2026/08/16 - 2026/08/16
426位(同エリア1029件中)
ソウルの旅人さん
- ソウルの旅人さんTOP
- 旅行記67冊
- クチコミ9件
- Q&A回答1件
- 53,788アクセス
- フォロワー14人
飛鳥・藤原の宮都が世界遺産に登録された。世界遺産検定一級の息子が「直ぐに行きたい」と言ってきたので、私が案内した。1日だけなので、さわりだけであるが、久し振りに訪れた“まほろば”に癒やされた。
タイトル写真は高松塚古墳
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- レンタカー
-
飛鳥寺から次に向ったのは石舞台である。
混雑はなく10分足らずで到着した。 -
石舞台入口
見学するのは60年振りか!
そもそも私が石舞台を最初に訪れた昭和30年代はこんな仕切塀はなく、台地の上に大石が剥き出しに露出しただけの殺風景な風景で、勝手に誰でも接近できた。何時からかは知らない。囲いができ有料になってからは近くを通っても遠望するだけで、入門しなかった。 -
石舞台台地に上がる階段。
整備が行き届いている。 -
石舞台
中学生にとって『石舞台』の名称では古墳だとイメージ出来なかった。単なる岩石の塊だった。
60年振りに接近して見ると、古墳であることが即納得できた。
-
改めて申すまでもなく、この石塊は古墳の盛土が除去され、埋まっていた土中の石室が露出したものである。埋葬者が蘇我馬子であることも間違いない。年代・埋葬者が確定出来る数少ない古代の遺物である。
-
この圧倒的ボリューム感はどこから生まれるのか!!
7世紀初頭は“石の文化”の時代だったか? -
説明板の日付けは昭和の年号になっている。
-
記憶にない横穴入口である。60年前は横穴は開いていなかったか?
7世紀の横穴式古墳であることを示す典型的な羨道の形だろう。
-
多数の訪問者が横穴式古墳を見学していた。
横穴古墳は多く見てきたが、羨道に入ったことはなかった。 -
玄室
石棺を安置する玄室は大きい。
人が出入出来るように室を作っている。 -
これだけの石を造作して地中に玄室を造っている。
隙間から日光が差し込んでいる。勿論、造墳当初は完全な石室だったろう。
隙間があれば土塊が石室に入ってくる。 -
7世紀前半は“石の文化”が未だ主流だったか?
飛鳥には「酒舟石遺跡」「亀形石造物」「益田岩船」「猿石」「亀石」など石造物遺跡が多数残されている。 -
8世紀の平城京は“木の文化”的色彩が強い。平安京では“木の文化”に変貌する。
日本文化の最大の特徴であろう。 -
『石舞台』という奇妙な名称によって観光名所になったが、この古墳趾は横穴式古墳の勉強には最適である。
-
石棺
驚いたことに玄室に入れた石棺の模型が展示されていた。 -
玄室の中に埋葬者を入れた石棺を収める。当然その石棺は消失していたが、それを再現したレプリカである。
-
この中に馬子の遺体を入れて埋葬した。
石棺の実物模型としてもリアル感あり。 -
世界遺産巡りなので飛鳥の有名遺跡を廻る計画であったが、石舞台まで来たらその奥にある古い部落を訪ねたい。予定外だが行ってみる。
その道の途中にある有名な稲渕棚田。 -
飛鳥の最南端にあたり、飛鳥川の最上流である。
-
持統天皇は頻繁に吉野の宮へ行幸した。その時に通った古道である。南渕請安の墓、飛鳥川に架かる男綱・勧請綱(女綱)もあり、飛鳥の歴史をひしひしと感じることが出来る。
現在もこの道で吉野へ行くことが出来るが、地元民だけが利用する道か。 -
目的地は奥飛鳥の山中のある古い部落である『栢森』である。
栢森は最古の姫神と云われる「加夜奈留美命」を祀る神社があることから考えると、遠い遠い昔に飛鳥に移住してきた人々が最初に住み着いた場所かもしれない。 -
神社の古色蒼然たる姿を息子に見せたかったが、部落に入ると細い道で左右折もままならない。詳細地図を持参していなかったので道案内不可。「もういいよ」と息子が言うので、車から降り事も無く、通過だけに終った。残念!
-
再び飛鳥中央部に戻ってきた。
ここは飛鳥の中心であった場所である。 -
飛鳥宮趾
歴代の宮殿が重層的に建てられた宮跡である。
斉明・天智・天武・持統の各天皇、蘇我入鹿・蝦夷、藤原鎌足などが活躍した場所である。 -
大化の改新(乙巳の変)で、蘇我入鹿が斬殺された場所と云った方がリアリティがあるか。古事記・日本書紀の主舞台である。
しかし、藤原宮と比べれば何とも狭い。天武が計画し、持統が実行した藤原遷都が画期的だったことがわかる。 -
宮跡の南側の高台には橘寺がみえる。
聖徳太子誕生の地であるそうだ。 -
宮跡の西側は川原寺
斉明天皇を弔う為に建立されたとなっている。
いずれにしてもここが古代飛鳥の中央であったことは確かである。 -
次は高松塚古墳に向ったが、その駐車場を降りるとすぐ前に文武天皇陵があった。行って見よう。
-
文武天皇陵へ行く道。
実はこの古墳は文武天皇の陵墓ではないと思われる。しかし、宮内庁は一端決めた陵墓指定は変更しない。 -
文武天皇陵とされている墳墓
この当時の天皇陵の墳形は八角形であるが、この古墳はそうではない。この直ぐ北側に八角形の中尾山古墳があり、それが文武陵の確率が圧倒的に高い。よって、この陵墓は?マークが付く。
私は天皇陵の大部分を見てきたが、恐らくその多くは日本書紀記載の天皇名と相違するかも? -
偽の文武陵の対面に高松塚古墳がある。
埋め戻されて勿論内部は見る事が出来ない。壁画本体も黴汚染にて修復不可とのことで、残念この上ない。 -
小さな円墳
恐らく天武・持統時代の高位者の墓だと思われる。 -
墳墓を一周する。特段の様子はないが、此処からは飛鳥の街並みが望見出来る少し高い位置である。この辺り一帯が支配者層の墳墓地域だったのだろう。
あれだけ立派な壁画があったのだから歴史に名を残すレベルの人物だったに違い無い。武市王子の可能性はないか? -
高松塚古墳は小さな円墳をグルッと一回りして終了。
-
次に行ったのは天武・持統合葬陵
この合葬陵は古くから見つかっていた。
恐らく埋葬者名が正しい数少ない墳墓の例である。 -
陵への上り階段?
この両横は畑になっている。
この階段部分は陵墓の盛土ではないかと思うのだが、違うか?
ここに来る度に陵墓の上を歩いているような錯覚に陥る。 -
階段を登り切ると立派な墳墓がある。ぐるりと一周出来る細道が付けられている。
-
宮内庁の標示板
宮内庁が決めた全ての陵墓に是と同じ標示板がある。 -
天武・持統合葬陵は間違いないとしても、なんだか小さい。
-
陵墓からみえる景観
-
天武・持統合葬陵で5時をまわった。本日はこれまで。
帰路の南阪奈道路から見えた畝傍山。この周辺は面白い遺跡が山積している。 -
帰路に見える二上山
この山を見ると大和の国を想う。
終
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
飛鳥(奈良) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
42