2023/09/22 - 2023/09/22
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frau.himmelさん
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後期高齢者2人70歳超1人、平均しても十分後期高齢に該当するシニア3人の旅行記です。
アムステルダム観光は一日だけです。
行きたいところはいろいろありました。
一番行きたかったアムステルダム国立美術館はじっくり鑑賞しました。ゴッホ美術館・アンネの家は振られたけど、まだ時間はあります。レンブラント関係、王宮、教会もいくつか、買い物もしたい・・・。
そんな私たちがやってきたところはワーテルロー広場。
数ある観光候補の中からどうしてここを選んだのかわかりません。
そして、写真を見ながら旅行記を書いていて気が付きました(2025年8月)。
なんとホロコースト関係の写真が多いことか。意識してそんな写真を撮ったわけではありません。写真を整理していて気が付いたらそうだったのです。
これはやっぱり引き寄せられたのでしょうか(笑)
私自身、確かに「アンネの物語」の例はあるけれど、今までアムステルダムとユダヤ人ってあんまり関係ないと思っていました。
せっかくですから、今回の旅行記はアムステルダムのホロコーストを取り上げたいと思います。よかったら覗いてください。
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アムステルダム中央駅から地下鉄でワーテルロー駅にやってきました。
「ワーテルロー」
歴史的に有名なワーテルローの戦いで耳にしたことのある地名です。でもここが戦場だったわけではありません。ワーテルローの戦いにちなんだ地名なのだそう。
とても大胆な地下鉄ホームのデザイン。 -
地上に出る。
電車通りの向こうには明るい大きな建物が。
オランダ国立オペラ&バレエ劇場 -
そして前方にはモーゼとアーロン教会が見えます。
ワーテルロー広場は教会の横ですが、そちらに行かないで・・・。 -
この由緒ありげな橋の方に。
この橋は「Blauwbrug(青い橋)」
1600年ごろ造られた当時は青い色で塗られた木製の橋だったそうです。 -
今は架け替えられて色もブルーではありませんが名前はそのまま残っています。
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豪華な橋です。
この旅の初めに訪れたパリのアレキサンドル2世橋に似ていると思ったら、やはりその建築に着想を得て造られたそう。
皇帝の冠が飾られた豪華なランタンがいくつも立っている。 -
私たちが今どこにいるのか、地図を貼り付けます。
ワーテルロー広場は①、青い橋は? -
青い橋の手前を左折して、アムステル川沿いを散策します。
ゴッホが描いた跳ね橋がこの上流にあるそうです。それを探しましょう。 -
探すほどのこともなく、跳ね橋はすぐ見つかりました。
これがゴッホの跳ね橋?
地図を見てもどうも違うみたいです。
この橋はアムステル川支流の新ヘーレン運河に架かっています。(地図③) -
それにゴッホの跳ね橋はずっと前方に見えていますから。(↓)
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ここにプレートがあります。
この橋はWalter Suskind橋というようです。
中にはなにやらアウシュヴィッツや1945と言う文字が見えます。
なにか暗い歴史が隠れていそう、調べてみました。 -
「ウォルター・サスキンド」。
これだけではわかりませんね。
お得意のグーグルレンズで翻訳してみました。これでもわかりません。もう少し調べました。
(Walter Suskind、いろんな呼び名がありますが、ここでは以後ウォルター・サスキンドに統一します) -
橋の名前となっているウォルター・サスキンドもアンネ・フランクと同様、ナチスの弾圧を逃れるため、ドイツからアムステルダムに移住してきたドイツ系ユダヤ人でした。
彼はユダヤ人評議会に属し、1942年にユダヤ人移送センター(オランダ劇場)の管理者に任命されました。
劇場の真向いにユダヤ人の託児所があり、そこには大勢の子供たちが収容されていました。
彼はナチスに取入り、ナチスの目を盗み、命の危険にさらされながら、子供たちをオランダの田舎へ脱出させました。
彼と抵抗運動に加わっていた仲間が救出した子供たちの数は1200人とも言われます。 -
サスキンドはナチスの将校やSS隊員と仲良くして、世間からはナチスの協力者と蔑まれながら命を懸けて大勢の子供たちを救ったのです。
その彼にも収容所送還の日がやってきました。
1944年、彼は妻や娘と共にテレージエンシュタットの強制収容所に送られます。その後アウシュヴィッツへ送られ、終戦間近の1945年2月末、「死の行進」で力尽きて亡くなりました。
この橋は多くのユダヤ人の子供を救出したサスキンドを讃えて1972年に名付けられました。
彼の功績はその後映画にもなったそうです。 -
横から見たウォルター・サスキンド橋、両端にある白いハンドルで鎖を巻き上げて、中央が開き船が通れるようになるのですね。
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そして前方に見える白い木造小屋は橋番人の小屋。
これも橋の建築とともに建てられた古いものです。 -
私たちはウォルター・サスキンド橋の上を通りアムステル川沿いをさらに進みます。
運河には様々な船が停泊しています。
アムステルダム市の許可を得て、船を自分の好みに改造して船上で生活をしているハウスボートと呼ばれるものです。
このハウスボートは入り口に植木鉢。 -
ここもすごい。
船の上がまるで家庭菜園。
野菜や樹木が所狭しと置かれています。 -
このハウスボートの住民は絵が好きな人。
窓枠にはなんとなくゴッホタッチの絵が飾られている。
船の画廊とでも言いましょうか。 -
ハウスボートには番地の表示もあります。
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運河沿いには運河クルーズのチケットを売っている自転車スタンドも。さすが自転車王国オランダ。
左側の大きなレンガ色の建物はH'ART美術館(旧エルミタージュ美術館)。
これも面白い事実が分かりました。
この美術館は2009年ロシアのエルミタージュ美術館と提携して、エルミタージュ美術館分館として開館しましたが、2022年のロシアのウクライナ侵攻によりエルミタージュとの関係を断絶しました。
潔い決断です。 -
ここは支流の新カイゼルス運河に架かる橋の上。(④)
左側のレンガの建物はH'ART美術館(旧エルミタージュ美術館)。
運河の支流といえども幅は広い。
橋の欄干になにやらパネルが見えます。 -
これもグーグルレンズで調べてみましょう。
シャドウキー。
第二次世界大戦中、この運河の住民200名以上がユダヤ人であるという理由で殺害されました。
彼らの名前は彼らの家の向かい、左側の埠頭に刻まれています。
Schaduwkadeはニューカイザース運河の住民の主導により2013年に完成しました。
ここにもユダヤ人の暗い歴史が隠されていました。(⑤) -
犠牲になったユダヤ人が住んでいた向かいの埠頭にこのような記念碑が設置されています。
住所(ここでは新カイゼルス運河12番地)16名の氏名、年齢、月日、殺害され他場所(ここではほとんどアウシュヴィッツです)。
このような犠牲になったユダヤ人の200名の名前が刻まれて、運河の埠頭に設置されているのです。 -
この美しい運河の風景の中に、いくつもユダヤ人の重くて暗い歴史が隠されていたのですね。
さあ、気分を切り換えて散策を続けましょう。 -
このボートハウスは凄い。ちょっとした邸宅です。
手すりにプランターを飾り、船倉の窓からは雑多な日用品。
船室の2階部分には洋酒のボトルが何本も見える。
キャビンはたくさんの電球で飾られている。
パーティー好きの住民なのかしら。 -
なんておしゃべりしながら歩いていると、向こうに跳ね橋が見えてきました。
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あそこに見えるのがゴッホの跳ね橋と言われる「マヘレ橋」。
アムステルダムのランドマークです。さすがに観光客も多い。(⑥) -
マヘレ橋。1671年に造られた木造の跳ね橋です。
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今はまだ橋板が下に降りている状態ですが、これがどうやって開閉するのでしょうね。
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川面ではボートツアーの船が橋が開くのを今か今かと待っています。
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写真撮影の新郎新婦も渡っています。
私はここで大きな間違いに気づきます。
ゴッホの跳ね橋だと思っていましたが、ゴッホが描いたのは「アルルの跳ね橋」だったのですね。
恥ずかしい~~。
私たちも跳ね橋を渡って、ワーテルロー広場のほうに引き返します。 -
新カイゼルス運河の上からもう一度旧エルミタージュ美術館を眺めます。
あの運河の土手のSCHDUW KADEに200人の亡くなったユダヤ人の氏名が彫られたプレートがあったのですね。 -
前方に青の橋とオペラ劇場が見えます。
劇場の隣がワーテルロー広場です。 -
ワーテルロー広場の前には特徴ある建物が。
17世紀初頭に建てられたアルセナール(都市泥炭倉庫)です。オランダの文化記念遺産建築に指定されています。
実はここにもJHM(ユダヤ歴史博物館)の事務所があったそうなのです。また、この建物の向かいはユダヤ歴史博物館(JHM)だったそうですが、気が付きませんでした。 -
その近くのモーゼ&アーロン教会(パトヴァの聖アントニオ教会)。
何となく人の往来が多い。 -
中に入ってみようと近づくけど、入り口階段付近に女性が荷物を広げてすわりこんでいます。
これじゃー入り辛いですね。
あちらの聖なる柱の上には畏れ多くもズボンや下着、それに靴までお供えしてあります(笑)。 -
中に入れないのならせめて入り口の写真でも。
正面入り口の上には聖フランチェスコ像。 -
お隣のワーテルロー広場では蚤の市が開かれていましたが時間が遅かったので、もう片付けています。
このワーテルロー広場もホロコーストに関係のある地です。
この広場では1893年よりユダヤ人の露店市場が開かれるようになりました。
そしてヨーロッパ各地でユダヤ人迫害が始まると、中立国オランダには各国から多くのユダヤ人が移住してきました。特にワーテルロー広場や運河地域には、それらのユダヤ人が多く住みついた地域でした。それもアンネフランク一家のような富裕層ではなく、貧困層のユダヤ人が多かったそうです。 -
しかし1941年にオランダがナチスに占領されると、ユダヤ人迫害が始まります。
アムステルダムから7万人ものユダヤ人がアウシュヴィッツなどの強制収容所に送られて、そのうちの7割は生きて帰って来られなかったということです。
「アンネの日記」の例はあるもののそれは特別で、私はアムステルダムにはユダヤ人の暗い歴史は余り関係ないと思っていました。今回思いがけずアムステルダムのユダヤ人たちのことを知り、なんて私は無知だったことか、恥ずかしくなりました。 -
さて、私たちは次へ移動します。地下鉄ワーテルロー駅にやってきました。
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階段を降りると、床に点々と足跡が描かれています。
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それは壁の上にも点々と。
何だろう?
芸術的なものかも知れないけど、私にはワーテルロー広場のユダヤ人が強制収容所に連行されていく絶望的な足跡に見えました。
アムステルダム散策編続く
今回は暗い話に終始しましたが、次回は明るい話も取り入れます。
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この旅行記へのコメント (5)
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- ハッピーねこさん 2025/08/26 20:47:34
- まさに引き寄せられましたね!
- himmelさん、こんばんは。
まさに引き寄せられたのですね、あのエリアに!
実は私もワーテルロー駅を利用していました。
私は「マヘレのはね橋」を見てからワーテルロープレインからニューマルクトまでメトロに乗っています。
乗車前にワーテルロー付近を散策することもなく、もちろんそこにホロコーストの歴史が刻まれた場所があるなど思いもせずに・・・。
ただ、今回拝見して「ワーテルロー」と同じ綴りでロンドンに「ウォータールー駅」というのがあったなー、と思い出し、調べてみましたら同じく「ワーテルローの戦い」からその名が付いたとのこと。
古い記憶を呼び起こしていただきありがとうございました。
私の硬い脳が多少動いたように思います。(笑)
ハッピーねこ
- frau.himmelさん からの返信 2025/08/29 22:29:58
- RE: まさに引き寄せられましたね!
- ハッピーねこさん、こんばんは。
ホンット!に毎日暑いですね。
私たちの旅も出発がいよいよ来週に迫ってまいりました。
今日は同行者3人揃っての最後の打ち合わせ会だったのですが、抜けもボロボロ見つかってまだスケジュール表も完ぺきではない有様。それに加えてハッピーねこさんも今回のご旅行で悩んでいらっしゃいましたがこの円安!厳しいですね。
余計暑さに拍車をかけております。
なんて言いながらすごく楽しみにしています。これだけ何でも高いのだから、目いっぱい楽しんで参りますね。
さてハッピーねこさんの古い記憶を呼び起こした(笑)ワーテルロー。
そうなんですね。英語読みはウォータールー。ワーテルローの戦いからきている地名だそうです。何か所かあるみたいですね。
私もあります。皆様の旅行記を拝見しながら、ここ前に行ったことがある~~、って自分の旅行記を探してみることが。
ハッピーねこさんと同じように500冊以上も書いていますと、古い記憶を呼び起こしながら探す作業も大変です。でもしっかりと脳の活性化には役立っていますね。
これからもハッピーねこさんの旅日記で、あそこ行った!ここ行った!と楽しく脳を動かして老化防止に役立てます。よろしくお願いいたします。
猛暑前線はまだ居座っています。お気を付けください。
himmel
- ハッピーねこさん からの返信 2025/08/31 14:07:34
- もうすぐご出発!!
- himmelさん、こんにちは。
もう来週(今週?)ご出発なのですね!
そんなお忙しい時に、ご返信をいただきありがとうございました。
今回はどんなルートでどんな町々をお訪ねになるのでしょう。楽しみです。
ご旅行中少しでも日本より涼しく、少しでも今のレートより円高になりますよう、陰ながら祈っております。
お元気でいってらっしゃいませ♪
ハッピーねこ
追伸>もちろんご返信は不要です。
-
- マーさん 2025/08/26 13:57:28
- こんにちは(^^♪
- 残暑が続いてますが、お元気でしょうか ?
今回の「ホロコースト地帯を歩く」圧巻でした。
frau.himmelさんのお陰で、また知らなかった事実を知ることが出来、感謝です。
ドイツ系ユダヤ人「ウォルター・サスキンド」氏のお名前そして功績
今回のレポのお陰で知ることが出来ました。 やり方は思わず、オスカーシンドラー
を彷彿するものがあり、おまけに助けたユダヤ人の数もほぼ同数って
ビックリしました。 ただ、ナチスがアウシュヴィッツ絶滅収容所を閉鎖し
その際に、歩ける収容者は真冬の中行進されられた中での亡くなり方
せっかく絶滅収容所を生き抜いたのに、さぞ無念だった事でしょうね。
そして、ワーテルロー広場もクラクフにある英雄広場に通じるものを
感じました。 こちらも、ゲットー解体時に年寄、子供は全てアウシュヴィッツ絶滅収容所に送られてますものね。
こうした、ホロコースト関係の話題はけっして明るく楽しいモノではありませんが
やはり、現地に赴きその空気感を肌で感じる事が大切だと思ってますので
とても、有意義な旅レポートだと感じました。
- frau.himmelさん からの返信 2025/08/28 09:44:34
- RE: こんにちは(^^♪
- マーさん
前回の「アンネの家」に続き今回もコメントありがとうございます。
そして返信が遅くなって申し訳ありません。
はい、私も「ウォルター・サスキンド」氏(あちこちで名前表記が違っていましたので、読みやすい名前を採用しました・笑)の功績どころか名前も全く知りませんでした。今回の旅行記中でも白状していますが、何気なく撮ってた写真の中に大きな歴史が隠されていたということです。
もともと私は、「アンネの日記」は特別で、アムステルダムとホロコーストは余り関係がないと思っていましたから。それにアムステルダムにはゲットーはなかったようですから。
1200名の子供たちの救出といったら大きいですよね。
やはりその当時、シンドラーや杉原千畝氏、それにヨーロッパ旅行先でも何回か目にしましたが、そういうわが身を危険にさらしてでもヒトラーに逆らって戦ってくださった方がいるのですね。何かそういう話を聞くと少しほっとします。
でもサスキンド氏は「死の行進」で亡くなっられた。もう少し連合軍の強制収容所救出が早かったらと、残念です。
マーさんのコメントを拝見して、ああそうだ、クラクフのシンドラーのことも調べていたんだったと、我が旅行記を探してみましたがなぜだか書いていませんでした。アウシュヴィッツもクラクフも書いていたはずなのに、残っていない、私の老化による勘違いなのかもしれません(笑)。
まだまだ猛暑はつづきます。お身体にお気を付けください。
himmel
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