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今回は「その6」につづいて、明治初頭完成の田柄用水の下流部分の地味な旅。<br />笹目通りから光が丘公園を通り、ハイライトの田柄の天祖神社を経て、川越街道の下練馬宿、そして旧田柄川(現田柄川緑道)に合流するまで。<br /><br />表紙の写真は田柄4丁目所在の天祖神社。<br />手前にある一間余りの石橋の下を、左(西)から右(東)に田柄用水が流れていたとされる。<br />ここから下流の田柄地区が田柄用水の恩恵を受けて水田開発が進んだ地区。<br />明治4年の完成から一世紀、おそらく昭和の後半には流れが絶えて埋められたのであろう。<br /><br />境内右手には、「水神宮」と大きく刻まれた石碑(上練馬村玉川上水分水紀念碑)が近所から移築されてあり、表面には功労者名など、裏面には羽村(堰)から(玉川上水と田無用水を経て)・・・」と彫られている。

練馬区の郷土史などを訪ねて その6  明治初頭完成の田柄用水下流部と富士塚

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2026/07/04 - 2026/07/04

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ワンダラー

ワンダラーさん

今回は「その6」につづいて、明治初頭完成の田柄用水の下流部分の地味な旅。
笹目通りから光が丘公園を通り、ハイライトの田柄の天祖神社を経て、川越街道の下練馬宿、そして旧田柄川(現田柄川緑道)に合流するまで。

表紙の写真は田柄4丁目所在の天祖神社。
手前にある一間余りの石橋の下を、左(西)から右(東)に田柄用水が流れていたとされる。
ここから下流の田柄地区が田柄用水の恩恵を受けて水田開発が進んだ地区。
明治4年の完成から一世紀、おそらく昭和の後半には流れが絶えて埋められたのであろう。

境内右手には、「水神宮」と大きく刻まれた石碑(上練馬村玉川上水分水紀念碑)が近所から移築されてあり、表面には功労者名など、裏面には羽村(堰)から(玉川上水と田無用水を経て)・・・」と彫られている。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
同行者
一人旅
交通手段
自転車 徒歩
  • 1964年の前の東京オリンピック開催前に、埼玉県戸田のボート競技会場への裏口のアクセスのため、拡幅直線化された新目白通りとともに整備された幹線道路「笹目通り」を渡って田柄用水が東に流れていた跡。<br /><br />笹目通り開通当時は、この辺りの「笹目通り」は冬から春は麦、夏はキャベツ畑の中で、米軍から返還前のグラントハイツ(現 光が丘パークタウン)内には、戦時中の陸軍成増飛行場の残骸である戦闘機掩体壕の浅いお椀を伏せたような構築物が散見された記憶。<br /><br />飛行場の造成から始まりグラントハイツ、光が丘パークタウンのインフラ整備で、この先の田柄用水は、他の地区よりも先に暗渠化された。<br />

    1964年の前の東京オリンピック開催前に、埼玉県戸田のボート競技会場への裏口のアクセスのため、拡幅直線化された新目白通りとともに整備された幹線道路「笹目通り」を渡って田柄用水が東に流れていた跡。

    笹目通り開通当時は、この辺りの「笹目通り」は冬から春は麦、夏はキャベツ畑の中で、米軍から返還前のグラントハイツ(現 光が丘パークタウン)内には、戦時中の陸軍成増飛行場の残骸である戦闘機掩体壕の浅いお椀を伏せたような構築物が散見された記憶。

    飛行場の造成から始まりグラントハイツ、光が丘パークタウンのインフラ整備で、この先の田柄用水は、他の地区よりも先に暗渠化された。

  • この交差点から田柄用水が東に流れていた水路敷は、インターロッキングブロック敷の緑道風に変わる。

    この交差点から田柄用水が東に流れていた水路敷は、インターロッキングブロック敷の緑道風に変わる。

  • こちらは、田柄用水が流れて跡に、親水公園をつくったようだが、水が流れていない。<br />あるいは、近くの春の風公園のせせらぎのように、夏季限定で水遊びに開放されるものかも?

    こちらは、田柄用水が流れて跡に、親水公園をつくったようだが、水が流れていない。
    あるいは、近くの春の風公園のせせらぎのように、夏季限定で水遊びに開放されるものかも?

  • インターロッキングブロック敷の緑道風の水路敷は、光が丘団地のこひつじ公園手前の南北を貫くバス道路まで続く。

    インターロッキングブロック敷の緑道風の水路敷は、光が丘団地のこひつじ公園手前の南北を貫くバス道路まで続く。

  • バス道路の向こう側が光が丘団地のこひつじ公園。<br />大規模造成により、ここから光が丘公園と光が丘団地などを東側に抜けるまでは、田柄用水の痕跡は全く見られない。

    バス道路の向こう側が光が丘団地のこひつじ公園。
    大規模造成により、ここから光が丘公園と光が丘団地などを東側に抜けるまでは、田柄用水の痕跡は全く見られない。

  • こひつじ公園の北側から広がる都立光が丘公園は広大。<br />樹木も多いが、水辺に似合いそうなヤブカンゾウやアジサイ、ユリが植えられている。<br /><br />

    こひつじ公園の北側から広がる都立光が丘公園は広大。
    樹木も多いが、水辺に似合いそうなヤブカンゾウやアジサイ、ユリが植えられている。

  • ここは都立光が丘公園の南側の入り口広場付近の写真。<br />奥のモニュメント「光のアーチ」の南側に、光が丘パークタウンの象徴となる遊歩道「銀杏通り」が団地の南端まで伸びており、戦時中の陸軍成増飛行場の滑走路のイメージとつながる。<br />西から東に横断していた開渠の田柄用水は邪魔なので、飛行場の滑走路、誘導路、掩体壕など造成時に暗渠化されたのであろう。<br /><br />

    ここは都立光が丘公園の南側の入り口広場付近の写真。
    奥のモニュメント「光のアーチ」の南側に、光が丘パークタウンの象徴となる遊歩道「銀杏通り」が団地の南端まで伸びており、戦時中の陸軍成増飛行場の滑走路のイメージとつながる。
    西から東に横断していた開渠の田柄用水は邪魔なので、飛行場の滑走路、誘導路、掩体壕など造成時に暗渠化されたのであろう。

  • 米軍から返還されたグラントハイツ跡地=光が丘パークタウンの東側は学校敷地にされた部分が多く、田柄用水はその一つの都立田柄高校の敷地内を流れていたとされる。

    米軍から返還されたグラントハイツ跡地=光が丘パークタウンの東側は学校敷地にされた部分が多く、田柄用水はその一つの都立田柄高校の敷地内を流れていたとされる。

  • 光が丘パークタウンの東側、周遊道路を渡った先の特別養護老人ホームの北側道路が、田柄用水跡とされる。<br />この辺りの地形は、右側の谷底部分を自然河川の田柄川(現在は暗渠)が流れ、左側の豊島園通り方向が尾根になっており、田柄用水は田柄川よりも少し高い位置に掘られていた。<br />もう少し下流では、田柄用水と田柄川の間が広がっており、その間につくられた水田に給水され、水田の悪水(雨水や排水)は田柄川に落ちていた。<br />

    光が丘パークタウンの東側、周遊道路を渡った先の特別養護老人ホームの北側道路が、田柄用水跡とされる。
    この辺りの地形は、右側の谷底部分を自然河川の田柄川(現在は暗渠)が流れ、左側の豊島園通り方向が尾根になっており、田柄用水は田柄川よりも少し高い位置に掘られていた。
    もう少し下流では、田柄用水と田柄川の間が広がっており、その間につくられた水田に給水され、水田の悪水(雨水や排水)は田柄川に落ちていた。

  • 東に進むと、北側に表紙写真の天祖神社がある。<br /><br />表紙にも書いたが、鳥居の手前にある石橋の下を、西(左)から東(西)に田柄用水が流れていた。<br />

    東に進むと、北側に表紙写真の天祖神社がある。

    表紙にも書いたが、鳥居の手前にある石橋の下を、西(左)から東(西)に田柄用水が流れていた。

  • 境内右手には、「水神宮」と大きく刻まれた写真の石碑(上練馬村玉川上水分水紀念碑)が近所から移築されてあり、表面には功労者名などが彫られている。<br />

    境内右手には、「水神宮」と大きく刻まれた写真の石碑(上練馬村玉川上水分水紀念碑)が近所から移築されてあり、表面には功労者名などが彫られている。

  • 石碑裏面には羽村(堰)から(玉川上水と田無用水を経て)・・・」と彫られている。<br />

    石碑裏面には羽村(堰)から(玉川上水と田無用水を経て)・・・」と彫られている。

  • 天祖神社本殿。意外と簡素なつくり。

    天祖神社本殿。意外と簡素なつくり。

  • 境内には、顕彰碑などがいくつも建立されている。

    境内には、顕彰碑などがいくつも建立されている。

  • 天祖神社から東に進むと、左手奥に「大松の氷川神社」がある。<br />

    天祖神社から東に進むと、左手奥に「大松の氷川神社」がある。

  • 「大松」というのは、下練馬村の小字「大松」のことで、この氷川神社には浅間神社も祀られていて「富士塚」がある。<br />因みに下練馬村の南側、ふじ大山街道沿いは旧練馬村で、現在の春日町駅あたりの愛染院周辺が旧練馬村の中心とされる。明治以降は春日町に登記所(現東京法務局練馬出張所)もつくられている。<br />

    「大松」というのは、下練馬村の小字「大松」のことで、この氷川神社には浅間神社も祀られていて「富士塚」がある。
    因みに下練馬村の南側、ふじ大山街道沿いは旧練馬村で、現在の春日町駅あたりの愛染院周辺が旧練馬村の中心とされる。明治以降は春日町に登記所(現東京法務局練馬出張所)もつくられている。

    大松氷川神社 寺・神社・教会

  • この「氷川神社富士塚」の規模は、さほど大きくなく、高さもないのでがっかり。

    この「氷川神社富士塚」の規模は、さほど大きくなく、高さもないのでがっかり。

  • 山麓から頂上がすぐ近くに見える。

    山麓から頂上がすぐ近くに見える。

  • 氷川神社富士塚から田柄用水跡に戻り、わずかに東に進むと近年に開通した新大宮バイパス(高島平~平和台駅前)が南北に横切っている。

    氷川神社富士塚から田柄用水跡に戻り、わずかに東に進むと近年に開通した新大宮バイパス(高島平~平和台駅前)が南北に横切っている。

  • 新大宮バイパスからは北東に流れ、川越街道を渡る。<br />交差点の先が川越街道の旧街道部分で、手前の現川越街道は直線化して拡幅されている。

    新大宮バイパスからは北東に流れ、川越街道を渡る。
    交差点の先が川越街道の旧街道部分で、手前の現川越街道は直線化して拡幅されている。

  • 川越街道の旧街道部分は、東武東上線の線路の少し南側を東に進み、東武練馬駅付近は細いままのため西行きの一方通行路で、商店街になっている。<br /><br />下練馬宿は、江戸(東)側から下宿 、中宿、上宿の3宿で構成されていて、 本陣、脇本陣、問屋場などが揃った本格的な宿場であったとされる。<br />この辺りは昔の宿場町である下練馬村の上宿にあたり、台地上のため井戸だけでは水が不足したので田柄用水開削に大金を拠出したらしい。<br /><br />川越街道を利用する参勤交代は、川越藩だけだったが、 鷹狩りに出る大名や 大山詣 ・秩父巡礼の旅人などで賑わっていたとされる。

    川越街道の旧街道部分は、東武東上線の線路の少し南側を東に進み、東武練馬駅付近は細いままのため西行きの一方通行路で、商店街になっている。

    下練馬宿は、江戸(東)側から下宿 、中宿、上宿の3宿で構成されていて、 本陣、脇本陣、問屋場などが揃った本格的な宿場であったとされる。
    この辺りは昔の宿場町である下練馬村の上宿にあたり、台地上のため井戸だけでは水が不足したので田柄用水開削に大金を拠出したらしい。

    川越街道を利用する参勤交代は、川越藩だけだったが、 鷹狩りに出る大名や 大山詣 ・秩父巡礼の旅人などで賑わっていたとされる。

  • 川越街道下練馬宿の上宿の東端の北側には、大規模な浅間神社がある。<br /><br />境内左奥には、巨大な富士塚が聳える。

    川越街道下練馬宿の上宿の東端の北側には、大規模な浅間神社がある。

    境内左奥には、巨大な富士塚が聳える。

  • 右が本殿で、左が富士塚頂上の奥社に向かう参拝登山路。

    右が本殿で、左が富士塚頂上の奥社に向かう参拝登山路。

  • 参拝登山路には一合目から九合目までの標石が埋められている。

    参拝登山路には一合目から九合目までの標石が埋められている。

  • 九合目標石の上に、奥社の社が見える。<br />岩は、富士山から運んだ黒っぽい溶岩のよう。

    九合目標石の上に、奥社の社が見える。
    岩は、富士山から運んだ黒っぽい溶岩のよう。

  • こちらが奥社で、ここの富士山の標高は37.76mとある。<br />これは実際の標高3,776mの約100分の1に相当する。(後世の測量で積み増したか?)

    こちらが奥社で、ここの富士山の標高は37.76mとある。
    これは実際の標高3,776mの約100分の1に相当する。(後世の測量で積み増したか?)

  • 富士塚頂上から南側を見下ろすと、旧川越街道からの参道が見え、結構な高度感がある。

    富士塚頂上から南側を見下ろすと、旧川越街道からの参道が見え、結構な高度感がある。

  • 浅間神社富士塚から旧川越街道(田柄用水跡)を東に進むと、下練馬村の中心部であった中宿の大山道分岐で、現在は環状八号線がアンダークロスしている。<br />この部分に、「下練馬の大山道道標」(中央)と「東高野山道標」(左)が保全されている。<br />「大山道」とは、「ふじ大山道」のことで、富士講や丹沢の大山講が通った道で、この先の春日町交差点手前までは拡幅されて環状八号線になった。<br />「東高野山」とは、練馬高野(たかの)台駅北側の長命寺のことで、「ふじ大山道」の現高野台5丁目から南に入ったところにある。

    浅間神社富士塚から旧川越街道(田柄用水跡)を東に進むと、下練馬村の中心部であった中宿の大山道分岐で、現在は環状八号線がアンダークロスしている。
    この部分に、「下練馬の大山道道標」(中央)と「東高野山道標」(左)が保全されている。
    「大山道」とは、「ふじ大山道」のことで、富士講や丹沢の大山講が通った道で、この先の春日町交差点手前までは拡幅されて環状八号線になった。
    「東高野山」とは、練馬高野(たかの)台駅北側の長命寺のことで、「ふじ大山道」の現高野台5丁目から南に入ったところにある。

  • 環状八号線を過ぎると下練馬宿の下宿になるが、田柄用水跡はすぐに南に折れて田柄川の谷に向かって下って行く。

    環状八号線を過ぎると下練馬宿の下宿になるが、田柄用水跡はすぐに南に折れて田柄川の谷に向かって下って行く。

  • 「下宿橋跡」で、自然河川の田柄川が暗渠化された水路敷につくられた田柄川緑道と合流する。田柄川緑道は奥のビルが建つ位置の現川越街道に向かう。<br />従って、西東京市の田無用水分岐からここまでが田柄用水ということになる。<br /><br />この続きは、「その7」で田柄川跡を訪ねる。

    「下宿橋跡」で、自然河川の田柄川が暗渠化された水路敷につくられた田柄川緑道と合流する。田柄川緑道は奥のビルが建つ位置の現川越街道に向かう。
    従って、西東京市の田無用水分岐からここまでが田柄用水ということになる。

    この続きは、「その7」で田柄川跡を訪ねる。

  • ここで地図を見て、行程をおさらい。<br />写真は「練馬区文化財案内」の地図の一部で、田柄川(緑道)と田柄用水(跡)に水色を着色したもの。<br /><br />地図の西(左)端を南北に走るのが笹目通り。<br />田柄用水は、西から笹目通りを南西に横切り、現光が丘公園などを東に流れて、田柄の天祖神社から川越街道下練馬宿を経て、ここ下宿橋跡で自然河川の田柄川に合流し、さらに地図の右(東)「桜川橋」橋で石神井川と合流点している。<br />

    ここで地図を見て、行程をおさらい。
    写真は「練馬区文化財案内」の地図の一部で、田柄川(緑道)と田柄用水(跡)に水色を着色したもの。

    地図の西(左)端を南北に走るのが笹目通り。
    田柄用水は、西から笹目通りを南西に横切り、現光が丘公園などを東に流れて、田柄の天祖神社から川越街道下練馬宿を経て、ここ下宿橋跡で自然河川の田柄川に合流し、さらに地図の右(東)「桜川橋」橋で石神井川と合流点している。

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