2026/07/01 - 2026/07/01
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かっちんさん
旭川電気軌道東川線は、かつて旭川市と東川町15.5kmを結んでいた軌道路線(路面電車)です。
昭和2年(1927)に運行を開始し、開拓地(東川町)からの米や農産物の輸送、また住民の通勤通学の足として活躍しました。
昭和40年代に入るとモータリゼーションによる利用者の減少が進み、昭和48年(1973)1月1日に鉄道が廃止となり、バス運行に転換されました。
現在、旭川から東川町へ行くバス会社の名前は「旭川電気軌道」そのまま。
かつて軌道路線があったことを印象付けられます。
「旭川電気軌道」を知るには東川町郷土館の館内に最後まで活躍した電車モハ100形が保存され、また営業当時の写真が展示されています。
東川町駅の駅跡は空き地になっていますが、周りに農業倉庫が残っており、当時の風景を思い浮かべてみます。
なお、旅行記は下記資料を参考にしました。
・国鉄営業局の旅客事務用「鉄道路線図」昭和35年
・東川町のHP
・東川町郷土館の展示資料と写真
・北海道マガジン「なぜ駅舎が2階に?日本最北の電車の歴史を今に伝える旭川追分駅舎」
・文化遺産オンライン「旧役場庁舎(東川町郷土館)」
・モウラー「東川町郷土館|日本最北の路面電車「旭川電気軌道」を展示・入館無料で実際の電車に乗り込める!」
・asatan、KOTAさんブログ「小股川に謎の鉄橋!?【廃線探訪】東川線の遺構を訪ね」:東川駅跡
・Souheki「レンガのイギリス積みとは?フランス積みとの違い」
・鉄道本舗「電車のマスコンの種類と特徴を知ろう」
・VVVF製作所「抵抗制御の電車が加速するしくみ」
・こひつじの家「車掌弁」
・富士カーボン製造所「カーボンブラシとは」
・清瀬市郷土博物館「【昔の道具紹介】見て学べる!アイロンの歴史!!」
・エビス電力、暮らしのブログ「昔の洗濯機〜現代の洗濯機」
・北海道電力江卸(えおろし)発電所
・ミツカン水の文化センター「北の大地の小さな町で「未来への開拓」進む」:東川町開拓
・ウィキペディア「旭川電気軌道東川線」「旭川電気軌道東旭川線」「帝國車輛工業」「ボギー台車」「東川町」「マスター・コントローラー」「日本車輌製造」「旭友ストア」「唐箕」
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
イチオシ
「旭川電気軌道」路線図
昭和35年(1960)国鉄営業局の鉄道路線図に、旭川から東川と旭川公園まで「旭川電気軌道」が記載されています。
余談ですが、他に国鉄の名寄本線、深名線、留萌本線、羽幌線、札沼線、幌内線、歌志内線、士幌線が。
私鉄では留萌鉄道、天塩鉄道、三菱鉱業美唄鉄道線、三井鉱山芦別鉄道。
国鉄バス路線も記載されていて、まさに鉄道王国だったことがこの鉄道路線図から読み取れます。 -
写真文化首都「東川町役場」
旭川から旭川電気軌道の路線バスで移動し、東川町の町歩きをはじめます。
この建物は「東川町役場」。
写真文化首都は、北海道最高峰の旭岳をはじめとする大雪系の山々や田んぼが織り成す美しい景観に着目し、昭和60年(1985)に「写真の町」を宣言し、町づくりが始まりました。
10年目には全国高等学校写真選手権大会(写真甲子園)が始まり、全国の写真愛好家や高校写真部の生徒たち、さらには企業、国や道、周辺自治体などを巻き込みながら、さまざまな人の輪がつながるようになっていきました。 -
「星印の町章」(東川町役場の壁面)
星印は北海道をあらわす北斗星で、亀形は「東」、中央の点は「東」の一部と旭岳を、三本線による円は「川」を象徴したものです。
北海道の中央に位置し忠別と倉沼の川の恵みを受けながら、雄大な旭岳を望みつつ躍進する。そんな東川の未来に託す思いを表現しています。 -
「スクールゾーン」標識(東川小学校付近)
TV番組「ウォーキングの ひむ太郎」にピンチヒッターで出演している「いと次郎」に顔がそっくり。。。 -
「昭和の時代を思わせる民家」(東川町)
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「東川町郷土館」
郷土館は旧役場庁舎を利用し、東川開拓の歴史を知る資料として、開拓時代の農機具や東川を走っていた軌道電車の実物が展示されています。
この建物は昭和24年(1949)、極めて物資不足の時代には珍しい建築技術や様式を用いて建設された木造2階建ての役場庁舎を保存する意味で再現されたものです。
では、郷土館を見学します。 -
「旭川電気軌道の路線図」(郷土館の展示)
「東川線」は旭川4条~東川。全線所要時間は40分。(以前の馬車だと3時間30分かかっていました)
「東旭川線」は旭川追分~旭山公園。旭山公園には現在「旭山動物園」があります。
また、旭川~旭川4条間は貨物の運行のみでした。 -
「旭川四条駅時刻表」(郷土館の展示)
朝は30分間隔。
昼間と夜間は60分間隔。 -
「旭川4条駅と出発を待つ1001号」(郷土館の展示写真)
ここから展示されている写真です。
旭川4条駅は現在のJR石北本線「旭川四条駅」の位置。
モハ1001号は日本車輌、昭和30年製(1955)で、全長18mの大型車。
現在、東旭川農村環境改善センターで保存されています。 -
「現在の旭川四条駅」
帰りの旭川行きバスの中から写真をパチリ。
前方の高架橋がJR石北本線。
左側のバス停付近に旭川電気軌道の駅があったと思われます。 -
「貨車を引いて最後までがんばった梅鉢8号」(郷土館の展示写真)
梅鉢鉄工所、昭和元年製(1926)。昭和2年(1927)開業に際して用意された四輪電動客車です。
電車が貨車を牽引しています。
梅鉢鉄工所は堺市にある個人工場で、後に帝国車輛工業と改称。
現在は東急車輛製造と合併しています。 -
「貨車をけん引して活躍の101号」(郷土館の展示写真)
モハ101号は日本車輌、昭和24年製(1949)。
定員80名、電動機は東洋電機製。廃止まで主力として運用され、現在郷土館に保存されています。
写真は貨車が運んできたストーブの燃料となる石炭を下ろしています。 -
「モハ101号、車庫火災のあと登場したボギー車」(郷土館の展示写真)
昭和49年(1974)に発生した車庫火災後に新製されたボギー電動客車。
ボギー台車は、車体に対して水平方向に回転可能な装置をもつ台車のこと。
写真は車道脇の専用線を軽快に走ってます。 -
イチオシ
「旭川追分は東川線と東旭川線の分岐点」(郷土館の展示写真)
北海道でよく見かけるギャンブレル屋根の駅舎。
その両側に濃紺の電車が停車し、「昭和の素晴らしい鉄道風景」です。
その後、この駅舎が東光地区の旭川千代田郵便局向かいのスナック1階の上に乗っかる形で移築されました。(北海道ファンマガジンより)
https://hokkaidofan.com/asahikawadenkikidou/
Googleストリートビューで確認すると現在は見当たらず。どうなったのかな? -
「パンタグラフとポールの2つを使ったモハ100」(郷土館の展示写真)
電車の集電装置は昭和29年(1954)にトロリーポールからパンタグラフへと変更。
ところが、車庫内にクレーンがあるため架線高さが高く、パンタグラフが使用できないことからこの電車は廃線までトロリーポールも設置されていました。 -
「旭正駅にての上下線入換」(郷土館の展示写真)
右側の電車を見るとパンタグラフとポールがあることがわかります。
「旭正駅」は「きょくせいえき」と読みます。
ホームの後ろに「旭正・・・」表示の煉瓦倉庫があります。 -
現在の「旭正駅跡」(帰りのバスから)
「旭正」と書かれた煉瓦倉庫が残された場所を発見。
この倉庫前の歩道に線路と駅があったと思われます。
ひとつ前の写真と見比べてください。 -
「今はなくなった東川駅舎と駅前広場」(郷土館の展示写真)
駅前に大きな樹木が立ち、駅構内ホームの奥には左右に大きな倉庫があります。 -
「現在の東川駅跡」の石碑(東川町)
写真左側にある「緑の樹木と倉庫」は廃止前の写真にもあったので、ここは駅前広場だったところです。 -
イチオシ
「石積み倉庫の手前にはホーム跡」(東川駅跡)
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「煉瓦倉庫」(東川駅跡)
廃止前の駅舎左側にあった煉瓦倉庫です。
三角屋根と雪の滑り止め棒、丸いマークが一致しています。 -
「イギリス積みの煉瓦倉庫」
写真を拡大してみました。
イギリス積みは、レンガの長手(長い面)だけの段、小口(短い面)だけの段を交互に積み上げる方式です。 -
「広い駅前広場(旭川方面)」(東川駅跡)
この場所で貨車と荷物の積卸しをやっていたことが想像できます。
煉瓦倉庫に書かれている文字は「東川村農業倉庫」。
東川村だった時期は明治39年~昭和34年(1906-1959)。
その後、東川町となります。 -
「モハ101号の前面」(郷土館保存車両)
郷土館内に保存されている旭川電気軌道の電車モハ101号です。
昔の電車の前照灯は、屋根にデメキンのように取付けられていました。 -
イチオシ
「ホームに停車している101」(郷土館保存車両)
行先表示板(サボ)は「←東川行、旭川四条行→」となっているので、終着駅で付け替える必要がありません。
上げ下げ2枚窓は懐かしいですね。 -
取っ手がある「手動ドア」(郷土館保存車両)
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「旭川電気軌道の社紋」(郷土館保存車両)
社紋は「旭」の字を丸くデザインし、それをレールを組み合わせた円で囲んでいます。 -
「デメキン前照灯とパンタグラフ」(郷土館保存車両)
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もう片方にはチョンマゲみたいな「トロリーポール」(郷土館保存車両)
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「製造銘板」(郷土館保存車両)
日本車輌、昭和24年製造の銘板。 -
「運転席に見えるハンドル」(郷土館保存車両)
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イチオシ
「直接制御器」(郷土館保存車両)
路面電車は最近の電車の「マスコン」とは異なり、この「直接制御器」方式。
「直接制御器」のハンドルを手前に引くと、複数の抵抗器を徐々に短絡することで、直流モータに印加する電圧を上げて加速していきます。
直流600Vの架線電圧を直接制御するので、絶縁を考慮した大きな制御器になっています。
モハ101号は東洋電機製の直流モーターを4基搭載しているので、「直接制御器」も東洋電機製です。 -
「電圧計と電流計」(運転席上部)
モーターに印加する電圧と電流が正常なのか運転士が確認ができます。 -
ヒーター用「カノピスイッチ」(運転席上部)
直流600Vを直接入り切りするの、でちょっと怖い。。。 -
「その他電装品」(運転席上部)
ブレーキ用コンプレッサのカノピースイッチ、ブザー蓄電池。 -
引っ張ってみたくなる「車掌弁」(運転席上部)
「車掌弁」は緊急時に乗務員が操作して非常ブレーキをかけるための排気弁。
カラスウリ(みたいな)を付けた紐を引っ張ると、排気弁を開きブレーキ管内の圧縮空気をいっきに抜け、強いブレーキがかかります。 -
「天井に付けられた鐘」(前後の運転席天井)
電車後部にいる車掌さんが出発や停車の合図を運転士に伝えるため、紐を引っ張ると天井に付けられた鐘が「チン」と鳴り知らせます。
小学生の頃、東京の都電でこの操作を観察していました。
・車掌さんが、次は「〇〇町~」と案内し、乗客から下車の反応があると、「チン」と1回鳴らして停車の合図。
・「チンチン」と2回鳴らすと、次は通過や、出発OKの合図。
・都電の場合、紐が天井付近を通って運転席までつながっており、運転席天井の鐘が鳴っていました。
アナログですが、よく考えた設計です。 -
車内にある製造銘板「輌車本日」(運転席上部)
赤色の社紋は「重」に似ていますが、「日」と「車」を図案化しています。 -
イチオシ
「ロングシートに板張りの床が目立つ車内」(モハ101車内)
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「上げ下げ窓」(車内)
小さい頃、窓を開けて窓向きに座り、風を受けながら景色を眺めました。 -
「長~い つり革」(車内)
小さい頃、つり革に両手でぶら下がり、つり輪競技みたいにしてこっそり遊びました。 -
「手動ドア」(車内)
車掌用ドア開閉スイッチが見当たらないので、手動ドアですね。 -
「あれっ2両目の電車がいる??」(車内)
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「旭友(きょくゆう)ストア」の広告(車内)
昭和43年(1968)に旭川市にスーパーを開店したのが始まりで道内に展開。
シンボルマークはペリカンをモチーフにしたデザイン。
しかし、業績悪化により、平成22年(2010)全店舗を閉店しました。 -
「2両目は鏡」(郷土館保存車両)
カメラマン本人と逆101表示から、車両が鏡に映ってることが判明。 -
「電車をめぐる こぼれ話し」(郷土館の展示)
①自宅の前まで電車が来て、花嫁が乗り込む風景が見られ、貸切電車でお嫁入り。
②昭和20年当時、日本が戦争中のため、男手が不足し、ついに女性の運転手が登場。
敵の飛行機が飛んでくると、乗客を降ろして、地下ごうへ避難させる役目もありました。
③電車が走りはじめたころ、通りがかりの馬車馬が驚いて暴れだすので、馬が来るたびに電車を止め、通り過ぎるのを待ちました。 -
「旭川電気軌道のきっぷ」(郷土館の展示)
黄色い券は片道きっぷ、右隣の券は往復きっぷ。
きっぷは1枚ずつ切り離して発売する方式ですね。 -
「旭川電気軌道の車内乗車券」(郷土館の展示)
車掌さんが車内で発売する乗車券は、乗車駅と下車駅、運賃、乗車日を改札鋏で小さなパンチ穴を開けます。 -
「改札鋏とカーボンブラシ」(郷土館の展示)
改札鋏はきっぷの使用時にパンチ穴をあけるもの。車内用と改札用。
カーボンブラシは黒鉛(カーボン)を使用したブロック状のかたまりで、モーターの回転する部分に接触して、摺動しながら通電する機能を発揮します。
頻繁に交換したのかな?? -
「ブレーキハンドル、通行票の玉、ブレーキの圧力計」(郷土館の展示)
単線区間を走るには列車の衝突を避けるため、区間ごとに通行票を持った列車だけが通れるルールになっています。
通行票(タブレット)の玉は、区間により中央の穴の形が異なり、○、□、△などがあります。 -
「でたぁ~!ヒグマとエゾシカ」(郷土館の展示)
ここから東川町の動物や生活用具の展示を紹介。
ヒグマはちょっと疲れている様子。
エゾシカは「じっくり見ないでよ」という目つき。 -
「足踏み脱穀機」(郷土館の農機具展示)
下の板を足踏みするとローラーが回転し、ローラーの出っ張りで稲や麦の穂を落とします。 -
「唐箕(とうみ)」(郷土館の農機具展示)
上部の漏斗から少しずつ穀物を落下させ、そこに横からハンドルを回して風を送ることで、藁くずや実のない籾などの軽いものを吹き飛ばし、実の詰まった重い穀粒だけを手前に落とします。 -
煙突のある「炭火アイロン」(郷土館の生活用品展示)
使い方は蓋を開けて炭火を入れます。
煙突は何のため?
炭火を消さないようにするには空気が必要で、周りにある小さな穴から空気が入り、上部の煙突から空気を出す流れを作っています。 -
「手回し洗濯機」(郷土館の生活用品展示)
汚れた衣類と水などを洗濯機に入れ、蓋をしてハンドルを回して洗います。 -
「真空管ラジオ」(郷土館の生活用品展示)
-
「土偶」(郷土館の特別展示)
千歳市キウス遺跡から発掘された縄文時代後期の土偶。 -
「交流同期発電機の羽根車」(郷土館の展示)
昭和25年(1950)、三菱電機製。
大雪山から流れるピウケナイ川下流にある江卸(えおろし)発電所の発電機。 -
「開拓記念碑」(羽衣公園)
郷土館をあとにし町歩き。
東川町の入植開始は明治28年(1895)。
屯田移住ではなく、民間植民移住で、香川団体30戸、富山団体20戸、愛知団体14戸、徳島団体8戸などが入地。
明治30年(1897)、旭川村から分割して東川村が設けられました。
上川地方は稲作は適さないとされ畑作中心。虫害、霜害などに苦労しましたが、東旭川村と富山団体が水田試作に成功し、稲作地帯への道が開けました。
農業の近代化を昭和38年から着手し、圃場整備事業が昭和49年に本道で最初に完了。
この公園は町民の善意と奉仕により造られ、名勝「羽衣の滝」から流れ出る清流が北海道をかたどる池に注がれているところから、羽衣公園と名付けられました。 -
思い出の記録「天人峡にある羽衣の滝」(2018/6/23訪問)
断崖を7段にわたり岩肌をつたい落ちる様が「天女が羽衣をひるがえしたようだ」と例えられる美しい滝です。
旅行記にしているのでご覧ください。
『東川町の夏季限定無料バスでゆく天人峡 ~美しい柱状節理と羽衣の滝~(北海道)』
https://4travel.jp/travelogue/11387608 -
「明治の家」(東川町羽衣公園内)
明治の家は、明治44年に建造された建物で、当時の生活を伺う資料として、東川有形文化財に指定されています。 -
「フルーツパルフェいちご」(道の駅道草館)
町歩きを終え、道の駅に戻ると3時のおやつの時間。
手書きのおやつメニューに誘われます。 -
「フルーツパルフェいちご」(道の駅道草館)
道産いちごをたっぷり使った濃厚ないちごソース。
冷たいソフトクリームといちごソースを味わいながら疲れが一気にふっ飛びました。
この後、旭川に戻り今晩の宿は北見です。
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