2026/05/01 - 2026/05/01
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しろくまクンクンさん
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宇奈岐日女神社へ行きました。
元々は女神(ウナグヒメ)を祀る山岳信仰の社だったものが、中世から近世(江戸時代など)にかけて、国家の安泰や守護を祈るために、国常立尊などの記紀神話の有力な男神六柱へと祭神が「差し替え」られた、あるいは「習合」したと見られています。
社殿は、配置としては男神(六所宮)を本殿に据えていますが、その本殿自体が厳島社のように濠(ほり)に囲まれ、石橋を渡らせる構造になっているのは、「ここはかつて広大な湖であり、その水を司った女神(ウナグヒメ)の聖地である」という古代の記憶を、建築様式として今に伝え続けているからだと言えます。
丸山神社楼門へ行きました。
肥後街道に面した楼門は 参勤交代で通る大名や、往来する多くの旅人から「見える」場所にあるため、今市の町の財力と格式を誇示するために、豪商が途方もない大金をかけてあえて過剰なほど立派に作りました。
太田磨崖仏へ行きました。
磨崖仏として彫られているのは普通の仏様(如来や菩薩)ではなく、「四国八十八ヶ所霊場」を模した、弘法大師(空海)や高僧たちの写し霊場です。
洗練された芸術ではなく、「地元の村人たちが、すがるような思いで岩肌に一生懸命彫り込んだ、手作りの信仰の跡」がそのまま残っています。
大将軍(だいしょうごん)神社へ行きました。
京都や加賀から、由布(挾間)の自然豊かな山の上へとやってきた大将軍。ここで、信仰の性質がガラリと変わります。
「もっとも強大で、あらゆる災いを退ける」と言われる大将軍の神威に、「牛馬を病魔や災害から守ってくれる最強の守護神」としての役割を期待し、祈るようになりました。
信仰が「牛馬の神」にシフトしていく中で、呼び名も「大将軍(だいしょうぐん)」から、仏教の濁音や地域の方言、あるいは家畜(権現的なニュアンス)の響きと混ざり合うようにして、いつしか親しみを込めて「だいじょうごん」と呼ばれるようになりました面白すぎます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩 バイク
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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宇奈岐日女神社へ行きました。
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一ノ鳥居をくぐり参道を進むと右手に社務所があります。
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社務所の横には高倉があります。
結構な高さです。 -
奥に神門があります。
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ちょっとおちゃめな狛犬です。
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神門です。
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社殿は池の中にあります。
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現在の宇奈岐日女神社は、配置としては六所宮を本殿に据えていますが、その本殿自体が厳島社のように濠に囲まれ、石橋を渡らせる構造になっているのは、「ここはかつて広大な湖であり、その水を司った女神の聖地である」という古代の記憶を、建築様式として今に伝え続けているからだと言えます。
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左手に菅原道真公・天津児屋根命・天津種子命を祀る政正社が鎮座します。
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右手に市杵嶋姫命を祀る厳島社
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神門を振り返ります。
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六所様の湧水が流れています。
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御年神社です。
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御神木の切り株が保存されています。
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平成三年九月二十七日台風十九号により参道、社殿等に倒伏下すぎ百四十四本を伐採しました。
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この木が幹回り9mです。
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神門です。
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神門からの参道と鳥居方面です。
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眺めの良い道路です。
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由布山です。
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丸山神社へ行きました。
「肥後街道」から見上げます。 -
享保五年(1720)に創建、いまいち在住の豪商松田庄右衛門尉長次が、父母の長命、子孫繁栄を祈願して、神社に楼門の寄進を思いたったといわれています。
創建当初の彫刻とみられる数々の彫刻が施されています。内側面に透彫りで酒造りの工程、二十四孝(中国で古今の孝子24人を選定したもの)の人物や十二支の動物などが巧みに彫られています。 -
丸山神社楼門への参道です。
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江戸時代、熊本藩の参勤交代のルートである「肥後街道」の重要な宿場町の傍らにありました。
参勤交代で通る大名や、往来する多くの旅人から「見える」場所にあるため、今市の町の財力と格式を誇示するために、豪商が途方もない大金をかけてあえて過剰なほど立派に作りました -
楼門からの鳥居です。
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絵横紋とありますが隋神門でもあります。
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透彫りで酒造りの工程、二十四孝(中国で古今の孝子24人を選定したもの)の人物や十二支の動物などが巧みに彫られています。
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タケノコ堀でしょうか??
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楼門の先に拝殿があります。
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拝殿です。
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拝殿にも見事な龍が彫られています。
「あまりにも見事に彫られたため、夜になるとこの龍が木彫りの体を抜け出して、近くの池の水を飲み干しに暴れ回った。困った人々が、龍の尻尾を少し切り落としたところ、二度と抜け出さなくなった」 -
拝殿の天井です。
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本殿です。
慶長15年(1610年)に加藤清正が菅原道真(天神様)を祀ったのが始まりで、のちに八幡様が合祀されました。
本殿の老朽化に伴って修復・塗り替えが行われたのです。 -
境内からの楼門も素晴らしいです。
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肥後街道の石畳を見に来たのですが工事中でゴム製の保護シートが張られていました。
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だだいぶ歩いたら宿場町の街道らしい敷石がありました。
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太田磨崖仏へ行きました。
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山の斜面のくぼみに仏様が祀られています。
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弘法大師座像と思われます。
四国八十八ヶ所の第17番札所は徳島県の「井戸寺」です。そこの本尊は七体の薬師如来ですが、この太田磨崖仏では、巡礼の本尊として、あるいは弘法大師そのものとして、お大師様の姿(数珠を執り、右手に弘法大師のシンボルである五鈷杵・独鈷杵を持つ姿)が彫られています。 -
右は弥勒菩薩または弘法大師(十四の数字が見えます)
四国八十八ヶ所の第14番札所は徳島県の「常楽寺」で、こちらの御本尊は「弥勒菩薩」です。
左は聖観世音菩薩です。
右手(この像は左手です。)に蓮華を持つ立像は、一般的に「聖観音」の典型的なお姿です。 -
江戸時代、本物の四国へ旅をするのが難しかった大分(豊後)の人々のために、ここの岩壁に八十八尊の石仏を彫り、「ここを巡れば、四国をすべて回ったのと同じ功徳が得られる」とした「写し霊場」が作られました。
江戸時代の天保年間(1830年~1844年)頃に、地元の石工たちによって熱心に彫られたものと伝わっています。(すべてGeminiによります) -
大将軍神社へ行きました。
狭い急な山道を進むと突然現れる白い鳥居にびっくりします。
大陸の文化が入ってくる以前からの「日本古来の純粋な神道(古神道)」の美意識、すなわち「清浄」「潔白」「ありのままの自然」を象徴しているようです。
駐車場はさらに道を進むと驚くぐらい大きな駐車場があります。 -
鳥居の先の神門です。
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正面が拝殿です。
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沢山の牛馬がいます。
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牛馬の市が立ったそうです。
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睨む狛犬です。
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しめ縄の形が面白いです。
普通はもっとビシッと張られていると思いますが・・・ -
境内には牛馬が奉納されているのに拝殿を見上げると、かつて京都の都を護っていた格式高い「方位盤(陰陽道の神)」が厳然と残っています。
大将軍(だいしょうぐん)は陰陽道において方位の吉凶を司る八将神の一。魔王天王とも呼ばれる大鬼神。仏教での本地は他化自在天。 -
本殿です。
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本殿の後ろは広い草地となっていてその先に広い駐車場があります。
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神門鳥居方面です。
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