2005/04/10 - 2005/04/10
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enyasuさん
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2005年4月10日(日)昼前、龍井の知人に電話したところ時間があると言う事でしたので、龍井へ遊びに行くことにしました。
写真は龍井の起源地の井戸です。
龍井地名の起源となった言い伝えは下記の通りです。
昔々海蘭江の畔のある小さな村にとても勤勉で美しく、善良な朝鮮族の娘が住んでいました。娘はいつも河にでて洗濯をしていました。ある日娘は腕白な子供達から一匹の死にかけた小さな鯉を救い、河の中に逃がしてやりました。この小さい鯉こそまさに“東海竜王の3太子”でした。太子は天界の規則を犯した為、天の王が罪とし、小さな鯉に変え河の中に放たれていたのでした。その鯉を娘が救ったのでした。小さい鯉はとても感激しました。
それ以後、娘が洗濯に来るたびに、小さな鯉はいつもそのそばを行ったり来たりしたそうです。娘は小さな鯉が再び捕まらないように慎重にそれを連れ帰って、村はずれの井戸に放しました。
その晩、娘が密かに井戸辺に来た時、若くて才能豊かな若者が娘を待っていました。この若者こそ小さな鯉が変身した姿でした。この時から月光の下、毎日二人の影が見られるようになりました。
二人は結婚したいと思うようになりました。しかし村人達の反対に遭いました。その為娘は悲観し井戸の中に飛び込んでしまおうとおもうようになりました。そして娘がまさに井戸に飛び込んだ時、一匹の小さな青い竜が娘を抱え、とても遠い所に飛んで行ってしまいました。二人はついに円満な夫婦になることができたのでした。
村人達は彼らを記念するため、この井戸を“龍井”と叫ぶことに決めました。これが龍井地名の起源となった美しい愛情あふれる言い伝えです。
この井戸は現在龍井市龍井街と六道河路の交差する地点にがあります。19世紀末、朝鮮移民張仁碩と朴仁彦がこの交差点、北東60メートルにある古井戸を発見したのでした。井戸の水は清涼で甘く、移民たちは井戸辺に”橘の槔”、すなわち”竜のつるべ”を立てました。のちに六道沟の人々はこの村を“龍井村”と名づけました。
時を経て、1934年には龍井地名の起源を記念するために、李基燮等の人が創始し“龍井地名起源之井泉”という九つの字が刻まれた石碑を井戸辺に建てました。しかし、この石碑はのちに文化大革命の時に破壊されてしまいました。龍井市政府は子孫後代に国を愛し、故郷を愛することを教育する為、1986年にこの石碑を再度建てました。これが現存する石碑です。
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龍井地名起源之井泉の石碑です。この場所が龍井の有名な観光地です。
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石板に由来が書かれていました。
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1時半、遅めのお昼をとることにしました。
地元の友人がお薦めのお店ということで連れて行ってくれました。
そこはなんと延吉のクチコミでも紹介したレストランミミサでした。 -
一緒に食事をし、子供たちと遊んでくれたのは、大学4年生の李さんです。
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右ケチャップ色の料理はトッポギです。
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ミミサの前の道、海蘭路です。まっすぐ行くとバスターミナルがあります。
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食事の後は文化広場に運動に行きました。
この写真は六道河を背に北側を撮りました。 -
10分5元の乗り物に乗りました。
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広場内には車が走っていないので安全です。
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スケートは1時間5元でした。
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広場の南側には像がありました。
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遊具もあります。
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みんなで楽しめます。
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運動になります。
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六道河沿いに工農橋と龍井教会(右奥)が見えました。
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六道河にかかる鉄橋です。
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和龍方向を撮りました。
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帰りはバスターミナルまで人力車で約5分2元でした。
李さんとここで別れました。彼女は1週間後に上海へ仕事を探しに行くようです。 -
バスターミナルは龍井街と海蘭路の交差する付近にあります。
延吉まで大人5元(保険代0.2元含む)、子供は2.8元(同保含)です。約25分で延吉に着きます。
龍井小旅行でした。
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