2006/10/15 - 2006/10/15
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井上@打浦橋@上海さん
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上海は秋晴れが続きました。この日も、青空が広がりました。
前日、上海のグルメ情報番組で呉江路のたこ焼き屋が特集されていました。上海のテレビ局が取材に行ったその場にNHK大阪も取材に来ていまして、大賑わいの状態がテレビで流されました。
それを見ていた娘が、このたこ焼き買って来て、というので、この日、呉江路まで出かけました。
その日の晩に、久しぶりに仲間で食事会を予定していまして、その会場は茂名南路にあります。
予約の確認方々、その店に寄ろうと考え、呉江路までの道のりを茂名路を北上して行くことに決めました。
秋晴れの茂名路の様子をアップしました。
表紙の写真は茂名南路にあります錦江飯店・中楼です。
なかなか風格があります。
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我が打浦橋からは、まずは瑞金ニ路を行きます。
この辺りの瑞金ニ路の東側は再開発で、今まであった店や住居が全て撤去され陽を遮る物が何も無くなり道全体が明るくなっています。
その秋晴れの日差しに日向と日陰のコンラストがハッキリしています。
前の郵便ポストは陽が当たったところの緑が鮮やかに光っています。 -
瑞金ニ路から永嘉路に入りました。
手前のゴミ車が無ければ、パリのどこかの道に見えても可笑しくないでしょう・・・・って、私パリに行ったことありませんが・・。 -
これは永嘉路にあります「畳 Tatami」と言う店です。
Bar & Gallery となっています。
どういう店なんでしょうか・・・。 -
永嘉路から茂名南路に入りました。あとはひたすら北へ真っ直ぐ行くだけです。
この辺りはバーやレストランなどが並ぶバーストリートです。
茂名南路の旧フランス租界時代の呼び名はRoute Mercierです。
漢字表記は邁爾西愛路です。 -
瑞金賓館ですね。
昔の上海の競馬界の大物の一人・モリスさんというイギリス人の邸宅と庭園からなるホテルです。 -
Mikexirey Restaurantというレストランですね。
その向こうにあるのが blues & jazz と言う店です。 -
もうスグ復興中路です。
10年位前は、この辺り日本人ビジネスマンが多かったようです。
日本料理屋もいくつかありました。
と言うのは、この交差点の南東角に瑞金大厦というオフィスビルがありまして、
当時は日本企業が集まるビルだったからです。
今では、日本企業は虹橋開発区や浦東に散らばり、
この地区の日本人ビジネスマンビルは少なくなりました。
それに伴い、日本料理屋も姿を消しました。
でも、その面影は今でも感じられます。
初期のローソンがあることと、
小道の奥にある中華レストランには、今でも日本人が多いこと、です。
そこのママさんの自慢は、日本の大企業の社長の名刺が入った名刺入れです。
そこにはトヨタの張社長や、JALのトップなどの名刺が収まっています。
その店の名は永興餐庁です。
その店が、どんなところにあるのか興味ある方は、下記をご覧ください。
「上海のフランス租界・・復興路を行く」
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10026246/ -
復興中路を越えて、スグ左にあるのが、この瑞福園酒家です。
この日の夜に食事会をするところです。
もう、ココでは何度もオフ会や食事会をやっています。
前日、電話で予約を入れてあったんですが、なんか心配なので確認しに来たと言うことです。 -
中に入りましたら、従業員は食事中でした。
朝飯なのか昼飯なのか・・・・
ただ今10時5分です。朝飯なんでしょうね。
昼飯は2時半とか、3時で、晩飯は、何時なんだろう・・・・。 -
コレは、その夜6時からの食事会の前に撮ったものです。
店に入り、席を確認しましたら部屋の隅の狭っくるしいところにあるテーブルです。
「井上さん、もっとイイ場所にしてもらいましょうよ」と、日本語教師M女史の顔が訴えてましたので(M女史、怖いんです)席を替えてくれるように、抗議しましたが、ダメでした。
店の人が言うには1ヶ月前から50人で予約が入ってる、ということでした。
1ヶ月前の予約でもシッカリ、テーブルが確保がされてる・・・・こんな話、私は全く信じません。だって、一流ホテルのレストランではないんです。どちらかと言うと、地元の人に人気の大衆レストランなんですから。
まあ、前日の予約だけど、50人の客を優先して、11人の我々は隅に追いやられてしまったんでしょう。・・・と、その時は思った訳です。
我々が盛り上がってる時に、50人がゾロゾロやってきました。皆さん、日本人です。我々は6時から始めて9時までやっていたんですが、彼らは8時半ごろ、引き上げました。
さて、あとから聞いた話で、私は気がつかなかったんですが、そのグループに邱永漢さんがいたらしいです。邱永漢さんの中国投資家グループだったんだでしょう。
ホテルは花園飯店なのかもしれません。そして、よくこの瑞福園酒家は利用してるのかもしれません。だから、1ヶ月前の予約でも、店側はシッカリ席を確保していた・・・
フムフム納得。
当日の勘定は11人で、1000元チョイ。1人当たり90元です。この日は蝦やら蟹やらを注文しましたので、高目になったんでしょう。通常ですと1人当たり60〜70元で済みます。 -
瑞福園酒家の並び、3・4軒北に行ったところにあるレストランです。
聯宜餐室と言います。ここも地元の人に人気のレストランです。
1人当たり単価は瑞福園よりも安いです。
ここでも、何度も食事会をしています。
この聯宜餐室の関しては下記をご覧ください。
「上海・茂名南路の聯誼餐室は人気の店」
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10054037/ -
南昌路まで来ました。
これは南昌路と茂名南路の北東角にある南昌大楼です。旧名はアストリッド・マンション。1933年建造の鉄筋コンクリート造りの8階建てマンション。平面的にはV字型をしています。正面頂部の装飾が面白いです。 -
淮海中路まで来ました。
道の向こう右側にはCATHAY THEATREが見えますね。
国泰電影院です。 -
茂名南路を更に北へ行きますと左にガーデン・ホテル・・・花園飯店が見えてきます。いつ見ても、素晴らしいですね、この建物・・・・。
手前の2階建ての建物は1926年に出来ました2代目フランスクラブです。新中国成立後は、高級幹部用の倶楽部となり、1979年末からは外国人にも開放されました。80年代、上海に在住してました外国人の溜まり場だったようです。室内プールも、ボーリング場もあったとか・・・。今の、1階にある大きな喫茶コーナーにプールがあったようです。
1990年に日中の共同出資により花園飯店が建設されました。原建築の外観を保存して、その背後に33階建てホテルを建てたというわけです。
私は、後ろの33階建てのホテル部分の建物も好きですね。前の格調高い建築物の雰囲気を壊していないと思います。
なお、初代フランスクラブは南昌路にあり、現存しています。下記をご覧ください。
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10026101 -
淮海中路を超えて、茂名南路を北に行きますと、右に見えて来ますのが、錦江飯店です。
北楼と中楼と南楼が広大な敷地の中に並びます。
右側、茂名南路に面した建物は錦江飯店関連の商店です。 -
一旦戻りまして、錦江飯店の敷地に入りました。
目指すは一番格調の高い中楼です。
これが中楼へのゲートにあります石碑(と言うのか何と言うのか・・銘板と言ったらイイのか)です。
ここには[貴賓樓 GROSVENOR HOUSE]と書かれています。
何と読むのか・・・上海歴史ガイドマップではグローブナー・ハウスと書かれています。 -
これが錦江飯店・中楼です。
どうですか、なかなか雰囲気あるでしょう。 -
上海歴史ガイドマップを引用します・・・1935年に華懋地産公司によって建てられた18階建ての高級アパート。パーマー&ターナー事務所設計。当時流行のアールデコ調の摩天楼建築。左右にセットバックした段々状の屋上と高さを強調する立面の垂直線が特徴的。外壁は茶色の化粧煉瓦貼り。1972年の日中国交回復にあたって訪中した田中角栄首相もここに宿泊した。
こう見ますと、上海大厦(ブロードウェイ・マンション)にも似てるような・・・。
ブロードウェイ・マンションはサッスーン財閥配下のシャンハイ・ランドインベストメン卜社が所有し、設計も同社の建築部がしたということですが、パーマー&ターナー事務所の設計と言う説もあるそうです。 -
ファサードと言うんでしょうか、建物の前面部分です。
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青空に向かって聳え立っています。
このグローブナー・ハウス、当時の中国名は峻嶺公寓と言ったらしいです。
正に、当時としては「峻嶺」だったんでしょう。
「高さを強調する立面の垂直線」と言うのがハッキリ分かります。 -
裏側に回り裏面も撮ってみました。
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裏の出入り口も凝っています。
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錦江飯店の敷地から花園飯店を眺めました。
ここで1つ秘密の話を・・・と言っても知ってる人は知ってるらしいですが・・・
花園飯店と錦江飯店・中楼の間には、両者を繋ぐ地下道があるんです。
4年前だったかの上海歴史散歩の時に、入らせてもらいました。核シェルターもありました。
米中国交回復の時には、毛沢東が当時の錦江倶楽部(花園飯店の前の低層建築)に泊まり、ニクソン大統領が錦江飯店・中楼に泊まったそうです。調印の時には、どちらが出向いたかは忘れましたが、この地下道を通って相手方の宿泊先に行ったそうです。 -
錦江飯店の北楼と中楼の間にある庭園です。
向こうに北楼が見えます。
芝生の緑が鮮やかです。 -
向こうに見えるのが錦江飯店・北楼ですね。
左の建物は西楼です。
錦江飯店・北楼の昔の名は、キャセイマンション・・・華懋公寓です。
上海歴史ガイドマップによりますと・・・・・・
1929年にサッスーン財閥系の華懋地産公司によって建てられた13階建ての高級アパート。パーマー&ターナー事務所設計。ゴシック調の細部装飾、外壁は化粧煉瓦貼りで華麗かつ整然とした印象。しかし、当時の基礎工事の不備から、地盤に対して2mあまりも沈降している。・・・・とあります。
確かに、1階ロビーは、周りの地盤より、相当低い位置にあります。車を降りて1階ロビーへ行くには階段を2mほど下りることになります。 -
青空に聳え立つ花園飯店です。
広い横幅に比べて薄い奥行きが分かります。
画面右が錦江飯店・北楼で、左が西楼です。 -
茂名南路に再び出まして、また北へ行きます。
長楽路を越えて右にあるのが蘭心大戯院です。
1931年に建てられた物です。
英語名はLyceum Theatreです。 -
更に北へ行き左に見えてきますのが、有名な湖南料理屋の滴水洞です。
この店には来たことありませんが、東平路の滴水洞には、もう5・6回行っています。
勿論、同じ経営者ですが、茂名南路のこの滴水洞は本場物の辣さらしいです。
東平路の店は、場所も洒落た所にありまして、味付けも上海人に合わせて辣さが抑えてあります。 -
左へ抜ける道は進賢路です。
そして、その角に見えるのが荷軒酒店です。
私は行ったことありませんが、結構有名らしいです。
上海料理です。下記が詳しいです。
http://anafriendpark.ana.co.jp/park/chinavi/weekly/news_13/index.html -
この巨鹿路を超えますと茂名南路も終わりに近づきます。
巨鹿路の向こうの大通りは延安中路です。
上の高架は延安高速道路です。 -
延安中路を越えますと茂名南路が茂名北路になります。
茂名北路に入りスグ右に宮殿のような建物を発見。
中に入ってみました。
そうしましたら、小学校なんです、この建物が・・・・。
この建物の南側には人工芝と赤茶色のアーツーカーのグランドが広がっていました。
威海路第三小学校らしいです。
ゲート部には1925年と刻まれてましたが、80年以上たってるんですね。
小学校にしておくのは勿体無い、と思ってる香港人投資家がいるかもしれません。
こういった歴史的に価値のある建物が、今では、なんでもかんでも商業用に利用されていってますから、そう思う人がいても可笑しくありません。 -
グランド奥から撮りました。
後ろ側には、高層ビルが並びます。
右の2つのビルの向こうには、フォーシーズンズ・ホテルが見えます。 -
5階建ての貞操集合住宅です。
泥棒が多いのかもしれません。
横断幕には、自分の門と、物は自分でシッカリ管理して、盗難事件を防止しよう、と書かれています。 -
毛沢東の故居がありました。
若き毛沢東と、赤ちゃんを抱く女性(奥さんなんでしょう)と3・4歳の男の子・・・。
毛沢東、随分、ハンサムです。 -
ここが住んでいたところなんでしょう。
今は陳列館にもなってるようですが、今は改修中で入れませんでした。 -
震興里と言う石庫門住宅です。
1920年代のもののようです。 -
こちらも同じく震興里です。
やはり、洗濯物がないと面白くありません。 -
震興里を出まして茂名北路へ出て振り返りました。
向こうが南方向で、震興里と言う石庫門住宅がズラーッと並びます。 -
こちらは北方向でして、
徳慶里と言う石庫門住宅が並びます。
こちらも1920年代のものです。 -
徳慶里の中です。
生活感があって、イイですね。 -
こちらは北方向でして、
こちらは徳慶里対面、茂名北路の西側にある石庫門住宅です。 -
呉江路まで来まして、右に曲がりました。
呉江路を東に向かいます。 -
呉江路を東に行きました石門一路まで来ました。
ここから先の呉江路は大賑わいでしょう。 -
呉江路では、今、手羽先の串焼きが大流行です。
アッチャコッチャで手羽先を焼いています。皆さん、炭を使っています。
一串に手羽先が8本付いて、10元なんでしょう。 -
これが例のたこ焼き屋です。
NHK大阪が取材に財に来たたこ焼き屋です。
NHK側もたこ焼きセットを持ち込み、大阪風のたこ焼きを作り、この店のたこ焼きと味比べをさせてました。
上海の人から、比較評価を聞いてましたが、上海のヤツは脂っこい、と言う人もいましたが、上海のほうがうまいと言う人もいました。
この放送の翌日に行ったもんで、こんな行列です。
1時間くらい待たされそうでしたので、結局あきらめて買わずに帰りました。
その翌日に来ましたらガラガラ・・
家に帰って食いましたが、あまり旨くなかったですね。
たこ焼きは章魚小丸子と言います。
6個で3.5元です。
ちなみに、[ちび丸子ちゃん」は「桜桃小丸子」と言います。 -
これはウィグル人が焼くシシカバブーですね。
やはりウィグル人の焼くのが一番、旨いですね。
1串、2元です。 -
ここでは魚を焼いていました。
これが珍しいことなんです。
魚を火で焼くと言うのは、私、中国、延べで13年はいますが、今まで、見たことあるか・・・2回か3回でしょうね。
火で焼く、と言う料理法は、ないのかと見ています。
煮るか、蒸すか、油で揚げるか・・中国では、この3つの方法と、この組み合わせですね。
日本でしたら、まず生で食うのが一番と考えます。
次は火で焼く・・・ですよね。
こういうのは、中国人から見れば、野蛮な食い方なのかもしれません。
北京ダックは焼いてるんじゃないの、と言う人がいますが、あれは、高温で炙ってるということでしょう。
しかしながら、火で直接焼くと言う料理法は、今後、増えてくるかもしれません。先ほどの手羽先もそうですが、ブラジル・バーベキューも人気がありますから・・
この焼き魚、1尾33元ですって・・・チョット高いですね。 -
ここは相変わらず人気の店です。
生煎饅頭を提供する小楊生煎館です。 -
さて、賑やかな呉江路を後にして岐路に着きます。
我が家を出てから1時間40分の散歩でした。
これで「茂名路を行く、錦江飯店・中楼はやはり格調高い「は終わりです。
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この旅行記へのコメント (3)
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- 南京路さん 2006/10/25 21:41:23
- 瑞金大廈!
- まさにこの瑞金大廈に10年ほど前に住んでいました。当時はテナントにJALなんかも入っていて、日本人もたくさん住んでいたんですよねー。オフィス棟にも日系企業の大手が多かったですしね。ちなみにその頃ローソンは
まだ入っていませんでした。...というか、ローソン自体上海にまだ
上陸するかしないかの頃でした。ローソンの一号店の開店に奥さん連が大騒ぎしていたのを覚えています...
先日上海に遊びに行った時、時間が余ったのでこのあたりをぶらぶらし、
懐かしさに浸っていました。井上さんの写真、ほんとに懐かしく、うれしく
見させていただいています。謝謝!
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2006/10/26 04:04:02
- わざわざ入会されたようで・・だったら・・
- 南京路さん、どうも。
今、私は北京です。
オリンピック会場の近くに住んでいます。
南京路さん、10年前に瑞金に住んでいたんですか。
あのあたりも、大きく変わってしまったでしょう。
一時、花市場になっていた昔のドッグレース場もなくなってしまいました。
私は97年末から、打浦橋に住んでいます。
打浦橋は当時は、まだまだ汚い街だたんじゃないでしょうか。
と言いますか、外国人は、めったに行かない地域だったのかもしれません。
久しぶりに上海に来まして、変化の大きさを感じた同時に、
当時の苦労なども思い出されてきたんじゃないでしょうか。
さてローソン1号店です。
それが、どこだかは私は知りません。
推察しますに、古北なのかと・・違いますでしょうか。
98年当時には、もう増えていまして、建国路沿いには3・4店ありました。
岳陽路や東平路が集まる広場・・プーシキンの銅像がある・・
そこにもありました。
あと高安路と永嘉路が交わるところにあるローソンも古いですね。
いまや、上海はコンビニだらけ・・・
でも、北京は少ないですね。
セブンイレブンが2年前に進出しましたが、全然増殖していません。
上海系の快客がチラホラ見られる程度で・・・・どうも都市の造りとか、
生活スタイルが違うため、なかなか根付かないように思えます。
掲示板に書き込むために4トラベルに入会したようですね。
でしたら、南京路さんも久しぶりに訪れた上海の旅行記を作られて下さい。
では。
- 南京路さん からの返信 2006/10/26 19:53:48
- RE: 瑞金大廈!
- 井上様、丁寧なお返事どうもありがとうございました。
調べたところ、ローソンは96年の夏に1号店を作ったようですね。場所は...自信がないのですが、「南丹路」だったと思います。当時、「えっ
なんでこんな場所に?」と思った覚えがあります。徐家フイの近くでしょうか。
96年ごろはまだ古北も建設中だったと思うのです。実は92年から2000年まで上海に住んでいたのですが、ある意味、その期間中ずっとあちらこちらが「建設中」だったかもしれませんね。
打浦橋もあの「B」のマークのついたマンションがどんどん作られていったのをなんとなく覚えています。その頃もまだちょっと(いえ、かなり)汚い家の集まった一角がありました。今はかなり変わったのでしょうね。
旅行記は作れそうもありませんが、上海にはまた時々遊びに行きたいですね。
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