2026/03/12 - 2026/03/12
-位(同エリア457件中)
おやじさん
前回掲載した墨俣の八幡神社。
鎮座地は大垣市の墨俣輪中の北側にあたり、堤の先の犀川堤外地から眺める対岸は瑞穂市になります。
犀川堤外地から対岸を眺めると、堤の先に見える神社が今回掲載する神明神社になります。
鎮座地の瑞穂市は2003年に穂積町と巣南町が合併して誕生した新しい市。
地名のアップデートが進まない自分には本巣郡の方が馴染み深い。
- 旅行の満足度
- 2.5
- 観光
- 2.5
- 交通
- 1.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
犀川堤外地から対岸を眺めると、堤の先に見える神社が今回掲載する神明神社になります。
鎮座地の瑞穂市は2003年に穂積町と巣南町が合併して誕生した新しい市。
地名のアップデートが進まない自分には本巣郡の方が馴染み深い。 -
上は明治時代と現在の比較で、安八郡式内社 荒方神社の論社とされる八幡神社と白鬚神社の二社と神社の位置を示しています。
左側の明治時代の地図では五六川と犀川の二つの河川が曲がりくねりながら長良川へ注いでいました。
地図では現在の新犀川橋付近に鳥居が記されていますが、赤丸部分の鎮座地には鳥居の印は見られません。
当時の川筋は現在では直線的なものとなり、堤防道路も整備されており、地図から神明神社の創建時期を推測できません。 -
犀川左岸堤防道路から眺める神明神社境内の全景。
綺麗に舗装された堤防道路沿いに、白く輝く玉垣や鳥居と綺麗な社殿が連なる。
地図から消えた鳥居に拘るのは、この神明神社ではないかと勝手に推測します。 -
主な建物は手前の拝殿と後方の神明造りの本殿で、道路側に境内社の鳥居があります。
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本殿後方の堤防道路から社頭の眺め。
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白い鳥居から拝殿に続く参道脇の常夜灯も白く輝いています、手水舎は参道右側にあります。
鳥居は昭和2年建立のもので、常夜灯は平成になって建立されたものでした。
この地にあって近代に創建されたとはとても思えない。
消えた鳥居や新しい寄進物の疑問は拝殿前の由緒碑で払拭されます。 -
拝殿左の由緒碑になります。
石目が邪魔をしてよく読み取れず、読み取れた一部を以下に抜粋。
■由緒碑文。
「祭神天照大御神で伊勢神宮の御分霊を祀る、相殿に八幡大神と春日大神を祀る。
・・・・土地の名により荒方神社とも称し、延喜式神名帳に記載された名社である。
この神社は祖父江中島の氏神で、治水・舟運・諸産業の守護神で遠近各地からも崇敬されている。
社宝 元和五年(1619)九月二十八日創祀・・・・その他古札多数。
犀川大改修により新地に移転を余儀なくされた。・・・・平成二年吉日」
確実に読めたのはここまでです。
■岐阜県神社の記述を現代語訳にしたものは以下となります。
「当村の字「堤外」の土地は斎川の北側に位置し、南側には墨俣城の城の腰の地があり、川を挟んで白髭神社の鎮座地と向かい合っている。
そのため、この堤外の地も昔は「荒方(あらがた)」と呼ばれており、当時このあたりに住んでいた祖父江村の民家は、古くは白鬚神社の氏子であったという。
祖父江村の棟札も、昔は白髭神社の境内にあったと、村の古老の語り伝えに残っている。
昔、斎川は墨俣村の西南へ流れており、この荒方の地には達していなかった。
ところが元和元年ごろ、斎川の流れが東の長良川方面へ付け替えられる工事が行われ、その結果、荒方の地は斎川によって南北に分断されることになった。
南側は安八郡墨俣村の城腰、北側は本巣郡祖父江村の堤外となり、祖父江村の堤外に住む民家は、川を隔てて白髭神社を氏神とする形になった。
そこで元和五年九月、祖父江村堤外に新たに神明宮を勧請し、氏神として崇敬するようになった。
これが現在の神明神社である。
宝暦年間以降、社殿の造営や葺き替えがたびたび行われた。」というもの。
これらから犀川の付け替えで分断された堤外の中島に、元和五年(1619)に天照大御神、八幡大神、春日大神を祀ったことが神明神社のはじまりのようです。
水との鬩ぎあいから生まれた輪中や複雑に流れ下る川の付け替えの歴史は、堤外に祀られていた周辺の神社の遷座の歴史でもあるようです。 -
切妻瓦葺の拝殿正面全景。
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拝殿右側から眺める神明造の本殿。
棟には6本の鰹木と内削ぎの千木が施され、傷みもなく綺麗なものです。 -
本殿前には白い狛犬が祀られています。
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本殿左の境内社は秋葉神社。
鳥居の建立年度は見忘れました。 -
境内から社頭の眺め、この先の堤の下は一本に纏められた犀川が墨俣城の前を流れ下り長良川に注がれます。
神明神社
創建 / 元和五年(1619)
祭神 / 天照大神、八幡大神、春日大神
境内社 / 秋葉神社
祭例 / 不明
所在地 / 岐阜県瑞穂市祖父江1098-2
西町 八幡神社から神明神社所要時間 / 犀川堤から新犀川橋を超え、対岸の堤を上流へ、距離約1km、約10分。
参拝日 / 2026/03/12 -
白髭神社。
神明神社から犀川左岸堤を下流の墨俣一夜城で知られる墨俣歴史資料館に向かいます。
墨俣歴史資料館全景。
犀川と天王川に挟まれた中洲に建てられ、二つの川はひとつとなり東側の長良川に合流する立地で、古くは美濃街道と鎌倉街道が交わり、陸上・水運の交通の要衝となった場所。
信長の美濃攻めの拠点ともなり、秀吉により三日三晩で建てられたとされるのが墨俣一夜城。
実際の一夜城は、この姿とは程遠く高櫓を備えた簡素な砦だったようです。
当時は犀川や五六川などが複雑に流れ込み、荒れた湿潤な土地で、荒方とも呼ばれていた。
そんな場所に突如砦が現れればさぞかし脅威に感じた事だろう。
こうして眺める墨俣歴史資料館は、大垣城の天守を模して平成3年(1991)に建てられたものです。 -
今回の白髭神社は墨俣歴史資料館の建っている中洲の北側に鎮座します。
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資料館の入口には秀吉像や周囲に秀吉にあやかって、太閤秀吉出世の泉や瓢箪の絵馬掛けなどがあります。
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中洲は墨俣一夜城址公園として整備され、公園東側に写真の一夜城址の石標が立てられています。
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歴史資料や古文書に基づき作成された一夜城の概略図。
信長の美濃斎藤氏攻略の足掛かりとして、墨俣に拠点を置きたかったが、斎藤氏の支配下での拠点造りは何度となく失敗に終わっていた。
その後を継いだ秀吉が拠点を築くことに成功し「墨俣一夜城」の伝承が残されますが、この古文書からみても、城とは程遠い実に簡素なもので、一夜にして現れたものでもなく、戦をしながら築城を進めていたのが伺えます。 -
城の北側に天王川を引き込み堀が作られ、馬柵が設けられたようです。
この場所に、築城犠牲者の墓が纏められています。 -
その先が白髭神社境内となります。
入口には明神鳥居と右に「村社 白髭神社」の社号標が建てられています。 -
手水舎全景。
左の社標は境内社豊国神社のもの。 -
白髭神社拝殿と豊国神社本殿(右)。
入母屋瓦葺の平入拝殿で大棟に鯱が飾られています。 -
拝殿前の狛犬。
白髭神社の由緒は史料によって表記の揺れや変遷が見られます。
岐阜県神社庁の白髭神社解説は以下のようなもの。
□『創立年紀不詳。延喜式内社安八郡荒方神社の説あり。
天保の頃迄社人今村氏奉祀。
然るに此の家故あって今絶す。
明治十二年六月村社に加列す。
犀川開鑿の為移転を命ぜられ、昭和十三年七月五日移転を了す。
文化二年濃陽村々明細記墨俣村の條に左の記録あり。一、白髭大明神 社二尺五寸二尺五寸 境内御除地。』
西町 八幡神社と並び荒方神社の論社とされる。
墨俣町史(1956)では以下のように記されていた。
□『もと白髭大明神と言い、社家今村氏が代々つとめたと云う。
寛文七年天和二年の文書に大明神とあって、明治七年七月白髭社として届け、更に明治九年荒方神社と届出たが、信徒がない神社式内神社の社名を公称すべきではないとして許されず、明治十三年に白髭神社として神社明細帳に記した。
しかるに明治十四年明細帳に荒方神社と書く、後白髭社と改む。
しかし、この城の越の地一夜城の旧地で、その先き室町時代には寺院があった所である。
この廃寺(寺号不詳なるも或は白髭大明神の別当寺か又は白髭大明神は廃寺の鎮守か)跡に五輪石塔多く在り、土地の人 戦乱の時の戦死者の墓であると言う。
連続五輪に「 善徳 」と刻するのがあり、又連続五輪地の部残存には「〇隠梵清上座 明応二年十二月十一日 」とあって、梵清はこの廃寺の住職であることを知る。
明治十二年村社に加列し、明治十三年氏子二十八戸と報告した。
社殿造営等の史料存せず、境内付近一円は墨俣の公園とし。この地一夜城の史跡である。』
室町時代より荒方の地に鎮座する白髭神社、荒方神社と称したかった思いは認められなかったようです。
境内で見かけた築城犠牲者の墓もここに記されていました。
犀川北側の堤外に鎮座していた白髭神社は、昭和13年(1938)に犀川改修工事のため現在地に遷されたようです。 -
拝殿前の現地解説。
□『白髭神社
祭神 猿田彦命。
もとは白髭大明神と言い、代々今村氏が社家を務めていたという。
寛文七年(1667)と天和二年(1682)の文書に、大明神とあって、明治七年(1874)に白髭社として届け、 明治十二年(1879)に村社となった。
続いて明治一三年(1880) には白髭神社と して神社明細帳に記された。
白髭神社は舟運の無事を祈って建てられた神社であって、長良川沿いには多い。』 -
本殿は神明造で本殿右側に社名不明の境内社が祀られていました。
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豊国神社。
現在の歴史資料館建設に伴い、大阪城公園の豊国神社から平成四年(1992)に分祀されたもの。 -
本殿前を守護する狛犬。
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豊国神社現地解説。
□『豊国神社は、豊臣秀吉(豊国大明神)を祀る神社である。
秀吉の生涯に縁のある各地に鎮座する。
各地の事情により、合祀されている諸神や摂社の諸神に特徴がある。
豊国神社は、出世開運の神様として知られる大阪の豊国神社より分社し、豊臣秀吉公を祀っている。
大阪の豊国神社は、豊臣秀吉公、豊臣秀頼公、 豊臣秀長公を奉している。』 -
流造の本殿には豊臣秀吉を祀る。
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藤吉郎の馬柵。
社殿後方は天王川が流れ下り、ここで分流され城を巻くようにして犀川と合流します。
右手の堤の先は長良川で、15kmほど上流の稲葉山の頂には、斎藤氏の居城 稲葉山城(岐阜城)も視界に入ってくる。
白髭神社
創建 / 不明
祭神 / 猿田彦大神
境内社 / 豊国神社
祭例 / 不明
所在地 / 岐阜県大垣市墨俣町墨俣1735-1
神明神社から白髭神社所要時間 / 犀川堤を墨俣城まで、約350m・徒歩5分。
参拝日 / 2026/03/12
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