2009/10/04 - 2009/10/04
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井上@打浦橋@上海さん
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上海B級グルメ会はいつ始まったのか・・・2003年か2004年でしょう。
今では、開催しますと4・50人は当たり前で、へたすると70人は集まるとか。
基本的には毎月1回、第2土曜日開催なんですが、春節休みや(1月末、2月初旬前後)、労働節休みや(5月初旬)、国慶節休み(10月初旬)には、
番外編が開催されます。
番外編は3日連続で開催されることもあり、また、その時期常連は帰国してたり、旅行に行ってしまったりで、毎回の参加者は少ないのです。
ですから番外編は1回に付きせいぜい10人前後ですね。でも、それの方が、私には適度な人数と思えるわけです。
また、開催時間も毎月1回の定例会は7時始まりなんですが、番外編は6時始まりですので、超早寝早起きのアラカン男の私には参加しやすいのです。
そして・・・今回の番外編も3日連続で行われたんですが、中日(なかび)の10月4日の開催場所が孔乙己酒家だと言うので、コリャ、行かずばなるまい、ということで、久方ぶりのB級グルメ会参加となったのでした。
孔乙己酒家でのB級グルメ会は、定例会、番外編含めて、今までで3回は行われてると思っています。
最初の孔乙己酒家での開催は、私の推薦だったはずです。
私が孔乙己酒家に最初に出会ったのは、2003年2月23日に行われた第13回上海歴史散歩の時でした。
この時は、上海の下町散歩した後に、昼飯を、この店で取ったと言うことです。
散歩した仲間は50人くらいいたもんで、狭い店は満杯だったですね。
その時に、大いに気に入りまして、その後、歴史散歩の仲間や、私が参加しています中国関連のメーリングリストの仲間と、何度も、ココで飲み会、食事会をやったのでした。
上海の下町にある、ショボイ食堂と言った感じの店ですが、なかなか趣きのある店なのです。
最近、内装を綺麗にしたと言うこと聞いていましたが、確かに小奇麗になっていましたね。トイレが綺麗になったのがイイです。コレなら女性も来やすいでしょう。
しかし、小奇麗になった分、ショボクレ感が、多少失せたかなとも思えましたが、今でも十分そこはかとなくショボクレてはいますね。
その晩の孔乙己酒家への道すがらと、孔乙己酒家の様子と、4年前の街並みや店の様子をアップしました。
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まずは孔乙己酒家はどこにあるのか。
コレは上海全図です。
孔乙己酒家は上海の中心部にあると言ってイイでしょう。
上海の中心部の区としましては、黄浦区、盧湾区、静安区、徐匯区の4つになるんですが、その中でも黄浦区は人民広場、南京東路、外灘、豫園を抱える正に中心の区と言って良いでしょう。孔乙己酒家を目指すには文廟が目標となります。
文廟は豫園にも近く、盧湾区にある新天地にも近いのです。 -
コレは孔乙己酒家の周辺図、案内図です。
地下鉄の駅ですと8号線の老西門駅が近いのです。
駅からまず目指すのは中華路です。
中華路に出ましたら、南に行き、次に目指すのが「上海文廟」と表示されている牌楼(中華門)ですね。
そこをくぐりますと、その道が文廟路ですので、後は迷わず孔乙己酒家に辿り着けるでしょう。 -
夕方家を出ました。ただ今5時28分です。
北西にたなびく雲に夕日が当たって、ほのかにピンク色になっています。
我が家からは43路バスで行きます。
降りるところは大興街です。 -
43路バスを降りて、陸家浜路を東に行きます。
左向こうに伸びる道が陸家浜路で、左に曲がる道が大興街です。 -
大興街を北に行きます。
左に見えてきましたのは85℃というパン屋です。
台湾系のようです。
今、どんどん増えつつありますね。 -
大興街から中華路に出ました。
左に曲がり中華路を北に行きます。 -
牌楼(中華門)まで来ました。
ただ今6時4分です。
下が昼間(4年前ですけど)の牌楼です。
牌楼の上には「廟文海上」と表示されています。
牌楼の下を東に伸びる道が文廟路です。 -
文廟路です。
文廟路は、このような物を扱う店が多いのです。
日本のアニメグッズが多いです。
だから、学校帰りの学生がぶらつく道なんです。
道には、小腹すかせた学生の食欲を満たす小吃店なども並んでいるのです。 -
道端で夕食をとる人も多いのです。
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こんな洒落た店も出来ました。
ピザ屋のようです。
へぇ・・・・文廟路にピザ屋ねぇ・・・・
上海独特の小吃がお似合いの道だったんですが、今や、ピザ屋なんですね。
でも、まあ、今の学生は、やはり、中華っぽい小吃よりピザってことなんでしょう。 -
文廟手前の街並みです。
ここは、今でも小吃屋のようですが、下の4年前に撮った店先の様子とは大違いですね。
ちなみに、4年前の画像は10月3日のものでして、この時も孔乙己酒家でB級グルメ会があったのでした。 -
もう、ココは、孔乙己酒家の前の道・学宮路あたりです。
今の店は西北狼焼火考になっていますが、4年前も同じなの店でしたが、4年前からしますとグッと綺麗になってしまいました。
上の写真が2009年10月4日の18時8分で、下が2005年10月3日の16時50分です。 -
孔乙己酒家に近づいてきた辺りの文廟路の風景です。
左に行けば孔乙己酒家の前の道の学宮路ということです。
上が2009年10月のもので、下が2005年10月のものですが、やはりスッキリしてしまいました。
下の画像には西北狼の看板が見えます。 -
学宮路を行き、孔乙己酒家に着きました。
おおお、なんか派手やかになってしまったなぁ・・・・・・
下は4年前の番外編の時の店先ですが、変わってしまったのは、照明の色と、出入り口が左右2つあったのが、左のだけになってしまい、右の出入り口部分が紹興酒の甕(かめ)の陳列棚になってしまったことです。
そてにしても照明の色・・・・なんとかならんかなぁ・・・もう少し、寂れた感じの色合いにして欲しいですね。 -
店の中です。
明るくなりました。
超豪華になったかと言うとそうでもなく、ショボさも十分残っています。
いつもですと、この時間、席は6割、せいぜい行って8割程度しか埋まってないんですが、この日は、殆ど満杯状態でした。
上の画像では老板娘(女主人)が注文をとってる姿が見えます。
中の画像は、4年前の店の様子です。
やはり、幾分雰囲気が違いますね。
当時は、厨房がある奥の小さな部屋には、出来合いのつまみを置いたガラス張りの棚があたんですが、今はなくなってしまいましたね。
それが下の画像です。 -
これは、厨房とは反対側の部屋です。
この奥に量り売りの為の部屋があったんですが、それを小さくして、部屋を奥のほうに広げましたね。
量り売りカウンターは今もありますが、小さくなりましたね。
下の画像が4年前の量り売りカウンターとその部屋です。
4年前の老板娘も写っています。 -
宴もたけなわ、と言いたいところですが、まだ18時40分ですから、そこまでは行ってませんが、もう適度に盛り上がっています。
料理はまだ冷菜程度で、このあと、ドンドン料理が運ばれてきました。
何時までやったのか、とにかく、ビール、紹興酒タップリ飲んで、料理も余るほど頼んで、一人当たり50元でした。
相変わらず、安いですね。正にB級です。 -
さて、コレがこの日の番外編に集まった面々です。
全部で・・・・ええと、ココに写ってる人が9人、これ以外にカメラで撮ってくれた方と、もう一人居ましたので・・・11人だったんでしょう。
私は、真ん中で右手を上げてる今年還暦を迎えた男です。
そうです、新中国誕生の年に生まれたので、新中国と年は同じなのです。
ココに写ってる方、皆さんそれぞれ、上海に関わってる方ばかり・・・・
いや、この日に船で上海に入り、これから上海生活を始めえる方も居ました。
上海で日本語を教えてる方も、上海生活10年以上のご夫婦も、奥さんが香港人の方も・・・
また、上海B級グルメ会の会長さんも、そのお父さんも・・・・
もしかすると、殆どの方が、日本より上海生活の方がシックリ来てると、感じてるのかも知れません。
少なくとも、上海10年以上のご夫婦、会長さんとお父さん、そして私の5人は、完全にその口(くち)ですね。
上海には、今、日本人何人いるんだろう・・・
領事館に届け出てる方だけでも、4万人はいるんじゃないでしょうか。
となると、実際は、その倍の8万人くらいいるのかもしれません、10年前の倍、20年前の100倍になってるんでしょうね。
戦前、一番のピーク時には、上海には10万人の日本人が居たらしいですが、いずれ、その数字を抜くかもしれません。
中には、上海が嫌いだけど、しょうがなく上海で生活してる人も居るでしょう。
いや、もしかすると、大半がそうなのかも知れませんが、皆さん、それなりに上海生活をこなしてるように見えます。
勿論、私のように大いに楽しんで生活してる人も、結構いるのかと思っています。
上海B級グルメ会は、もう、40回か50回は行われてるんでしょう。
参加者は、毎回増えて行ってるようです。
その上海B級グルメ会に参加する多くの方々は、上海生活を楽しんでる、あるいは楽しもうとしてる人なのかなと思っています。 -
さて、ココからは2005年の10月3日にあったB級グルメ会番外編の時の孔乙己酒家の画像です。
まずは、量り売りのおじさんです。
寧波人だと言っていたような・・・
私が最初に来た2003年から2006年くらいまでいましたが、その後見かけません。
老板娘のお父さんなのか、親戚なのか、ただの雇い人なのか・・・・・・
まあ、ただの雇い人という感じではなかったですね。
量り売りの値段が表示された看板が、当時は、店先においてありました。
当時は、量り売りが商売になっていたんでしょう。
紹興酒各種の量り売り価格は4年前のものですが、今は、多少値上がりしてるとは思いますが、今でも十分安いはずです。
量り売りは1斤(500ml)単位ですが、店で注文する時は半斤(250ml)からとなります。
加飯酒が一番安く1斤、3.5元、一番高いのは1斤、16元の精雕皇ですね。
私が好きなのは甘め押さえ気味さっぱりタイプの善[酉良]ですね。
下のお姉さんも、2003年から2006年まではいましたが、今は居ません。
2人とも安徽省から来たんだ、と言っていました。
2人が着ているのは当時の服務員の制服です。
コレを復活して欲しいもんです。 -
店の道路に面した側の反対側の壁には、今でも、紹興酒の甕(かめ)が飾りとして置いてあるわけで、それは、改装後も改装前も同じなんですが、魯迅の胸像は、改装後も残っていたのかどうか・・・・この時は、それを確認し忘れました。
まあ、多分、今でも置いてあるでしょう。
なんせ、店の名が「孔乙己酒家」なんですから。
当時は紹興酒の甕(かめ)が店の中のあちこちにゴロゴロしていました。
下の画像はトイレの前と横に積み上げられている甕です。 -
さて、孔乙己とはなんぞや・・・・
ご存知の方には説明は必要ないでしょうが、なんじゃ、コリャという方に簡単に説明をします。
魯迅の短編小説「孔乙己」の主人公の名です。
紹興付近なのかと思われます魯鎮という街の立飲み屋・咸亨酒場に現れる男のことです。
彼は科挙の試験に何度も何度も失敗して、落ちぶれ果てて、ボロ服を着て、楽しみはその咸亨酒場で酒を飲むこと。
頼むのは、いつも紹興酒をコップに2杯と、つまみは一番安い茴香豆(ソラマメの煮たヤツ)だけ。
言うことだけは学者みたいなことを言うんですが、皆からは馬鹿にされてる。最後は、どこかで野たれ死に・・・そんな男のことなんです。
貼り付けた画像は「孔乙己」で検索して出てきた画像をお借りしました。
さて、魯迅の「孔乙己」には彼の風貌はこういう風にかかれています。
■■■■■■■■■■■■■■■
孔乙己は立飲みのくせに長衣をきているただ一人の人物だった。背ばかり高く、青白い顔をして、しわの間にいつも傷跡があった。ぼうぼうのごま塩のあごひげを生やしていた。着ていたのはいつも長衣とはいっても、汚れていたし、よれよれで、十年以上も繕いも洗いもしていないようだった。
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「孔乙己」は下記で読むことが出来ます。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001124/files/42938_18510.html
この井上紅梅訳の「孔乙己」の出だしは下記です。
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魯鎮(ろちん)の酒場の構えは他所(よそ)と違っていずれも皆、曲尺形(かねじゃくがた)の大櫃台(おおデスク)を往来へ向けて据え、櫃台(デスク)の内側には絶えず湯を沸かしておき、
燗酒がすぐでも間に合うようになっている。仕事をする人達は正午(ひる)の休みや夕方の手終(てじま)いにいちいち四文銭を出しては茶碗酒を一杯買い、櫃台(デスク)に靠(もた)れて熱燗の立飲みをする -
私が初めて孔乙己酒家に来たのは、2003年2月23日でした。
その時は、第13回の上海歴史散歩で下町散歩をしたあとに、ココで昼食をとったということです。
その時の散歩コースが貼り付けた地図なのです。
歴史散歩の主催者は前もって、散歩コースを歩き回り、昼食場所などもいつも決めていますので、
店を借り切る予約を入れておいたものと思えます。
なんせ、散歩仲間は50人いますので、あの狭い店では借り切るしかないと思いますから・・・。
当時は魯迅の「孔乙己」の訳文の小冊子なども置いてあり、それが皆さんに配られました。
食事も、まあまあで、紹興酒も種類が多く、黒塗りの木製のテーブルと長椅子が趣きあり、
私は大いに気に入ってしまい、その後、ココに何度も訪れることになったのでした。
上海歴史散歩では、2004年の2月29日に行われた第18回「上海・南市界隈」でも、昼食にココを訪れています。 -
コレは2005年の12月の土曜日の朝に文廟に来た時の写真です。
その日は土曜日ですから文廟の中や、周辺では古本市が開かれていました。 -
そしてコレは、その時の孔乙己酒家と店先です。
店の脇には飲み干した紹興酒の甕が積まれて置かれていました。
廃棄処分にするのか、あるいは、再利用業者が引き取りに来るのか・・。
そして、道端は雑貨ガラクタ市になっていました。 -
さて、コレは、B級車会があった日の数日後、10月10日にまた孔乙己酒家を訪れた時の写真です。
この日のお相手は、「斉了会」と言う日中友好学生団のメンバーだった方です。
この斉了会というのは、1965年から72年まで毎年行われた学生訪中団のグループ名です。
彼からは、当時の話や、中国での駐在話(72年から合計で30年以上駐在してるそうです)などを
伺い、楽しい食事会となったのでした。
斉了会に関しては下記をどうぞ・・・
http://japanese.cri.cn/205/2005/09/21/1@49125.htm
この日は、魯迅の胸像がまだ孔乙己酒家に置いてあるかどうかも確認したのでした。
果たして、残念ながら、なかったですね。
その代わりに置いてあったのが、ギンギラギンの金儲けの神様(財神 関帝)だったということです。
老板娘に、魯迅の胸像どうしたんだ、と聞きましたら、改装工事の際に家に持って返り、そのままになってるとのことです。
魯迅の復帰をひそかに願ったのでした。
そして、その時に気づいたのが壁にいくつか飾られてる写真でした。
ジックリ見ましたら、どれも、90年代半ばの文廟やその周辺の風景です。
更に見ますと、撮影者は海原修平さんという日本人なんです。
彼が店に寄贈したものなんでしょうね。
そして、検索かけて調べましたら、彼はプロの写真家で、上海に魅せられ、上海に住んでるとか・・・
大いに興味を惹かれてしまいました。
彼は96・7年当時の上海の下町を撮り捲ってるようですね。
「消逝的老街」と言う写真集を出してるようですが、是非手に入れてみたいと思います。
また、上海のどこかで、彼の写真が展示されてるのかもしれませんので、それも探し当てたいと思います。
なお、彼の上海の写真は下記で一部が見られます。
「GR Online Galley by RICOH "過渡期上海"」
http://www.ricoh.co.jp/dc/gr/gallery/index2_2.html
コレで「新中国還暦・上海B級グルメ会番外編は孔乙己酒家だった!!」は終わりです。 -
これで、終わりですと・・・と閉めましたが、続きがあるのです。
孔乙己酒家に飾られていました写真の作者の海原修平さんと孔乙己酒家でお会いしたのでした。
10月に入って3回目の孔乙己酒家となったのでした。
「エクスプロア上海」の「上海よろず情報交換」という掲示板サイトで
「海原修平さんの写真はどこで見られますか」と質問しましたら、本人から連絡があったのです。
そのやり取りは下記です。
http://sh.explore.ne.jp/yorozu/68604_1.html
そしてメールでやり取りしまして、じゃあ、孔乙己酒家でお会いしましょう、となったのでした。
6時にお会いすると言うことになったわけですが、私は早めに行き、先にチラッとやっていました。
この日も客の入りは良かったですね。
キリッと冷えた青島ビールを飲みながらつまんだのは、勿論、茴香豆と臭豆腐です。 -
お会いしました海原さんはスポーツマンタイプの精悍な方でした。
お年よりも、相当若く見えました。
6時から始めて8時過ぎまでイロイロとお話しました。
上海に対する見方に2人の間に微妙な違いがありまして、言い争いまでは行きませんが、結構お互い言い張りあいをしましたね。
でも、そこはそれ、一応、大人ですから、そぞれの見方を認め合い、また、やりあいましょうと約束してお別れしました。
ああ、それと海原さんと私には共通の知り合い2人がいることが分かりました。
一人はAさんという上海に20年近く前に進出して、自分の工場を軌道に乗せた方です。
この方は、上海での成功者として、10年位前の文芸春秋のグラビアページに取り上げられたんですが、そのグラビア写真を撮ったのが海原さんだったんです。
Aさんは上海歴史散歩の当初からのメンバーでして、私は良く存じ上げてる方で、個人的にも何度も食事をしています。
Aさんもカメラ好きでして、もうプロ並みの腕を持つ方でして、上海近郊の水郷観光地は勿論のこと、中国各地をランクルで飛び回りアッチャコッチャの風景を撮りまくっている方です。
今現在もチベットとかシルクロード方面の旅をされているはずです。
もう一人は、3年前まで上海で活躍してました女性写真家のS崎さんです。彼女も歴史散歩のメンバーでしたし、食事も何度もしたことある方です。今はドイツ人と結婚して、ドイツに住んでいます。
まあ、お会いする前から、まず共通の知り合いが絶対いるはずだと、予感はしていましたが、やはり、そうだったというのは、上海の日本人社会も狭いと言うことなんでしょう。
孔乙己酒家に関しては彼の方が古いようでした。
また、彼の方が私より相当上を行く常連さんのようでしたね。
なんせ、特製マイカップを持っているんです。
いや、孔乙己酒家には日本人客が多くて、常連さんになりますと、皆さん名入りのマイカップを持ってるんですが、彼のはその中でも特別のようでしたね。
それと、彼専用の紹興酒のお燗道具が店においてあり、彼が店の主人に目配せしますと、いつもの酒と、そのお燗道具が出てくるのです。
いやぁ・・・・負けましたね。
彼のマイカップには彼の名と「海上写真家」と言う文字が銘打たれています。
この「海上写真家」の「海上」とは、どういう意味か・・・
また、彼の孔乙己酒家の主人との付き合いなどに関しては、彼のブログをご覧ください。
http://shanghai039.blog12.fc2.com/blog-entry-2.html
ここには、海原さんと私のやり取りも載っています。
今度こそ、ホントに「「新中国還暦・上海B級グルメ会番外編は孔乙己酒家だった!!」を終わりにします。
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この旅行記へのコメント (8)
-
- イスカンダル亜力山大さん 2009/10/13 09:23:10
- 懐かしい孔乙己
- 懐かしい孔乙己の写真を拝見しました。
ほれにしても、えらいまあ、綺麗になってもたンですねえ。
何か、寂しい気もします。
孔乙己は、地下鉄8号線ができて、行きやすうになりましたね。
地下鉄の新路線開業で、バスがだんだん第一線から遠ざけられる気もします。
これまた寂しい。
ひところのギュウギュウ詰めバスや、もう見かけませんか?
乗客も老人カードの使用者が優勢だったりして。。。
ほういえば、沈永和、どこかで復活しとんでしょうか?
ほな、好運常伴!
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2009/10/13 12:04:14
- RE: 懐かしい孔乙己
- イスカンダルさん、どうも。
> 懐かしい孔乙己の写真を拝見しました。
そうそう、イスカンダルさんたちと、
孔乙己酒家でやったのは、いつだたんでしょうか。
思い出しますね。
10時近くまでやって、歌まで出てきて、
店の連中は、もう、お休み体制になっていましたね。
あの時も一人当たり40元前後だったような・・。
> 孔乙己は、地下鉄8号線ができて、行きやすうになりましたね。
そうです、行き易くなりました。
> ほういえば、沈永和、どこかで復活しとんでしょうか?
いや、未だに見つけられません。
あれこそ酒場と言う感じの店だったんですが。
-
- Rockyさん 2009/10/09 09:21:53
- 魯迅は小説「孔乙己」
- 井上@打浦橋@上海さん、
ただ今、台風一過の横浜は晴天です
この店の名は由緒正しき名前なんですね
ところで、日本風ではなんと読みますか
ここぞ中国上海との思い残る、印象深いレストランでした!Rocky
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2009/10/09 12:36:40
- RE: 魯迅は小説「孔乙己」
- Rockyさん、どうも。
> ただ今、台風一過の横浜は晴天です
上海は台風の影響、殆どなしでした。
上海は2日の日から晴天続き。
しかし、今日は太陽が見えません。
下り坂なのかもしれません。
> この店の名は由緒正しき名前なんですね
> ところで、日本風ではなんと読みますか
さて、日本語読みはなんというのか・・・
私は中国読みの「コンイーチィー」と言っていますが。
私が持っています魯迅の小説集には、
やはり、「コンイーチー」とふり仮名振ってありますね。
でも、井上紅梅訳は、どうなっているか・・・
http://www.aozora.gr.jp/cards/001124/files/42938_18510.html
を見ますと、「こう いっき」となっていますね。
> ここぞ中国上海との思い残る、印象深いレストランでした!Rocky
B級グルメ会があった日も、
大賑わいでした。
-
- 寧波遣唐使さん 2009/10/09 08:08:15
- おひさしぶりです。
- 久々の上海の写真を見せてもらえました。
この近くにはあるっていたのですが、ぜんぜんきずかなかった。
魯迅のこれが酒店ですか。
大阪の路地裏の文豪が行きそうな雰囲気の店ですね。
この1年広州の花都のほうにばかり行っていて、上海は
ご無沙汰でした。
やはり上海のほうがおもしろい。
というよりは花都は仕事で全日あいていず、ホテルと工場
の行き返りだけでしたのでこれといってトピックはなし。
ただ食の広州ということで料理はおいしかったです。
年末ごろまた上海に行きたくなってしましました。
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2009/10/09 12:24:06
- RE: おひさしぶりです。
- 寧波遣唐使さん、どうも。
> 大阪の路地裏の文豪が行きそうな雰囲気の店ですね。
いや、中国って酒場っぽい店ってのは少ないと言いますか、
ないのかなとも思ってるんです。
どうしても料理が主体で、酒は二の次。
でも、この店は、酒と軽いつまみでもおかしくない店なんです。
> やはり上海のほうがおもしろい。
そうでしょう・・・と言っても、
私は広州のこと知りません。
行ったのは、85年の時の1回だけですから。
> ただ食の広州ということで料理はおいしかったです。
そうでしょう、そうでしょう・・・
なんてったって・・・
「食は広州にあり」ですから。
友達が広州に住んでますので、
いずれ行こうと思っています。
> 年末ごろまた上海に行きたくなってしましました。
是非居らしてください。
そして、気が向きましたら
お声をお掛けください。
-
- りっちゃんさん 2009/10/07 21:37:19
- 紹興酒のカメが気になる
- 打先生、お元気ですか。
4年前、私は初めて上海の夏を過ごしました。
まだ生地市場が近くにあって、
そのへんの路地はコテコテっぽかった。
暑い上海を歩きまわりました。
見たことのない食べ物を見ては
「食べてみたいけどおなかこわしたら困るしなぁ」と
悩みながら歩いていました。
懐かしいわぁ。
その年の11月、たっちゃんはたった半年で香港移動になって
上海の濃い〜印象は私の中に強烈に残ったのです。
今は少しすっきりして見えますね。
打先生は何度かそのお店を取り上げていますが
その度に
「その中の紹興酒、いっぺん飲んでみたいなぁ」と
思っています。
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2009/10/08 06:46:31
- RE: 紹興酒のカメが気になる
- りっちゃん、おはようさん。
> 上海の濃い〜印象は私の中に強烈に残ったのです。
そうそう、この辺り、ホントに濃い〜のです。
あとね、女学生の人気のスポットでもあるんです。
日本のアニメグッズを扱う店が多いですし、
また、下校時に買い食いしたくなる店もあるから、
なんです。
> 今は少しすっきりして見えますね。
グッとスッキリしてしまいましたが、
今でも、濃い雰囲気は残しています。
> 打先生は何度かそのお店を取り上げていますが
> その度に
> 「その中の紹興酒、いっぺん飲んでみたいなぁ」と
> 思っています。
孔乙己酒家には是非、次回
一緒に行きましょう。
>
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