2026/05/05 - 2026/05/05
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しろくまクンクンさん
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佐伯城へ行きました。
佐伯城は、1602年(慶長7)に佐伯藩初代藩主・毛利高政により築城が開始され、1606年(慶長11)に完成した。豊臣秀吉の家臣であった高政の手により、2万石の大名に相応しくないほど立派な城となった。現存する唯一の建築物は、3代藩主・高直が建てた櫓門である。正式名称は定められておらず、「佐伯城」や「御城」「御山城」などと呼ばれていた。また、「鶴ヶ城」という名称も一部文書で見られますが、一般的には使われていないようです。
佐伯市 城下町を歩き城下町観光交流館へ寄りました。
昭和11年の建築とされる「つたや旅館」の建物で無料公開されています。
https://youtu.be/IvdVAYBGkJQ
- 旅行の満足度
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩 バイク
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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佐伯城へ行きました。
櫓門です。 -
さいき散策マップです。
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櫓門です。
この右手には佐伯文化会館があります。 -
何かと思ったらトイレでした。
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城山登山案内です。
現在地から佐伯城跡の案内図です。 -
「カッパの手から少し離すと水が出ます。」????日本語????
カッパの手に手を近づけると頭から水が出ます。
飲めるのかな~????? -
毛利神社の鳥居の先が「登城の道」です。
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佐伯城跡案内です。
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鳥居を振り返ります。
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この登城の道は藩政時代より残っている道筋です。
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結構長いです。
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雛壇状石垣です。
1734年(享保19年)の大雨で斜面が崩落したため、翌年安芸(広島)から招いた石工により築かれました。上段石垣の裾を下段石垣が覆うことで補強する「はばき石垣」という手法が取られており、高さ13メートル、その段数は4段になります。 -
海がきれいに望めます。
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佐伯市と番匠川です。
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外曲輪への石段です。
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外曲輪から本丸東の階段です。
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本丸東階段を登ったところです。
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佐伯城には三層天守があったと伝わっていますが、早々に失われました。本丸中央に天守台が残っています
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天守跡にはお社がありました。
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この先は二の丸跡です。
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廊下橋
本丸へは廊下橋から入ります。 -
佐伯市番匠川上流方面です。
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二の丸から天守方面です。
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本丸外曲輪の城壁です。
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廊下橋です。
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山際通りを歩きます。
土屋家です。 -
薬医門です。
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武家屋敷ですね。
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左の門はお茶室「汲心亭」です。
右手は御典医。今泉元甫が掘った三義井の一つ「安井」です。 -
山際史跡広場です。
閉まっていました。 -
個人のお宅です。
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国木田独歩館です。
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国木田独歩館の向かいにあります佐伯市 城下町観光交流館へ入りました。
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昭和11年の建築とされる「つたや旅館」の建物です。
無料で公開されています。 -
モダンな洋室もあります。
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手が込んでいる造りです。
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広い和室です。
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欄間の松が素晴らしいです。
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洒落ています。
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小さなお庭もあります。
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良いですね。
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廊下に造りも良いです。
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2階からの展望です。
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階下を見下ろします。
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良いですね。
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児玉組とありました。
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この写真ではわかりにくいですが窓枠も壁と同色の木製で洋館です。
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慈眼視衆生です。
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養賢寺です。
初代佐伯藩主毛利高政公により、毛利家の菩提寺として創建されましたが「観光客は立ち入り禁止」の立て札がありました。 -
善教寺です。
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鐘楼です。
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真宗大谷派です。古市村にあったのですが1642年現在地に移ったそうです。
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