2023/09/22 - 2023/09/22
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frau.himmelさん
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現在、私の旅行記は、2025年9月ウィーンからグラーツに入ったところで停滞していますが、思うところがあり今回は2023年のアムステルダムの続編に戻りたいと思います。
2023年後期高齢シニア3人で訪れたアムステルダムの旅行記も途中で頓挫したままでした。
まず、アムステルダムではここは外せないアムステルダム国立美術館に行きました。そして私が前から強い興味を魅かれていたのはアムステルダムで設立された世界初の株式会社「オランダ東インド会社(略称VOC)」です。
アムステルダムに行ったら東インド会社の足跡を探したいと思っていました。
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ヨーロッパを旅行していますと、あちこちの有名な宮殿や博物館で日本の伊万里焼の柿右衛門に出合います。これは江戸幕府による鎖国時代、オランダ東インド会社に唯一開かれていた長崎の出島からヨーロッパに輸出されたものです。
写真は扇型の出島を描いた螺鈿細工。
(アムステルダム国立博物館) -
これは2016年5月にミュンヘンのレジデンツで観たものです。
白い肌に明るく華やかな柿右衛門赤絵はヨーロッパの王侯貴族を魅了しました。
室内を豪華に飾るあの美しい赤色はヨーロッパで一大センセーションを巻き起こし、彼らはそれを手に入れるためにアムステルダムまで出向き、東洋から帰還する船を待ち構えたとも言われています。 -
また、ヨーロッパの求めに応じて、従来の赤絵に金色を彩色した豪華な「金襴手」の技術を取り入れたものも制作されました。
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2019年6月ベルリンのシャルロッテンブルク宮殿でも膨大な伊万里焼や中国の景徳鎮がありました。
これも東インド会社から貿易船で運ばれたものです。
その時勉強したことを旅行記に書いています。
https://4travel.jp/travelogue/11224731
2016シニア男女3人組再び ヴァイセス・ブロイハウスで朝食を摂り、レジデンツで伊万里・柿右衛門を勉強し、そして旅の終わりはラーツケラー -
ここからは2023年9月アムステルダム美術館です。
さて、アムステルダム国立美術館でも東インド会社に関係する展示はいろいろありました。アジアとの貿易を独占しオランダの黄金時代を築いてきた会社ですから当然ですよね。 -
15世紀半ば、時は大航海時代と言われたころ、ヨーロッパ諸国は新航路や新大陸を求めて大規模な海外進出を行っていた。
ヨーロッパ諸国はアジアの香辛料などの貿易で莫大な利権を独占したいと思っていました。 -
16世紀の世界地図。
大航海時代、コロンブスやマゼランはこんな地図を見て広大な海原を航海していたのでしょうか。 -
オランダは「東インド会社」を設立しました。
単なる会社ではなく、国家によって軍隊や条約の締結権、更には植民地支配まで認められた巨大組織でした。
復元されたオランダの商艦。
船体の周りには74門の大砲が取りつけられています -
オランダ東インド会社はバタヴィア(インドネシアのジャカルタ)を拠点としてアジアとの香辛料貿易を開始しました。
写真は左側にオランダ東インド会社(VOC)のマーク、右側にバタヴィアの紋章。 -
ジャワの宮廷官吏。
様々なランクの民族衣装を着た5人のお役人。 -
当時のジャワの市場の風景(ジオラマ)
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オランダの植民地だったスリナム(現ギアナ)のドールハウス。
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オランダ東インド会社は台湾やマラッカにも拠点を置き、清朝や明朝から景徳鎮などの膨大な中国陶磁器を買い付けた。
それらはヨーロッパの王侯貴族を魅了します。 -
その頃鎖国時代だった江戸幕府は、長崎の出島に唯一オランダ商館の設置を許し、そこからのみ対外貿易が行われた。
出島は、1636年に江戸幕府によって長崎に築造された扇形の人工島で、鎖国時代において日本で唯一西欧に開かれた窓でした。
出島の模型が精巧にできていました。 -
1644年に明朝が滅びると、戦乱によって磁器の生産が困難になり東インド会社は中国での陶磁器の購入は難しくなりました。
そこで白羽の矢を立てたのが日本の伊万里焼でした。
写真が見難いですが、棚の上に飾られているのはたぶん伊万里焼の柿右衛門。 -
江戸時代初期に造られたうるし蒔絵の美しい衣装箱。
こういうのも出島を通じてヨーロッパに輸出され、西欧の王侯貴族を喜ばせていました。 -
第二次オランダ東インド遠征隊のアムステルダムへの帰還(1599年)。
大量の珍しいものを買い付けて帰ってきた遠征隊。 -
「ローレンス・レ―エルの肖像」コルネルス・ファン・デル・フォート画
ローレンス・レ―エルはオランダ東インド会社の総督。 -
ヤン・ファルケンブルフ(1623-1667)
西インド会社の最高責任者 -
17世紀にオランダ西インド会社が設立される。西インド会社はブラジルを植民地化し、砂糖貿易などで潤った。
上:「ブラジル、オランダの眺め」1662。
下:「ブラジルの風景」1652。川の向こうに砂糖プランテーションが見える。 -
そこではエキゾチックな果物が採れた。「パイナップルとその他の果物」。
下は同時代の現地の女性を描いたもの。 -
「ヘンドリック・デ・ケイゼルの胸像」
オランダ黄金期に活躍した建築家・彫刻家。
後ほどあちこちで名前が出てきます。 -
最後に日本に関係のあるこの1枚を。
「下関海峡を強制通過するオランダ蒸気軍艦くメデューサ号」。
幕末の1863年7月11日に発生した攘夷派長州藩による外国船砲撃事件(下関戦争)で砲撃されたオランダ軍艦「メデューサ号」の戦いを描いています。
この後アメリカ・フランス・オランダ・イギリスの四国連合艦隊により、海峡封鎖は解除された。 -
さて、ではオランダ東インド会社を探しに行きましょう。
出発前にグーグル地図で探した時は意外と簡単に見つかると思ったのですが。
地下鉄Rokin駅を出て、運河沿いをぶらぶら歩けばいいんですね。 -
地下鉄Rokin駅で下車。
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Rokin駅前もなにやら魅力的。
歴史的な建物の奥にはダイヤモンド工場が見えます。 -
万国旗がはためいている一つ目の橋を渡る。
ヴィルヘルミナ女王の騎馬像。 -
左折して運河沿いを歩く。ずっとアムステルダム大学の建物が続いています。
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ここもアムステルダム大学は。
東インド会社の本社の後にアムステルダム大学の一部が置かれたそうです。
ここは入口も豪華で立派です。もしかしてここが? -
残念ながらここではありませんね。
プレートにはアムステルダム・アカデミー何とか・・。 -
手持ちの地図では東インド会社の本社はこの運河の右側らしい。
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運河の向こう側はオランダらしい細長い建物が連なる街並み。そして自転車。
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さて、こちら側は?
大学の校舎らしい大きな建物が続いている。でも東インド会社らしい名前のプレートはないですね。 -
ガイドツアーの集団。
もしかして東インド会社を訪ねるツアー?。着いていってみようかしら。
止めておこう。この通りを入ったほうがいいのかなあ。 -
案内板らしきものがあるとすかさず写真に撮る。
上は王立アカデミーの研究所、下も何かの協会みたい。 -
ここにもなんだかそれらしきプレートが。
ヘンドリック・デ・カイザー。
歴史的な建築家および彫刻家。
先ほど彼の彫像が国立美術館にありましたね。 -
教会らしい建物。
後で調べたらデ・ヴァルシエ教会だそう。
でもここにも碑やモニュメントらしいものは見当たりません。
東インド会社の足跡を求めて自分勝手に動き回っているうちに、いつの間にかK氏Nさんのお二人とはぐれてしまいました。 -
どこかに東インド会社の足跡はないかしら?
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と、運河の向こうに白い目立つ建物があり、○○○museumと見える。
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入り口の旗も東インド会社が貿易で取り扱っていた香辛料の葉っぱに見える。
もしかしてあそこが…!
急いで橋を渡って対岸へ。 -
こちら側の通りは人の往来も多いし、それに何となくけばけばしい感じ。
ともかく先ほどのmuseumへ行こう! -
ところが!
入り口の文字は「HASH MARIHUANA & HEMP」と。
この文字を読めば私にだって何の博物館が理解できる。何と「大麻博物館」だったのです。
そしてあの葉っぱは大麻だったのです。 -
大麻ってあの・・!?
怖くなって急いで離れる。
しかし気になる~~。怖いもの見たさ、そっと引き返す。
今度は少し大胆になりじっくり観察。
さすがに入場料を買ってまで入る勇気はない。 -
ショーウィンドーには大麻タバコ?それにマリファナの歴史などの写真。
後で調べたら、アムステルダムは大麻は合法的なものらしい。
またなんと「大麻の日」なんて日もあるし、お土産屋さんには普通に大麻クッキーや大麻キャンディーなども売っているそう。
一体オランダって?
もの凄いカルチャーショック! -
そういえばこの通り、建物はオランダらしくて素敵だけど、お店はなんだかけばけばしい。
どぎついピンク色にPornoShowなどの文字。 -
うわぁ~~、こんなところ女一人でぶらぶらするところではない。
ここが噂のあの「飾り窓」地区? -
急いで通りから避難。
ああ残念、K氏やNさんと一緒ならもっとじっくり見たんだけど。
それにしてもあの二人とどこで迷子になったんだろう? -
実はその頃K氏Nさんは東インド会社を見つけていたのです。
オランダの黄金期を築いた会社にしては実にひっそりとした入り口です。 -
でもその証拠にかなり傷んではいますが、「Oost-indisch(東インド会社)」って表記されたプレートが。
-
拡大して門の中を覗いてみましょうか。
レンガ色の建物が見えますね。その前には何人かの観光客の姿も見えます。
下はWIKIより借りた東インド会社の写真。
現在はアムステルダム大学の教室になっているこの建物、実は先ほど名前が出ていたH・d・Kことヘンドリック・デ・カイザーの設計だそうです。 -
でもどうして私には探せなかったんだろう?
もう一度グーグル地図写真版で見てみましょう。
私は東インド会社のすぐ近くAの地点まで来ていた。
右手のアウデホーフ通り(?)を入ればよかったのに、川向こうに大麻博物館の看板(①)を見て、香辛料だからあそこに違いないと橋を渡ってそっちへ行ってしまった。
何たるオマヌケ! -
お二人の姿はまだ見えない。
しばらく見通しのいいところで待ってみる。
しかしなかなか姿が見えない。
電話を入れてみる。通じない。 -
このいかがわしい場所に女一人でいつまでもジッとしていられない。場所柄勘違いして声をかけてくる不審な輩がいないとも限らない(笑)。
建物の角に「ダム通り」と表示があるのでそちらへ向かう。 -
やっと落ち着いて通りの建物を観察する。
この建物群も、オランダ東インド会社の黄金時代に富を得た商人たちによって建てられた住宅たったそうです。 -
なおも進むとダム広場に出ました。
正面の大きな建物はアムステルダム王宮。
これも黄金時代に市庁舎として建設されたものです。現在は国王の公式行事や国内外の重要なイベントの舞台として使用され、一般にも公開されています。 -
広場の中央には第二次世界大戦の戦没者慰霊塔。
周囲が緩い階段状になっているので、60年~70年代には世界中のヒッピー(死語?)のたまり場となり、彼らがゴロゴロしている姿から「あしかの丘」と呼ばれたそう。 -
慰霊塔の周りには今日も大勢の観光客。
正面に見えるのはオランダ最大のデパート「デ・バイエンコルフ」 -
王宮をじっくり見てみましょう。
タンパンにはライオンや像、大蛇など世界中の珍しい動物が彫られ、その上の屋根にはローマ神話の神々の姿、当時世界来各国との貿易で繁栄していたオランダを。
また7つの入り口は7つの州を表している。 -
王宮に向かって右手は新教会。
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新教会の道路を挟んでお隣の重厚な建物はショッピングセンター「マグナ・プラザ」
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かって中央郵便局だったネオゴシック様式の美しい外観はアムステルダムのランドマークの一つだそう。
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ショーウィンドーで目を惹いたのはこれ、うず高く積まれたたチーズ。
さすがチーズ王国オランダ。 -
王宮の向かって左手は?
えっ、マダムタッソー! -
マダムタッソー蝋人形館
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ダム広場にはまだまだ面白い場所があります。
オランダのお土産屋さんかと思いきや、左から3軒目のお店、入り口には「Ripley's Believe It or Not!」(リプリーの信じるか信じないか)という文字が。
ここは世界中の奇妙な事実や珍しい工芸品などが展示されている博物館なのです。 -
ダム広場でやっと同行二人と連絡が取れた。そしてともかくホテルで待ち合わせしましょうと言うことに。
各自でアムステルダムのフリーチケットを持っていますから、心配ありません。
目の前の美しい建物はDie Port von Cleveという歴史的なホテル。 -
では私も電車の停留所を探そう。
ここにも歴史的な建物が。ダム広場は本当に見どころの多い場所です。 -
旧教会の近くにトラムの停留所を見つけました。
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電車の中から名残惜しく写真を撮る。
アムステルの典型的なかわいい建物たち。
K氏Nさんはちゃんと観光出来たかしら? -
アムステルダム中央駅前で降りる。駅前は相変わらずの賑わいぶり。
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ホテル近くも相変わらず賑わっている。
またフリッツのマヌカンピス「Manneken Pis Damrak」に並んでいる人でしょうね。
私はずっと先の方に重厚なレンガ色の建物を見つけたのでそこまで行ってみる。 -
オランダの著名な建築家ブルース・ファン・ベルラーヘによって1903年完成した歴史的建物。証券取引所として建設されたが現在はコンサートホール・展示ホール・会議場として利用されているそう。
鐘楼の下の時計はもう7時を指しています。
お二人がホテルに着く頃です。 -
オランダ最後の夜はお魚料理が食べたいね、と誰かが言いだして、ダムラックの反対側に繰り出す。
夜のアムステルダムは細い路地まで賑やかです。
サーモン料理のお店を見つけて座る。 -
店内はガラガラだった。
まずはワインをいただいて、サーモン2皿、野菜サラダ、フリッツなどを注文する。
そしてウェイターさんに、3人でシェアするから小皿を貸してって頼むと、ちょっと嫌な態度を取られた。
お料理が少なくなるとまだ残っているのにさっと下げようとする。 -
三人で「何か嫌ね、早く出て行けって言わんばかりね」。ウェイターの態度がとても不愉快。
いつもならワイワイ言いながら楽しく食事をして、お料理の写真もちゃん残しておくのだけど、3人とも写真を撮る気にもならなかった。
辛うじて、グラスが面白かったので、このワイングラスだけは撮ってみた。 -
ではお望み通りさっさと出ましょう。
アムステルダムは私たちと相性が悪かったようです。
明日は再びドイツ入りです。さあ、あの囚人部屋に帰ろう。
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