2000/09 - 2000/09
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イスカンダル亜力山大さん
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「シルクロード・いとしのトルファン」の続編。
「敦煌」.......
私がこの地名を初めて知ったのは、学生の頃だったと思う。
仏教遺跡、程度の認識しかなかった。
当時は、数十年後に自分が実際にこの地を訪れるとは夢想だにしなかった。
井上靖の「敦煌」という小説がある。
彼は実際にこの地を訪れることなく、あの長編を書き上げたそうな。
浅学な私は、「井上靖って、そんなにすごい小説家なのか」とは思わなかった。
「そんなに魅力的なところなのか、敦煌は!」と思った。
中国へ足を運び出してからも、なかなか敦煌を訪れるチャンスはなかった。
そんな時、映画「敦煌」が世に出た。
私は、一も二もなく敦煌へ飛んでいった。
一度道がつけば、旅って気安く行ってしまうモノだ。
今回で何度目だろう、敦煌行きは。
トルファンから敦煌へ行く夜行列車の中で、私はなかなか寝付けなかった。
敦煌へ行くときはいつもそうだが、初めて行く地のように興奮してしまう。
何てったって、砂漠の大画廊・世界文化遺産の莫高窟が有る町だから。
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敦煌故城正面
今回の敦煌行きは、まず敦煌故城から始まる。
古城といっても、映画「敦煌」の撮影のために建てられたオープンセット。
宋代の構えを模倣した新しい古城だ。 -
敦煌故城に入った所にある記念碑
「沙州」は敦煌の古称で、この揮毫は中国書道家協会会長の趙樸初(故人)のもの。
碑は両面になっていて、裏は「敦煌」と書かれている。 -
帰義軍節度府
「帰義軍節度府」は唐から宋の時代、辺境の地に置かれた軍と行政を司る役所のこと。
この役所のトップを帰義軍節度使と言い、映画では田村高広が演じていた。 -
敦煌故城の城壁
中国では、このような城壁を「城」と言う。
日本人がイメージする天守閣のようなものではない。
とある中国人と話をしたときのこと。
彼「日本にも城がありますか?」
私「大きなお城がありますヨ」
彼「何kmありますか?」
私「えっ、お城が何kmって?」
映画では、中川安奈が演じるウイグルのツルピア姫が城壁から身を投げた。
渡瀬恒彦の西夏王・李元昊がゴビの彼方から押し寄せ、守備軍の大将・西田敏行の朱王礼が城内から撃って出た。
城壁へ上がれば、映画の一コマ一コマがよみがえってくる。 -
平山郁夫教学楼
名所旧跡を訪ねるだけが旅じゃあ無い。
地元の学校へも行く。
ここは敦煌郊外にある、平山郁夫画伯の寄付で建った小学校。
正式名称を「新店台小学」と言う。
校舎が老朽化して使えなくなっていたところ、シルクロード絵画第一人者の平山郁夫画伯が窮状を聞き、私財を寄付して、この校舎が出来た。
「教学楼」は「校舎」のこと。 -
カラーガード隊がお出迎え
校舎は立派になったが、楽器を買いそろえるには至らない。
それでも、かっこ良い制服に縦笛やトライアングル、タンバリンなどの演奏で、私たちを出迎えてくれた。
敦煌の中心部は、世界中から来る観光客でけっこう潤っているが、一歩郊外へ出たら、不毛のゴビと格闘しながら生きる貧しい農村の現実がある。
この学校へ通う子は、貧しくても学校へ行けるだけ、まだ幸せ。
学校で教わるのは、国語と算数のみ。
教科書は学校所有の毎年使い回し本で、ボロボロ。
子どもたちが持っていた筆箱は、赤く錆びたカンペンケースだった。 -
歓迎の挨拶をする生徒代表
中国少年先鋒隊の腕章が凛々しい。
胸には五墩学区のネーム刺繍。 -
平山郁夫顕彰碑
何となく日本語訳
1998年6月、日本の著名な画家、日中友好協会会長で敦煌研究院名誉研究員の平山郁夫さんは、村の希望プロジェクトに対して熱心に資金提供し、新店台小学校の校舎を建てるために26万元(約400万円)を寄付した。この秋、彼の功績を称え、校舎を平山郁夫校舎と命名し、併せて記念碑を建てる。
五墩郷人民政府
1998年8月30日建立 -
莫高窟の入場口
ここは莫高窟のシンボル第96窟。
中には奈良東大寺の大仏の2倍の高さの大仏が鎮座する。
莫高窟には、カメラ・ビデオやリュックも持ち込み厳禁。
チェックは厳しい。
さすが世界遺産。
4世紀から14世紀にかけて、千年間に千ヶ所の石窟が造営された。
100年ほど前に世界に知れ渡ってから、貴重な文化遺産は保護の名目で世界中へ散逸した。
それでも多くは残され、世界中から訪れる莫高窟ファンは、その規模の大きさに驚嘆する。
窟内の壁画を高さ1mの高さにすれば、その総延長は45km。
とてつもない砂漠の大画廊だ。 -
現存する外壁の壁画
窟内部だけでなく、外部の崖にも壁画が残る。
このように彩色が残っているのもあるが、多くは退色している。 -
『シルクロード石窟』の裏表紙
既出の通り、莫高窟へはカメラもビデオも持ち込めないので、代表的な石窟を拙著『シルクロード石窟 敦煌壁画の美』から以下にピックアップ。 -
莫高窟第275窟(北涼)
莫高窟に現存する初期の塑像で最大のもの。
残念ながら右手は欠落して骨組みの木がむき出しになっている。
交脚(交差)した独特の座り方はこの時代特有のもので、容貌はガンダーラ仏を彷彿とさせる。
この姿は当時の北涼人には異国の神と映ったかもしれない。 -
莫高窟第249窟(西魏)
森の中で狩人が馬に乗り駆け回って狩りをしている壁画。
これは古代の狩猟生活を描き出した一幅だが、西魏は遊牧騎馬民族の国だったので、民族古来の文化を描いたものと思われる。 -
莫高窟第57窟(初唐)
莫高窟に現存する壁画の中で最も有名な菩薩の壁画。
菩薩は華麗な宝冠を戴き、薄絹の裾を長く垂らしている。
身体の重心を左足にかけ、小首を左にかしげて腰を曲げたS字三曲法の姿勢で、蓮台の上に立つ。
釈迦の説法を聞き漏らすまいとする静かな息遣いまでもが聞こえてきそうな究極の菩薩壁画である。
宝冠・瓔珞(ようらく)・腕釧(わんせん)などまばゆい黄金の装身具は、往時の輝きを保ったまま千数百年を経た今もその輝きを失っていない。
淑やかで上品な顔立ちは西域の貴婦人を思わせる。
第57窟は、この菩薩の存在で、別名美人洞と言われる。 -
莫高窟第220窟(初唐)
第220窟には、初唐の貞観16年(西暦642年:日本は飛鳥時代)に描かれた、極めて保存状態の良好な伎楽壁画が現存する。
これは二人の伎楽菩薩が舞っている場面で、壁画の中心に描かれている。
二人は小さな楕円形の氈(せん:毛織りの絨毯)の上に立ち、髪を高く結い上げ、両手に長い披帛(ひはく)を持っている舞っている。
この舞は胡旋舞と言い、西域から伝わった。
速い調子の伎楽に合わせて舞う胡旋舞は、長安の都でも好評を博し、西域から来た楽士や舞姫たちはスター扱いされた。 -
莫高窟第45窟(盛唐)
莫高窟で最も有名な菩薩塑像であり、唐代を代表する塑像。
この菩薩を見逃す者は一生悔いが残る、と言われるほど有名。
軽く目を閉じ、両端がきゅっと上がった薄紅の唇。
人間味豊かでしなやかな宮廷の貴婦人を思わせる菩薩一尊である。 -
莫高窟第45窟(盛唐)
これは塑像の背景に描かれた壁画の菩薩胸部。
髪を高く結い上げて眉は細く長く引き、やや伏し目がちに切れ長の眼差しを落としている。
口許をきゅっと引き締めた表情は現代の麗人にも通じるものがある。
この壁画の手前に塑像が2体あり、半ば隠されて見落としてしまいそうな壁画だが、じつに妖艶に描かれている。 -
莫高窟第158窟(吐蕃)
釈迦は一生をかけた衆生救済活動の末、クシナガラに向かう途中、腹痛をおこし動けなくなった。
釈迦は沙羅双樹(さらそうじゅ)の木陰に臥し涅槃(ねはん)に入った。
右脇を下に、頭を北に向けていたという。
第158窟は大型の涅槃窟で、長さ15.1mにも及ぶ巨大な涅槃臥仏像が横たわっている。
涅槃臥仏の周辺では、菩薩たちが静かに釈迦を見守っているが、弟子や各国王族たちは悲嘆に暮れる姿で描かれ、なかには悲しみのあまり、我が身を傷つける者の姿も描かれている。
釈迦は弟子たちに『何も悲しむ必要はない』と諭したが、修行の足りない弟子たちは悲しむより他にすべを知らなかったという。
元もと「涅槃」は古代インドの言葉で、絶対無上の安寧を意味し、本来は至福の状態である。
確かにこの窟の仏は、見る角度によっては静かに眠っているようにも、笑みを浮かべているようにも見える。 -
莫高窟第159窟(吐蕃)
これは侍従菩薩と伎楽菩薩の壁画である。
南方から連れてこられた奴隷が獅子を操り、伎楽菩薩は楽器を手にし、流れるような美しい旋律を奏でている。
この壁画は、私たちを繊細で幻想的な音楽の世界へ誘ってくれる。 -
莫高窟第112窟(吐蕃)
反弾琵琶として知られるこの壁画は、観無量経変壁画の最前列中心にある。
伎楽天が頭の後ろで琵琶を逆さに抱え、足を踏みならして舞いながら琵琶を弾奏している。
この器用な演奏法を「反弾琵琶」という。
華麗な瓔珞(ようらく=胸飾り)に腕釧(わんせん=腕輪)足釧(そくせん=足首の飾り)を着け、天衣を翻しながら舞い踊る様はまさに天女の舞い。
見る者を甘美な天上世界に招き入れてくれる。
敦煌市内中心のロータリーには、この反弾琵琶をモチーフにした像が立っている。
これはもちろん、敦煌のシンボル。 -
莫高窟第61窟(五代)
この壁画は、五代期に敦煌の実権を握った曹一族の婦人たちで、第一序列から第四序列までをクローズアップした。
一番左(第一序列)の婦人は曹議金の回鶻人(ウイグル人)妻。
二番目の婦人は曹議金の娘で、この窟の施主・曹元忠の姉。
彼女は甘州回鶻(ウイグル)へ嫁いでいる。
甘州は現在の甘粛省張掖で、宋の本国と敦煌との間にある回鶻の支配地。
三番目も曹議金の娘で曹元忠の姉。
こちらは于闐(うてん)へ嫁いだ。
于闐はタクラマカン砂漠の南縁、現在の新疆ウイグル自治区のホータン辺りで、西域南道の要衝。
四番目は曹議金の漢人妻で曹元忠の実母。
二番目までが回鶻服で、三番目が于闐服、四番目でようやく漢服。
漢人妻が第四序列に描かれている。
序列を重んじる漢人にとっては屈辱的な並び順だが、これも群雄割拠の敦煌にあっては一族の興亡をかけてた策に他ならない。
支配民族が目まぐるしく変わる当時の敦煌では、政略結婚が地域安泰の最良の策。 -
莫高窟第3窟(元)
ラマ教(チベット仏教)は観音を崇拝し、千手千眼観音は信仰の対象としてラマ教寺院によく見られる。
別名大悲観音。
本尊は十一面で、大手が40本。その内2本は化仏(けぶつ:仏の化身、象徴)を捧持、2本は合掌し、2本は托鉢を持っている。
34本は種々の印を結んでいる。
その他の小手は、全体がまるで光背のように輝いて観音の周りに広がっている。
各々の掌の目は観音の慈悲深さを表す。 -
飛天のイメージ
飛天は釈迦を誉めたたえるのが役目で、音楽・香・花で荘厳さを演出する。
別名「香音神」
古代インドの言葉でガンダルヴァと言い、仏法の護法神である。
天宮十宝山に住み、花を集め、自由に空を舞うことができる。
莫高窟には飛天のいない窟は無い、と言われるほど多くの飛天が描かれている。
以上、拙著『シルクロード石窟 敦煌壁画の美』からピックアップ。
解像度が低いが、ご容赦を。 -
莫高窟の上にある烽火台(のろし台)
さよなら莫高窟、また来るからネ! -
鳴沙山遠望
夕方近く(って言っても8時前でまだ日が沈まない)、鳴沙山へ。 -
鳴沙山の稜線
敦煌の町外れにある鳴沙山は、東西40km、南北20km、高さ50〜60mの砂山が続く。
最高地点は麓から比高250mぐらい。
日本人が思い描く砂の砂漠が広がり、眼下には月牙泉が横たわる。
周辺にゴビの瓦礫ばかりが目につくなかで、いかにも日本人好みの砂漠の風景が広がる。 -
鳴沙山
風に吹かれて落ちる砂の音が、まるで山が泣いているように聞こえた「沙嶺晴鳴」から鳴沙山の名が付いたという。
押し寄せる観光客で毎年砂山が低くなっている。
そのため立入禁止の砂丘もある。
陽が傾いて、砂漠を渡る風が冷たくなってきた。
おやっ?! 歩いている人もいるが,,,,,,, -
ラクダに揺られて月牙泉へ
♪月の〜砂漠を〜 はあるぅ〜ばーるとぉ〜〜〜、
ラクダでしょ、やっぱしここでは。 -
鳴沙山に沈む夕日
待つことしばし。
絶妙のタイミングで鳴沙山に砂漠の夕日が沈む。
う〜〜ン、シルクロードのロマンやな〜〜。 -
月牙泉遠望
目線を落とせば、3千年涸れることなく滾々と湧き出る神秘の泉・月牙泉が横たわる。
3千年?
誰が確認したン?
まあ、堅いことは言わんと!
月牙泉には鉄背魚という珍魚が棲息し、不老長寿の水草が繁茂しているとか。
残念ながら泉の周囲は柵で囲われ、その姿を確認することはできない。
忍び込んで釣り糸垂れたらアカンよ。 -
敦煌のシンボルは「反弾琵琶」が有名だが、もいっちょ「兎」もマイナーながら知られている。
ン?
知らんって?!
これは敦煌市内の敦煌博物館のロビー床に描かれた3羽のウサギ。
法話の「月のウサギ」に因んだモノだが、何故3羽なのか、何故耳が合体しているのか?
説明は聞いたはずだが失念、なさけなや。
っで、こまちゃんさんからウサギ(三兎図と言うそうです)の謎解きをいただきましたので、転載します。
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これは宗教所縁の図案でして、研究団体が幾つもあって、未だに謎のまま研究中です。
中国中世の教会に見られる図案で、敦煌莫高窟壁画にも記されている図案。
今では敦煌のマークの一つとして、大陸の敦煌好きには広く知られています。
キリスト教とモスリンにも通じる図案と言う事が、お互いの過去の絵画や教会などの図案で発見されているもので、隋代に始まったモノとして見られている。係わる人が少ない為に、中々究明されないモノですが、今も尚研究中です。
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こまちゃんさん、ありがとうございました。 -
敦煌博物館の前庭には、ラクダのモニュメントが。
後方の博物館本体の上部には、天馬と飛天。 -
さようなら敦煌&莫高窟。
この飛行機で西安へ。
っで、乗り継いで日本へ帰る。
これ、Bae146ってイギリス製のジェット機。
日本じゃ見かけない珍しい機種だ。
香港返還に絡んで、サッチャーが小平に100機売りつけた(うわさ?)と、いわく因縁付きの飛行機。
ってことは、エンジンはロールスロイス製やろネ。
まさか三菱重工製、ってことは。。。。。
元気にシルクロードの旅を終えた!
帰ったら、また直ぐ行きたくなるンだろうな。
<カシュガル→トルファン→敦煌 三部作完>
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この旅行記へのコメント (6)
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- こまちゃんさん 2005/11/22 20:26:14
- 平山画伯寄贈学校
- の先に、老余の家があります。
なので、この前を通って彼の家に行きましたが、写真が今一つだったので、自分のアルバムには載せていませんでした。「次に行ったら撮ろう」と思っていたのですが、滞在が終盤が迫ってくるに連れ、時間が無くなって仕舞って実現しませんでした。(;_;
半年居ましたが、全部網羅できず残念でしたが、誰も撮っていない写真をこちらで載せて頂き嬉しく思います。(*^ー^*
- イスカンダル亜力山大さん からの返信 2005/11/24 09:48:43
- RE: 平山画伯寄贈学校
- 余さんのお宅って、新店台小学校の近くだったのですか。
敦煌市内ではなかったのですね。
- こまちゃんさん からの返信 2005/11/24 09:58:59
- RE: RE: 平山画伯寄贈学校
- 市内から8km。この学校前を更に飛行場方向へ行きます。
敦煌では「郊外で遠い所」と言われました。でも、敦煌自体が小さいので、老余の家は近かったです。オート三輪で行きましたから。
http://4travel.jp/traveler/chinaart/album/10034288/
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- こまちゃんさん 2005/11/22 20:12:46
- 三兎図
- 折角長時間居たけど、とうとう写真に撮らずじまいでした。(~~;ゞ
これは宗教所縁の図案でして、研究団体が幾つもあって、未だに謎のまま研究中です。
中国中世の協会に見られる図案で、敦煌莫高窟壁画にも記されている図案。
今では敦煌のマークの一つとして、大陸の敦煌好きには広く知られています。
キリスト教とモスリンにも通じる図案と言う事が、お互いの過去の絵画や協会などの図案で発見されているもので、隋代に始まったモノとして見られている。係わる人が少ない為に、中々救命されないモノですが、今も尚研究中です。
- イスカンダル亜力山大さん からの返信 2005/11/24 09:45:51
- RE: 三兎図
- お〜〜、敦煌のウサギにはやっぱり長い歴史があったのですね。
単なるウサギさんじゃあなかったのだぁ。
それにしても不思議な図案のウサギですねえ。
見れば見るほど味が出てきます。
ほな。
- こまちゃんさん からの返信 2005/11/24 09:51:45
- RE: RE: 三兎図
- 返事頂いて自分の元書き込みを見直したら、「教会」って書くべき所が「協会」ってなってた。
あと、「究明」って書くべき所も「救命」だって。。。(~_~; ゴメンなさい。
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