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★続日本紀文武元年(大宝元年/701年)12月27日、「大伯内親王が薨じた。天武天皇の皇女である」☆大来皇女が伊勢から飛鳥へ帰ったあと、国史に残る記録は、これだけです。...
赤目・名張
旅行記グループ六国史の旅 飛鳥の姉弟
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2020/12/14~
by しにあの旅人さん
大来皇女が斎王宮にいた12年間、日本書紀にはなにも記録がありません。大来が斎王宮に送られたのは、遺跡が発掘されたので、否定できない事実。一方、大来が斎王として仕えていた...
明和・大台
34
2020/12/11~
日本書紀天武3年(674年)冬10月9日、「大来皇女は泊瀬の斎宮から伊勢神宮に移られた」皇女の行き先をたどってやって来たのは、ただの畑、林、近鉄山田線の線路。2018年...
23
2020/12/10~
日本書紀天武元年(672年)6月26日続き、「(桑名)郡家につくと、まず高市皇子を不破に遣わし、軍事の監督をすることを決められた。(中略)この日天皇は桑名の郡家に泊まら...
桑名・長島
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2020/12/08~
日本書紀は、壬申の乱は近江方が仕掛けてきたもので、天武天皇(そのころは大海人皇子)の吉野蜂起は正当防衛だと主張しています。そのため6月24日、準備もままならずあわてて吉...
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2020/12/06~
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