2009/10/14 - 2009/10/14
6764位(同エリア12078件中)
井上@打浦橋@上海さん
- 井上@打浦橋@上海さんTOP
- 旅行記362冊
- クチコミ19件
- Q&A回答291件
- 2,255,050アクセス
- フォロワー85人
上海ペニンシュラがまもなくオープンするらしいです。
正式にはザ・ペニンシュラ上海(THE PENINSULA SHANGHAI)と言うらしいです。
上海ペニンシュラの公式サイトは下記です。
http://www.peninsula.com/Shanghai/jp/default.aspx
その上海ペニンシュラは、どこに建ったのか・・・・
それは、外灘源と言われています、昔、イギリス総領事館があった(建物は現存しています)ところなんです。
つまり、そこから、上海の外灘が始まった、と言われてるエリアにできたと言う事です。
正に上海の一等地の中の一等地というロケーションに建ったと言う事です。
上海にペニンシュラが出来ると知ったのは、もう5年以上前です。
4年前の8月に、その辺りを散歩して、その上海ペニンシュラが出来ると聞いていました元イギリス総領事館の敷地とその周辺をカメラに収めて来たのが下記ブログです。
「上海・裏ワイタンもなかなかなもの・前編(南京路より北)」
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10030037/
まもなくオープンすると聞きまして、また、その周辺をぶらついて来ました。
オープン準備に入っています上海ペニンシュラとその周辺の様子、対岸から見た上海ペニンシュラ、そして3・4年前のその周辺地区の様子などをアップしました。
-
5年以上前に上海ペニンシュラが出来ると聞いて、スグ思ったのは、おおカドゥーリが、また上海に戻ってくるのか、ということでした。
カドゥーリは、昔の上海のユダヤ人大金持ちの1人です。
当時の上海はユダヤ資本が牛耳っていたのではないかと、私などは思っています。
上海に今残っている立派な建物は、殆どが当時のユダヤ人の持ち物と言ってもイイでしょう。
サッスーンとかハルドゥーンとか当時の上海でアヘンや不動産や競馬で大儲けしたユダヤ人が建てた建物が上海にはたくさん残っています。
外灘の歴史的建築群のうち和平飯店をふくむいくつかはユダヤ人の持ち物だったんでしょう。
エリー・カドゥーリは、バクダッド生まれで、1880年に上海に来たらしいですね。当初はサッスーンの元で働いていまして、その後独立して不動産、銀行、ホテル、ゴム栽培などで大儲けしたらしたらしいです。そして、豪華で贅沢なお屋敷を静安寺に構えまして、そこに友人達を招いてパーティーなどをしたそうです。
この建物は大理石を贅沢に使っていましたので大理石大厦と呼ばれていたそうです。またカドゥーリのお屋敷ということで嘉道里公館とも呼ばれていたそうです。
共産中国になってカドゥーリ一族は立派な家屋敷を上海に残して香港に逃げていったそうです。
(エリー・カドゥーリ自身は、日本租界にあったユダヤ人収容所で死んだとか)
その香港でカドゥーリ一族は、その後、また繁栄して、香港ペニンシュラの母体である香港&上海ホテルズや香港の大きな電力会社のオーナーになり、今でも世界の100位に入る富豪だそうです。
ということで、上海ペニンシュラと聞き、カドゥーリが上海に戻ってくる、上海にまたユダヤ資本が、と思ったと言うことなんです。
彼の残した立派なお屋敷と庭園は、今でも残っていましてお屋敷は上海少年宮として使われています。
上海の金持ち子弟のお稽古事、あるいは美術、音楽、バレーなどの英才教育の場になってるようです。
大理石大厦・嘉道里公館に関しては下記が詳しいです。
【PACIFIC RESORTS・中国】
http://www.pacificresorts.com/china/shanghai/architecture/kadoorie_house/
【人民中国】
http://www.peoplechina.com.cn/zhuanti/2009-09/23/content_218166.htm -
さて、ザ・ペニンシュラの上海への進出は、カドゥーリが上海に戻って来ると言うメッセージと、もう1つのメッセージがあるのかと思っています。
ザ・ペニンシュラと言いますと、皆さんは、香港のものを思い浮かべるでしょう。
私などには全く縁のないホテルですが、これの経営母体が香港&上海ホテルズなんですよ。
つまり、上海から逃げたカドゥーリ一族が実質的なオーナーになっている会社ですね。
ザ・ペニンシュラ上海の公式サイトは
http://www.peninsula.com/Shanghai/jp/default.aspx
ですが、ココで上海ペニンシュラに関する動画が見られます。
その動画に最初に顔を出す人がカドゥーリさんです。
この方、もしかするとエリー・カドゥーリさんのお孫さんなのかもしれません。
そこで、このカドゥーリさんは、上海に対する思い入れを強く語っていますね。
そして、香港&上海ホテルズはその名のとおり、昔は上海にもホテルを持っていたのですが、
その、上海に持っていました3つのホテルのこともカドゥーリさんは語っています。
その3つとは、
まずはアスター・ホテル、当時の漢字表記は礼査飯店・・・今の浦江飯店ですね。
次にパレス・ホテル、当時の漢字表記は匯中飯店・・・今の和平飯店・南楼です。
これらの2つは、今でも現存していまして、ホテルとして利用されていますが、勿論、もう香港&上海ホテルズの持ち物ではないのです。
(和平の南楼に関しては、今後は美術関連の施設になるしいです)
最後にカドゥーリさんが上げていたのが、マジェスティック・ホテルです。
コレの漢字表記は大華飯店ですが、残念ながら、コレは、もう現存していません。
香港&上海ホテルズは新中国になってからは上海にホテルを持てなかったのです。
(北京には王府飯店を1990年代初頭に持ちましたが)
上海にいつかは、ザ・ペニンシュラを、と言う思いは強かったはずです。
その思いが21世紀になって叶ったということなんでしょう。
つまり、ザ・ペニンシュラの上海進出が発するもう1つのメッセージとは、香港&上海ホテルズの上海復帰ということなんでしょう。
どこにそれを造るか、イロイロ検討されたのかどうか、いや、最初からあの場所を狙っていたのかもしれません。
復帰するなら、あそこしかない、と言う強い意志が汲み取れるような気がしてなりません。
貼り付けた画像は香港&上海ホテルズが当時の上海に持っていた3つのホテルです。
なお、この3つのホテルの画像は下記ブログよりお借りしました。
「上海の北部虹口」
http://scott.at.webry.info/ -
コレが、その日の散歩コースです。
外灘へ行くには、我が家からですと17路バスが便利です。
江西中路・漢口路と言うバス停で降りれば歩いて4・5分で外灘まで行けます。
この日は、まずは南京東路に出て、和平飯店の脇を通り、外灘に向かいました。
外灘の道・中山東一路を北に行きます。
右に外灘のプロムナード(今は工事中で入場禁止)を見ながら、左に古い建築群を仰ぎ見ながら行きますと、右側が高架道路へのスロープになりはじめます。
更に行くと、上海ペニンシュラが左に見えてくるというわけです。
更に行きますと、道が南蘇州路に変わり、右には蘇州河が見えてきます。
最初の左へ行く道・円明園路に入り込み(今は工事中でホントは入り込めない)、左に元イギリス総領事館の敷地を見ながら、南に下がり、北京東路に出ましたら、また外灘に向かいます。
外灘に出ましたら、もう一度、北へ行き、高架道路のへのスロープの下を潜り抜け、行き交う車を避けながら中山東一路の外灘側の歩道に出ます。
そこをチョイ南に戻り、上海ペニンシュラの正面まで来て、パチリとやりました。
さて、このあと、当初は、対岸に行くことを考えていたんですが、対岸へ行っても、陽が逆光になるので、イイものは撮れない、コレは絶対朝のほうがイイだろうと思いつき、この日は、コレで帰路につきました。
帰りは1時間半かけては家まで歩きました。 -
コレは我が愛用書「上海歴史ガイドマップ」のトップに出てくる地図をデジカメで撮ったものです。
トップは勿論、外灘でして、それの北東部分4分の1の画像がコレです。
正に、外灘は、ココから始まったんだと言うことが分かる地図ですね。
ガーデンブリッジがあり、昔「犬と中国人は入るべからず」と看板が立っていたというパブリック公園があり、そしてイギリス総領事館と庭園と教会があった地域ですね。
上海ペニンシュラの母体・香港&上海ホテルズは、いつココに目をつけたのか、また、買い取った土地使用権の範囲はどこまでなのか・・・
私が、この辺りに、上海ペニンシュラが出来るらしいと知ったのは2003年頃かと・・・・・
流石、ザ・ペニンシュラ・・・・一等地の中の一等地に目をつけたなと、思ったものでした。
それと思ったのは、おお、カドゥーリが上海に戻ってくるんだ、と言うことでしたね。
また、会社の名が「香港&上海ホテルズ」というのに、上海には拠点が無かったという無念をやっと晴らすんだな、という思いでしたね。
この敷地は中山東一路・南蘇州炉¥円明園路・北京東路に囲まれる地域ですが、ココにあったものでなくなったのは友誼商店のビルと上海市対外服務公司のビルと日本便船のビルですね。
となるとザ・ペニンシュラが買い取ったのは、この3つを含む一画なのかなと見ています。
イギリス総領事館を含む庭園までは買い取っていないんでしょう。
しかし、そのイギリス総領事館と、その付帯建物と敷地の整備は上海政府がやるという合意が、お互いにあったのかもしれません。
ですから、今は、その整備工事も進んでいます。
それにともない、円明園路沿いの古い建物群の整備も行われています。 -
南京東路の東端から見えるおでんタワーです。
その東端に建つのが和平飯店北楼と南楼です。
画面では左が北楼で、右が南楼ですね。
南楼はやはり、手前側が気持ち傾いてるように見えます。
北楼は昔はサッスーン・ハウスでありキャセイ・ホテルでした。
南楼は、上海で最初にエレベーターを備えたパレス・ホテルです。
パレス・ホテルは当時はザ・ペニンシュラの香港&上海ホテルズの所有経営していたものだそうです。
また北楼はカドゥーリが、上海に渡ってきて、最初に勤めたサッスーン商会関連のキャセイ・ランド株式会社(華懋洋行)の所有経営のホテルです。
北楼も南楼も今は、改装中で休館ですが、上海万博までには営業を再開するのでしょう。北楼に関してはフェアモント系のホテルになるようです。 -
外灘に出ました。
外灘は現在工事中で、観光には、全くもって、不便になってるんですが、それでも、観光客は多いです。この日も、地方からの旅行社グループが旗を持ったガイドの後ろにくっついて歩き回っていました。
北方向を望遠で撮りました。
真っ直ぐ北方向にはグレンライン・ビルが、その向こうには上海大厦が見えます。
上海大厦は昔はブロードウェイ・マンション(百楽匯大厦または百老匯大厦)と呼ばれていた外国人用マンションでして、やはりサッスーン財閥のものだったとか。
北方向右には新しい高層ビルが見えます。
Hyatt on the Bundも見えます。 -
道沿いを南に行きますと、左に上海ペニンシュラの建物が見えてきました。
そこには、「OPENING 18 OCTOBER 2009」と書かれた看板がありました。
そして、その看板には、おでんタワーのある陸家嘴と上海ペニンシュラがある外灘とその間を流れる黄浦江を上から眺めた俯瞰画像が貼られていました。
上海ペニンシュラの正面はどこなのか・・・・
あとでわかったことですが、それは、どうやら北京東路側なのかもしれません。
でも、勿論、外灘に面したこちら側も立派な正面といても良いでしょう。
ですからこの面の建物の上には大きく「THE PENINSULA」と表示されていました。
こちら側の玄関前も、オープンを控えて、準備作業に忙しいようでした。 -
建物をあとにして、更に行きますと、道沿いの壁には、上海ペニンシュラ関連の大きな看板が掲げられていました。
1枚目は、上海大厦からの眺めと思われる俯瞰図ですね。
そこには、上海ペニンシュラと元イギリス領事館とその庭園の完成予想図か描かれています。
コレを見て分かるのは、あの邪魔物の呉淞路閘橋がなくなっていることです。
2枚目は夜景ですね。教会が復活するようです。 -
3枚目は元イギリス領事館とその庭園の完成予想図です。
建物はそのままのものにチト手を加えて綺麗にするんでしょう。
庭園も綺麗に整備されるようです。
4枚目は復活する教会です。
5枚目もそうです。 -
イギリス総領事館への出入り口から見た上海ペニンシュラです。
-
更に行きますと、また看板が・・・・
上は1940年代のものなのか・・・・
当時のブロードウェイ・マンションから見た風景なのかもしれません。
下は蘇州河沿い、チョイ上流方面に行った辺りから見た風景でしょう。
教会風の建物は協和礼拝堂なのかもしれません。 -
もう、南蘇州路に出たんでしょう。
向こうにはブロードウェイ・マンション・・・今の上海大厦が見えます。
やはり呉淞路閘橋は視界をさえぎる邪魔物ですね。
チョイ行って見えてきた解体中の建物は、上海最初の室内プールがあった建物です。
南蘇州路を振り返りました。
おでんタワーが見えますね。 -
円明園路まで来まして、入り込もうとしましたら、工事中でごった返していました。
工事関係者から、入ってはダメだ、向こうから行けと、遠回りの道を手で案内されましたが、大丈夫だ、問題ない、と素振りを見せて中に入り込んで行きました。
道を掘り返していましたのは、上下水道かあるいはガス工事なのか・・・・
また、イギリス領事間の敷地内も工事をしていましたし、円明園路沿いの建物群もシートに覆われていました。
4年前のその建物群の様子が中と下の画像です。
ヒューデック設計の建物やY.W.C.A.の建物が並んでるわけですが、これらは解体せずに、内装、外装に手を加え、再利用するのでしょう。
いずれは、おしゃれな店などがテナントとして入るのかも知れません、 -
南東方向を眺めた風景です。
上が現在の、下が4年前のです。
上には栓抜きビルが見え、下には、まだ存在していません。
下の画像ではイギリス総領事館の建物がハッキリ確認できますが、上では工事の為の囲いに覆われています。 -
上の2枚は上海ペニンシュラの建物です。
下のは、4年前のものでして、当時ココにあった上海友諠商店の建物を撤去して、更地になっていた時のものです。
当時は外灘観光の観光バスの駐車場になっていました。 -
北京東路に出ました。
北京東路沿いの建物も工事用仮囲いに覆われていました。
そして、そこには上海ペニンシュラの格調高い姿の絵が飾られていました。
下は4年前の北京東路です。
右の建物も、内装に手を加えたあとは、洒落た店などが入ってくるんでしょう。
なんせ、上海ペニンシュラの正面に対面する場所となるんですから。 -
そして、コレが上海ペニンシュラの正面になるんでしょう。
上の画像は公式サイトからのものです。 -
外灘方向の風景です。
グレンラインビルと、その北隣の東方匯利銀行のビルは撤去できなかったんでしょう。
前者が1922年、後者が1914年竣工の歴史的価値のある建物だったからでしょう。 -
中山東一路に戻り、また上海ペニンシュラの前まで来まして、車が激しく行き交う中山東一路を渡り、外灘側の歩道に出ました。
そして、そこからの上海ペニンシュラを撮りました。
建物の最上階の部屋の窓の上には
【THE PENINSULA】
と黒い浮き彫りも文字が存在感を示しています。
この部屋が、もしかしますと、最高価格の部屋なのかもしれません。 -
このあと、当初は、対岸にある濱江大道に行き、そこからの上海ペニンシュラを撮ろうと思っていたんですが、どうもこの時間では、逆行になってしまい、イイ画像を撮れそうもない、撮るなら朝のほうが絶対イイだろうと、思いなおし、この日は、そのまま帰ることにしました。
上の画像は手前が和平飯店の南楼で、向こうが外灘18号でしょう。
中の画像は改装中の和平飯店・北楼です。
そして下は、南京東路の南方向です。 -
さて、コレが翌日10月15日の朝の濱江大道から見た外灘の風景と上海ペニンシュラです。
どうですか、やはり朝のほうが朝日が当たってイイ写真が撮れます。
外灘の対岸の濱江大道から見ますと、上海ペニンシュラは外灘の一番右に位置することが、ハッキリ確認できます。
15日の朝の濱江大道の様子は下記にアップしましたので、そちらもご覧になってください。
「10月の朝の濱江大道」
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10388773/ -
この3つの画像のうち上2つは、上海ペニンシュラの工事用仮囲いに飾られていました昔の画像と、1940年頃のかと思える日本の昔の絵葉書の画像です。
どうですか、全く同じものですね。
元画像まで行って確認すれば分かりますが、道を走る車の種類と、それぞれの位置が、2つの画像で全く一致します。
さて、下は2005年8月に上海大厦の東ウィングの17階から撮ったものです。
アングルはホンの少し違いますが、上の2つの画像も、まず、当時のブロードウェイ・マンション(今の上海大厦)からのものでしょう、おそらく西ウィングからのものでしょう。
上の2つと下の違いは良く見るとイロイロと違いがあるんですが、大きなものとしては、
上の2つには、人民英雄記念塔がないことと、呉淞路閘橋がないことです。
人民英雄記念塔はしょうがないとして、やはり呉淞路閘橋は邪魔ですよね。
ということで、10月14日から、この橋の撤去作業が始まったとか・・・なかなか上海もやるもんです。
もう1つ、気が付きにくい違いはですね・・・
うえの2つでは和平飯店の三角屋根が見えるんですが、下では中国銀行の建物に邪魔されて、それが見えないことです。
「上海歴史ガイドマップ」で確認しますと、中国銀行が出来たのが1937年で、ブロードウェイ・マンションが出来たのが1934年となっていますので、この写真は、1935年か36年に撮られたものと推理します。 -
さて最後は、外灘の突端を北方向の上部から眺めた風景3点です。
Aは上海ペニンシュラの公式サイトにあった画像です。
コレは、海湾大厦(だと思う)の上階からの写真に上海ペニンシュラの絵をはめ込んだものですね。
Bは完成予想図でして、手描きのものですね。
Cは2005年8月に上海大厦の17階のバルコニーから撮ったものです。
Bを見ますと、将来の(たぶん来年の万博前か、おそくとも再来年)ペニンシュラ周辺の姿が見えてきます。
コレ見て分かるのは、まずは、イギリス領事館の敷地は、古くからある総領事館の建物などを抱き込む公園になるということです。
(この公園、どうやらBund 33 Parkという名になるようです)
そして、円明園路沿いの建物も、外装、内装に手を加えられ、復活するようです。
最後には、あの辺りの景観のお邪魔虫の呉淞路閘橋がなくなることですね。
この橋は、1991年に出来たものでして、当初は幹線道路として造られたもので、今でも勿論、車の行き来は激しく、幹線道路として役立ってるわけですが、コレを思い切って、撤去してしまうってのが凄い!!です。
上海もなかなかやるな、という思いです。
この幹線道路の車の流れは、来年の今頃には、地下のトンネルに押しやられるのです。
最初からそうすれば良かったのに、と言う見方も出来るわけですが、当時は金も時間も無かった、だから、こう言う方法しかなかったということなんでしょう。
今や、上海には金がドッサリ入り込み、大直径のトンネルも出来る、そして、外灘は上海の命であり、これからは景観第一、観光第一で行くべきだと言うことで、こういった思い切ったことをやってしまうということなんでしょう。
呉淞路閘橋、たった18年の命だったわけですが、その役目は終わったと言うことなんでしょう。
今後は外灘の突端、外灘源の地区は、黄浦公園、そして、新しく出来るBund 33 Park、円明園路沿いの洒落た店などが売りになるのかもしれません。
コレで「上海ペニンシュラまもなくオープン:上海にカドゥーリが戻ってくる」は終わりです。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
23