2008/05 - 2008/05
61位(同エリア133件中)
その風に乗ってさん
- その風に乗ってさんTOP
- 旅行記40冊
- クチコミ21件
- Q&A回答0件
- 87,623アクセス
- フォロワー0人
平遥古城に来て3日目。
平遥古城門票で入場可能なスポットは20箇所ある。
初日の見学で見残した所へ行き、
その後、喬家大院に行く計画を立てました。
PR
-
平遥古城門票で入場可能なスポットは城壁を1箇所と数えて20箇所(2007年8月平遥観光局公表)。
初日の見学で見残した所へ行く。
朝8時半頃初日のガイドさんと待ち合わせの約束をしてあったので、既に行った所をチェックしてもらい行って無い場所を案内してもらう。
写真はHui武林。いろいろな中国武術の解説と達人達の解説が。八卦掌もそのなかのひとつに。 -
6箇所まだ行っていない場所が見つかった。
なお、典当博物館はここ数年は閉鎖中とのこと。
まずは、Hui武林、同興公票局、中国票局、古民居(蔚丰厚)へ。
Hui武林や同興公票局、中国票局は武装輸送業者(票局)やそのために発展した武術の博物館で、訓練場も敷地内にある。 -
なかには、こんな展示もあった。
たぶん実物なので、その大きさにやはりびっくり。
ちょっと痛々しくてゾクッと怖い感じがした。
ガイドさんは昔の中国女性の美人の条件とか平気で言っていたが、特に平遥は中国布靴の産地でもあるし、もう日本のコケシと同じ程度の感覚になっているのだろうな〜。 -
当時の瓦や壁などの装飾品の展示も。
まだ、いくらか民家で現在でも残っていそうです。
左下は猫を模した顔。昨日も民家で見かけました。 -
これも壁などで使用された装飾でしょう。
この他にも、門枕石などすばらしいものがありました。 -
馬蹄銀を模した石の彫刻。多くの家の庭で見かけました。
私の家の庭に置いたら玄関に入るのにすごく邪魔になりそうです。 -
中国票局の荷車。歴史を感じさせます。
というか、外に置いてあるので風化してなくなってしまいそうです。この辺は雨がとても多い所と聞いていますし…。もったいないです。 -
中国票局の歴史的なお話。
中国語が読めたら詳しいストーリーも
わかり数倍楽しそうだな〜。 -
当時の武器で演舞。実物なのかホントに重かった。
まじに、殺傷力があります。
訓練場とかにも武器がいろいろあった。
サンドバックとか当時使ってたのか?
と突っ込みを入れたくなるようなものも。
私も一応空手有段者なので昔取った杵柄で少しやってみたくなった。
中国武術ももっと時間があれば本場で教えを請うのもいいな。 -
同興公鏢局。
票局なので武装輸送業者。そのひとつです。 -
中国珍奇新聞では、近代〜現代を中心に中国や世界の新聞が展示されている。
日帝時代の記事も多くあった。
平遥も日本兵が一時進行したとガイドさんから、なにげにチクチクと聞いていたので実感。
日帝日本兵が出てくるTVドラマは常時放映している感じなので、日本人としては困ってしまう。
こちらは、中国語が読めたら詳しいストーリーがわかり数倍ガックリしそうかな??(涙)。 -
迎薫門(南門)の前をとおり雷履泰故居へ。※1、
※1、拱極門(北門)、鳳儀門(西門)、迎薫門(南門)
では上に登ることができる。
なかでも、南北の門が立派。 -
雷履泰故居へ来ました。
平遥古城門票で入場可能な最後の19箇所目へ。※2
※2、
実は、入場可能な施設がどこか明確にチケットなどには記載がされていない。現在入場可能な19箇所は以下の場所かと思われます。
文廟(大観堂,中国科挙博物館ほか含む)、日升昌、清虚観、具衙署、城隍廟、雷履泰故居、中国商会、協同慶、天吉祥、百川通、古民居、中国票局、華北第一票局、蔚盛長、蔚泰厚、中国珍奇新聞、Hui武林(HuiWuLin)、同興公票局、城壁(北西南門の各入口)。計19箇所。
加えて、2008年現在閉鎖中のHui源当(平遥典当博物館)。
なお、個別にチケットが必要な箇所は、平遥古城門票の裏面に明記があり、市楼5元,双林寺25元,鎮国寺20元。 -
ここにも雷履泰の胸像があり、彼の足跡や商売道具や使用していた品などが展示されている。
彼は染物商の丁稚から始まった。
※3、平遥古城門票(チケット)の不思議
チケットついでにもうひとつ。
120元もするチケットを今回2度購入してしまった。
日付のスタンプが押され、券には当日有効と記されているから。
でも、後からガイドさんから聞いて知ったことだが、このチケットは購入日中に、その日に廻り切れなかった際、翌日も有効になるスタンプを押印してもらえさえすれば、もう一日使用期限が延長できる。
この日、2度目の購入時にはそれを押してもらったので翌日も使用できました。
説明が中国語はわかりませんが少なくとも英語ではどこにも書かれていないので、知らないと損します。
あと、たぶん各施設毎に券の裏面の決まった文字位置を切ってくるようなので、同じ施設への再入場は基本的には不可のようです。 -
ひっそりとした中庭。
豪邸と思いきや、この中庭までは極めて質素。 -
奥側にある中庭。立派なたたずまい。
部屋の中は一応に思いのほか質素な印象。
余談ですが、どこの庭にも中ほどに甕が置いてあり火災の消火用とよく聞きますが、この程度で消火できるのかいつも疑問に考えてしまいます。 -
平遥でよく見られるヤオトン様式を取り入れた彼の部屋の室内は、大富豪にしては質素で壁に描かれた二部屋に一面づつの壁画が目を引く。
風化は既に激しい。 -
階段の手すりや側面にはすごい装飾があった。
通路の風水の絵も風化しているが良さそうなものだった。
やはり、随所に品の良さや、富豪の様子が感じられた。
訪問者も極めて少ないのでゆったりと廻れて、
良い時間が過ごせた。 -
喬家大院へ。
昼食後、バスターミナルへ。※4
午後2時の喬家大院行きのバス(13元)があったので、5分前に乗り込むと20人乗るまで出発しないとのこと、8人ほどだったが10分ほどして10人目が乗ると、運転手さんはあきらめたのか出発。そうこないと♪
40分ほどして到着。人の行く方向に進むと、露天や商店があり、先100mほどのとこに門が見えてきた。
※4、バスターミナルの場所は前のブログに書いた場所で、左手にある駐車場に管理人さんを通せば自転車も数元ほどで駐車させてもらえる。
バスの本数は頻繁に出ている。 -
門を進むと、土産屋さんの商店街が続き、中国では人気がある場所なんだなと実感。
ここを舞台としたTVドラマ「喬家大院」や、映画「紅夢」のロケ地になっていることもあるし。
「皇室を見るなら故宮へ、民居を見るなら喬家へ」の言葉もあるようで、規模や特徴ある緻密彫刻をもつ王家大院なども捨てがたいけど、アクセスの良さや骨董・民具を見るならこちらということになるか?
ちなみに、ここはもちろん平遥古城でも日本語は聞かなかったし、見るからに日本人という方も見かけなかった。もちろん、中国の団体さんなどにまぎれているとも思える。しかし、むしろ欧米人観光客や中国人(本土以外も含め)観光客が目立っている。
特に団体の中国人観光客はここでもかなり多かった。
写真は、大院の入場口なのですが、このように上向きに写っているものばかりで、下から上まで門全体が見れるものはたぶん極少数のはず。なぜなら、この前の道幅が狭く正面遠方から写すことができないから。 -
入場料を支払い、大院の門をくぐると、写真の通路が見え、左右の敷地に区分されていて、各場所に入るようになっている。※5
各区画内はそれぞれ四合院になっています。
当時の邸宅のほんの一部分です。
※5、入場料40元+短期傷害保険代金数元(中国平安財産保険)
なお、敷地内に特に危険な箇所は無く、なぜ保険に入るのか不明。重要文物の破損時の保険くらいしか思いつかない。 -
喬家は大徳通と大徳恒という票号をもつ金融資産家
でその一族の創始者は喬貴発。
彼は幼くして両親を無くし親族に引き取られたが、貧困であしらわれた彼は、ここ山西省祁県から家出をして内蒙古包頭へ。豆腐屋で成功し、穀物商などに発展させた。
これらのストーリーはミニチュア人形を用い1室を使って詳細に解説されている。
また、彼は商人や農業の教育にも力を注いだようで、そのためか、序盤は農作業道具などの展示も多い。
ちなみに、王家大院の王家も元は豆腐屋のはずで、当時なぜか豆腐屋は一儲けできたようです。
その後に、富を築く糧として、山西商人はたいていアヘンや長城などの国策事業、塩の専売が絡むようだけども、豆腐や染物の職人や、それらを流通させていった普通の人達が資産家になるような世の中は痛快な夢のあるように思えるのは自分だけだろうか…。
第1室目に入ると風水の壁が。 -
第1室目、いきなりモダンな建物に驚き隠せません。
ここも清時代の邸宅の筈。さすが、豪商です。
門楼はだいたいどこも木製立体の細かい彫刻が多い。
ほんの一部だが、彩色の塗りなおしが入っているような建物も有りキツイ色彩に引いてしまう感じのもあった。
でも、当時から青や緑の原色は結構ここでは使用されており、鉱物顔料とのこと。そうすると、原料はラピスとかになるのでたいへん高価だったのでは?と考えています。
カラフルにするのもお金がかかりそう。 -
これもモダンな感じ。清朝には西洋文化がかなり金持ちの間には浸透していたのでしょう。
そういえば、平遥の博物館内でよく見かけた半円テーブルも西洋の影響があったとか、逆に影響を受けたとか聞いた。
確かに、テーブルの足はなめらかな曲線でアール・ヌーボー調になっている。 -
喬家大院には地元の年中行事や農機具、民具、冠婚葬祭用具など地元に密着した展示もある。
人があまり入っていない大部屋に入るといきなり冠婚葬祭の葬専用の部屋で白装束が壁一面に展示してあってハッとした。
ひとりでここ見るのは怖すぎます。こんな展示室を見たのは初めてです。
数多くの部屋の中にはこんな所もあった。
写真は、立体感がある屋根の木彫部材。 -
建物上部に帯状に彫刻があります。
東南院正院。 -
老家具。
-
骨董品というか実用品の家財もたっぷりあった。
特に、壷などの陶器類や、鏡類が多く目に付いた。 -
大紅燈籠高高掛(Raise the Red Lantern)[紅夢]の小道具。
映画のロケ地になった喬家大院。
その晩にお相手する奥様宅の庭に付けられた紅堤灯。
実際に喬家にも数名の奥方がいたようで、ある建物ではここは第3夫人のとか言っていた。
でも、このような堤灯の使用法はしていなかった。
しかも、家訓には側室は作らないとあるようで。
あとから、その家訓ができたのでしょうか?? -
九龍灯。九匹の龍の蝋燭立て。
中国にこれ1点しかないデザインと聞きました。 -
風水の壁。
-
偶然鏡に写ってしまったホントに人の良さそうな中国のおばあさん。ご家族と一緒に来られていてとても嬉しそうな様子でした。いつまでもお元気で。
-
名物?の紅堤灯が付いている。
帰国の翌日四川大震災が起こりました。
数万人の死傷者が出て、6月現在も明確な数字は出ていません。この旅行で触れ合えた方々が無事であってほしいと心から心配しています。
また、この場をお借りして、不運にもご不幸に遭われたみなさまのご冥福をお祈りいたします。 -
石の彫刻が建物全体と調和していていい感じ。
-
西南院正院。
-
こんな喬家大院へも1938年に日本軍が侵攻した時喬一族は騒ぎに堪えられず逃げ出し、大院から人がいなくなったとされています。※6
こんな本土奥まで来る戦争とはすごいものだったなと改めて感じました。
※6、「喬家大院」(山西古籍出版社)から引用、とても喬家大院について詳細に書かれているのでお薦め。現地にて購入できます。 -
喬家大院の邸宅群の一番奥にある門をくぐると庭園が広がり別世界になっていた。
邸宅群見終わった人たちの憩いの場。
帰りは、お土産屋さんの間をすり抜けバス乗り場へ。
というか、バスターミナルのようなものは無く、国道出た付近に陣取りバスを待つ。ひたすら待つ。
10分ほどして来たバスを捕まえて乗車。平遥行き。
マイクロバス15元前後。座れました(喜)。
午後5時頃でちょうど閉館の時間くらいでした。
この日は訪中初めて時折ですが雨が降っていました。
こんな夜はやはり人通りも少なかったです。
平遥に戻ると散歩せずカップ麺を食して読書して就寝。
「平遥、西安、中国古都の旅/平遥4日目」へ、つづく
http://4travel.jp/traveler/dj/album/10246296/
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
37