2008/01/21 - 2008/01/24
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ARAK&HIROさん
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目的は旅に行くこと&寺社仏閣巡り。
第42回・京の冬の旅(非公開文化財特別公開)にちょうど
行きたい寺社仏閣が多かったので便乗してきました!
スタンプラリーもやってみましたよ。
メジャーからマイナーまで、ひたすら歩く旅でした♪
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄 徒歩
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-
さて、3日目です。
朝8:15にホテルを出発、昨日の帰りに使った「清水道」のバス停から出発です。
バスを降りて8:50、ぽてぽてと歩いて9時からの拝観に備えます。
本日最初は「六道珍皇寺」です。
臨済宗建仁寺派のお寺です。京都の人は「六道さん」と言えばみんな知っているようですが、京都以外での知名度は残念ながら低いような…
でも、ちょっと前の陰陽師ブームで急に注目が。
なんといっても、かの有名な小野篁の「冥土通いの井戸」がありますからね…!
六道珍皇寺の六道とは、地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界という六つの世界のことです。死んだ人間が必ず行くべき世界で、どの世界に行くかは生前の行いの善悪によって決められるといわれています。
この写真の「六道の辻」は、六道珍皇寺の門前にあります。こ平安時代、この辺りは洛中から鳥辺野に入る際の入口にあたる場所でした。亡くなった人はここで引導を渡され、死者の世界へと進むわけです。
まさに六道の境界、生者の世界と死者の世界、この世とあの世の境目の「辻」がこのあたりなのですね。 -
こちらのお寺はやはり「六道詣り」で有名ですね。
お盆に祖先の霊を迎える際に、お寺の参道で高野槇を買って、水塔婆に戒名を書いて頂き、お清めして迎え鐘をつきます。
こちらの建物の前にある紐を引くと、鐘をつけます。説明にもあったのですが、今はお盆ではないから鐘をついてもご先祖さんは戻ってこないです。
ということで、安心してついてみました。
音は、低くて柔らかい感じです。
しかし本当に良く響きます。
この鐘は、慶俊僧都が唐の国へ行く際に、3年間地中に埋めたままにするようにと命じていったが、留守を預かった者が一年半ほどで掘り出して鐘をついてしまった所、唐の国にいた僧都はその鐘の音を聞いて、あの鐘は3年の間地中に埋めておけば、勝手に時を知らせる鐘になったのに勿体ないと嘆いたとか。
…唐の国まで響くほどの鐘の音なので、あの世にだって聞こえるだろう、という逸話ですが…
いや、本当にいい音で響きます。
六道詣りの期間は、この鐘をつくのに4,5時間並ぶらしいですよ…! -
こちらは小野篁の像です。
篁は平安時代前期の官人で、学者、歌人でもありました。異名は「野相公」その反骨精神から「野狂」とも呼ばれていたとか。
正義感が強く、情に厚く、物や金銭に執着しない、学者としても歌人としても才能に溢れ、何をしてもうまく出来てしまう、「天は何物でも与えちゃった」典型的タイプだったとか。故に朝廷に敵を作ってしまい、一度は朝廷を追われたにもかかわらず、わずか1年半でまた官職に戻り、以前よりもまた出世したとか。
そんなすごい人なので、かの有名な「冥土通い」の逸話になるわけですね。このお寺にあります井戸から毎晩冥土へと降りていき、閻魔大王の補佐官として、裁かれる死者の弁護をしていたそうです。 -
中央奥にあるのが「冥土通いの井戸」です。
篁は昼間は朝廷の官職の仕事をして、夜は冥土に降りて閻魔大王の補佐官をしていたとか。とにかく多才な人だったんだろうなと。
ちなみに、この井戸は冥土へ行く時の井戸で、帰るときには嵯峨野の福生寺にあったと言います。一方通行なんですね。
こちらの特別公開では、生の世界と死の世界を輪廻の輪のように描いた、当時の死生観をかいま見ることの出来る地獄絵「熊野観心十界図」、そして現在のお寺ではなく、当時の巨大な伽藍を描いた「珍皇寺参詣曼荼羅」を見せていただきました。 -
朱印を頂きました。
本尊の薬師如来の朱印です。 -
さて、六道珍皇寺を出て、歩くこと2,3分。
右に「子育て飴」ののぼりが見えます。
こちらで売られているのは黄金色の素朴な味の飴です。
子育て飴の由来は…江戸時代、一人の身重の女性が亡くなってここで土葬されました。それから数日、聞こえてくる赤ん坊の泣き声を聞いた人が塚を堀り返してみると、女性の脇には産まれたての赤ん坊がいたそうです。
その数日前から、飴屋さんには夜な夜な飴を買いに来る女性が現れていました。その女性は、赤ん坊が掘り出されたあとには姿を見せなくなったことから、生んだ赤ん坊を育てるため、幽霊となって飴を買いに来ていたのだという美談として語り継がれたとか。
幽霊になってまで子どもを育てようとする、母の愛情というのか、執念というのか…
あ、飴は割ってあるので尖っていて口の中を切りそうですが、結構美味でございます。
お店の写真はないので、子育て繋がりで左前にある子育地蔵尊です。 -
六波羅蜜寺の正面です。
雨がひどくなってきて、うまく写真が撮れなかった…
951年に空也上人が開いた天台宗→真言宗智山派のお寺です。
六波羅蜜寺もそんなに有名ではないでしょうか…場所は平安時代には六波羅殿と呼ばれた平家一門の屋敷があったあたりで、鎌倉時代には六波羅探題の置かれた場所なので有名ですよね。「六波羅」ってカッコいい字面だけど何だ?と、高校生の頃に辞書になくて図書館に行って調べましたよ…(かなり遠い記憶)
「六波羅蜜」というのは、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六つの修行の事で、波羅蜜というのは悟りに至る(修行の)ことです。ご存じ般若心経の中の「行深般若波羅蜜多時〜」の波羅蜜もこれですね。でもって、この辺りが六原という地名だったことと、こちらの六波羅蜜寺の字が混ざって六波羅になったとか。住所に六波羅なんて入ってたらカッコいいな…
重文の本堂に入ると、正面に国宝の秘仏・十一面観音像を収めた厨子が見えます。厨子も重文とのこと。
廃仏毀釈までは大伽藍だったらしいですが、今は本堂のみで周りを学校と民家に囲まれた小さなお寺でした。 -
飾ってあったパンフレットの写真を更にカメラで撮ってみました、教科書などでお馴染みの空也上人像です。
空也上人と言えば、教科書に載っているこの写真、「市の聖」、歓喜躍踊→踊り念仏、浄土宗と記憶の連鎖が起こるかと思います。
京に疫病が蔓延したときに、本尊の十一面観音像を車に乗せて市中を回り、梅干しと昆布の入ったお茶を病人に振る舞って、南無阿弥陀仏を唱え踊って疫病を収めたそうです。そのお茶飲んでみたいな…
この像と一緒に、空也上人の杖も展示されていました。鹿の角の杖ですね。
空也上人が山に籠もっていた時にかわいがっていた鹿が猟師さんに殺されてしまったので、その革を皮衣にして、角を杖にしたとかいわれてますが…この杖に使われている鹿の角はどう見ても4つ以上のパーツから出来ているし、色も模様も違う…ってことは2〜3匹は必要なんじゃ…?
…空也上人は鹿フェチ? ←失礼!
実際に上人像を見た亜楽さん、「メザシの正体はこれか…」とじっくり見聞していました。
亜楽さん的に空也上人は市井を往来するのに腹が減らないようにいつもメザシを持っている準備万端な人、イメージだそうで…
亜楽「メザシ口にくわえて旅をするんだよ」
っていうか阿弥陀仏だし!メザシじゃないし!
本当は「南無阿弥陀仏」の六字を唱える様子を、6字を阿弥陀仏に置き換えて表現したんです。非常に独創的でいいと思うのですが…メザシって…
…分かっていてもメザシに見えるらしいです。 -
朱印を頂きました。
特別公開では、空也上人像、堪慶や運慶の作品、夢見地蔵、今昔物語にお話があります「鬘掛地蔵尊」を見てきました。
この地蔵菩薩立像=鬘掛地蔵なのですが、右手に髪の毛を下げているんです…人毛って…かなり怖い。
いつもお地蔵様をお参りしていた、貧しい娘さんのお母さんが亡くなって、娘さんが途方に暮れていると、お坊さんがやってきてお弔いをしてくれたんですよね。そのお礼に何もないから自分の髪を切って差し出したんですよ。で、後日お地蔵様がその髪を手にしているのを見て、ああ、あのお坊さんはお地蔵様だったのか、…というようなお話です。
…そんな話を聞いたって怖いのに…知らなくて見ちゃった人はホラーですね… -
敷地内にありました、弁財天の朱印です。
ちゃんと銭洗弁天ということで、銭洗ってきましたよー。
今も財布のポケットに陶器のチビカエルと一緒に入ってます。 -
さて、六波羅蜜寺を出てまたてくてく歩いて、到着しました建仁寺です。緋呂的には禅寺=建仁寺くらいの勢いで昔から好きなお寺です。
こちらは建仁寺三門です。
建仁寺は臨済宗建仁寺派の大本山で、1202年に栄西禅師を開山として建立されました。京都五山の第三位のお寺です。創建時は天台・密教・禅の三宗兼学の道場でしたが、宋の禅僧であった蘭渓道隆が来てからは禅の道場となりました。
こちらは大正12年に静岡県の雄踏町にある安寧寺から移建したものだそうです。 -
栄西禅師のお墓のある、開山堂の前です。
ちょうどお掃除中で門が開いていて、奥の扉から人が出入りしていたので撮ってみました。
中には栄西禅師の植えた菩提樹があるそうです。
となると、800年位前の菩提樹ってことか…今も茂っているそうですが、見てみたいですね。 -
法堂、仏殿を兼ねた拈華堂です。
中に入ると、相国寺なんかとそっくりで、これが禅宗の建築なんだな、と思いました、
正面の須弥壇には本尊の釈迦如来座像と、迦葉尊者&阿難尊者が安置されています。
天井には2002年に創建800年を記念して描かれた、双龍図があります。 -
かなり暗いですが「双龍図」です。
前に来たときには、今描いて貰っています的なコピーを見た覚えがあります。
こんな巨大なものを描くのは大変だろうな…と思っていたら、入り口の横で完成までのムービーを流してました。
ふかふかのホットカーペットもあったので、一番最後、足の先まで冷え切っていた時に見せていただきましたが…どっかの体育館を借りていたことと、ホットカーペットがぬくぬくだったことしか覚えていない… -
○△□の庭です。
白砂の中庭の中央には一本の木があり、その周りに砂が円形にならされていて、砂が台形に盛られ、竹を並べてふたをした四角い井戸があり、これで○△□かな、と大抵は思うそうですが、違うのだそうです。
だから哲学の庭。
哲学的に見るとどう見えるんだろう…
私にはどうしても△がみあたらない…
木のてっぺんと、白砂の○の端を点と捉えて点の間に線をひけば△?
まぁ、同じものを見ても、人によって色々な角度で様々な見方をすることが出来るから哲学の庭なんだろうな、と凡人はまとめようと思います。 -
潮音庭です。
中央に三尊石、脇には座禅石があります。
三尊石というのは、そのまま三尊仏を模したもの。一般的には仏像や仏画で、中央の中尊と左右に侍立する脇侍の三尊を言います。
不動三尊なら、不動明王と金伽羅・制多迦童子
阿弥陀三尊なら、阿弥陀如来と観音・勢至菩薩
薬師三尊なら、薬師如来と日光・月光菩薩
釈迦三尊なら、釈迦如来と文殊・普賢菩薩…は、禅宗だと大迦葉尊者・阿難尊者を脇侍とします。
この三尊石、バランスが命です。
石を選ぶのにも大変手間がかかるとか。
こちらのお庭は紅葉の時期が見頃とのこと。
今は真冬なので葉っぱがないのですが、紅葉の前は青々として緑が綺麗だそうです。でも人間と混雑が大嫌いなので紅葉の時期はイヤだし、暑さに弱いので夏は無理…
いいんです。枯れてても趣があるからいいんです。
静かに心を無にして見るにはもってこいの環境です。
…何せ自分たちの他に四人しかお客さん見ませんでしたからね。 -
芭蕉です。
この円形の窓に鮮やかなグリーンが綺麗。
亜楽さん曰く「禅寺に南国バナナだ」
芭蕉はジャパニーズ・バナナって言うらしいですね。
中国原産ですが、奄美諸島なんかにもあるし、考えてみれば松尾芭蕉が生きてたころには普通に生えていたってことですよね。
禅寺とバナナはミスマッチに見えてマッチしてます。 -
俵屋宗達「風神雷神図」のレプリカです。
風神と雷神っていったらこちらの絵か、カイゲンのCMが出てくるってくらい有名です。→後者はどうだろう…
屏風の端と端ギリギリに配置された、微妙なアンバランスさが何とも面白いです。
こちらといい、養源院の襖絵といい、やっぱり俵屋宗達の絵は何か面白さがありますね。
こちらは風神。
風神と言えばリグ・ヴェーダではヴァーユという撫で、インドラ神と共に三界の空を治める上位の神でしたが、インドから渡ってくる間にかなり下位になってしまい、神というより妖怪化しているような外見で…
ギリシャ神話の北風の神ボレアスも布を持っているしヒゲモジャだし、起源を辿るとそこまで行きそうですよね。 -
雷神です。
牛の角を持って、虎の革のふんどしを締め、太鼓を背負った姿です。天神とも言われ、対になる風神よりも位はかなり高いかと。
菅原道真も火雷天神で雷の神様だよね。
でも、雷様と言えばヘソだよな…
なんでヘソなんか取るって言われたんだろう…
ヘソ取ってどうするんだろう…食べるのかな…
ヘソ取られるとどうなるんだろう…かっこ悪いだけかな… -
潮音庭にて。
向こう側に座っているのは亜楽さんです。
本当に誰もいなくて、清々しい…
雨降ってたって、寒くたって、景色が冬だから寂しかったって、混雑しているより全然ましですって。 -
建仁寺の御朱印です。
-
建仁寺の勅使門の左にある、摩利支天堂。
建仁寺の禅居庵の境内にあり、大鑑禅師が中国より招来した摩利支天を祀っています。
摩利支天は三面六臂で猪の背に乗った姿で表され、陽炎を神格化した古代インドの女神で、日本に来てからは男神となって、陽炎のように見えず、捕らえられず、傷つけられないことから、特に武士の守り神として信仰を集めました。 -
狛犬ならぬ狛猪。
摩利支天尊の祀られている場所では、狛猪が良く見られるそうですが…こんなにモロ「猪」なのは初めて見ました。 -
八坂神社の入り口です。
八坂神社は素戔嗚尊を祭神とする全国各地にある神社の名称で、ここが総本社です。廃仏毀釈の前は祇園社と呼ばれていたので、祇園さんの愛称で呼ばれています。
今は素戔嗚尊を祭神としていますが、明治の廃仏毀釈以前は祭神は牛頭天王でした。牛頭天王は仏教の守護神で、日本では素戔嗚尊と同神とされています。
ちなみに、牛頭天王は祇樹給孤独園精舎=祇園精舎を守護するとされています。
前のPNが八坂裕な緋呂的に、お参りするのに立ち寄りました。
こちらの前にあるちりめん山椒の名店「やよい」にお昼を食べられるカフェがあると聞いて来たのですが、カフェは不定休→今日休み!
…いい加減腹も減ってますが、でもまだ知恩院に行かないと… -
八坂神社の朱印です。
…あっさりしてるけどぼてっとした字だ… -
八坂神社の前で空腹に耐えかねてコロッケを食し、更にスタンプラリーが貯まったので知恩院前の「華頂」という所でお茶とお菓子を頂き、エネルギー補給して知恩院へ。
知恩院は浄土宗総本山の寺院。
山号は華頂山、正式には華頂山知恩教院大谷寺といいます。本尊は阿弥陀如来と、開基の法然上人像です。
こちらは知恩院の三門です。
国宝で、徳川秀忠によって建立されたそうです。
大きさでは日本最大の山門。本当にやたらでかいです。
今回は特別公開で、内部に入りました。
狭くて急な階段を懸命に上っていくと、門の上層にでます。楼閣のようになっている広い内部には、中央に釈迦如来像、周りには一六羅漢像が安置され、天井には龍の絵が描かれています。基本的には公開されていなかったせいか、東寺の五重の塔の壁面などに比べて装飾文様も格段に鮮やか、綺麗に残っていました。
釈迦如来像の正面は、河原町方向が一望できるようになっています。
知恩院七不思議の一つ、大工の五味金右衛門夫婦の木造もありました。 -
知恩院は冬で雨にもかかわらず、ツアー客が大量にわらわらしていて、写真を撮れなかったんですよね…
ってていっても、空いてますねーとツアーの方やお寺の関係者さんは言ってましたけどね。
知恩院には七不思議がありますね。
鶯張りの廊下・五味金右衛門夫妻の白木の柩・本堂の忘れ傘・三方正面真向の猫・抜け雀・大杓子・瓜生石ですが…その一つに入れて欲しいこれ、本堂の蝉?ナウシカのオーム?
扉の飾りらしいですが、他にも河童や亀などがくっついていて、面白いからって本堂の周りを一周してしまいました。
またも特別公開で、重要文化財の経蔵の中にある輪蔵を見てきました。巨大な八角形の柱のようなものに、沢山の引き出しが付いているようなものです。その引き出しの中に経典が入っており、これを一周させることで、この中にある徳川秀忠の寄進した六千巻の大蔵経典を全て読破したと同じ功徳が得られるという優れもの!
…でも回させてくれなかったよ…
重たくて回らなそうだったけどさ。 -
その後、勢至堂へ。
急な石段を登らないといけないのですが、工事中で道幅が半分に。あげく観光客がわさっといるので、いつ誰が滑って阿鼻叫喚になるかと冷や冷やでした。
さて、勢至堂は本地堂とも呼ばれています。法然上人の住んでいた地で、知恩院の建物では最も古く、1530年の建築だそうです。建立当初は、本尊である勢至菩薩を安置しているここが本堂でした。
中には三十人ほどの団体さんが説明を受けていて、一緒に聞いてみました。
勢至菩薩を本尊とするお堂は他にほとんど例を見ないそうですが、法然上人の幼名が勢至丸だったことから、浄土宗では法然上人は勢至菩薩の生まれ変わりとしているため、本尊としているということでした。
さて、写真は勢至堂から裏手へ回った墓地の中にある濡髪大明神のお社です。
濡髪大明神の祭神は、知恩院の守り神とされる白狐です。本堂の建設により栖を失なった白狐が、童子に化けて本堂へと行くが、上人の説法で改心して、以後知恩院の守り神となる事を誓った。その時に童子の神が濡れていたから濡神大明神と呼ばれる、という説があるそうです。
濡髪大明神は、恋愛成就の神様とされています。詣でると美人になるとかも書いてありましたが、人気のない墓地にぼんやりと立っているお社は、もっと生々しくておどろおどろした雰囲気でした。
こちらの前には千姫のお墓もあり、やはり何かどよんとしてましたね…
いや、お寺の中でどよんとしているってのは良くないな…成仏してないみたいだもんな… -
知恩院の朱印です。
法然上人、って書いてあるみたいだけど…
小さいと○○天って見える…
天麩羅食べたい… -
勢至堂の裏で、休憩中の方を呼び出して書いて貰いました。
墓地の檀家さんのための建物だと思ったから、見逃すトコだったよ… -
知恩院を出て、地下鉄の駅を探してウロウロ。
道でお団子屋さんが団子を焼いているのを発見!
丹波屋の味噌団子、百円くらい。
これが美味かった!道の真ん中で団子に食らいつく二人…
その 後は錦市場をうろつき、色々見て回りました。
錦市場の「麩嘉」というお店の生麩がもう、超、スーパー、もーのーすーごーくー美味!!!
つるんとした生麩ならではの食感で、色んな店のを食べてみましたが、コレが最強でした。
賞味期限が一日だったので土産には向きませんが、いや、これ最強!
帰る前にもう一度買うことを心に誓いました。
その後、近くの大丸に入って何故か地下の食品売り場で催されていた北海道展で、「じゃが豚」というすんげー美味なジャガイモの餅を発見。熱々のスープに入ったじゃが豚を試食してすぐに「東京に発送出来ますか」と聞いてしまったら、向こうもびっくり。
そりゃね、東京の人が京都に来て北海道のものは買わないよね…
でも美味しく頂かせていただきました♪ -
さて、18:00に京都駅に戻ってきました。
お昼ごはんを食べていない(いや、おやつは食べたけど)ので、腹減り減り腹なのです。
CUBEの中で店を物色、鯖寿司食いたいけど、寿司屋じゃないし…と、田ごとというお店を発見。にしんそばと鯖寿司とお麩の田楽で1500円。
これが一番美味だったのが鯖寿司!
鯖肉厚!激ウマ!もう一回食べたい!
後で調べたら、京王にも入ってる京料理のお店だったのね…そば屋かと思ったよ。
で、水曜限定くじを貰って、こすってみたら…
亜楽さん500円GET!
お昼を食べていない自分ら、つい調子に乗って気になっていたオムライスのお店「卵と私」をはしごしました。調子のりすぎだろう…
腹もいっぱい、また飲み物など買い込んで、ようやくホテルに戻りました。
…風呂入っておやつ食べてバタン、また明日〜。
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