2026/06/06 - 2026/06/06
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hijunoさん
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近江神宮周辺を歩きました。
近江神宮は天智天皇が主祭神、天智天王は水時計を日本で初めて用いたことでも知られています。
境内には水時計を再現したものや、中国古代の火時計を再現したものや
日時計もありました。
境内は広くて森が拡がっています。山あいにあり、タヌキにも遭遇しました。
自然が沢山残っています。時間がゆったりと流れて、空気の澄んだ美しい神社でした。
境内にカフェがあり、ひと休みしました。
近江神宮駅の周囲には近江大津京の跡があちこちに点在しています。
一体に都があったことがわかります。
短い期間でしたが、天智天皇が愛した土地であったことが知られています。
近くの皇子山古墳も訪ねました。
前方後方墳の古墳です。山にあり、急な階段でしたが、大津の眺めが美しかったです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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滋賀にやってきました♪
高速のPAから。
琵琶湖がきれいです。 -
ハートだ!
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夫と孫と、来ましたが、夫は仕事。
孫と二人で観光です。
可愛い電車で、近江神宮へ。可愛い電車♪ -
近江神宮駅で降りて、
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神社に向かう途中、いくつかの遺蹟があります。
近江は天智天皇が飛鳥から近江へ移り、近江大津宮を造営しました。
667年です。
その後、672年には壬申の乱がおこり、大津宮は廃宮となりました。
教科書で習ったのは壬申の乱があったため、大津宮は短命に終わったと記憶していますが、実際のところ、短命に終わったのはいろんな説があるのだとわかりました。
まず、急ごしらえの宮で十分な整った宮にはならなかったことや、地形的な不向き、白村江の戦いで敗れ、その防衛のための宮であったことなどから、長期にわたる都の構想ではなかった、、、という説。
672年にはまた、飛鳥浄御原宮に遷都してしまいます。
大津宮は、わずか5年と五か月の短命の宮でした。 -
ここは、近江大津宮錦織遺蹟です。
第八地点で、ほかにも遺蹟は点在しています。
ここは、大津宮内裏南門の一部があったと考えられている場所です。 -
広場のような空き地、
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この近江大津宮錦織遺蹟では大型の柱穴が13基発見されています。
更に発掘をすすめると、内裏南門と宮の中心回廊とこれにつながる柵の跡であることがわかり、まさに大津宮の中心部分であることがわかりました。 -
すぐ近くにも第一地点。
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東西棟の建物、回廊、回廊を取り囲む塀などが見つかっています。
東西棟の建物は南門、回廊は複廊で、古代の宮では中心となる建物を囲む格式の高いものだったと説明にありました。 -
柿本人麻呂の歌がありました。
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672年の壬申の乱のあと、大津宮跡を訪ねた柿本人麻呂が、天智天皇の都と宮殿が草に埋もれ霞に覆われて見えないことを悲しいと歌っています。
悲哀を感じます。 -
錦織、、美しい名前です。
朝鮮半島から渡ってきた錦部氏が機織りの職務に携わっており、この一帯を居住地にしていたそうで、そこから地名がつけられています。 -
つぎの遺蹟は第二地点。
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こちらの場所は天智天皇がまつりごとを行った内裏正殿の在った場所。
大津宮の中心的な場所だったと考えられています。。
10基の柱跡も見つかっています。格式の高い建物だったようです。
ここから近くにある、第7点から9点までがつながっていたようです。 -
ここも空き地になっていました。
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つぎに第7地点。
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ここはまだ発掘が行われていないと書かれていました。
内裏正殿の跡です。 -
第9地点。
柿本人麻呂ではありませんが、やはり、ここも草が生えていて、とても宮殿があったところとは見えない。。 -
大津宮は北に内裏、南に朝堂院を持った孝徳天皇の難波の宮に近いものだと推定されています。
左のほうに推定図も含んだ建物図がありました。
いまは、道路を隔てたり、あちこちに遺構が点々とあるので、建物の構造が今一つよくわからないのですが、どこか近くに模型図のようなものがあるとわかりやすいと思いました。
しかし、想像を膨らますのも、また楽しいです♪ -
大津宮に関しての、いくつかの歌の碑がありました。
平忠度は清盛の異母弟にあたります。
一ノ谷の戦いで討死しています。
歌人としても優れ、藤原俊成にも師事し、藤原俊成が選者であった「千載和歌集」にも平忠度の歌が載っています。 -
柿本人麻呂の歌も。
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天智天皇の歌もありました。
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この広場、大津京シンボル緑地で、大津京遺構の説明板がありました。
内裏正殿や内裏南門、回廊や塀などの遺構が明らかになっています。 -
近江神宮に向かいます。
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まるで、森♪
樹々の中を歩いていきます。 -
つぎの日は流鏑馬が行われる予定。
準備が行われていました。 -
イチオシ
長い参道。
樹々で涼しい~ -
やっと、鳥居が見えてきました。
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ここまで汗びっしょりになり、ひと休みすることにしました。
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神宮茶寮。
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メニューもいろいろ。
孫1号はかき氷を楽しみにしてました。 -
パフェもいいなぁ~
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高い天井。
梁が立派です。 -
イチオシ
外の緑を観ながら休めるソファーの席も。
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テーブルには可愛い花♪
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冷たい白玉お汁粉と、
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かき氷はまだ始まっていませんでした。。。
がっくりする孫1号、悩んで、抹茶ミルクのわらび餅入りというのを頼んでました。 -
流鏑馬のポスターがありました。
勇ましい!
観てみたいです。
お天気が心配でしたが、無事に催行されたと、ききました。 -
境内にも歌碑があちこち。
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保田輿重は文芸評論家です。
大津市にある義仲寺の再建に尽力し、分骨もされています。
説明にありますが、滋賀の歴史や風土を詠んだ歌も多かったんですねー -
あとで、境内にある時計博物館にも立ち寄ります。
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由緒の在りますが、ちょっと読みにくいです。
近江神宮は、主祭神は天智天皇。
昭和15年に創建されています。
天智天皇は日本で初めて水時計を設置し、境内には時計館宝物館があります。 -
イチオシ
赤い壮大な楼門があります。
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拝殿。
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境内に日時計もありました。
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中国古代の日時計。
約4000年前に主に夜間の時間を図るもので、龍の背に14個の銅球があり、線香が下の糸を次々と焼き、銅球が下に落下、ドラが鳴って時間を知らせるというものです。
1間隔はおよそ2時間だそうです。 -
右奥にあるのが、漏刻。水時計です。
天智天皇が初めて設置したといわれています。
近江大津宮の近くに漏刻台を設け、鐘鼓を鳴らし、時間を知らせたそうです。
それを記念してここにも設けられています。
一目盛りはおよそ10分を示すそうです。 -
こちらは時計館宝物館です。
見学しました。
日本で初めて、時計 漏刻を用いた天智天皇にちなんで、時計や宝物などに関しての資料館がありました。
とくに、江戸時代の珍しい時計 垂揺球儀は伊能忠敬も用いたそうです。
櫓時計 大名時計といわれるものもありました。
近江神宮の宝物も展示されていました。 -
本殿です。
厳かな雰囲気の建物。
とても昭和の時代の比較的新しい時代のものには見えませんでした。 -
とどろき太鼓。
どんな音がするのでしょう~ -
イチオシ
拝殿から楼門をみます。
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廊下が続いています。
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本殿の周りも美しく整備されていました。
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回廊が美しいです。
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さらに山のほうへいくと、栖松遥拝殿がありました。
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栖松遥拝殿。
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説明。
もと高松宮が有栖川宮をお祀りしてた社殿をこちらに移築し復元したそうです。 -
朱色の柱も美しい。
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静寂です。
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イチオシ
ふと見ると、タヌキがいました。
目が合って、ちょっと、怖かった。。(^^;
石山寺でも野生のタヌキに遭遇しましたが、孫1号が興奮しています。
もう、すっかり慣れた様子で、急いで逃げることもなく、ゆっくりと歩いていきました。
昼寝をしていたようでした。。 -
イチオシ
もう一度、美しい朱色の楼門を観て、
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大きな鳥居をくぐって帰ります。
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駅への帰り道、皇子山古墳にも立ち寄ります。
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緩やかな坂道を登っていきます。
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案内板もありました。
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ここからは山登り。
勾配急な石段を登っていきます。 -
かなり登って、ちらり振り向くと、かすかに琵琶湖が見えます♪
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もうすぐ。古墳が見えてきました。
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到着です。
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説明板もありました。
皇子山一号墳、皇子山の頂上にある前方後円墳です。
全長は約60m、琵琶湖から見える斜面にだけ葺石があったようです。
琵琶湖から見えることを意識したものと考えられています。
4世紀後半ごろの築造ですが、被葬者は不明だそうです。 -
葺石は復元されていますが、もとの葺石を保護するため盛り土をして、その上に復元の葺石があるようです。
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脇の登るところから、上へ。
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古墳の形はわかりませんでしたが、ここからも琵琶湖が見えます。
当時、樹々や建物が無かったら、琵琶湖から古墳の葺石も見えて、古墳の様子が一望できたかも。。 -
下りみち、街並みも綺麗に見えます。
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駅への道で、もうひとつ、大津宮第4地点へ。
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説明があります。
ここでは、地表下70mに南北にのびる塀の一角の柱跡が三基見つかっています。
堀立て柱の建物のようで、こちらからも前期の難波の宮と同じ構造をしていたことがわかりました。 -
ここも広場になっていて、特に遺構のわかるものはありませんでした。
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大津市内に戻ります。
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大津城の跡もありました。
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推定の復元図がありました。
大津城は琵琶湖に近い場所。
豊臣秀吉が築城。
関ケ原の戦いで東軍についた城主の京極高次が関ヶ原に向かう毛利軍の大軍を食い止めて時間稼ぎをした 大津籠城で有名で、関ヶ原の戦いが東軍有利になる原因の一つとも考えられています。
関ケ原の戦い後の戦後処理を徳川家康が行ったお城としても有名です。 -
イチオシ
街中を走るカラフルな電車♪
可愛いです。 -
見事な百合が咲いていました。
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あまりの立派な百合♪
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大津市内、江戸時代のなごりの街並みもありました。
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静かな佇まいです。
滋賀の旅は楽しいです♪
また来たいところが沢山♪
最後までお読みいただいて、ありがとうございます^^
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