2010/02/03 - 2010/02/03
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ホーミンさん
皆さま、こんにちは。ご訪問を感謝いたします。
ブリュッセルを拠点に、ベネルクス3国を鉄道で旅行しました。
アムステルダムの滞在は半日。
見たいもの食べたいものが多くて、何をカットするかが問題です。
どうしても外せない、アンネ・フランク・ハウスを優先しました。
ブリュッセルを拠点にベネルクス三国鉄道の旅
一日目 ブルージュ ゲント
二日目 リエージュ アントワープ ホーボーケン
三日目 ルクセンブルグ
四日目 ザーンセスカンス アムステルダム
五日目 ハーグ
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- フィンランド航空
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アムステルダム中央駅に到着です。
駅前は大掛かりな工事中。2013年まで、この工事はかかるとか。
そのそばを通り抜けて、ダム広場に向かいます。
駅前は人通りが多く、まっすぐには歩けません。
今回の旅行で、一番活気があった所です。 -
王宮も、悲しく工事中。
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てっぺんだけでも見えていてよかったです。
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ダム広場には、マダム・タッソー蝋人形館もあります。
入場を待つ行列ができていました。
6階建てで、かなりの数の蝋人形が展示されているものと思われます。
香港で見たし、見てホーミンが壊れたし、今回はパスしておきます。 -
王宮のとなりにある新教会。
後期ゴシック様式の建築で、フェルメールもここで洗礼を受けています。
1841年以降、歴代国王の戴冠式が行われています。 -
王宮の裏側にあった重厚な建物。
さぞかし重々しい機関が入っているものと思ったら、ショッピングセンターでした。
元は郵便局だったそうです。
日本にこんなショッピングセンターがあったら驚きますね。 -
王宮です。
後側が見えてちょっと感激。 -
たおやかに流れる運河。
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西教会
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カトリック教会と思っていたら、プロテスタント教会でした。
塔の高さは85m、アムステルダムで最も高い塔だそうです。 -
アンネ・フランク像は、この教会の南側に立っています。
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ここがアンネ・フランクの家です。
隠れ家は二重構造になっていて、こちらは表向きの顔で、アンネの父オットー・フランクの会社でした。 -
家の前には、穏やかに流れる運河が。
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1949年の写真。
青い部分が表向きの家で、緑が隠れ家です。
隠れ家の一階は表の家から続く倉庫で、二階より上が、8人が2年余りを隠れ住んだスペースです。
右端に西教会の一部が見えます。
アンネは、西教会のカリヨンの音を隠れ家で聴いていました。 -
館内は写真撮影が禁止されています。
入館料は8.5ユーロです。
内部はかなり狭いところもあるので、リュックは胸に抱えるように掛けねばなりません。
見学者がいっぱいです。
特に若い人が目立ちます。
一部日本語の説明もありますが、殆んどがオランダ語や英語です。 -
奇跡的に生き残ったオットーの記憶を元に、1961年に作られた隠れ家の模型です。
上がアンネとフリッツ・ヘファーの部屋。 -
アンネとフリッツ・ヘファーの部屋。
天井が低く、狭くて薄暗い空間です。
殺風景だったので、アンネがいろんな写真を貼りました。
オランダ王室の写真、イギリス王室の写真、ダビンチの絵もありました。
日記を書いたのもこの部屋です。 -
隠れ家の一階倉庫では、アンネたちが隠れ住んでいることを知らない人たちが働いていました。
その人たちに存在を悟られないように、昼間は水を流すことも出来ませんでした。 -
隠れ家の入り口。
動く本棚で隠していたことは有名です。
右に見えるガラスの下あたりに、階段があります。
食料などは、そこから運び込まれました。 -
アンネとフリッツ・ヘファー。
フリッツは、1944年暮れにノイエンガンメ収容所で病のため死亡。 -
アンネの両親、オットーとエーディト。
姉のマルゴー。
オットーはアウシュヴィッツで生きて終戦を迎え、、1980年に91歳で死亡。
エーディトは、1945年始めアウシュヴィッツで病と過労のため死亡。
マルゴーは、ベルゲン・ベルゼン収容所でチフスにかかり、1945年3月に死亡。
その数日後に、アンネも後を追うように同収容所でチフスにかかり亡くなります。 -
ヘルマン・ファン・ペルスと、アウグステ・ファン・ペルス夫妻。
ヘルマンは、アウシュヴィッツで1944年秋に毒ガスにより殺されました。
アウグステは、1945年春、移送中に死亡。 -
ペーター・ファン・ペルス。
1945年春、収容所の傷病者バラックで死亡。
アウシュヴィッツ旅行記
http://4travel.jp/traveler/homing/album/10353835/ -
アンネの日記
彼女は、ジャーナリストになりたかったようです。
そして、世界的に有名な小説家にも。
奇しくも、後者にはなれました。あまりに悲しいけれど・・・。 -
解放後に隠れ家だった部屋に戻った、アンネの父親オットー・フランク。
この写真を初めて見ました。
衝撃的な一枚です。
この時の彼の心中を察すると、胸が潰れそうなくらい悲しくなります。
生き残ったのは、彼にとって喜びだったのか、悲しみだったのか・・・。 -
屋外に出ると冬の陽に照らされ、瞬時に元の世界に戻ります。
ちょっと心が重いままですが・・・。 -
アンネの家のすぐ近くに、お目当てのパンケーキ屋さんがありました。
運河沿いに150メートルほど歩いた所です。 -
心が重くても、再び来られるかどうかわからないので、食べられるときに食べておかねばなりません。
入ります。 -
ガイドブックに載っていたパンケーキが食べたかったのですが、写真を見せると夏季限定メニューだと言われました。
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メニューが読めなかったので、オススメをオーダーしました。
店内は、かなり広いです。 -
オススメのパンケーキ。
直径30cm以上あります。
1枚、8.5ユーロ。
バナナとチョコ乗せ。
帰国後、これは我が家のメニューに加わりました。 -
甘さが足りない方は、この蜂蜜をおかけ下さい。
備え付けのスプーンも、おっきいの。 -
ハーリングを食べました。
ニシンの塩漬けです。
350円くらいだったと思います。
絵のおじさんのように、尻尾をつまんで持ち上げて食べるのがオランダ流だそうです。
お店のお兄さんは私たちが外人なので、切ってくれました。
ピクルスと玉ねぎを乗せて、いただきます。
モチモチの身で、おいしいです。
脂と砂糖攻めの食生活が続いていたので、酸っぱいものがおいしい♪ -
南西を向いて建つアムステルダム中央駅。
西日を受けて、くっきり鮮やかです。
なんだか東京駅に似ていると思ったら、こらは東京駅のモデルになった駅舎だそうです。
1889年完成。
ここからブリュっセル行きの電車に乗って帰りました。
ホームが長くて、しかも端っこのほうに電車が停まっているので、乗り遅れそうになり猛ダッシュ!
同じホテルに数日泊まると、「ホテルに戻る」とは言わずに「家に帰る」と表現してしまいます。
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