マイアミ (フロリダ州) 旅行記(ブログ) 一覧に戻る
【http://4travel.jp/traveler/marktanaka/album/10226058/からつづく】 <br /><br />1970年末に有名な「レイラ」を発表した頃、この曲のテーマである親友の妻への横恋慕と挫折に追いつめられ、若きエリック・クラプトンはヘロインに溺れ始める。60年代後半のミュージシャンたちはマリファナ、LSD、メスカリンなど「軽い」麻薬は気軽に使っていたが、「ハード」なヘロインに手を出す人は珍しかった。その4年後(今度はアル中になるのだが)麻薬の呪縛を振り切って、発表した最初のアルバムが461 Ocean Boulevard(1974)である。このアルバムを聴くたび、友情を代償に遂に愛する女と結ばれて、苦悩とヘロインに別れを告げた29歳の才能豊かなミュージシャンの再生の息吹が伝わってくる。 <br /><br />このアルバムの写真になった家は、僕らのホテルの前の混雑している狭い道路(オウシャン・アベニュー)を、ほんの15マイル(25キロ)ほど北に行ったところにあったようだ。Laylaや461 Ocean Boulevardをはじめ、数多くの名レコードが誕生したクライテリア・スタジオもすぐ近くだ。帰りの飛行機に乗って初めて思いつくとは、全くの不覚である。 <br /><br />フロリダでの最終日の朝、前日の無惨な朝食の轍を踏むことなく、ホテルを早々にチェックアウトし、車で昨晩夕食を食べたサウスビーチの中心地に向かった。りす坊は昨晩通りがかったフランスのカフェ兼パン屋さんで朝食を食べるの!と早朝から断固たる決意だ。実際、彼女の見立てに狂いはなかった。 <br /><br />朝食後、徒歩でちょっと離れたホロコースト記念碑に向かった。 <br /><br />フロリダは伝統的に裕福なユダヤ系米国人の避寒地として知られており、各地にユダヤ教分宗派の集会所、シナゴグ(礼拝堂)や教育施設のほか、ユダヤ博物館やホロコースト記念碑などユダヤにちなむ文化施設が多い。 <br /><br />マイアミビーチのホロコースト記念碑は、第二次大戦中ナチスの強制収容所で大量虐殺された600万のユダヤ人たちの悲運を世に伝え、鎮魂のため1985年に建立された。円状の人造池の中心に設けられたプラザから、空に向かってにゅっと突き出している大きな青銅の右手が衝撃的だ。 <br /><br />池の周りを石畳の回廊が巡り、回廊の外周を黒い花崗岩でできた石碑が包み込む。回廊のところどころには、息絶えたユダヤの人々の姿を表す像が横たわっている。もの静かに黒光りする石壁には、ユダヤの悲劇の年譜と、ホロコーストで命を奪われた人々の無数の名前が刻み込んであった。 <br /><br />60年前、遙か遠くの収容所で無惨に命を絶たれた家族たちの名前を辿っているうち、深い悲しみの波に呑み込まれ、人間が人間に行った狂気と呼ぶべき非行に戦慄させられた。無知と偏見は恐怖を生み、決して消えることのない不幸な歴史を人類の記憶に刻んでしまった。こんな不幸が二度と繰り返されることがないように、という望みを託した永遠の火が、人知れず記念碑の片隅に灯されていた。<br /><br />駐車メーターの時間が残り少なくなってきて、車に向かって歩き始めるのを待ち構えていたかのように、突然強い雨が降り始めた。暫く雨宿りしたものの、雨足は強まるばかり。二月でも気候は夏だし、まあいいか、と濡れながら歩いて途中まで来たところでようやく小降りになる。 <br /><br />ちょうどそのとき見かけたのが、この建物。 <br /><br />青緑のアールデコの曲線が美しい、ジャッキー・グリーソン劇場だ。グリーソンさん(1916-1987)は、シトコム(シチュエイション・コメディ=TVの連続コメディ番組)の草分け「The Honeymooners」を主演・プロデュースしてTV草創期に一世を風靡したコメディアンだ。64年に出身地ニューヨークのブルックリンからマイアミに本拠地を移し、この劇場から全米に番組を送り出した。一年中ゴルフができる気候が魅力だったらしい。 <br /><br />この劇場は、いまでは大手プロモウション会社の「ライブ・ネイション」に買収され、昨年全面改装されたばかりだ。なるほど、外観がシャープに見えるのも頷ける。同社が所有する本家サンフランシスコのフィルモア公会堂にちなんだフィルモア・マイアミビーチと呼ばれ、コンサートや演劇用の貸ホールとして使われている。 <br /><br />車にもどると、最後に街の北にある中世スペインの修道院を訪れてみることにした。いざ北に向かって走りだすと、夥しい交通量に加えて工事が多く、なかなか先に進まない。まだ?と繰り返し尋ねるりす坊を宥めながら、ようやく着いたのがこの教会。中に入ろうとすると、入場料を取るという。後にも先にも、教会で入場料を要求されたのはこれきりだったが、ここまで来た以上しかたない。払うものを払って、目的の庭に出た。 <br /><br />中庭を囲むように、古い石造りの回廊が巡っている。僕が想像していたとおりの風景で、ほっと一安心。マイアミなら、修道院に派手なネオンサインがあっても不思議はないと思っていたからだ。 <br /><br />この教会は12世紀スペイン・セゴビア地方の古い修道院を細切れに分解して運んできたものだ。僕らがカリフォルニアで見慣れているミッションの原型といえるものだろう。これまで見てきた、金に汚くけばけばしいマイアミとはガラリと趣が異なり、これまた極端に鄙びた渋いものに遭遇した。とまどったのも束の間、結局たくさん写真を撮ることになった。 <br /><br />こうして、最後は静かに、僕らの駆け足の南フロリダ旅行は終わった。 <br /><br />この教会から空港までが、これまた凄い渋滞続きで、レンタカーを返し、空港でチェックインが完了したのは出発のほんの30分前。ほんとうなら完全にアウトだが、必死に頼み込んで何とかもぐり込ませてもらった。次回からは時間に余裕をもって、と神妙に反省したものの、今回の僥倖に味を占めてまた同じことを繰り返すのはおそらく間違いない。

冬のフロリダ その7

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2008/02/16 - 2008/02/19

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旅行記グループ 冬のフロリダの旅(2008)

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Mark & Risbeau

Mark & Risbeauさん

http://4travel.jp/traveler/marktanaka/album/10226058/からつづく】

1970年末に有名な「レイラ」を発表した頃、この曲のテーマである親友の妻への横恋慕と挫折に追いつめられ、若きエリック・クラプトンはヘロインに溺れ始める。60年代後半のミュージシャンたちはマリファナ、LSD、メスカリンなど「軽い」麻薬は気軽に使っていたが、「ハード」なヘロインに手を出す人は珍しかった。その4年後(今度はアル中になるのだが)麻薬の呪縛を振り切って、発表した最初のアルバムが461 Ocean Boulevard(1974)である。このアルバムを聴くたび、友情を代償に遂に愛する女と結ばれて、苦悩とヘロインに別れを告げた29歳の才能豊かなミュージシャンの再生の息吹が伝わってくる。

このアルバムの写真になった家は、僕らのホテルの前の混雑している狭い道路(オウシャン・アベニュー)を、ほんの15マイル(25キロ)ほど北に行ったところにあったようだ。Laylaや461 Ocean Boulevardをはじめ、数多くの名レコードが誕生したクライテリア・スタジオもすぐ近くだ。帰りの飛行機に乗って初めて思いつくとは、全くの不覚である。

フロリダでの最終日の朝、前日の無惨な朝食の轍を踏むことなく、ホテルを早々にチェックアウトし、車で昨晩夕食を食べたサウスビーチの中心地に向かった。りす坊は昨晩通りがかったフランスのカフェ兼パン屋さんで朝食を食べるの!と早朝から断固たる決意だ。実際、彼女の見立てに狂いはなかった。

朝食後、徒歩でちょっと離れたホロコースト記念碑に向かった。

フロリダは伝統的に裕福なユダヤ系米国人の避寒地として知られており、各地にユダヤ教分宗派の集会所、シナゴグ(礼拝堂)や教育施設のほか、ユダヤ博物館やホロコースト記念碑などユダヤにちなむ文化施設が多い。

マイアミビーチのホロコースト記念碑は、第二次大戦中ナチスの強制収容所で大量虐殺された600万のユダヤ人たちの悲運を世に伝え、鎮魂のため1985年に建立された。円状の人造池の中心に設けられたプラザから、空に向かってにゅっと突き出している大きな青銅の右手が衝撃的だ。

池の周りを石畳の回廊が巡り、回廊の外周を黒い花崗岩でできた石碑が包み込む。回廊のところどころには、息絶えたユダヤの人々の姿を表す像が横たわっている。もの静かに黒光りする石壁には、ユダヤの悲劇の年譜と、ホロコーストで命を奪われた人々の無数の名前が刻み込んであった。

60年前、遙か遠くの収容所で無惨に命を絶たれた家族たちの名前を辿っているうち、深い悲しみの波に呑み込まれ、人間が人間に行った狂気と呼ぶべき非行に戦慄させられた。無知と偏見は恐怖を生み、決して消えることのない不幸な歴史を人類の記憶に刻んでしまった。こんな不幸が二度と繰り返されることがないように、という望みを託した永遠の火が、人知れず記念碑の片隅に灯されていた。

駐車メーターの時間が残り少なくなってきて、車に向かって歩き始めるのを待ち構えていたかのように、突然強い雨が降り始めた。暫く雨宿りしたものの、雨足は強まるばかり。二月でも気候は夏だし、まあいいか、と濡れながら歩いて途中まで来たところでようやく小降りになる。

ちょうどそのとき見かけたのが、この建物。

青緑のアールデコの曲線が美しい、ジャッキー・グリーソン劇場だ。グリーソンさん(1916-1987)は、シトコム(シチュエイション・コメディ=TVの連続コメディ番組)の草分け「The Honeymooners」を主演・プロデュースしてTV草創期に一世を風靡したコメディアンだ。64年に出身地ニューヨークのブルックリンからマイアミに本拠地を移し、この劇場から全米に番組を送り出した。一年中ゴルフができる気候が魅力だったらしい。

この劇場は、いまでは大手プロモウション会社の「ライブ・ネイション」に買収され、昨年全面改装されたばかりだ。なるほど、外観がシャープに見えるのも頷ける。同社が所有する本家サンフランシスコのフィルモア公会堂にちなんだフィルモア・マイアミビーチと呼ばれ、コンサートや演劇用の貸ホールとして使われている。

車にもどると、最後に街の北にある中世スペインの修道院を訪れてみることにした。いざ北に向かって走りだすと、夥しい交通量に加えて工事が多く、なかなか先に進まない。まだ?と繰り返し尋ねるりす坊を宥めながら、ようやく着いたのがこの教会。中に入ろうとすると、入場料を取るという。後にも先にも、教会で入場料を要求されたのはこれきりだったが、ここまで来た以上しかたない。払うものを払って、目的の庭に出た。

中庭を囲むように、古い石造りの回廊が巡っている。僕が想像していたとおりの風景で、ほっと一安心。マイアミなら、修道院に派手なネオンサインがあっても不思議はないと思っていたからだ。

この教会は12世紀スペイン・セゴビア地方の古い修道院を細切れに分解して運んできたものだ。僕らがカリフォルニアで見慣れているミッションの原型といえるものだろう。これまで見てきた、金に汚くけばけばしいマイアミとはガラリと趣が異なり、これまた極端に鄙びた渋いものに遭遇した。とまどったのも束の間、結局たくさん写真を撮ることになった。

こうして、最後は静かに、僕らの駆け足の南フロリダ旅行は終わった。

この教会から空港までが、これまた凄い渋滞続きで、レンタカーを返し、空港でチェックインが完了したのは出発のほんの30分前。ほんとうなら完全にアウトだが、必死に頼み込んで何とかもぐり込ませてもらった。次回からは時間に余裕をもって、と神妙に反省したものの、今回の僥倖に味を占めてまた同じことを繰り返すのはおそらく間違いない。

同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
10万円 - 15万円
航空会社
アラスカ航空

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  • ル・プロバンス・カフェ

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  • マイアミビーチ・ホロコースト記念碑

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  • ジャッキー・グリーソン劇場

    ジャッキー・グリーソン劇場

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  • 古代スペイン修道院入口

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  • 古代スペイン修道院中庭

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  • 古代スペイン修道院回廊

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  • 古代スペイン修道院礼拝所

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  • さよならマイアミ

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