ロックフェラーの息子はニューギニアに興味津々で、1910年代にニューギニア南西部のアスマット地方で民芸品などの収穫に出かけた。
当時、アスマット地方は人食い(カーニバル)の習慣が残っており、ロックフェ
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当時、アスマット地方は人食い(カーニバル)の習慣が残っており、ロックフェラーの息子は行方不明になり、人食い人種の犠牲になったと言われてる。
インドネシアではこの他にスマトラ島やカリマンタン島で人食い人種が存在していた。
カリマンタン島ではオランダの仲介で、人食い人種の各部族が集まってサミットを開催し、人食いの習慣を止めることにした。
ロンリープラネット誌に記載がある。
なお、現在はインドネシア政府の指導で人食い行為は禁止される。
アスマット地方は土地が痩せていて、農作物がたびたび不作となり、食料不足のためやむを得ず村びとを食べることになることになったらしい。
誰を食べるかは住民の総意で決めたようである。大体は日頃の素行の悪い人間が選ばれたようだ。単に太っているからなどの理由で対象にならず、民主的手続きが機能しており、今日の日本の権力者や官僚に聞かせてやりたい。
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