ooに来るよ」と言ってラルナカに帰っていった。
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