2009/08/23 - 2009/08/23
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しんちゃんさん
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シモツケコウホネ(下野河骨)は最近新種として登録されました。コウホネ(河骨)は昔からある植物ですが、「シモツケコウホネ」は下野(栃木県)にしかないようです。貴重な写真をお披露目します。栃木県日光市小代(こしろ)地区です。東武日光線「下小代(しもごしろ)駅」から歩いて10分以内の場所です。
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東武鉄道 日光線 下小代(しもごしろ)駅、最近駅舎が建て替えられました。
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昔懐かしい駅舎は地元の要望により、西側に移転され保存されています。私有地だそうです。太っ腹!
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保存された、駅舎の改札口
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住所表示は日光市(旧今市市)小代 (こしろ)しかありませんが、地元では上小代と下小代に分かれているため、「駅舎のある場所の下小代が付いたのではないだろうか」と地元の方が言ってました。しかも、下が着くと“ごしろ”って、濁ってしまうんですね。
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特急電車「ロマンスカー」が通過しました。下小代駅は止まりません。
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フウセンカズラも花と実を一緒に見る機会はないでしょう。
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シュウメイギク(秋明菊)「白は結構増えるんだが、紫は中々増えない」と言ってました。
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下小代駅構内には小さな花壇がありました。管理人のおじさんが約15年掛けて育てたシュウメイギク(秋明菊)があります。
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下小代駅前に実っていたカラタチ(枳殻)
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問題のシモツケコウホネの場所は下小代駅から北西へ500m位の場所ですが、まず、200m西側の道路沿いに駐車場の看板があります。言葉では説明が難しい。道を一本間違えると遠回りになるので注意してください。
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駐車場から北へ200mほど、こんな道を歩きます。「下小代駅から西ヘ200mと北へ200mならば、駅から√2=1.41倍だから約300mではないか」なんて、硬いことは言わないで・・・アバウトだから。
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初めは不安ですが、看板がありますので安心しましょう。
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いよいよ、小川登場です。でも金魚鉢に入れる水草でした。
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ここまで歩けば、いただきです。
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理解しがたい表現です。地元の方に聞きましたら、昔は邪魔になるほど川にあったそうです。除草剤等で一時減ってしまったのでしょうか。そうして、平成6年に再び咲き出したとか…
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土手は土で出来ています。水分をたっぷり吸って崩れやすいです。体重のある方、ハイヒールの方、酔っ払いの方見学は遠くでお願いします。
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三連花
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シモツケコウホネの命名者は大阪市立自然史博物館の志賀隆学芸員だそうです。DNA鑑定等して個体識別や遺伝的な調査をしているそうです。
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蛙さんもご挨拶。殿様蛙は最近減ってきているそうです。たんぼの間断冠水でおたまじゃくし期間が長い殿様蛙は水が無くなり死んでしまうそうです。雨蛙はおたまじゃくし期間が短いのでまだ大丈夫だそうです。某有名テレビ局で放映されていました。
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シモツケコウホネの種です。ボケの花が痩せた感じです。イチジクの実をスマートにした感じ。
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小川の北側のおばあちゃんが散歩に出てきましたので、根堀り葉堀りインタビューしました。
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この部分が一番繁殖しています。長さにして150mくらです。上流には一本も見つける事が出来ませんでした。下流にも種とか根を植えて増やしていると聞きました。全体で300mくらいの範囲しかないようです。
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シモツケコウホネの葉です。水の中に没しています。
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シモツケコウホネの葉です。わかめの葉の様で色は茶色です。コウホネの葉は群馬大学社会情報学部の青木繁伸さんの「植物図鑑」で比べてください。「http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/BotanicalGarden-F.html」からコウホネで検索すると、その違いが判ります。
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ハグロトンボ(羽黒蜻蛉)
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お話を伺ったおばあちゃんが帰って行きました。隣町の鹿沼市からお嫁に来たのが大正時代と聞きました。ということは…何歳? 詳しい、ここの場所は「http://map.goo.ne.jp/blogparts/map.php?MAP=E139.42.50.329N36.39.2.681&ZM=12」でぴったり出ると思います。ご利用下さい。
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たんぼの中にクワイの花
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ホテイソウの花らしきものも
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JR日光線(宇都宮駅〜日光駅)の文挟(ふばさみ)駅からの経路も載せておきます。平等で優しいでしょう。自動車で来る方は、こちらの方が参考になるはずです。
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文挟駅プレート、“ふばさみ”が中々読めない。栃木県は地名等難しい読めない漢字が多いです。祖母井、西刑部、行川、徳次郎、荊沢、萩垣面、小来川・・・うばがい、にしおさかべ、なめかわ、とくじら、おとろざわ、はんがきめん、おころがわ。いくつ読めましたか。
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文挟駅前には日光杉並木が立ち並びます。通称「例弊使街道(れいへいしかいどう)と言います。Wikipediaによりますと【徳川家康の没後、(京都から)東照宮に幣帛を奉献するための勅使(日光例幣使)が通った道である。】とあります。地元では国道121号線なんて言わないで、例弊使街道(れいへいしかいどう)と言います。
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例弊使街道(れいへいしかいどう)を北へ約300m進みます。
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杉並木が途切れる部分が、文挟(ふばさみ)宿です。町へ入ると同時に左折、西へ曲がります。JA落合直売所が目印です。
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坂を下り、交差点から約600m、道なりに進むと東武鉄道の隋道をくぐることになります。道端にこんな石碑もありますので道草・浮気も可能です。説明版からです。【十九夜念仏供養塔 二基
かつてこの供養塔は当地近くの旧農道脇にありましたが、平成20年に実施された耕地整理事業により現在地に移設されました。二基の供養塔には次の文字が記されています。(右側:)(正面)十九夜念仏供養塔 (右面)下小代村 女人講中十五人 赤の目 文政十丁亥年
(左側:)(正面)十九夜念仏供養塔 (右面)天保十五甲辰三月十九日 女人講中十六人 赤の目
十九夜念仏とは、毎月十九日に村の女性たちが集まって観音様に灯明や線香をあげ、念仏を唱えてお産が軽くすむように祈願する行事のことです。観音様は女性の悩みを聴いてくださる優しい仏様でしたから、下小代と赤行の女性たちは、講を組んで観音様の信仰を続けていたのでしょう。文政十年は西暦1827年、天保十五年は西暦184*年ですからこの供養塔が建てられたのは、江戸時代の後期、今からおよそ180年ほど前のことでした。】 -
東武鉄道の隋道
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東武鉄道の隋道をくぐると「小代行川庵」(こしろなめがわあん)地元の町おこし、有志が打ちたて蕎麦を食べさせてくれます。加藤様が町へ寄付した豪邸跡をそっくりお蕎麦屋に改造しました。池あり庭あり、そばを流れる行川(なめかわ)から名前を付けました。シモツケコウホネ見学帰りにご賞味下さい。この看板から250m位北側に駐車場があります。ごゆっくり見学してください。以上東武鉄道とJRの最寄り駅からの日光市小代のシモツケコウホネ見学記でした。…次は那須烏山市のシモツケコウホネ探しです…
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